堀親篤

明治から大正期の銀行家、政治家、華族

堀 親篤(ほり ちかあつ、1863年8月1日(文久3年6月17日[1])- 1928年昭和3年)1月22日[1][2])は、明治から大正期の銀行家、政治家華族貴族院子爵議員。旧姓・細川、旧名・貫通[1][3]

堀親篤
ほり ちかあつ
生年月日 1863年8月1日
没年月日 (1928-01-22) 1928年1月22日(64歳没)
前職 賢所勤番
現職 千代田貯蓄銀行頭取
千代田銀行専務取締役
配偶者 堀喜子

在任期間 1892年6月25日 - 1897年7月9日

在任期間 1899年2月 - 1900年8月
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経歴

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常陸谷田部藩主・細川興貫の二男として生まれる[1][3][4]1878年(明治11年)8月26日、旧信濃飯田藩主・堀親義の養子となり、同年10月5日、養父の隠居に伴い家督を継承[1][3][4]1880年(明治13年)9月、親篤に改名[3][4]1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[5]

1885年(明治18年)賢所勤番となる[2]1892年(明治25年)6月25日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]1897年(明治30年)7月9日まで1期在任した[2]。その他、東京市浅草区長、千代田銀行専務取締役、千代田貯蓄銀行頭取などを務めた[4]

1908年(明治41年)5月26日に隠居し[1][注 1]1914年(大正3年)8月10日に分家した[1]

親族

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  • 妻:喜子(よしこ、先々代・堀親広二女、離縁)[1]
  • 長男:秀孝(1892年生、子爵、陸軍歩兵中尉。妻の鋭子は子爵仙石政敬の二女)[1][8]

脚注

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注釈

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  1. ^ 隠居届出は6月25日。『官報』第7500号、明治41年6月27日。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成 下巻』499-500頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』54頁。
  3. ^ a b c d 『大日本華族大鑑』39頁。
  4. ^ a b c d 『人事興信録 第2版』210頁。
  5. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、5頁。
  7. ^ 『官報』第2699号、明治25年6月28日。
  8. ^ 堀秀孝『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第2版』人事興信所、1908年。
  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
飯田堀家初代
1884年 - 1908年
次代
堀秀孝
当主
先代
堀親義
飯田藩堀家
1878年 - 1908年
次代
堀秀孝