淡路島(あわじしま)は、瀬戸内海東部に位置する。日本国内では島としては主要4島を含め11番目に面積が大きく、瀬戸内海では最大面積の島で[3]、人口は約12万人[4]令制国淡路国の主要国域を占める。近畿地方兵庫県に属し、現在は北から淡路市洲本市南あわじ市の3市で区分される。日本神話国産みの島としても知られる。

淡路島

ランドサット7号 (Landsat 7)
所在地 日本の旗 日本
所在海域 瀬戸内海
座標 北緯34度09分 - 34度36分
東経134度39分 - 135度01分
面積 592.55[1] km²
海岸線長 203 km
最高標高 608[2] m
最高峰 諭鶴羽山
最大都市 南あわじ市
淡路島の位置(兵庫県内)
淡路島
淡路島の位置(日本内)
淡路島
     
プロジェクト 地形
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古代より淡路国として存在し、江戸時代には蜂須賀家が阿波国とともに領した。淡路洲本城主である筆頭家老稲田家と蜂須賀家との対立に端を発した庚午事変の発生により、廃藩置県では徳島県ではなく兵庫県に編入された。気候が温暖で、農業が盛ん。特に酪農タマネギ栽培がよく知られる。第二次世界大戦中までは、要塞地であったため、観光地として発展することはなかった。しかし、1950年国立公園に編入されて以降、鳴門と抱き合わせでクローズアップされ出した。2016年以降は、パソナグループ、さらに飲食業のバルニバービがこれまで「西浦」と呼ばれ開発から放置されてきた西側海岸に目を付け、播磨灘の美しい夕日を目玉に観光開発を進め、観光施設が相次いで出現。賑わいを見せ始めた[5][6][7]

概要

北東から南西へかけて細長く伸びる淡路島は南北約53km、東西約22km、周囲約203kmで、北部では幅5kmから8kmと細く南部で幅が広がっている[8]

グアム島やシンガポール島とほぼ同じ面積を有し、日本国内では主要4島、択捉島国後島沖縄本島佐渡島奄美大島対馬についで第11位の面積を持ち[9]、人口では主要4島以外では沖縄本島に次いで第2位(約12万人)である。

大阪湾播磨灘紀伊水道に四周を囲まれ、北端の松帆崎明石海峡に、南東端の生石鼻紀淡海峡に、南西端の門崎(とさき)で鳴門海峡にのぞむ。本州四国連絡道路の神戸・鳴門ルートで本州四国と繋がっており、1985年に大鳴門橋、1998年に明石海峡大橋が完成して南北が地続きとなった[3]

北部と南部の淡路山地と中南部の淡路平野に分けられ、北東部と南部の山地急斜面は海岸まで迫る。また周囲の主な属島には紀淡海峡の成ヶ島、紀伊水道の沼島がある。

気候

全島が瀬戸内海式気候(年間平均気温約16℃、年間降水量約1300mm)の区分に属する(諭鶴羽山地以南では南海型太平洋側気候の特徴も少し混じる)。このため多くの農業用ため池があり[10]、兵庫県内にある43,000のため池の半数を超える23,000が島内にある[11][12]。 近代以降もダム建設が行われてきたが、1999年平成11年)12月に明石海峡大橋に架設された口径450mmの2条の水道管による本土導水が開始された[13]台風銀座であり第2室戸台風をはじめ、多くの台風が通過しており、淡路島を通過した台風は京阪神に甚大な被害を与えたものも多い。

地理

 
淡路島の地形図

地形と植生

以下の分類は『土地分類図(地形分類図)経済企画庁総合開発局 昭和49年(1974年)発行』による[14]

淡路山地
淡路島北部と南部に分かれる地塁山地砂岩礫岩頁岩で形成される。諭鶴羽山柏原山先山の3峰は「淡路三山」と呼ばれる。
森林面積は島の総面積の51.7%を占め、北淡山地と諭鶴羽山地にスギヒノキの人工林があるがその比率は8.6%にすぎず、ウバメガシシイヤマモモなどの照葉樹林が広がる[12]。また諭鶴羽山には県内一のアカガシ極相林が見られる。
津名山地
島の北部、明石海峡から淡路平野までの山地。多くの活断層撓曲が見られ南部より北部のほうが起伏が大きい。白亜紀花崗岩の上に大阪層群が覆う[8]。平地が少ないため中部東側の海岸には淡路市の市街地が南北に伸び、埋立地が造成され、西側海岸には棚田が見られる。
北淡山地
標高522m の妙見山を主峰とする津名山地北部。北東の六甲山へ伸びて六甲・淡路断層帯を形成している。
先山山地
標高448mの先山(淡路富士)を主峰とする起伏の小さな津名山地南部。東側に先山断層が通る。
津名丘陵
先山山地の西側、播磨灘に面した丘陵。志筑断層で北淡山地と分けられる。
 
淡路島の最高峰・諭鶴羽山
 
石田の棚田。淡路島では慢性的な水不足を解決するために、数多くの溜池が造られてきた。溜池と棚田瀬戸内海播磨灘)が一体となる景観は、淡路島北部特有の景観を形作る。
諭鶴羽山地
島の中南部、淡路平野から紀伊水道までの起伏の大きな山地。白亜紀の花崗岩の上に和泉層群が覆う。東部に標高569mの柏原山、中部に標高525mの兜布丸山(かぶとやま)、西部に標高608mで淡路島最高峰の諭鶴羽山がある。兜布丸山は洲本川の、諭鶴羽山は三原川の水源である。諭鶴羽山地の南側は中央構造線の断層崖のため急斜面になっていて[8]、みかん・ビワが栽培されるほか、水仙の自生地がある。
西淡山地
三原平野の西部、鳴門海峡との間にある海抜200m級の山地。標高265mの南辺山など[8]
淡路平野
島の中南部、大阪湾へ注ぐ洲本川河口から播磨灘へ注ぐ三原川河口へかけて島を南北に分かつ沖積平野[8]
洲本平野
洲本川が流れ、河口洲に洲本市の人口密集地が広がる。
三原平野
三原川が流れ、水稲タマネギレタスなど路地野菜の栽培地が広がる。
諭鶴羽北麓台地
三原平野南部から諭鶴羽山地北部へかけての砂礫質の台地。
吹上低地
吹上浜で紀伊水道、鳴門海峡にのぞむ。
 
明石海峡大橋
 
鳴門の渦潮

海峡

明石海峡
北端の松帆崎と、本州の兵庫県明石市の間にある海峡。峡間は3.6km。潮流が早く、古くから海の難所である。全長3,911mの世界最長の吊橋明石海峡大橋」が架けられているほか、高速船「淡路ジェノバライン」が運航。
紀淡海峡(友ヶ島水道)
南東端の生石鼻と、本州の和歌山県和歌山市の間にある海峡。峡間は約11km。海峡内に4つの島があり、最も広い淡路島 - 友ヶ島間でも4.7kmである。航路などはない。費用対効果の面から今後も往来実現の可能性は低い。
鳴門海峡
南西端の門崎と、四国の徳島県大毛島北東部の孫崎の間にある海峡。峡間は約1.4km。激しい潮流のため海の難所である。全長1,629mの吊橋「大鳴門橋」が架けられている。架橋にともない航路は廃止された。名勝に指定されている鳴門[15]では、瀬戸内海と外海(太平洋側)の潮位差により起こる「鳴門の渦潮」が著名。淡路島からは観潮船「うずしおクルーズ咸臨丸・日本丸」が毎日運航、間近で渦潮を体感することができる。なお、大鳴門橋には渦潮見物のための遊歩道「渦の道」が併設されているが、入口が四国側のみ、淡路島側からは利用不可。

歴史

古代

記紀』の日本列島国産み神話では、淡路島は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が日本列島中、最初に創造した島である。『古事記』では淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま、あわじのほのさわけのしま)と記される[16]

先代旧事本紀』「国造本紀」には、仁徳天皇の御代に淡道国造が設置されたとの記述があり、『日本書紀』では淡路洲と記される。海人族とされる阿曇浜子によって水軍が形成され、初期の天皇家との繋がりは深いらしく、淡路宮や淡路からの皇后の記載も見られる。また反正天皇は淡路島で生まれたとされる。

古代から平安時代まで御食国(みけつくに)として皇室朝廷(にえ)を貢いだとされる。『延喜式』によると、淡路国は旬料・節料として「雑魚」を贄として納めることが記載されている。

近世

江戸時代になり徳川家康は大坂の陣で貢献した蜂須賀氏に従来の阿波国に加えて淡路国を加増した。その際、蜂須賀家の家祖蜂須賀正勝(子六)と義兄弟の契りを結び蜂須賀家の家臣となっていた稲田植元、その子の稲田示植、そして孫の稲田植次の活躍が特に大きかったため、徳川家康の命により稲田氏が淡路一国を支配する城代に代々任じられることになった。

ただし蜂須賀家にとって稲田氏はあくまで一家臣に過ぎず、しかし稲田氏では代を重ねるごとに徐々に蜂須賀家からの独立意識が芽生え、次第に軋轢が生じるようになる。明治維新では、佐幕であった蜂須賀家に対し、稲田氏は倒幕・新政府側に立って活動した。それにもかかわらず家臣は士族ではなく卒族とされた(陪臣とみなされた)ために、稲田氏側は淡路を阿波藩から分藩独立することを画策した。その動きに対し庚午事変(稲田騒動)で蜂須賀家側が一方的に稲田氏側を殺傷したことより確執は決定的なものとなった。それが遠因となり、1868年に初代兵庫県知事となっていた伊藤博文が大きな領域を望んだこともあり、1876年に淡路は阿波と分かれて兵庫県に編入されることになった。以来、兵庫五国の一角として発展している。

年表

行政

地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
市町村 淡路市洲本市南あわじ市
総人口 126,980人(2020年10月1日)[19]

兵庫県は地方自治法に基づく支庁として、淡路島全域を管轄する淡路県民局を洲本市に設置している。

1965年昭和40年)以降、洲本市津名郡三原郡の1市10町体制が続いていたが、市町村合併によって、2005年平成17年)1月11日には三原郡4町(緑町三原町西淡町南淡町)が南あわじ市に、同4月1日には津名郡五色町を除く津名郡5町(淡路町北淡町東浦町一宮町津名町)が淡路市となった。残る五色町は2006年(平成18年)2月11日に洲本市と合併し、新たに洲本市となった。これらの合併により現在の淡路島は、北から淡路市・洲本市・南あわじ市の3市体制となっている。淡路島全体で一つの市となる構想や動きもあったが、実現しなかった[20][21][22][23]

衆議院の小選挙区は「兵庫県第9区」(上記3市ならびに明石市)であるほか、兵庫県議会の選挙区は各市ごとの選挙区(それぞれ定数1)である。人口は、昭和30年代には20万人を超えていたが[24]現在では約12万人である。

地域

淡路島の南北に神戸淡路鳴門自動車道が縦断する。島北東部の大阪湾に面する海岸線に沿って国道28号が走り、津名港がある。このうち、南東部の洲本市周辺の洲本平野から南西部の南あわじ市(旧南淡町)へ通じる部分を四国街道と呼ぶ。

島北西部の播磨灘に面する海岸線に沿って、南あわじ市で三原平野西部を縦断する兵庫県道31号福良江井岩屋線が走っている。かつて島内には1922年大正11年)から1966年昭和41年)にかけて洲本と福良をむすぶ淡路交通鉄道線が存在したが、以降は路線バスに置き換えられており、鉄道路線はなくなった。

市外局番島内全域0799であるが、淡路市(津名MA)と洲本市・南あわじ市(洲本MA)との相互通話には市外局番が必要である。MA(単位料金区域)の統合は現在実施されていない(2009年現在、全島でMA統合が実施されたのは2005年6月の佐渡島のみである)。

自動車のナンバープレートは「神戸ナンバー」(神戸運輸監理部兵庫陸運部魚崎庁舎)である。

国防・防災においては、戦後、陸上自衛隊は淡路島の災害派遣・防衛任務を在四国部隊(第13師団第2混成団)が担任していた。1998年の明石海峡大橋の完成後、淡路島の担任部隊は本土と同じ第3師団に移管された。

メディア

1877年に安倍喜平によって淡路新聞が発行された。地域紙としては極めて早い時期に誕生したものといわれており、昭和50年代まで刊行された[3]

島内にコミュニティ放送は無いが、2018年10月よりインターネットラジオエフエム・ギグ淡路島にんぎゃかステーション[25]が開局している。

「10% 都市圏(通勤圏)」

一般的な都市圏の定義については都市圏を参照のこと。

都市雇用圏(10% 通勤圏)の変遷

  • 10% 通勤圏に入っていない自治体は、各統計年の欄で灰色かつ「-」で示す。
自治体
('80)
1980年 1990年 2000年 2005年 2010年 2015年 自治体
(現在)
淡路町 神戸 都市圏 神戸 都市圏 神戸 都市圏 - 洲本 都市圏
143547人
洲本 都市圏
135147人
淡路市
東浦町 - - - -
北淡町 - - - -
一宮町 - - 洲本 都市圏
84436人
-
津名町 - 洲本 都市圏
76523人
-
五色町 - 洲本 都市圏
50030人
洲本市
洲本市 洲本 都市圏
49640人
緑町 - 南あわじ市
三原町 - - - -
西淡町 - - - -
南淡町 - - - -

文化

島内には伝統芸能や農業から生まれた民間信仰、独特の習俗などが多く残っている。ここではその内の一部をリストアップする[26]

伝統芸能

  • 淡路人形浄瑠璃 - 室町時代末期に南あわじ市市三條で始まったとされる。三条八幡神社に発祥の地の碑がある。現在残っている人形座は淡路人形浄瑠璃資料館の市村六之丞座と人形浄瑠璃館(大鳴門橋記念館)の淡路人形座の二つ。また島内の小中高校の各郷土芸能部や淡路人形浄瑠璃青年研究会などが後継団体となって保存している。1976年(昭和51年)国の重要無形民俗文化財に指定。
  • だんじり - 淡路のだんじりは赤い布団を5枚重ねた「布団だんじり」が特徴である。他にも「つかいだんじり」、「投げだんじり」や「舟だんじり」などがあり、他府県からの見物客も多い。
  • 五尺踊り - 縄騒動で処刑された才蔵らの命日、3月23日に南あわじ市の広田八幡宮・大宮寺の「天明志士の碑」の前で奉納される。
  • 阿万の風流大踊小踊 - 南あわじ市阿万上町の亀岡八幡神社に伝わる。大踊は室町時代末期から、小踊は江戸時代中頃から。

民俗信仰

  • 粥占祭 - 洲本市の厳島神社、淡路市一宮多賀の伊弉諾神宮
  • 御田植神事 - 洲本市の栢野森住吉神社、淡路市一宮多賀の伊弉諾神宮。
  • 庚申講 - 島内全域。
  • 社日ッツァン - 民間信仰。淡路市(旧北淡町)。
  • ヤマドッサン - 田の神・山の神・年神である尉と姥をヤマドッサンと呼び、正月9日にお迎えして豊作を祈る。淡路市舟木地区。
  • 団子ころがし - 死者の五七日忌(35日)に団子を山上から谷に向かって投げる供養行事。先山や妙見山、地蔵山、開鏡山、愛宕山など。
  • 芝右衛門狸 - 芝右衛門狸、柴右衛門狸(しばえもんたぬき、しばえもんだぬき)、日本三名狸に数えられている。

スポーツ大会や大規模イベント

経済

総生産額は4426。就業割合は1次産業が6.0%、2次産業が27.4%、3次産業が66.6%で、1次産業の割合が県平均 (0.6%) を大きく上回っている(2003年)[12]

製造業

 
パナソニック(三洋電機)洲本事業所
 
洲本アルチザンスクエア

淡路島の中心地である洲本市は、かつて鐘淵紡績洲本工場カネボウ)の企業城下町であった。淡路島には1896年創業の淡路紡績があった[3]。鐘淵紡績(カネボウ)は1900年(明治33年)に淡路紡績を買収し、関西の拠点として洲本工場を開設した。1950年(昭和25年)には従業員数4200人を超えるまでに成長したが、その後の経済構造の変化により洲本工場は縮小の道を辿り1985年(昭和60年)に綿紡事業に終止符をうち、新たに発足したカネボウ電子へ移管され、そして1986年(昭和61年)に紡績操業を停止するに至った。カネボウの歴史の中で洲本工場は、綿紡織事業を手掛けてきた工場として最長(87年)の歴史をもつ。

現在跡地は洲本市新都心ゾーンとしてイオン洲本ショッピングセンターエディオン(ミドリ電化洲本店)、兵庫県立淡路医療センター兵庫県立淡路病院を移転)、洲本市文化体育館洲本健康福祉館みなと銀行洲本支店等が立地し、洲本市民広場として整備されたエリアに点在する洲本市立図書館洲本アルチザンスクエア淡路ごちそう館「御食国」等は、鐘淵紡績洲本工場の近代建築を再生した施設として注目されている。

地場産業

農業

農家戸数は8,775戸。生産額は369億円。1888年に兵庫県はアメリカからタマネギの種を直輸入して農家に配布し、旧賀集村での栽培をきっかけに南部を中心に栽培が普及し一大たまねぎ産地となった[3]。昭和40年代から三毛作が行われており、水稲 - レタス - レタスの作付けの割合が42.6%で最も多く、次いで水稲 - レタス - タマネギが25.7%となっている(2005年)[12]

作付面積

農畜産品の県内出荷額比率の大きいもの(2004年度)

水産業

5t未満の小型船と養殖漁業が中心で、生産額は153億円、漁獲量は18,378t(2004年)

観光業

年間の観光客数は1,062万人(2004年)。豊かな自然や食の宝庫であるなど、観光資源は豊富である(古くから淡路国は食の宝庫として知られ、御食国として皇室・朝廷に御食料を貢いだとされる)。

主な金融機関

教育

大学

大学附属施設

  • 神戸大学 大学院海事科学研究科附属国際海事教育センター海洋実習施設
  • 神戸大学 内海域環境教育研究センター
  • 芦屋大学 淡路島臨海セミナーセンター

専修学校

  • 関西総合リハビリテーション専門学校
  • 平成淡路看護専門学校

高等学校・私立中学校

特別支援学校

公立中学校

淡路市

一宮中学校岩屋中学校津名中学校東浦中学校北淡中学校

洲本市

洲浜中学校青雲中学校由良中学校安乎中学校五色中学校

南あわじ市・洲本市小中学校組合立

広田中学校

南あわじ市

南淡中学校三原中学校西淡中学校倭文中学校沼島中学校

公立小学校

淡路市

津名東小学校石屋小学校浦小学校大町小学校学習小学校釜口小学校一宮小学校塩田小学校志筑小学校多賀小学校中田小学校北淡小学校

洲本市

洲本第一小学校洲本第二小学校洲本第三小学校大野小学校加茂小学校中川原小学校安乎小学校由良小学校都志小学校鮎原小学校鳥飼小学校広石小学校堺小学校

南あわじ市・洲本市小中学校組合立

広田小学校

南あわじ市

市小学校榎列小学校神代小学校三原志知小学校阿万小学校賀集小学校北阿万小学校湊小学校松帆小学校福良小学校辰美小学校八木小学校倭文小学校西淡志知小学校沼島小学校

交通

徒歩で橋を渡って出入りすることはできないため、歩行者はバスタクシー、もしくは船舶を利用する必要がある。

道路

本州と四国を結ぶ神戸淡路鳴門自動車道が淡路島を縦断しており、北は明石海峡大橋本州に、南は大鳴門橋四国に連絡している。本州(特に京阪神)と四国を結ぶ高速バスも多数設定されている。淡路島北端部にある淡路SAおよび隣接する淡路ハイウェイオアシス観覧車や展望台が併設された大規模な休憩施設であり、淡路島の新たな観光スポットとなっている。明石海峡大橋と大鳴門橋はいずれも自動車専用道路であるため、徒歩・軽車両・原付・小型自動二輪・ミニカーいずれも通行できない。

タクシーを利用する場合は降車時タクシーメーターに表示された料金の他に神戸淡路鳴門自動車道の通行料を往復分支払う必要がある。

本州・四国 - 淡路島間には以下の会社によって高速バスが運行されている。各社とも明石海峡大橋経由(本州 - 淡路島間)で利用可能。大鳴門橋経由は淡路交通(淡路島 - 徳島県間)[31]とフットバス(淡路島 - 香川県間)のみ利用可能。

 
淡路ジェノバライン(岩屋港 2006年)

航路

2010年11月15日を最後に明石淡路フェリー(たこフェリー)が休止したことにより、淡路島と外部を結ぶ航路は約7年間にわたり明石港 - 岩屋港間の高速船「淡路ジェノバライン」のみとなった。淡路ジェノバラインに載せることができる車両は自転車のみであるため、自転車を除く軽車両・原付・小型自動二輪車・ミニカーが自走で淡路島へ出入りする手段はなくなっていたが、橋が通行不能になった場合や原付や125cc以下の小型自動二輪車の通行手段を確保するため、兵庫県、明石市、洲本市、南あわじ市、淡路市でつくる「明石海峡海上交通に関する協議会」で国からの補助を受け淡路市が新造船「まりん・あわじ」を導入することが決まり[32]、淡路ジェノバラインに運航を委託する形で2015年8月2日から就航、同年9月23日から原付・小型自動二輪車の航送を開始した[33]。2017年7月9日から2018年7月13日まで関西国際空港 - 洲本港間に「淡路関空ライン」が就航していた。

鉄道

四国新幹線は淡路島を経由して走らせる計画であるが、建設計画は具体化してない。大鳴門橋は新幹線走行を前提に鉄道道路併用橋として建設されたものの、当初の四国新幹線構想が経由を予定した明石海峡大橋は道路専用橋として建設された。2020年代時点の四国新幹線構想では代替として紀淡トンネルを経由する前提であるが、建設促進運動でも四国島内と大阪を結ぶ区間の優先順位は低いとされている[34]。実現したのは下記の淡路鉄道のみである。

路線は淡路島を東西に横断する形で敷設された。日本の北海道本州九州四国の主要な四島をのぞいたにおける鉄道路線は、(中州など四島から直通するものをのぞいて)第二次世界大戦後はこの淡路島のみであった[注釈 2](洲本駅の駅舎がバスターミナルとして利用されるなど、今なお当時の面影が残る)。このほか、岩屋 - 志筑 - 洲本や志筑 - 江井を結ぶ淡路快速交通計画が存在したり[要出典]、前記の淡路交通の区間を含む形での「本四淡路線」(須磨 - 淡路島 - 鳴門)が鉄道敷設法別表に掲載された(兵庫県須磨附近ヨリ淡路国岩屋附近ニ至ル鉄道 及福良ヨリ徳島県鳴門附近ニ至ル鉄道淡路国岩屋ヨリ洲本ヲ経テ福良ニ至ル鉄道)が、「本四淡路線」については四国新幹線に計画が吸収された。

出身人物

淡路市

洲本市


南あわじ市

ゆかりの人物

舞台となった作品

※発表年順

小説

映画

ゲーム

脚注

注釈

  1. ^ 地域団体商標登録済み
  2. ^ 第二次世界大戦終結まではこのほかに沖縄県沖縄本島など。また南大東島のものは戦後も1983年(昭和58年)まで運行。→沖縄県の鉄道を参照)、そして外地と呼ばれた太平洋戦争前の日本領である台湾樺太がある。
  3. ^ 本作の予告に淡路島でロケしたことが紹介されている。

出典

  1. ^ 島面積 平成26年10月1日時点 (PDF) 国土地理院
  2. ^ 日本の主な山岳標高 - 国土地理院
  3. ^ a b c d e 田畑暁生「淡路島における市町村合併と地域情報化政策」『神戸大学大学院人間発達環境学研究科研究紀要』第7巻第1号、神戸大学大学院人間発達環境学研究科、2013年9月、51-61頁、doi:10.24546/81005361ISSN 1882-2851NAID 110009632655 
  4. ^ 淡路(あわじ):3市 人口:124,921人(兵庫県推計人口 令和4年4月1日現在)
  5. ^ 『瀬戸内海の旅』(現代教養文庫)1961年10月31日発行
  6. ^ 「西浦」改め「西海岸」!? 淡路島の農漁村エリアがおしゃれリゾート地に進化中”. 神戸新聞NEXT (2021年7月28日). 2021年11月30日閲覧。
  7. ^ バルニバービが淡路島でエリア開発をするワケ。淡路島西海岸沿いエリア開発プロジェクト「AWAJI NORTH WEST」がいよいよ始動”. prtimes story. 2021年11月30日閲覧。
  8. ^ a b c d e 兵庫県南部地震に伴う淡路島北部地域の地形変化”. 国土地理院 (1995年). 2010年12月7日閲覧。
  9. ^ 国立天文台(編) 平成19年 理科年表 p.565 ISBN 4621077635 - ただし本土4島を除く。
  10. ^ 福家徹也「ため池の周辺土地利用の変遷と推移の関係性について : 香川県高松市の事例研究」『KGPS review : Kwansei Gakuin policy studies review』第19巻、2013年3月、31-34頁、hdl:10236/10968CRID 10505642884293679362023年6月8日閲覧 
  11. ^ 洲本川水系河川整備計画(案)”. 兵庫県 (2008年11月). 2010年12月9日閲覧。 (PDF, 3.42MiB)
  12. ^ a b c d e 淡路地域農林水産ビジョン”. 兵庫県淡路県民局 (2006年3月). 2010年12月9日閲覧。 (PDF, 7.28MiB)
  13. ^ 事業について”. 淡路広域水道企業団 (2005年). 2010年12月17日閲覧。 (PDF, 454KiB)
  14. ^ 20万分の1土地分類基本調査及び土地保全基本調査 > 兵庫県 地形分類図”. 国土交通省 土地・水資源局 国土調査課. 2010年12月12日閲覧。
  15. ^ 国指定文化財等データベース:主情報詳細
  16. ^ 伊東ひとみ『地名の謎を解く』新潮社、2017年、10頁
  17. ^ 「淡路島で七千戸以上が浸水」『朝日新聞』昭和45(1970年)9月17日朝刊、14版、15面
  18. ^ 理科年表(2022年)「日本付近のおもな被害地震年代表」
  19. ^ 国勢調査による。淡路市41,967人、洲本市41,236人、南あわじ市43,777人(ただし沼島の人口360人を差し引いた。)
  20. ^ 拝啓 淡路島合併論にご関心の皆さんへ
  21. ^ 淡路島一市フォーラム~淡路は一つ 未来の淡路島のために~
  22. ^ 洲本市議会議員、広田恵三の「洲本市」を考えるブログ
  23. ^ 淡路市長 門康彦ブログ「淡路島一市について。」
  24. ^ 淡路島の総人口推移
  25. ^ fmGIG淡路島にんぎゃかSTATION
  26. ^ 淡路の伝統芸能と文化”. 兵庫県淡路県民局・兵庫県立淡路文化会館 (2004年3月). 2010年12月14日閲覧。 (PDF, 4.28MiB)
  27. ^ 淡路国生みマラソン
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  36. ^ 南あわじ市公式サイト「淡路島日本遺産RPG「はじまりの島」」 - 2019年4月6日リリース(AndroidiOSスマートフォン向けアプリ)

関連項目

外部リンク

座標: 北緯34度23分 東経134度50分 / 北緯34.383度 東経134.833度 / 34.383; 134.833