平野長祥

日本の明治時代初期~昭和時代前期の男爵・政治家・実業家。大和田原本藩主平野長裕長男で、旧交代寄合表御礼衆平野氏11代当主

平野 長祥(ひらの ながよし、1870年1月4日明治2年12月3日[1][2])- 1934年昭和9年)5月7日[1][3])は、明治から昭和戦前期の政治家華族貴族院議員、男爵。幼名・亀松丸[1]

平野長祥

経歴

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大和田原本藩藩主平野長裕の長男として生まれた[1][4]。父が明治5年(1872年)に28歳で没したため同年8月18日(新暦9月20日)家督を継ぎ[1][2]1884年(明治17年)7月8日に男爵を叙爵した[1][4][5]学習院を卒業し、東京海上保険加島銀行に勤務ののち、富山護王銀行の専務、有隣生命保険取締役[6]となった。

1897年(明治30年)7月10日、貴族院議員となり[4][7]1919年(大正8年)男爵議員により結成された院内会派公正会の設立時の幹事長9名のうちの1人となった。1925年(大正14年)7月9日、任期満了で貴族院議員を退任[3]。1929年(昭和4年)12月7日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[8]、公正会に所属し死去するまで在任した[3]

親族

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栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『平成新修旧華族家系大成 下巻』419頁。
  2. ^ a b 『人事興信録 第4版』ひ36頁。
  3. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』82頁。
  4. ^ a b c 『大日本華族大鑑』273頁。
  5. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  6. ^ 『人事興信録 第8版』ヒ48頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、8頁。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、38頁。
  9. ^ 『官報』第3746号「叙任及辞令」1895年12月21日。
  10. ^ 『官報』第1930号「叙任及辞令」1919年1月11日。

参考文献

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  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
叙爵
男爵
田原本平野家初代
1884年 - 1934年
次代
平野長克
当主
先代
平野長裕
田原本平野家
1872年 - 1934年
次代
平野長克