札幌テレビ放送

北海道の日本テレビ系列局
ハッピーおとどけ隊から転送)

札幌テレビ放送株式会社(さっぽろテレビほうそう、: The Sapporo Television Broadcasting Co.,Ltd.)は、北海道放送対象地域としたテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。略称はSTV、通称は札幌テレビコールサインはJOKX-DTV

札幌テレビ放送株式会社
The Sapporo Television Broadcasting Co.,Ltd.
本社・札幌放送局(札幌テレビ放送会館)
種類 株式会社
機関設計 監査役会設置会社[1]
略称 STV
本社所在地 日本の旗 日本
060-8705
北海道札幌市中央区北1条西
8丁目1番1号
北緯43度3分41.8秒 東経141度20分41.2秒 / 北緯43.061611度 東経141.344778度 / 43.061611; 141.344778座標: 北緯43度3分41.8秒 東経141度20分41.2秒 / 北緯43.061611度 東経141.344778度 / 43.061611; 141.344778
設立 1958年4月8日
業種 情報・通信業
法人番号 5430001020206 ウィキデータを編集
事業内容 一般放送(テレビジョン放送)事業など
代表者 代表取締役社長 井上健
資本金 7億5000万円
(2022年3月31日現在)[2]
発行済株式総数 3,000株(2021年6月25日現在)[3]
売上高 単体: 146億5,376万2,000円
(2024年3月期)[4]
営業利益 単体: 1億9,912万3,000円
(2024年3月期)[4]
経常利益 単体: 5億1,158万4,000円
(2024年3月期)[4]
純利益 単体: 3億3,895万2,000円
(2024年3月期)[4]
純資産 単体: 312億8,999万4,000円
(2024年3月期)[4]
総資産 単体: 355億8,821万7,000円
(2024年3月期)[4]
従業員数 単独: 215名
(2024年3月31日現在)
決算期 3月31日
会計監査人 有限責任あずさ監査法人[3]
主要株主 日本テレビホールディングス 29.9%
読売新聞グループ本社 11.9%
(2023年3月1日時点)[5]
主要子会社 エス・テー・ビー興発株式会社 100%
株式会社札幌映像プロダクション 100%
株式会社エス・テー・ビー開発センター 100%
株式会社STVラジオ 100%[3]
外部リンク https://www.stv.jp/index.html
テンプレートを表示
札幌テレビ放送
英名 The Sapporo Television
Broadcasting Co.,Ltd.
放送対象地域 北海道
ニュース系列 NNN
番組供給系列 NNS
略称 STV
愛称 札幌テレビ
呼出符号 JOKX-DTV
呼出名称 STVデジタルテレビジョン
開局日 1959年4月1日
本社 060-8705
北海道札幌市中央区北1条西
8丁目1番1号
演奏所 本社と同じ
リモコンキーID 5[6]
デジタル親局 札幌 21[7]ch
アナログ親局 札幌 5ch
ガイドチャンネル 5ch
主なデジタル中継局 旭川 23ch
函館 15ch
室蘭 22ch
網走 16ch
帯広 21ch
釧路 31ch[7]
公式サイト https://www.stv.jp/index.html
特記事項:
デジタルテレビジョン放送では、札幌局(親局)以外にコールサインが付与されない。
テンプレートを表示

事業所

編集

会社概要・所在地|企業情報|STV札幌テレビ(外部サイト)

概要

編集
 
取材ヘリ(ユーロコプタードーファン
北海道航空が運航
 
札幌テレビ放送(STV)中継車

開局当初はテレビ単営局であったが1962年昭和37年)12月15日よりAMラジオ放送も開始し、日本で唯一「テレビが先行開局し、その後ラジオ放送を開始したラジオ・テレビ兼営局」となった。ただし2005年平成17年)にラジオ部門を分社化し、ラジオ放送免許を株式会社STVラジオに継承させたため、現在STV単体としてはテレビ単営局に戻っている(詳細は後述)。本社屋は道内のテレビ局の社屋としては現時点で最古のものとされる。これは北海道テレビ2018年(平成30年)、北海道放送2020年令和2年)、NHK札幌放送局2021年(令和3年)に相次いで新社屋に移転したためである。

マスコットキャラクターは「どさんこくん」(2018年(平成30年)1月1日 - )[9]、キャッチフレーズは「どんどんどさんこ[9]

視聴率

編集

テレビ視聴率は1992年度から全日(6 - 24時)で31年連続首位。これは全国民放最長の記録。1993年平成5年)から2004年(平成16年)まで4冠を続けていたが、2005年(平成17年)、2006年(平成18年)、そして2007年(平成19年)の年間視聴率ではUHBゴールデンタイムプライムタイムの2冠を奪われて視聴率4冠を逃した[10]。また2006年(平成18年)7月には、月間視聴率でもUHBに全日・ゴールデン・プライムの3冠を奪われたため、月間全日視聴率首位の記録は153ヶ月(1993年(平成5年)10月 - 2006年(平成18年)6月)で止まった[11]

2008年(平成20年)からは再び4冠に返り咲き、2023年(令和5年)まで世帯視聴率で16年連続3冠を獲得している[12][13]。個人視聴率でも3年連続3冠を獲得している[14]

2023年度は、個人視聴率では4年連続、世帯視聴率は16年連続、全日の個人視聴率は先述の通り32年連続首位。文字通り北海道で最も見られているテレビ局である[15]

ラジオ部門の分社化

編集

沿革

編集
 
旧放送会館(1961年頃)

発端は北海道開発庁の諮問機関である北海道開発審議会での黒澤酉蔵議長(北海道製酪販売組合連合会(酪連。現在の雪印メグミルク)創業者。当時北海タイムス会長)、菊地吉治郎特別委員(当時北海タイムス社長。小樽新聞(読売新聞社が戦前道内で発行していた新聞)出身。札幌テレビで初代社長( - 1961年(昭和36年)5月25日)、のち相談役( - 1967年(昭和42年)5月26日)を歴任)、栗林徳一委員(栗林商会代表。札幌テレビで非常勤取締役を歴任( - 1981年(昭和56年)12月27日))、萩原吉太郎北炭社長)委員らの雑談であった。

北海道における民放テレビ第二波を巡っては1956年昭和31年)春頃から複数社が申請を提出し[16]1957年(昭和32年)9月にチャンネルが割り当てられ[17]、当時北海道新聞(道新)の対抗紙として発行されていた地方紙の北海タイムス(現在は廃刊)は、道新が北海道放送(HBC)と親密な関係であったことに対抗すべく、1954年にラジオ局「ラジオタイムス」の開設申請を行うも却下されていたこともありテレビ局開設を決意し「札幌テレビ放送」として免許を申請した[18]

一方、日本テレビも一企業による全国放送を行うべく、函館放送局、次いで札幌放送局の免許を申請[19]。さらに産経新聞札幌支局を中心に真藤慎太郎(元日魯漁業(現マルハニチロ)副社長)と結びついた一派「北海道テレビジョン放送」(北海テレビジョン)が免許を申請した他、北海道に進出していた東京急行電鉄[注 1]毎日新聞社が手を組み、栗林徳一鹿内信隆由仁町出身。当時フジテレビ専務取締役)とも結びついて「テレビ北海道」[注 2]として免許を申請した。これらの各派を萩原が取りまとめて正式に「札幌テレビ放送」として一本化、札幌テレビ5・テレビ北海道3・北海テレビジョン1・日本テレビ1による資本割合の構成とする事とした[18]

このため、開局当初から日本テレビとの関係が強く、またフジテレビとの関係も深かった。ただし、当初は「準教育局」として免許されたことから、学校放送を放送するため日本教育テレビ(NETテレビ、現在のテレビ朝日)ともネットを結んだ。創立事務局長は大輪武治北炭財務課長が務めた[20]

ラテ兼営時代

編集

沿革|企業情報|STV札幌テレビ(外部サイト)

沿革|STVラジオ(外部サイト)

  • 1957年昭和32年)
  • 1958年(昭和33年)4月8日 - 会社設立。
    • 8月19日 - 本社を北海タイムス本社内から放送会館予定地に隣接する木造2階建ての日本電池札幌支店旧店舗に移転[23]。当初の局舎はその狭さから「トリ小屋」とも呼ばれていた[24]
  • 1959年(昭和34年)
    • 2月 - 仮社屋放送設備竣工[25]
    • 3月16日 - アナログテレビ放送の本免許交付[22]
    • 3月20日 - 試験電波発射開始[26]
    • 4月1日 - アナログテレビ放送(コールサイン:札幌JOKX-TV)本放送開始。
      午前中の学校放送は日本教育テレビから、午後の教養・娯楽番組を日本テレビからネット[20]
      第一声は「JOKX-TV、こちらは札幌テレビ放送です。4月1日水曜日、只今午前10時です。これからテストパターンをお送りします。どうぞ、お宅の受像機をこれにあわせて調整してください。[27]
    • 6月24日 - 旧放送会館着工[28]
  • 1960年(昭和35年)
    • 7月1日 - 主調整室など技術部門を旧放送会館に移転[29]
    • 12月24日 - 旧放送会館完全運用開始(南1条西1丁目)[30]
  • 1961年(昭和36年)
  • 1962年(昭和37年)
    • 7月10日 - 【ラジオ】札幌放送局予備免許取得[33]
    • 8月 - 【ラジオ】札幌市新琴似に初代札幌送信所着工[34]
    • 12月10日 - 【ラジオ】試験電波発射開始[34]
    • 12月15日 - 【ラジオ】全国49番目、北海道で2番目の民間ラジオ放送局としてAM本放送開始。第一声は「JOWF、こちらはSTVラジオ放送です。周波数1,460キロサイクルでお送りしております。みなさまのSTVラジオ放送が今日から開局しました。[35]
  • 1964年(昭和39年)
    • 2月13日 - 【ラジオ】函館放送局を開局。
    • 2月26日 - 【ラジオ】旭川放送局を開局。
    • 2月28日 - 【ラジオ】帯広放送局を開局。
  • 1965年(昭和40年)5月 - 【ラジオ】NRNに加盟[36]
  • 1966年(昭和41年)
    • 3月20日 - 【テレビ】札幌放送局でカラー放送開始(道内全域での放送開始は1968年)[37]
    • 4月 - 【テレビ】NNNに加盟[38]
  • 1967年(昭和42年)11月1日 - 【テレビ】準教育局を廃止、総合一般局に転換[39]
  • 1969年(昭和44年)
    • 1月15日 - 【テレビ】札幌放送局の親局送信所をさっぽろテレビ塔から手稲山に移設。これにより、札幌親局送信所は全局手稲山に一本化された[40]
    • 6月 - 新放送会館着工[41]
    • 10月1日 - 【テレビ】FNSに加盟[40]
  • 1970年(昭和45年)
    • 7月1日 - 【ラジオ】終夜放送を開始。
    • 12月20日 - 新放送会館竣工[42]
  • 1971年(昭和46年)
    • 2月22日 - 新放送会館からの放送を開始[41]
    • 5月 - 【テレビ】EDPSテレビ運行システム運用開始。
    • 11月1日 - 【ラジオ】札幌放送局が江別市角山に移転[43]、50kWに増力[44]、あわせて周波数も1460kHzから1440kHzに変更。
  • 1972年(昭和47年)
    • 3月 - 毎日新聞・フジテレビ系役員が退陣。代わりに読売新聞・日本テレビ系の役員を選出[45]
    • 4月 - 【テレビ】北海道文化放送FNN系列)の開局に伴い、日本テレビ系のフルネット局になる(これによりFNSから脱退)[45]
    • 8月 - 【ラジオ】初のイベントとして第1回「STVラジオ夏まつり」開催[45]
  • 1973年(昭和48年)
    • 1月 - 【テレビ】生情報番組『2時のワイドショー』放送開始。
    • 8月15日 - 【ラジオ】「ランラン1号」運用開始。
  • 1976年(昭和51年)
  • 1977年(昭和52年)1月 - 【テレビ】テレビCM自動編集送出システム運用開始(民放では初)。
  • 1979年(昭和54年)
    • 3月 - 【テレビ】朝の大型情報番組『ズームイン!!朝!』放送開始。
    • 7月1日 - 【テレビ】札幌放送局で音声多重放送開始(当初、ネット回線受けによるステレオ放送は対象外)[注 3][46]
    • 12月21日 - 【テレビ】前日に、電電公社のマイクロ同時ネット回線の、ステレオ化工事を含む全国音声多重化が完了した[47]のを受け、この日の日本テレビからのネット番組「金曜娯楽館」から、札幌放送局で、ネット受けによるステレオ放送を開始する[48]
  • 1982年(昭和57年)
    • 4月 - 【テレビ】テレビ営業運行オンラインシステム運用開始。夕方のローカルワイドニュース『STVニュースToday』放送開始。
    • 12月 - 【テレビ】テレビニュースライブラリーシステム運用開始。
  • 1983年(昭和58年)
  • 1984年(昭和59年)
    • 8月30日 - 【ラジオ】根室中継局を開局。
    • 10月3日 - 【ラジオ】留萌中継局を開局。
  • 1986年(昭和61年)11月6日 - 【ラジオ】稚内中継局を開局。
  • 1988年(昭和63年)11月 - ボストンWBZ局と姉妹局提携調印。
  • 1989年平成元年)
  • 1990年(平成2年)4月 - 【テレビ】早朝ワイド番組『朝6生ワイド』放送開始。
  • 1991年(平成3年)
    • 6月 - 【テレビ】新CMバンクシステム運用開始。
    • 10月7日 - 【テレビ】夕方の大型生情報番組『どさんこワイド120』放送開始。
    • 10月16日 - 【ラジオ】江差中継局、北桧山中継局を開局。
  • 1994年(平成6年)
    • 局キャラクターにムササビを模した「スティービー」を採用[49]
    • 8月 - 別館「STVアネックス」竣工。「STVアネックス」が建設されるまでこの場所には社員専用の体育館があった。
  • 1995年(平成7年)
    • 1月 - 【ラジオ】「Vスタジオ」運用開始。
    • 3月 - 青森市に東北支局開設[50](現在は仙台市青葉区へ移転)。
    • 4月 - 【ラジオ】旭川・函館・室蘭・網走・帯広・釧路の各送信所出力を増力[51][注 4]
  • 1996年(平成8年)
  • 1998年(平成10年)
    • 4月 - 【テレビ】自社制作の全国放送番組『号外!!爆笑大問題』放送開始。
    • 9月 - ベルリン支局開設。
    • 9月29日 - 【ラジオ】遠別中継局を開局。
    • 「スティービー」に代わるキャラクターとして「となりのサッちゃん」登場[52]
  • 1999年(平成11年)
  • 2000年(平成12年)
    • 1月 - 局キャラクターが「スピカちゃん」になる。この時に略称ロゴも現在のものに変わった[53]
    • 1月 - 【テレビ】バラエティ番組『1×8いこうよ!』放送開始。
    • 4月 - 札幌メディアパークSpicaグランドオープン。
    • 9月 - 「株式会社チャンネル北海道」を設立、北海道情報を発信することを目的に110度CSデジタル放送の許可申請を提出するも却下される[54]
  • 2001年(平成13年)10月 - 【テレビ】日曜朝の生情報番組『どさんこサンデー』放送開始。
  • 2002年(平成14年)
    • 10月 - 【テレビ】『サンデー!北のなるほ堂』放送開始。
    • 12月14日・15日 - 【ラジオ】放送開始40周年記念番組として、40時間の長時間番組を放送[55]
  • 2005年(平成17年)
    • 7月12日 - 【ラジオ】「株式会社STVラジオ」設立。
    • 8月 - 【テレビ】ニュース情報センター「D・Tera・S」竣工。
    • 10月1日 - 【ラジオ】ラジオ部門を株式会社STVラジオに譲渡、株式会社STVラジオとしての放送開始。

ラジオ分社後

編集
※これ以降はテレビについての出来事のみ記述する。

ネットワークの変遷

編集
  • 1959年(昭和34年)
    • 4月1日 - 開局。一般番組は日本テレビを中心に、教育番組をNETテレビから受けることと定めた[注 5]
    • 12月1日 - 北海道放送(HBC)より日本テレビとYTV制作の番組が完全移行。引き換えにラジオ東京制作番組のほとんどがHBCに移行。
  • 1962年(昭和37年)
    • 4月1日 - HBCとNETテレビ制作番組を交換。教育番組と一部の一般番組をHBCへ移行。引き換えに一般番組を移行させた。フジテレビ制作番組もHBCから一部移行。この時点で編成的には日本テレビとフジテレビのクロスネット状態になる。
  • 1964年(昭和39年)
    • 10月1日 - FNSの前身である7都市幹線ネットワークに参加。正式に日本テレビとフジテレビのクロスネット局に。
  • 1966年(昭和41年)
    • 4月1日 - HBCからフジテレビ制作番組が完全移行。同時にニュースネットワークNNNに加盟。ニュースは日本テレビフルネットと定める。
  • 1969年(昭和44年)
  • 1972年(昭和47年)
    • 3月31日 - FNSを脱退。
    • 6月14日 - NNS発足に参加。
    • 10月1日 - フジテレビ制作番組が北海道文化放送(UHB)に完全移行し、日本テレビ系列のフルネット局となる[注 8]
  • 1975年(昭和50年)

クロスネット時代の編成

編集

1964年10月に「7都市幹線ネットワーク」へ参加してから、1972年4月にUHBが開局するまでの間は日本テレビとフジテレビのクロスネット局であった。しかしニュースネットワークは日本テレビ系のNNNのみに所属し、フジテレビ系のFNNには加盟しなかった。フジサンケイグループはSTVとの上位の資本関係はなかった一方、役員は派遣していた。

ニュース番組に限っては全て日本テレビ制作のニュース番組となっていた。このため、フジテレビは札幌支局を開設し、ニュース取材のみを別に受け持っていた。通常、FNNのニュース取材用支局は系列局がないエリアをカバーするために設置されるが、系列局がありながらニュース取材のみ別対応となっていたのは札幌支局が唯一の例となった[注 9]。1972年にFNN・FNSフルネット局のUHBが開局したため、フジテレビ札幌支局は撤退した。

一般番組は双方のキー局から番組供給を受けて編成を組んだため、ゴールデンタイム・プライムタイムでも遅れネットの割合が比較的高かった。

平日20時から放送していたフジテレビ系ナイター中継の兼ね合いなどからゴールデン・プライムの編成は火曜日と木曜日がフジテレビ。土日は日本テレビ。月曜日はややフジテレビ寄り。水曜日はフジテレビと日本テレビで折半。金曜日はやや日本テレビ寄りであった。土曜の日中は大半がフジテレビ。日曜の日中は12時15分からの「ズバリ!当てましょう」以外は日本テレビ中心で編成が組まれていた。ゴールデンで放送できない30分番組は主に平日18時~18時30分に放送。深夜帯は「11PM」が放送された後、フジテレビ系の遅れ番組というパターンが多かった。ゴールデンとプライムの編成比率は日本テレビ系がやや上回っていたものの、平日の帯番組はフジテレビ系の番組が多く放送されていた。

平日の日本テレビ製作番組は『おはよう!こどもショー』『ロンパールーム」『お昼のワイドショー」「夕方15分アニメ枠」『お笑いネットワーク(読売テレビ制作)」『ごちそうさま」など。フジテレビ製作番組は『小川宏ショー』「東海テレビ制作昼の帯ドラマ」「ライオン奥様劇場」「タワーバラエティ」『3時のあなた』など。平日の帯番組はフジテレビの比率が高めであった。

UHB開局の際、フジテレビ制作番組のうち『3時のあなた』「江崎グリコ枠」『キンカン素人民謡名人戦』『ナショナルエレック料理教室』(関西テレビ制作)といった大型スポンサーがついた番組は、UHF対応テレビの普及率の低さを考慮してVHF波からUHF波のUHBに移すことをスポンサーサイドが延期させたため、引き続きSTVで放送したり、STVとUHBの並行放送とした例もある。ただしUHBは札幌オリンピックを見据え、正式開局前である1972年1月14日からサービス放送を始めるという異例の対応をしたため、『サザエさん』「タワーバラエティ」など1972年1月改編をもってSTVでの放送が打ち切りとなった番組もいくつか存在する。

資本構成

編集

2021年3月31日

編集

出典:[63]

資本金 発行済株式総数 株主数
7億5000万円 3,000株 131
株主 株式数 比率
日本テレビ放送網 898株 29.93%
読売新聞東京本社 358株 11.93%
日本テレビ小鳩文化事業団 219株 07.30%
北海道電力 190株 06.33%
讀賣テレビ放送 145株 04.83%
北洋銀行 136株 04.53%
北海道銀行 136株 04.53%
第一生命保険 120株 04.00%
中京テレビ放送 116株 03.87%
福岡放送 113株 03.77%

過去の資本構成

編集

企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[64][65][66][67][68]

主要取引銀行

編集

本社スタジオ

編集
 
STVニュース情報センター「D・Tera・s」
  • Tスタジオ(95坪):「どさんこワイド179」等
  • ニュース情報センター「D・Tera・s」(ディーテラス)(50坪):「どさんこワイド179ニュース」・「どさんこワイド!!朝!」・「ストレイトニュース」等
    • 地上デジタル放送を控えた“ニュース報道基地”として本社横に建設され、2006年平成18年)3月4日から本格稼働を開始した。建物は中2階を含む3フロア2階建て。ニューススタジオは日テレのマイスタジオを凌ぐ高さ3メートルの巨大なガラス張りで、当初は外の歩道から見学する事も可能だったが、現在は歩道に面した部分はアナウンサーの写真パネルを掲示しているため、外から中を見ることはできなくなった。一方で社屋の敷地内に面した部分はセットを建て込んでいるものの外が見えるスタイルを継続している。
    • 愛称は一般から公募されたもので、「D」は“どさんこ”と“デジタル”、「Tera・s」は光が降り注ぐ“テラス”のほかに、ニュースや情報に光を“照らす”という意味も込められている。
  • 多目的スタジオ(元Nスタジオ):Nスタジオ時代は『STVニュースToday』や開始当初の「朝6生ワイド」「どさんこワイド」などで使用。D・Tera・s竣工まではスタジオに隣接してニュースセンターがあり、「どさんこワイド」の18時台で使用。常設機材なし。

公開スタジオ

編集
 
STVホール(入口)

過去に使用していた公開スタジオなど

編集
  • 札幌メディアパークSpica(最大客席数1809席):2008年(平成20年)3月末で閉館
    • オープン型イベントホールであり、スタジオではなかった。
    • こけら落としは「笑点」の公開収録だった。

情報カメラ設置ポイント

編集

STVでは情報カメラお天気カメラ)のことを「パノラマカメラ(パノカメ)」と呼んでいる。当初は札幌市の本社屋上のみの設置だったが、1990年平成2年)に早朝の情報ワイド番組「朝6生ワイド」スタート時に函館、旭川、釧路の3都市のカメラを増設し、以降道内各地に設置していった。また、2006年(平成18年)6月1日からは一部地点でカメラと伝送機材をハイビジョン仕様に更新し、愛称を「スーパーパノカメ」に変更した。道内のほとんどのカメラがハイビジョンになったことから、2014年(平成26年)現在では、「スーパーパノカメ」の愛称は使用していない。また、ハイビジョン仕様でない箇所でも2010年(平成22年)7月以降、4:3標準画質を上下カットした16:9サイズにして放送している。なお、各地のカメラ映像はSTVのホームページでも静止画で見ることができるほか、朝の時間帯は「ZIP!」(5時台、6時台にはSTVから裏送りされることもある)を通じて道外でも視聴できる。なお、昼の時間帯については、東日本大震災発生直前まで、CS放送「日テレNEWS24」(生映像は12時20分頃のみ。他は“録画”映像)を通じて道外で視聴できた。

常設
かつては厚別区大谷地にも設置されていた
期間限定

その他美瑛町せたな町にも設置していた。

以下のイベント期間中は、臨時にカメラを設置する場合がある。

など

放送技術概要、送信所・中継局等一覧

編集
 
日本テレビ系列のリモコンキーID地図

地上デジタル放送のリモコンキーIDについて

編集

地上デジタル放送のリモコンキーIDは、原則としてキー局の日本テレビをはじめ多くの日本テレビ系列局がほとんどが「4」に対して、STVは「4」ではなく自身のかつての札幌局(手稲山)のアナログ放送の親局のチャンネルで使用してきた「5」を使用している(「5」は原則として本来テレビ朝日系列局の番号だが、在札局では「5」を当局が使用しているため、系列局の北海道テレビが準キー局のABCテレビメ〜テレに合わせて「6」を使用している[注 10])。日本テレビ系列でリモコンキーID「5」を使用している局は、当局と福岡放送[注 11]の2局だけである[注 12]。またデジタル放送のリモコンキーID「5」を使用するかつてのアナログ放送の親局のチャンネル同様のケースは他系列局は、当局とTBS系列のCBCテレビだけである。更に日本テレビ系列局でリモコンキーIDに「4」を使用していない局は、ほかに「1」の青森放送北日本放送日本海テレビ四国放送(アナログ親局1chを踏襲)、「3」のテレビ宮崎(トリプルネット局)、「7」の福井放送(クロスネット局)、「10」の読売テレビ(アナログ親局10chを踏襲)がある。

また北海道ではリモコンキーID「4」はどこも使用していない(系列外で「4」はTBS系列の毎日放送RKB毎日放送がアナログ親局4chを踏襲している)。

送信所・中継局

編集

地上デジタル放送では、原則として親局は1社1局とされた(総務省が定めたコールサインの割り当て原則による)ため、札幌放送局を除く道内各放送局にはデジタル放送のコールサインが付与されず、札幌放送局管内の中継局扱いとなった[注 13][要出典]

2011年7月24日まで放送した地上アナログ放送では、札幌以外の各放送局にもコールサインが割り当てられていた。本項目では、札幌以外の各放送局が使用していたアナログ放送のコールサインを親局のみ記載する[72]

基幹送信所は函館送信所のみ局単独施設となっているほかはすべて共同使用となっており、中継局もすべて民放各局(一部はNHKも含む)と共同使用している。[要出典]

札幌放送局(JOKX-DTV)

編集

放送エリア:石狩振興局全域・空知総合振興局(中部と南部)・後志総合振興局全域・胆振総合振興局(東部)・日高振興局全域

送信所はHTBと共同使用で、2005年10月に完成。

中継局

旭川放送局

編集
 
旭川放送局

放送エリア:空知総合振興局(北部)・上川総合振興局全域・留萌振興局全域・宗谷総合振興局全域

  • 旭川(送信所:旭川市東旭川町倉沼45-1、旭山):23ch 1kW

2007年9月7日13:00から試験放送を開始し、2007年10月1日より本放送開始。掲示している社名ロゴは現在のスピカ登場時のもの。

2007年10月1日より放送開始した地上デジタル放送は、TVhを除く民放各局とNHK旭川放送局が共同で旭山に建設したデジタル送信所から放送される。NHK-FM送信所の隣に新設される送信施設の建物は民放各局のみ使用され、NHKは現行のFM放送送信施設をそのまま使用。送信鉄塔はTVhを除く民放各局とNHK旭川放送局が共同で使用する。送信アンテナはNHK使用分と民放使用分の2つに分かれる。

アナログ放送には、「JOKY-TV」のコールサインが付与されていた。

中継局

函館放送局

編集

放送エリア:渡島総合振興局全域・檜山振興局全域

函館送信所と福島中継局から放送される電波は、青森県の一部でも受信可能(函館送信所は大間町周辺、福島中継局は中泊町小泊周辺)。

地上デジタル放送は既存の送信施設をそのまま使用(送信アンテナのみ新設)し、2007年10月1日より放送開始した。UHF波を使用するため、HTB・UHB・TVhと同様に指向性がかけられた。これは他局の地上デジタル放送でも同様である。

アナログ放送には、当初「JOKZ-TV」[注 15]のコールサインが付与され、昭和50年代後半から「JOMY-TV」に変更となった。

函館蛾眉野中継局は、2013年1月より蛾眉野地区テレビ受信組合によるギャップフィラーでの送信を開始したことにより廃止された。

中継局

苫小牧・室蘭放送局

編集

放送エリア:胆振総合振興局(西部)

デジタル送信所はTVhを除く民放各局が共同で測量山(旧HBCアナログ送信所隣)に新設、2007年10月1日より放送開始した。掲示している社名ロゴは現在のスピカ登場時のもの。

アナログ放送には、「JOLY-TV」のコールサインが付与されていた。

中継局

帯広放送局

編集

放送エリア:十勝総合振興局全域

送信所はTVhと共同使用。地上デジタル放送は既存の自社送信施設をそのまま使用し、2007年10月1日より放送開始した。掲示している社名ロゴはTVhが相乗りするまでは1959年開局時のもの(正式ロゴ)を使用していたが、それ以降は現在のスピカ登場時のものに変わった。

アナログ放送には、「JOWL-TV」のコールサイン[注 18]が付与されていた。

中継局

北見放送局

編集
 
北見放送局(住友生命北見ビル内)

放送エリア:オホーツク総合振興局全域

デジタル送信所はHTB・TVhと共同使用、2007年10月1日より放送開始。掲示している社名ロゴは1959年開局時(正式ロゴ)のもの。2022年4月1日に廃止され、旭川放送局に業務を移管された[62]

アナログ放送には、「JOVX-TV」のコールサイン[注 19]が付与されていた。

中継局

釧路放送局

編集
 
札幌テレビ放送釧路放送局

放送エリア:釧路総合振興局全域・根室振興局全域

  • 釧路(送信所:釧路市春採8丁目):31ch 1kW

地上デジタル放送は、2007年8月28日より試験サービス放送を開始 2007年10月1日より放送開始した。

デジタル送信所は、アナログ未開局のTVhを除く各局が共同で新設した(「STV」のロゴデザインは現在のスピカ登場時のもの)。鉄塔・UHF送信アンテナは後から開局したTVhを含めて共同使用しているが、局舎は別途建設されたTVhを除く各局で共同使用している。

アナログ放送には、「JOSY-TV」のコールサインが付与されていた。

中継局

音声多重放送・字幕放送

編集

アナログ放送での音声多重放送は、札幌放送局を中心とする道央圏でのみ実施されていた。これは放送対象地域が広大なことに加え、NTTの道内中継回線(全道ライン)設備が手薄だった[注 22]うえ、料金が非常に高額だったこと[注 23]、さらに冬期の送信所設備の維持管理にコストがかかることが理由とされていた。

道内各地区で地上デジタル放送を開始した2007年10月1日から[注 24]、放送対象地域内全域で音声多重放送が実施された。

音声多重放送(2か国語放送)マークの表示は自社送出である。以前はネット番組のみ、制作局が送出した。

字幕放送は、回線使用料の負担を現状維持できることから、全道で受信可能。

自社制作番組以外の自社送出番組のうち、字幕放送に対応しているのは「それいけ!アンパンマン」程度で、他の時差ネット番組[注 25]では一部の番組を除いて非対応である。

地上デジタル放送の各基幹局への道内回線では、北海道総合通信網(HOTnet)所有の光ファイバー回線が使用されている。そのため回線使用料は、従来のマイクロ波に比べて割安となっている。これは他の道内民放テレビ各局も同様である。また、ハイビジョン撮影されたニュース映像の伝送にも、この回線を使用できる[注 26]。一方、NHKの道内中継回線は、NTTの光ファイバー回線を使用している。

深夜から早朝にかけ、フィラーとして「日テレNEWS24(旧・NNN24)」をCSと同時放送しており、全道で終夜放送を行っている[注 27]

  • 2004年8月以降はコスト削減のため、道央圏以外の地域へ向けた全道ラインが完全デジタル化されるまでの期間は、日テレNEWS24の時間に限り、HOTnet所有の回線(専用線デジタル伝送方式)を使用していた。当時通常使用していたNTTとの回線切り替えの際、一瞬ノイズが入ることがあったが、のちにHOTnetに1本化されてから、この状態はなくなった。

地上デジタル放送開始後はプロ野球中継を中心に音声多重放送で製作・放送されるようになった。

主なテレビ番組

編集

自社制作番組

編集
報道・情報
バラエティ
スポーツ
  • KICKOFF! HOKKAIDO(土曜 11:40 - 11:55)
  • ファイト!Fighters(土曜 22:57 - 23:00)
通販番組
  • 情熱市場(月曜 - 木曜 10:25 - 10:30)
  • どさんこ市場(金曜 10:55 - 11:25)
番宣・自己批評

特別番組・不定期番組など

編集

市民ニュース

編集

毎週土曜日に放送。各局別ローカル放送となっている。なお、2010年6月からは、デジタル放送でも地域別差し替え放送を開始した(前述[注 28]。また地上デジタル放送のEPGでは、札幌地区の番組名で表示される)。

  • 10:25 - 10:30
    • 札幌地区:「小樽フラッシュニュース
    • 釧路地区、帯広地区:「TV Seeds
    • 函館地区、苫小牧・室蘭地区:「道南スケッチ」
    • 旭川地区、北見地区:「稚内市民ニュース」(札幌映像プロダクションと旭川ケーブルテレビ「ポテト」の共同制作[注 29]
      • かつては終了後にフィラー映像として、旭山動物園敷地内を撮影した映像が流れていた(旭川市民ニュースも同様)。
  • 11:35 - 11:40
    • 札幌地区、帯広・釧路地区:「札幌ふるさと再発見
    • 函館地区、苫小牧・室蘭地区:「函館市民ニュース」(アウルビジョン制作)
    • 旭川地区、北見地区:「旭川市民ニュース」
      • 旭川市の公式サイト内「あさひかわの広報番組」からも視聴可能(視聴できる期間は当初は1週間のみだったが、現在は初回放送日から4週間で、過去に放送された3週分の視聴も可能となっている)。かつてはキャスターが顔出しで放送していたが、現在は取材VTRとナレーションのみの構成で放送している(稚内市民ニュースも同様)。

かつては、毎週月 - 土曜日(年末年始を除く)の11:50 - 11:55に、「月:函館、火:帯広、水:札幌、木:苫小牧、金:釧路、土:旭川」のパターンで放送されていた。また、 釧路地区[注 30]・帯広地区[注 31]では、「Seeds cafe」が放送されていた。

日本テレビ系列制作の遅れネット番組

編集

制作局の表記のない番組は日本テレビ制作。

その他の番組

編集

プロ野球中継

編集

日本テレビの系列局として長らく巨人戦の中継を放送しており、「巨人戦札幌シリーズ」も札幌テレビと日本テレビのアナウンサーのどちらかが実況を務め、全国ネットで放送していた。以前は札幌円山球場より生中継していたが、照明設備が無いため[注 34]平日のデーゲームとなっていた。2001年以降は札幌ドームでナイター開催されており、通常のナイター放送枠内で放送していた。

2004年より日本ハムファイターズが本拠地を北海道へ移転し、北海道に初のプロ野球チームが誕生。他局が早々とファイターズ中心の放送体制に移行していったのに対し、札幌テレビのみ「ファイターズもいいけど巨人もね!」と銘打って巨人戦中心の姿勢を維持していた。

しかし、新庄剛志小笠原道大などのスター選手の活躍や移転3年目の2006年にリーグ優勝・日本一を達成したことによりファイターズの人気が北海道でも定着し始めたことに加え巨人戦の視聴率も低迷していたことから、徐々にファイターズ中心の中継体制へと移行していった。

  • 2005年2006年は「Liveファイターズ」として、巨人戦中継の合間に札幌テレビのスタジオからアナウンサーが試合速報を挿入する方式でファイターズ戦の放送を開始。
  • 2007年は「ぞっこん!ファイターズ」として、札幌テレビとして初めて巨人戦のテレビ中継差し替えを行った。
  • 2008年は北海道のテレビ局では初めてとなる3連戦シリーズ連続中継を行った。
  • 2009年以降は地上波での巨人戦の中継がない日でもナイトゲームによる差し替え放送を行うようになり、平日の場合19・20時台の番組は土・日の昼間の放送枠で時差放送される。

2006年までは解説者も少なく、札幌ドームでの主催試合が中心だったが、2007年度以降は解説者を増員し、ビジターの試合にも積極的に自社スタッフを送り込んで中継を行っている。

なお、在札民放テレビ局で唯一日本シリーズにおけるファイターズホーム開催試合の中継経験がない一方で、ファイターズが進出した2009年(11月3日の第3戦・11月4日の第4戦・11月5日の第5戦)・2012年(10月27日の第1戦・10月28日の第2戦・11月3日の第6戦)の対巨人戦と2016年(10月29日の第6戦)の対広島戦のビジター開催を放送した(何れも日本テレビ主導制作で放送し、後者は広島テレビと共に制作協力で参加)実績があり、日本ハムが2016年に日本一を決めた試合の札幌地区での平均視聴率は50.8%を、瞬間最高視聴率は66.5%を各々記録している[76][77][78][79]

過去に放送されたテレビ番組

編集

自社制作番組

編集

ネット番組

編集

記述した番組以外にも放送されているものがある。

テレビ東京系

編集

TVh開局までのもの。

TVh開局後のもの。

  • ミスター味っ子(当初ネットしていたUHBが途中打ち切りとなったためSTVで全話完全放送された)

フジテレビ系

編集

☆印がついているものはフジテレビと同時ネットの番組

テレビ朝日系

編集

TBSテレビ系

編集

独立局

編集

その他の番組

編集

アナウンサー

編集
※-アナウンス部長経験者(アナウンサー未経験者などは別記)
◎-正社員退職後も嘱託・専属契約(札幌映像プロダクションより派遣)しているアナウンサー

現在

編集
出典[142]

男性

編集

女性

編集

過去

編集

*は故人。

男性
女性

専属契約・嘱託

編集
過去の正社員アナウンサー以外)

過去(専属契約・嘱託)

編集

歴代アナウンス部長(アナウンサー出身以外)

編集
  • 遠藤光夫(1972年時点。当時は報道制作局次長兼務)[145]
  • 広島義之(過去には営業局営業部、大阪支社営業部長、東京支社次長を歴任。1975年時点。同上)
  • 所雅彦(1987年頃)
  • 菅原浩昭[146]
  • 水越克[147][148]

関連会社

編集

参考文献

編集
  • STV十年史編集委員会 編『STV10年の歩み』札幌テレビ放送、1968年4月8日。NDLJP:12274670 
  • 札幌テレビ放送社史編纂委員会 編『札幌テレビ放送二十年史』札幌テレビ放送、1978年12月25日。NDLJP:12275336 
  • 札幌テレビ放送社史編纂/編集『こちら どさんこ放送局 : 札幌テレビ放送創立40周年記念』札幌テレビ放送、1998年11月。 
  • 札幌テレビ放送創立50周年記念事業推進室 編『札幌テレビ放送50年の歩み』札幌テレビ放送、2008年6月20日。 

脚注・出典

編集

注釈

編集
  1. ^ この当時、東急は定山渓鉄道(→じょうてつ)函館バス宗谷バス北見バス(→北海道北見バス)など道内各地のバス会社を次々と傘下に収めていた。
  2. ^ 1989年開局の『テレビ北海道』(TVh)とは無関係。
  3. ^ 音声多重放送開始当初、電電公社のマイクロ同時ネット回線がステレオに対応していなかった為、同回線経由の音声多重放送は、2か国語放送のみだった。ビデオ送りを含む自社送出分については、当初からステレオ放送も対応している。
  4. ^ 3月まではいずれも1kWだった。なお、変更後の出力はSTVラジオ#周波数を参照。
  5. ^ 一部のNETテレビ(MBS含む)制作の一般番組もネット。一部のラジオ東京ABC含む)、フジテレビ(関西テレビを含む)制作番組もネットした。
  6. ^ HTBは1968年(昭和43年)11月3日に開局したが、全道でのテレビ放送が開始された同日までの間は視聴者保護の観点から、NETテレビ制作番組を一般番組に限り、HBCとともに引き続き放送していた
  7. ^ FNNには最後まで加盟しなかった
  8. ^ UHBは1972年(昭和47年)4月1日に開局したが、全道でのテレビ放送を開始した同日までの間は視聴者保護の観点から、フジテレビ系列の番組を引き続き放送していた
  9. ^ テレビ山口と福島テレビもTBSテレビとの兼ね合いからFNSのみの加盟だったが、こちらは近隣の系列局がFNNのニュース取材を担当した。
  10. ^ 「6」は原則TBS系列局で使われる番号であるが、北海道放送がアナログ放送の親局のチャンネル「1」を踏襲したために空いたものである。
  11. ^ 福岡県では先に開局したTBS系列のRKB毎日放送がかつての福岡地区のアナログ放送の親局のチャンネルと同じ「4」、テレビ朝日系列の九州朝日放送も同じくアナログ放送の親局のチャンネルと同じ「1」を踏襲したために「5」が空いていた。
  12. ^ 日本テレビ系列局では山梨放送もアナログ親局が5chであったが、リモコンキーIDは「5」を引き継がず「4」とした。
  13. ^ NHKは、札幌以外の各放送局にもコールサインが付与された。
  14. ^ 2014年9月29日、礼文中継局から発射されている電波の影響で混信を受けている地域の受信状況改善を図るため礼文中継局の送信チャンネルが変更された[74]
  15. ^ 本来はNHKEテレ(『JOKZ』に対応する『JOKC』(NHK甲府放送局)は支局にコールサイン割当は無かった)に割り当てられるコールサイン。
  16. ^ デジタル中継局はアナログ放送を行っていたTVhの施設をそのまま使用し、民放各局で共同使用している。
  17. ^ NHK及び他の民放と共にデジタル新局として2014年5月29日に開局。
  18. ^ 但し、「JOWL」は、STVラジオ旭川放送局に割り当てされている為、存続している。
  19. ^ 但し、「JOVX」は、STVラジオ網走放送局にも割り当てされている為、存続している。
  20. ^ デジタル中継局は旧HBCアナログ中継局の隣に新設し、2011年11月開局のTVhを含め民放各局が共同使用。送信鉄塔は旧HBCアナログ中継局のものをそのまま使用し、アナログ送信アンテナの下にデジタル送信アンテナを設置した。
  21. ^ 標津中継局(アナログ放送のみ送信していた)と同じ位置(標津町)に設置している。
  22. ^ マイクロ波アナログ方式で、音声はモノラル1回線のみ。
  23. ^ 全道ラインの使用料は、全国ラインに比べて割高。回線使用料の料金表は、局発行の番組表に掲載されている。
  24. ^ 実際には、同年9月からの映像・音声信号を付加した試験放送で始まった。
  25. ^ ローカルのプロ野球中継により、振り替え放送になった同時ネット番組を含む。
  26. ^ 現在は函館局管内のニュース映像で実施。
  27. ^ EPG上では、『STV NEWS 24』と記載されている。EPGの番組詳細には、「天気予報をお送りする場合があります」と記載されている。
  28. ^ 但しワンセグは、札幌地区と同一の内容であるため、札幌地区以外の差し替え地域では「小樽フラッシュニュース」と「札幌ふるさと再発見」がワンセグ独自番組扱いとなっている。
  29. ^ 監修:STVと表記している。「旭川市民ニュース」も同様の体制。
  30. ^ かつて釧路地区のアナログ放送では、「釧路市民ニュース」→「札幌ふるさと再発見」→「くしろ大好き!!探検隊」(制作:釧路・ビデオ企画、STVは制作・著作のクレジット表記)を放送し、現在は再び「札幌ふるさと再発見」に戻している。
  31. ^ 帯広地区のアナログ放送では、「帯広市民ニュース」→「健康!とかち晴れ」(制作:釧路・ビデオ企画、STVは制作・著作のクレジット表記)→「札幌ふるさと再発見」→「響け!歌声 とかち晴れ」(STVは制作・著作のクレジット表記)→再び「札幌ふるさと再発見」→「響け!歌声 とかち晴れ」(10月 - 11月末までの期間放映、STVは制作・著作のクレジット表記)を放送していた。
  32. ^ 2010年1月10日から2011年10月2日までは制作局の読売テレビと同時ネットで放送。なお過去にも同時ネット・不定期放送・遅れネットを繰り返している。
  33. ^ 道内ではテレビ北海道で放送されたため再放送。
  34. ^ 近くに円山動物園があり、夜間に照明をつけると動物の生活リズムに影響が出るため、とされている。
  35. ^ 最終回は放送時間を35分繰り下げて放送。
  36. ^ 1974年度の第2作はHTBにて放送。1989年度の第3作は道内の放送局では未放送。
  37. ^ 1980年度の第2作もSTVにて放送。1959年度の実写版はHBCで、2003年度の第3作はUHBでそれぞれ放送。
  38. ^ 後に旭川放送局主任。
  39. ^ 後に代表取締役社長。
  40. ^ 後にフリー。
  41. ^ 後に報道部副部長→東京支社報道部長。
  42. ^ 後に総務局次長、総務局付(局長職)
  43. ^ 編成局アナウンス部長、営業局次長、函館放送局長を経てオフィス・サッポロ所属
  44. ^ 小樽支局長担当時に交通事故死。
  45. ^ のちディレクター
  46. ^ 後にFM福岡
  47. ^ 2018年7月より制作スポーツ局長。(一部番組には引き続き出演)
  48. ^ 後に釧路放送局長。
  49. ^ 後に姓名が坂田。
  50. ^ 現在もどさんこワイドに出演
  51. ^ 退職後もどさんこワイドなどに出演

出典

編集
  1. ^ 札幌テレビ放送株式会社 (25 June 2021). 第80期(2020年4月1日 - 2021年3月31日)有価証券報告書 コーポレート・ガバナンスの状況等 (Report).
  2. ^ 第82期決算公告、2023年(令和5年)7月14日付「官報」。
  3. ^ a b c 札幌テレビ放送株式会社 (25 June 2021). 第80期(2020年4月1日 - 2021年3月31日)有価証券報告書 (Report). 2023年10月21日閲覧
  4. ^ a b c d e f 札幌テレビ放送株式会社 第83期決算公告
  5. ^ 基幹放送事業者の議決権保有状況等 地上系放送事業者 - 総務省電波利用ホームページ
  6. ^ 日本ケーブルテレビ連盟・各地のリモコンキーID(2019年6月12日閲覧)
  7. ^ a b c 総務省ホームページ・北海道内の地上デジタル放送局の開局状況(2019年6月12日閲覧)
  8. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み(札幌テレビ放送創立50周年記念事業推進室 編) p.328
  9. ^ a b STV創立60周年記念サイト”. 札幌テレビ放送. 2017年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月7日閲覧。
  10. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.364
  11. ^ 2006年8月2日付「日刊合同通信」より
  12. ^ 札幌テレビ放送, STV. “STV札幌テレビ 放送(北海道)”. STV札幌テレビ 放送(北海道). 2023年1月5日閲覧。
  13. ^ かっては、全日、ゴールデン、プライム、に加え全日のうち19時から23時を除いたノンプライムもあったが3冠の対象外となった。2020年から調査を開始した個人視聴率でも2022年は2年連続の3冠となった。
  14. ^ 札幌テレビ放送, STV. “2023年「年間」視聴率3冠達成 | トピックス | テレビ | STV札幌テレビ”. STV札幌テレビ 放送(北海道). 2024年1月5日閲覧。
  15. ^ 札幌テレビ放送, STV. “2023年『年度』視聴率3冠達成 | トピックス | テレビ | STV札幌テレビ”. STV札幌テレビ 放送(北海道). 2024年4月4日閲覧。
  16. ^ 本道の放送事情 - 北海道年鑑 1958年(北海道新聞社 1957年)
  17. ^ 「テレビジョン放送用周波数の割当計画基本方針」及び「テレビジョン放送用周波数割当計画表」の決定 - 電波年鑑 昭和33年版(郵政省電波監理局)173 - 177頁
  18. ^ a b 札幌テレビ放送二十年史 p.14 - 18
  19. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.8 - 11
  20. ^ a b 札幌テレビ放送50年の歩み p.16 - 19
  21. ^ 札幌テレビ放送二十年史 p.684
  22. ^ a b c 出典:『民間放送十年史』(日本民間放送連盟発行)「第2部各社史録」の「札幌テレビ放送」の項。
  23. ^ 札幌テレビ放送二十年史 p.23-24
  24. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.23
  25. ^ 札幌テレビ放送二十年史 406-407頁
  26. ^ 札幌テレビ放送二十年史 p.691
  27. ^ 札幌テレビ放送二十年史 31頁
  28. ^ 札幌テレビ放送二十年史 413頁
  29. ^ 札幌テレビ放送二十年史 414頁
  30. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.29
  31. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.35
  32. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.38
  33. ^ 札幌テレビ放送二十年史 p.51
  34. ^ a b 札幌テレビ放送二十年史 54頁
  35. ^ STVラジオ 60周年
  36. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.51
  37. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.57
  38. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.56
  39. ^ 札幌テレビ放送二十年史 230-231頁
  40. ^ a b 札幌テレビ放送50年の歩み p.79
  41. ^ a b 札幌テレビ放送二十年史 92頁
  42. ^ 札幌テレビ放送二十年史 434頁
  43. ^ 札幌テレビ放送二十年史 109頁
  44. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'72』日本放送出版協会、1972年、41頁。 
  45. ^ a b c 札幌テレビ放送50年の歩み p.91 - 92
  46. ^ 朝日新聞北海道版 1979年7月1日付朝刊 P.24 テレビ欄及び同ページでのSTV広告「音声多重放送 本日スタート」(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  47. ^ 「放送日誌(54年12月)」『月刊民放』1980年3月号、日本民間放送連盟、50頁。 
  48. ^ 朝日新聞北海道版 1979年12月21日付朝刊 P.16(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  49. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.215
  50. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.219
  51. ^ ラジオ新番組速報版三才ブックス)1994年秋号(p.22)、1995年春号(p.22)
  52. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.230
  53. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.250
  54. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.254
  55. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.262
  56. ^ a b 札幌テレビ放送50年の歩み p.281
  57. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.282
  58. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.288
  59. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.295
  60. ^ 札幌テレビ放送50年の歩み p.292
  61. ^ インフォメーション|STVメディアセンター株式会社”. www.stv-mc.jp. 2022年3月18日閲覧。
  62. ^ a b “STVが北見局を廃止 4月1日付”. 北海道新聞. どうしん電子版 (北海道新聞社). (2022年2月1日). オリジナルの2022年3月13日時点におけるアーカイブ。. https://archive.ph/riBeq 2022年3月13日閲覧。 
  63. ^ 札幌テレビ放送株式会社『第80期(2020年4月1日 - 2021年3月31日)有価証券報告書 大株主の状況』(レポート)2021年6月25日。 
  64. ^ 札幌テレビ放送”. Lafla. 2020年10月27日閲覧。
  65. ^ 有報リーダー”. Lafla. 2017年6月9日閲覧。[リンク切れ]
  66. ^ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、108頁。 
  67. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、163頁。 
  68. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、166頁。 
  69. ^ a b 札幌テレビ放送 代表取締役会長
  70. ^ 札幌テレビ放送 代表取締役社長
  71. ^ 札幌テレビ放送 取締役相談役
  72. ^ 放送中継局一覧|テレビ - STV札幌テレビ
  73. ^ 札幌テレビ放送手稲山送信所・無線局免許状 - 総務省
  74. ^ 地デジ中継局のチャンネル変更について”. 総務省|北海道総合通信局 (2014年8月25日). 2024年10月31日閲覧。
  75. ^ 全国放送時や日本テレビ・BS日テレを含むビジター地元局からの同時ネット時は2023年は『Cross』(亀梨和也)を使用する。
  76. ^ “日本シリーズ、両軍地元で視聴率50%超…今世紀初”. デイリースポーツ. https://www.daily.co.jp/baseball/2016/10/31/0009628009.shtml 2016年10月31日閲覧。 
  77. ^ “日本シリーズの関東地区での平均視聴率25・1%!広島地区は54・9%、札幌地区は50・8%”. サンケイスポーツ. https://www.sanspo.com/article/20161031-S5R6GVS2XVODPDUB4D4XOKHOTQ/ 2016年10月31日閲覧。 
  78. ^ “ハム日本一 地元視聴率 今シリーズ最高50・8% 瞬間最高66・5%”. スポーツニッポン. https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/10/31/kiji/K20161031013635880.html 2016年10月31日閲覧。 
  79. ^ “プロ野球日本シリーズ第6戦 視聴率50.8%を記録!~札幌地区・ビデオリサーチ調べ”. 札幌テレビ放送. https://prtimes.jp/main/html/rd/amp/p/000000014.000021750.html 2016年10月31日閲覧。 
  80. ^ 札幌テレビ放送 1978, pp. 329–331.
  81. ^ a b 札幌テレビ放送 1978, pp. 622–623.
  82. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1975年(昭和50年)4月、テレビ欄。
  83. ^ a b c 『北海道新聞』(縮刷版) 1977年(昭和52年)3月、テレビ欄。
  84. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1976年(昭和51年)4月、テレビ欄。
  85. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1978年(昭和53年)11月 - 1980年(昭和55年)3月、テレビ欄。
  86. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1983年(昭和58年)10月 - 1985年(昭和60年)3月、テレビ欄。
  87. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1981年(昭和56年)10月 - 1983年(昭和58年)3月、テレビ欄。
  88. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1983年(昭和58年)4月 - 1988年(昭和63年)3月、テレビ欄。
  89. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1981年(昭和56年)10月 - 1982年(昭和57年)5月、テレビ欄。
  90. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)5月 - 1983年(昭和58年)5月、テレビ欄。
  91. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)10月 - 1983年(昭和58年)7月、テレビ欄。
  92. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1983年(昭和58年)4月 - 9月、テレビ欄。
  93. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1983年(昭和58年)5月 - 11月、テレビ欄。
  94. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1983年(昭和58年)7月 - 1984年(昭和59年)1月、テレビ欄。
  95. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1986年(昭和61年)7月 - 1987年(昭和62年)5月、テレビ欄。
  96. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1987年(昭和62年)6月 - 1988年(昭和63年)1月、テレビ欄。
  97. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1987年(昭和62年)1月 - 9月、テレビ欄。
  98. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1988年(昭和63年)4月 - 10月、テレビ欄。
  99. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1988年(昭和63年)10月 - 1989年(平成元年)4月、テレビ欄。
  100. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1982年(昭和57年)7月 - 1983年(昭和58年)6月、テレビ欄。
  101. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1983年(昭和58年)7月 - 1985年(昭和60年)6月、テレビ欄。
  102. ^ 北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1961年(昭和36年)10月 - 1965年(昭和40年)4月、テレビ欄。
  103. ^ a b 『北海道新聞』(縮刷版) 1972年(昭和47年)3月 - 1973年(昭和48年)1月、テレビ欄。
  104. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1969年(昭和44年)10月 - 1970年(昭和45年)3月、テレビ欄。
  105. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1972年(昭和47年)3月、テレビ欄。
  106. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1972年(昭和47年)4月、テレビ欄。
  107. ^ 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1963年(昭和38年)1月 - 1965年(昭和40年)2月、テレビ欄。
  108. ^ 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1960年(昭和35年)3月 - 7月、1966年(昭和41年)10月 - 1967年(昭和42年)3月、テレビ欄と『北海道新聞』(縮刷版) 1967年(昭和42年)4月 - 1970年(昭和45年)3月、テレビ欄より。
  109. ^ 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1964年(昭和39年)4月 - 1967年(昭和42年)3月、テレビ欄と『北海道新聞』(縮刷版) 1967年(昭和42年)4月 - 1973年(昭和48年)1月、テレビ欄から。
  110. ^ 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1963年(昭和38年)3月 - 1967年(昭和42年)3月、テレビ欄と『北海道新聞』(縮刷版) 1967年(昭和42年)4月 - 1972年(昭和47年)2月、テレビ欄より。
  111. ^ a b c 『北海道新聞』(縮刷版) 1967年(昭和42年)9月、テレビ欄。
  112. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1970年(昭和45年)4月 - 1971年(昭和46年)12月、テレビ欄。
  113. ^ a b c d e f g h i j 『北海道新聞』(縮刷版) 1972年(昭和47年)3月 - 4月、テレビ欄。
  114. ^ 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1963年(昭和38年)1月 - 1967年(昭和42年)1月、テレビ欄。
  115. ^ a b 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1967年(昭和42年)3月、テレビ欄。
  116. ^ 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1964年(昭和39年)4月 - 8月、テレビ欄。
  117. ^ 北海道新聞縮刷版昭和47年4月号793頁「4月28日付朝刊・テレビラジオ欄」より。
  118. ^ 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1966年(昭和41年)2月、テレビ欄。
  119. ^ a b 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1965年(昭和40年)8月、テレビ欄。
  120. ^ 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1965年(昭和40年)10月 - 1966年(昭和41年)9月、テレビ欄。
  121. ^ 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1966年(昭和41年)10月 - 1967年(昭和42年)3月、テレビ欄と『北海道新聞』(縮刷版) 1967年(昭和42年)4月 - 1968年(昭和43年)9月、テレビ欄より。
  122. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1986年(昭和61年)1月 - 9月、テレビ欄。
  123. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1968年(昭和43年)7月、テレビ欄。
  124. ^ a b c d 『北海道新聞』(縮刷版) 1968年(昭和43年)3月、テレビ欄。
  125. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1968年(昭和43年)10月、テレビ欄。
  126. ^ a b c d e f 『北海道新聞』(縮刷版) 1969年(昭和44年)3月、テレビ欄。
  127. ^ a b 『北海道新聞』(縮刷版) 1969年(昭和44年)10月、テレビ欄。
  128. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1969年(昭和44年)9月、テレビ欄。
  129. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1971年(昭和46年)12月 - 1972年(昭和47年)1月、テレビ欄。
  130. ^ a b c d 『北海道新聞』(縮刷版) 1971年(昭和46年)3月、テレビ欄。
  131. ^ a b c 『北海道新聞』(縮刷版) 1971年(昭和46年)6月、テレビ欄。
  132. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1969年(昭和44年)10月 - 1970年(昭和45年)4月、テレビ欄。
  133. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1970年(昭和45年)1月 - 4月、テレビ欄。
  134. ^ a b 『北海道新聞』(縮刷版) 1970年(昭和45年)4月 - 10月、テレビ欄。
  135. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1970年(昭和45年)10月 - 1971年(昭和46年)1月、テレビ欄。
  136. ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1973年(昭和48年)3月、テレビ欄。
  137. ^ 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1960年(昭和35年)4月、テレビ欄。
  138. ^ 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1961年(昭和36年)8月 - 1966年(昭和41年)2月、テレビ欄。
  139. ^ 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1960年(昭和35年)8月、テレビ欄。
  140. ^ 1992年5月の東奥日報朝刊のSTVテレビ欄から
  141. ^ 1993年11月の東奥日報朝刊のSTVテレビ欄から
  142. ^ アナウンサー - STV札幌テレビ
  143. ^ a b c d e f g h i j k l 札幌テレビ放送50年の歩み p.307 - 326「STV50周年 ともに分かちあった993人」
  144. ^ 清水幹夫さん死去 93歳 元札幌テレビ放送アナウンサー”. 北海道新聞 (2024年6月4日). 2024年10月31日閲覧。
  145. ^ 当年の『日本民間放送年鑑』より。
  146. ^ 報道制作局報道部取材デスク、報道制作局報道部課長、報道制作局業務推進部長・チーフマネージャー・業務管理担当、アナウンス部長・チーフマネージャー(2013.7.1 - 2014.12)、総務局総務部長・一般財団法人STVグループみらい財団理事、総務局長、コンプライアンス推進室長・視聴者センター長を経て、早期退職。
  147. ^ 2019年放送の『どさんこ食堂』での木村洋二の発言より。1986年入社。報道情報局情報番組部課長・『どさんこワイド179』プロデューサー、STVラジオ編成制作部長・『ウイークエンドバラエティ 日高晤郎ショー』プロデューサー、制作スポーツ局制作部次長を経て、現職
  148. ^ 実現させた方、実現させていただいた方々”. 北広島市. 2022年5月17日閲覧。

外部リンク

編集

過去