座間市

神奈川県の市
座間町から転送)

座間市(ざまし)は、神奈川県の中部に位置する。人口は約13.1万人。マスコットキャラクターは「ざまりん」[1]

ざまし ウィキデータを編集
座間市
座間市旗 座間市章
座間市旗 座間市章
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
市町村コード 14216-6
法人番号 3000020142166 ウィキデータを編集
面積 17.57km2
総人口 131,838[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 7,504人/km2
隣接自治体 相模原市大和市厚木市海老名市
市の木 モクセイ
市の花 ヒマワリ
市の鳥 シジュウカラ
座間市役所
市長 佐藤弥斗
所在地 252-8566
神奈川県座間市緑ケ丘一丁目1番1号
北緯35度29分19秒 東経139度24分27秒 / 北緯35.48858度 東経139.40761度 / 35.48858; 139.40761座標: 北緯35度29分19秒 東経139度24分27秒 / 北緯35.48858度 東経139.40761度 / 35.48858; 139.40761
座間市役所庁舎
座間市役所庁舎
外部リンク 公式ウェブサイト

座間市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

特記事項 市外局番 046,042(相模が丘の大部分)、南端は綾瀬市境まで100m
ウィキプロジェクト

概要

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古くより八王子街道[注釈 1]宿場町として栄えることにより集落が形成され、現代に入り戦前は農村、戦中は陸軍士官学校及び高座海軍工廠の設置により軍都としての色合いを強めた。しかし戦後は米軍進駐を経て、昭和30年代半ば頃からは大企業の誘致が行われ自動車産業中心とした企業城下町が形成された。更に昭和40年代の急激な人口の増加により農村から工業及び住宅都市へと変貌を遂げ、現在では県下33市町村中4位の人口密度をもつ市町村となる。

しかし、バブル景気崩壊後、市の基幹産業である自動車産業も不景気の煽りで日産自動車工場などが撤退したことから、税収入の低下を招き、市の財政状況が悪化した。現在でも周辺近隣自治体と比較すると財政的には劣っており回復は厳しいものの、人口においては県下でも比較的高い水準で増加しており、隣接する相模原市大和市などと同様のベッドタウンとして現在に至っている。

県下では数少ない上水道地下水(市内の8つの水源井)を用いる自治体であり、井戸水の特徴である夏は冷たく冬は温かい「座間の地下水」は知れ渡るようになってきた。しかしながら近年の人口増加及び地下水資源の減少等により県営水道を約15%含有する状況になっている。 また、当市を起点とする郵便番号の「252」は約96万人と全国で最大の人口を抱えている

2000年代に入り在日米軍の再編等に伴う米国陸軍第一軍団司令部のキャンプ座間移転問題が浮上し、これに反対する活動を行政でも行っていたが、2008年平成20年)8月に防衛省との間で「米陸軍第一軍団新司令部のキャンプ座間移転に伴う基地対策に関する確認書」に市長が署名し移転容認へと転じた。

地理

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東京都心から約50km横浜から約20kmの場所に位置する。市域を南北に縦断するJR東日本相模線の東側に沿って伸びる崖を境に、西部・相模川沿いの沖積低地と、東部の相模野台地(相模原台地)に属する高台に分かれる。相模野台地は河岸段丘であるが、当市域内では上段の相模原面が大部分を占め、広大な平坦面が広がる。その中で目久尻川とその支流が南流し、細長い谷戸を形成している。キャンプ座間付近から市域中央部にかけて南北に連なる座間丘陵は相模原面よりも古い時代に形成された一段高い堆積面であり、氷河期以来の侵食による開析が進んでいる。相模川沿いの沖積低地では水田が広がっている。

八王子街道沿いに形成された古くからの集落のうち、座間および座間入谷は低位段丘上に、新田宿および四ッ谷は沖積低地内に形成された自然堤防上に分布する。目久尻川沿いの谷戸にも水田が開かれ、谷戸の周辺に栗原地区の旧集落が分布する。広大な相模野台段上は近世以前は「相模野」と呼ばれる原野であり、当市域周辺は「座間野」「芝原・しばあら」と呼ばれる近隣農村の入会地であった。座間野は江戸時代後期、嘉永6年(1853年)に相模川沿いの座間宿座間入谷新田宿四ッ谷各村の飛び地となり開墾され、明治以降は生糸産業の発展に合わせて畑が広がるようになった。1930年代に移転・新設された軍事施設のうち、高座海軍工廠の跡地に養鶏場(今の東中学校の場所にあった)・東芝機械・岡本理研ゴム。そして現在の広野台に日産自動車座間工場が誘致されると[2]、これを中心とした工業地区が市域東部に形成された。台地上の桑畑は戦後の生糸産業の衰退とともに野菜の生産に重心が移ったが、1960年代にはベッドタウン化の波が及び、小田急線沿いの区域で宅地化が進行した。1970年代には相鉄線沿いにも波及し、南東部の栗原地区でも宅地化が進行した。この結果1990年代までには、中央部の栗原地区を除き、低位段丘面も含めた台地上のほぼ全域が市街地化されるに至っている。

自然

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河川
  • 水鳥の池
  • 栗原遊水池

軍事施設

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市内北西部(座間市座間)に米軍座間キャンプ及び陸上自衛隊施設部隊(第4施設群)が所在し、全体面積2,346,381.52m2(座間市分620,832.22m2、相模原市分1,725,549.30m2)であり市域の約3.5%を占有している。

在日米軍の再編成の日米最終合意に基き、米陸軍第1軍団司令部(ワシントン州)を改編し、新司令部(陸軍・海軍・空軍・海兵隊の4軍を指揮)を設置。また、2013年3月26日に陸上自衛隊中央即応集団司令部が朝霞駐屯地から移転、駐屯地に昇格する。なお、これに伴い駐屯地の所在地は座間市から相模原市に変更となる。

隣接している自治体・行政区

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歴史

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年表

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  • 1889年(明治22年)4月1日 : 町村制の施行により、高座郡座間入谷村座間宿村栗原村新田宿村四ッ谷村新戸村飛び地が合併し、高座郡座間村が誕生する。
  • 1927年(昭和2年)4月1日:小田原急行鉄道小田原線開通、座間駅(現相武台前駅)、6月 新座間駅(現座間駅)が開設される。
  • 1935年(昭和10年)6月23日相模鉄道入谷駅が貨物停車場として開業。
  • 1937年(昭和12年)9月30日市ヶ谷より陸軍士官学校移転、開設、通称「相武台」。
  • 1937年(昭和12年)12月20日 : 町制施行し、高座郡座間町となる(人口約7千人)。
  • 1941年(昭和16年)4月29日:高座郡北部の8町村(相原村麻溝村新磯村大沢村大野村上溝町、座間町、田名村)の新設合併により、人口4万人超の高座郡相模原町が誕生。座間町(この時人口約7千6百人)の区域は相模原町の一部となる。
  • 1944年(昭和19年):高座海軍工廠開廠(終戦後解体)。
  • 1945年(昭和20年)9月2日:米軍により陸軍士官学校を接収。米軍座間キャンプとなる。
  • 1948年(昭和23年)9月1日:相模原町から旧座間町の区域が分離独立して座間町が再置される、人口約1万1千人[3]
  • 1948年(昭和23年)10月警察法の公布に伴い、自治体警察として座間町警察が発足し、座間町警察署を開設。
  • 1949年(昭和24年):県営相模原開発畑地灌漑事業着工[4]
  • 1950年(昭和25年)8月アメリカ陸軍第8軍司令部が米軍座間キャンプ内に設置される。
  • 1951年(昭和26年)10月1日:座間町警察署が廃止され、国家地方警察高座地区警察署座間警部派出所を設置。
  • 1952年(昭和27年): 上水道創設決定。
  • 1953年(昭和28年): 畑地灌漑用水路西幹線通水開始。※1970年(昭和45年)通水終了。
  • 1954年(昭和29年)7月1日警察法の改正に伴い、国家地方警察高座地区警察署を神奈川県大和警察署に改称し、大和警察署座間警部派出所となる。
  • 1954年(昭和29年):公民館開設。(旧陸軍士官学校の火災時に出た廃材で建設)※現在は市役所西支所内に移転
  • 1955年(昭和30年):町営水道給水開始。
  • 1959年(昭和34年):座架依橋開通。(当初は交互通行のブレハブ橋)
  • 1960年(昭和35年)6月19日前年新設された高座郡座間町大字相模台、人口急増に伴い、当該区域における町田電報電話局管内[5][6]の電話、東京23区・八王子局・武蔵野三鷹局・立川局・調布局・武蔵府中局・青梅局間、同年7月31日相模原局[7]間でダイヤル自動即時化[8][9][10]
  • 1963年(昭和38年):座間町消防署開設。(消防本部団結成)
  • 1963年(昭和38年):高座三町清掃センター(現・高座清掃施設組合)設置。(所在は海老名町)
  • 1963年(昭和38年)12月5日大字栗原の厚木電報電話局管内電話、全国ダイヤル自動即時化。市外局番0462・市内局番21[17]。 
  • 1964年(昭和39年):座間電報電話局開局。
  • 1964年(昭和39年):大字座間元広野5000番地に日産自動車座間工場一部竣工、稼働開始[18]
  • 1965年(昭和40年):日産自動車座間工場完成。
  • 1965年(昭和40年)5月30日:座間電報電話局管内[19]の電話、全国ダイヤル自動即時化。市外局番0462・市内局番51[20]
  • 1966年(昭和41年)11月14日:座間郵便局(現・座間中宿郵便局)が座間町相模台256番地(現在地)に移転開設し集配局となる。
  • 1967年(昭和42年):星谷寺の梵鐘が国の重要文化財に指定される。
  • 1967年(昭和42年):座間町消防本部を町役場内に設置。
  • 1968年(昭和43年):町役場中央庁舎竣工。(現在は解体)
  • 1968年(昭和43年)7月1日:町内の郵便番号が付与される。(〒228)
  • 1968年(昭和43年):文化福祉会館開設。(現在は解体)
  • 1969年(昭和44年)10月:座間町の人口が5万人を超える。町の花を「ひまわり」と決定[21]
  • 1970年(昭和45年):座間町消防本部庁舎完成。(現・座間市総合防災備蓄倉庫)
  • 1970年(昭和45年):相武台前駅橋上駅舎竣工。
  • 1971年(昭和46年):座間バイパス一部開通。
  • 1971年(昭和46年):保健ステーション開設(現在は解体)。
  • 1971年(昭和46年):米軍座間キャンプの自衛隊との共同使用開始。(横浜防衛施設局長と町長との間で13項目の覚書と確認書を締結)
  • 1971年(昭和46年)11月1日:市制施行。人口約6万2千人。
  • 1972年(昭和47年):米軍座間キャンプ一部返還。(富士山公園開園)
  • 1972年(昭和47年):相模台出張所(現、相模が丘コミュニティーセンター)開設。
  • 1973年(昭和48年):東部出張所開設。
  • 1974年(昭和49年):下水道事業開始。
  • 1974年(昭和49年):国道246号バイパス開通。
  • 1975年(昭和50年):県立青少年会館開館。(後に市に移管。現市立青少年会館)
  • 1976年(昭和51年):座間警察署開設。
  • 1976年(昭和51年):市民福祉憲章制定。
  • 1978年(昭和53年):座間駅橋上駅舎竣工。
  • 1978年(昭和53年):公共下水道供用開始。
  • 1978年(昭和53年):座間市立図書館会館(市立公民館講堂を改修利用、現在は移転に伴い解体)。
  • 1979年(昭和54年):座間市消防署東分署開設。
  • 1983年(昭和58年):市立図書館新館開館。
  • 1984年(昭和58年):座間市消防署北分署開設。
  • 1994年(平成6年):スカイアリーナ座間開設(市民体育館)。
  • 1995年(平成7年):日産自動車座間工場閉鎖。(現在は座間事業所、カレスト座間イオンモール座間、物流センター)。
  • 1995年(平成7年):市役所移転、ハーモニーホール座間開設(市民文化会館)。
  • 1996年(平成8年):市民健康センター開設(休日急患センター)。
  • 1998年(平成10年)4月1日:防災行政無線運用開始。
  • 2000年(平成12年):電話番号逼迫に伴い市内の一部の市外局番(0427地域)が042へ3桁化。
  • 2001年(平成13年):サニープレイス座間開館(総合福祉センター、文化福祉会館から移管)
  • 2001年(平成13年):電話番号逼迫に伴い市内の市外局番(0462地域)が046へ3桁化。
  • 2010年(平成22年)4月1日:相模原市が政令指定都市移行に伴い郵便番号を変更、相模原市一部地域と上3桁「228」を共用していた座間市内も228-00xxから252-00xxに変更。
  • 2011年(平成23年)11月3日:市のマスコットキャラクターとなる「ざまりん」が命名、発表される[22]
  • 2018年(平成30年)2月13日:座間市消防本部庁舎、相武台一丁目48番1号の地へ移設、運用開始。

行政区画の変遷

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市名の由来

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東海道が通り、宿駅「夷参(いさま)」の駅があった。これが地名「座間」の発祥とされている。

人口

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座間市と全国の年齢別人口分布(2005年) 座間市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 座間市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
座間市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 56,727人
1975年(昭和50年) 80,562人
1980年(昭和55年) 93,503人
1985年(昭和60年) 100,000人
1990年(平成2年) 112,102人
1995年(平成7年) 118,159人
2000年(平成12年) 125,694人
2005年(平成17年) 128,174人
2010年(平成22年) 129,436人
2015年(平成27年) 128,737人
2020年(令和2年) 132,325人
総務省統計局 国勢調査より


地域

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町名

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座間市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。住居表示実施前の町名等欄で下線がある町名はその全部、それ以外はその一部であり、町名の末尾に数字がある場合には丁目を表す。

座間市役所管内(67町丁)
町名 町名の読み 町区域新設年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施前の町名等 備考
栗原 くりはら 1948年9月1日 未実施
相模が丘一丁目 さがみがおか 1981年6月1日 1981年6月1日 大字相模台(1959年4月19日以前は大字座間字北広野、字元広野窪)
相模が丘二丁目 1981年6月1日 1981年6月1日 大字相模台(1959年4月19日以前は大字座間字北広野・中広野、字元広野窪)
相模が丘三丁目 1981年6月1日 1981年6月1日 大字相模台(1959年4月19日以前は大字座間字中広野・字元広野窪)
相模が丘四丁目 1981年6月1日 1981年6月1日 大字相模台(1959年4月19日以前は大字座間字南広野・字元広野・字元広野窪)
相模が丘五丁目 1981年6月1日 1981年6月1日 大字相模台(1959年4月19日以前は大字新田宿字見分塚の大部分)
相模が丘六丁目 1981年6月1日 1981年6月1日 大字相模台(1959年4月19日以前は大字新田宿字見分塚の残部・新畑、大字四ツ谷字二ツ塚の一部)
四ツ谷 よつや 1948年9月1日 未実施
新田宿 しんでんじゅく 1948年9月1日 未実施
立野台一丁目 たつのだい 1993年11月1日 1993年11月1日 大字栗原字上谷・字西原・字中谷、立野台
立野台二丁目 1993年11月1日 1993年11月1日 立野台
立野台三丁目 1993年11月1日 1993年11月1日 立野台、大字栗原字中原・字長谷・字西原、入谷5
緑ケ丘一丁目 みどりがおか 1992年12月16日[† 1] 1992年12月16日 緑ケ丘、大字栗原字上谷・字西ノ原・字東原、入谷3
緑ケ丘二丁目 1987年10月19日 1987年10月19日 緑ケ丘、大字栗原字上谷・字間ノ原
緑ケ丘三丁目 1987年10月19日 1987年10月19日 緑ケ丘、大字栗原字小池谷・字小池西原
緑ケ丘四丁目 1987年10月19日 1987年10月19日 緑ケ丘、相武台4
緑ケ丘五丁目 1987年10月19日 1987年10月19日 緑ケ丘
緑ケ丘六丁目 1987年10月19日 1987年10月19日 緑ケ丘、大字座間入谷字明王谷
明王 みょうおう 1970年11月1日[† 2] 未実施[† 3]
広野台一丁目 ひろのだい 1974年11月1日 1999年9月13日 広野台11974年10月31日以前は大字座間字元広野・元広野窪・字南広野、大字相模台の一部<1959年4月19日以前は大字座間字元広野窪>)
広野台二丁目 1974年11月1日 1999年9月13日 広野台21974年10月31日以前は大字座間字元広野・字南広野、大字座間入谷字向長窪西半分・字東長久保・字長久保・字長久保中通)


小松原一丁目 こまつばら 1974年11月1日 1997年10月20日 小松原1
小松原二丁目 1974年11月1日 1997年10月20日 小松原2
座間1丁目 ざま 1975年11月1日 未実施
座間2丁目 1975年11月1日 未実施
相武台一丁目 そうぶだい 1974年1月1日 2013年10月15日 相武台1
2016年3月1日 大字座間入谷、大字座間(キャンプ座間返還地)
相武台二丁目 1974年1月1日 2013年10月15日 相武台2
相武台三丁目 1974年1月1日 2013年10月15日 相武台3
相武台四丁目 1974年1月1日 2013年10月15日 相武台4
ひばりが丘一丁目 ひばりがおか 1977年11月1日 2002年9月17日 ひばりが丘1
ひばりが丘二丁目 1977年11月1日 2002年9月17日 ひばりが丘2
ひばりが丘三丁目 1977年11月1日 2002年9月17日 ひばりが丘3
ひばりが丘四丁目 1977年11月1日 2002年9月17日 ひばりが丘4
ひばりが丘五丁目 1977年11月1日 2002年9月17日 ひばりが丘5
東原一丁目 ひがしはら 1983年11月7日 1983年11月7日 大字栗原字東原
東原二丁目 1983年11月7日 1983年11月7日 大字栗原字東原
東原三丁目 1983年11月7日 1983年11月7日 大字栗原字東原・字下谷
東原四丁目 1983年11月7日 1983年11月7日 大字栗原字東原
東原五丁目 1983年11月7日 1983年11月7日 大字栗原字東原
さがみ野一丁目 さがみの 1985年10月21日 1985年10月21日 大字栗原字東原
さがみ野二丁目 1985年10月21日 1985年10月21日 大字栗原字東原
さがみ野三丁目 1985年10月21日 1985年10月21日 大字栗原字東原・字下谷
南栗原一丁目 みなみくりはら 1989年10月16日 1989年10月16日 大字栗原字西原・字下谷
南栗原二丁目 1989年10月16日 1989年10月16日 大字栗原字下谷・字東原・字芹沢谷・字中谷
南栗原三丁目 1989年10月16日 1989年10月16日 大字栗原字下谷・字東原
南栗原四丁目 1989年10月16日 1989年10月16日 大字栗原字下谷・字東原
南栗原五丁目 1989年10月16日 1989年10月16日 大字栗原字下谷・字西原
南栗原六丁目 1989年10月16日 1989年10月16日 大字栗原字西原・字長谷・字中原
栗原中央一丁目 くりはらちゅうおう 1991年10月14日 1991年10月14日 大字栗原字上東原・字上谷・字中丸
栗原中央二丁目 1991年10月14日 1991年10月14日 大字栗原字東原・字上谷・字西原
栗原中央三丁目 1991年10月14日 1991年10月14日 大字栗原字上東原・字上谷・字中谷
栗原中央四丁目 1991年10月14日 1991年10月14日 大字栗原字中谷・字西原・字上谷・字下谷
栗原中央五丁目 1991年10月14日 1991年10月14日 大字栗原字芹沢谷・字東原・字中谷・字下谷
栗原中央六丁目 1991年10月14日 1991年10月14日 大字栗原字上東原・字中谷・字芹沢谷・字芹沢
西栗原一丁目 にしくりはら 1993年11月1日 1993年11月1日 立野台、大字栗原字西原・字長谷・字中原
西栗原二丁目 1993年11月1日 1993年11月1日 立野台、大字栗原字中原・字長谷
入谷東一丁目 いりやひがし 2019年2月12日 2019年2月12日 入谷3
入谷東二丁目 2019年2月12日 2019年2月12日 入谷4
入谷東三丁目 2019年2月12日 2019年2月12日 入谷3、入谷4、入谷5
入谷東四丁目 2019年2月12日 2019年2月12日 入谷4、入谷5
入谷西一丁目 いりやにし 2020年2月3日 2020年2月3日 入谷3
入谷西二丁目 2020年2月3日 2020年2月3日 入谷1
入谷西三丁目 2020年2月3日 2020年2月3日 入谷1、入谷3、入谷5
入谷西四丁目 2020年2月3日 2020年2月3日 入谷5
入谷西五丁目 2020年2月3日 2020年2月3日 入谷1、入谷2
座間 ざま 1948年9月1日 未実施
座間入谷 ざまいりや 1948年9月1日 未実施
  1. ^ 緑ヶ丘土地区画整理事業換地処分公告があった日(1992年12月15日)の翌日。
  2. ^ 明王土地区画整理事業換地処分公告があった日(1970年10月31日)の翌日。
  3. ^ 町名地番整理実施区域

町名の由来

以下は昭和30年代以降の開発に伴う町名変更によるもの(次項参照)。

町名整理

元は座間座間入谷座間新戸栗原四ツ谷新田宿の6大字を編成していたが、座間および座間入谷の両大字は相互に多数の飛び地を持ち境界が錯綜していた。また、西部の相模川沿いを本来の領域とする四ッ谷、新田宿も東部境界沿いに飛び地を持っていた。そのため、特に相模線以東の区域での市街化の進行とともに救急や郵便等で該当地番を探すのが困難(新田宿違い)になってきたことから、1950年代以降相次いで新しい字・町名が設置されてきた。

  • 1959年(昭和34年)4月20日 - 座間新田宿飛び地四ツ谷飛び地の各一部から相模台を新設。
  • 1959年(昭和34年)9月 - 座間入谷栗原の各一部から立野台を新設。
  • 1960年(昭和35年)7月 - 座間入谷、座間、栗原の各一部から相武台を新設。
  • 1962年(昭和37年)10月 - 座間入谷、座間、栗原の各一部から緑ケ丘を新設。「緑ケ丘」は公募により決定された。
  • 1970年(昭和45年)11月1日 - 座間入谷、座間、栗原、緑ケ丘の各一部から明王を新設。
  • 1974年(昭和49年)1月1日 - 相武台から相武台1〜4丁目を新設。
  • 1974年(昭和49年)11月1日 - 座間入谷飛び地、四ツ谷飛び地から小松原1・2丁目を新設。
  • 1974年(昭和49年)11月1日 - 座間字元広野・字元広野窪全域、座間入谷飛び地、相武台、相模台の各一部から広野台1・2丁目を新設。
  • 1975年(昭和50年)11月1日 - 座間入谷、座間の各一部から座間1・2丁目を新設。
  • 1976年(昭和51年)11月1日 - 座間入谷の一部から入谷1〜5丁目を新設。
  • 1977年(昭和52年)11月1日 - 座間入谷飛び地、栗原字東原、小松原の各一部からひばりが丘1〜5丁目を新設。

相模が丘は、1959年(昭和34年)6月20日に、当該地域各大字小字を統合、大字名を新たに「相模台」として起立。同時に新たに地番の付け直し(不動産登記法に基づく地番整理)を実施した。しかし、相模原市1969年(昭和44年)7月1日隣接する区域で住居表示を実施した際に「相模台」という町名を新設したことから、座間市側では混乱を避けるため1981年(昭和56年)6月1日の住居表示実施と同時に再度町名変更し「相模が丘」とした。

郵便

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郵便番号

電話番号

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市外局番等

  • 046-2xx・40x(下記の区域を除く) - 厚木MA[48](厚木市、海老名市、相模原市南区の一部、座間市の大部分、大和市、愛川町、清川村)

行政

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市長

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歴代市長

行政委員会

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常任委員会
  • 予算決算常任委員会(定数22)
  • 企画総務常任委員会(定数8)
  • 民生教育常任委員会(定数8)
  • 都市環境常任委員会(定数8)
特別委員会
  • 基地政策特別委員会

消防事務

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議会

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市議会

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衆議院

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神奈川県第13区
当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
太栄志 44 立憲民主党 130,124票
比当 甘利明 72 自由民主党 124,595票
神奈川県第16区
当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
後藤祐一 52 立憲民主党 137,558票
比当 義家弘介 50 自由民主党 114,396票

経済

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1957年昭和32年)頃より企業誘致を積極的に行い、昭和40年代には当時23町村の中でも財政的には常に上位にあり、周辺の市と同水準を目指す姿勢を示した。しかし、急激な人口増加に伴いインフラ等の整備を余儀なくされ、地方交付金の不交付団体であった期間はオイルショックの打撃を受けた1973年(昭和48年)までの8年間しかなかった。 ちなみに、当時座間町が誘致し町の成長を促した企業として、東洋ナイロンカラーファスナー、岡本理研、東芝機械、田谷精機、三共紙器、東京コスモス電機日産自動車などがあげられる。

産業

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  • 主な産業 - 工業・商業

都市化の波と共に著しく農業等の産業は縮小し、以前は日産自動車企業城下町だったことから、自動車工業に関連した企業が多い。1995年平成7年)には日産自動車座間工場(当時・現在の座間事業所。その座間事業所敷地も座間工場稼働時代の20%以下に縮小されている)が閉鎖され、周辺の工業も縮小傾向にある。これゆえ、商業等の比率が高くなっているものの、相模原、厚木、大和、海老名等の近隣地域と商圏が大きく重なっており、市内商業(大型店及び商店街等の小売店)は著しく衰退した。

  • 産業人口
    • 第1次産業 413人(0.6%)
    • 第2次産業 18,978人(29.8%)
    • 第3次産業 43,298人(68.0%)

(2000年国勢調査に基く)

  • 商業施設
MEGAドン・キホーテUNY座間店
コストコ座間倉庫
スーパービバホーム座間店
イオンモール座間
コジマ×ビックカメラ座間店
ヤマダデンキ家電住まいる館YAMADA座間店
ノジマnojima座間店
  • 本店・本社を置く主な企業
ニデックパワートレインシステムズ
東京コスモス電機
シーイーシー
アゼスタ (神奈川県)

姉妹都市・提携都市・その他提携

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海外

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 スマーナ市(Smyrna)(アメリカ合衆国テネシー州
1991年3月姉妹都市提携

災害時における相互応援協定

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 秋田県大仙市
2005年7月4日姉妹都市再提携(旧仙北郡中仙町と提携していたが合併のため再提携となる)

地域(犯罪情報等の提供に関する協定)

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座間警察署
2007年10月22日提携

企業

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イオン株式会社と「包括連携協定」を締結
2018年2月9日締結

教育

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昭和40年代の急激な人口増加に伴い毎年のように施設造営を繰り返したことから、校舎等の建造物の形状、規格等が非常に類似している。近年の児童・生徒数は少子化により減少したものの、現時点において座間市内の教育施設の統廃合は行われていない。

小学校
中学校
高等学校
特別支援学校

交通

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鉄道路線

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東日本旅客鉄道(JR東日本)
相模線
小田急電鉄
  小田原線
相模鉄道
 
SO
相鉄本線

道路

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路線バス

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座間市コミュニティバス「ザマフレンド号」

昨今の道路事情、利用者数の減少等により見直しが行われ、区間短縮及び減少傾向にある。かつては座間四ツ谷から鶴ヶ峰駅横浜駅まで至る路線もあったが廃止されている。

  • 神奈川中央交通東の路線
    • (台01)相武台前駅 - 相武台団地循環 - 相武台前駅
    • (下02)相武台下駅 - 立野台 - さがみ野駅北口
    • (台02)相武台前駅 - 相武台グリーンパーク
    • (台04)相武台前駅 - 立野台 - 座間四ッ谷
    • (台06)相武台前駅 - 相武台下駅 - 磯部
    • (海10)海老名駅東口 - 立野台 - 相武台前駅
    • (台12)相武台前駅 - ひばりヶ丘 - 南林間駅
    • (台13)相武台前駅 - 総合体育館前 - 北里大学病院北里大学
    • (台14)相武台前駅 - 座間 - 原当麻駅
    • (相27)相模原駅南口 - 北里大学病院・北里大学 - 相武台前駅
    • (綾76)相武台前駅 - さがみ野駅北口(相鉄バスから移管されたため「綾」系統)
    • (小02)小田急相模原駅 - 小松原入口 - ひばりが丘一丁目 - 南林間駅
    • (小03)小田急相模原駅 - 小松原入口 - イオンモール座間 - 小松原入口 - ひばりが丘一丁目 - 南林間駅
    • (小05)小田急相模原駅 -(直行)- イオンモール座間
    • (林03)南林間駅 - ひばりが丘一丁目 - 小松原入口 - イオンモール座間
    • (林05)イオンモール座間 →(直行)→ 南林間駅
  • 座間市コミュニティバス(ザマフレンド号)の路線
    • (A)さがみ野コース
    • (B)小松原・病院経由コース
    • (C)相模が丘コース
    • (D)東原・ひばりが丘南コース
    • (E)西部方面循環コース(2009年11月に入谷コース、座間・新田宿・四ツ谷コースを統廃合)

タクシー

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名所・旧跡・公園・観光スポット・祭事・催事

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特産品

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  • やまといも
  • 純米吟醸いさま
  • ひまわり焼酎
  • 熟成焼酎“冬のひまわり”
  • 石川のとん漬け
  • どんぶり豆腐
  • 大凧最中
  • 大凧煎餅
  • 座間音頭(和菓子)
  • 銘菓 むかしむかし
  • 凧サブレ
  • 谷戸山公園ポテト(洋菓子)
  • 谷戸山公園石畳(生チョコ
  • 座間ひまわり畑(洋菓子)
  • ざまみず

公園・観光スポット

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祭り

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座間の大凧祭り

座間の大凧祭り

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例年5月4日 - 5日相模川河川敷の相模川グラウンドで開催。神奈川県のまつり50選に選ばれている。

大凧の文字
  • 昭和
    • 40年 清和
    • 41年 青嵐
    • 42年 飛揚
    • 43年 祝明治百年
    • 44年 慶雲
    • 45年 慶瑞
    • 46年 待望
    • 47年 瑞雲
    • 48年 勢嵐
    • 49年 凌雲
    • 50年 風飛
    • 51年 飛龍
    • 52年 暁雲
    • 53年 晴嵐
    • 54年 雄飛
    • 55年 瑞鴻
    • 56年 慶祝
    • 57年 雄翔
    • 58年 乾坤
    • 59年 芳春
    • 60年 清節
    • 61年 闘魂
    • 62年 和風
    • 63年 湘東
  • 平成
    • 元年 平成
    • 2年 翔空
    • 3年 座間 躍動
    • 4年 精魂
    • 5年 奉祝
    • 6年 慶福
    • 7年 瑞祥
    • 8年 祝竣
    • 9年 愛郷
    • 10年 国体
    • 11年 雄風
    • 12年 昇龍
    • 13年 座間 祝風
    • 14年 敬愛
    • 15年 勇翔
    • 16年 悠郷
    • 17年 翔湧
    • 18年 慶翔
    • 19年 翔雲
    • 20年 清風
    • 21年 輝郷
    • 22年 薫風
    • 23年 盛栄
    • 24年 興龍
    • 25年 祥風
    • 26年 陽駿
    • 27年 輝風
    • 28年 凱風


その他の主な祭り

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  • 座間市民ふるさと祭り – 11月上旬開催
  • さがみ野さくら祭 – 4月上旬さがみ野桜並木で開催
  • 相模が丘さくら祭 – 4月上旬相模が丘桜並木で開催
  • 日米親善盆踊り大会 – 8月上旬から中旬「米軍座間キャンプ」内で開催
  • 座間キャンプ桜まつり – 4月上旬「米軍座間キャンプ」内で開催
  • アメリカ独立記念日 – 7月上旬「米軍座間キャンプ」内で開催
  • 緑化まつり – 4月下旬「かにが沢公園」で開催
  • ZAMA燦夏祭 – 9月日産座間事業所及び近辺道路で開催
  • ふれあい農業祭 – 4月第4土曜日「JAさがみ座間支店」で開催
  • 座間市ひまわりまつり – 8月中旬ひまわり開花時期
  • 座間神社例大祭 – 8月下旬開催
  • 鈴鹿明神社例大祭 – 8月1日開催
  • 栗原神社例大祭 – 9月上旬開催
  • 座間ハイツ盆踊り祭り – 8月に開催

旧跡

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文化

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出身の有名人

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脚注

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注釈

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  1. ^ 平塚宿を起点に田村で中原街道と交差し、厚木海老名、座間、相模原を経て八王子に通じる。

出典

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  1. ^ “井上尚弥「それは小っ恥ずかしい」と苦笑い 弟・拓真との座間市内パレード計画を断る”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年1月14日). https://www.daily.co.jp/ring/2023/01/14/0015965093.shtml 2023年1月14日閲覧。 
  2. ^ これにより古来からの座間入谷飛び地の各小字が事実上不詳なってしまった。
  3. ^ 相模原町は残りの区域で1954年(昭和29年)11月20日に市制施行し、人口約8万人の相模原市となった。
  4. ^ 完成は1963年(昭和38年)
  5. ^ 町田市柿生交換局管内の三輪町を除く)、相模原市上鶴間麻溝台鵜野森全域、大沼の大部分、磯部新磯野古淵の一部、座間町相模台の大部分※1960年6月19日当時。
  6. ^ 現・NTT東日本-南関東 東京事業部 東京西支店の管轄の相模原MA
  7. ^ 旧相模原電報電話局、後の橋本分局。市外局番027、市内局番7。
  8. ^ 1961年11月5日の全国ダイヤル自動即時化まで、市外局番:東京23区03、川崎04、日吉046、中原047、溝ノ口048、登戸049、横浜05、藤沢066、武蔵野三鷹022、武蔵府中0236、調布024、立川025、八王子026、青梅028,町田0274、相模原(旧相模原電報電話局、後の橋本分局)027、大阪06。名古屋は交換手扱い。『日本電信電話公社関東電気通信局「関東電信電話百年史. 上」(1968年3月刊行)』より。
  9. ^ 当該区域の小田急相模原駅周辺には4000番台が、原町田区域・相模大野駅周辺区域には2000番台・3000番台が割り当てられた。この時すでに町田局管内は1000回線を超えていた。
  10. ^ 市外局番設定0274、市内局番なし 例①旧表記・町田xxx番→新表記・0274-4xxx、例②旧表記・町田xx番→新表記・0274-20xx、例③旧表記・町田xxx番→新表記・0274-3xxx、例④旧表記・町田1xxx番→新表記・0274-1xxx
  11. ^ 1961年11月5日、全国ダイヤル自動即時化に際し、都内除く南関東地区に04が当てられた。従って川崎044、日吉0446(1966年7月10日044-61に変更→1990年10月1日、現行の045-561に変更)、中原0447(1966年12月4日044-72に変更)、溝ノ口0448(1964年10月25日044-82)に変更、登戸0449(1963年12月8日044-91に変更。1965年12月12日柿生交換局は自動即時化044-98、1965年11月26日登戸局百合丘分局開設、自動即時化044-96)、横浜045、戸塚04692(手動即時、1962年3月11日自動即時化045-88に変更)、武蔵野三鷹0422、田無0421、武蔵府中04236、調布0424、八王子0426、青梅0428、町田04274、相模原(後の橋本分局)0427、小田原0465、国府津04650(※1963年10月1日、0465-47に変更)、箱根0460、湯河原04606、厚木0462(※1963年12月5日ダイヤル自動即時化)、大和0462(※1964年2月23日ダイヤル自動即時化)、煤ヶ谷046288(手動即時)、藤沢0466、鎌倉0467、茅ケ崎04670、横須賀0468、三浦04688、逗子04693、大磯・二宮・秦野0463、西秦野0463-01、平塚0463(※1964年5月31日ダイヤル自動即時化)となった。名古屋052・大阪06『日本電信電話公社関東電気通信局「関東電信電話百年史. 上」(1968年3月刊行)』より。
  12. ^ 例①04274-4xxx、例②04274-20xx、例③04274-3xxx、例④04274-1xxx
  13. ^ 特殊番号(非自動化地域への通話)103・108(受話器を取り103ないし108をダイヤルし交換手に相手の電話番号を告げ、電話を切らずに待つ・手動即時通話)、106(受話器を取り106をダイヤルし交換手に相手の電話番号を告げ、一旦電話を切って待つ・手動待機通話)
  14. ^ 例①旧表記04274-4xxx→新表記0427-22-4xxx、例②旧表記04274-20xx→新表記0427-22-20xx、例③旧表記04274-3xxx→新表記0427-22-3xxx、例④旧表記04274-1xxx→新表記・0427-22-1xxx
  15. ^ 相模原市の町田局管内を除く、旧・相模原局(後の橋本分局・市外局番0427)外、各手動式交換局を統合した新・相模原電報電話局開局につき市内局番設定(52<中央、相模原、清兵衛新田、淵野辺、矢部、上溝・大沼の一部>・62<上溝、田名、大島>・72<橋本、相原、下九沢、上九沢>・78<当麻、下溝>)。同時に町田局市外局番04274を相模原局と同じ0427に変更、市内局番22を設定。相模原局‐町田局間、準市内扱いで単一料金にて通話可能となる。※1964年1月30日当時。
  16. ^ 例①0427-22-4xxx→0427-44-4xxx、例②0427-22-20xx→0427-42-20xx、例③0427-22-3xxx→0427-42-3xxx、例④0427-22-1xxx→0427-44-1xxx ※1969年2月当時。
  17. ^ 例 旧表記・厚木xx番→新表記・0462-21-00xx。※厚木局管内市内局番:厚木・海老名21。海老名電話交換局有馬電話交換局開局に付き、海老名31、有馬38に変更。※開局・市内局番変更時期不詳。
  18. ^ 大字座間入谷飛び地向長窪・東長久保・長久保・長久保中通などの古来の小字が事実上不詳になった。
  19. ^ 座間町(相模台の町田電報電話局管内・栗原の厚木電報電話局管内を除く)、相模原市新戸全域、磯部・新磯野の大部分。同時に、座間町内の町田局・大和局に収容されていた165回線を座間局に振替収容した。※1965年当時
  20. ^ 例①旧表記・座間xx番→新表記・0462-51-00xx、例②旧表記・座間xxx番→新表記・0462-51-0xxx、例③旧表記・座間1xxx番→新表記・0462-51-1xxx
  21. ^ 『座間むかしむかし第3集・巻末 座間市略年表』
  22. ^ “座間市が市制施行40年で式典、マスコットキャラは「ざまりん」に/神奈川|カナロコ|神奈川新聞ニュース”. 神奈川新聞社. (2011年11月3日). http://www.kanaloco.jp/article/41745 2015年9月2日閲覧。 
  23. ^ 『座間の地名』p32
  24. ^ 『皇国地誌村誌』p39
  25. ^ 『語り伝え村制編1』p2
  26. ^ 新編相模国風土記稿 座間宿村.
  27. ^ 『皇国地誌村誌』p23
  28. ^ 『座間の地名』p38,p72
  29. ^ 『皇国地誌村誌』p49
  30. ^ 『座間の地名』p108
  31. ^ 『皇国地誌村誌』p61
  32. ^ 『座間の地名』p94
  33. ^ 『皇国地誌村誌』p71
  34. ^ 『座間の地名』p102
  35. ^ 戦時中高座郡相模原町当時から座間分・上鶴間分・新戸磯部分の住民は、小田急相模原駅一帯を通称相模台と呼んでいた。『座間むかしむかし第3集・字名の起こり』
  36. ^ 『座間の地名』p26
  37. ^ 『座間の地名』p27,p119
  38. ^ 『座間の地名』p27,p25
  39. ^ 『座間の地名』p124
  40. ^ 『座間の地名』p28,p68
  41. ^ 『座間の語り伝え 7 村制編 1 村の起こり』・『座間の地名』p28
  42. ^ 『座間の地名』p50
  43. ^ 『座間むかしむかし第1集・芝原の開墾』
  44. ^ 『座間むかしむかし第3集・字名の起こり』
  45. ^ 『座間むかしむかし第1集・芝原の開墾』・『座間の地名』p123
  46. ^ 『座間の地名』p122
  47. ^ 『座間の地名』p30
  48. ^ NTT東日本-南関東 神奈川事業部 神奈川西支店管轄
  49. ^ 現・NTT東日本-南関東 東京事業部 東京西支店管轄。
  50. ^ 三輪町を除く※1961年当時、町田市三輪町柿生交換局管内、1965年12月12日ダイヤル自動即時化044-98。
  51. ^ 専福寺 八百万の神
  52. ^ 専念寺”. www2.tbb.t-com.ne.jp. 2024年3月1日閲覧。
  53. ^ "市指定重要文化財(天然記念物、無形文化財)". 座間市役所HP. 2022年12月7日. 2023年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月14日閲覧
  54. ^ ブログ - ウェイバックマシン
  55. ^ 護王大明神 神奈川県座間市入谷 神社写真集”. turezureni.ec-net.jp. 2024年3月1日閲覧。
  56. ^ 相模原市の谷津建設株式会社”. 相模原市の谷津建設株式会社. 2024年3月1日閲覧。
  57. ^ 小桜姫伝説で知られる「水上山龍源院」の「本堂」上棟式終わる!! - 相模太夫の旅録=Tabi Log”. goo blog. 2024年3月1日閲覧。
  58. ^ 土木学会選奨土木遺産 関東支部 / 相模野基線”. www.jsce.or.jp. 2024年3月1日閲覧。
  59. ^ 基線中間点 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2024年3月1日閲覧。
  60. ^ 市指定重要文化財(建造物、史跡) - ウェイバックマシン(2015年4月2日アーカイブ分)- 座間市

参考文献

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  • 語り伝え聞き取り調査団、「座間の語り伝え〔7〕村制編1」、1986
  • 座間市立図書館市史編さん係、座間市史資料叢書6「皇国地誌村誌」、1992
  • 座間市文化財調査員協議会、「座間の地名」、2005
  • 「澁谷庄 座間宿村」『大日本地誌大系』 第38巻新編相模国風土記稿3巻之66村里部高座郡巻之8、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179219/174 

関連項目

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外部リンク

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