エマニュエル・ピロ

イタリアのレーシングドライバー (1962-)

エマニュエル・ピロEmanuele Pirro, 1962年1月12日 - )は、イタリア出身のレーシングドライバー。イタリア語に最も近い表記はエマヌエーレ・ピッロ。5度のル・マン24時間レース優勝経験を持つ。

エマニュエル・ピロ
Emanuele Pirro
エマニュエル・ピロ (2012年)
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1962-01-12) 1962年1月12日(62歳)
出身地 イタリアの旗 イタリア
同・ローマ
基本情報
F1での経歴
活動時期 1989,1990-1991
所属チーム '89 ベネトン
'90-'91 スクーデリア・イタリア
出走回数 40 (37スタート)
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 3
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1989年フランスGP
最終戦 1991年オーストラリアGP
テンプレートを表示
ル・マン24時間での経歴
1981,1998-2008,2010
チームマルティーニ・レーシング
GTC・コンペティション
アウディ・スポーツ・ヨースト
チャンピオン・レーシング
ドレイソン・レーシング
最高位1位 (2000,2001,2002,2006,2007)
クラス優勝6 (2000,2001,2002,2003,2006,2007)

プロフィール

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キャリア初期

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11歳の時、レーシングカートでレースキャリアを開始。1977年にイタリア・カートレースでチャンピオンとなった。1980年イタリアFフィアット・アバルトに転向し、初年度でチャンピオンを獲得した。

1981年ヨーロッパF3へステップアップ、F3初年度に1勝を記録しランキング6位。以後1983年までの3年間の参戦で計6勝・4PP・3FLを記録。2年目の1982年のランキング2位が最高となった。

F2 / F3000

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1984年、ヨーロッパF2選手権にステップアップし、オニクス・レーシングのマーチ・BMWをドライブ。第10戦ドニントン・パークでF2初表彰台となる2位を獲得するなどランキング6位。

1985年、F2からF3000レギュレーションに変更となった国際F3000選手権にオニクスから継続参戦し、2勝を挙げランキング3位。1986年も同シリーズでランキング3位を獲得し、F2/F3000クラスではトップクラスであることを証明する。翌1987年のF1シート獲得を希望し、2シーズン前までF1に参戦していたRAMの創設者でありマネージャーのジョン・マクドナルドとコンタクトを取った。

世界ツーリングカー選手権にも1986年・1987年にBMW ETC M3のドライバーとして参戦しており、計3勝を挙げた。

F1予備軍

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1987年、前2年の国際F3000での実績からF1参戦を目指しており、前述のジョン・マクドナルドが新たにマネージャーとして指揮するミドルブリッジ・レーシングのF1参戦計画のドライバーとしてピロと契約。ピロはこの交渉の時マクドナルドに「自分はツーリングカーでBMWと良好な関係を築いているから、自分と契約してくれればF1用のターボエンジンをBMWが供給してくれる」とアピールし実ったものだった。マシンは1年型落ちとなるベネトン・B186で、第11戦イタリアグランプリからの4戦に出場することが決まり[1]コンコルド協定で全チームの承認サインもなされていたが、第10戦オーストリアGPでスタート直後に多重クラッシュが連続発生し2度スタートがやり直しになったことを理由に、参戦を承認していたFISAが土壇場で「スタート台数を増やすのは妥当ではない」とミドルブリッジ・ベネトンおよびピロのF1参戦を認めない方針に変更してしまった[2]。同年のピロはこのミドルブリッジF1計画に注力していたため、レース活動の機会を失ってしまった。

1988年より、F1のマクラーレン・ホンダからテストドライバーの要請を受け、以後3年間マクラーレンの現行マシンでホンダF1エンジンのテスト走行・マシン開発に従事。加えて同年より全日本F3000チーム・ルマンからレギュラー参戦、ランキング3位を獲得する。

1989年も全日本F3000と富士GCに継続参戦していたが、ピロはブラバムなどF1チームとも交渉を続けており、ラルースのファクトリーでシート合わせを済ますなど、最終段階まで進展した交渉もあった[注釈 1]

そんな中、ベネトンで足の負傷の悪化とチーム上層部の権力争いの果てチームを追われたジョニー・ハーバートの後任としてF1第7戦フランスGPでのF1デビューのオファーが届き、日本での最後のF3000レースとなった1989年第4戦鈴鹿では、優勝を飾った。

ホンダF1エンジンのテストチームでのピロを知る後藤治は、「常に落ち着いている印象で、雰囲気は中嶋選手に近い感じですね。あらゆる状況で均一した判断が出来る有能なドライバーです」と評している。急遽F1デビューが決まり、以後の予定されていたテストに参加できないと報告するため、後藤に電話をかけ謝って来たというピロに後藤は「F1デビューは素晴らしいことだから気にしないで頑張って」とエールを送ったという。マスコミ対応で後藤は「ホンダとしては(86年にホンダF1エンジンテストを担当した)中嶋選手とピロの二人をF1に送りだせたのですから、すごいことだと思ってますし喜びもあります」と述べた[3]

 
F1参戦時のピロ(写真は1989年ベルギーGP

1989年シーズン、ベネトンはアレッサンドロ・ナニーニと新人ハーバートのコンビでシーズン開幕を迎えたが、前年国際F3000で負った足の傷の癒えぬハーバートの成績が安定せず、休養させる案が浮上。その後任としてミケーレ・アルボレート[4]ケケ・ロズベルグ[5]と交渉したが折り合わず、ホンダF1テストドライバーとして走行実績を持ち、マクラーレンのマシンをよく知るピロが抜擢されベネトンのレギュラーシートを得た。

しかしナニーニに対しタイムで遅れを取り、予選では1勝9敗。決勝でもナニーニがF1初優勝を含め4度(ピロと組んだ後に限れば3度)表彰台に立ったのに対し、ピロの入賞は豪雨となった最終戦オーストラリアGPでの5位のみという成績に終わった。ドイツGPホッケンハイムリンクではストレートエンドでマシンコントロールを失い、高速でスチロール製クラッシュパッドにぶつかり、マシンから自力で脱出できずにレスキューされる様子が全てTV中継され容態が心配される一幕もあった[6]。結果的には6戦のみの参戦であるハーバートに対しても、ポイント・最高位ともに下回り、シーズンが終わる前にチームは来季のナニーニ残留とネルソン・ピケ獲得を発表したため、ピロのベネトン離脱も決まった。

1990年BMSスクーデリア・イタリアに移籍、アンドレア・デ・チェザリスとのイタリアンコンビとなった。ピロは開幕戦前に体調を悪化させるとウイルス性肝炎と診断され、開幕2戦を欠場し[7]、第3戦サンマリノGPから参戦するもBMS190は完走が出来ないマシンでリタイヤが多く、14レース中完走は3回、最高位10位という成績でノーポイントに終わった。デ・チェザリスの最高位も10位でポイント獲得できなかった。チームは年間のべ23度のリタイアという不振の年となった。

 
スクーデリア・イタリア時代のピロ(写真は1991年アメリカGP

1991年はスクーデリア・イタリアに残留。デ・チェザリスが去った後任としてJ.J.レートがチームメイトに加入。このシーズンに向けてチームはジャッドV10エンジンを獲得し、前年のDFRエンジンよりもパワーアップしたマシンであった。前年の不振のためチームは開幕時に予備予選組に降格していたが、レートが第3戦サンマリノGPで3位表彰台に立ち、ピロも第4戦モナコGPで6位に入賞。ダラーラ製のBMS191は前年の発展型ではなく全く新しく設計されたマシンであり、レートは予備予選など問題にしなかった。しかしピロはシーズン前半に3度の予備予選落ちを喫しており、決勝レースでの完走はピロの方が多かったが、同年をもってチームはピロとの契約を延長せずにピエルルイジ・マルティニと契約。そのためシーズンオフにティレルと交渉するも契約に至らず[8]、F1シートを失うこととなった。

F1後、ル・マンでの活躍

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アウディ・R10 TDIを駆るピロ
(写真は2006年ラグナ・セカにて)

F1のシート確保が危うくなっていた1991年秋、日本GPの翌週開催された全日本F3000第10戦富士とSWC最終戦オートポリスが同日開催となっていたため日本に残り、ハヤシレーシングから全日本F3000に参戦していたジェフ・リースがSWC参戦のため欠場する代役として全日本F3000へ復帰参戦した[9]

その後はスポーツカー・レースに転向。1994年・1995年にはイタリア・ツーリングカー選手権、1996年はドイツのSTWカップでチャンピオンを獲得するなどの成績を残す。

特にル・マン24時間レースにおいては1999年からアウディを駆り参戦。2000年〜2002年、2006年・2007年と5度に渡り優勝を経験し成功を収めた。

FIAよりF1のレーススチュワードに任命され、2010年アブダビグランプリ[10]2011年マレーシアグランプリ2013年韓国グランプリなどで任務に就いている[11]

2023年4月、古巣のマクラーレンに加入し、同チームのドライバー育成プログラムの責任者に就任した[12]。しかし1年後の2024年4月にはマクラーレンを離脱している[13]

レース戦績

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ル・マン24時間レース

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チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回数 総合
順位
クラス
順位
1981年   マルティーニ・レーシング   ベッペ・ガビアーニ ランチア・ベータ・モンテカルロ Gr.5 47 DNF DNF
1998年   ガルフ・チーム・ダビドフ
  GTC・コンペティション
  Dr. トーマス・ブシャー
  リナルド・カペッロ
マクラーレン・F1 GTR-BMW GT1 228 DNF DNF
1999年   アウディ・スポーツ・チーム・ヨースト   フランク・ビエラ
  ディディエ・ゼイス
アウディ・R8R LMP 360 3位 2位
2000年   トム・クリステンセン
  フランク・ビエラ
アウディ・R8 LMP900 368 1位 1位
2001年   トム・クリステンセン
  フランク・ビエラ
321 1位 1位
2002年   トム・クリステンセン
  フランク・ビエラ
375 1位 1位
2003年   チャンピオン・レーシング   ステファン・ヨハンソン
  J.J.レート
372 3位 1位
2004年   ADTチャンピオン・レーシング   J.J.レート
  マルコ・ヴェルナー
LMP1 368 3位 3位
2005年   フランク・ビエラ
  アラン・マクニッシュ
364 3位 3位
2006年   アウディ・スポーツ・チーム・ヨースト   フランク・ビエラ
  マルコ・ヴェルナー
アウディ・R10 TDI 380 1位 1位
2007年   フランク・ビエラ
  マルコ・ヴェルナー
369 1位 1位
2008年   アウディ・スポーツ・ノース・アメリカ   フランク・ビエラ
  マルコ・ヴェルナー
367 6位 6位
2010年   ドレイソン・レーシング   ポール・ドレイソン
  ジョニー・コッカー
ローラ・B09/60-ジャッド 254 NC NC

ヨーロピアン・フォーミュラ3選手権

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 Pos. Pts
1981年 スクーデリア・トリノ・コルセ マルティニ・Mk34 トヨタ・2T-G VLL
Ret
NÜR
Ret
DON
14
ÖST
10
ZOL
11
MAG
Ret
LAC
11
ZAN
Ret
SIL
23
CET
3
MIS
5
KNU
6
JAR
4
IMO
Ret
MUG
1
6位 19
1982年 ユーロレーシング ユーロレーシング・101 アルファロメオ MUG
2
NÜR
4
DON
4
ZOL
5
MAG
5
ÖST
1
ZAN
Ret
SIL
1
MNZ
2
PER
2
LAC
DNS
KNU
2
NOG
6
JAR
Ret
KAS
1
2位 61
1983年 MCモータースポーツ ラルト・RT3 VLL
1
NÜR
C
ZOL
1
MAG
13
ÖST
3
LAC
Ret
SIL
Ret
MNZ
6
MIS
Ret
ZAN
3
KNU
3
NOG
2
JAR
2
IMO
4
DON
9
CET
2
3位 52

ヨーロピアン・フォーミュラ2選手権

編集
エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1984年 オニクス・レース・エンジニアリング マーチ・842 BMW SIL
6
HOC
4
THR
4
VLL
12
MUG
4
PAU
Ret
HOC
Ret
MIS
Ret
PER
6
DON
2
BRH
6
6位 18

国際フォーミュラ3000

編集
エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
1985年 オニクス・レーシング マーチ・85B コスワース SIL
7
THR
1
EST
4
NÜR
C
VLL
1
PAU
2
SPA
Ret
DIJ
Ret
PER
2
ÖST
4
ZAN
5
DON
Ret
3位 38
1986年 マーチ・86B SIL
2
VLL
3
PAU
2
SPA
19
IMO
Ret
MUG
6
PER
13
ÖST
Ret
BIR
Ret
BUG
1
JAR
2
3位 29

全日本フォーミュラ3000選手権

編集
エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 DC ポイント
1988年 Team LeMans SUZ
9
FUJ
5
MIN
2
SUZ
4
SUG
2
FUJ
4
SUZ
3
SUZ
4
3位 25
1989年 SUZ
5
FUJ
Ret
MIN
Ret
SUZ
1
SUG FUJ SUZ SUZ 6位 11
1991年 Team Hayashi SUZ AUT FUJ MIN SUZ SUG FUJ SUZ FUJ
C
SUZ FUJ NC 0

フォーミュラ1

編集
エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント
1989年 ベネトン B188 フォード・コスワース DFR 3.5 V8 BRA SMR MON MEX USA CAN FRA
9
GBR
11
23位 2
B189 フォード HBA4 3.5 V8 GER
Ret
HUN
8
BEL
10
ITA
Ret
POR
Ret
ESP
Ret
JPN
Ret
AUS
5
1990年 スクーデリア・イタリアダラーラ 190 フォード・コスワース DFR 3.5 V8 USA BRA SMR
Ret
MON
Ret
CAN
Ret
MEX
Ret
FRA
Ret
GBR
11
GER
Ret
HUN
10
BEL
Ret
ITA
Ret
POR
15
ESP
Ret
JPN
Ret
AUS
Ret
NC 0
1991年 191 ジャッド GV 3.5 V10 USA
Ret
BRA
11
SMR
DNPQ
MON
6
CAN
9
MEX
DNPQ
FRA
DNPQ
GBR
10
GER
10
HUN
Ret
BEL
8
ITA
10
POR
Ret
ESP
15
JPN
Ret
AUS
7
18位 1

旧ドイツツーリングカー選手権/現ドイツツーリングカー選手権

編集
チーム 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 順位 ポイント
1989年 BMW M チーム・シュニッツァー BMW・M3 Evo ZOL
1
ZOL
2
HOC
1
HOC
2
NÜR
1
NÜR
2
MFA
1
MFA
2
AVU
1
AVU
2
NÜR
1

DNS
NÜR
2

DNS
NOR
1
NOR
2
HOC
1
HOC
2
DIE
1
DIE
2
NÜR
1
NÜR
2
HOC
1
HOC
2
NC 0
1990年 シュニッツァー・モータースポーツ BMW・M3 Sport Evo ZOL
1
ZOL
2
HOC
1
HOC
2
NÜR
1
NÜR
2
AVU
1
AVU
2
MFA
1
MFA
2
WUN
1
WUN
2
NÜR
1
NÜR
2
NOR
1
NOR
2
DIE
1
DIE
2
NÜR
1

1
NÜR
2

3
HOC
1

7
HOC
2

11
15位 36
1992年 BMW M チーム・ビガッツィ BMW・M3 Sport Evo ZOL
1

6
ZOL
2

3
NÜR
1

14
NÜR
2

3
WUN
1

Ret
WUN
2

16
AVU
1

23
AVU
2

3
HOC
1

10
HOC
2

Ret
NÜR
1

21
NÜR
2

10
NOR
1

6
NOR
2

8
BRN
1

3
BRN
2

Ret
DIE
1

Ret
DIE
2

Ret
ALE
1

6
ALE
2

10
NÜR
1

Ret
NÜR
2

8
HOC
1

9
HOC
2

5
12位 85
2004年 アウディ・スポーツ・チーム・ヨースト アウディ・A4 DTM 2004 HOC
7
EST
11
ADR
9
LAU
6
NOR
9
SHA1
Ret
NÜR
11
OSC
15
ZAN
7
BRN
5
HOC
Ret
11位 11

イタリア・ツーリングカー選手権

編集
チーム 車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
1992年 CiBiエンメ・エンジニアリング BMW・M3 Sport Evolution S1 MNZ
1

4
MNZ
2

3
MAG
1

3
MAG
2

1
MUG
1
MUG
2
BIN
1
BIN
2
VAL
1

4
VAL
2

3
IMO
1
IMO
2
MIS
1

Ret
MIS
2

6
PER
1
PER
2
VAR
1
VAR
2
MNZ
1
MNZ
2
NC 0
1993年 スクーデリア・ビガッツィ BMW・318i - MNZ
1
MNZ
2
VAL
1
VAL
2
MIS
1
MIS
2
MAG
1
MAG
2
BIN
1
BIN
2
IMO
1
IMO
2
VAR
1
VAR
2
MIS
1
MIS
2
PER
1

5
PER
2

4
MUG
1

4
MUG
2

Ret
13位 28
1994年 アウディ・スポーツ・イタリア アウディ・80 Quattro - MNZ
1

2
MNZ
2

2
VAL
1

10
VAL
2

1
MAG
1

1
MAG
2

1
BIN
1

1
BIN
2

1
MIS
1

4
MIS
2

4
VAL
1

2
VAL
2

1
MUG
1

4
MUG
2

2
PER
1

4
PER
2

4
VAR
1

2
VAR
2

2
MUG
1

10
MUG
2

2
1位 269.5
1995年 アウディ・A4 Quattro - MIS
1

2
MIS
2

1
BIN
1

1
BIN
2

1
MNZ
1

1
MNZ
2

2
IMO
1

1
IMO
2

1
MAG
1

1
MAG
2

2
MUG
1

3
MUG
2

5
MIS
1

1
MIS
2

1
PER
1

5
PER
2

4
VAR
1

2
VAR
2

1
VAL
1

1
VAL
2

2
1位 317
1996年 A.Z.K./ROC - MUG
1
MUG
2
MAG
1
MAG
2
MNZ
1
MNZ
2
BIN
1
BIN
2
MIS
1
MIS
2
IMO
1
IMO
2
PER
1
PER
2
PER
1
PER
2
VAR
1
VAR
2
VAL
1

5
VAL
2

4
15位 18

ドイツ・スーパーツーリング選手権

編集
チーム 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
1994年 レーシング・オーガニゼーション・コース アウディ・80 Quattro Competition AVU
2
WUN
3
ZOL
3
ZAN
2
ÖST
4
SAL
Ret
SPA
5
NÜR
2
3位 87
1995年 アウディ・A4 Quattro ZOL
1
ZOL
2
SPA
1
SPA
2
ÖST
1
ÖST
2
HOC
1
HOC
2
NÜR
1
NÜR
2
SAL
1
SAL
2
AVU
1

10
AVU
2

7
NÜR
1

1
NÜR
2

1
16位 105
1996年 A.Z.K./ROC ZOL
1

1
ZOL
2

1
ASS
1

3
ASS
2

2
HOC
1

1
HOC
2

1
SAC
1

3
SAC
2

1
WUN
1

2
WUN
2

1
ZWE
1

2
ZWE
2

3
SAL
1

8
SAL
2

10
AVU
1

4
AVU
2

1
NÜR
1

1
NÜR
2

1
1位 678
1997年 HOC
1

11
HOC
2

9
ZOL
1

4
ZOL
2

10
NÜR
1

20
NÜR
2

7
SAC
1

6
SAC
2

Ret
NOR
1

5
NOR
2

3
WUN
1

Ret
WUN
2

Ret
ZWE
1

4
ZWE
2

1
SAL
1

13
SAL
2

7
REG
1

19
REG
2

11
NÜR
1

13
NÜR
2

10
6位 357
1998年 アプト・スポーツライン・チーム・アウディ アウディ・A4 HOC
1

16
HOC
2

7
NÜR
1

Ret
NÜR
2

13
SAC
1

17
SAC
2

Ret
NOR
1

19
NOR
2

19
REG
1

13
REG
2

8
WUN
1

Ret
WUN
2

Ret
ZWE
1

14
ZWE
2

Ret
SAL
1

7
SAL
2

2
OSC
1

7
OSC
2

Ret
NÜR
1

10
NÜR
2

12
16位 205

アメリカン・ル・マン・シリーズ

編集
チーム クラス シャシー エンジン タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 ランク ポイント
1999年 アウディ・スポーツ・チーム・ヨースト LMP アウディ・R8R アウディ 3.6 L Turbo V8 M SEB
ovr:5
cls:5
ATL MOS SON POR PET MON LSV 52位 20
2000年 アウディ・スポーツ・ノース・アメリカ アウディ・R8 SEB
ovr:1
cls:1
NÜR
ovr:3
cls:3
SON
ovr:2
cls:2
MOS
ovr:Ret
cls:Ret
TEX
ovr:1
cls:1
ROS
ovr:4
cls:4
PET
ovr:2
cls:2
MON
ovr:2
cls:2
LSV
ovr:1
cls:1
ADE
ovr:15
cls:5
3位 232
アウディ・R8R CHA
ovr:6
cls:6
SIL
ovr:5
cls:5
2001年 LMP900 アウディ・R8 TEX
ovr:2
cls:2
SEB
ovr:2
cls:2
DON
ovr:2
cls:2
JAR
ovr:2
cls:2
SON
ovr:2
cls:2
POR
ovr:2
cls:2
MOS
ovr:1
cls:1
MID
ovr:4
cls:4
MON
ovr:1
cls:1
PET
ovr:1
cls:1
1位 202
2002年 SEB
ovr:5
cls:5
SON
ovr:14
cls:8
MID
ovr:1
cls:1
AME
ovr:2
cls:2
WAS
ovr:3
cls:3
TRO
ovr:2
cls:2
MOS
ovr:Ret
cls:Ret
MON
ovr:1
cls:1
MIA
ovr:1
cls:1
PET
ovr:6
cls:6
4位 206
2003年 ADTチャンピオン・レーシング SEB
ovr:2
cls:2
ATL SON TRO MOS AME MON MIA PET 18位 2
2004年 LMP1 SEB
ovr:2
cls:2
MID LIM SON POR MOS AME PET MON 13位 22
2005年 SEB
ovr:2
cls:2
ATL
ovr:3
cls:3
MID
ovr:2
cls:2
LIM
ovr:2
cls:2
SON
ovr:1
cls:1
POR
ovr:1
cls:1
AME
ovr:1
cls:1
MOS
ovr:3
cls:3
PET
ovr:1
cls:1
MON
ovr:2
cls:2
1位 182
2006年 アウディ・スポーツ・ノース・アメリカ アウディ・R10 TDI アウディ 5.5L Turbo V12 (Diesel) SEB TEX MID LIM UTA
ovr:1
cls:1
POR
ovr:2
cls:2
AME
ovr:1
cls:1
MOS
ovr:4
cls:4
PET
ovr:7
cls:5
MON
ovr:2
cls:2
5位 80
2007年 SEB
ovr:1
cls:1
STP
ovr:2
cls:2
LNB
ovr:9
cls:2
TEX
ovr:12
cls:2
UTA
ovr:6
cls:2
LIM
ovr:23
cls:4
MID
ovr:3
cls:1
AME
ovr:3
cls:2
MOS
ovr:4
cls:2
DET
ovr:2
cls:1
PET MON 4位 175
2008年 SEB STP
ovr:Ret
cls:Ret
LNB
ovr:2
cls:2
UTA
ovr:Ret
cls:Ret
LIM
ovr:21
cls:3
MID
ovr:2
cls:2
AME
ovr:2
cls:2
MOS
ovr:2
cls:2
DET
ovr:DSQ
cls:DSQ
PET
ovr:1
cls:1
MON
ovr:2
cls:2
3位 156
2010年 ドレイソン・レーシング ローラ・B09/60 ジャッド GV5.5 S2 5.5 L V10 SEB
ovr:12
cls:4
LNB MON
ovr:Ret
cls:Ret
UTA
ovr:2
cls:2
LIM MID AME MOS PET 12位 46

マカオグランプリ・ギア

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チーム 車両 クラス 順位
1989年   チーム・シュニッツァー BMW M3 Sport Evolution Group A Division 2 DNF
1990年 2位
1991年   ワトソンズ・チーム・シュニッツァー DTM 1位
1992年   モービル1・チーム・シュニッツァー 1位
1993年   ワトソンズ・チーム・シュニッツァー BMW・E318i FIA Class 2 1位

エピソード

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  • F1デビュー後、日本GPでの再来日時には「日本には2年も住んでいたからね。特別な感情があるよ。」とコメントしている[14]
  • 好物の1つに寿司があった。
  • 仲の良いドライバーはパオロ・バリッラ
  • 1991年のサンマリノGP予備予選において、トラブルが出たチームメイトのJ.J.レートにTカーを貸したところ、レートは予備予選を通過し、自分は終了直前に5位に落ち(4位までが予備予選通過)不通過となった。貧乏くじをひいたピロは、憤りからか決勝を待たず帰宅。決勝におけるレートの3位表彰台を現場で見届けることはなかった(レートは大喜びでピロの肩を叩き、ピロは苦笑していた)。
  • 続く第4戦モナコGP予選では、クレーンでの移動の際壁にヒットさせるというマーシャルの不手際により、レートのマシンが破損。この際ピロは前戦と異なり、レートにTカーを貸すことを拒否したという。
  • 1990年開幕時に入院した原因は、他のカテゴリーに出場してたからとも言われていた。

脚注

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注釈

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  1. ^ ピロは6月29日に行われたシルバーストン合同テストでラルース・ローラ・LC89に乗り最終オーディションを済ました。 グランプリ・エクスプレス 1989フランスGP号 29頁 1989年7月29日発行

出典

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  1. ^ E.ピロが新生チームでオーストリアGPから参戦か GPX 1987イギリスGP号 29頁 山海堂 1987年8月5日発行
  2. ^ 無念!!ミドルブリッジF1出走かなわず GPX 1987年イタリアGP号 30頁 山海堂 1987年9月25日発行
  3. ^ ホンダ日記「ピッロは喜んで送りだしてあげました」グランプリ・エクスプレス 1989フランスGP号 30頁 1989年7月29日発行
  4. ^ ミケーレ・アルボレートの告白 Racing On No.058 1989年 武集書房
  5. ^ '82チャンプ・ロズベルグ プジョーでレース復帰! グランプリエクスプレス '90西ドイツGP号 30頁 1990年8月18日発行
  6. ^ Doctors help Emanuele Pirro out of his Benetton-Ford after a crash Grand Prix Photo.com
  7. ^ カフィとピッロが欠場:ピッロはウイルス性肝炎のために復帰までしばらく時間がかかる模様。 GPX 1990年アメリカGP号 30頁 山海堂 1990年3月31日発行
  8. ^ デ・チェザリス滑り込みでティレル入り決定、ザナルディらはじかれる グランプリ・エクスプレス プレシーズン号 NEWSTOPICS 38・39頁 1992年3月7日発行
  9. ^ ピッロとアダムズが代役でF3000に Racing On No.110 40頁 武集書房 1991年12月15日発行
  10. ^ “Pirro to be F1 steward in Abu Dhabi”. Yalla F1.com. (2010年11月10日). http://www.yallaf1.com/2010/11/10/pirro-to-be-f1-steward-in-abu-dhabi/ 2011年5月11日閲覧。 
  11. ^ “Pirro to steward in Malaysia this weekend”. Yalla F1.com. (2011年4月6日). http://www.yallaf1.com/2011/04/06/pirro-to-steward-in-malaysia-this-weekend/ 2011年5月11日閲覧。 
  12. ^ マクラーレン、ドライバー育成の体制一新。ル・マンで活躍した元F1ドライバーのエマニュエル・ピロが責任者に - motorsport.com 2023年4月22日
  13. ^ 元F1ドライバーでル・マン勝者のエマニュエル・ピロ、指揮を執ったマクラーレンの若手育成プログラムを離れる - オートスポーツ・2024年4月4日
  14. ^ スクーデリア・イタリアSpA 21.エマニュエル・ピロ 1991F1日本グランプリ公式プログラム 61頁 鈴鹿サーキットランド 1991年10月日発行

関連項目

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タイトル
先代
ピエルルイジ・マルティニ
ヤニック・ダルマス
ヨアヒム・ヴィンケルホック
ル・マン24時間優勝者
2000 with:
フランク・ビエラ
トム・クリステンセン
次代
フランク・ビエラ
トム・クリステンセン
エマニュエル・ピロ
先代
フランク・ビエラ
トム・クリステンセン
エマニュエル・ピロ
ル・マン24時間優勝者
2001 with:
フランク・ビエラ
トム・クリステンセン
次代
フランク・ビエラ
トム・クリステンセン
エマニュエル・ピロ
先代
フランク・ビエラ
トム・クリステンセン
エマニュエル・ピロ
ル・マン24時間優勝者
2002 with:
フランク・ビエラ
トム・クリステンセン
次代
トム・クリステンセン
リナルド・カペッロ
ガイ・スミス
先代
J.J.レート
マルコ・ヴェルナー
トム・クリステンセン
ル・マン24時間優勝者
2006 with:
フランク・ビエラ
マルコ・ヴェルナー
次代
フランク・ビエラ
マルコ・ヴェルナー
エマニュエル・ピロ
先代
フランク・ビエラ
マルコ・ヴェルナー
エマニュエル・ピロ
ル・マン24時間優勝者
2007 with:
フランク・ビエラ
マルコ・ヴェルナー
次代
リナルド・カペッロ
アラン・マクニッシュ
トム・クリステンセン