高倉永則
日本の陸軍軍人、有職家、政治家
高倉 永則(たかくら ながつね、1864年5月16日(元治元年4月11日[1])- 1947年(昭和22年)7月18日[1][2])は、明治から昭和前期の陸軍軍人・有職家[3]・政治家。最終階級は陸軍歩兵大佐。貴族院子爵議員。
経歴
編集山城国京都で侍従・高倉永祜の長男として生まれる[1][4]。慶応4年(1868年)父の死去に伴い家督を相続。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[5]。
陸軍士官学校(旧10期)に入り[6]、1888年(明治21年)7月28日、歩兵少尉に任官[7]。以後、歩兵第20連隊小隊長、同大隊副官、同中隊長、歩兵第39連隊大隊長、京都連隊区司令官などを歴任[2]。1914年(大正3年)1月20日、歩兵大佐に昇進[7]。1916年(大正5年)11月15日に待命となり[8]、1917年(大正6年)4月1日、予備役に編入された[9]。
1920年(大正9年)1月17日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[10][11]、研究会に所属して活動し1932年(昭和7年)7月9日まで2期在任した[2]。その他、大礼使典儀官、大喪使祭官、大礼事務嘱託(衣文奉仕)などを歴任[2][3]。また、華族会館京都分館長、一徳会会長、小楠公会会長、大日本武徳会本部理事などを務めた[3][4]。
栄典
編集親族
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l 『平成新修旧華族家系大成 下巻』10-11頁。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』46頁。
- ^ a b c 『神道人名辞典』183頁。
- ^ a b 『人事興信録 第14版 下』タ103頁。
- ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
- ^ 『陸軍士官学校』230頁。
- ^ a b 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正3年7月1日調』84頁。
- ^ 『官報』第1288号、大正5年11月16日。
- ^ 『官報』第1398号、大正6年4月2日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、29頁。
- ^ 『官報』第2235号、大正9年1月19日。
- ^ 『官報』第3301号「叙任及辞令」1894年7月2日。
- ^ 『官報』第4045号「叙任及辞令」1940年7月2日。
参考文献
編集- 陸軍省編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正3年7月1日調』陸軍省等、1914年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年。
- 『神道人名辞典』神社新報社、1986年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
ギャラリー
編集-
高倉永則
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大正天皇即位大礼の典儀官時の高倉永則(1915年)
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 高倉家初代 1884年 - 1946年 |
次代 高倉永輝 |