麻溝台
麻溝台(あさみぞだい)は、神奈川県相模原市南区の町名および大字名。住居表示実施区域の麻溝台一丁目〜八丁目よび未実施の地番区域(大字)からなる[5]。
麻溝台 | |
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町丁・大字 | |
女子美術大学 相模原キャンパス | |
北緯35度31分34秒 東経139度24分03秒 / 北緯35.526136度 東経139.400833度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川 |
市町村 | 相模原市 |
行政区 | 南区 |
地区 |
麻溝地区(大字、1・7丁目) 相模台地区(大字、1〜8丁目) |
人口情報(2020年(令和2年)10月1日現在[1]) | |
人口 | 7,690 人 |
世帯数 | 3,394 世帯 |
面積([2]) | |
3.48450439 km² | |
人口密度 | 2206.91 人/km² |
郵便番号 | 252-0328[3] |
市外局番 | 042(相模原MA)[4] |
ナンバープレート | 相模 |
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「麻溝台」という地名は、この区域がかつて所属していた高座郡麻溝村に由来する。「麻溝村」という旧村名は、同村の前身である当麻(たいま)村と下溝村からの合成地名である。
地理
編集相模原市南区の中央部北寄りに位置する。北は神奈川県道・東京都道52号相模原町田線を境に北里一・二丁目および大野台四丁目に接し、東は西大沼五丁目と双葉一丁目、南は双葉二丁目と相模台七丁目および大字新磯野(あらいその)、西は大字下溝と隣接する。
相模川左岸に上・中・下3段の河岸段丘からなる相模原台地の「上段」に位置し、西側に南の磯部方面へ続く細長いヤト(谷戸)が伸び、ほぼ中央部を目久尻川の源流につながる浅い谷が南北に貫通するほかはほとんど平坦な台地上に広がる。
後述の通り、元は陸軍士官学校の演習地が再開墾された農地が広がっていたが、日産自動車の進出とともにこれを核とした工業団地が形成された。また農業でも市街地から離れていることから1960年代以降、大規模な養鶏場の建設が相次いだ。一方、1970年代に入るとこの地域にも宅地化の波が及び、特に南部では市街化が進行している。宅地化による新住民の流入とともに鶏舎からの悪臭が問題となり、2000年頃をピークにこの地域での養鶏は急速に衰退しつつある。
1989年(平成元年)7月に、これらの工業団地や市街化の進行した区域を含めた神奈川県道507号相武台相模原線(通称:村富線)以東の区域で住居表示が実施され、麻溝台一丁目〜八丁目が新設されたが、この県道以西の区域はその大部分が市街化調整区域に指定され、地番区域(大字麻溝台)として残存している。地番区域の多くは農地として利用されているが、耕作放棄されている農地も少なくなく、一時的に産業廃棄物等の置き場として利用されている場所もある。地番区域には市の南清掃工場があり、西側のヤトの一部は一般廃棄物最終処分場として利用されている。
地価
編集住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、麻溝台六丁目7-10の地点で13万円/m2となっている[6]。
歴史
編集元は相模国高座郡下溝村(一部は当麻村)の一部で「芝野」と通称されていた[7]。1889年(明治22年)の町村制施行のための明治の大合併で下溝村と当麻村が合併して高座郡麻溝村となると同村の大字下溝および大字当麻(飛地)のそれぞれ一部となった。明治初期までは「相模野」と呼ばれた広大な原野の一部で、このことから1882年(明治15年)には全国的な地図作成のための測量の起点となる一等三角点が設置された(相模野基線北端:現・麻溝台四丁目)。原野の開墾は1884年(明治17年)の下溝村からの入植に始まるとされ(コウタシンケエ[8]、下溝新開:現・麻溝台六丁目付近[9])、大正期には周辺地域での養蚕業の発展とともに桑畑と雑木林が交錯する土地利用となっていた。しかし、1937年(昭和12年)に陸軍士官学校の座間への移転に合わせて、麻溝村から南隣の新磯村にかけての台地上の土地の大部分が陸軍に買収され、士官学校の演習場とされた。
太平洋戦争敗戦後、士官学校の旧軍用地が開放され、海外からの引揚者による開拓(再開墾)が行われた。その多くは1945年(昭和20年)から1947年(昭和22年)にかけて入植し、1948年(昭和23年)には開拓農業協同組合が設立され、当区域には「麻溝台」や「豊原」など5つの組合があった[10][11]。開拓に際しては新たな地割が行われたため、この区域には陸軍による買収以前、たとえば江戸時代の道路等の痕跡は、一部を除いて残っていない。
この間、麻溝村は新磯村などとともに1941年(昭和16年)に高座郡相模原町の一部となった。1951年(昭和26年)1月、相模原町は旧麻溝村の区域内の旧軍用地に大字麻溝台を起立した(同時に、旧新磯村の旧軍用地に大字新磯野を起立)。1954年(昭和29年)11月20日に相模原町は市制を施行し相模原市となる。1979年(昭和54年)7月1日、相模原市は神奈川県道・東京都道52号相模原町田線以北の区域で住居表示を実施し、相模原ゴルフクラブの敷地を既存の大野台四丁目に編入した上で、残りの区域に北里一丁目・二丁目を新設した[12]。1989年(平成元年)7月1日に神奈川県道507号相武台相模原線(村富線)以東の区域で住居表示を実施、麻溝台一丁目〜八丁目を新設した。2010年(平成22年)4月1日、相模原市の政令指定都市移行により、同市の南区に所属。
世帯数と人口
編集2020年(令和2年)10月1日現在(国勢調査)の世帯数と人口(総務省調べ)は以下の通りである[1]。
大字・丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
麻溝台 | 101世帯 | 361人 |
麻溝台一丁目 | 226世帯 | 271人 |
麻溝台二丁目 | 160世帯 | 433人 |
麻溝台三丁目 | 143世帯 | 333人 |
麻溝台四丁目 | 133世帯 | 406人 |
麻溝台五丁目 | 249世帯 | 828人 |
麻溝台六丁目 | 582世帯 | 1,237人 |
麻溝台七丁目 | 718世帯 | 1,516人 |
麻溝台八丁目 | 1,082世帯 | 2,305人 |
計 | 3,394世帯 | 7,690人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
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1995年(平成7年)[13] | 7,500
|
2000年(平成12年)[14] | 8,010
|
2005年(平成17年)[15] | 7,897
|
2010年(平成22年)[16] | 8,216
|
2015年(平成27年)[17] | 8,364
|
2020年(令和2年)[1] | 7,690
|
世帯数の変遷
編集国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[13] | 2,651
|
2000年(平成12年)[14] | 2,975
|
2005年(平成17年)[15] | 2,939
|
2010年(平成22年)[16] | 3,271
|
2015年(平成27年)[17] | 3,344
|
2020年(令和2年)[1] | 3,394
|
学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2018年2月時点)[18]
大字・丁目 | 番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
麻溝台 | 2270、2281、2283~2287、2290 2305、2307〜2308、2348~2382 2384~2386、2391、2816~2848 2850~2866、2960、2970 2972~3009、3011、3043、3050 3052~3105、3107、3115 3117~3155、3157、3445~3512 3623~3722、3841~3846 |
相模原市立若草小学校 | 相模原市立麻溝台中学校 |
761、1060〜1061、1117~1123 1395、1429、1431~1442 1524〜1525、1534、1537~1541 1543、1849、1852~1856、1858 1868、1968〜1969、1971 1985~1989、1991〜1992 |
相模原市立双葉小学校 | ||
98~114、346~410、692~733 735~753、755〜756、758 1063~1116、1443~1523 1872~1967、2309~2347、3106 3108~3114、3116、3156 3158~3444、3513~3622 3723~3840、3847~3888 |
相模原市立麻溝小学校 | 相模原市立相陽中学校 | |
麻溝台一丁目 | 1番 | ||
その他 | 相模原市立双葉小学校 | 相模原市立麻溝台中学校 | |
麻溝台二丁目 | 全域 | ||
麻溝台三丁目 | 全域 | ||
麻溝台四丁目 | 全域 | ||
麻溝台五丁目 | 1~14番 | ||
その他 | 相模原市立桜台小学校 | ||
麻溝台六丁目 | 全域 | ||
麻溝台七丁目 | 全域 | 相模原市立若草小学校 | |
麻溝台八丁目 | 1~23番、29~37番 | ||
その他 | 相模原市立桜台小学校 |
事業所
編集2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[19]。
大字・丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
麻溝台 | 88事業所 | 1,931人 |
麻溝台一丁目 | 91事業所 | 4,728人 |
麻溝台二丁目 | 23事業所 | 286人 |
麻溝台三丁目 | 31事業所 | 863人 |
麻溝台四丁目 | 21事業所 | 249人 |
麻溝台五丁目 | 37事業所 | 446人 |
麻溝台六丁目 | 69事業所 | 741人 |
麻溝台七丁目 | 66事業所 | 748人 |
麻溝台八丁目 | 73事業所 | 1,002人 |
計 | 499事業所 | 10,994人 |
事業者数の変遷
編集経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年)[20] | 519
|
2021年(令和3年)[19] | 499
|
従業員数の変遷
編集経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年)[20] | 11,487
|
2021年(令和3年)[19] | 10,994
|
交通
編集鉄道
編集- 区域内を通過する鉄道はない。
道路
編集- 神奈川県道52号相模原町田線
- 神奈川県道507号相武台相模原線(通称:村富線)
施設
編集- 中学校
- 相模原市立麻溝台中学校
- 高等学校
- 区域内にはないが、隣接する北里二丁目(旧大字麻溝台)に神奈川県立麻溝台高等学校がある。
- 神奈川県立相模原公園 - 旧陸軍士官学校射撃場、在日米軍座間小銃射撃場跡地。
- 相模原市立相模原麻溝公園 - 県立相模原公園と一体のものとして整備されている。
- 相模原市立総合体育館
- 市民健康文化センター
- 相模原友愛温泉病院
- 神奈川県立さがみ緑風園
- 麻溝台工業団地
- 日産自動車相模原部品センター
- その他
- 横浜水道、水道みち緑道
その他
編集日本郵便
編集参考文献
編集- 『相模原市史 現代図録編』 相模原市、2004年
- 『地名調査報告書』 相模原市教育委員会、1984年
脚注
編集- ^ a b c d “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2023年7月17日閲覧。(CC-BY-4.0)
- ^ a b “麻溝台の郵便番号”. 日本郵便. 2022年4月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ “住居表示実施区域一覧”. 相模原市 (2022年6月21日). 2023年7月16日閲覧。
- ^ “国土交通省地価公示・都道府県地価調査”. 国土交通省. 2023年6月4日閲覧。
- ^ 明治17年には芝野(麻溝台)に下溝の吉野幸太郎が下溝新開を開墾し四戸での生活がしばらく続いたが、昭和11年に新開が陸軍練兵場に接収され、仕方なく本村の下溝に帰った。『ふるさと~相模台地域の移り変わり~平成12年8月発行 小山德孝/著 24頁◇下溝新開』
- ^ 「地名調査報告書」 相模原市教育委員会、1984年3月31日発行44頁
- ^ ただし後に陸軍士官学校演習場として買収されたため、現在の集落・農地には連続しない。
- ^ 「麻溝台」「一青会」「振興」「溝上」「豊原」「双葉」5つの開拓農業協同組合。新磯野には「相武台下開拓農業協同組合」があった。引用元:「郷土史としての相武台陸軍士官学校」 涌田佑/著 平成18年11月1日発行●六章:米軍接収と練兵場開拓ー麻溝台開拓農業協同組合ー84頁 『ふるさと~相模台地域の移り変わり~平成12年8月発行 小山德孝/著 41頁◇終戦~再び開拓』
- ^ “神奈川県相模原市南区 (14153)”. 農業集落境界データセット. 2024年11月2日閲覧。
- ^ この町名は一丁目に進出した北里大学および同大学病院による。
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ “小・中学校の通学区域”. 相模原市. 2018年2月18日閲覧。
- ^ a b c “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ a b “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年7月17日閲覧。