舟橋遂賢
明治から大正期の宮内官、政治家、華族
舟橋 遂賢(ふなばし[1] / ふなはし[2] なるかた、1865年7月29日(慶応元年6月7日[2])- 1924年(大正13年)1月22日[1][2][注 1])は、明治から大正期の宮内官、政治家、華族。貴族院子爵議員。
経歴
編集山城国京都で少納言・舟橋康賢の二男として生まれる[2][3][4]。父の死去に伴い1880年(明治13年)1月16日、家督を相続[2]。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[5]。
1882年(明治15年)以降、京都宮殿勤番、殿掌などを務めた[2][3][4]。1889年(明治22年)東京専門学校邦語政治科卒業[6]。1890年(明治23年)7月10月、貴族院子爵議員に選出され[1]、死去するまで在任した[1][7]。
栄典
編集親族
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 『大正過去帳』294頁では1月23日。
出典
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録』第6版、1921年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 舟橋家初代 1884年 - 1924年 |
次代 舟橋清賢 |