ドイツ・ブンデスリーガ1983-1984

フースバル・ブンデスリーガ 1983-1984ドイツサッカー協会 (DFB) によって開催された男子全国最上位リーグの第21シーズン目である。VfBシュトゥットガルトが優勝し、3回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][2][3][4]

Fußball-Bundesliga
シーズン 1983-1984
優勝 VfBシュトゥットガルト
(3回目)
試合数 306
ゴール数 1097 (1試合平均3.58)
得点王 西ドイツの旗 カール=ハインツ・ルンメニゲ
(26点)
合計観客動員 6,307,967
平均観客動員 20,614

概要

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マイスター争いは最終節で決着がついたが、第33節終了時には事実上決まったも同然だった。第29節で首位に立ったVfBシュトゥットガルトは、第33節でヴェルダー・ブレーメンに2-1で勝利し、一方2連覇中のハンブルガーSVが0-2でアイントラハト・フランクフルトに敗れたので、勝ち点差2を確保。シュトゥットガルトは、HSVとホームでの最終節直接対決を残していたが、得失点差では9ポイントもリードしていた。


直接対決の結果はHSVの1-0勝利だったが、彼らにとっては2位確保以上の意味を持たず、シュトゥットガルトの優勝が決定。最終的にはボルシア・メンヒェングラートバッハもこの2クラブと勝ち点で並び、このトリオから勝ち点差1でFCバイエルン・ミュンヘンが4位、勝ち点3差で昨季準王者ヴェルダー・ブレーメンが5位。マイスターから5位までがわずか勝ち点3差であり、少なくとも20世紀において、これほどの団子状態は2度と見られなかった。


キッカーズ・オッフェンバッハは、1965-1966シーズンSCタスマニア1900ベルリンドイツ語版と、1976-1977シーズンロート=ヴァイス・エッセンに続き、シーズン100失点以上を喫した史上3つめのブンデスリーガクラブとなった。また1.FCニュルンベルクは、アウェーゲーム全敗を記録した最初のクラブとなった。また、第32節は全9試合で総計53ゴールが記録され、リーグ全体のシーズン通算ゴール数は1097ゴールであった。少なくとも20世紀中には、この2つの記録は破られなかった。

順位表[4]

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首位
最下位
チーム 出場権または降格
1 VfBシュトゥットガルト (C) 34 19 10 5 79 33 +46 48 UCC出場
2 ハンブルガーSV 34 21 6 7 75 36 +39 48 UC出場[注 1]
3 ボルシア・メンヒェングラートバッハ 34 21 6 7 81 48 +33 48
4 FCバイエルン・ミュンヘン 34 20 7 7 84 41 +43 47 CWC出場
5 ヴェルダー・ブレーメン 34 19 7 8 79 46 +33 45 UC出場[注 1]
6 1.FCケルン 34 16 6 12 70 57 +13 38
7 バイヤー04レヴァークーゼン 34 13 8 13 50 50 0 34
8 アルミニア・ビーレフェルト 34 12 9 13 40 49 −9 33
9 アイントラハト・ブラウンシュヴァイク 34 13 6 15 54 69 −15 32
10 バイアー05ユールディンゲン 34 12 7 15 66 79 −13 31
11 SVヴァルトホーフ・マンハイム 34 10 11 13 45 58 −13 31
12 1.FCカイザースラウテルン 34 12 6 16 68 69 −1 30
13 ボルシア・ドルトムント 34 11 8 15 54 65 −11 30
14 フォルトゥナ・デュッセルドルフ 34 11 7 16 63 75 −12 29
15 VfLボーフム 34 10 8 16 58 70 −12 28
16 アイントラハト・フランクフルト 34 7 13 14 45 61 −16 27 昇降格プレーオフ出場
17 キッカース・オッフェンバッハ (R) 34 7 5 22 48 106 −58 19 2.フースバル・ブンデスリーガ1984–1985ドイツ語版に自動降格
18 1.FCニュルンベルク (R) 34 6 2 26 38 85 −47 14
出典: www.dfb.de
順位の決定基準: 1) 勝ち点; 2) 得失点差; 3) 総得点.
(C) 優勝; (R) 降格.
注釈:
  1. ^ a b バイエルンがDFBポカール1983-1984ドイツ語版優勝によりUEFAカップウィナーズカップ 1984-85出場を決めたので、彼らのUEFAカップ 1984-85出場権はリーグ6位のケルンに譲渡された。

昇降格プレーオフ

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チーム #1 スコア チーム #2
MSVデュイスブルク 0:5 アイントラハト・フランクフルト
アイントラハト・フランクフルト 1:1 MSVデュイスブルク
MSVデュイスブルク 1:6 アイントラハト・フランクフルト
アイントラハト・フランクフルトが1.ブンデスリーガ残留を決めた。

得点ランキング[5]

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順位 選手 クラブ 得点数
1.   カール=ハインツ・ルンメニゲ FCバイエルン・ミュンヒェン 26
2.   クラウス・アロフス 1. FCケルン 20
3.   フランク・ミル  ボルシア・メンヒェングラートバッハ 19
4.   クリスティアン・シュライアードイツ語版 VfLボーフム 18
  ルディ・フェラー SVヴェルダー・ブレーメン

VfBシュトゥットガルトのマイスターマンシャフト[6]

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1. VfB シュトゥットガルト
 
名前 生年月日 所属協会 担当試合数     備考
ヴォルフ=ディーター・アーレンフェルダー 1944-02-11 ニーダーライン 8 16 0
カール=ヨーゼフ・アッセンマッハー 1947-05-30 ミッテルライン 8 17 0
ハンス=ハインリヒ・バーニック 1943-02-06 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン 9 29 2
ロルフ・ブラットマン 1946-07-04 スイスサッカー協会 1 4 0 交換審判員
ジークフリート・ブレーム 1947-02-03 バイエルン 8 9 0
ノアベアト・ブリュックナー 1947-01-08 ヘッセン 9 24 1
ペーター・コアレル 1944-11-09 ヴュルテンベルク 8 15 0
ハンス=ペーター・デルヴィン 1950-03-15 ラインラント 8 17 1
アードルフ・エアマー 1939-06-17 バイエルン 8 18 1
ヴァルター・エシュヴァイラー 1935-09-20 ミッテルライン 10 31 1
ヴェアナー・フェックラー 1945-06-24 ズュートヴェスト 10 36 1
ペータ-・ガボーア 1940-04-19 ベルリン 8 17 1
フランツ・ゲヒテル 1942-12-15 スイスサッカー協会 1 3 0 交換審判員
ヴィルフリート・ハイトマン 1943-10-04 ニーダーザクセン 9 25 0
ホアスト・ヘルヴィヒ 1944 ヘッセン 1 3 0 自身唯一のブンデスリーガ担当年度
フランツ=ヨーゼフ・ホントハイム 1938-08-13 ラインラント 10 31 2
ウド・ホーアアイス 1944-08-27 ハンブルク 8 27 0
フォルカー・フスター 1941-08-28 ラインラント 8 17 0
ヴィリ・ヤウス 1938-01-19 スイスサッカー協会 1 0 0 交換審判員
ヨアヒム・カウチョーア 1941-09-06 ミッテルライン 1 4 0 ブンデスリーガ担当初年度
ヴェルナー・リービ 1938-09-02 スイスサッカー協会 1 3 0 交換審判員
アントン・マタイス 1947-07-15 ズュートヴェスト 1 2 0 ブンデスリーガ担当初年度
ディーター・ミヒェル 1941-06-14 バイエルン 8 26 1
マンフレート・ノイナー 1945-11-20 バーデン 8 22 0
ディーター・ニーバーガル 1950-07-22 ズュートヴェスト 9 19 0
ハンス=ヨアヒム・オスマース 1948-04-07 ブレーメン 8 20 0
ディーター・パウリー 1942-02-14 ニーダーライン 8 22 2
フリードリヒ・レッツマン 1945-08-10 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン 8 18 0
ギュンター・リッセ 1936-09-18 ヴェストファーレン 7 21 3
フォルカー・ロート 1942-02-01 ニーダーザクセン 9 18 0
アーロン・シュミットフーバー 1947-02-28 バイエルン 9 28 1
ディーター・シュテークリヒ 1941-02-08 ミッテルライン 7 22 1
ゲアハート・テオバルト 1949-12-27 ザールラント 8 18 0
カール=ハインツ・トリッチュラー 1949-09-16 ズュートバーデン 8 22 1
マンフレート・ウーリヒ (審判員) 1940-03-20 ヴェストファーレン 8 28 0
ヴォルフ=リュディガー・ウンバッハ 1945-08-07 ニーダーザクセン 8 14 0
ハンス・ヴァーマン 1939-06-27 ヴェストファーレン 8 15 0
ローバート・ヴァルツ 1942-02-27 ヴュルテンベルク 8 23 0
ヴィンフリート・ヴァルツ 1942-02-27 ヴュルテンベルク 8 19 1
ハインツ・ヴェアナー (審判員) 1946-08-08 ザールラント 8 14 0 ブンデスリーガ担当初年度
ヴォルフ=ギュンター・ヴィーゼル 1947-11-16 ニーダーザクセン 8 14 0
ヤコプ・ヴィップカー 1939-06-05 ミッテルライン 8 20 1
リュディガー・ヴトケ 1939-08-15 ニーダーライン 8 9 0 ブンデスリーガ担当初年度
ゲアト・ツィマーマン (審判員) 1951-04-22 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン 1 2 0 ブンデスリーガ担当初年度
総計: 306 762 21
出典: weltfussball.de[8]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ Karel Stokkermans and Andreas Werner (11 Oct 2024). “(West) Germany - List of Champions” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  2. ^ Germany 1983/84” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  3. ^ Bundesliga Titelträger” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  4. ^ a b Bundesliga Tabelle” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  5. ^ Bundesliga Torjäger 1983/84” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  6. ^ Bundesliga Einsätze” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  7. ^ Bundesliga Schiedsrichter 1983/84” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  8. ^ Schiedsrichter”. weltfussball.de. 2018年5月23日閲覧。

参考文献

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  • ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7 

参考文献

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外部リンク

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