伊達 宗倫(だて むねとも[1]1872年10月7日(明治5年9月5日[1] - 1892年(明治25年)10月11日[1])は、明治時代の男爵伊達宗城の八男で宇和島藩伊達家分家当主。東京府宿所生まれ[要出典]。幼名・経丸[1]

幼少より新銭座慶應義塾に入学[要出典]1889年(明治22年)に分家を創立して、1892年(明治25年)5月30日に父の功により男爵を叙爵[2]。同年6月1日、宗倫と改名した[3]。通称は「伊達従五位」で、伊達家一門より呼ばれていた名前である[要出典]。同年10月11日に死去した。享年22。

弟の伊達宗曜が養嗣子として跡を継いだ。

脚注

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  1. ^ a b c d 『平成新修旧華族家系大成』下巻、62頁。
  2. ^ 『官報』第2675号、明治25年5月31日。
  3. ^ 『官報』第2677号、明治25年6月2日。

参考文献

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日本の爵位
先代
叙爵
男爵
宇和島伊達家(分家)初代
1892年
次代
伊達宗曜