関 博直(關、せき ひろなお、1854年7月10日安政元年6月16日[1]〉 - 1923年大正12年〉4月26日[1][2])は、明治から大正期の政治家華族貴族院子爵議員。旧姓・万里小路[1]

関博直

経歴

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山城国京都侍従万里小路博房の三男として生まれる[1][3][注 1]1877年(明治10年)11月5日、旧備中新見藩主家当主・関亭以(関長克夫人、関長道長女)の婿養子となり、同年11月27日に家督を継承[1][4]1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[1][3][4][5]

1879年(明治12年)東京府芝区会議員に選出され、その後、東京府会議員などを務めた[2][3]

1890年(明治23年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され、1897年(明治30年)7月9日まで在任[2]。さらに、1907年(明治40年)12月7日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]1911年(明治44年)7月10日まで通算二期在任した[2]

著作

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親族

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  • 先妻:天留(てる、関長道五女、関長克養女)[1]
  • 後妻:留(とめ、沖佐太郎二女、離縁)[1]
  • 二男:長剛(子爵[1][3]
  • 四男:森俊成(旧名・訥郎、貴族院子爵議員、森長祥養子)[1][3]
  • 六男:長博(旧名・冬木、子爵)[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『大日本華族大鑑』281頁では二男。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 『平成新修旧華族家系大成 上巻』782頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』45頁。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録 第6版』せ11頁。
  4. ^ a b 『大日本華族大鑑』281頁。
  5. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、16頁。
  7. ^ 『官報』第7335号、明治40年12月9日。

参考文献

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  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
新見関家初代
1884年 - 1923年
次代
関長剛