ドイツサッカー王者の一覧
男子と女子のドイツサッカー王者、ドイチャー・フースバルマイスターの一覧を以下に示す。主な内容はドイツサッカー協会 (DFB)、およびDFBに吸収された東ドイツ協会とザールラント協会の、国内最上位大会・最上位リーグ王者である。さらに、DFB王座創設以前、または同時並行で存在した非主流派団体のドイツ王者についても、この記事内で扱う。
DFBドイツ王座創設以前 (1891-1902)
編集ドイツサッカー協会が設立されたのは1900年[1]、初めてドイツ王座戦を開催したのは1903年である[1]。しかし、DFBより早く創設された「ドイツサッカー○○協会」を名乗る複数の団体が、すでに大会を開催していた[2]。これらの大会王者は、「正史」の担い手たるDFBから正式なドイツ王者として認定されていない[3]。どちらの大会もベルリン内部の選手権であり、一度だけ他地域のクラブを招待した事があったが、対戦は実現しなかった[2]。
- ドイツサッカー選手協会 (BDF):1890年創設
- ドイツサッカー・クリケット協会[2] (DFuCB):1891年創設
こうしたローカル協会や選手権は、ベルリン以外のドイツ各地にも作られたのだが[2]、いずれも長続きせずに消えていき、生き残った統括団体はほとんどDFBの地方協会となった。1892年にはBDFとDFuCBの王者同士が対戦し、BDF王者のBFCゲルマニアがBFuCB王者のイングリッシュFCを3-1で下した[4]。
DFuCBには、のちにDFB大会で2回ドイツ王者となる名門ベルリナーTuFCヴィクトリア89が所属していた。1894年、DFuCBは唯一の非ベルリン会員であったFCハーナウ93を招いて、ヴィクトリアとの間で「ブンデスマイスターシャフト」の開催を目論んだのだが、しかしハーナウが首都への遠征費の高さを理由に辞退し、試合は中止された[5]。それから113年後の2007年7月21日・28日、実現しなかった試合のエキシビジョンマッチが行われた。ホーム・アンド・アウェイ2試合制で対戦し、結果はヴィクトリアの1勝1分 (3-1,1-1)だった[6]。
ドイツサッカー選手協会王者 1891
編集- 1891: ベルリナーFCゲルマニア1888
ドイツサッカー・クリケット協会王者 1892–1902
編集- 1891/92: イングリッシュFC1890ベルリン
- 1892/93: ベルリナーTuFCヴィクトリア1889[2]
- 1893/94: ベルリナーTuFCヴィクトリア1889[2]
- 1894/95: ベルリナーTuFCヴィクトリア1889
- 1895/96: ベルリナーTuFCヴィクトリア1889
- 1896/97: ベルリナーTuFCヴィクトリア1889
- 1897/98: ベルリナーFCフォアヴェルツ1890
- 1898/99: ベルリナーFCフォアヴェルツ1890
- 1899/1900: ベルリナーFCフォアヴェルツ1890
- 1900/01: ベルリナーFCフォアヴェルツ1890
- 1901/02: ベルリナーSC1893
シーズン | マイスター | 準優勝 | 結果 | 試合日 | 開催地 | 会場 |
---|---|---|---|---|---|---|
1947/48 | 1.FCニュルンベルク (7) | 1.FCカイザースラウテルン | 2:1 | 1948年8月8日 | ケルン | ミュンガースドルファー・シュタディオン |
ソ連占領地域決勝 1948–1949
編集シーズン | マイスター | 準優勝 | 結果 | 試合日 | 開催地 | 会場 |
---|---|---|---|---|---|---|
1947-1948[12] | SGプラニッツ | SGフライムフェルデ・ハレ | 1:0 | 1948年7月4日 | ライプツィヒ | プロブスタイダー・シュタディオン |
1948-1949[15] | ZSGウニオン・ハレ | フォルトゥナ・エアフルト | 4:1 | 1949年6月26日 | ドレスデン | シュタディオン・アム・オストラーゲヘーゲ |
シーズン | 優勝 | 準優勝 | 3位 |
---|---|---|---|
1948/49 | VfBノインキルヒェン | SVザール05ザールブリュッケン | SVホンブルク |
1949/50 | シュポルトフロインデ05ザールブリュッケン | VfBノインキルヒェン | 1.FCザールブリュッケン II |
1950/51 | 1.FCザールブリュッケン II | プロイセン・メアヒヴァイラー | SVザンクト・インクバート |
シーズン | マイスター | 準優勝 | 結果 | 試合日 | 開催地 |
---|---|---|---|---|---|
1948/49 | VfRマンハイム | ボルシア・ドルトムント | 3:2 延長 | 1949年7月10日 | シュトゥットガルト |
1949/50 | VfBシュトゥットガルト | キッカーズ・オッフェンバッハ | 2:1 | 1950年6月25日 | ベルリン |
1950/51 | 1.FCカイザースラウテルン | プロイセン・ミュンスター | 2:1 | 1951年6月30日 | ベルリン |
1951/52 | VfBシュトゥットガルト (2) | 1.FCザールブリュッケン | 3:2 | 1952年6月22日 | ルートヴィヒスハーフェン・アム・ライン |
1952/53 | 1.FCカイザースラウテルン (2) | VfBシュトゥットガルト | 4:1 | 1953年6月21日 | ベルリン |
1953/54 | ハノーファー96 (2) | 1.FCカイザースラウテルン | 5:1 | 1954年5月23日 | ハンブルク |
1954/55 | ロート=ヴァイス・エッセン | 1.FCカイザースラウテルン | 4:3 | 1955年6月26日 | ハノーファー |
1955/56 | ボルシア・ドルトムント | カールスルーアーSC | 4:2 | 1956年6月24日 | ベルリン |
1956/57 | ボルシア・ドルトムント (2) | ハンブルガーSV | 4:1 | 1957年6月23日 | ハノーファー |
1957/58 | FCシャルケ04 (7) | ハンブルガーSV | 3:0 | 1958年5月18日 | ハノーファー |
1958/59 | アイントラハト・フランクフルト | キッカーズ・オッフェンバッハ | 5:3 延長 | 1959年6月28日 | ベルリン |
1959/60 | ハンブルガーSV (3) | 1.FCケルン | 3:2 | 1960年6月25日 | フランクフルト |
1960/61 | 1.FCニュルンベルク (8) | ボルシア・ドルトムント | 3:0 | 1961年6月24日 | ハノーファー |
1961/62 | 1.FCケルン | 1.FCニュルンベルク | 4:0 | 1962年5月12日 | ベルリン |
1962/63 | ボルシア・ドルトムント (3) | 1.FCケルン | 3:1 | 1963年6月29日 | シュトゥットガルト |
DDRオーバーリーガ 1950–1991[17]
編集シーズン | マイスター | 準優勝 | 3位 | 4位 |
---|---|---|---|---|
1963/64 | 1.FCケルン (2) | マイデリッヒャーSV | アイントラハト・フランクフルト | ボルシア・ドルトムント |
1964/65 | ヴェルダー・ブレーメン | 1. FCケルン | ボルシア・ドルトムント | TSV1860ミュンヘン |
1965/66 | TSV1860ミュンヘン | ボルシア・ドルトムント | FCバイエルン・ミュンヘン | ヴェルダー・ブレーメン |
1966/67 | アイントラハト・ブラウンシュヴァイク | TSV1860ミュンヘン | ボルシア・ドルトムント | アイントラハト・フランクフルト |
1967/68 | 1.FCニュルンベルク (9) | ヴェルダー・ブレーメン | ボルシア・メンヒェングラートバッハ | 1. FCケルン |
1968/69 | FCバイエルン・ミュンヘン (2) | アレマニア・アーヘン | ボルシア・メンヒェングラートバッハ | アイントラハト・ブラウンシュヴァイク |
1969/70 | ボルシア・メンヒェングラートバッハ | FCバイエルン・ミュンヘン | ヘルタBSC | 1. FCケルン |
1970/71 | ボルシア・メンヒェングラートバッハ (2) | FCバイエルン・ミュンヘン | ヘルタBSC | アイントラハト・ブラウンシュヴァイク |
1971/72 | FCバイエルン・ミュンヘン (3) | FCシャルケ04 | ボルシア・メンヒェングラートバッハ | 1. FCケルン |
1972/73 | FCバイエルン・ミュンヘン (4) | 1. FCケルン | フォルトゥナ・デュッセルドルフ | ヴッパーターラーSV |
1973/74 | FCバイエルン・ミュンヘン (5) | ボルシア・メンヒェングラートバッハ | フォルトゥナ・デュッセルドルフ | アイントラハト・フランクフルト |
1974/75 | ボルシア・メンヒェングラートバッハ (3) | ヘルタBSC | アイントラハト・フランクフルト | ハンブルガーSV |
1975/76 | ボルシア・メンヒェングラートバッハ (4) | ハンブルガーSV | FCバイエルン・ミュンヘン | 1. FCケルン |
1976/77 | ボルシア・メンヒェングラートバッハ (5) | FCシャルケ04 | アイントラハト・ブラウンシュヴァイク | アイントラハト・フランクフルト |
1977/78 | 1. FCケルン (3) | ボルシア・メンヒェングラートバッハ | ヘルタBSC | VfBシュトゥットガルト |
1978/79 | ハンブルガーSV (4) | VfBシュトゥットガルト | 1.FCカイザースラウテルン | FCバイエルン・ミュンヘン |
1979/80 | FCバイエルン・ミュンヘン (6) | ハンブルガーSV | VfBシュトゥットガルト / 1. FCカイザースラウテルン (同時3位) | |
1980/81 | FCバイエルン・ミュンヘン (7) | ハンブルガーSV | VfBシュトゥットガルト | 1. FCカイザースラウテルン |
1981/82 | ハンブルガーSV (5) | 1. FCケルン | FCバイエルン・ミュンヘン | 1. FCカイザースラウテルン |
1982/83 | ハンブルガーSV (6) | ヴェルダー・ブレーメン | VfBシュトゥットガルト | FCバイエルン・ミュンヘン |
1983/84 | VfBシュトゥットガルト (3) | ハンブルガーSV | ボルシア・メンヒェングラートバッハ | FCバイエルン・ミュンヘン |
1984/85 | FCバイエルン・ミュンヘン (8) | ヴェルダー・ブレーメン | 1. FCケルン | ボルシア・メンヒェングラートバッハ |
1985/86 | FCバイエルン・ミュンヘン (9) | ヴェルダー・ブレーメン | バイアー05ユールディンゲン | ボルシア・メンヒェングラートバッハ |
1986/87 | FCバイエルン・ミュンヘン (10) | ハンブルガーSV | ボルシア・メンヒェングラートバッハ | ボルシア・ドルトムント |
1987/88 | ヴェルダー・ブレーメン (2) | FCバイエルン・ミュンヘン | 1. FCケルン | VfBシュトゥットガルト |
1988/89 | FCバイエルン・ミュンヘン (11) | 1. FCケルン | ヴェルダー・ブレーメン | ハンブルガーSV |
1989/90 | FCバイエルン・ミュンヘン (12) | 1. FCケルン | アイントラハト・フランクフルト | ボルシア・ドルトムント |
1990/91 | 1. FCカイザースラウテルン (3) | FCバイエルン・ミュンヘン | ヴェルダー・ブレーメン | アイントラハト・フランクフルト |
シーズン | マイスター | 準優勝 | 3位 | 4位 |
---|---|---|---|---|
1991/92 | VfBシュトゥットガルト (4) | ボルシア・ドルトムント | アイントラハト・フランクフルト | 1.FCケルン |
1992/93 | ヴェルダー・ブレーメン (3) | FCバイエルン・ミュンヘン | アイントラハト・フランクフルト | ボルシア・ドルトムント |
1993/94 | FCバイエルン・ミュンヘン (13) | 1.FCカイザースラウテルン | バイア―04レーヴァクーゼン | ボルシア・ドルトムント |
1994/95 | ボルシア・ドルトムント (4) | ヴェルダー・ブレーメン | SCフライブルク | 1. FCカイザースラウテルン |
1995/96 | ボルシア・ドルトムント (5) | FCバイエルン・ミュンヘン | FCシャルケ04 | ボルシア・メンヒェングラートバッハ |
1996/97 | FCバイエルン・ミュンヘン (14) | バイアー04レーヴァクーゼン | ボルシア・ドルトムント | VfBシュトゥットガルト |
1997/98 | 1. FCカイザースラウテルン (4) | FCバイエルン・ミュンヘン | バイアー04レーヴァクーゼン | VfBシュトゥットガルト |
1998/99 | FCバイエルン・ミュンヘン (15) | バイアー04レーヴァクーゼン | ヘルタBSC | ボルシア・ドルトムント |
1999/2000 | FCバイエルン・ミュンヘン (16) | バイアー04レーヴァクーゼン | ハンブルガーSV | TSV1860ミュンヘン |
2000/01 | FCバイエルン・ミュンヘン (17) | FCシャルケ04 | ボルシア・ドルトムント | バイアー04レーヴァクーゼン |
2001/02 | ボルシア・ドルトムント (6) | バイアー04レーヴァクーゼン | FCバイエルン・ミュンヘン | ヘルタBSC |
2002/03 | FCバイエルン・ミュンヘン (18) | VfBシュトゥットガルト | ボルシア・ドルトムント | ハンブルガーSV |
2003/04 | ヴェルダー・ブレーメン (4) | FCバイエルン・ミュンヘン | バイアー04レーヴァクーゼン | VfBシュトゥットガルト |
2004/05 | FCバイエルン・ミュンヘン (19) | FCシャルケ04 | ヴェルダー・ブレーメン | ヘルタBSC |
2005/06 | FCバイエルン・ミュンヘン (20) | ヴェルダー・ブレーメン | ハンブルガーSV | FCシャルケ04 |
2006/07 | VfBシュトゥットガルト (5) | FCシャルケ04 | ヴェルダー・ブレーメン | FCバイエルン・ミュンヘン |
2007/08 | FCバイエルン・ミュンヘン (21) | ヴェルダー・ブレーメン | FCシャルケ04 | ハンブルガーSV |
2008/09 | VfLヴォルフスブルク | FCバイエルン・ミュンヘン | VfBシュトゥットガルト | ヘルタBSC |
2009/10 | FCバイエルン・ミュンヘン (22) | FCシャルケ04 | ヴェルダー・ブレーメン | バイアー04レーヴァクーゼン |
2010/11 | ボルシア・ドルトムント (7) | バイアー04レーヴァクーゼン | FCバイエルン・ミュンヘン | ハノーファー96 |
2011/12 | ボルシア・ドルトムント (8) | FCバイエルン・ミュンヘン | FCシャルケ04 | ボルシア・メンヒェングラートバッハ |
2012/13 | FCバイエルン・ミュンヘン (23) | ボルシア・ドルトムント | バイアー04レーヴァクーゼン | FCシャルケ04 |
2013/14 | FCバイエルン・ミュンヘン (24) | ボルシア・ドルトムント | FCシャルケ04 | バイアー04レーヴァクーゼン |
2014/15 | FCバイエルン・ミュンヘン (25) | VfLヴォルフスブルク | ボルシア・メンヒェングラートバッハ | バイアー04レーヴァクーゼン |
2015/16 | FCバイエルン・ミュンヘン (26) | ボルシア・ドルトムント | バイアー04レーヴァクーゼン | ボルシア・メンヒェングラートバッハ |
2016/17 | FCバイエルン・ミュンヘン (27) | RBライプツィヒ | ボルシア・ドルトムント | TSG1899ホッフェンハイム |
2017/18 | FCバイエルン・ミュンヘン (28) | FCシャルケ04 | TSG1899ホッフェンハイム | ボルシア・ドルトムント |
2018/19 | FCバイエルン・ミュンヘン (29) | ボルシア・ドルトムント | RBライプツィヒ | バイアー04レーヴァクーゼン |
2019/20 | FCバイエルン・ミュンヘン (30) | ボルシア・ドルトムント | RBライプツィヒ | ボルシア・メンヒェングラートバッハ |
2020/21 | FCバイエルン・ミュンヘン (31) | RBライプツィヒ | ボルシア・ドルトムント | VfLヴォルフスブルク |
2021/22 | FCバイエルン・ミュンヘン (32) | ボルシア・ドルトムント | バイアー04レーヴァクーゼン | RBライプツィヒ |
2022/23 | FCバイエルン・ミュンヘン (33) | ボルシア・ドルトムント | RBライプツィヒ | 1.FCウニオン・ベルリン |
2023/24 | バイアー04レーヴァクーゼン | VfBシュトゥットガルト | FCバイエルン・ミュンヘン | RBライプツィヒ |
2024/25 | - | - | - | - |
クラブ別優勝回数
編集
DFB、東ドイツサッカー協会、DFBが消滅していた1940-1945年の統括組織ファッハアムト・フースバル[注 4]の下での、優勝回数ランキングである。回数が同じ場合、先に優勝した方を上に表示している。
クラブ | 優勝回数 | 初優勝-直近優勝 | |||
---|---|---|---|---|---|
通算 | 汎ドイツ (1903–1944, 1992-) |
西ドイツ (1948–1991) |
東ドイツ (1950–1991) | ||
FCバイエルン・ミュンヘン | 33 | 22 | 11 | 1932–2023 | |
ベルリナーFCディナモ[Anm. 1] | 10 | 10 | 1979–1988 | ||
1.FCニュルンベルク | 9 | 6 | 3 | 1920–1968 | |
SGディナモ・ドレスデン[Anm. 2] | 8 | 8 | 1953–1990 | ||
ボルシア・ドルトムント | 8 | 5 | 3 | 1956–2012 | |
FCシャルケ04 | 7 | 6 | 1 | 1934–1958 | |
ハンブルガーSV[Anm. 3] | 6 | 2 | 4 | 1923–1983 | |
ASKフォアヴェルツ・ベルリン[Anm. 4] | 6 | 6 | 1959–1969 | ||
VfBシュトゥットガルト | 5 | 2 | 3 | 1950–2007 | |
ボルシア・メンヒェングラートバッハ | 5 | 5 | 1970–1977 | ||
1.FCカイザースラウテルン | 4 | 1 | 3 | 1951–1998 | |
ヴェルダー・ブレーメン | 4 | 2 | 2 | 1965–2004 | |
VfBライプツィヒ (1893) | 3 | 3 | 1903–1913 | ||
SpVggフュルト | 3 | 3 | 1914–1929 | ||
SCヴィスムート・カール=マルクス=シュタット[Anm. 5] | 3 | 3 | 1956–1959 | ||
1.FCケルン | 3 | 3 | 1962–1978 | ||
FCカール・ツァイス・イェーナ[Anm. 6] | 3 | 3 | 1963–1970 | ||
1.FCマクデブルク | 3 | 3 | 1972–1975 | ||
ベルリナーTuFCヴィクトリア1889 | 2 | 2 | 1908–1911 | ||
ヘルタBSC | 2 | 2 | 1930–1931 | ||
ハノーファー96 | 2 | 1 | 1 | 1938–1954 | |
ドレスデナーSC | 2 | 2 | 1943–1944 | ||
BSGヒェミー・ライプツィヒ (1950) | 2 | 2 | 1951–1964 | ||
トゥルビーネ・エアフルト | 2 | 2 | 1954–1955 | ||
ベルリナーTuFCウニオン92 | 1 | 1 | 1905 | ||
フライブルガーFC | 1 | 1 | 1907 | ||
カールスルーアーFCフェニックス | 1 | 1 | 1909 | ||
カールスルーアーFV | 1 | 1 | 1910 | ||
ホルシュタイン・キール | 1 | 1 | 1912 | ||
フォルトゥナ・デュッセルドルフ | 1 | 1 | 1933 | ||
SKラピート・ヴィーン[Anm. 7] | 1 | 1 | 1941 | ||
VfRマンハイム | 1 | 1 | 1949 | ||
ZSGホルヒ・ツヴィッカウ | 1 | 1 | 1950 | ||
トゥルビーネ・ハレ | 1 | 1 | 1952 | ||
ロート=ヴァイス・エッセン | 1 | 1 | 1955 | ||
アイントラハト・フランクフルト | 1 | 1 | 1959 | ||
TSV1860ミュンヘン | 1 | 1 | 1966 | ||
アイントラハト・ブラウンシュヴァイク | 1 | 1 | 1967 | ||
FCカール=マルクス=シュタット | 1 | 1 | 1967 | ||
ハンザ・ロストック | 1 | 1 | 1991 | ||
VfLヴォルフスブルク | 1 | 1 | 2009 | ||
バイアー04レーヴァクーゼン | 1 | 1 | 2024 |
注釈:
歴代の最多優勝クラブ (DFB・DFV)
編集単独首位期間 | クラブ | 優勝回数 |
---|---|---|
1903–1905 | VfBライプツィヒ (1893) | 1 |
1905–1906 | VfBライプツィヒ (1893) / ベルリナーTuFCウニオン1892 | 1 |
1906–1911 | VfBライプツィヒ (1893) | 2 |
1911–1913 | VfBライプツィヒ (1893)/ BFCヴィクトリア1889 | 2 |
1913–1924 | VfBライプツィヒ (1893) | 3 |
1924–1925 | VfBライプツィヒ (1893) / 1.FCニュルンベルク | 3 |
1925–1942 | 1.FCニュルンベルク | 4–6 |
1942–1948 | 1.FCニュルンベルク / FCシャルケ04 | 6 |
1948–1958 | 1.FCニュルンベルク | 7 |
1958–1961 | 1.FCニュルンベルク / FCシャルケ04 | 7 |
1961–1985 | 1.FCニュルンベルク | 8–9 |
1986 | 1.FCニュルンベルク / FCバイエルン・ミュンヘン | 9 |
1987 | FCバイエルン・ミュンヘン | 10 |
1988 | FCバイエルン・ミュンヘン / BFCディナモ | 10 |
1989- | FCバイエルン・ミュンヘン | 11–33 |
1.FCニュルンベルクは1924年から1986年まで、62年間ドイチャーマイスター最多回数記録を保持、単独首位は通算50年間である。これを追い抜いたFCバイエルン・ミュンヘンは、2023-2024シーズン終了時点でBFCディナモに23回分の差をつけていることから、2050年までに首位の座を譲ることは考えにくい。
DFB以外の男子王者
編集DFBと並行して、以下のような団体が独自にドイツサッカー王者を決める大会を開催した。その大半は正史から忘れ去られているが、なぜこんなに沢山の統括組織・大会が生まれたのかは、主としてヴァイマル共和制時代の社会的分断が理由と考えられる (セグリゲーション)。例えば共産主義者も「パラレル団体」を作って、全国的なスポーツ大会を開催したが、DFBやほかの統括団体は関与していない。
- ドイチェ・アカデミカーマイスターシャフト (ドイツ学生協会主催):帝政時代にドイツ学生協会が開催した、全国学生スポーツ選手権サッカーの部。まだ学業を修了していない大学生・高校生・大学相当の教育機関生徒、または四年制大学卒業生 (のちに六年制) を対象とする。 DFBも運営に関わっていた。1.FCニュルンベルク、ホルシュタイン・キールなどが出場している。
- ドイツ体操団体 (DT):ドイツの体操クラブは伝統的に選民思想が強く、外来スポーツを異質なものとして嫌悪する風潮が根強かった[18][19]。そうした歴史的背景もあって、1923-1924年に体操とスポーツの純粋分割によって作られた、純粋体操クラブのための協会である。しかしそれら体操クラブの中にもまだサッカー部門が残存していて、彼らの為に短期間だけサッカー大会を開催した。そのほとんどは、後に体操クラブから分離してDFBに移籍した。
- 労働者体操・スポーツ協会 (ATSB):1893年結成、左翼系組織[20]。非主流派団体の中では最大勢力であり、ドイツ社会民主党との結びつきが強かった。労働者オリンピアードに出場するドイツ代表チームを編成[20]。全国17地区にサッカーリーグを作り、その勝者たちによる全国大会を14シーズン連続で開催した。ブルジョア主導のDFBとは犬猿の仲で[20]、また、試合記録に出場者・得点者など選手個人の名前を書き残さないという[20]、特異なカルチャーを持っていた。1933年ナチス政権によって解散させられるが、1945年に再建され2008年まで存続した。
- 赤色スポーツ統一闘争共同体 (ロートシュポルト):ドイツ共産党の関係組織。ATSBから分裂した。
- ドイツ青年活力スポーツ協会 (DJK):1920年創設、カトリック教会系。国際カトリックスポーツ体育連盟に加盟している。1934年、DJKを敵視するヒトラーユーゲントによって非合法化された後[21]、1947年に再建され存続中。4年ごとに全国スポーツ祭典を開催。カトリック教徒の多いドイツ南部・西部が勢力基盤であり、加盟クラブはすべてDJK (Deutsche Jugendkraft) のイニシャルを持つ。
- マッカビ・ドイチュラント[注 5]:ユダヤ系。1898年創設、1938年に解散させられ、1965年に再建された。マッカビ世界連合[注 6]所属。当時はシオニスト団体だった[23]。ナチス政権初期のスポーツクラブからのユダヤ系会員追放後、被追放者たちによる全国サッカー大会を開催した[23]。
- ユダヤ戦線兵士帝国協会 (シュポルトブント・シルト):ユダヤ系[23][注 7]。
ドイツ学生選手権 1911–1914
編集- 1911: VfBマーブルク
- 1912: ホルシュタイン・キール
- 1913: VfBライプツィヒ (1893)
- 1914: シュトゥットガルター・キッカース[24]
労働者体操・スポーツ協会 1920–1932
編集- 1920: TSVフュルト
- 1921: VfLズュートオストライプツィヒ・シュテテリッツ
- 1922: VfLズュートオストライプツィヒ・シュテテリッツ
- 1923: VfLズュートオストライプツィヒ・シュテテリッツ
- 1924: ドレスナーSV1910
- 1925: ドレスナーSV1910
- 1926: ドレスナーSV1910
- 1927: ドレスナーSV1910
- 1928: SCアドラー・パンコフ
- 1929: SCロアベーアハンブルク
- 1930: TSVニュルンベルク=オスト
- 1931: SCロアベーア06ハンブルク
- 1932: TSVニュルンベルク=オスト
ドイツ青年活力スポーツ協会 1921–1932
編集- 1921: DJKエッセン=カターンベルク
- 1924: DJKエッセン=カテルンベルク
- 1927: DJKシュパルタ・ニュルンベルク
- 1932: DJKシュパルタ・ニュルンベルク
ドイツ体操団体 1925–1930
編集- 1925: MTVフュルト
- 1926: MTVフュルト
- 1927: TV1861フォルスト
- 1928: ハーブルガーTB1865
- 1929: TV1846マンハイム
- 1930: クルップシェTGエッセン
赤色スポーツ統一闘争共同体 1931–1932
編集- 1931: ドレスデナーSV1910
- 1932: FTイェスニッツ[25]
ドイチャー・マッカビ・クライス 1934–1938
編集- 1934: バル・コホバ=ハコア・ベルリン
- 1936: バル・コホバ・フランクフルト
- 1937: バル・コホバ・フランクフルト
- 1938: バル・コホバ=ハコア・ベルリン[26]
ユダヤ戦線兵士帝国協会 1934-1938
編集- 1934: JSG33ベルリン
- 1935: TSVシルト・フランクフルト
- 1936: TSVシルト・フランクフルト
- 1937: TSVシルト・フランクフルト
- 1938: TSVシルト・ボーフム[26]
女子王者
編集統一前に関しては、西ドイツ (1974-1991) と東ドイツ (1979-1991) の女子王者を同じ表にまとめてある。東ドイツの大会結果は、東ドイツ女子サッカー最強決定戦も参照。
ブンデスリーガ (1リーグ制) 1997/98-
編集クラブ別優勝回数 (DFB・DFV)
編集クラブ | 優勝回数 | 初優勝-直近優勝 | |
---|---|---|---|
DFB | DFV | ||
SVベルギッシュ・グラートバッハ09 | 9 | 1977–1989 | |
1.FFCフランクフルト | 7 | 1999–2008 | |
VfLヴォルフスブルク | 7 | 2013–2022 | |
FCバイエルン・ミュンヘン | 6 | 1976–2024 | |
BSG/1.FFCトゥルビーネ・ポツダム | 6 | 6 | 1981–2012 |
TSVジーゲン | 6 | 1987–1996 | |
FSVフランクフルト | 3 | 1986–1998 | |
BSGロタツィオーン・シュレーマ | 2 | 1987–1988 | |
TuSヴェーアシュタット | 1 | 1974 | |
ボナーSC | 1 | 1975 | |
SC07バート・ノイエナーア | 1 | 1978 | |
BSGモトーア・ミッテ・カール=マルクス=シュタット | 1 | 1979 | |
BSGヴィスムート・カール=マルクス=シュタット | 1 | 1980 | |
BSGモトーア・ハレ | 1 | 1984 | |
KBCデュースブルク | 1 | 1985 | |
BSGポスト・ロウトック (女子サッカー) | 1 | 1990 | |
USVイェーナ | 1 | 1991 | |
TuSニーダーキルヒェン | 1 | 1993 | |
グリュン=ヴァイス・ブラウヴァイラー | 1 | 1997 | |
FCRデュースブルク | 1 | 2000 |
参考文献
編集- キッカー・シュポルトマガツィーン: 100 Deutsche Meister – Lebendige Geschichte und spannende Geschichten, Olympia-Verlag, Nürnberg 2012, ISSN 1613-2297.
- ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7
脚注
編集注釈
編集- ^ DFBのサッカー統括権は、1933年のナチス政権発足と同時に国民社会主義体育連盟によって奪われた。それでも一応存在はしていたが、1940年から1945年には完全に消滅していた[7]。しかし、この5年間の優勝クラブも正式なDFB男子王者として認定されている[3]。
- ^ ドイツサッカー協会の歴代王者リスト (ウェイバックマシン)参照。 ハンブルガーSV公式サイトでも、一度正式に王者認定された後にタイトルを返上したと書かれている[8]。ただし、マイスターシャーレ表面に刻まれている歴代王者の「1922」部分は空欄ではなく、両クラブの名前 (NÜRNBERG HSV) がある[9]
- ^ 越年制から通年制に移行する際に、過渡期の半年間に開催された。
- ^ たいていの場合、DFB統括時代の一部と見做される。
- ^ 欧州各国とイスラエルに存在するシオニスト系スポーツ組織の一派、マッカビのドイツ支部。旧約聖書続編のセレウコス朝に対する反乱者、ユダ・マカバイ (ユダ・マカビ[22]) を語源とする。「ハコア」 (ヘブライ語で「強さ」) などと並んで、各国のユダヤ系スポーツクラブに人気のある名前。プロスポーツでは、マッカビ・テル・アヴィヴとマッカビ・ハイファが特に有名であろう。
- ^ 1921年ドイツ・カールスバートでのシオニスト会議席上で創設された国際連盟。ウィーン、ブルノ、ベルリン、ロンドンを経て、現在イスラエルのラマト・ガンに本拠地を置き、4年ごとにユダヤ版オリンピックともいうべき、マッカビア競技大会を開催している。
- ^ 1918年、第一次世界大戦から帰還したユダヤ系のドイツ軍士官、レオ・レーヴェンシュタインによって創設された。ユダヤ系戦死者が多かった事への問題意識や、社会全体の反ユダヤ主義への自衛目的を出発点とし、スポーツ運営組織も保有していた。政治思想的には、シオニストと違ってドイツ社会との同化やドイツ国家への貢献を標榜する。ナチス政権時代の1938年に解散させられるも、2006年にドイツ連邦軍のユダヤ系将兵によって、「ユダヤ兵士協会」という名前で再建された。
出典
編集- ^ a b リヒテンベルガー/秋吉 2005, 39頁
- ^ a b c d e f リヒテンベルガー/秋吉 2005, 37頁
- ^ a b c d e f g “Bisherige Meister” (ドイツ語). ドイツサッカー協会/ウェイバックマシン. 2025年2月17日閲覧。
- ^ Henry Werner: Fußball in Berlin: Spieler – Vereine – Emotionen 1880 bis heute. Elsengold Verlag 2016.
- ^ Spiel und Sport (Berlin), diverse Ausgaben 1894, abgerufen am 30. Oktober 2016 auf sammlungen.ulb.uni-muenster.de.
- ^ “Kurzpässe: Nürnberg frustriert, Viktoria feiert”. シュピーゲル・オンライン. spiegel.de (2007年7月28日). 2014年6月9日閲覧。
- ^ 100 Jahre DFB: Geschichte des Deutschen Fußball-Bundes, SVB Sportverlag, Berlin, (1999), pp. 306/307, ISBN 3-328-00850-0
- ^ “Die Entstehungsgeschichte des Hamburger Sport-Vereins” (ドイツ語). www.hsv.de. 2025年2月17日閲覧。
- ^ “Ein Finale ohne Sieger: Als es keinen Fußballmeister gab” (ドイツ語). www.noz.de (2022年3月8日). 2025年2月17日閲覧。
- ^ “Germany - Oberliga Süd 1945-63” (英語). RSSSF. 2025年2月17日閲覧。
- ^ “Germany - Oberliga Südwest 1945-63” (英語). RSSSF. 2025年2月17日閲覧。
- ^ a b c “East Germany 1947/48” (英語). 2025年2月16日閲覧。
- ^ “Germany - Oberliga Berlin 1946-63” (英語). RSSSF. 2025年2月16日閲覧。
- ^ “1947-48” (英語). RSSSF. 2025年2月15日閲覧。
- ^ “East Germany 1948/49” (英語). 2025年2月16日閲覧。
- ^ “Saar - Final Tables 1948/49-1950/51” (英語). RSSSF. 2025年2月23日閲覧。
- ^ “East Germany - List of Champions” (英語). RSSSF. 2025年2月18日閲覧。
- ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 20-25頁
- ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 30-31頁
- ^ a b c d リヒテンベルガー/秋吉 2005, 226-227頁
- ^ ハインツ=エゴン・レーシュ: Sport um der Menschen Willen. 75 Jahre DJK Sportverband 'Deutsche Jugendkraft' 1920–1995. Meyer & Meyer, Aachen 1995.
- ^ 図説 新約聖書の考古学, ふくろうの本 (初版 ed.), 河出書房新社, (2021.9.30), pp. 14, ISBN 978-4-309-76305-7
- ^ a b c “Die vergessenen Meister” (ドイツ語). Westdeutsche Allgemeine Zeitung (2008年6月28日). 2025年2月17日閲覧。
- ^ “Saison 1913/14”. 2018年5月26日閲覧。
- ^ Jens P. Hirschmann. "Alle deutschen Meister". www.sachsenfussball.de. 2022年5月8日閲覧。
- ^ a b ディートリヒ・シュルツェ=マーメリンク (Hrsg.): Davidstern und Lederball. Die Geschichte der Juden im deutschen und internationalen Fußball. Die Werkstatt, Göttingen 2003, ISBN 3-89533-407-3.
- ^ “(West) Germany - List of Women Champions” (英語). RSSSF. 2025年2月15日閲覧。
- ^ “East Germany - List of Women Champions” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
- ^ “Meister der Frauen-Bundesliga” (ドイツ語). ドイツサッカー協会/ウェイバックマシン. 2025年2月17日閲覧。