座間入谷
日本の神奈川県座間市の地名
座間入谷(ざまいりや)は、神奈川県座間市の大字。丁番を持たない単独町名で、郵便番号は252-0000[注釈 1]。当地域の世帯数および人口は非公表。
座間入谷 | |
---|---|
大字 | |
座架依橋。右奥の駐車場方向が座間入谷の領域。 | |
北緯35度29分15秒 東経139度22分30秒 / 北緯35.4875度 東経139.375度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川 |
市町村 | 座間市 |
郵便番号 | 252-0000 |
市外局番 | 046(厚木MA)[1] |
ナンバープレート | 相模 |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 神奈川県 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
地理
編集座間市北西部、相模川中流左岸の沖積低地に位置する[2]。座間入谷の最後の小字飛地であったひばりが丘が1977年11月1日に分離してから2024年11月29日現在の領域は相模川河川敷の数箇所の小区画のみで、大半が多目的広場として整備されているほか、一部に畑も見られる。
歴史
編集1977年11月1日、座間入谷の最後の小字飛地であったひばりが丘が分離するまで、座間市北部から東部にかけての広い範囲に広がっていたが、昭和30年代頃から地番整理が行われ、大半が新しい町として分離している。
地名の由来
編集座間入谷村として分村する以前の座間村入谷ノ組から。名主の居住地の字「入谷」に由来[2]。
この地と座間市座間1・2丁目を合わせた地域が、本来の「座間」「座間村」であり、鈴鹿明神社付近の鈴鹿・長宿地区が「座間発祥の地」である。寛文年間に江戸幕府の命により、座間入谷村と座間宿村(座間市座間1・2丁目)に分村した。
沿革
編集- 江戸時代
- 1868年(明治元年) - 座間入谷村[3]、神奈川府を経て神奈川県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、高座郡座間村大字座間入谷となる。
- 1937年(昭和12年)12月20日 - 座間村が町制施行し、高座郡座間町となる。
- 1941年(昭和16年)4月29日 - 座間町が上溝町・相原村・麻溝村・新磯村・大沢村・大野村・田名村と合併、高座郡相模原町となる。
- 1948年(昭和23年)9月1日 - 高座郡相模原町から座間町が再度分離する。
- 1953年(昭和28年) - 大字座間新戸を編入[注釈 2]。
- 1959年(昭和34年)9月22日 - 一部が立野台として分離[注釈 3]。
- 1960年(昭和35年)7月5日 - 一部が相武台[注釈 4]として分離。
- 1962年(昭和37年)10月1日 - 一部が緑ケ丘として分離。
- 1970年(昭和45年)11月1日 - 一部が明王として分離。
- 1971年(昭和46年)11月1日 - 座間町が市制施行し、座間市となる。
- 1974年(昭和49年)11月1日 - 一部が広野台2丁目および小松原1丁目・2丁目として分離。
- 1975年(昭和50年)11月1日 - 一部が座間1丁目・2丁目として分離。
- 1976年(昭和51年)11月1日 - 一部が入谷1丁目〜5丁目[注釈 5]として分離。
- 1977年(昭和52年)11月1日 - 一部がひばりが丘として分離[注釈 6]。
交通
編集地内を通る鉄道・バス路線はない。最寄駅はJR相模線相武台下駅。
道路
編集- 神奈川県道42号藤沢座間厚木線
- 座架依橋 - 地内を通過する区間は全て橋梁上である。
施設
編集- 相模川多目的広場
- 相模川グラウンド
- 水と緑の風広場
参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典14. 神奈川県』角川書店、1984年。ISBN 4040011406。
脚注
編集注釈
編集- ^ 座間入谷単独の郵便番号は設定されておらず、座間市の「以下に掲載がない場合」に該当。
- ^ 現・明王 引用元:『座間の地名』28頁
- ^ 『座間の地名・付録昭和3年刊行「神奈川県高座郡座間村地番反別入図」の「高座郡座間村全略図」』
- ^ 後に町名整理により1974年(昭和49年)1月1日、相武台一丁目〜四丁目となる。その後2013年(平成25年)10月15日、当該地域に住居表示実施。
- ^ 後に住居表示実施に伴い入谷東と入谷西に分離。
- ^ 一丁目全域と五丁目半分が旧座間入谷飛び地。二丁目~四丁目全域・五丁目残り部分が旧栗原字東原。『座間の地名・付録昭和3年刊行「神奈川県高座郡座間村地番反別入図」の「高座郡座間村全略図」』
出典
編集関連項目
編集[[Category:1889年制定の町・字]