堀直明
(奥田直明から転送)
堀 直明(ほり なおあきら)は、江戸時代末期の大名。信濃須坂藩の第14代(最後)の藩主。信濃須坂堀家14代。
堀直明 | |
時代 | 江戸時代末期(幕末) - 明治時代 |
生誕 | 天保10年9月3日(1839年10月9日) |
死没 | 明治18年(1885年)9月18日 |
改名 | 恭若、恭之進(幼名)→堀直登→堀直明→奥田直明 |
別名 | 直弘 |
墓所 | 東京都台東区の谷中墓地 |
官位 | 従五位下、長門守 |
藩 | 信濃国須坂藩主 |
氏族 | 堀氏→奥田家 |
父母 | 父:堀直格、養父:堀直虎 |
兄弟 | 直武、水野直章、直正、直虎、直明、直徴 |
妻 | 喬子(山名義問の娘) |
子 | 奥田直恭 |
生涯
編集天保10年(1839年)9月3日、第11代藩主・堀直格の六男として江戸で生まれる。母は側室で、先々代直武や先代直虎は異母兄にあたる。慶応4年(1868年)1月に直虎が江戸城内で自害し、同年5月24日に養子として跡を継いだ。直明は直虎とは180度方針を転換して、戊辰戦争では早々に新政府側に与して宇都宮、北越、会津に出兵し、信濃の諸藩では突出した数の藩士を送り込んだ。この功績を評価され、新政府から賞典禄として5000石を下賜された。明治2年(1869年)6月の版籍奉還で知藩事となり、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免官となる。
明治10年(1877年)2月13日、元来の姓であった奥田姓に復姓する(須坂藩の祖である堀直政は、もと奥田氏であった)。明治17年(1884年)7月8日に子爵となる。明治18年(1885年)9月18日[1]に東京で死去した。享年48。
家族
編集父母
妻
- 山名喬子 ー 山名義問の娘
子女
脚注
編集- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、365-366頁。
参考文献
編集- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 (須坂)奥田家初代 1884年 - 1885年 |
次代 奥田直恭 |