東三条実敏
東三条 実敏(東三條、ひがしさんじょう さねとし、1883年5月5日 - 1935年3月13日[1])は、明治から昭和期にかけての華族。正四位、男爵。
経歴
編集太政大臣などを務めた三条実美の養嗣子三条公恭の長男として生まれた。1886年、浪費癖などにより公恭が廃嫡処分となったため、実美の実子で分家の東三条家を興していた公美が三条家の嗣子となった。このため、実敏は公美の養嗣子になって東三条家を継ぎ、幼いながらも襲爵した。実父公恭は東三条家の厄介となったが、後に平民籍に編入されている。1908年、明治大学法律科卒業。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録』初版、1903年。
- 霞会館『平成新修旧華族家系大成』 下巻、吉川弘文館、1996年。
- 松田敬之『次男坊たちの江戸時代:公家社会の〈厄介者〉』吉川弘文館、2008年。
日本の爵位 | ||
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先代 東三条公美 |
男爵 東三条家第2代 1886年 - 1933年 |
次代 東三条公博 |