日本の華族一覧
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日本の華族一覧(にほんのかぞくいちらん)は、1869年(明治2年)から1947年(昭和22年)までの日本に存在した華族制度において、1884年(明治17年)7月7日に制定された華族令による叙爵者(爵位を授けられた者)の一覧である。
ここでは五十音順で表記する。
目次 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
わ | ら | や | ま | は | な | た | さ | か | あ | |
り | み | ひ | に | ち | し | き | い | |||
を | る | ゆ | む | ふ | ぬ | つ | す | く | う | |
れ | め | へ | ね | て | せ | け | え | |||
ん | ろ | よ | も | ほ | の | と | そ | こ | お |
あ行
編集あ
編集叙爵者 (名前の読み) |
爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
相浦紀道 (あいうら のりみち) |
男爵 | 勲功 | 肥前国 | 明治28年8月20日 | 海軍中将、日清戦争の功により叙爵。昭和18年11月に孫助一は爵位を返上 |
青木周蔵 (あおき しゅうぞう) |
子爵 | 勲功 | 長州藩 | 明治20年5月9日 | 条約改正にあたり功。のち外務大臣 |
青木重義 (あおき しげよし) |
子爵 | 武家 | 摂津麻田藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
青山忠誠 (あおやま ただしげ) |
子爵 | 武家 | 丹波篠山藩6万石 | 明治17年7月8日 | |
青山幸宜 (あおやま ゆきよし) |
子爵 | 武家 | 美濃郡上藩4万8000石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
青山貞 (あおやま ただす) |
男爵 | 勲功 | 越前国 | 明治20年5月24日 | 元老院議官、秋田県知事等を務めた功 |
青山胤通 (あおやま たねみち) |
男爵 | 勲功 | 美濃苗木藩士 | 大正6年12月14日 | ペスト菌研究者。東京帝大医科大学長等を歴任 |
明石元二郎 (あかし もとじろう) |
男爵 | 勲功 | 筑前福岡藩士 | 大正8年10月24日 | 陸軍大将、台湾総督在任のまま死去の前々日に叙爵 |
赤松則良 (あかまつ のりよし) |
男爵 | 勲功 | 幕府十五番組御徒士(御家人) | 明治20年5月24日 | 造船学で重きをなす。昭和20年7月子の範一没後、襲爵手続きせず |
秋田映季 (あきた あきすえ) |
子爵 | 武家 | 陸奥三春藩5万石 | 明治17年7月8日 | |
秋月種繁 (あきづき たねしげ) |
子爵 | 武家 | 日向高鍋藩2万7000石 | 明治17年7月8日 | 父の種樹は参与、のち明治天皇の侍読 |
秋元興朝 (あきもと おきとも) |
子爵 | 武家 | 上野館林藩6万石 | 明治17年7月8日 | |
浅田信興 (あさだ のぶおき) |
男爵 | 勲功 | 武藏川越藩士 | 明治40年9月21日 | 日露戦争に功。陸軍大将 |
浅野長勲 (あさの ながこと) |
侯爵 | 武家 | 安芸広島藩42万6500石 | 明治17年7月7日 | 戊辰戦争に出兵、維新後元老院議官 |
浅野忠純 (あさの ただずみ) |
男爵 | 武家 | 広島藩家老・三原領3万石 | 明治33年5月9日 | 筆頭家老。叙爵時の名は哲吉。 |
浅野守夫 (あさの もりお) |
男爵 | 武家 | 広島藩家老・東城領1万石 | 明治33年5月9日 | |
浅野養長 (あさの やすなが) |
男爵 | 武家 | 浅野侯爵家分家 | 明治21年11月1日 | |
足利於菟丸 (あしかが おとまる) |
子爵 | 武家 | 下野喜連川藩5000石(10万石格) | 明治17年7月8日 | 古河公方足利家・小弓公方足利家の末裔 |
飛鳥井雅望 (あすかい まさもち) |
伯爵 | 公家 | 花山院流花山院家支流難波家庶流928石 | 明治17年7月7日 | |
阿蘇惟敦 (あそ これあつ) |
男爵 | 神官 | 阿蘇神社神職 | 明治17年7月8日 | |
足立正声 (あだち まさな) |
男爵 | 勲功 | 因幡鳥取藩士 | 明治39年12月15日 | 宮内省東宮亮・諸陵頭を歴任 |
姉小路公義 (あねがこうじ きんとも) |
伯爵 | 公家 | 三条家分家200石 | 明治17年7月7日 | 父の公知は幕末、攘夷派の中心として活躍 |
阿野実允 (あの さねちか) |
子爵 | 公家 | 閑院流阿野家478石 | 明治17年7月8日 | 昭和19年12月子季忠没後に後継者を欠く |
油小路隆晃 (あぶらのこうじ たかてる) |
伯爵 | 公家 | 四条家分家150石 | 明治17年7月7日 | |
阿部正功 (あべ まさこと) |
子爵 | 武家 | 陸奥棚倉藩10万石 | 明治17年7月8日 | |
阿部正桓 (あべ まさたけ) |
伯爵 | 武家 | 備後福山藩11万石 | 明治17年7月7日 | 箱館戦争で功 |
阿部正敬 (あべ まさのり) |
子爵 | 武家 | 上総佐貫藩1万6000石 | 明治17年7月8日 | 福山阿部家の分家。貴族院子爵議員。 |
安保清康 (あぼ きよやす) |
男爵 | 勲功 | 肥前国 | 明治29年6月5日 | 海軍中将に進み、日清戦争で功 |
綾小路有良 (あやのこうじ ありかず) |
子爵 | 公家 | 宇多源氏200石 | 明治17年7月8日 | |
新井清一 (あらい きよかず) |
男爵 | 勲功 | 肥前国 | 明治40年10月2日 | 父の晴簡は陸軍中将に進み、日露戦争に功 |
荒尾之茂 (あらお これしげ) |
男爵 | 武家 | 鳥取藩家老・米子領1万5000石 | 明治39年9月17日 | 之茂の夫人は三井高保の三女 |
荒尾嘉就 (あらお よしなり) |
男爵 | 武家 | 鳥取藩家老・倉吉領1万2000石 | 明治39年9月17日 | |
荒木貞夫 (あらき さだお) |
男爵 | 勲功 | 東京都狛江市 | 昭和10年12月26日 | 満州事変の功により叙爵、のちA級戦犯 |
荒木田泰圀 (あらきだ やすくに) |
男爵 | 神官 | 伊勢神宮神職 | 明治23年8月27日 | |
有坂成章 (ありさか なりあきら) |
男爵 | 勲功 | 長州藩士 | 明治40年9月21日 | 陸軍で有坂砲を発明して陸軍中将 |
有地品之允 (ありち しなのじょう) |
男爵 | 勲功 | 長州藩士武術指南役1000石 | 明治29年6月5日 | 日清戦争に功 |
有馬頼万 (ありま よりつむ) |
伯爵 | 武家 | 筑後久留米藩21万石 | 明治17年7月7日 | |
有馬頼之 (ありま よりゆき) |
子爵 | 武家 | 下野吹上藩1万石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員。子の聰頼が昭和18年11月に爵位返上 |
有馬道純 (ありま みちずみ) |
子爵 | 武家 | 越前丸岡藩5万石 | 明治17年7月8日 | |
有馬新一 (ありま しんいち) |
男爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治40年9月21日 | 海軍中将に進み、日露戦争で功 |
有馬頼多 (ありま よりかず) |
男爵 | 武家 | 有馬伯爵家分家 | 明治30年7月1日 | |
有吉立礼 (ありよし たつひろ) |
男爵 | 武家 | 肥後熊本藩家老1万8000石 | 明治39年9月17日 | 上卿三家(第三座) |
粟田彰常 (あわた あきつね) |
侯爵 | 皇族 | 東久邇宮家 | 昭和15年10月25日 | 東久邇宮稔彦王の三男、願いに依り臣籍降下 |
粟田口定孝 (あわたぐち さだたか) |
男爵 | 公家 | 勧修寺流葉室家庶流50石 | 明治17年7月8日 | |
安藤信守 (あんどう のぶもり) |
子爵 | 武家 | 陸奥磐城平藩3万石 | 明治17年7月8日 | |
安東貞美 (あんどう さだよし) |
男爵 | 勲功 | 信濃飯田藩士 | 明治40年9月21日 | 陸軍大将、日露戦争に功あり |
安藤直行 (あんどう なおゆき) |
男爵 | 武家 | 紀伊田辺藩3万8800石 | 明治17年7月8日 | 紀州徳川家附家老 |
安部信順 (あんべ のぶまさ) |
子爵 | 武家 | 三河半原藩2万250石 | 明治17年7月8日 | 昭和21年12月養子の信明没後、襲爵手続きせず |
い
編集叙爵者 (名前の読み) |
爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
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井伊直憲 (いい なおのり) |
伯爵 | 武家 | 近江彦根藩20万石 | 明治17年7月7日 | 戊辰戦争で倒幕軍に加わった |
井伊直安 (いい なおやす) |
子爵 | 武家 | 越後与板藩2万石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
飯田俊助 (いいだ としすけ) |
男爵 | 勲功 | 長門国 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、日露戦争に功 |
伊江朝永 (いえ ちょうえい) |
男爵 | 武家 | 旧琉球王尚家分家 | 明治23年5月26日[1] | |
伊賀氏広 (いが うじひろ) |
男爵 | 武家 | 土佐藩家老・宿毛領6300石 | 明治33年5月9日 | 山内豊信(容堂)の弟。伊賀氏初代山内可氏は山内一豊の甥。養父氏成の維新の功 |
伊木忠愛 (いぎ ただなる) |
男爵 | 武家 | 岡山藩家老・虫明領3万3300石 | 明治39年9月17日 | 筆頭家老 |
池尻知房 (いけがみ ともふさ) |
子爵 | 公家 | 勧修寺流50石3人扶持 | 明治17年7月8日 | |
池田章政 (いけだ あきまさ) |
侯爵 | 武家 | 備前岡山藩31万5200石 | 明治17年7月7日 | |
池田勝吉 (いけだ かつよし) |
男爵 | 武家 | 岡山池田家分家 | 明治17年7月8日 | |
池田謙斎 (いけだ けんさい) |
男爵 | 勲功 | 東京都 | 明治31年2月2日 | 日本最初の医学博士 |
池田長準 (いけだ ながとし) |
男爵 | 武家 | 岡山藩家老・周匝領2万2000石 | 明治33年5月9日 | |
池田輝知 (いけだ てるとも) |
侯爵 | 武家 | 因幡鳥取藩32万石 | 明治17年7月7日 | |
池田徳定 (いけだ のりさだ) |
子爵 | 武家 | 因幡若桜藩1万5000石 | 明治17年7月8日 | 鳥取池田家分家 |
池田徳潤 (いけだ のります) |
男爵 | 武家 | 播磨福本藩1万573石 | 明治17年7月8日 | 交代寄合播磨神崎郡福本領主。明治27年1月爵位返上 |
池田源 (いけだ はじめ) |
子爵 | 武家 | 因幡鹿奴藩3万石 | 明治17年7月8日 | 鳥取池田家分家 |
池田博愛 (いけだ ひろのり) |
男爵 | 武家 | 岡山藩家老・津高領1万石 | 明治39年9月17日 | 建部池田家 |
池田政礼 (いけだ まさのり) |
子爵 | 武家 | 備中生坂藩1万5000石 | 明治17年7月8日 | |
池田政保 (いけだ まさやす) |
子爵 | 武家 | 備中鴨方藩2万5000石 | 明治17年7月8日 | |
池田政和 (いけだ まさやす) |
男爵 | 武家 | 岡山藩家老・天城領3万2000石 | 明治24年12月28日 | |
生駒親承 (いこま ちかつぐ) |
男爵 | 武家 | 出羽矢島藩1万5200石 | 明治17年7月8日 | 交代寄合出羽由利郡矢島領主 |
諫早家崇 (いさはや いえたか) |
男爵 | 武家 | 佐賀藩家老・諫早領2万2500石 | 明治30年10月27日 | 親類同格家老、戦国大名・龍造寺氏の一門 |
石井菊次郎 (いしい きくじろう) |
子爵 | 勲功 | 上総国 | 大正5年7月14日 | 明治44年8月24日男爵→子爵。外務大臣 |
石川重之 (いしかわ しげゆき) |
子爵 | 武家 | 常陸下館藩2万石 | 明治17年7月8日 | 明治20年に爵位を返上するが、明治32年再び子爵 |
石川成徳 (いしかわ なりよし) |
子爵 | 武家 | 伊勢亀山藩6万石 | 明治17年7月8日 | |
石黒忠悳 (いしぐろ ただのり) |
子爵 | 勲功 | 幕府代官手代 | 大正9年9月24日 | 明治28年8月20日男爵→子爵。陸軍医総監を歴任。昭和16年4月没後に嫡男忠篤(当時農林大臣)が襲爵手続きせず栄典喪失[2]。 |
石河光熙 (いしこ みつてる) |
男爵 | 武家 | 尾張徳川家家老・美濃駒塚領1万石 | 明治33年5月9日 | |
石田英吉 (いしだ えいきち) |
男爵 | 勲功 | 土佐国 | 明治29年6月5日 | 大正15年3月24日に孫の英一郎は爵位返上[3]。 |
伊地知正治 (いじち まさはる / しょうじ) |
伯爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治17年7月17日 | 戊辰戦争で功をなし、維新後、左院の議長 |
伊地知幸介 (いじち こうすけ) |
男爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、日露戦争で功 |
石本新六 (いしもと しんろく) |
男爵 | 勲功 | 播磨姫路藩士 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、日露戦争に功 |
石山基文 (いしやま もとふみ) |
子爵 | 公家 | 中御門流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | 参与・侍従を歴任 |
伊集院兼寛 (いじゅういん かねひろ) |
子爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治20年5月24日 | 海軍少将、元老院議官、貴族院議員を歴任 |
伊集院五郎 (いじゅういん ごろう) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治40年9月21日 | 元帥海軍大将に進み、日露戦争に功 |
伊集院彦吉 (いじゅういん ひこきち) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 大正9年9月7日 | パリ講和会議に全権委員として参加、その功労による |
伊瀬知好成 (いせち よしなり) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、日露戦争に功 |
井田譲 (いだ ゆずる) |
男爵 | 勲功 | 美濃大垣藩士 | 明治22年11月22日[4] | 維新・西南戦争の功。陸軍少将、特命全権公使、元老院議官等歴任 |
板垣退助 (いたがき たいすけ) |
伯爵 | 勲功 | 土佐藩士 | 明治20年5月9日 | 東山道先鋒総督府参謀。華族一代論を主張し、没後襲爵手続きせず |
板倉勝弼 (いたくら かつすけ) |
子爵 | 武家 | 備中高梁藩2万石 | 明治17年7月8日 | |
板倉勝弘 (いたくら かつひろ) |
子爵 | 武家 | 備中庭瀬藩2万石 | 明治17年7月8日 | |
板倉勝観 (いたくら かつみ) |
子爵 | 武家 | 上野安中藩3万石 | 明治19年4月24日 | 元川越藩主松平康載。松井(松平)家を離籍後に板倉家の婿として家督相続 |
板倉勝達 (いたくら かつみち) |
子爵 | 武家 | 三河重原藩2万8000石 | 明治17年7月8日 | |
伊丹重賢 (いたみ しげかた) |
男爵 | 勲功 | 京都府 | 明治29年6月5日 | 諸官を歴任、後に元老院議官 |
一木喜德郎 (いちき きとくろう) |
男爵 | 勲功 | 遠江掛川藩 | 昭和8年4月25日 | 文部大臣、宮内大臣等を歴任 |
一条実輝 (いちじょう さねてる) |
公爵 | 公家 | 九条流摂関家2044石 | 明治17年7月7日 | 海軍大佐から東宮侍従長に任ぜられた |
一条実基 (いちじょう さねもと) |
男爵 | 公家 | 一条公爵家分家 | 明治35年3月10日 | |
市橋長寿 (いちはし ながひさ) |
子爵 | 武家 | 近江仁正寺藩1万7000石 | 明治17年7月8日 | |
五辻安仲 (いつつじ やすなか) |
子爵 | 公家 | 宇多源氏200石 | 明治17年7月8日 | 岩倉使節団に随行 |
伊藤圭介 (いとう けいすけ) |
男爵 | 勲功 | 愛知県 | 明治34年1月22日 | シーボルトに師事。日本最初の理学博士 |
伊東祐麿 (いとう すけまろ) |
子爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治17年7月7日 | 海軍中将に進み、軍務局長等を歴任 日向飫肥藩伊東氏の一門 |
伊東祐帰 (いとう すけより) |
子爵 | 武家 | 日向飫肥藩5万1080石 | 明治17年7月8日 | |
伊藤雋吉 (いとう としよし) |
男爵 | 勲功 | 丹後田辺藩士 | 明治28年8月20日 | 海軍中将に進み、日清戦争に功 |
伊東長トシ (いとう ながとし) |
子爵 | 武家 | 備中岡田藩1万303石 | 明治17年7月8日 | トシの字は卆の左下に百の字、右下が千の字 |
伊藤博文 (いとう ひろぶみ) |
公爵 | 勲功 | 長州藩 | 明治40年9月21日 | 明治17年7月7日伯爵→明治28年8月5日侯爵→公爵 |
伊藤文吉 (いとう ぶんきち) |
男爵 | 勲功 | 伊藤公爵家分家 | 明治42年11月1日 | 伊藤博文の養子。夫人は桂太郎の四女 |
伊東巳代治 (いとう みよじ) |
伯爵 | 勲功 | 肥前国 | 大正11年9月25日 | 明治28年8月20日男爵→明治40年9月23日子爵→伯爵 |
伊東祐亨 (いとう すけゆき / ゆうこう) |
伯爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治40年9月21日 | 明治28年8月5日子爵→伯爵。初代連合艦隊司令長官 日向飫肥藩伊東氏の一門 |
伊東義五郎 (いとう よしごろう) |
男爵 | 勲功 | 信濃松代藩士 | 明治40年9月21日 | 海軍中将に進み、日露戦争に功 |
到津公誼 (いとうづ きみよし) |
男爵 | 神官 | 宇佐神宮神職 | 明治17年7月8日 | 後の当主の公斉は宇佐神宮宮司 |
稲垣長敬 (いながき ながひろ) |
子爵 | 武家 | 志摩鳥羽藩3万石 | 明治17年7月8日 | |
稲垣太祥 (いながき もとよし) |
子爵 | 武家 | 近江山上藩1万3430石 | 明治19年7月16日 | |
稲田邦植 (いなだ くにたね) |
男爵 | 武家 | 徳島藩家老・淡路洲本領1万4357石 | 明治29年6月9日 | 筆頭家老 |
稲葉久通 (いなば ひさみち) |
子爵 | 武家 | 豊後臼杵藩5万60石 | 明治17年7月8日 | |
稲葉正邦 (いなば まさくに) |
子爵 | 武家 | 山城淀藩10万2000石 | 明治17年7月8日 | 内国事務総裁兼務御役 |
稲葉正善 (いなば まさよし) |
子爵 | 武家 | 安房館山藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
井上馨 (いのうえ かおる) |
侯爵 | 勲功 | 長州藩士 | 明治40年9月21日 | 明治17年7月7日伯爵→侯爵 |
井上勝 (いのうえ まさる) |
子爵 | 勲功 | 長州藩士 | 明治20年5月24日 | 造幣寮の確立、鉄道発展に寄与。鉄道庁長官 |
井上毅 (いのうえ こわし) |
子爵 | 勲功 | 肥後熊本藩家老長岡監物家臣 | 明治28年1月7日 | 憲法発布に尽力。教育勅語や諸法令を起草 |
井上正順 (いのうえ まさより) |
子爵 | 武家 | 下総高岡藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
井上正巳 (いのうえ まさおと) |
子爵 | 武家 | 常陸下妻藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
井上正英 (いのうえ まさひで) |
子爵 | 武家 | 上総鶴舞藩6万石 | 明治17年7月8日 | |
井上良馨 (いのうえ よしか) |
子爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治40年9月1日 | 海軍大将。明治20年5月24日男爵→子爵。昭和9年2月子虎隠居後、孫の良正は襲爵手続きせず |
井上光 (いのうえ ひかる) |
男爵 | 勲功 | 周防岩国藩士 | 明治40年9月21日 | 陸軍大将に進み、日露戦争に功 |
井上良智 (いのうえ よしとも) |
男爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治40年9月21日 | 海軍中将に進み、日露戦争に功 |
茨木惟昭 (いばらき これあき) |
男爵 | 勲功 | 紀州藩士 | 明治28年8月20日 | 陸軍中将に進み、日清戦争に功 |
今枝直規 (いまえだ なおのり) |
男爵 | 武家 | 加賀藩家老1万2000石 | 明治33年5月9日 | 今枝内記家。貴族院男爵議員 |
今城定徳 (いまき さだよし) |
子爵 | 公家 | 花山院流庶流118石 | 明治17年7月8日 | |
今園国映 (いまその くにてる) |
男爵 | 公家 | 勧修寺流勧修寺家庶流50石 | 明治17年7月8日 | 貴族院男爵議員 |
入江為守 (いりえ ためもり) |
子爵 | 公家 | 御子左流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | 貴族院議員で、東宮侍従長 |
石井行昌 (いわい ゆきまさ) |
子爵 | 公家 | 桓武平氏高棟王流130石 | 明治17年7月8日 | |
岩城隆治 (いわき たかはる) |
子爵 | 武家 | 出羽亀田藩2万石 | 明治17年7月8日 | 明治22年に夭折し弟の岩城隆長が家督相続。 |
岩倉具定 (いわくら ともさだ) |
公爵 | 公家 | 村上源氏150石 | 明治17年7月8日 | 岩倉具視の次男。その功により叙爵 |
岩倉具経 (いわくら ともつね) |
子爵 | 公家 | 岩倉公爵家分家 | 明治24年4月23日 | 具視の三男。明治17年7月8日男爵。その功により長男具明が子爵に陞爵。 |
岩倉具徳 (いわくら とものり) |
男爵 | 公家 | 岩倉公爵家分家 | 明治17年7月8日 | 具視の孫。明治16年7月13日、特旨ヲ以テ華族ニ被列候事[5] |
岩倉道倶 (いわくら みちとも) |
男爵 | 公家 | 岩倉公爵家分家 | 明治29年12月3日 | 具視の四男 |
岩佐純 (いわさ じゅん) |
男爵 | 勲功 | 越前国 | 明治40年9月23日 | 宮中の侍医として奉仕 |
岩崎久彌 (いわさき ひさや) |
男爵 | 勲功 | 土佐藩 | 明治29年6月9日 | 父の岩崎彌太郎は三菱会社を創立し、実業に功あり |
岩崎彌之助 (いわさき やのすけ) |
男爵 | 勲功 | 土佐藩 | 明治29年6月9日 | 日本銀行総裁を歴任。彌太郎の弟。昭和20年12月子小弥太没後、襲爵手続きせず |
岩下方平 (いわした みちひら) |
子爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治20年5月9日 | 元老院議官をつとめる |
石野基佑 (いわの もとすけ) |
子爵 | 公家 | 中御門流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | |
岩村通俊 (いわむら みちとし) |
男爵 | 勲功 | 土佐藩家老宿毛領主伊賀家臣 | 明治29年6月5日 | 農商務大臣、宮中顧問官を歴任 |
岩村高俊 (いわむら たかとし) |
男爵 | 勲功 | 土佐藩家老宿毛領主伊賀家臣 | 明治29年6月5日 | 通俊の弟 |
う
編集叙爵者 (名前の読み) |
爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
上杉茂憲 (うえすぎ もちのり) |
伯爵 | 武家 | 出羽米沢藩14万石 | 明治17年7月7日 | 沖縄県令・元老院議官を歴任 |
上杉勝賢 (うえすぎ かつかた) |
子爵 | 武家 | 出羽米沢新田藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
上田有沢 (うえだ ありさわ) |
男爵 | 勲功 | 阿波徳島藩士 | 明治40年9月21日 | 日露戦争に功あり。陸軍大将 |
上田亀次郎 (うえだ かめじろう) |
男爵 | 武家 | 広島藩家老・小方領1万石 | 明治33年5月9日 | |
上野正雄 (うえの まさお) |
伯爵 | 皇族 | 北白川宮家 | 明治30年7月1日 | 北白川宮能久親王の六男で臣籍降下 |
上原勇作 (うえはら ゆうさく) |
子爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 大正10年4月18日 | 明治40年9月21日男爵→子爵。陸軍大将 |
植松雅徳 (うえまつ まさとみ) |
子爵 | 公家 | 村上源氏130石 | 明治17年7月8日 | |
植村家壺 (うえむら いえひろ) |
子爵 | 武家 | 大和高取藩2万5000石 | 明治17年7月8日 | |
宇佐川一正 (うさがわ かずまさ) |
男爵 | 勲功 | 長州藩士 | 明治40年9月21日 | 日露戦争の功により叙爵。陸軍中将 |
宇治家彦 (うじ いえひこ) |
伯爵 | 皇族 | 久邇宮家 | 昭和17年10月5日 | 久邇宮多嘉王の二男で、昭和17年に臣籍降下 |
太秦供康 (うずまさ ともやす) |
男爵 | 公家 | 水無瀬一門桜井支流50石 | 明治17年7月8日 | 養父太秦供親は興福寺慈尊院住職。陸軍歩兵少佐、貴族院男爵議員を務めた。 |
内田康哉 (うちだ やすや) |
伯爵 | 勲功 | 肥後熊本藩藩医 | 大正9年9月7日 | 明治40年11月4日男爵→子爵→伯爵 |
内田正学 (うちだ まさあきら) |
子爵 | 武家 | 下総小見川藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
内田正敏 (うちだ まさとし) |
男爵 | 勲功 | 土佐国 | 明治40年9月21日 | 海軍中将に進み、日清・日露戦争に功 |
内山小二郎 (うちやま こじろう) |
男爵 | 勲功 | 因幡鳥取藩士 | 大正10年11月26日 | 陸軍大将に進み、第一次世界大戦の功で叙爵 |
内海忠勝 (うつみ ただかつ) |
男爵 | 勲功 | 長州藩士 | 明治33年5月9日 | 内務大臣 |
梅小路定行 (うめこうじ さだゆき) |
子爵 | 公家 | 勧修寺流勧修寺家庶流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
梅園実紀 (うめぞの さねこと) |
子爵 | 公家 | 閑院流西園寺家庶流150石 | 明治17年7月8日 | |
梅渓通善 (うめだに みちたる) |
子爵 | 公家 | 村上源氏150石 | 明治17年7月8日 | 巨人軍名誉オーナー正力亨夫人実家 |
裏辻彦六郎 (うらつじ ひころくろう) |
子爵 | 公家 | 閑院流西園寺家庶流150石 | 明治17年7月8日 | |
裏松良光 (うらまつ たるみつ) |
子爵 | 公家 | 日野家支流130石 | 明治17年7月8日 | 陸軍歩兵少佐・貴族院子爵議員 |
瓜生外吉 (うりゅう そときち) |
男爵 | 勲功 | 加賀大聖寺藩士 | 明治40年9月21日 | 海軍大将に進み、日露戦争に功 |
え
編集叙爵者 (名前の読み) |
爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
榎本武揚 (えのもと たけあき) |
子爵 | 勲功 | 旗本 | 明治20年5月24日 | 幕臣だが、赦免され海軍中将等を歴任 |
お
編集叙爵者 (名前の読み) |
爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
大井成元 (おおい しげもと) |
男爵 | 勲功 | 長州藩士 | 大正10年4月18日 | 陸軍大将に昇進後シベリア出兵の功で叙爵 |
大炊御門幾麿 (おおいのみかど いくまろ) |
侯爵 | 公家 | 花山院流大炊御門家400石 | 明治17年7月7日 | |
大浦兼武 (おおうら かねたけ) |
子爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治44年8月24日 | 明治40年9月21日男爵→子爵。内務大臣を歴任 |
大岡忠敬 (おおおか ただたか) |
子爵 | 武家 | 三河西大平藩1万石 | 明治17年7月8日 | 徳川吉宗の信任厚かった越前守忠相の子孫 |
大岡忠貫 (おおおか ただつら) |
子爵 | 武家 | 武蔵岩槻藩2万3000石 | 明治17年7月8日 | |
大木喬任 (おおき たかとう) |
伯爵 | 勲功 | 肥前佐賀藩士 | 明治17年7月7日 | 司法卿・元老院議長などを歴任 |
正親町実正 (おおぎまち さねまさ) |
伯爵 | 公家 | 閑院流西園寺家庶流355石 | 明治17年7月7日 | 養父の公董は戊辰戦争で功をなす |
正親町季董 (おおぎまち すえただ) |
男爵 | 公家 | 正親町伯爵家分家 | 明治22年5月6日 | 公董の三男。大正11年9月子季光没後に後継者を欠く |
大久保利和 (おおくぼ としなか) |
侯爵 | 勲功 | 薩摩藩士御小姓与 | 明治17年7月7日 | 父の利通は王政復古に大きな働きをした |
大久保忠礼 (おおくぼ ただのり) |
子爵 | 武家 | 相模小田原藩11万3192石 | 明治17年7月8日 | 大久保彦左衛門家の本家 |
大久保忠寛 (おおくぼ ただひろ) |
子爵 | 勲功 | 旗本 | 明治20年5月24日 | 維新後、東京府知事・元老院議官を歴任し、叙爵 |
大久保忠順 (おおくぼ ただより) |
子爵 | 武家 | 下野烏山藩3万石 | 明治17年7月8日 | |
大久保教正 (おおくぼ のりまさ) |
子爵 | 武家 | 相模荻野山中藩1万3000石 | 明治17年7月8日 | |
大久保春野 (おおくぼ はるの) |
男爵 | 勲功 | 県社淡海國玉神社祠官家 | 明治40年9月21日 | 日露戦争に功あり。叙爵後、陸軍大将。昭和11年4月養子の光野没後、襲爵手続きせず |
大隈重信 (おおくま しげのぶ) |
侯爵 | 勲功 | 肥前佐賀藩士砲術長300石 | 大正5年7月14日 | 明治20年5月9日伯爵→侯爵 |
大倉喜八郎 (おおくら きはちろう) |
男爵 | 勲功 | 越後新発田藩 | 大正4年12月1日 | 幕末に鉄砲で財をなす。大倉財閥を形成 |
大蔵平三 (おおくら へいぞう) |
男爵 | 勲功 | 岡山県 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、日露戦争に功 |
大河内輝耕 (おおこうち きこう) |
子爵 | 武家 | 上野高崎藩8万2000石 | 明治17年7月8日 | 大河内松平家 |
大河内信古 (おおこうち のぶひさ) |
子爵 | 武家 | 三河豊橋藩7万石 | 明治17年7月8日 | 大河内松平家 |
大河内正質 (おおこうち まさただ) |
子爵 | 武家 | 上総大多喜藩2万7200石 | 明治17年7月8日 | 大河内松平家 |
大迫尚敏 (おおさこ なおはる) |
子爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治40年9月21日 | 明治28年8月20日男爵→子爵。陸軍大将 |
大迫貞清 (おおさこ さだきよ) |
子爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治20年5月24日 | 警視総監・元老院議官を歴任 |
大島久直 (おおしま ひさなお) |
子爵 | 勲功 | 出羽久保田藩士槍術師範 | 明治40年9月21日 | 明治28年8月20日男爵→子爵。陸軍大将 |
大島義昌 (おおしま よしまさ) |
子爵 | 勲功 | 長州藩士 | 明治40年9月21日 | 明治28年8月20日男爵→子爵。陸軍大臣 |
大角岑生 (おおすみ みねお) |
男爵 | 勲功 | 愛知県(本籍:高知県) | 昭和10年12月26日 | 満州事変の功により叙爵。海軍大臣 |
大関増勤 (おおぜき ますとし) |
子爵 | 武家 | 下野黒羽藩1万8000石 | 明治17年7月8日 | |
太田資美 (おおた すけよし) |
子爵 | 武家 | 上総松尾藩5万3000石 | 明治17年7月8日 | |
大谷光瑩 (おおたに こうえい) |
伯爵 | 僧家 | 浄土真宗涼風殿 | 明治29年6月9日 | 徳川家康から寺域を得、以後、浄土真宗東本願寺法主 |
大谷光尊 (おおたに こうそん) |
伯爵 | 僧家 | 本願寺門跡 | 明治29年6月9日 | その子が光瑞。西本願寺法主 |
大谷喜久蔵 (おおたに きくぞう) |
男爵 | 勲功 | 若狭小浜藩藩校「順造館」教授 | 大正9年12月28日 | 陸軍大将に進み、シベリア出兵の功で叙爵。大正12年11月没後、襲爵手続きせず |
大田原一清 (おおたわら かずきよ) |
子爵 | 武家 | 下野大田原藩1万1400石 | 明治17年7月8日 | |
大寺千代田郎 (おおでら ちよたろう) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩 | 明治28年8月20日 | 父の安純の日清戦争中の功により叙爵 |
大鳥圭介 (おおとり けいすけ) |
男爵 | 勲功 | 旗本 | 明治33年5月9日 | 幕臣で五稜郭にたてこもり入獄した。昭和6年11月子の富士太郎没後、襲爵手続きせず |
大沼渉 (おおぬま わたる) |
男爵 | 勲功 | 下野国黒羽藩 | 明治32年10月14日 | 陸軍少将に進み、維新の功により叙爵。昭和19年11月曾孫靖の没後女戸主となり栄典喪失 |
大原重朝 (おおはら しげとも) |
伯爵 | 公家 | 宇多源氏庭田家庶流30石3人扶持 | 明治21年1月17日 | 明治17年7月8日子爵→伯爵 |
大宮以季 (おおみや もちすえ) |
子爵 | 公家 | 閑院流西園寺家庶流130石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
大村純雄 (おおむら すみお) |
伯爵 | 武家 | 肥前大村藩2万7900石 | 明治24年4月23日 | 明治17年7月8日子爵→伯爵 |
大村寛人 (おおむら ひろと) |
子爵 | 勲功 | 周防吉敷郡鋳銭司村字大村村医 | 明治21年1月17日 | 祖父の益次郎は日本陸軍の創始者 |
大村武純 (おおむら たけずみ) |
男爵 | 武家 | 大村伯爵家分家 | 明治42年12月20日 | |
大森鍾一 (おおもり しょういち) |
男爵 | 勲功 | 静岡県 | 大正4年12月1日 | 京都府知事を14年間勤める |
大山巌 (おおやま いわお) |
公爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治40年9月21日 | 明治17年7月7日伯爵→侯爵→公爵 |
岡市之助 (おか いちのすけ) |
男爵 | 勲功 | 山口県 | 大正5年7月6日 | 陸軍中将に進み、日清・日露戦争、第一次世界大戦の功あり。陸軍大臣 |
岡玄卿 (おか げんけい) |
男爵 | 勲功 | 岡山県 | 明治40年9月23日 | 宮中顧問官、侍医頭を勤め、日露戦争の功により叙爵 |
岡内重俊 (おかうち しげとし) |
男爵 | 勲功 | 土佐藩 | 明治33年5月9日 | 司法官、元老院議官を勤め、維新の功により叙爵 |
岡崎国良 (おかざき くによし) |
子爵 | 公家 | 勧修寺流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | |
岡崎生三 (おかざき せいぞう) |
男爵 | 勲功 | 土佐藩士 | 明治40年9月21日 | 日露戦争に功あって陸軍中将に進み叙爵 |
岡沢精 (おかざわ くわし) |
子爵 | 勲功 | 長門国 | 明治40年9月21日 | 明治28年8月20日男爵→子爵。陸軍大将等を歴任 |
小笠原忠忱 (おがさわら ただのぶ) |
伯爵 | 武家 | 豊前小倉藩15万石 | 明治17年7月7日 | 戊辰戦争における奥羽出兵に功あり |
小笠原長育 (おがさわら ながなり) |
子爵 | 武家 | 越前勝山藩2万2700石 | 明治17年7月8日 | |
小笠原長生 (おがさわら ながなり) |
子爵 | 武家 | 肥前唐津藩6万石 | 明治17年7月8日 | 海軍中将に進む |
小笠原寿長 (おがさわら ひさなが) |
子爵 | 武家 | 豊前千束藩1万石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
小笠原貞孚 (おがさわら さだちか) |
子爵 | 武家 | 播磨安志藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
岡野敬次郎 (おかの けいじろう) |
男爵 | 勲功 | 東京都 | 大正14年12月18日 | 司法大臣・文部大臣を歴任 |
岡部長職 (おかべ ながもと) |
子爵 | 武家 | 和泉岸和田藩5万3000石 | 明治17年7月8日 | |
小川又次 (おがわ またじ) |
子爵 | 勲功 | 豊前小倉藩 | 明治40年9月21日 | 明治28年8月20日男爵→子爵。陸軍大将 |
沖守固 (おき もりかた) |
男爵 | 勲功 | 因幡鳥取藩 | 明治33年5月9日 | 各府県知事・元老院議官を歴任 |
沖原光孚 (おきはら こうふ) |
男爵 | 勲功 | 岩国藩 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、日露戦争に功 |
大給恒 (おぎゅう ゆずる) |
伯爵 | 武家 | 信濃田野口・竜岡藩1万6000石 | 明治40年9月23日 | 大給松平家、明治17年7月8日子爵→伯爵 |
大給近道 (おぎゅう ちかみち) |
子爵 | 武家 | 豊後府内藩2万1200石 | 明治17年7月8日 | 大給松平家 |
奥保鞏 (おく やすかた) |
伯爵 | 勲功 | 豊前小倉藩 | 明治40年9月21日 | 明治28年8月20日男爵→伯爵。元帥・陸軍大将 |
奥田直紹 (おくだ なおつぐ) |
子爵 | 武家 | 越後椎谷藩1万石 | 明治17年7月8日 | 旧姓堀 |
奥田直暢 (おくだ なおのぶ) |
子爵 | 武家 | 越後村松藩3万石 | 明治17年7月8日 | 旧姓堀 |
奥田直明 (おくだ なおあきら) |
子爵 | 武家 | 信濃須坂藩1万石 | 明治17年7月8日 | 旧姓堀 |
奥田義人 (おくだ よしと) |
男爵 | 勲功 | 因幡国鳥取藩士 | 大正6年8月14日 | 文部大臣・東京市長・中央大学長を歴任 |
奥平昌邁 (おくだいら まさゆき) |
伯爵 | 武家 | 豊前中津藩10万石 | 明治17年7月7日 | 奥平昌服・昌邁父子は戊辰戦争で功を挙げた |
奥村栄滋 (おくむら てるしげ) |
男爵 | 武家 | 加賀藩家老1万7000石 | 明治33年5月9日 | 奥村河内守家 父の栄通の功による |
奥村則英 (おくむら のりひで) |
男爵 | 武家 | 加賀藩家老1万2000石 | 明治33年5月9日 | 奥村内膳家 父の則友の功による |
小倉英季 (おぐら ひですえ) |
子爵 | 公家 | 閑院流150石 | 明治17年7月8日 | 陸軍歩兵大佐・貴族院子爵議員 |
尾崎忠治 (おざき ただはる) |
男爵 | 勲功 | 土佐藩 | 明治33年5月9日 | 判事・大審院長を歴任 |
尾崎三良 (おざき さぶろう) |
男爵 | 勲功 | 京都府 | 明治29年6月5日 | 国事に尽くし、元老院議官等を歴任 |
小沢武雄 (おざわ たけお) |
男爵 | 勲功 | 筑前小倉藩士 | 明治20年5月24日 | 陸軍中将・陸軍士官学校長等を歴任 |
押小路公亮 (おしこうじ きんあき) |
子爵 | 公家 | 閑院流130石 | 明治17年7月8日 | |
押小路師成 (おしこうじ もろなり) |
男爵 | 公家 | 大外記54石 | 明治17年7月8日 | |
織田長純 (おだ ながずみ) |
子爵 | 武家 | 大和芝村藩1万石 | 明治17年7月8日 | 信長の弟・有楽斎の系統 |
織田信及 (おだ のぶひろ) |
子爵 | 武家 | 大和柳本藩1万石 | 明治17年7月8日 | 信長の弟・有楽斎の系統 |
織田信敏 (おだ のぶとし) |
子爵 | 武家 | 出羽天童藩2万石 | 明治17年7月8日 | 信長の二男、信雄が祖 |
織田信親 (おだ のぶちか) |
子爵 | 武家 | 丹波柏原藩2万石 | 明治17年7月8日 | |
愛宕通致 (おたぎ みちずみ) |
子爵 | 公家 | 村上源氏130石 | 明治17年7月8日 | 桂宮家祗候・殿掌 |
音羽正彦 (おとは ただひこ) |
侯爵 | 皇族 | 朝香宮家 | 昭和11年4月1日 | 朝香宮鳩彦王二男、臣籍降下。昭和19年2月戦死後に後継者を欠く |
小野尊光 (おの たかみつ) |
男爵 | 神官 | 日御碕神社神職 | 明治17年7月8日 | 貴族院男爵議員 |
小畑美稲 (おばた うましね) |
男爵 | 勲功 | 土佐藩 | 明治29年6月5日 | 司法畑を歩き、元老院議官を歴任 |
小原忠迪 (おはら ただみち) |
男爵 | 武家 | 美濃大垣藩家老750石 | 明治33年5月9日 | 父の忠寛の維新時の功により叙爵 |
か行
編集か
編集叙爵者 (名前の読み) |
爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
海江田信義 (かいえだ のぶよし) |
子爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治20年5月24日 | 元老院議官等を歴任。長女は東郷平八郎夫人 |
香川敬三 (かがわ けいぞう) |
伯爵 | 勲功 | 常陸水戸藩郷士 | 明治40年9月23日 | 明治20年5月9日子爵→伯爵 |
風早公紀 (かぜはや きんこと) |
子爵 | 公家 | 閑院流姉小路支流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | |
花山院忠遠 (かさんのいん ただとう) |
侯爵 | 公家 | 花山院家715石 | 明治17年7月7日 | |
梶野行篤 (かじの ゆきあつ) |
男爵 | 公家 | 石井庶流40名 | 明治17年7月8日 | |
鹿島萩麿 (かしま はぎまろ) |
伯爵 | 皇族 | 山階宮家 | 昭和3年7月20日 | 山階宮菊麿王四男で、臣籍降下 |
賀島政一 (かしま まさかず) |
男爵 | 武家 | 徳島藩家老・牛岐領1万石 | 明治33年5月9日 | 父の政範の維新時の功による。昭和17年12月の没後、襲爵手続きせず |
勧修寺顕允 (かじゅうじ あきよし) |
伯爵 | 公家 | 勧修寺家708石 | 明治17年7月7日 | 貴族院伯爵議員 |
片岡利和 (かたおか としかず) |
男爵 | 勲功 | 土佐国 | 明治33年5月9日 | 侍従 |
片岡七郎 (かたおか しちろう) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治40年9月21日 | 日露戦争に功あり、のち海軍大将 |
片桐貞健 (かたぎり さだたけ) |
子爵 | 武家 | 大和小泉藩1万1100石 | 明治17年7月8日 | |
片倉景光 (かたくら かげみつ) |
男爵 | 武家 | 仙台藩家老・白石城主1万8000石 | 明治31年7月20日 | 北海道開拓の功による |
交野時万 (かたの ときつむ) |
子爵 | 公家 | 桓武平氏高棟王流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | 「松坂屋」の伊藤家とつながる |
華頂博信 (かちょう ひろのぶ) |
侯爵 | 皇族 | 伏見宮家家 | 大正15年12月7日 | 伏見宮博恭王三男で、大正15年に臣籍降下 |
勝安芳 (かつ やすよし) |
伯爵 | 勲功 | 旗本小普請組 | 明治20年5月9日 | 戊辰戦争のとき、江戸城無血開城を導いた。 |
桂太郎 (かつら たろう) |
公爵 | 勲功 | 長州藩士120石余 | 明治44年4月21日 | 明治28年8月20日子爵→伯爵→侯爵→公爵 |
葛城茂麿 (かつらぎ しげまろ) |
伯爵 | 皇族 | 山階宮家 | 昭和4年12月24日 | 山階宮菊麿王の五男。臣籍降下 |
勘解由小路資生 (かでのこうじ すけより) |
子爵 | 公家 | 日野流130石 | 明治17年7月8日 | 国事御用掛・元老院御用掛・貴族院議員等を歴任 |
加藤高明 (かとう たかあき) |
伯爵 | 勲功 | 尾張名古屋藩藩士 | 大正15年1月28日 | 明治44年8月24日男爵→子爵→伯爵 |
加藤明実 (かとう あきざね) |
子爵 | 武家 | 近江水口藩2万5000石 | 明治17年7月8日 | |
加藤友三郎 (かとう ともさぶろう) |
子爵 | 勲功 | 安芸広島藩13石 | 大正12年8月24日 | 大正9年9月7日男爵→子爵。内閣総理大臣 |
加藤泰令 (かとう やすのり) |
子爵 | 武家 | 伊豫新谷藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
加藤泰秋 (かとう やすあき) |
子爵 | 武家 | 伊豫大洲藩6万石 | 明治17年7月8日 | |
加藤弘之 (かとう ひろゆき) |
男爵 | 勲功 | 但馬出石藩士 | 明治33年5月9日 | 帝国学士院長・元老院議官等を歴任 |
加藤定吉 (かとう さだきち) |
男爵 | 勲功 | 東京都 | 大正5年7月14日 | 海軍大将。第一次大戦に功あり |
楫取素彦 (かとり もとひこ) |
男爵 | 勲功 | 長門国大津郡三隅村 | 明治20年5月24日 | 維新に功あり。元老院議官 |
金子堅太郎 (かねこ けんたろう) |
伯爵 | 勲功 | 筑前福岡藩士勘定所附 | 昭和9年1月4日 | 明治33年5月9日男爵→子爵→伯爵 |
金子有卿 (かねこ ありのり) |
男爵 | 神官 | 物部神社神職 | 明治17年7月8日 | 貴族院男爵議員 |
鹿野勇之進 (かの ゆうのしん) |
男爵 | 勲功 | 信濃国松代藩士 | 明治40年9月21日 | 日清・日露戦争に功あって叙爵。海軍中将 |
加納久宜 (かのう ひさよし) |
子爵 | 武家 | 上総一宮藩1万3000石 | 明治17年7月8日 | 子の久朗は日本住宅公団総裁・千葉県知事を歴任 |
樺山資紀 (かばやま すけのり) |
伯爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治28年8月5日 | 明治17年7月7日子爵→伯爵。海軍大将・文部大臣を歴任 |
神尾光臣 (かみお みつおみ) |
男爵 | 勲功 | 信濃諏訪藩士 | 大正5年7月14日 | 陸軍大将で第一次世界大戦に功 |
上村彦之丞 (かみむら ひこのじょう) |
男爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治40年9月21日 | 日露戦争に功あり。海軍大将。昭和22年2月に孫邦之丞は爵位を返上 |
亀井茲明 (かめい これあき) |
伯爵 | 武家 | 石見津和野藩4万3000石 | 明治24年4月23日 | 父の茲監の功。明治17年7月8日子爵→伯爵 |
烏丸光亨 (からすまる みつゆき) |
伯爵 | 公家 | 日野別家954石 | 明治17年7月7日 | 父の光徳は国事に尽力し、戊辰戦争で功を挙げる |
唐橋在綱 (からはし ありつな) |
子爵 | 公家 | 菅原家182石 | 明治17年7月8日 | |
川上操六 (かわかみ そうろく) |
子爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治28年8月5日 | 陸軍大将・参謀総長。戊辰・日清・西南戦争に功。昭和9年9月孫邦良の没後女戸主となり栄典喪失 |
川口武定 (かわぐち たけさだ) |
男爵 | 勲功 | 紀州藩士 | 明治28年8月20日 | 陸軍から海軍に転じ主計総監に進み、日清戦争の功により叙爵 |
川崎祐名 (かわさき すけな) |
男爵 | 勲功 | 鹿児島県 | 明治33年5月9日 | 陸軍会計監督長 |
川崎芳太郎 (かわさき よしたろう) |
男爵 | 勲功 | 鹿児島県 | 大正9年1月13日 | 造船業など実業界で活躍。旧神戸川崎財閥。昭和21年4月子の武之助没後、襲爵手続きせず |
河瀬真孝 (かわせ まさたか) |
子爵 | 勲功 | 長門国 | 明治20年5月24日 | 侍従長、特命全権公使等を歴任 |
河田景与 (かわた かげとも) |
子爵 | 勲功 | 鳥取藩士 | 明治20年5月24日 | 維新に功あり。兵部大丞、福岡藩大参事、鳥取県権令などを歴任。 |
川田小一郎 (かわた こいちろう) |
男爵 | 勲功 | 土佐国土佐郡旭村 | 明治28年10月31日 | 岩崎彌太郎を助け、三菱汽船会社等を創業。日本銀行総裁 |
河鰭実文 (かわばた さねふみ) |
子爵 | 公家 | 閑院流150石 | 明治17年7月8日 | |
河辺隆次 (かわべ たかつぐ) |
男爵 | 公家 | 四条家分家油小路氏庶流 | 明治17年7月8日 | 明治30年3月爵位返上 |
河辺博長 (かわべ ひろなが) |
男爵 | 神官 | 伊勢神宮神職 | 明治17年7月8日 | 貴族院男爵議員 |
川村純義 (かわむら すみよし) |
伯爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治17年7月7日 | 維新前後の国事に奔走。海軍大将 |
川村景明 (かわむら かげあき) |
子爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治40年9月21日 | 明治28年12月4日男爵→子爵。元帥・陸軍大将 |
神田孝平 (かんだ たかひら) |
男爵 | 勲功 | 美濃国不破郡岩手村 | 明治31年7月4日 | 維新後、新政府の諸制度の整備に尽力。昭和5年6月に孫金樹は爵位を返上 |
甘露寺義長 (かんろじ よしなが) |
伯爵 | 公家 | 勧修寺家嫡流200石 | 明治17年7月7日 | 子の受長は昭和天皇侍従次長。のち明治神宮宮司 |
き
編集叙爵者 (名前の読み) |
爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
紀俊尚 (き としひさ) |
男爵 | 神官 | 日前神宮・國懸神宮神職 | 明治17年7月8日 | 紀伊国造 |
菊池大麓 (きくち だいろく) |
男爵 | 勲功 | 江戸箕作家・父方の菊池家を継ぐ | 明治35年2月27日 | 東京帝国大学長・文部大臣等を歴任。大正10年3月子泰二没後に後継者を欠く |
菊池武臣 (きくち たけおみ) |
男爵 | 勲功 | 肥後国 | 明治17年7月8日 | 先祖菊池氏の南朝への忠節と維新の功により叙爵。旧姓交代寄合米良氏。貴族院男爵議員。 |
菊亭脩季 (きくてい ゆきすえ) |
侯爵 | 公家 | 閑院流1655石 | 明治17年7月7日 | |
木越安綱 (きごし やすつな) |
男爵 | 勲功 | 加賀藩 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、日露戦争に功 |
北大路公久 (きたおおじ きんひさ) |
男爵 | 公家 | 三条末流21石 | 明治17年7月8日 | |
北垣国道 (きたがき くにみち) |
男爵 | 勲功 | 鳥取県 | 明治29年6月5日 | 地方行政の功 |
北河原公憲 (きたかわはら きみのり) |
男爵 | 公家 | 四辻庶流45石 | 明治17年7月8日 | |
北小路俊親 (きたこうじ としちか) |
子爵 | 公家 | 大江氏嫡流60石 | 明治17年7月8日 | |
北小路俊昌 (きたこうじ としまさ) |
男爵 | 公家 | 大江氏北小路家別家 | 明治17年7月8日 | 明治34年3月に子の俊岳は爵位を返上 |
北小路随光 (きたこうじ よりみつ) |
子爵 | 公家 | 日野家柳原支流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | |
北里柴三郎 (きたざと しばさぶろう) |
男爵 | 勲功 | 肥後国北里村総庄屋 | 大正13年2月11日 | 北里研究所を設立した医学博士。昭和6年6月没後、襲爵手続きせず |
北島脩孝 (きたじま ながのり) |
男爵 | 神官 | 出雲国造家、出雲大社神職 | 明治17年7月8日 | 出雲北島教会大教主 |
北畠通城 (きたばたけ みちしろ) |
男爵 | 公家 | 久我家庶流 | 明治17年7月8日 | 柏崎県知事・宮中祗候・霊山神社宮司を歴任 |
北畠治房 (きたばたけ はるふさ) |
男爵 | 勲功 | 大和国 | 明治29年6月5日 | 大審院判事、大阪控訴院長を歴任 |
吉川経健 (きっかわ つねたけ) |
子爵 | 武家 | 周防岩国藩6万石 | 明治24年4月23日 | 長州藩一門家老 明治17年7月8日男爵→子爵 |
吉川重吉 (きっかわ ちょうきち) |
男爵 | 武家 | 吉川子爵家分家 | 明治24年11月21日 | 貴族院男爵議員 |
木戸正二郎 (きど しょうじろう) |
侯爵 | 勲功 | 長州藩大組士170石 | 明治17年7月7日 | 父は木戸孝允、毛利元就の七男天野元政の血を引く |
木梨精一郎 (きなし せいいちろう) |
男爵 | 勲功 | 長門国 | 明治29年6月5日 | 王事に尽くし、維新後、諸官を歴任 |
木下俊哲 (きのした としあき) |
子爵 | 武家 | 豊後日出藩2万5000石 | 明治17年7月8日 | 藩祖の父が豊臣秀吉夫人ねねの兄 |
木下利恭 (きのした としもと) |
子爵 | 武家 | 備中足守藩2万5000石 | 明治17年7月8日 | |
木辺孝慈 (きべ こうじ) |
男爵 | 僧家 | 浄土真宗錦織寺住職 | 明治29年6月9日 | |
木俣畏三 (きまた いぞう) |
男爵 | 武家 | 彦根藩家老1万石 | 明治33年5月9日 | |
肝付兼行 (きもつき かねゆき) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治40年9月21日 | 日露戦争に功。海軍中将・大阪市長を歴任。 |
京極高徳 (きょうごく たかのり) |
子爵 | 武家 | 讃岐丸亀藩5万1500石 | 明治17年7月8日 | |
京極高典 (きょうごく たかまさ) |
子爵 | 武家 | 讃岐多度津藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
京極高富 (きょうごく たかとみ) |
子爵 | 武家 | 丹後峰山藩1万1144石 | 明治17年7月8日 | |
京極高厚 (きょうごく たかあつ) |
子爵 | 武家 | 但馬豊岡藩1万5000石 | 明治17年7月8日 | |
清浦奎吾 (きようら けいご) |
伯爵 | 勲功 | 肥後国鹿本郡来民村明照寺住職 | 昭和3年11月10日 | 明治35年2月27日男爵→子爵→伯爵 |
清岡長説 (きよおか ながつく) |
子爵 | 公家 | 菅原家30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | |
清岡公張 (きよおか ともはる) |
子爵 | 勲功 | 高知県 | 明治20年5月9日 | 地方官を歴任、元老院議官となり叙爵 |
清棲家教 (きよす いえのり) |
伯爵 | 皇族 | 伏見宮家 | 明治21年6月28日 | 伏見宮邦家親王第15皇子。明治21年臣籍降下 |
く
編集叙爵者 (名前の読み) |
爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
九鬼隆義 (くき たかよし) |
子爵 | 武家 | 摂津三田藩3万6000石 | 明治17年7月8日 | 「九鬼水軍」当主九鬼嘉隆の後裔 |
九鬼隆備 (くき たかとも) |
子爵 | 武家 | 丹波綾部藩1万9500石 | 明治17年7月8日 | |
九鬼隆一 (くき りゅういち) |
男爵 | 勲功 | 丹波綾部藩一門 | 明治29年6月5日 | 綾部藩家老九鬼隆周の養子 帝国博物館館長・枢密顧問官を歴任 |
櫛笥隆督 (くしげ たかまさ) |
子爵 | 公家 | 四条家庶流183石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
九条道孝 (くじょう みちたか) |
公爵 | 公家 | 九条流摂関家嫡流3043石 | 明治17年7月7日 | 戊辰戦争に奥羽鎮撫総督として従軍 |
九条良政 (くじょう よしまさ) |
男爵 | 公家 | 九条公爵家分家 | 明治35年3月10日 | 道孝の四男 |
九条良致 (くじょう よしむね) |
男爵 | 公家 | 九条公爵家分家 | 明治41年3月23日 | 道孝の五男。昭和15年8月没後、襲爵手続きせず |
楠田英世 (くすだ ひでよ) |
男爵 | 勲功 | 肥前国 | 明治33年5月9日 | 司法大丞・元老院議官を歴任。大正10年10月養孫咸次郎没後に後継者を欠く[6] |
楠本正隆 (くすもと まさたか) |
男爵 | 勲功 | 肥前大村藩 | 明治29年6月5日 | 東京府知事・元老院議官・衆議院議長を歴任 |
久世広業 (くぜ ひろなり) |
子爵 | 武家 | 下総関宿藩4万8000石 | 明治17年7月8日 | |
久世通章 (くぜ みちふみ) |
子爵 | 公家 | 村上源家200石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員・蹴鞠保存会会長 |
朽木綱貞 (くつき つなさだ) |
子爵 | 武家 | 丹波福知山藩3万2000石 | 明治17年7月8日 | |
久邇邦久 (くに くにひさ) |
侯爵 | 皇族 | 久邇宮家 | 大正12年10月25日 | 久邇宮邦彦王の二男、臣籍降下 |
国司直行 (くにし なおゆき) |
男爵 | 武家 | 長州藩永代家老 | 明治33年5月9日 | 祖父の親相は、馬関で攘夷を行い国事に奔走 |
久保田譲 (くぼた ゆずる) |
男爵 | 勲功 | 播磨国 | 明治40年9月21日 | 文部大臣をつとめ、日露戦争の功により叙爵 |
倉富勇三郎 (くらとみ ゆうざぶろう) |
男爵 | 勲功 | 筑後国竹野郡儒学者 | 大正15年10月26日 | 法制局長官・枢密顧問官を歴任 |
倉橋泰顕 (くらはし やすてる) |
子爵 | 公家 | 安倍家庶流150石 | 明治17年7月8日 | 大正8年11月孫の泰昌没後、後継者なく無嗣断絶 |
栗野慎一郎 (くりの しんいちろう) |
子爵 | 勲功 | 筑前福岡藩 | 明治45年3月18日 | 明治45年3月18日男爵→子爵 |
久留島通簡 (くるしま みちひろ) |
子爵 | 武家 | 豊後森藩1万2500石 | 明治17年7月8日 | 「村上水軍」来島村上家後裔 「簡」の字は「日」が「月」なのが正しい |
黒川通軌 (くろかわ みちのり) |
男爵 | 勲功 | 伊予小松藩士 | 明治20年5月24日 | 陸軍中将。昭和12年10月孫の秀雄没後、襲爵手続きせず |
黒木為楨 (くろき ためもと) |
伯爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治40年9月21日 | 陸軍大将。明治28年8月20日男爵→伯爵 |
黒瀬義門 (くろせ よしかど) |
男爵 | 勲功 | 岡山県 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、日清・日露戦争に功 |
黒田一義 (くろだ かずよし) |
男爵 | 武家 | 福岡藩大老・三奈木領1万6205石 | 明治33年5月9日 | 三奈木黒田家 |
黒田清隆 (くろだ きよたか) |
伯爵 | 勲功 | 薩摩藩士4石 | 明治17年7月7日 | 北海道開拓に功。のち内閣総理大臣 |
黒田清綱 (くろだ きよつな) |
子爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治20年5月24日 | 子の清輝は洋画家として有名 |
黒田長成 (くろだ ながしげ) |
侯爵 | 武家 | 筑前福岡藩52万3100石 | 明治17年7月7日 | |
黒田長和 (くろだ ながとし) |
男爵 | 武家 | 黒田侯爵家分家 | 明治29年12月3日 | |
黒田長徳 (くろだ ながのり) |
子爵 | 武家 | 筑前秋月藩5万石 | 明治17年7月8日 | |
黒田久孝 (くろだ ひさたか) |
男爵 | 勲功 | 東京都 | 明治28年8月20日 | 陸軍中将に進み、日清戦争に功。昭和3年8月養子の善治隠居後、襲爵手続きせず |
黒田和志 (くろだ よりゆき) |
子爵 | 武家 | 上総久留里藩3万石 | 明治17年7月8日 | 黒田侯爵家とは別系統。貴族院子爵議員。 |
桒原輔長 (くわばら すけなが) |
子爵 | 公家 | 菅原氏庶流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | 大正8年10月爵位返上 |
け
編集こ
編集叙爵者 (名前の読み) |
爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
小池正直 (こいけ まさなお) |
男爵 | 勲功 | 鶴岡藩士 | 明治40年9月21日 | 陸軍医務局長となり日露戦争の功により叙爵 |
小出英延 (こいで ふさのぶ) |
子爵 | 武家 | 丹波園部藩2万6700石 | 明治17年7月8日 | |
郷純造 (ごう じゅんぞう) |
男爵 | 勲功 | 美濃国黒野、幕臣 | 明治33年5月9日 | 財政畑を進み、大蔵次官となる |
河野敏鎌 (こうの とかま) |
子爵 | 勲功 | 土佐藩士 | 明治26年10月30日 | 文部卿・農商務卿・農商務大臣等を歴任 |
鴻池善右衛門 (こうのいけ ぜんえもん) |
男爵 | 勲功 | 大阪府 | 明治44年8月25日 | 経済の発展に功あり叙爵 |
神山郡廉 (こうやま くにきよ) |
男爵 | 勲功 | 土佐藩士 | 明治20年5月24日 | 維新に尽力し、のち元老院議官 |
久我通久 (こが みちつね) |
侯爵 | 公家 | 村上源家700石 | 明治17年7月7日 | 戊辰戦争で功。女優久我美子の生家 |
久我通保 (こが みちやす) |
男爵 | 公家 | 久我侯爵家分家 | 明治31年2月2日 | 通久の三男 |
五条為栄 (ごじょう ためしげ) |
子爵 | 公家 | 菅原氏高辻庶流171石 | 明治17年7月8日 | 参与・元老院議官・貴族院子爵議員 |
五条頼定 (ごじょう よりさだ) |
男爵 | 勲功 | 筑前国、広澄流清原氏庶流 | 明治30年7月1日 | 先祖の南北朝時代の功により叙爵 |
児玉源太郎 (こだま げんたろう) |
伯爵 | 勲功 | 周防徳山藩士100石 | 明治40年10月2日 | 明治28年8月20日男爵→明治39年4月11日子爵。子児玉秀雄の家督相続時に父・源太郎の生前の功により、子爵から伯爵に陞爵。 |
児玉清雄 (こだま きよお) |
男爵 | 勲功 | 紀伊国 | 明治40年10月2日 | 父・児玉徳太郎の日露戦争における功により叙爵 |
籠手田安定 (こてだ やすさだ) |
男爵 | 勲功 | 肥前平戸藩士 | 明治32年3月31日 | 滋賀県令・元老院議官等を歴任 |
後藤新平 (ごとう しんぺい) |
伯爵 | 勲功 | 仙台藩一門水沢伊達氏家臣 | 昭和3年11月10日 | 明治39年4月11日男爵→子爵→伯爵 |
後藤象二郎 (ごとう しょうじろう) |
伯爵 | 勲功 | 土佐藩士馬廻格150石 | 明治20年5月9日 | 山内容堂を補佐して大政奉還を推進。長女は岩崎彌太郎夫人。昭和12年7月孫の保弥太没後、襲爵手続きせず |
五島盛主 (ごとう もりぬし) |
子爵 | 武家 | 肥前福江藩1万2500石 | 明治17年7月8日 | |
近衛篤麿 (このえ あつまろ) |
公爵 | 公家 | 近衛流摂関家嫡流2860石 | 明治17年7月7日 | 五摂家筆頭。学習院院長等を歴任。昭和20年12月子の文麿没後、襲爵手続きせず |
近衛秀麿 (このえ ひでまろ) |
子爵 | 公家 | 近衛公爵家分家 | 大正8年1月9日 | 篤麿の二男。指揮者として有名。昭和21年5月爵位返上 |
小早川四郎 (こばやかわ しろう) |
男爵 | 武家 | 山口藩毛利家一門 | 明治17年7月8日 | 毛利家一門小早川家の名跡相続、毛利公爵家当主毛利元徳の子。貴族院男爵議員 |
小松輝久 (こまつ てるひさ) |
侯爵 | 皇族 | 北白川宮家 | 明治43年7月20日 | 北白川宮能久親王の四男で、同年に臣籍降下 |
小松帯刀 (こまつ たてわき) |
伯爵 | 勲功 | 薩摩藩家老・吉利領2600石 | 明治29年6月9日 | 祖父清廉(帯刀)の勲功により叙爵、禰寝氏当主 |
小松行正 (こまつ ゆきまさ) |
男爵 | 公家 | 石井家庶流 | 明治18年5月2日 | 貴族院男爵議員 |
小村寿太郎 (こむら じゅたろう) |
侯爵 | 勲功 | 日向飫肥藩士 | 明治44年4月21日 | 明治35年2月27日男爵→伯爵→侯爵 |
米田虎雄 (こめだ とらお) |
子爵 | 勲功 | 熊本藩家老3万石 | 大正3年5月13日 | 父・長岡監物の勲功により叙爵。明治25年10月15日男爵→子爵 |
近藤基樹 (こんどう もとき) |
男爵 | 勲功 | 東京都 | 昭和4年12月26日 | 海軍造船中将に進み、造船技術の発展に寄与 |
近藤廉平 (こんどう れんぺい) |
男爵 | 勲功 | 阿波国 | 明治44年8月25日 | 岩崎彌太郎と共に日本郵船を創設。のち社長 |
さ行
編集さ
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
西園寺公望 (さいおんじ きんもち) |
公爵 | 公家 | 閑院流597石 | 大正9年9月7日 | 明治17年7月7日侯爵→公爵。戊辰戦争に功。昭和21年7月養子の八郎没後、襲爵手続きせず |
西郷従道 (さいごう じゅうどう) |
侯爵 | 勲功 | 薩摩藩士御勘定方小頭47石余 | 明治28年8月5日 | 明治17年7月7日伯爵→侯爵。西郷隆盛の弟 |
西郷寅太郎 (さいごう とらたろう) |
侯爵 | 勲功 | 薩摩藩士御勘定方小頭47石余 | 明治35年6月3日 | 父は西郷隆盛。憲法発布の大赦で叙爵 |
税所篤 (さいしょ あつし) |
子爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治20年5月24日 | 国事に尽くし、のち元老院議官 |
斎藤実 (さいとう まこと) |
子爵 | 勲功 | 仙台藩一門水沢伊達氏家臣 | 大正14年4月9日 | 明治40年9月21日男爵→子爵。内閣総理大臣 |
嵯峨公勝 (さが きんとう) |
侯爵 | 公家 | 閑院流三条家分家正親町三条家350石余 | 明治21年1月17日 | 明治17年7月7日伯爵→侯爵 |
阪井重季 (さかい しげすえ) |
男爵 | 勲功 | 土佐藩士 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将。長女は寺田寅彦夫人 |
酒井忠亮 (さかい ただあき) |
子爵 | 武家 | 越前敦賀・鞠山藩1万石 | 明治17年7月8日 | 小浜藩酒井伯爵家の分家 |
酒井忠彰 (さかい ただあきら) |
子爵 | 武家 | 上野伊勢崎藩2万石 | 明治17年7月8日 | 姫路藩酒井伯爵家の分家 |
酒井忠興 (さかい ただおき) |
伯爵 | 武家 | 播磨姫路藩15万石 | 明治20年6月23日 | 雅楽頭流宗家 |
酒井忠績 (さかい ただしげ) |
男爵 | 武家 | 姫路藩分家旗本5000石 | 明治22年5月11日 | 大正9年6月15日子の忠弘は失爵した[7]。 |
酒井忠篤 (さかい ただずみ) |
伯爵 | 武家 | 出羽庄内・大泉藩17万石 | 明治17年7月7日 | 徳川四天王・酒井忠次の後裔 佐衛門尉流宗家 |
酒井忠勇 (さかい ただとし) |
子爵 | 武家 | 安房勝山藩1万2000石 | 明治22年5月11日 | 小浜藩酒井伯爵家の分家。明治32年7月爵位返上 |
酒井忠匡 (さかい ただまさ) |
子爵 | 武家 | 出羽松山・松嶺藩2万500石 | 明治17年7月8日 | 庄内藩酒井家伯爵家の分家 |
酒井忠道 (さかい ただみち) |
伯爵 | 武家 | 若狭小浜藩10万3500石 | 明治17年7月7日 | 姫路藩酒井伯爵家の分家 |
酒井忠惇 (さかい ただとし) |
男爵 | 武家 | 姫路藩分家旗本御小姓組番頭5000石 | 明治22年3月2日 | |
榊原政敬 (さかきばら まさたか) |
子爵 | 武家 | 越後高田藩15万石 | 明治17年7月8日 | 徳川四天王・榊原康政の後裔 |
阪谷芳郎 (さかたに よしお) |
子爵 | 勲功 | 広島県 | 明治40年9月21日 | 昭和16年11月男爵→子爵。のち東京市長 |
坂本俊篤 (さかもと としあつ) |
男爵 | 勲功 | 信濃諏訪・高島藩士 | 明治40年9月21日 | 海軍中将、日露戦争に功 |
相良頼紹 (さがら よりつぐ) |
子爵 | 武家 | 肥後人吉藩2万2100石 | 明治17年7月8日 | 昭和21年5月養子の頼綱は爵位返上 |
相楽綱直 (さがら つななお) |
男爵 | 公家 | 九条流摂関家二条家庶流富小路家分家35石 | 明治17年7月8日 | 昭和18年10月養子公愛戦死後に後継者を欠く |
鷺原量長 (さぎはら かずなが) |
男爵 | 公家 | 勧修寺流嫡流甘露寺別家40石 | 明治17年7月8日 | 明治21年5月爵位返上 |
佐久間左馬太 (さくま さまた) |
伯爵 | 勲功 | 長州藩士 | 明治40年9月21日 | 明治20年5月24日男爵→子爵→伯爵 |
桜井忠興 (さくらい ただおき) |
子爵 | 武家 | 摂津尼崎藩4万石 | 明治17年7月8日 | 桜井松平家 |
桜井供義 (さくらい ともよし) |
子爵 | 公家 | 水無瀬流庶流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | |
桜井錠二 (さくらい じょうじ) |
男爵 | 勲功 | 石川県 | 昭和14年1月28日 | 理化学研究所・日本学術振興会の設立の尽力 |
佐々木高行 (ささき たかゆき) |
侯爵 | 勲功 | 土佐藩士 | 明治42年4月29日 | 明治17年7月7日伯爵→侯爵 |
佐双定雄 (さそう さだお) |
男爵 | 勲功 | 加賀国 | 明治40年10月2日 | 父の左仲は海軍造船総監に進み、日露戦争に功あり |
佐竹義堯 (さたけ よしたか) |
侯爵 | 武家 | 出羽久保田・秋田藩20万5800石 | 明治17年7月7日 | |
佐竹義理 (さたけ よしただ) |
子爵 | 武家 | 出羽岩崎藩2万石 | 明治17年7月8日 | |
佐竹義尚 (さたけ よしなお) |
男爵 | 武家 | 久保田藩家老・角館領1万石 | 明治33年5月9日 | 佐竹北家 昭和21年5月孫の敬次郎は爵位返上 |
佐竹義雄 (さたけ よしお) |
男爵 | 武家 | 久保田藩家老・湯沢領主 | 明治33年5月9日 | 佐竹南家 |
佐竹義脩 (さたけ よしなお) |
男爵 | 武家 | 佐竹子爵家分家 | 明治22年10月16日 | 昭和4年12月子の義立は爵位返上 |
佐竹義準 (さたけ よしのり) |
男爵 | 武家 | 久保田藩家老 | 明治39年9月17日 | 佐竹東家 |
佐竹義遵 (さたけ よしゆき) |
男爵 | 武家 | 久保田藩家老・大館領7200石 | 明治33年5月9日 | 佐竹西家 |
佐藤進 (さとう すすむ) |
男爵 | 勲功 | 千葉県 | 明治40年9月21日 | 陸軍軍医監に進み、日露戦争の功で叙爵。順天堂医院院長 |
佐藤昌介 (さとう しょうすけ) |
男爵 | 勲功 | 陸奥国 | 昭和3年11月10日 | 教育に尽力した功。昭和21年5月子の昌彦は爵位返上 |
真田幸民 (さなだ ゆきとも) |
伯爵 | 武家 | 信濃松代藩10万石 | 明治24年4月23日 | 明治17年7月8日子爵→伯爵 |
真田幸世 (さなだ ゆきよ) |
男爵 | 武家 | 真田伯爵家分家 | 明治29年6月30日 | |
実吉安純 (さねよし やすずみ) |
子爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治40年9月21日 | 明治33年5月9日男爵→子爵。海軍軍医総監 |
佐野常民 (さの つねたみ) |
伯爵 | 勲功 | 肥前佐賀藩士 | 明治28年10月31日 | 明治20年5月24日子爵→伯爵。日本赤十字社初代社長 |
佐野延勝 (さの のぶかつ) |
男爵 | 勲功 | 東京都 | 明治29年12月3日 | 日清戦争に功あり叙爵。陸軍中将。昭和19年4月子の智勝没後、襲爵手続きせず |
鮫島員規 (さめしま かずのり) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治40年9月21日 | 海軍大将に進み、日露戦争に功あり |
鮫島重雄 (さめしま しげお) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治40年9月21日 | 陸軍大将に進み、日露戦争に功あり叙爵。昭和3年4月没後、女戸主となり栄典喪失 |
澤為量 (さわ ためかず) |
伯爵 | 公家 | 広澄流清原氏庶流伏原家分家30石3人扶持 | 明治24年4月23日 | 明治17年7月8日子爵→伯爵。為量・宣嘉の功により宣嘉長男宣量が陞爵。 |
澤宣元 (さわ のりもと) |
男爵 | 公家 | 沢伯爵家別家 | 明治28年5月27日 | 為量の孫。父宣嘉の功。 |
沢村重 (さわむら しげし) |
男爵 | 武家 | 肥後熊本藩家老1万1000石 | 明治39年9月17日 | |
三条実美 (さんじょう さねとみ) |
公爵 | 公家 | 閑院流嫡流472石 | 明治17年7月7日 | 実美の功により公爵。内閣制度発足に伴い内大臣となった |
三条公輝 (さんじょう きんてる) |
男爵 | 公家 | 三条公爵家分家 | 明治25年2月19日 | 実美の三男。大正13年5月、三条公爵家相続により廃家 |
三条西公允 (さんじょうにし きんあえ) |
伯爵 | 公家 | 閑院流正親町三条家分家502石 | 明治17年7月7日 | 父の季知は幕末王事に尽力 |
三宮義胤 (さんのみや よしたね) |
男爵 | 勲功 | 近江国 | 明治29年6月5日 | 宮内省に出仕して功あり。大正8年12月子錫馬の没後女戸主となり栄典喪失 |
し
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
鹿園実博 (しかぞの さねひろ) |
男爵 | 公家 | 閑院流嫡流三条支流50石 | 明治17年7月8日 | 奈良華族・貴族院男爵議員 |
滋野清彦 (しげの きよひこ) |
男爵 | 勲功 | 長州藩士 | 明治20年5月24日 | 西南戦争に功あり。のち陸軍中将。大正13年10月子の清武没後、襲爵手続きせず |
滋野井公寿 (しげのい きんひさ) |
伯爵 | 公家 | 閑院流嫡流三条支流180石 | 明治17年7月7日 | 甲府県知事等をつとめる。子実麗は大正2年1月27日に失爵。 |
慈光寺有仲 (じこうじ ありなか) |
子爵 | 公家 | 宇多源家五辻庶流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | |
宍戸乙彦 (ししど おとひこ) |
男爵 | 武家 | 長州藩家老・周防三丘領1万5000石 | 明治33年5月9日 | 一門家老 |
宍戸璣 (ししど たまき) |
子爵 | 勲功 | 長門国 | 明治20年5月24日 | 元老院議官などを歴任 |
四条隆謌 (しじょう たかうた) |
侯爵 | 公家 | 善勝寺流嫡流180石 | 明治24年4月23日 | 明治17年7月7日伯爵→侯爵。七卿の一人。のち陸軍中将 |
四条隆平 (しじょう たかとし) |
男爵 | 公家 | 四条侯爵家別家 | 明治31年7月20日 | 隆謌の弟、養子(廃嫡後分家) |
七条信義 (しちじょう のぶのり) |
子爵 | 公家 | 水無瀬家200石 | 明治20年4月15日 | 華族令制定時、女戸主の為、信義の代に叙爵 |
幣原喜重郎 (しではら きじゅうろう) |
男爵 | 勲功 | 大阪府門真一番村豪農 | 大正9年9月7日 | 外務大臣・総理大臣を歴任 |
品川弥二郎 (しながわ やじろう) |
子爵 | 勲功 | 長州藩士足軽 | 明治17年7月17日 | 幕末王事に尽力、のち内務大臣 |
斯波蕃 (しば しげる) |
男爵 | 武家 | 加賀藩家老1万石 | 明治33年5月9日 | 維新時に功あり叙爵 足利将軍家一門斯波家の末裔 |
芝小路豊俊 (しばこうじ とよとし) |
男爵 | 公家 | 勧修寺流芝山家分家50石 | 明治17年7月8日 | |
芝亭愛古 (しばてい よしふる) |
男爵 | 公家 | 閑院流西園寺家一門正親町家分家40石 | 明治18年5月2日 | |
芝山祐豊 (しばやま すけとよ) |
子爵 | 公家 | 勧修寺流勧修寺家分家100石 | 明治17年7月8日 | |
柴山矢八 (しばやま やはち) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治40年9月21日 | 東郷平八郎の従兄弟、海軍大将に進み、日露戦争に功あり |
渋沢栄一 (しぶさわ えいいち) |
子爵 | 勲功 | 武蔵国血洗島村 | 大正9年9月4日 | 実業界で活躍。明治33年5月9日男爵→子爵 |
渋谷隆教 (しぶたに りゅうきょう) |
男爵 | 僧家 | 浄土真宗仏光寺派管長 | 明治29年6月9日 | |
島津珍彦 (しまづ うずひこ) |
男爵 | 武家 | 薩摩藩一門・重富領1万4060石 | 明治22年3月2日 | 重富家、父は久光 |
島津健之助 (しまづ けんのすけ) |
男爵 | 武家 | 島津伯爵家分家 | 明治42年12月20日 | 祖父の忠寛の勲功による |
島津貴暢 (しまづ たかみつ) |
男爵 | 武家 | 薩摩藩一門・垂水領1万8000石 | 明治30年10月27日 | |
島津忠亮 (しまづ ただあきら) |
伯爵 | 武家 | 日向佐土原藩2万7000石 | 明治24年4月23日 | 父の忠寛は幕末王事に功。明治17年7月8日子爵→伯爵 |
島津忠欽 (しまづ ただかた) |
男爵 | 武家 | 薩摩藩一門今和泉家 | 明治29年12月3日 | 久光の四男 |
島津忠弘 (しまづ ただひろ) |
男爵 | 武家 | 薩摩藩島津家分家 | 明治28年9月26日 | 忠義の六男 |
島津忠備 (しまづ ただみつ) |
男爵 | 武家 | 薩摩藩島津家分家 | 明治26年3月7日 | 忠義の五男 |
島津忠義 (しまづ ただよし) |
公爵 | 武家 | 薩摩鹿児島藩77万800石 | 明治17年7月7日 | 父・久光と共に王政復古に主動的役割を果たす |
島津長丸 (しまづ ながまる) |
男爵 | 武家 | 薩摩藩家老・宮之城領1万7000石 | 明治30年10月27日 | 宮之城家 父・久治の戊辰時の功による |
島津隼彦 (しまづ はやひこ) |
男爵 | 武家 | 薩摩藩一門・出水領1万5000石 | 明治33年5月9日 | 今和泉家 |
島津久明 (しまづ ひさあき) |
男爵 | 武家 | 薩摩藩一門・日置1万7700石 | 明治33年5月9日 | 父・久徴の戊辰時の功による 島津歳久の後裔 |
島津久家 (しまづ ひさいえ) |
男爵 | 武家 | 薩摩藩一門・日向都城領3万9716石 | 明治24年12月28日 | 養父・久寛の勲功による |
島津久光 (しまづ ひさみつ) |
公爵 | 武家 | 薩摩藩一門 | 明治17年7月7日 | 玉里島津家、島津家の別家で久光は斉彬の異母弟、忠義の実父 |
島津久賢 (しまづ ひさよし) |
男爵 | 武家 | 薩摩藩一門・加治木領1万石 | 明治30年10月27日 | 養父・久宝は戊辰に功あり。貴族院男爵議員。 |
島村速雄 (しまむら はやお) |
男爵 | 勲功 | 土佐国 | 大正5年7月14日 | 第一次世界大戦の功により叙爵 |
清水資治 (しみず すけはる) |
男爵 | 武家 | 長州藩家老2600石 | 明治33年5月9日 | 戦国武将・清水宗治の末裔。義父親春の功による。貴族院男爵議員 |
清水谷実英 (しみずだに さねあきら) |
伯爵 | 公家 | 閑院流西園寺家庶流200石 | 明治17年7月7日 | 父の公考は箱館知事・旧幕軍の追討に功 |
持明院基哲 (じみょういん もとあき) |
子爵 | 公家 | 松木庶流200石 | 明治17年7月8日 | 殿掌・貴族院子爵議員 |
尚泰 (しょう たい) |
侯爵 | 武家 | 琉球王 | 明治18年5月2日 | 琉球王国王家の家系 |
尚寅 (しょう いん) |
男爵 | 武家 | 尚侯爵家分家 | 明治29年6月30日 | 泰の二男 |
尚順 (しょう じゅん) |
男爵 | 武家 | 尚侯爵家分家 | 明治29年6月30日 | 泰の四男 |
勝田四方蔵 (しょうだ よもぞう) |
男爵 | 勲功 | 長門国 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将・日露戦争に功 |
白川資訓 (しらかわ すけのり) |
子爵 | 公家 | 白川伯王家200石 | 明治17年7月8日 | 神祇伯、神祇大副、大掌典等を歴任し宮中祭祀に携わる。 |
白川義則 (しらかわ よしのり) |
男爵 | 勲功 | 伊豫松山藩士 | 昭和7年5月23日 | 陸軍大将。第一次上海事変に功あり叙爵 |
白根専一 (しらね せんいち) |
男爵 | 勲功 | 長門国 | 明治30年2月7日 | 逓信大臣等を歴任。その功で叙爵 |
新庄直陳 (しんじょう なおのぶ) |
子爵 | 武家 | 常陸麻生藩1万石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
す
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
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末松謙澄 (すえまつ けんちょう) |
子爵 | 勲功 | 豊前国前田村大庄屋 | 明治40年9月23日 | 明治28年10月男爵→子爵。内務大臣等を歴任 |
杉孫七郎 (すぎ まごしちろう) |
子爵 | 勲功 | 長門国 | 明治20年5月9日 | 維新時に功をなし、秋田県令等を歴任 |
杉渓言長 (すぎたに ときなが) |
男爵 | 公家 | 四条流山科支流50石 | 明治17年7月8日 | 貴族院男爵議員 |
鈴木大亮 (すずき だいすけ) |
男爵 | 勲功 | 陸奥国 | 明治28年10月31日 | 日清戦争の功により叙爵 |
鈴木貫太郎 (すずき かんたろう) |
男爵 | 勲功 | 下総関宿藩士 | 昭和11年11月20日 | 海軍大将・侍従長等を歴任 |
周布公平 (すふ こうへい) |
男爵 | 勲功 | 長州藩士68石 | 明治41年5月8日 | 父の政之助と公平の功により叙爵 |
住友友純 (すみとも ともいと) |
男爵 | 勲功 | 大阪府 | 明治44年8月25日 | 住友財閥当主。産業の発展に尽くした功。昭和21年5月に子友成は爵位を返上 |
諏訪忠誠 (すわ ただまさ) |
子爵 | 武家 | 信濃諏訪藩3万石 | 明治17年7月8日 |
せ
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
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清閑寺盛房 (せいかんじ もりふさ) |
伯爵 | 公家 | 勧修寺流嫡流甘露寺家分家180石 | 明治17年7月7日 | |
関博直 (せき ひろなお) |
子爵 | 武家 | 備中新見藩1万800石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
関義臣 (せき よしおみ) |
男爵 | 勲功 | 越前福井藩士 | 明治40年9月23日 | 日露戦争の功により叙爵 |
千家尊福 (せんげ たかとみ) |
男爵 | 神官 | 出雲大社宮司、出雲国造家 | 明治17年7月8日 | 叙爵ののち、元老院議官等を歴任 |
仙石政固 (せんごく まさかた) |
子爵 | 武家 | 但馬出石藩3万石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
千秋季隆 (せんしゅう すえたか) |
男爵 | 神官 | 千秋家、熱田神宮大宮司 | 明治17年7月8日 | 貴族院男爵議員・学習院教授 |
千田貞暁 (せんだ さだあき) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治31年2月26日 | 維新時に功あり、のち各府県知事を歴任 |
そ
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自 | 叙爵日 | 備考 |
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宗重正 (そう しげまさ) |
伯爵 | 武家 | 対馬厳原藩5万2170石 | 明治17年7月8日 | |
相馬誠胤 (そうま ともたね) |
子爵 | 武家 | 陸奥中村藩6万石 | 明治17年7月8日 | 三笠宮家をはじめ財政界に閨閥 |
副島種臣 (そえじま たねおみ) |
伯爵 | 勲功 | 肥前佐賀藩士藩校教授 | 明治17年7月17日 | 維新後参議 |
曾我祐準 (そが すけのり) |
子爵 | 勲功 | 福岡県 | 明治17年7月7日 | 陸軍中将・東宮大夫・枢密顧問官を歴任 |
曾禰荒助 (そね あらすけ) |
子爵 | 勲功 | 長州藩一門家老宍戸家一門 | 明治40年9月21日 | 日英同盟に功。明治35年2月27日男爵→子爵 |
園基祥 (その もとさち) |
伯爵 | 公家 | 中御門庶流持明院家支流186石 | 明治17年7月7日 | |
園池公静 (そのいけ きんしず) |
子爵 | 公家 | 閑院流正親町三条庶流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | 第一次奈良県知事・侍従を歴任 |
園田孝吉 (そのだ こうきち) |
男爵 | 勲功 | 鹿児島県 | 大正7年11月26日 | 第十五銀行頭取など、実業界で貢献 |
園田安賢 (そのだ やすかた) |
男爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治29年6月5日 | 維新に功あり、のち警視総監に進む |
た行
編集た
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
醍醐忠順 (だいご ただおさ) |
侯爵 | 公家 | 九条流摂関家一条家支流312石 | 明治17年7月7日 | |
高丘紀季 (たかおか おさすえ) |
子爵 | 公家 | 藤原南家藪庶流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | |
高木正善 (たかぎ まさよし) |
子爵 | 武家 | 河内丹南藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
高木兼寛 (たかぎ かねひろ) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治38年3月3日 | 海軍医として功あり。海軍軍医総監等を歴任 |
高倉永則 (たかくら ながつね) |
子爵 | 公家 | 藤原北家長良流嫡流150石 | 明治17年7月8日 | 陸軍歩兵大佐・貴族院子爵議員 |
高崎正風 (たかさき まさかぜ) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治20年5月24日 | 維新の功。歌人、國學院院長、枢密顧問官。 |
高崎五六 (たかさき ごろく) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治20年5月24日 | 元老院議官、東京府知事。 |
高島鞆之助 (たかしま とものすけ) |
子爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治17年7月8日 | 陸軍中将に進む。陸軍大臣・拓殖務大臣・枢密顧問官等を歴任。 |
高千穂宣麿 (たかちほ のぶまろ) |
男爵 | 神官 | 英彦山神社座主 | 明治17年7月8日 | 実父は徳大寺実則。 |
鷹司信熙 (たかつかさ のぶひろ) |
男爵 | 公家 | 鷹司公爵家分家 | 明治38年12月23日 | 陸軍砲兵大佐 |
鷹司熙通 (たかつかさ ひろみち) |
公爵 | 公家 | 近衛流摂関家1500石 | 明治17年7月7日 | 陸軍少将・侍従長・貴族院議員 |
高辻修長 (たかつじ おさなが) |
子爵 | 公家 | 菅原氏嫡流200石 | 明治17年7月8日 | |
高野保建 (たかの やすたけ) |
子爵 | 公家 | 中御門庶流持明院家支流150石 | 明治17年7月8日 | 養孫宗順が大正元年12月16日失爵[8] |
高橋是清 (たかはし これきよ) |
子爵 | 勲功 | 仙台藩士足軽 | 大正9年9月7日 | 大蔵大臣・総理大臣等を歴任 明治40年9月23日男爵→子爵 |
高橋新吉 (たかはし しんきち) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 大正7年11月26日 | 農商務省商務局長・貴族院議員・日本勧業銀行総裁 |
高平小五郎 (たかひら こごろう) |
男爵 | 勲功 | 陸奥国 | 明治40年11月4日 | 日露戦争の講和全権委員 |
高松実村 (たかまつ さねむら) |
子爵 | 公家 | 閑院流三条西庶流武者小路家分家30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | |
滝脇信敏 (たきわき のぶとし) |
子爵 | 武家 | 上総桜井藩1万石 | 明治17年7月8日 | 滝脇松平家 |
多久乾一郎 (たく けんいちろう) |
男爵 | 武家 | 佐賀藩家老1万石 | 明治30年10月27日 | 東宮侍従・式部官 |
武井守正 (たけい もりまさ) |
男爵 | 勲功 | 兵庫県 | 明治40年9月23日 | 鳥取県知事・石川県知事。のち枢密顧問官 |
竹内治則 (たけうち はるのり) |
子爵 | 公家 | 清和源氏187石 | 明治17年7月8日 | |
竹園康長 (たけぞの みちなが) |
男爵 | 公家 | 勧修寺流嫡流甘露寺支流50石 | 明治17年7月8日 | 明治32年8月爵位返上 |
竹腰正己 (たけのこし まさわれ) |
男爵 | 武家 | 美濃今尾藩3万石 | 明治17年7月8日 | 尾張徳川家附家老。貴族院男爵議員 |
建部秀隆 (たけべ ひでたか) |
子爵 | 武家 | 播磨林田藩1万2000石 | 明治17年7月8日 | |
竹屋光昭 (たけや みつあき) |
子爵 | 公家 | 日野流広橋家分家180石 | 明治17年7月8日 | |
田尻稲次郎 (たじり いなじろう) |
子爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治40年9月23日 | 大蔵次官・会計検査院長を歴任 明治28年10月31日男爵→子爵 |
立花寛治 (たちばな ともはる) |
伯爵 | 武家 | 筑後柳河藩11万9600石 | 明治17年7月7日 | 農事試験場を設置して地域の農業振興に貢献。貴族院伯爵議員。 |
立花種恭 (たちばな たねゆき) |
子爵 | 武家 | 筑後三池藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
立花小一郎 (たちばな こいちろう) |
男爵 | 勲功 | 福岡県 | 大正12年10月16日 | 陸軍大将。のち関東軍指揮官 |
龍田徳彦 (たつた のりひこ) |
伯爵 | 皇族 | 久邇宮家 | 昭和18年6月7日 | 久邇宮多嘉王の三男、臣籍降下 |
立見尚文 (たつみ なおふみ) |
子爵 | 勲功 | 伊勢桑名藩士小姓 | 明治40年10月2日 | 陸軍大将 明治28年8月20日男爵。父の功績により子息豊丸が子爵に陞爵 |
伊達邦成 (だて くにしげ) |
男爵 | 武家 | 仙台藩一門・亘理城主2万3000石 | 明治25年10月15日 | 亘理伊達氏 北海道開拓の功による |
伊達正人 (だて まさと) |
男爵 | 武家 | 仙台藩一門・岩出山城主1万4600石 | 明治25年10月15日 | 岩出山伊達氏 祖父・邦直の北海道開拓の功による |
伊達宗敦 (だて むねあつ) |
男爵 | 武家 | 仙台伊達家分家 | 明治22年5月11日 | 宇和島藩主伊達宗城の二男、宗家廃嫡 |
伊達宗徳 (だて むねえ) |
侯爵 | 武家 | 伊予宇和島藩10万石 | 明治24年4月23日 | 伊達伯爵家分家 明治17年7月7日伯爵→侯爵 |
伊達宗定 (だて むねさだ) |
子爵 | 武家 | 伊予吉田藩3万石 | 明治17年7月8日 | |
伊達宗倫 (だて むねとも) |
男爵 | 武家 | 宇和島伊達家分家 | 明治25年5月30日 | 宇和島藩主伊達宗城の七男 |
伊達宗基 (だて むねもと) |
伯爵 | 武家 | 陸奥仙台藩62万6000石 | 明治17年7月7日 | |
田中義一 (たなか ぎいち) |
男爵 | 勲功 | 長州藩士 | 大正9年9月7日 | 陸軍大臣・内閣総理大臣等を歴任 |
田中不二麿 (たなか ふじまろ) |
子爵 | 勲功 | 尾張藩士 | 明治20年5月9日 | 司法大臣・フランス公使等を歴任 |
田中光顕 (たなか みつあき) |
伯爵 | 勲功 | 土佐藩家老深尾家臣 | 明治40年9月23日 | 明治20年5月9日子爵→伯爵。昭和21年5月孫光素は爵位返上 |
田中芳男 (たなか よしお) |
男爵 | 勲功 | 信濃国 | 大正4年12月1日 | 農務局長・元老院議官等を歴任 |
谷干城 (たに たてき) |
子爵 | 勲功 | 土佐藩士 | 明治17年7月7日 | 陸軍士官学校長・学習院長等を歴任 |
谷寿衛 (たに としえ) |
子爵 | 武家 | 丹波山家藩1万2000石 | 明治17年7月8日 | |
田沼望 (たぬま のぞみ) |
子爵 | 武家 | 上総小久保藩1万石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員。子の正は大正9年6月15日失爵[7]。 |
種子島守時 (たねがしま もりとき) |
男爵 | 武家 | 薩摩藩家老・大隅種子島領1万1000石 | 明治33年5月9日 | 戦国大名・種子島時尭の後裔 |
玉松真幸 (たままつ まさき) |
男爵 | 公家 | 閑院流山本家支流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | 養父真弘は岩倉具視の側近として王政復古に功 |
田宮鈴太郎 (たみや すずたろう) |
男爵 | 勲功 | 尾張国 | 明治30年10月27日 | 祖父篤輝は徳川慶勝の側近として王政復古に功 |
田村邦栄 (たむら くによし) |
子爵 | 武家 | 陸奥一関藩3万石 | 明治17年7月8日 | 伊達伯爵家一門 征夷大将軍・坂上田村麻呂の後裔 |
團琢磨 (だん たくま) |
男爵 | 勲功 | 筑前福岡藩士 | 昭和3年11月10日 | 三井合名会社理事長。孫の伊玖磨は作曲家として有名 |
ち
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
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千種有任 (ちくさ ありとう) |
子爵 | 公家 | 村上源氏岩倉家庶流150石 | 明治17年7月8日 | |
長克連 (ちょう かつつら) |
男爵 | 武家 | 加賀藩家老3万3000石 | 明治33年5月9日 | 織田信長家臣長連龍の後裔 |
調所広丈 (ちょうしょ ひろたけ) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治33年5月9日 | 高知県知事等を歴任。実父は調所広郷。姓の読みを"ずしょ"から改める。 |
珍田捨巳 (ちんだ すてみ) |
伯爵 | 勲功 | 陸奥国 | 大正9年9月7日 | 明治40年9月21日男爵→子爵→伯爵 |
つ
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自 | 叙爵日 | 備考 |
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塚本勝嘉 (つかもと かつよし) |
男爵 | 勲功 | 大垣藩士 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、西南・日清・日露戦争の功により叙爵 |
津軽承昭 (つがる つぐあきら) |
伯爵 | 武家 | 陸奥弘前藩10万石 | 明治17年7月7日 | 常陸宮正仁親王妃華子の生家 |
津軽承叙 (つがる つぐみち) |
子爵 | 武家 | 陸奥黒石藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
津軽楢麿 (つがる ならまろ) |
男爵 | 武家 | 津軽伯爵家分家 | 明治22年1月29日 | 承昭の二男 |
筑波藤麿 (つくば ふじまろ) |
侯爵 | 皇族 | 山階宮家 | 昭和3年7月20日 | 山階宮菊麿王の三男。臣籍降下 |
辻維岳 (つじ いがく) |
男爵 | 勲功 | 安芸広島藩士 | 明治23年6月27日 | 王政復古に功。大津県知事などを歴任 |
辻新次 (つじ しんじ) |
男爵 | 勲功 | 信濃松本藩士 | 明治41年12月12日 | 文部次官・帝国教育会長を歴任 |
津田真道 (つだ まみち) |
男爵 | 勲功 | 備前岡山藩士 | 明治33年5月9日 | |
土御門晴栄 (つちみかど はれなが) |
子爵 | 公家 | 安倍氏嫡流183石 | 明治17年7月8日 | 陰陽師安倍晴明の末裔 |
土屋挙直 (つちや しげなお) |
子爵 | 武家 | 常陸土浦藩9万5000石 | 明治17年7月8日 | |
土屋光春 (つちや みつはる) |
男爵 | 勲功 | 三河岡崎藩士 | 明治40年9月21日 | 日清・日露戦争で旅団長・師団長を歴任 |
都筑馨六 (つづき けいろく) |
男爵 | 勲功 | 伊予国西条藩 | 明治41年8月3日 | 枢密院書記官長をつとめる |
堤功長 (つつみ いさなが) |
子爵 | 公家 | 勧修寺流甘露寺家分家30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
堤正誼 (つつみ まさよし) |
男爵 | 勲功 | 越前国 | 明治33年5月9日 | 禁門の変・戊辰戦争で功 |
角田武雄 (つのだ たけお) |
男爵 | 勲功 | 陸奥国 | 明治40年10月2日 | 父秀松の功により叙爵 |
坪井航三 (つぼい こうぞう) |
男爵 | 勲功 | 長州藩士 | 明治28年8月20日 | 海軍中将に進む。昭和3年10月子九八郎没後に襲爵手続きせず |
津守国美 (つもり くによし) |
男爵 | 神官 | 住吉大社宮司津守氏 | 明治17年7月8日 | |
靏殿忠善 (つるどの ただよし) |
男爵 | 公家 | 九条流摂関家分家 | 明治22年12月18日 | 貴族院男爵議員。家名の「靏」を「鶴」と改めた。 |
て
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自 | 叙爵日 | 備考 |
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寺内正毅 (てらうち まさたけ) |
伯爵 | 勲功 | 長州藩士 | 明治44年4月21日 | 明治40年9月21日子爵→伯爵。日露戦争時の陸軍大臣 |
寺島宗則 (てらしま むねのり) |
伯爵 | 勲功 | 薩摩国出水郡出水郷脇本村郷士 | 明治17年7月7日 | 維新後の外交交渉に尽力 |
寺島秋介 (てらしま あきすけ) |
男爵 | 勲功 | 長州藩士・周防国 | 明治29年6月5日 | 戊辰戦争時、奥羽追討参謀として功。元老院議官・貴族院勅選議員を歴任。 |
出羽重遠 (でわ しげとう) |
男爵 | 勲功 | 陸奥会津藩士 | 明治40年9月21日 | 日露戦争時、第一艦隊司令官として功 |
田健治郎 (でん けんじろう) |
男爵 | 勲功 | 丹波国氷上郡 | 明治40年9月21日 | 逓信大臣・司法大臣等を歴任 |
と
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
土井忠直 (どい ただなお) |
子爵 | 武家 | 三河刈谷藩2万3000石 | 明治17年7月8日 | |
土井利恒 (どい としつね) |
子爵 | 武家 | 越前大野藩4万石 | 明治17年7月8日 | |
土井利与 (どい としとも) |
子爵 | 武家 | 下総古河藩8万石 | 明治17年7月8日 | |
東胤城 (とう たねき) |
子爵 | 武家 | 和泉吉見藩1万2000石 | 明治17年7月8日 | 明治11年(1878年)、元の姓である遠藤を旧姓東氏に改姓 |
東郷平八郎 (とうごう へいはちろう) |
侯爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 昭和9年5月29日 | 連合艦隊司令長官 明治40年9月21日伯爵→侯爵 |
東郷安 (とうごう やすし) |
男爵 | 勲功 | 越前国福井藩士 | 明治40年10月2日 | 父正路の日露戦争の功により叙爵。貴族院男爵議員 |
藤堂高潔 (とうどう たかきよ) |
伯爵 | 武家 | 伊勢安濃津藩32万3950石 | 明治17年7月7日 | |
藤堂高義 (とうどう たかのり) |
子爵 | 武家 | 伊勢久居藩5万3000石 | 明治17年7月8日 | |
藤堂高成 (とうどう たかしげ) |
男爵 | 武家 | 安野津藩家老・伊賀名張領1万5000石 | 明治39年9月17日 | |
遠山友悌 (とおやま ともやす) |
子爵 | 武家 | 美濃苗木藩1万21石 | 明治17年7月8日 | |
土岐頼知 (とき よりおき) |
子爵 | 武家 | 上野沼田藩3万5000石 | 明治17年7月8日 | 美濃源氏嫡流美濃守護土岐氏の後裔 |
常磐井堯熙 (ときわい ぎょうき) |
男爵 | 僧家 | 真宗高田派管長 | 明治29年6月9日 | 父は近衛忠煕 |
徳川厚 (とくがわ あつし) |
男爵 | 武家 | 徳川宗家分家 | 明治17年7月8日 | 徳川慶喜四男。貴族院男爵議員 |
徳川篤守 (とくがわ あつもり) |
伯爵 | 武家 | 清水徳川家10万石 | 明治17年7月7日 | 明治32年4月爵位返上。後に嫡男・好敏が本人の勲功で男爵となる。 |
徳川篤敬 (とくがわ あつよし) |
公爵 | 武家 | 常陸水戸藩35万石 | 昭和4年11月18日 | 水戸徳川家 明治17年7月7日侯爵→公爵 |
徳川家達 (とくがわ いえさと) |
公爵 | 武家 | 駿河静岡藩70万石 | 明治17年7月7日 | 徳川宗家、貴族院議長 |
徳川達孝 (とくがわ さとたか) |
伯爵 | 武家 | 田安徳川家10万石 | 明治17年7月7日 | |
徳川達道 (とくがわ さとみち) |
伯爵 | 武家 | 一橋徳川家10万石 | 明治17年7月7日 | |
徳川武定 (とくがわ たけさだ) |
子爵 | 武家 | 水戸徳川家分家 | 明治25年5月3日 | 昭武二男、海軍技術中将。 |
徳川誠 (とくがわ まこと) |
男爵 | 武家 | 別家徳川慶喜公爵家分家 | 大正2年11月5日 | 慶喜の九男 |
徳川茂承 (とくがわ もちつぐ) |
侯爵 | 武家 | 紀伊和歌山藩55万5000石 | 明治17年7月7日 | 紀州徳川家 |
徳川義礼 (とくがわ よしあきら) |
侯爵 | 武家 | 尾張名古屋藩61万9500石 | 明治17年7月7日 | 尾張徳川家 |
徳川義恕 (とくがわ よしくみ) |
男爵 | 武家 | 尾張徳川家分家 | 明治21年6月23日 | |
徳川好敏 (とくがわ よしとし) |
男爵 | 勲功 | 日本陸軍航空兵分野確立の功労 | 昭和3年11月10日 | 清水徳川家(伯爵)の8代目だが、父の篤守のときに爵位返上となり、別途軍功により男爵。 |
徳川慶喜 (とくがわ よしのぶ) |
公爵 | 武家 | 徳川宗家別家 | 明治35年6月3日 | 特旨により公爵を授けられる |
徳大寺実則 (とくだいじ さねつね) |
公爵 | 公家 | 閑院流410石 | 明治44年4月21日 | 明治17年7月7日侯爵→公爵 |
徳大寺則麿 (とくだいじ つねまろ) |
男爵 | 公家 | 徳大寺公爵家分家 | 大正2年11月5日 | |
土倉光三郎 (とくら みつざぶろう) |
男爵 | 武家 | 岡山藩家老・市場領1万1000石 | 明治39年9月17日 | 養父正彦は維新で功労あり。 |
戸沢正実 (とざわ まさざね) |
子爵 | 武家 | 出羽新庄藩6万8200石 | 明治17年7月8日 | |
戸田氏共 (とだ うじたか) |
伯爵 | 武家 | 美濃大垣藩10万石 | 明治17年7月7日 | 戊辰戦争で官軍の東山道先鋒をつとめた |
戸田氏良 (とだ うじよし) |
子爵 | 武家 | 美濃大垣新田・野村藩1万3099石 | 明治17年7月8日 | |
戸田忠友 (とだ ただとも) |
子爵 | 武家 | 下野宇都宮藩7万7850石 | 明治17年7月8日 | |
戸田忠行 (とだ ただゆき) |
子爵 | 武家 | 下野足利藩1万1000石 | 明治17年7月8日 | |
戸田忠義 (とだ ただよし) |
子爵 | 武家 | 下野曾我野藩1万1139石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
戸田康泰 (とだ やすひろ) |
子爵 | 武家 | 信濃松本藩6万3000石 | 明治17年7月8日 | 戸田松平家 |
外松孫太郎 (とまつ まごたろう) |
男爵 | 勲功 | 紀州藩士 | 明治40年9月21日 | 陸軍主計総監に進み、西南・日清・日露戦争の功により叙爵。 昭和20年2月、孫の昭二が襲爵手続を取らず爵位返上 |
富井政章 (とみい せいしょう) |
男爵 | 勲功 | 京都聖護院宮侍 | 大正15年10月28日 | 東京帝国大学法学科教授、同大学長 |
富岡敬明 (とみおか けいめい) |
男爵 | 勲功 | 肥前国 | 明治33年5月9日 | 諸県に勤務し、のち熊本県知事 |
富岡定恭 (とみおか さだやす) |
男爵 | 勲功 | 信濃国松代藩士 | 明治40年9月21日 | 海軍兵学校長などを歴任 |
富小路敬直 (とみこうじ ひろなお) |
子爵 | 公家 | 九条流摂関家二条家支流200石 | 明治17年7月8日 | |
外山光曁 (とやま みつとも) |
子爵 | 公家 | 日野家庶流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | |
豊岡健資 (とよおか たけすけ) |
子爵 | 公家 | 日野家庶流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | |
鳥居忠文 (とりい ただふみ) |
子爵 | 武家 | 下野壬生藩3万石 | 明治17年7月8日 | 鳥居元忠の後裔 |
鳥尾小弥太 (とりお こやた) |
子爵 | 勲功 | 長州藩士 | 明治17年7月7日 | 大阪鎮台司令長官・陸軍中将 |
な行
編集な
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
内藤政潔 (ないとう まさきよ) |
子爵 | 武家 | 陸奥湯長谷藩1万5000石 | 明治17年7月8日 | |
内藤正愨 (ないとう まさなお) |
子爵 | 武家 | 信濃岩村田藩1万5000石 | 明治17年7月8日 | |
内藤政挙 (ないとう まさたか) |
子爵 | 武家 | 日向延岡藩7万石 | 明治17年7月8日 | |
内藤信任 (ないとう のぶとう) |
子爵 | 武家 | 越後村上藩5万石 | 明治17年7月8日 | |
内藤政共 (ないとう まさとも) |
子爵 | 武家 | 三河挙母藩2万石 | 明治17年7月8日 | 海軍造船大技士・貴族院子爵議員 |
内藤弥三郎 (ないとう やさぶろう) |
子爵 | 武家 | 信濃高遠藩3万2000石 | 明治17年7月8日 | 下屋敷・内藤新宿が「新宿」のルーツ |
永井尚服 (ながい なおこと) |
子爵 | 武家 | 美濃加納藩3万2000石 | 明治17年7月8日 | |
永井直哉 (ながい なおちか) |
子爵 | 武家 | 大和櫛羅藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
永井直諒 (ながい なおまさ) |
子爵 | 武家 | 摂津高槻藩3万6000石 | 明治17年7月8日 | |
長尾顕慎 (ながお あきちか) |
男爵 | 公家 | 勧修寺家庶流50石 | 明治17年7月8日 | 明治20年1月爵位返上 |
長岡護美 (ながおか もりよし) |
子爵 | 武家 | 細川侯爵家分家長岡家一門 | 明治24年4月23日 | 明治17年7月8日男爵→子爵 |
中川久成 (なかがわ ひさなり) |
伯爵 | 武家 | 豊後岡藩7万440石 | 明治17年7月7日 | 父の久昭は勤皇方として尽力 |
中川興長 (なかがわ おきなが) |
男爵 | 公家 | 勧修寺嫡流甘露寺庶流50石 | 明治17年7月8日 | 興福寺五大院住職・貴族院男爵議員 |
中島信行 (なかじま のぶゆき) |
男爵 | 勲功 | 土佐国高岡郡塚地村郷士 | 明治21年6月5日 | 幕末、坂本龍馬とともに海援隊を組織 |
中島錫胤 (なかじま ますたね) |
男爵 | 勲功 | 阿波国 | 明治29年6月5日 | 華族一代論を主張し死後に襲爵手続きせず |
中園実受 (なかぞの さねしげ) |
子爵 | 公家 | 藤原南家藪分家130石 | 明治17年7月8日 | |
長谷信篤 (ながたに のぶあつ) |
子爵 | 公家 | 桓武平氏高棟王流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | |
中根己巳 (なかね きし) |
男爵 | 勲功 | 越前国 | 明治30年10月27日 | 祖父の師質(雪江)が公武合体を斡旋した功による |
中院通富 (なかのいん みちとよ) |
伯爵 | 公家 | 村上源氏久我家庶流500石 | 明治17年7月7日 | |
中御門経明 (なかのみかど つねあき) |
侯爵 | 公家 | 勧修寺庶流200石 | 明治21年1月17日 | 明治17年7月7日伯爵→侯爵 幕末、王政復古に尽力した父経之の功による |
中御門経隆 (なかのみかど つねたか) |
男爵 | 公家 | 中御門侯爵家分家 | 明治17年7月8日 | 海軍大尉・貴族院男爵議員 |
長松幹 (ながまつ つかさ) |
男爵 | 勲功 | 長州藩士・周防国 | 明治29年6月5日 | 太政官歴史課長・修史局長、元老院議官、貴族院勅選議員を歴任 |
中溝徳太郎 (なかみぞ とくたろう) |
男爵 | 勲功 | 肥前佐賀藩 | 明治40年9月21日 | 海軍中将に進み、西南・日清戦争で功 |
中牟田倉之助 (なかむた くらのすけ) |
子爵 | 勲功 | 肥前佐賀藩士海軍方助役 | 明治17年7月7日 | 東海鎮守司令官長等を歴任 |
中村覚 (なかむら さとる) |
男爵 | 勲功 | 近江彦根藩士 | 明治40年9月21日 | 陸軍大将。侍従武官長等を歴任 |
中村雄次郎 (なかむら ゆうじろう) |
男爵 | 勲功 | 伊勢国一志郡久居村 | 明治40年9月23日 | |
中山忠能 (なかやま ただやす) |
侯爵 | 公家 | 花山院家支流200石 | 明治17年7月7日 | 明治天皇の生母中山慶子の父 |
中山信実 (なかやま のぶさね) |
男爵 | 武家 | 常陸松岡藩2万5000石 | 明治17年7月8日 | 水戸徳川家附家老 |
永山武四郎 (ながやま たけしろう) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治28年12月4日 | 佐賀の乱・西南戦争で功。昭和20年2月孫敏行死後に襲爵手続きせず |
永山盛輝 (ながやま もりてる) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治33年5月9日 | 筑摩県権令・新潟県令等を歴任 |
長与称吉 (ながよ しょうきち) |
男爵 | 勲功 | 肥後大村藩漢方医 | 明治43年8月25日 | |
長与又郎 (ながよ またろう) |
男爵 | 勲功 | 東京神田 | 昭和16年8月15日 | 東京帝国大学医学部長・同大学長、称吉の弟 |
今帰仁朝敷 (なきじん ちょうふ) |
男爵 | 武家 | 琉球王朝第二尚家分家 | 明治23年5月26日[1] | |
梨羽時起 (なしは ときおき) |
男爵 | 勲功 | 長州藩士 | 明治40年9月21日 | 海軍中将に進み、日清・日露戦争で功 |
鍋島直大 (なべしま なおひろ) |
侯爵 | 武家 | 肥前佐賀藩35万7000石 | 明治17年7月7日 | 元老院議官等を歴任 |
鍋島直柔 (なべしま なおとう) |
子爵 | 武家 | 肥前蓮池藩5万2600石 | 明治17年7月8日 | |
鍋島直彬 (なべしま なおよし) |
子爵 | 武家 | 肥前鹿島藩2万石 | 明治17年7月8日 | 孫の直紹は佐賀県知事を務めた |
鍋島直虎 (なべしま なおとら) |
子爵 | 武家 | 肥前小城藩7万3252石 | 明治17年7月8日 | |
鍋島茂昌 (なべしま しげはる) |
男爵 | 武家 | 佐賀藩家老・武雄領2万1600石 | 明治30年10月27日 | 武雄鍋島家、親類同格家老 戦国大名・龍造寺隆信の後裔 |
鍋島貞次郎 (なべしま ていじろう) |
男爵 | 武家 | 鍋島侯爵家分家 | 大正8年1月9日 | |
鍋島直明 (なべしま なおあきら) |
男爵 | 武家 | 佐賀藩家老2万石 | 明治30年10月27日 | 祖父鍋島直暠の維新の功。陸軍少将・貴族院議員 |
鍋島幹 (なべしま みき) |
男爵 | 勲功 | 佐賀藩老 | 明治28年10月31日 | 県知事・元老院議官・貴族院議員を歴任 |
奈良武次 (なら たけじ) |
男爵 | 勲功 | 下野国 | 昭和8年4月25日 | 陸軍大将。侍従武官長等を歴任 |
奈良原繁 (ならはら しげる) |
男爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治29年6月5日 | 昭和19年7月子三次没後女戸主となり栄典喪失 |
成瀬正肥 (なるせ まさみつ) |
子爵 | 武家 | 尾張犬山藩3万5000石 | 明治24年4月23日 | 明治17年7月8日男爵→子爵 尾張徳川家附家老 |
名和長恭 (なわ ながゆき) |
男爵 | 勲功 | 名和神社宮司 | 明治17年7月8日 | 先祖名和氏の南朝への忠節により叙爵。 |
難波宗美 (なんば むねよし) |
子爵 | 公家 | 花山院流庶流300石 | 明治17年7月8日 | |
南部利恭 (なんぶ としゆき) |
伯爵 | 武家 | 陸奥盛岡藩20万石 | 明治17年7月7日 | |
南部利克 (なんぶ としかつ) |
子爵 | 武家 | 陸奥八戸藩2万石 | 明治17年7月8日 | |
南部信方 (なんぶ のぶかた) |
子爵 | 武家 | 陸奥七戸藩1万1384石 | 明治17年7月8日 | |
南部甕男 (なんぶ みかお) |
男爵 | 勲功 | 土佐国大野見村 | 明治29年6月5日 | 東京控訴院長ののち大審院長 奥州南部氏初代南部光行の末裔 |
南部行義 (なんぶ ゆきよし) |
男爵 | 武家 | 盛岡藩家老・遠野領1万2700石 | 明治30年7月1日 |
に
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
西寛二郎 (にし かんじろう) |
子爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治40年9月21日 | 明治28年8月30日男爵→子爵 |
西周 (にし あまね) |
男爵 | 勲功 | 石見津和野藩御典医 | 明治30年1月29日 | 明治期の啓蒙的哲学者 |
西徳二郎 (にし とくじろう) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治28年8月20日 | |
西五辻文仲 (にしいつつじ あやなか) |
男爵 | 公家 | 宇多源氏五辻支流40石 | 明治17年7月8日 | 貴族院男爵議員 |
西尾忠篤 (にしお ただあつ) |
子爵 | 武家 | 安房花房藩3万5000石 | 明治17年7月8日 | |
西大路隆修 (にしおおじ たかおさ) |
子爵 | 公家 | 四条家支流100石 | 明治17年7月8日 | |
錦小路在明 (にしきのこうじ ありあき) |
子爵 | 公家 | 丹波氏30石3人扶持 | 明治31年3月24日 | |
錦織教久 (にしごり ゆきひさ) |
子爵 | 公家 | 卜部氏萩原家分家30石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
西島助義 (にしじま すけよし) |
男爵 | 勲功 | 長門国 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、佐賀の乱・日清・日露等の戦争で功 |
西高辻信厳 (にしたかつじ のぶかね) |
男爵 | 公家 | 菅原氏高辻支流 | 明治17年7月8日 | |
西洞院信愛 (にしとういん のぶなる) |
子爵 | 公家 | 桓武平氏高棟王流273石 | 明治17年7月8日 | |
西村精一 (にしむら せいいち) |
男爵 | 勲功 | 長門国 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、西南・日清・日露戦争で功 |
二条基弘 (にじょう もとひろ) |
公爵 | 公家 | 九条流摂関家1708石 | 明治17年7月7日 | |
二条正麿 (にじょう おさまろ) |
男爵 | 公家 | 二条公爵家分家 | 明治35年12月5日 | 貴族院男爵議員 |
西四辻公業 (にしよつつじ きみなり) |
子爵 | 公家 | 閑院流四辻支流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | 大阪府知事・侍従 |
新田俊純 (にった としずみ) |
男爵 | 勲功 | 上野国新田郡田嶋郷内120石 | 明治17年7月8日 | 交代寄合上野国新田郡新田庄内 清和源氏新田氏初代新田義重の末裔、新田氏嫡流 |
若王子遠文 (にゃくおうじ ふかや) |
男爵 | 公家 | 四条流山科家支流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | 若王子住職・貴族院男爵議員 |
仁礼景範 (にれ かげのり) |
子爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治17年7月7日 | 海軍中将に進み、西南戦争・海軍創設で功。昭和20年1月孫景嘉戦死後に襲爵手続きせず |
丹羽氏厚 (にわ うじひろ) |
子爵 | 武家 | 播磨三草藩1万石 | 明治17年7月8日 | 二本松丹羽家と別系統。昭和15年12月子氏郷没後女戸主となり栄典喪失 |
丹羽長裕 (にわ ながひろ) |
子爵 | 武家 | 陸奥代二本松藩10万700石 | 明治17年7月8日 | 戦国武将・丹羽長秀の後裔 |
庭田重直 (にわた しげなお) |
伯爵 | 公家 | 宇多源氏350石 | 明治17年7月7日 |
ぬ
編集ね
編集の
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
乃木希典 (のぎ まれすけ) |
伯爵 | 勲功 | 長府藩士 | 明治40年9月21日 | 明治28年8月20日男爵→伯爵、明治天皇に殉死 |
乃木元智 (のぎ もとさと) |
伯爵 | 勲功 | 長府藩主一門 | 大正4年9月13日 | 乃木希典家再興。昭和9年9月爵位返上 |
野崎貞澄 (のざき さだずみ) |
男爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治20年5月24日 | 陸軍中将に進み、戊辰・西南戦争で功 |
野津道貫 (のづ みちつら) |
侯爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治40年9月21日 | 明治17年7月7日子爵→伯爵→侯爵 |
野田豁通 (のだ ひろみち) |
男爵 | 勲功 | 肥後国 | 明治28年8月20日 | 陸軍監督総監に進み、戊辰・西南・日清戦争で功 |
野宮定穀 (のみや さだよし) |
子爵 | 公家 | 花山院家分家150石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
野村靖 (のむら やすし) |
子爵 | 勲功 | 長州藩士 | 明治20年5月9日 | 逓信次官等を歴任後、逓信大臣 |
野村維章 (のむら これあき) |
男爵 | 勲功 | 土佐国 | 明治33年5月9日 | 大阪・東京各控訴院検事長、明治維新の功 |
野村素介 (のむら もとすけ) |
男爵 | 勲功 | 長門国 | 明治33年5月9日 | 文部省に出仕し、教育行政に携わった |
は行
編集は
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
萩原員光 (はぎわら かずみつ) |
子爵 | 公家 | 卜部氏1000石 | 明治17年7月8日 | |
橋本実梁 (はしもと さねやな) |
伯爵 | 公家 | 閑院流500石 | 明治17年7月7日 | 戊辰戦争で東海道鎮撫総督として軍功 |
橋本綱常 (はしもと つなつね) |
子爵 | 勲功 | 越前福井藩士御書院番 | 明治40年9月29日 | 明治28年10月31日男爵→子爵 橋本左内の弟。陸軍軍医総監、東京帝国大学教授 |
橋元正明 (はしもと まさあき) |
男爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治40年9月21日 | 海軍中将に進み、西南・日清・日露戦争に出征して功 |
長谷川好道 (はせがわ よしみち) |
伯爵 | 勲功 | 周防岩国藩士剣術師範 | 大正5年7月14日 | 明治28年8月20日男爵→明治40年9月21日、元帥・陸軍大将 |
波多野敬直 (はたの よしなお) |
子爵 | 勲功 | 肥前小城藩士 | 大正6年6月5日 | 明治40年9月21日男爵→子爵 戦国大名波多野氏の直系子孫。司法・宮内各大臣 |
八条隆吉 (はちじょう たかとみ) |
子爵 | 公家 | 善勝寺流櫛笥家分家150石 | 明治17年7月8日 | |
蜂須賀茂韶 (はちすか もちあき) |
侯爵 | 武家 | 阿波徳島藩25万7900石 | 明治17年7月7日 | 昭和20年7月孫の正氏は爵位返上 |
花園公秊 (はなぞの きんとし) |
子爵 | 公家 | 閑院流正親町三条支流150石 | 明治17年7月8日 | 名の2文字目は「季」の「子」の部分が「千」になった字 |
華園沢称 (はなぞの たくしょう) |
男爵 | 僧家 | 浄土真宗興正派 | 明治29年6月9日 | 鷹司政通次男。 |
花房義質 (はなぶさ よしもと) |
子爵 | 勲功 | 備前国 | 明治40年9月23日 | ロシア公使・宮内次官を歴任 明治29年6月5日男爵→子爵 |
浜尾新 (はまお あらた) |
子爵 | 勲功 | 但馬国豊岡藩士江戸詰 | 大正10年11月25日 | 東京帝国大学総長、文部大臣 明治40年9月23日男爵→子爵 |
葉室長邦 (はむろ ながくに) |
伯爵 | 公家 | 勧修寺流183石 | 明治17年7月7日 | |
林権助 (はやし ごんすけ) |
男爵 | 勲功 | 陸奥会津藩士大砲奉行 | 明治40年11月4日 | 韓国公使・清国公使を歴任 |
林董 (はやし ただす) |
伯爵 | 勲功 | 下総佐倉藩蘭医 | 明治40年9月14日 | 明治28年10月31日男爵→子爵→伯爵。外務・逓信各大臣 |
林忠弘 (はやし ただひろ) |
男爵 | 武家 | 上総請西藩1万石 | 明治26年10月30日 | 父・忠崇は自ら脱藩して、奥羽越列藩同盟に参加したために改易処分 |
林友幸 (はやし ともゆき) |
伯爵 | 勲功 | 長門国 | 明治40年11月8日 | 明治20年5月9日子爵→伯爵。元老院議官・枢密顧問官・宮中顧問官歴任 |
原嘉道 (はら よしみち) |
男爵 | 勲功 | 信濃須坂藩士足軽小頭 | 昭和19年8月7日 | 田中義一内閣の司法大臣、枢密院議長。日本最後の叙爵者 |
原口兼済 (はらぐち けんさい) |
男爵 | 勲功 | 豊後国 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、西南・日清・日露戦争に出征して功 |
原田一道 (はらだ いちどう) |
男爵 | 勲功 | 備中鴨方藩医 | 明治33年5月9日 | 陸軍少将に進み、兵器・軍律刑法研究の功 |
ひ
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
東久世通禧 (ひがしくぜ みちとみ) |
伯爵 | 公家 | 村上源氏久世家分家30石3人扶持 | 明治17年7月7日 | 七卿の一人。功により伯爵。維新後の新政府成立時の外交にあたった |
東久世秀雄 (ひがしくぜ ひでお) |
男爵 | 公家 | 東久世伯爵家分家 | 明治30年12月6日 | 通禧の四男。内匠頭・貴族院男爵議員 |
東三条公美 (ひがしさんじょう きんよし) |
男爵 | 公家 | 三条公爵家分家 | 明治17年7月8日 | 公美は本家に復籍し公恭長男実敏が継承 |
東園基愛 (ひがしぞの もとなる) |
子爵 | 公家 | 中御門庶流園家支流180石 | 明治17年7月8日 | |
東伏見邦英 (ひがしふしみ くにひで) |
伯爵 | 皇族 | 久邇宮家 | 昭和6年4月4日 | 久邇宮邦彦王の三男、臣籍降下 |
東坊城徳長 (ひがしぼうじょう よしなが) |
子爵 | 公家 | 菅原氏高辻家五条支流301石 | 明治17年7月8日 | |
樋口誠康 (ひぐち なるやす) |
子爵 | 公家 | 高倉家分家200石 | 明治17年7月8日 | 陸軍歩兵大尉・貴族院子爵議員 |
久松定謨 (ひさまつ さだこと) |
伯爵 | 武家 | 伊予松山藩15万石 | 明治17年7月7日 | 久松松平家 子の定武は、5期愛媛県知事をつとめた |
久松勝慈 (ひさまつ かつなり) |
子爵 | 武家 | 下総多古藩1万2000石 | 明治17年7月8日 | 久松松平家 |
久松定弘 (ひさまつ さだひろ) |
子爵 | 武家 | 伊予今治藩3万5000石 | 明治17年7月8日 | 久松松平家、貴族院子爵議員 |
土方雄志 (ひじかた かつゆき) |
子爵 | 武家 | 伊勢菰野藩1万1000石 | 明治17年7月8日 | |
土方久元 (ひじかた ひさもと) |
伯爵 | 勲功 | 土佐藩上士 | 明治28年10月7日 | 明治17年7月17日子爵→伯爵。宮内大臣をつとめた。昭和9年9月に孫の久敬は爵位を返上 |
日高壮之丞 (ひだか そうのじょう) |
男爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治40年9月21日 | 薩英戦争に功。昭和17年8月孫荘輔没後に爵位を返上 |
一柳末徳 (ひとつやなぎ すえのり) |
子爵 | 武家 | 播磨小野藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
一柳紹念 (ひとつやなぎ つぐむね) |
子爵 | 武家 | 伊予小松藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
日野資秀 (ひの すけひで) |
伯爵 | 公家 | 日野家嫡流1153石 | 明治17年7月7日 | 東宮侍従・貴族院伯爵議員 |
日野西光善 (ひのにし みつよし) |
子爵 | 公家 | 日野家広橋支流200石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員・平安神宮宮司 |
平賀譲 (ひらが ゆずる) |
男爵 | 勲功 | 広島県広島市 | 昭和18年2月17日 | 海軍造船中将・東京帝国大学工学部長 |
平佐良蔵 (ひらさ りょうぞう) |
男爵 | 勲功 | 長門国 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、戊辰・日清・日露戦争に出征して功 |
平田東助 (ひらた とうすけ) |
伯爵 | 勲功 | 出羽米沢藩医 | 大正11年9月25日 | 明治35年2月27日男爵→子爵→伯爵 |
平沼騏一郎 (ひらぬま きいちろう) |
男爵 | 勲功 | 美作津山藩士 | 大正15年10月28日 | 検事総長・司法大臣・総理大臣等を歴任。A級戦犯 |
平野長祥 (ひらの ながよし) |
男爵 | 武家 | 大和田原本藩1万石 | 明治17年7月8日 | 貴族院男爵議員 |
平松時厚 (ひらまつ ときあつ) |
子爵 | 公家 | 桓武平氏高棟王流200石 | 明治17年7月8日 | 新潟県令・元老院議官・貴族院議員等を歴任。 |
平山成信 (ひらやま せいしん) |
男爵 | 勲功 | 東京都 | 大正13年2月11日 | |
広沢金次郎 (ひろさわ きんじろう) |
伯爵 | 勲功 | 長門国 | 明治17年7月7日 | 父、真臣は現職参議時に暗殺。 後に内閣総理大臣秘書官を務めた |
広橋賢光 (ひろはし まさみつ) |
伯爵 | 公家 | 日野流広橋家850石 | 明治17年7月7日 | 明治維新後内務省に入った |
広幡忠礼 (ひろはた ただあや) |
侯爵 | 公家 | 正親町源氏500石 | 明治17年7月7日 | 江戸時代の当主は代々近衛家の猶子 |
ふ
編集叙爵者 (名前の読み) |
爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
深尾重孝 (ふかお しげたか) |
男爵 | 武家 | 土佐藩家老・佐川領1万石 | 明治39年9月17日 | |
福岡孝弟 (ふくおか たかちか) |
子爵 | 勲功 | 土佐藩家老 | 明治17年7月7日 | 大政奉還を将軍慶喜に勧め、王政復古で参与 |
福島安正 (ふくしま やすまさ) |
男爵 | 勲功 | 信濃松本藩士 | 明治40年9月21日 | 西南・日清・日露戦争に出征 |
福羽美静 (ふくば よししず) |
子爵 | 勲功 | 石見津和野藩士 | 明治20年5月9日 | 神道の制度確立に尽力 |
福原俊丸 (ふくはら としまる) |
男爵 | 武家 | 長州藩家老・宇部領1万1000石 | 明治33年5月9日 | 一門家老、毛利元就生母の実家 |
福原基蔵 (ふくはら もとぞう) |
男爵 | 勲功 | 長州藩一門家老福原家分家 | 明治30年10月27日 | 陸軍大尉。父豊功の功により叙爵。子の基彦は初の戦後爵位返上者(昭和21年5月) |
福原実 (ふくはら みのる) |
男爵 | 勲功 | 長州藩一門家老福原家分家 | 明治33年5月9日 | 陸軍少将に進み、戊辰・西南戦争の功。 |
藤井行道 (ふじい ゆきみち) |
子爵 | 公家 | 卜部氏30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | |
藤井包總 (ふじい かねすけ) |
男爵 | 勲功 | 安芸国 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、戊辰・西南・日清戦争に出征して功 |
藤枝雅之 (ふじえ まさゆき) |
男爵 | 公家 | 難波流飛鳥井支流50石 | 明治17年7月8日 | 貴族院男爵議員 |
藤大路納親 (ふじおおじ のりちか) |
男爵 | 公家 | 高倉一門堀河支流50石 | 明治17年7月8日 | |
藤田伝三郎 (ふじた でんさぶろう) |
男爵 | 勲功 | 長門国酒屋 | 明治44年8月25日 | 藤田組(藤田財閥)を創立して農林・鉱業を営む |
藤谷為寛 (ふじたに ためちか) |
子爵 | 公家 | 御子左流上冷泉庶流200石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
藤波言忠 (ふじなみ ことただ) |
子爵 | 公家 | 大中臣姓藤波家173石 | 明治17年7月8日 | 大中臣氏直系子孫 |
伏原宣足 (ふしはら のぶたる) |
子爵 | 公家 | 広澄流清原氏嫡流舟橋家分家230石 | 明治17年7月8日 | 貴族院議員・賀茂別雷神社宮司兼賀茂御祖神社宮司 |
伏見博英 (ふしみ ひろひで) |
伯爵 | 皇族 | 伏見宮家 | 昭和11年4月1日 | 伏見宮博恭王の四男。昭和11年に臣籍降下 |
藤村紫朗 (ふじむら しろう) |
男爵 | 勲功 | 肥後熊本藩士 | 明治29年6月5日 | 維新の功、山梨・愛媛県知事。子義朗没後に後継者不在で昭和12年1月爵位返上 |
二荒芳之 (ふたあら よしゆき) |
伯爵 | 皇族 | 北白川宮家 | 明治30年7月1日 | 北白川宮能久親王の五男 |
船越衛 (ふなこし まもる) |
男爵 | 勲功 | 安芸広島藩士20石3人扶持 | 明治29年6月5日 | 大村益次郎に兵学を学び、戊辰戦争で参謀 |
舟橋遂賢 (ふなばし なるかた) |
子爵 | 公家 | 広澄流清原氏400石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
古市公威 (ふるいち こうい) |
男爵 | 勲功 | 兵庫県 | 大正8年12月27日 | 内務省土木局長等を歴任 |
古河虎之助 (ふるかわ とらのすけ) |
男爵 | 勲功 | 滋賀県 | 大正4年12月1日 | 古河財閥の地位を確立 |
へ
編集叙爵者 (名前の読み) |
爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
日置健太郎 (へき けんたろう) |
男爵 | 武家 | 岡山藩家老金川領1万6000石 | 明治39年9月17日 |
ほ
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
北条氏恭 (ほうじょう うじゆき) |
子爵 | 武家 | 河内狭山藩1万石 | 明治17年7月8日 | 戦国大名・北条早雲の後裔 |
坊城俊章 (ぼうじょう としあや) |
伯爵 | 公家 | 勧修寺流180石 | 明治17年7月7日 | 参与・陸軍中佐・貴族院議員 |
坊城俊延 (ぼうじょう としのぶ) |
男爵 | 公家 | 坊城伯爵家分家 | 明治17年7月8日 | |
保科正益 (ほしな まさあり) |
子爵 | 武家 | 上総飯野藩2万石 | 明治17年7月8日 | |
穂穙俊香 (ほづみ としか) |
男爵 | 公家 | 勧修寺流坊城支流50石 | 明治17年7月8日 | |
穂積陳重 (ほづみ のぶしげ) |
男爵 | 勲功 | 伊予宇和島藩国学者 | 大正4年12月1日 | 日本初の法学博士。枢密院議長をつとめる |
細川護久 (ほそかわ もりひさ) |
侯爵 | 武家 | 肥後熊本藩54万石 | 明治17年7月7日 | 父の韶邦は戊辰戦争で軍功を挙げる |
細川興貫 (ほそかわ おきつら) |
子爵 | 武家 | 下野茂木藩1万6313石 | 明治17年7月8日 | |
細川行真 (ほそかわ ゆきざね) |
子爵 | 武家 | 肥後宇土藩3万石 | 明治17年7月8日 | |
細川利永 (ほそかわ としなが) |
子爵 | 武家 | 肥後高瀬藩3万5000石 | 明治17年7月8日 | |
細川興増 (ほそかわ おきなが) |
男爵 | 武家 | 熊本藩家老・2万5000石 | 明治30年10月27日 | 細川刑部家 |
細川潤次郎 (ほそかわ じゅんじろう) |
男爵 | 勲功 | 土佐藩士儒学者 | 明治33年5月9日 | |
細川忠穀 (ほそかわ ただよし) |
男爵 | 武家 | 熊本藩家老・6000石 | 明治33年5月9日 | 細川内膳家 |
細川護晃 (ほそかわ もりあき) |
男爵 | 武家 | 細川侯爵家分家 | 明治29年12月3日 | 養子護立が細川侯爵家相続のため大正3年10月廃家 |
堀田正倫 (ほった まさのり) |
伯爵 | 武家 | 下総佐倉藩11万石 | 明治17年7月7日 | |
堀田正養 (ほった まさやす) |
子爵 | 武家 | 近江宮川藩1万3000石 | 明治17年7月8日 | |
堀田正頌 (ほった まさつぐ) |
子爵 | 武家 | 下総佐野藩1万6000石 | 明治17年7月8日 | |
穂波経藤 (ほなみ つねふじ) |
子爵 | 公家 | 勧修寺支流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | 明治38年6月爵位返上 |
堀親篤 (ほり ちかあつ) |
子爵 | 武家 | 信濃飯田藩1万7000石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
堀河康隆 (ほりかわ やすたか) |
子爵 | 公家 | 高倉家支流180石 | 明治17年7月8日 | 昭和19年7月孫康文戦死後に後継者を欠く |
本庄寿巨 (ほんじょう ひさなお) |
子爵 | 武家 | 美濃高富藩1万石 | 明治17年7月8日 | 桂昌院の甥の子孫。貴族院子爵議員 |
本荘宗武 (ほんじょう むねたけ) |
子爵 | 武家 | 丹後宮津藩7万石 | 明治17年7月8日 | 桂昌院の甥の子孫 本庄松平家 |
本庄繁 (ほんじょう しげる) |
男爵 | 勲功 | 播磨国 | 昭和10年12月26日 | 日露・第一次大戦・シベリア出兵に出征。昭和20年11月没後に子の一雄は襲爵手続きせず |
本多実方 (ほんだ さねふさ) |
子爵 | 武家 | 信濃飯山藩2万石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員。昭和18年2月子助信没後に襲爵手続きせず |
本多忠敬 (ほんだ ただあつ) |
子爵 | 武家 | 三河岡崎藩5万石 | 明治17年7月8日 | 徳川四天王・本多忠勝の直系子孫 |
本多忠貫 (ほんだ ただつら) |
子爵 | 武家 | 伊勢神戸藩1万5000石 | 明治17年7月8日 | |
本多忠彦 (ほんだ ただひこ) |
子爵 | 武家 | 陸奥泉藩2万石 | 明治17年7月8日 | |
本多忠鵬 (ほんだ ただゆき) |
子爵 | 武家 | 三河西端藩1万5000石 | 明治17年7月8日 | |
本多正憲 (ほんだ まさのり) |
子爵 | 武家 | 安房長尾藩4万石 | 明治17年7月8日 | 戦国武将・本多正重の後裔 |
本多康穣 (ほんだ やすしげ) |
子爵 | 武家 | 近江膳所藩6万石 | 明治17年7月8日 | |
本多貞吉 (ほんだ ていきち) |
子爵 | 武家 | 播磨山崎藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
本田親雄 (ほんだ ちかお) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治20年5月24日 | 戊辰戦争で参謀 |
本多副元 (ほんだ すけもと) |
男爵 | 武家 | 福井藩家老・府中領3万9000石 | 明治17年7月8日 | 戦国武将・本多重次の甥の後裔 |
本多政以 (ほんだ まさざね) |
男爵 | 武家 | 加賀藩家老5万石 | 明治33年5月9日 | 戦国武将・本多正信の二男政重の後裔 |
本堂親久 (ほんどう ちかひさ) |
男爵 | 武家 | 常陸志筑藩1万110石 | 明治17年7月8日 | 交代寄合常陸新治郡志筑 |
ま行
編集ま
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
蒔田広孝 (まいた ひろたか) |
子爵 | 武家 | 備中浅尾藩1万石 | 明治17年7月8日 | 交代寄合,京都見廻役 相模守組 |
前島密 (まえじま ひそか) |
男爵 | 勲功 | 越後国中頸城郡津有村 | 明治35年6月19日 | 維新後、郵便制度を確立 |
前田利同 (まえだ としあつ) |
伯爵 | 武家 | 越中富山藩10万石 | 明治17年7月7日 | |
前田利昭 (まえだ としあき) |
子爵 | 武家 | 上野七日市藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
前田利鬯 (まえだ としか) |
子爵 | 武家 | 加賀大聖寺藩10万石 | 明治17年7月8日 | |
前田勇 (まえだ いさむ) |
男爵 | 勲功 | 大和国 | 明治40年10月2日 | 陸軍大佐。養父隆礼の戊辰・日露戦争中の功により叙爵 |
前田孝 (まえだ つこう) |
男爵 | 武家 | 加賀藩一門・1万8000石 | 明治33年5月9日 | 加賀八家前田対馬守家 昭和22年2月子の孝行は爵位返上 |
前田利武 (まえだ としたけ) |
男爵 | 武家 | 前田侯爵家分家 | 明治17年7月8日 | 加賀藩主前田斉泰の十二男 |
前田直行 (まえだ なおつら) |
男爵 | 武家 | 加賀藩一門・1万1000石 | 明治33年5月9日 | 加賀八家筆頭前田土佐守家 |
前田正名 (まえだ まさな) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩医 | 大正10年8月11日 | 山梨県知事・農商務次官を歴任。昭和14年1月子三介没後女戸主となり栄典喪失 |
前田利嗣 (まえだ としつぐ) |
侯爵 | 武家 | 加賀藩102万5000石 | 明治17年7月7日 | 戦国大名・前田利家の直系子孫 |
真木長義 (まき ながよし) |
男爵 | 勲功 | 肥前国 | 明治20年5月24日 | 海軍中将に進み、海軍裁判所長等を歴任 |
牧野伸顕 (まきの のぶあき) |
伯爵 | 勲功 | 薩摩藩士御小姓与 | 大正14年4月9日 | 明治40年11月4日男爵→子爵→伯爵 大久保利通の二男、内大臣等歴任 |
牧野弼成 (まきの すけしげ) |
子爵 | 武家 | 丹後舞鶴藩3万5000石 | 明治17年7月8日 | |
牧野貞寧 (まきの さだやす) |
子爵 | 武家 | 常陸笠間藩8万石 | 明治17年7月8日 | |
牧野忠篤 (まきの ただあつ) |
子爵 | 武家 | 越後長岡藩7万4000石 | 明治17年7月8日 | |
牧野忠良 (まきの ただよし) |
子爵 | 武家 | 越後峰岡藩1万1000石 | 明治24年12月24日 | |
牧野康強 (まきの やすたけ) |
子爵 | 武家 | 信濃小諸藩1万5000石 | 明治17年7月8日 | |
槇村正直 (まきむら まさなお) |
男爵 | 勲功 | 長門国 | 明治20年5月24日 | 維新の功、京都府知事・元老院議官等歴任。昭和5年2月子正介没後に後継者を欠く |
増山正同 (ましやま まさとも) |
子爵 | 武家 | 伊勢長島藩2万石 | 明治17年7月8日 | |
益田精祥 (ますだ あきよし) |
男爵 | 武家 | 長州藩家老・須佐領1万2000石 | 明治33年5月9日 | 永代家老、戦国武将・益田元祥の後裔 |
益田孝 (ますだ たかし) |
男爵 | 勲功 | 佐渡国 | 大正7年11月26日 | 三井物産会社設立に参加 小田原三茶人 |
町尻量衡 (まちじり かずひら) |
子爵 | 公家 | 水無瀬家支流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | |
松井康義 (まつい やすよし) |
子爵 | 武家 | 武蔵川越藩8万400石 | 明治17年7月8日 | 松井松平家 |
松井慶四郎 (まつい けいしろう) |
男爵 | 勲功 | 大阪府 | 大正9年9月7日 | 第一次大戦の講和全権委員、外務大臣・枢密顧問官等歴任 |
松井敏之 (まつい としゆき) |
男爵 | 武家 | 熊本藩家老・八代領3万石 | 明治25年10月15日 | 筆頭家老、上卿三家 |
松尾臣善 (まつお しげよし) |
男爵 | 勲功 | 播磨国 | 明治40年9月23日 | 大蔵省に出仕、のちに日銀総裁。日露戦争中の功により叙爵 |
松岡康毅 (まつおか やすこわ) |
男爵 | 勲功 | 阿波徳島藩中老長谷川家家臣 | 大正6年8月14日 | 検事総長・農商務大臣等歴任 |
松崎万長 (まつがさき つむなが) |
男爵 | 公家 | 勧修寺家嫡流甘露寺一門 | 明治17年7月8日 | 明治29年10月22日、爵位返上。 |
松方正義 (まつかた まさよし) |
公爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 大正11年9月18日 | 明治17年7月7日伯爵→侯爵→公爵、内閣総理大臣。昭和2年12月に子巌は爵位を返上 |
松園尚嘉 (まつぞの ひさよし) |
男爵 | 公家 | 九条流摂関家支流 | 明治17年7月8日 | 興福寺大乗院最後の門跡・隆芳 廃仏毀釈により院は廃絶されて本人は還俗 |
松田正久 (まつだ まさひさ) |
男爵 | 勲功 | 肥前小城藩士 | 大正3年1月19日 | 大蔵・司法・文部の各大臣をつとめた |
松平容大 (まつだいら かたはる) |
子爵 | 武家 | 陸奥会津藩28万石 | 明治17年7月8日 | 御家門・会津松平家 |
松平定教 (まつだいら さだのり) |
子爵 | 武家 | 伊勢桑名藩11万石 | 明治17年7月8日 | 久松松平家、松山藩久松家の分家 |
松平武修 (まつだいら たけなが) |
子爵 | 武家 | 石見浜田藩6万1000石 | 明治17年7月8日 | 御家門・越智松平家 |
松平忠和 (まつだいら ただかず) |
子爵 | 武家 | 肥前島原藩7万石 | 明治17年7月8日 | 深溝松平家 |
松平忠礼 (まつだいら ただなり) |
子爵 | 武家 | 信濃上田藩5万3000石 | 明治17年7月8日 | 藤井松平家 |
松平忠敬 (まつだいら ただのり) |
子爵 | 武家 | 武蔵忍藩10万石 | 明治17年7月8日 | 奥平松平家 |
松平忠恕 (まつだいら ただゆき) |
子爵 | 武家 | 上野小幡藩2万石 | 明治17年7月8日 | 奥平松平家 |
松平親信 (まつだいら ちかのぶ) |
子爵 | 武家 | 豊後杵築藩3万2000石 | 明治17年7月8日 | 能見松平家・貴族院子爵議員 |
松平直亮 (まつだいら なおあき) |
伯爵 | 武家 | 出雲松江藩18万6000石 | 明治17年7月7日 | 越前松平家・貴族院伯爵議員 |
松平直哉 (まつだいら なおとし) |
子爵 | 武家 | 出雲母里藩1万石 | 明治17年7月8日 | 越前松平家 |
松平直徳 (まつだいら なおのり) |
子爵 | 武家 | 播磨明石藩8万石 | 明治17年7月8日 | 越前松平家、貴族院子爵議員 |
松平直平 (まつだいら なおひら) |
子爵 | 武家 | 出雲広瀬藩3万石 | 明治17年7月8日 | 越前松平家 |
松平直静 (まつだいら なおやす) |
子爵 | 武家 | 越後糸魚川藩1万石 | 明治17年7月8日 | 越前松平家 |
松平信正 (まつだいら のぶまさ) |
子爵 | 武家 | 丹波亀山藩5万石 | 明治17年7月8日 | 形原松平家 |
松平信安 (まつだいら のぶやす) |
子爵 | 武家 | 出羽上山藩2万7000石 | 明治17年7月8日 | 藤井松平家。明治41年10月爵位を返上 |
松平喜徳 (まつだいら のぶのり) |
子爵 | 武家 | 常陸守山・松川藩2万9322石 | 明治17年7月8日 | 御連枝・水戸徳川家分家 |
松平乗承 (まつだいら のりつぐ) |
子爵 | 武家 | 三河西尾藩6万石 | 明治17年7月8日 | 大給松平家・日本赤十字社副社長・貴族院子爵議員 |
松平乗命 (まつだいら のりとし) |
子爵 | 武家 | 美濃岩村藩3万石 | 明治17年7月8日 | 大給松平家 |
松平斉 (まつだいら ひとし) |
男爵 | 武家 | 美作津山藩松平子爵家分家 | 明治21年11月1日 | 越前松平家 |
松平正直 (まつだいら まさなお) |
男爵 | 勲功 | 越前福井藩御用人 | 明治33年5月9日 | 長沢松平家・内務次官・貴族院議員・枢密顧問官 |
松平茂昭 (まつだいら もちあき) |
侯爵 | 武家 | 越前福井藩32万石 | 明治21年1月17日 | 御家門筆頭・越前松平家 明治17年7月7日伯爵→侯爵 |
松平基則 (まつだいら もとのり) |
伯爵 | 武家 | 上野前橋藩17万石 | 明治17年7月7日 | 越前松平家 |
松平康民 (まつだいら やすたみ) |
子爵 | 武家 | 美作津山藩10万石 | 明治17年7月8日 | 御家門筆頭・越前松平家宗家 |
松平慶民 (まつだいら よしたみ) |
子爵 | 武家 | 福井藩松平侯爵家分家 | 明治39年9月17日 | 越前松平家 |
松平義生 (まつだいら よしなり) |
子爵 | 武家 | 美濃高須藩3万石 | 明治17年7月8日 | 御連枝・尾張徳川家分家 |
松平頼聡 (まつだいら よりとし) |
伯爵 | 武家 | 讃岐高松藩12万石 | 明治17年7月7日 | 御連枝・水戸徳川家分家 |
松平頼英 (まつだいら よりひで) |
子爵 | 武家 | 伊予西条藩3万石 | 明治17年7月8日 | 御連枝・紀州徳川家分家 |
松平頼策 (まつだいら よりふみ) |
子爵 | 武家 | 常陸常陸府中・岩岡藩2万石 | 明治17年7月8日 | 御連枝・水戸徳川家分家 |
松平頼安 (まつだいら よりやす) |
子爵 | 武家 | 常陸宍戸藩1万石 | 明治17年7月8日 | 御連枝・水戸徳川家分家 |
松永正敏 (まつなが まさとし) |
男爵 | 勲功 | 肥後国 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、西南・日清・日露・台湾出兵に出征 |
松木宗隆 (まつのき むねたか) |
伯爵 | 公家 | 中御門流嫡流341石 | 明治17年7月7日 | 貴族院伯爵議員 |
松木美彦 (まつのき ともひこ) |
男爵 | 神官 | 伊勢神宮外宮神職 | 明治17年7月8日 | |
松林為美 (まつばやし ためあき) |
男爵 | 公家 | 御子左家二条家庶流上冷泉支流 | 明治17年7月8日 | 明治29年12月21日、爵位返上。 |
松前修広 (まつまえ ながひろ) |
子爵 | 武家 | 蝦夷松前藩3万石 | 明治17年7月8日 | 昭和19年10月孫正広戦死後に後継者を欠く |
松前隆広 (まつまえ たかひろ) |
男爵 | 武家 | 松前子爵家分家 | 明治22年10月16日 | |
松村淳蔵 (まつむら じゅんぞう) |
男爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治20年5月24日 | 海軍中将に進み、西南戦争で功 |
松村務 (まつむら つとむ) |
男爵 | 勲功 | 加賀国 | 明治40年10月2日 | 父務本の日清・日露戦争の功により叙爵 |
松本鼎 (まつもと かなえ) |
男爵 | 勲功 | 長門国 | 明治40年10月22日 | 禁門の変・幕長戦・戊辰戦争で功、元老院議官・衆議院議員 |
松本順 (まつもと じゅん) |
男爵 | 勲功 | 江戸 | 明治38年3月1日 | 陸軍軍医総監等をつとめ、軍医制度確立に功 |
松浦詮 (まつら あきら) |
伯爵 | 武家 | 肥前平戸藩6万1700石 | 明治17年7月8日 | |
松浦靖 (まつら はかる) |
子爵 | 武家 | 肥前平戸新田藩1万石 | 明治23年12月26日 | 松浦詮二男、陸軍歩兵中佐、侍従 |
万里小路通房 (までのこうじ みちふさ) |
伯爵 | 公家 | 勧修寺流嫡流甘露寺分家390石 | 明治17年7月7日 | 戊辰戦争で功を挙げた |
万里小路正秀 (までのこうじ まさひで) |
男爵 | 公家 | 万里小路伯爵家分家 | 明治17年7月8日 | |
間部詮信 (まなべ あきのぶ) |
子爵 | 武家 | 越前鯖江藩4万石 | 明治17年7月8日 | |
真鍋斌 (まなべ さかり) |
男爵 | 勲功 | 長門国 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、西南戦争・日清戦争等で功 |
み
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自・出身 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
三浦顕次 (みうら たかつぐ) |
子爵 | 武家 | 美作勝山藩2万3000石 | 明治17年7月8日 | 戦国大名・里見家重臣正木頼忠の後裔 |
三浦梧楼 (みうら ごろう) |
子爵 | 勲功 | 長州藩士 | 明治17年7月7日 | 西南戦争で功、乙未事変。陸軍中将 |
三浦権五郎 (みうら ごんごろう) |
男爵 | 武家 | 紀州藩家老・貴志領1万5000石 | 明治33年5月9日 | |
三島通庸 (みしま みちつね) |
子爵 | 勲功 | 薩摩藩士鼓指南役 | 明治20年5月24日 | 維新の功。内務官僚、山形県令・警視総監などを歴任。 |
三須宗太郎 (みす そうたろう) |
男爵 | 勲功 | 近江彦根藩士 | 明治40年9月21日 | 日露戦争時、第1戦隊司令官。海軍大将 |
水野忠敬 (みずの ただのり) |
子爵 | 武家 | 上総菊間藩5000石 | 明治17年7月8日 | |
水野忠愛 (みずの ただよし) |
子爵 | 武家 | 下総結城藩1万8000石 | 明治17年7月8日 | |
水野忠弘 (みずの ただひろ) |
子爵 | 武家 | 近江朝日山藩5万石 | 明治17年7月8日 | |
水野忠順 (みずの ただより) |
子爵 | 武家 | 上総鶴牧藩1万5000石 | 明治17年7月8日 | |
水野忠幹 (みずの ただもと) |
男爵 | 武家 | 紀伊新宮藩3万5000石 | 明治17年7月8日 | 紀伊徳川家附家老 |
溝口直正 (みぞぐち なおまさ) |
伯爵 | 武家 | 越後新発田藩10万石 | 明治17年7月7日 | |
三井高棟 (みつい たかみね) |
男爵 | 勲功 | 宇多源氏佐々木氏支流三井家 | 明治29年6月9日 | 三井惣領家 諸事業を興した功で爵位を賜る |
三井高弘 (みつい たかひろ) |
男爵 | 勲功 | 宇多源氏佐々木氏支流三井分家 | 明治44年8月25日 | 三井南家 |
三井高保 (みつい たかやす) |
男爵 | 勲功 | 宇多源氏佐々木氏支流三井家分家 | 大正4年12月1日 | 三井室町家 |
箕作麟祥 (みつくり りんしょう) |
男爵 | 勲功 | 江戸箕作家 | 明治30年12月1日 | 司法次官・行政裁判所長官等を歴任 |
水無瀬忠輔 (みなせ ただすけ) |
子爵 | 公家 | 水無瀬家嫡流631石 | 明治17年7月8日 | |
南光利 (みなみ みつとし) |
男爵 | 公家 | 日野家支流広橋家分家26石 | 明治17年7月8日 | 貴族院男爵議員 |
南岩倉具威 (みなみいわくら ともたけ) |
男爵 | 公家 | 岩倉公爵家分家 | 明治17年7月8日 | |
壬生基修 (みぶ もとおさ) |
伯爵 | 公家 | 中御門流持明院家支流130石 | 明治24年4月23日 | 明治17年7月8日子爵→伯爵 |
壬生桄夫 (みぶ こうふ) |
男爵 | 公家 | 官務100石 | 明治17年7月8日 | |
三室戸雄光 (みむろど たけみつ) |
子爵 | 公家 | 日野流柳原家分家130石 | 明治17年7月8日 | |
水谷川忠起 (みやがわ ただおき) |
男爵 | 公家 | 近衛流摂関家支流 | 明治17年7月8日 | |
三宅康寧 (みやけ やすなが) |
子爵 | 武家 | 三河田原藩1万2000石 | 明治17年7月8日 | |
宮成公矩 (みやなり きみつね) |
男爵 | 神官 | 宇佐神宮神職 | 明治17年7月8日 | 昭和11年9月爵位返上し、昭和14年3月姓を宇佐に戻した |
宮原二郎 (みやはら じろう) |
男爵 | 勲功 | 武蔵国 | 明治40年9月21日 | 海軍機関中将で日露戦争に功 |
三好重臣 (みよし しげおみ) |
子爵 | 勲功 | 長州藩士 | 明治17年7月7日 | 戊辰・西南戦争に出征。陸軍中将 |
三好成行 (みよし なりゆき) |
男爵 | 勲功 | 長州藩士 | 明治40年9月21日 | 幕末、四国艦隊と交戦。西南・日清・日露戦争に功。陸軍中将 |
む
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
向山慎吉 (むかいやま しんきち) |
男爵 | 勲功 | 幕府・旗本 | 明治40年9月21日 | 海軍中将に進み、西南・日清・日露戦争に出征 |
武者小路実世 (むしゃのこうじ さねよ) |
子爵 | 公家 | 閑院流三条家庶流三条西支流130石 | 明治17年7月8日 | 二男の実篤は、白樺派の作家として有名 |
陸奥宗光 (むつ むねみつ) |
伯爵 | 勲功 | 紀州藩士 | 明治28年8月20日 | 明治27年8月29日子爵→伯爵。農商務・外務各大臣等歴任。昭和22年2月に孫陽之助は爵位を返上 |
武藤信義 (むとう のぶよし) |
男爵 | 勲功 | 肥前佐賀藩士 | 昭和8年7月27日 | 元帥陸軍大将に進み、日清・日露・シベリア出兵に功。没後女戸主となり栄典喪失 |
村井長八郎 (むらい ちょうはちろう) |
男爵 | 武家 | 加賀藩家老1万9500石 | 明治33年5月9日 | |
村上敬次郎 (むらかみ けいじろう) |
男爵 | 勲功 | 安芸国 | 明治40年9月21日 | 海軍主計総監に進み、海軍関係法律整備、日露戦争の功。昭和9年12月子隆吉没後女戸主となり栄典喪失 |
村木雅美 (むらき まさみ) |
男爵 | 勲功 | 土佐国 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、日清・日露戦争の功。昭和20年9月子雅枝没後に襲爵手続きせず |
村田経芳 (むらた つねよし) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治29年6月5日 | 陸軍少将。村田銃と称される小銃の改良をした |
室町公康 (むろまち きんやす) |
伯爵 | 公家 | 閑院流西園寺家一門200石 | 明治17年7月7日 |
め
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
目賀田種太郎 (めがた たねたろう) |
男爵 | 勲功 | 東京都 | 明治40年9月28日 |
も
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
毛利元徳 (もうり もとのり) |
公爵 | 武家 | 周防山口藩36万9千石 | 明治17年7月7日 | 周防山口藩主・明治維新の原動力となった。 |
毛利高範 (もうり たかのり) |
子爵 | 武家 | 豊後佐伯藩2万石 | 明治17年7月8日 | |
毛利元功 (もうり もといさ) |
子爵 | 武家 | 周防徳山藩4万10石 | 明治17年7月8日 | |
毛利元忠 (もうり もとただ) |
子爵 | 武家 | 長門清末藩1万石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
毛利元敏 (もうり もととし) |
子爵 | 武家 | 長門長府藩5万石 | 明治17年7月8日 | |
毛利五郎 (もうり ごろう) |
男爵 | 武家 | 山口毛利公爵家分家 | 明治25年3月16日 | |
毛利重輔 (もうり じゅうすけ) |
男爵 | 武家 | 山口毛利家一門 | 明治33年5月9日 | 鉄道技術者・日本鉄道会社副社長 |
毛利祥久 (もうり よしひさ) |
男爵 | 武家 | 山口毛利家一門 | 明治30年10月27日 | |
餅原平二 (もちはら へいじ) |
男爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治40年9月21日 | 海軍中将。西南・日清・日露戦争に出征 |
元田永孚 (もとだ ながさね) |
男爵 | 勲功 | 熊本藩士 | 明治24年1月24日 | 明治天皇に近侍。皇后宮大夫等を歴任 |
本野一郎 (もとの いちろう) |
子爵 | 勲功 | 佐賀藩 | 大正5年7月14日 | 明治40年9月14日男爵→子爵。外務大臣 |
森有礼 (もり ありのり) |
子爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治20年5月9日 | 初代文部大臣 |
森忠儀 (もり ただよし) |
子爵 | 武家 | 播磨赤穂藩2万石 | 明治17年7月8日 | 織田信長の側近・森蘭丸の血統 |
森長祥 (もり ながさち) |
子爵 | 武家 | 播磨三日月藩1万5千石 | 明治17年7月8日 | |
森岡昌純 (もりおか まさずみ) |
男爵 | 勲功 | 薩摩国 | 明治31年3月26日 | 海運業発展に功績。共同運輸会社・日本郵船会社各社長 |
森川恒 (もりかわ ひさし) |
子爵 | 武家 | 下総生実藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
森村市左衛門 (もりむら いちざえもん) |
男爵 | 勲功 | 東京都 | 大正4年12月1日 | 日本銀行理事をつとめるなど、実業界に功 |
や行
編集や
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
柳生俊郎 (やぎゅう としろう) |
子爵 | 武家 | 大和柳生藩1万石 | 明治17年7月8日 | 柳生新陰流宗家、将軍家剣術指南役 |
八代六郎 (やしろ ろくろう) |
男爵 | 勲功 | 尾張国丹羽郡楽田村(犬山市)の地主 | 大正5年7月14日 | 海軍大将に進み、日清・日露戦争で功 |
安川敬一郎 (やすかわ けいいちろう) |
男爵 | 勲功 | 福岡藩 | 大正9年1月13日 | 各種学校・会社設立、経済発展に功績。昭和9年11月没後に襲爵手続きせず |
安場保和 (やすば やすかず) |
男爵 | 勲功 | 熊本藩 | 明治29年6月5日 | 県知事・元老院議官等歴任、戊辰戦争で功 |
柳沢保申 (やなぎさわ やすのぶ) |
伯爵 | 武家 | 大和郡山藩15万1288石 | 明治17年7月7日 | |
柳沢徳忠 (やなぎさわ のりただ) |
子爵 | 武家 | 越後三日市藩1万石 | 明治17年7月8日 | |
柳沢光邦 (やなぎさわ みつくに) |
子爵 | 武家 | 越後黒川藩1万石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
柳原前光 (やなぎわら さきみつ) |
伯爵 | 公家 | 日野家支流202石 | 明治17年7月7日 | |
藪篤麿 (やぶ あつまろ) |
子爵 | 公家 | 藤原南家150石 | 明治17年7月8日 | 昭和11年、旧姓・高倉に復姓。 |
矢吹秀一 (やぶき ひでかず) |
男爵 | 勲功 | 東京都 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、西南・日清・日露戦争で功 |
山内豊誠 (やまうち とよしげ) |
子爵 | 武家 | 土佐高知新田藩1万3000石 | 明治17年7月8日 | |
山内豊静 (やまうち とよしず) |
男爵 | 武家 | 山内侯爵家一門 | 明治39年12月15日 | |
山内豊尹 (やまうち とよただ) |
子爵 | 武家 | 山内侯爵家一門 | 明治24年4月23日 | 明治17年7月8日男爵→子爵 |
山内豊積 (やまうち とよつみ) |
男爵 | 武家 | 山内侯爵家一門・1500石 | 明治22年3月2日 | |
山内豊範 (やまうち とよのり) |
侯爵 | 武家 | 土佐高知藩49万4千石 | 明治17年7月7日 | |
山尾庸三 (やまお ようぞう) |
子爵 | 勲功 | 周防国吉敷郡二島村 | 明治20年5月24日 | 工部卿・宮中顧問官等歴任、工業界発展に功績 |
山岡鉄太郎 (やまおか てつたろう) |
子爵 | 勲功 | 江戸・旗本 | 明治20年5月24日 | 侍従・宮内大書記官等歴任。昭和18年5月孫鉄雄没後女戸主となり栄典喪失 |
山県有朋 (やまがた ありとも) |
公爵 | 勲功 | 長州藩蔵元付中間 | 明治40年9月21日 | 明治17年7月7日伯爵→侯爵→公爵。元帥陸軍大将、内閣総理大臣 |
山県有光 (やまがた ありみつ) |
男爵 | 勲功 | 長州藩蔵元付中間 | 大正11年2月1日 | 山縣公爵家分家。外祖父、山縣有朋の功 |
山川健次郎 (やまかわ けんじろう) |
男爵 | 勲功 | 会津藩家老 | 大正4年12月1日 | 東京大学総長をつとめる。昭和18年3月子洵没後に後継者を欠く |
山川浩 (やまかわ ひろし) |
男爵 | 勲功 | 会津藩家老 | 明治31年1月26日 | 陸軍少将に進み、佐賀の乱・西南戦争に出征 |
山口弘達 (やまぐち ひろよし) |
子爵 | 武家 | 常陸牛久藩1万17石 | 明治17年7月8日 | |
山口正定 (やまぐち まささだ) |
男爵 | 勲功 | 水戸藩 | 明治29年6月5日 | 維新の功、侍従長・宮内大書記官等歴任 |
山口素臣 (やまぐち もとおみ) |
子爵 | 勲功 | 長州藩 | 明治37年8月5日 | 明治28年8月20日男爵→子爵。陸軍大将 |
山崎治敏 (やまざき はるとし) |
男爵 | 武家 | 交代寄合5000石 | 明治17年7月8日 | |
山沢静吾 (やまさわ せいご) |
男爵 | 勲功 | 薩摩藩 | 明治28年12月4日 | 陸軍中将に進み、薩英戦争・戊辰戦争・日清戦争に出征 |
山下源太郎 (やました げんたろう) |
男爵 | 勲功 | 出羽米沢藩士 | 昭和3年11月10日 | 海軍大将に進み、日清・日露戦争に出征 |
山科言縄 (やましな ときなお) |
伯爵 | 公家 | 四条家支流300石 | 明治17年7月7日 | |
山階芳麿 (やましな よしまろ) |
侯爵 | 皇族 | 山階宮家 | 大正9年7月24日 | 山階宮菊麿王の二男 |
山田顕義 (やまだ あきよし) |
伯爵 | 勲功 | 長州藩士大組士・藩海軍頭102石 | 明治17年7月7日 | 維新の功、陸軍中将・初代司法大臣等歴任 |
山田信道 (やまだ のぶみち) |
男爵 | 勲功 | 熊本藩士 | 明治29年6月5日 | 維新の功、県知事・農商務大臣等歴任。昭和10年11月子東三郎没後女戸主となり栄典喪失 |
山地元治 (やまぢ もとはる) |
子爵 | 勲功 | 土佐国 | 明治28年8月20日 | 明治20年5月24日男爵→子爵。戊辰・日清戦争の功、陸軍中将 |
山名義路 (やまな よしみち) |
男爵 | 武家 | 但馬村岡藩1万1000石 | 明治17年7月8日 | 交代寄合但馬国村岡6700石 守護大名・山名氏の末裔 |
山中信儀 (やまなか のぶよし) |
男爵 | 勲功 | 長門国 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、西南・日清・日露戦争で功 |
山根武亮 (やまね たけすけ) |
男爵 | 勲功 | 長門国 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、西南戦争に出征 |
山根信成 (やまね のぶなり) |
男爵 | 勲功 | 長門国 | 明治28年10月1日 | 日清戦争の功により臨終に際して叙爵 |
山井兼文 (やまのい かねふみ) |
子爵 | 公家 | 水無瀬流30石3人扶持 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
山内長人 (やまのうち おさひと) |
男爵 | 勲功 | 江戸 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将に進み、西南戦争で功 |
山内万寿治 (やまのうち ますじ) |
男爵 | 勲功 | 肥後国 | 明治40年9月21日 | 海軍中将に進み、造船技術向上に功績。昭和16年9月養子志郎没後女戸主となり栄典喪失 |
山本権兵衛 (やまもと ごんべえ) |
伯爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治40年9月21日 | 明治35年2月27日男爵→伯爵。内閣総理大臣、海軍大将 |
山本実庸 (やまもと さねもち) |
子爵 | 公家 | 閑院流阿野支流175石 | 明治17年7月8日 | 貴族院子爵議員 |
山本達雄 (やまもと たつお) |
男爵 | 勲功 | 豊後臼杵藩士 | 大正9年9月7日 | 日銀理事を経て総裁 |
山本信成 (やまもと のぶなり) |
男爵 | 勲功 | 長門国 | 明治40年10月2日 | 父信行の日露戦争の功により叙爵 |
ゆ
編集叙爵者 (名前の読み) |
爵位 | 種別 | 出自 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
湯浅倉平 (ゆあさ くらへい) |
男爵 | 勲功 | 福島県 (山口県) |
昭和15年12月24日 | 宮内大臣、内大臣などを歴任。死亡日付けで叙爵、死後未亡人が女戸主となったため直ちに爵位を返上。 |
由利公正 (ゆり きみまさ) |
子爵 | 勲功 | 福井藩士 | 明治20年5月24日 | 維新後参与職・会計事務局判事を歴任 |
よ
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
横田国臣 (よこた くにおみ) |
男爵 | 勲功 | 長崎県 | 大正4年12月1日 | 東京控訴院検事長・検事総長等を歴任 |
横山隆平 (よこやま りゅうへい) |
男爵 | 武家 | 加賀藩家老3万石 | 明治33年5月9日 | |
吉井友実 (よしい ともざね) |
伯爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治17年7月17日 | 戊辰戦争で功を挙げた |
吉井信宝 (よしい のぶよし) |
子爵 | 武家 | 上野矢田藩1万石 近衛流摂関家鷹司家分家 |
明治17年7月8日 | 鷹司松平家 |
芳川顕正 (よしかわ あきまさ) |
伯爵 | 勲功 | 徳島藩士 | 明治40年9月21日 | 明治29年6月5日子爵→伯爵 |
吉田清成 (よしだ きよなり) |
子爵 | 勲功 | 薩摩藩士 | 明治20年5月9日 | 大蔵少輔・駐米公使等を歴任 |
吉田良義 (よしだ なかよし) |
子爵 | 公家 | 卜部氏760石 | 明治17年7月8日 | 参与・神祇事務局補・吉田神社宮司・日枝神社宮司などを歴任 |
米津政敏 (よねきつ まさとし) |
子爵 | 武家 | 常陸龍ヶ崎藩1万1000石 | 明治17年7月8日 | |
米倉昌言 (よねくら まさこと) |
子爵 | 武家 | 武蔵金沢六浦藩1万2000石 | 明治17年7月8日 | 昭和12年2月子昌臧の養子昌達没後女戸主となり栄典喪失 |
ら行
編集ら
編集り
編集る
編集れ
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
冷泉為柔 (れいぜい ためとう) |
子爵 | 公家 | 御子左家150石 | 明治17年7月8日 | |
冷泉為紀 (れいぜい ためもと) |
伯爵 | 公家 | 御子左家300石 | 明治17年7月7日 | 藤原定家直系の歌道の宗家 |
ろ
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
六郷政鑑 (ろくごう まさあきら) |
子爵 | 武家 | 出羽本荘藩2万20石 | 明治17年7月8日 | 昭和16年7月に孫白雨は爵位を返上 |
六条有熙 (ろくじょう ありさと) |
子爵 | 公家 | 村上源氏265石 | 明治17年7月8日 | |
六角博通 (ろっかく ひろみち) |
子爵 | 公家 | 松木分家園支流30石 | 明治17年7月8日 |
わ行
編集わ
編集叙爵者(名前の読み) | 爵位 | 種別 | 出自 | 叙爵日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
若槻礼次郎 (わかつき れいじろう) |
男爵 | 勲功 | 出雲松江藩士 | 昭和6年4月11日 | 大蔵大臣・総理大臣等を歴任 |
脇坂安斐 (わきさか やすあや) |
子爵 | 武家 | 播磨龍野藩5万1089石 | 明治17年7月8日 | |
分部光謙 (わけべ みつのり) |
子爵 | 武家 | 近江大溝藩2万石 | 明治17年7月8日 | 明治35年7月爵位返上 |
鷲尾隆聚 (わしお たかあつ) |
伯爵 | 公家 | 四条流180石 | 明治17年7月7日 | 幕末期、高野山挙兵に参加 |
鷲尾隆順 (わしお たかよし) |
男爵 | 公家 | 鷲尾伯爵家分家 | 明治17年7月8日 | |
渡辺章綱 (わたなべ あきつな) |
子爵 | 武家 | 和泉伯太藩1万3520石 | 明治17年7月8日 | |
渡辺章 (わたなべ あきら) |
男爵 | 勲功 | 長州藩 | 明治40年9月21日 | 陸軍中将、西南・日清・日露戦争の功。昭和9年5月没後女戸主となり栄典喪失 |
渡辺清 (わたなべ きよし) |
男爵 | 勲功 | 肥前大村藩士 | 明治20年5月24日 | 幕末の勤王の志士として藩論を尊王に統一 |
渡辺国武 (わたなべ くにたけ) |
子爵 | 勲功 | 信濃諏訪・高島藩士 | 明治28年8月20日 | 蔵相・逓信相等を歴任 |
渡辺千秋 (わたなべ ちあき) |
伯爵 | 勲功 | 信濃諏訪・高島藩士 | 明治44年4月21日 | 明治33年5月9日男爵→子爵→伯爵 |
渡辺昇 (わたなべ のぼり) |
子爵 | 勲功 | 肥前大村藩士 | 明治20年5月9日 | 渡辺清の弟。昭和19年7月孫の武治戦死後、襲爵手続きせず |
渡辺綱聰 (わたなべ つなさと) |
男爵 | 武家 | 名古屋藩家老・三河寺部領1万4000石 | 明治33年5月9日 | 渡辺半蔵家、徳川十六神将・渡辺守綱の後裔 |