幕末の人物一覧
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幕末の人物一覧(ばくまつのじんぶついちらん)
幕末に活躍した人物の一覧。幕末の期間には明確な定義はないが、原則としてペリーアメリカ軍の黒船来航の1853年(嘉永6年)から1867年(慶応3年)の大政奉還まで活躍していた人物。
朝廷
編集- 天皇
- 皇族
- 関白
- 鷹司政通(1823年 - 1856年):開国派から攘夷派へ転向。これが幕府の怒りに触れ、出家させられる。
- 九条尚忠(1856年 - 1862年):幕府との協調路線を推進。攘夷派から糾弾されて、謹慎を命じられた。
- 近衛忠熙(1862年 - 1863年):国事御用掛。安政の大獄により一度失脚し、後関白となるが攘夷派の台頭により関白を辞した。
- 鷹司輔熙(1863年1月 - 12月):国事御用掛。安政の大獄により一度失脚し、後関白となるが、攘夷派寄りの姿勢を見せたため関白を免ぜられた。
- 二条斉敬(1863年 - 1866年):国事御用掛。公武合体派で孝明天皇の信頼も厚かったが、王政復古の大号令により、摂関は廃止された。
- 安政5年(1858年)に日米修好通商条約締結の勅許に反対し、幕府より処罰された八十八卿の主な者。多くは後に復帰し、国事御用掛などに登用された。
- 文久3年八月十八日の政変で追放された七卿
- 上記以外で国事御用掛に登用されたもの
- その他
幕府
編集- 将軍
- 大老
- 老中・若年寄
- 阿部正弘:老中首座として日米和親条約を締結、鎖国に終止符を打つ。この際外部に意見を求めたことが、結果としては幕府の威信の低下を招いた。
- 牧野忠雅:老中次席・海防掛担当。阿部と歩調を合わせる。
- 内藤信親:11年に渡って老中を務めるが、公武合体の失敗などの責任を問われ、辞職する。
- 堀田正睦:阿部正弘の次の老中首座、外国掛老中を兼ねた。日米修好通商条約調印の勅許を得ようとするが失敗、一橋派とされたため、条約調印後に井伊直弼に解任された。
- 松平忠固:堀田と並ぶ開国派老中。日米修好通商条約締結に際しては、政権を握っているのは幕府であるとして勅許不要論を唱えた。堀田と同時に解任された。
- 松平乗全:阿部のもとで老中となる。松平忠固と歩調を合わせ、開国和親を唱えたため、徳川斉昭の怒りに触れ、罷免される。井伊直弼のもとで再び老中に就任する。
- 脇坂安宅:外国御用取扱。元京都所司代。日米修好通商条約調印の許しを得るため上洛するが、失敗する。
- 太田資始:既に隠居の身であったが、井伊直弼により老中に任じられる。安政の大獄で、水戸藩に関する処分を巡り井伊と対立し、罷免される。
- 間部詮勝:外国御用取扱。井伊直弼と共に外交問題や、安政の大獄に奔走し、「井伊の赤鬼」と並び「間部の青鬼」と呼ばれる。上洛して梅田雲浜ら志士の逮捕に尽力するが、帰府してから井伊と対立し、罷免される。
- 安藤信正:井伊直弼が暗殺された後、久世広周と共に幕政を取り仕切る。有能な老中であったが、坂下門外の変を機に失脚。
- 久世広周:阿部正弘のもとで老中となるが、大老井伊直弼が安政の大獄を開始するとこれに反発して辞職する。井伊が暗殺された後、老中首座となり安藤信正と共に公武合体政策を推進。信正との連座する形で罷免された。
- 小笠原長行:生麦事件の早期解決のため、将軍の了解を得ず賠償金を支払う。長州征伐では敗北。戊辰戦争では徹底抗戦を唱え、箱館戦争に加わる。
- 水野忠精:横須賀造船所の建設を推進した。
- 板倉勝静:徳川慶喜の信任が厚く、大政奉還の実現にも尽力。戊辰戦争では小笠原長行と共に奥羽越列藩同盟の参謀となって箱館戦争まで戦った。
- 松前崇広:阿部正外とともに独断で兵庫開港を決定するが、これが朝廷の怒りに触れて罷免され、謹慎させられる。
- 阿部正外:かつては旗本で、神奈川奉行として生麦事件の対応に当たった。のちに大名となり、老中に就任する。将軍家茂に代わり松平宗秀とともに上洛して朝廷と交渉するが、叱責されて帰府する。松前崇広とともに独断で兵庫開港を決定したため、朝廷の怒りに触れて罷免され、謹慎させられる。
- 松平宗秀:大老井伊直弼のもとで寺社奉行として安政の大獄に関わる。のちに老中となり、阿部正外とともに上洛して朝廷と交渉するが、叱責されて帰府する。第二次長州征討では安芸広島にて幕府軍の指揮を執ったが、捕虜であった長州藩の山県半蔵・小田村伊之助を独断で釈放したことが発覚して罷免され、謹慎させられる。
- 稲葉正邦:外国御用取扱・内国事務総裁
- 稲葉正巳:陸軍奉行・海軍総裁
- 松平乗謨:陸軍奉行・陸軍総裁
- 酒井忠毗:若年寄を3度務める。英国公使オールコックから能力を評価され、その後生麦事件、下関戦争の賠償交渉を行った。
- 田沼意尊:若年寄。武田耕雲斎らを処刑した。
- 主に外交方面で活躍した幕臣
- 大久保忠寛:勝海舟を見出す。
- 戸田氏栄:浦賀奉行としてマシュー・ペリー来航時の折衝役となり、日米和親条約交渉でも全権として条約を結んだ。
- 川路聖謨:幕末の名官吏。阿部正弘に海岸防禦御用掛に任じらる。日露和親条約の交渉に力を尽くした。後に外国奉行。
- 筒井政憲:日露和親条約の交渉を行った。
- 箕作阮甫:元津山藩士。天文台翻訳員となり、ペリー来航時に米大統領国書を翻訳、長崎でロシアとの交渉も行う。蕃書調所の首席教授に任ぜられ、幕臣に取立てられた。
- 岩瀬忠震:幕末三俊。初代外国奉行の一人。開国派で日露和親条約、日米修好通商条約に関わる。が、通商条約の締結を急ぐ老中堀田正睦に押し切られて、金銀等価交換に合意し、幕末の通貨問題を招く。安政の大獄で失脚。
- 井上清直:初代外国奉行。安政の大獄で左遷されるも、復帰し軍艦奉行となり、幕府海軍拡張に尽力。
- 堀利煕:初代外国奉行。日普修好通商条約の交渉責任者だが、調印直前に切腹。
- 新見正興:外国奉行。万延元年遣米使節の正使。
- 小栗忠順:幕末三俊。外国奉行・勘定奉行・海軍奉行並・陸軍奉行並等。フランスとの関係を強化し、徳川氏を中心とした近代日本を作ろうとした。軍艦奉行として、横須賀造船所を建設した他、数多くの改革、新規事業を試みている。
- 水野忠徳:幕末三俊。通貨問題の専門家。勘定奉行・外国奉行・軍艦奉行等。
- 永井尚志:長崎海軍伝習所の総監理を務めた後、外国奉行・軍艦奉行。箱館戦争にも参加。
- 竹内保徳:外国奉行。文久遣欧使節の正使。
- 竹本正雅:外国奉行。生麦事件、下関戦争の賠償交渉を担当。
- 池田長発:外国奉行。横浜鎖港談判使節団の正使。
- 柴田剛中:外国奉行。文久遣欧使節組頭、慶応遣欧使節正使
- 栗本鋤雲:外国奉行。箱館でメルメ・カションと懇意になったことから、フランスと幕府の橋渡し役。フランス滞在中に大政奉還
- 川勝広道:横浜仏語伝習所所長。外国奉行・外国事務副総裁。
- 福澤諭吉:外国奉行支配調役。著述家、翻訳方。万延元年遣米使節、文久遣欧使節の一員
- 吉田賢輔:外国奉行支配調役
- 幕府海軍関係
- 木村芥舟:目付、軍艦奉行。万延元年遣米使節の護衛を名目として咸臨丸で渡米。
- 勝海舟:軍艦奉行並・海軍奉行並。幕末の三舟
- 矢田堀鴻:最後の海軍総裁。長崎海軍伝習所一期生。海軍一筋
- 榎本武揚:長崎海軍伝習所二期生(一期聴講生)。オランダ留学。帰国後海軍副総裁、蝦夷共和国総裁。
- 中島三郎助:浦賀奉行所与力。最初の洋式軍艦鳳凰丸建造。長崎海軍伝習所一期生。軍艦操練所教授方等
- 佐々倉桐太郎:浦賀奉行所与力。長崎海軍伝習所一期生。咸臨丸渡米の際の運用方兼砲術方。軍艦役等
- 小野友五郎:長崎海軍伝習所一期生。咸臨丸渡米の際の測量方兼運用方。国産初の蒸気軍艦千代田形設計。再渡米し東艦購入。
- 肥田浜五郎:長崎海軍伝習所二期生。咸臨丸渡米の際の蒸気方。国産初の蒸気軍艦千代田形の蒸気機関設計。横須賀造船所の工作機械をオランダで購入。
- 荒井郁之助:軍艦頭、蝦夷共和国軍艦奉行。
- 甲賀源吾:回天丸艦長、宮古湾海戦で戦死。
- 幕府陸軍関係
- 京都治安維持関係
- 戊辰戦争関係
- 大奥関係
- その他
会津藩
編集- 松平容保(会津藩主)
- 佐川官兵衛(家老)
- 西郷頼母(家老)
- 神保内蔵助(家老)
- 萱野長修(家老)
- 田中玄清(家老。土佐)
- 山川浩(家老)
- 梶原平馬(家老)
- 海老名季昌(家老)
- 手代木勝任(若年寄)
- 横山常守(若年寄)
- 林安定(奉行。権助)
- 外島機兵衛(勘定奉行)
- 井深宅右衛門(学校奉行)
- 野村左兵衛(公用方)
- 広沢安任(公用方)
- 秋月悌次郎(公用方)
- 山本覚馬(軍事取調兼大砲頭取)
- 大庭恭平(藩士)
- 神保修理(藩士)
- 柴司(藩士)
- 神戸岩蔵(藩士)
- 南摩綱紀(藩士)
- 川崎尚之助(藩士)
- 町野主水(朱雀士中4番隊頭)
- 日向内記(白虎士中2番隊頭)
- 飯沼貞吉(白虎士中2番隊士)
- 山川健次郎(白虎隊隊士)
- 小松済治(ドイツ留学生)
薩摩藩
編集- 島津斉興(薩摩藩主)
- 島津斉彬(薩摩藩主。斉興の長男)
- 島津久光(斉興の三男。忠義の父)
- 島津忠義(藩主)
- 島津久治(家老)
- 島津久宝(加治木領主)
- 調所広郷(家老)
- 小松清廉(家老。帯刀)
- 新納中三(家老)
- 村橋久成
- 種子島久尚
- 肝付兼両
- 桂久武(家老)
- 岩下方平(家老)
- 西郷隆盛(吉之助)
- 大久保利通(一蔵)
- 伊地知貞馨(堀次郎)
- 吉井友実(幸輔)
- 伊地知正治(竜右衛門)
- 伊集院兼善
- 伊集院兼寛(直右衛門)
- 伊集院五郎
- 黒田清隆(了介)
- 五代友厚(才助)
- 篠原国幹(藤十郎)
- 桐野利秋(中村半次郎)
- 村田新八
- 海江田信義(有村俊斎)
- 有村雄助
- 有村次左衛門
- 高崎正風(左太郎)
- 高崎五六(猪太郎)
- 奈良原繁(喜八郎)
- 森有礼(助五郎、金之丞)
- 西郷従道(信吾)
- 大山巌(弥助)
- 井上良馨
- 川村純義(与十郎)
- 仁礼景範(源之丞)
- 野津鎮雄(七左衛門)
- 野津道貫(七次)
- 黒木為楨(七左衛門)
- 野崎貞澄(善蔵)
- 有馬藤太
- 有馬新一
- 川路利良(正之進)
- 大山綱良(格之助)
- 益満休之助
- 大迫貞清
- 種田政明
- 池上四郎
- 永山弥一郎
- 伊東祐亨(四郎、四郎左衛門)
- 伊東祐麿
- 川上操六(宗之丞)
- 川村景明(源十郎)
- 肝付兼行
- 東郷平八郎
- 山本権兵衛
- 伊牟田尚平
- 有馬新七(藩士)
- 田中新兵衛(藩士)
- 税所篤
- 樺山資紀(覚之進)
- 樺山三円
- 中井弘
- 葛城彦一
- 山下親房
- 八田知紀
長州藩
編集- 毛利敬親(長州藩主)
- 毛利元徳(長州藩主)
- 村田清風
- 周布政之助
- 福原元僴(福原越後)
- 宍戸真澂(左馬之助)
- 長井雅楽
- 吉田松陰
- 福永喜助(喬久)
- 椋梨藤太
- 杉山松助
- 入江九一
- 吉田稔麿
- 久坂玄瑞
- 高杉晋作
- 木戸孝允(桂小五郎)
- 広沢真臣(兵助)
- 伊藤博文(俊輔)
- 山縣有朋(狂介)
- 井上馨(聞多)
- 大村益次郎(村田蔵六)
- 三吉周亮(長府藩士)
- 三吉慎蔵(長府藩士)
- 来島又兵衛
- 品川弥二郎
- 前原一誠
- 野村靖
- 乃美織江
- 根来上総
- 山田顕義
- 赤禰武人
- 三好重臣(軍太郎)
- 坪井九右衛門
- 寺島忠三郎
- 益田親施(益田越中)
- 佐々木男也
- 来原良蔵
- 浦元襄(浦靱負)
- 小幡彦七
- 村田次郎三郎
- 吉川経幹(吉川監物)
- 国司親相(国司信濃)
- 乃木希典
- 阿部宗兵衛
- 松島剛蔵
- 秋良敦之助
- 有吉熊次郎
- 飯田俊徳
- 飯田正伯
- 生田良佐
- 石川小五郎(河瀬真孝)
- 井上勝(野村弥吉)
- 太田市之進(御堀耕助)
- 岡部富太郎
- 楫取素彦(小田村文助)
- 尾寺新之丞
- 片野十郎
- 金子重之輔
- 兼重譲蔵
- 河上弥市
- 久保清太郎
- 月性
- 駒井政五郎
- 佐久間佐兵衛(赤川直次郎)
- 桜井慎平
- 清水清太郎
- 白井小助
- 白石正一郎
- 白石廉作
- 杉梅太郎
- 杉孫七郎
- 杉常道
- 世良修蔵
- 大楽源太郎
- 高杉小忠太
- 滝弥太郎
- 竹内正兵衛
- 玉木文之進
- 土屋矢之介
- 時山直八
- 所郁太郎
- 富永有隣
- 鳥尾小弥太
- 中谷正亮
- 長野熊之丞
- 中村九郎
- 楢崎弥八郎
- 野村靖
- 林友幸(半七)
- 福川犀之助
- 福田侠平
- 福原信冬(乙之進)
- 福原又四郎
- 北條瀬兵衛(伊勢華)
- 堀真五郎
- 前田孫右衛門
- 増野徳民
- 馬島甫仙
- 松浦松洞
- 三浦梧楼
- 宮崎彦助
- 毛利登人
- 山尾庸三
- 宍戸璣(山県半蔵)
- 山田宇右衛門
- 山田亦介
- 大和弥八郎
- 冷泉雅次郎
- 渡辺内蔵太
- 児玉源太郎(徳山藩)
- 神代直人
- 寺内正毅(大正期の内閣総理大臣)
土佐藩
編集- 山内容堂(土佐藩主。豊信)
- 山内豊範(土佐藩主)
- 池内蔵太
- 池田寅之進
- 石川潤次郎
- 石田英吉
- 板垣退助(乾退助)
- 乾正厚(市郎平)
- 岩崎弥太郎
- 岡田以蔵
- 岡本健三郎
- 片岡源馬
- 神山左多衛
- 北添佶摩(源五郎、本山七郎)
- 後藤象二郎
- 小南五郎
- 近藤長次郎(上杉宋次郎)
- 斎藤利行(渡辺弥久馬)
- 坂本権平
- 坂本龍馬
- 佐々木高行
- 沢村惣之丞(関雄之助)
- 下許武兵衛
- ジョン万次郎
- 新宮馬之助
- 菅野覚兵衛(千屋寅之助)
- 武市瑞山(武市半平太)
- 田中光顕(顕助)
- 谷干城
- 寺村道成(左膳)
- 中岡慎太郎
- 長岡謙吉
- 中島信行(作太郎)
- 那須信吾
- 野老山五吉郎
- 間崎哲馬
- 土方久元(楠左衛門)
- 平井収二郎
- 福岡孝茂(宮内)
- 福岡孝弟(藤次)
- 本山茂任(只一郎)
- 望月亀弥太
- 安岡金馬
- 安岡直行
- 吉田東洋
- 吉村虎太郎
佐賀藩
編集水戸藩
編集越前藩
編集熊本藩
編集和歌山藩
編集津和野藩
編集大垣藩
編集桑名藩
編集彦根藩
編集津藩
編集宇和島藩
編集岡山藩
編集広島藩
編集小倉藩
編集福岡藩
編集米沢藩
編集仙台藩
編集盛岡藩
編集長岡藩
編集二本松藩
編集宇都宮藩
編集佐倉藩
編集忍藩
編集加賀藩
編集尾張藩
編集大村藩
編集津山藩
編集久留米藩
編集庄内藩
編集松代藩
編集小浜藩
編集備中松山藩
編集その他の藩士・草莽など
編集- 緒方洪庵
- 京屋忠兵衛
- 中村六三郎(勝海舟に推挙され商船学校初代校長。長崎海軍伝習所二期生。砲術士)
- 赤松小三郎
- 伊東甲子太郎
- 白石正一郎
- 頼三樹三郎
- 佐久良東雄
- 水郡善之祐
- 関藤藤陰
- 高山彦九郎
- 根岸友山(壬生浪士、新徴組隊士)
- 滝善三郎(備前岡山藩士)
- 松田重助
- 古高俊太郎
- 日柳燕石
- 上野彦馬
- 月岡芳年
- 斎藤弥九郎
- 島田虎之助
- 田崎草雲
- 林忠崇
- 関寛斎
- 河野広中
- 今井信郎
- 沖田総司
- 斎藤一
- 西保周太郎(甲斐国の博徒)
- 三井卯吉(甲斐国の博徒)
- 国分三蔵(甲斐国の博徒)
- 祐天仙之助(甲斐国の博徒)
- 竹居安五郎(甲斐国の博徒)
- 黒駒勝蔵(甲斐国の博徒)
- 津向文吉(甲斐国の博徒)
- 会津小鉄
- 清水次郎長
- 相楽総三(赤報隊隊長)
- 桜井常五郎
- 松波宏年(徹翁)
- 新島襄
- 津田仙
- 松本奎堂
- 大高忠兵衛
- 大高又次郎
- 中井庄五郎
- 本間精一郎
- 大友亀太郎
- 玉松操
- 伴林光平
- 安井息軒
- 安元杜預蔵
- 宮永良蔵
- 柏尾馬之助(柏尾右馬之助)
- 松尾多勢子
- 高島章貞
- 鳥居三十郎
欧米
編集- アメリカ
- マシュー・ペリー:日本を開国させた東インド艦隊の司令官
- タウンゼント・ハリス:初代駐日アメリカ合衆国弁理公使(来日時は領事)
- ヘンリー・ヒュースケン:ハリスの有能な通訳であり、オランダ系アメリカ人のため蘭語に堪能であり、蘭学関係者とのコミュニケーションでも活躍したが暗殺された
- イギリス
- ラザフォード・オールコック:初代駐日英国公使(来日時は領事)
- ジョン・ニール:代理公使。生麦事件賠償交渉、薩英戦争に関与
- ハリー・パークス:2代駐日英国公使。中立的姿勢を維持しつつも、薩長をも支援。公使として18年間日本に滞在
- アーネスト・サトウ:幕末時は通訳だがそれに留まらず、英国策論を表し、明治維新に影響を与えた。1895年には駐日英国公使
- アレクサンダー・フォン・シーボルト:英国公使館の通訳。シーボルト事件により日本を追われたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの長男。のちに明治政府にお雇い外国人として雇用される
- トーマス・ブレーク・グラバー:長崎の商人、坂本龍馬らとの関係が深い
- フランス
- ギュスターヴ・ド・ベルクール:初代駐日フランス公使(来日時は領事)
- レオン・ロッシュ:2代駐日フランス公使、幕府を強力に支持し、幕府中心の近代国家建設を支援。だが、加担し過ぎで本国政府の支持を失う
- メルメ・カション:通訳だが、ロッシュの顧問のような働きもした
- レオンス・ヴェルニー:横須賀造兵廠を建設
- シャルル・ド・モンブラン:薩摩藩顧問、本国で幕府は日本の全権政府ではないと主張。維新後在仏日本総領事
- ジュール・ブリュネ:フランス軍事顧問団の一員として来日し、後に榎本武揚らと共に箱館戦争に参加
- オランダ
- ヤン・ドンケル・クルティウス:最後のオランダ商館長、条約調印後は駐日オランダ理事官
- ペルス・ライケン:長崎海軍伝習所、初代教官団長
- ヴィレム・ホイセン・ファン・カッテンディーケ:長崎海軍伝習所、2代教官団長
- ヘンドリック・ハルデス:カッテンディーケと共に来日。日本最初の近代工場である長崎製鉄所の建設を指導
- ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールト:医師、長崎養生所初代所長
- アントニウス・ボードウィン:医師、長崎養生所2代所長
- クーンラート・ハラタマ:化学者。幕府だけでなく新政府にも雇用された
- グイド・フルベッキ:宣教師、長崎英語伝習所等で、大隈重信らに英語を教える。なお来日時は既にアメリカ国籍であったので、アメリカ人に算入されることも多い
- プロイセン
- マックス・フォン・ブラント:初代領事、後ドイツ帝国公使
- スネル兄弟:商人。奥羽越列藩同盟を支援
- ロシア
- エフィム・プチャーチン:日露和親条約を締結
- ヨシフ・ゴシケーヴィチ:初代領事。箱館在住