シーズンオフ、ヘルタBSCのサラリーキャップ違反・移籍金上限額違反による、ライセンス剥奪と強制降格処分の後始末をどうするかで、大きな紛糾があった[5]。1965年7月22日、まずDFB評議会は15位カールスルーアーSCの残留を認めた。これは決定事項で、16位FCシャルケ04からのクレームも一度は退けられた。
一方、フースバル・レギオナルリーガの昇格プレーオフでは、政治的理由から西ベルリンにクラブが必要であり[6]、ヘルタの「代役」と考えられていたテニス・ボルシア・ベルリンが昇格POグループ2・最下位で敗退[6] (1位FCバイエルン・ミュンヘンが昇格)、別の候補SCタスマニア1900ベルリン(ドイツ語版)はそのPOにすら進出できなかった[6]。
またカールスルーエを落とした際の「代役候補」、同じバーデン=ヴュルテンベルク州のSSVロイトリンゲン05も、グループ1において勝ち点1差及ばず惜しくも2位で敗退 (=よってカールスルーエ残留決定)、1位ボルシア・メンヒェングラートバッハが昇格を決めた。
ところが、昇格POにすら出られなかったレギオナルリーガ・ベルリン3位のタスマニア・ベルリンが、7月31日のDFB総会において第17番目のクラブとしてブンデスリーガ昇格を許可される[6]。昇格POグループ2最下位のテニス・ボルシアを特例昇格させた場合、同2位の1.FCザールブリュッケンと3位のアレマニア・アーヘンからの反発が予想された[6]。また、RLベルリン2位のシュパンダウアーSVはDFBのオファーを拒否していたので、その結果が3位タスマニアの繰り上がり特例昇格だった[6][7]。
最終的に18クラブ制への拡大が決定し[6]、18番目のクラブとしてシャルケの降格撤回と残留が認められた。
優勝した1860ミュンヘンはシーズン前半を席巻し、第8節から第22節まで首位をキープした。ディー・レーヴェン (ライオン達、1860の綽名) は前半戦で勝ち点29 (勝利:勝ち点2)を稼いだが、これは2005-2006シーズンにFCバイエルン・ミュンヘンが前半戦で勝ち点44 (勝利:勝ち点3。仮に2ポイントの場合は勝ち点30相当) を記録するまで、最高記録であった。
後半戦に入るとさすがに失速し、ボルシア・ドルトムントとバイエルンの追撃を受けた。ドルトムントは第23節で首位に立つが、優勝したUEFAカップウィナーズカップ 1965-66決勝のあと国内で調子を落とし連敗、さらに第33節ではレーヴェンとのホーム直接対決にも0-2で敗れ、首位を奪回した1860がそのまま首位を守り抜き、初のドイチェ・マイスターシャフトを獲得した。
第1節では1860と昇格組バイエルンが対戦し、ブンデスリーガにおいてはじめて同一都市に本拠地を置くクラブ同士のダービーマッチが実現した。開始30秒でティモ・コニエツカ(ドイツ語版)が先制点を決め、そのまま1-0で逃げ切ったレーヴェンが勝利した。このダービーは単なる記念碑ではなく、数字的には1860優勝の決め手ともなっている。今季のバイエルンは安定して上位をキープし、最終的に3位でフィニッシュし、2位ドルトムント同様勝ち点3差及ばなかった。もし開幕戦のダービーで勝っていれば、違った結果になっていたかもしれない。
ヘルタの代役という政治的事情で昇格し、ブンデスリーガで戦う準備が何もできていなかったタスマニア・ベルリンは[6]、2勝4分28敗・勝ち点8という記録的な弱さで最下位となり、17位ボルシア・ノインキルヒェン(ドイツ語版) (9勝4分21敗・勝ち点22) とともに降格した。前半戦終了時の成績 (勝ち点3。史上最低記録) は、すでにこのクラブがいかに弱体なのかを物語っていた。アウェイゲームで得た勝ち点は、1.FCカイザースラウテルン戦でのドローで得た勝ち点1だけであった。カイザースラウテルンはこのシーズン2回ともタスマニアと引き分けており、唯一タスマニアから白星を挙げられなかった。
タスマニアは観客動員面でも、1966年1月15日のホームでのボルシアMG戦で「827人」という、ブンデスリーガ史上最低の入場者数を記録した。Covid-19流行により全クラブで強制的に無観客試合が行われた2020年まで、この不名誉な記録は更新されなかった。ただし、平均観客動員数では18クラブ中15位である。
また、マイデリッヒャーSV戦での0-9の敗戦は、ホームゲーム最大差敗戦である。ほかにも史上最長の31試合連続未勝利 (第2節から第32節) を記録した。さらなる無駄知識として、1965年12月31日にはホームでアイントラハト・ブラウンシュヴァイクと対戦して0-2で敗戦しているが、これはブンデスリーガ史上唯一大晦日に行われた試合で会った。
他の昇格組は、バイエルン3位・ボルシアMG13位と、だいぶ成績に差があったが、しかしこの2クラブが1960年代末からのブンデスリーガを支配していくことになる[8]。
TSV1860ミュンヘンのマイスターマンシャフト[11]
編集
- 今季成績: 4位, 監督: ギュンター・ブロッカー → ヴィリー・ムルトハウプ, 1964/65: 1位
入団
|
- ヨン・ダニエルセン, 26-5, オーゼンセ・ボールクルプ
- フーゴ・ダウスマン, 14-5, FKピルマゼンス, RLズュートヴェスト
- マンフレート・ポートリヒ, 11-6, ホルシュタイン・キール, RLノルト
|
退団
|
- ヴァルター・ナハトヴァイ, 現役引退
- テオ・クレックナー, SWエッセン, RLヴェスト
- エアヴィン・ユン, VfBオルデンブルク, RLノルト
- ディーター・トゥーン, VfLオルデンブルク, RLノルト
|
- 今季成績: 5位, 監督: ゲオルク・クネフル, 1964/65: 2位
入団
|
- オーレ・スエーアンセン (サッカー選手), 13-1, KB
- フランツ・クラウタウゼン, 11-4, SCユーリヒ1910, AL (アマトゥアーアリーガ) ミッテルライン
- フランツ=ペーター・ノイマン, 7-4, アマチュアから昇格, ALミッテルライン
- ヴォルフガン・ラウシュ, 3-0, ユーゲントから昇格
- スルジャン・チェビナッツ, 3-1, OFKベオグラード
|
退団
|
- ヘルムート・ベンタウス, FCバーゼル (選手兼監督)
- ジョゼ・ジルソン・ロドリゲス, AAポルトゥゲーザ
|
- 今季成績: 2位, 監督: ヴィリー・ムルトハウプ, → ヘアマン・エッペンホフ, 1964/65: 3位
入団
|
- ジークフリート・ヘルト, 30-11, キッカース・オッフェンバッハ, RLズュート
- ユアゲン・ヴェーバー (1944年生まれのサッカー選手), 6-1, SV1910シューレン, LLヴェストファーレン, Gr.3
- ラインハート・リブダ, 30-3, FCシャルケ04, BL
|
退団
|
- フランツ・ブルンス, 1. FCニュルンベルク, BL
- フリートヘルム・コニーツカ, TSVミュンヘン1860, BL
- ヘルムート・ブラハト, 現役引退
- ヴィルヘルム・ブークスミューラー, 現役引退
|
- 今季成績: 1位, 監督: マックス・メアケル, 1964/65: 4位
入団
|
- ジェリコ・ペルシッチ, 34-0, FKツルヴェナ・ズヴェズダ
- フリートヘルム・コニーツカ, 33-26, ボルシア・ドルトムント, BL
- ルートヴィヒ・ブリュンドル, 出場なし, ユーゲントから昇格
- ヘルムート・リヒャート, 出場なし, SGデューレン99, フェアバンツリーガ・ミッテルライン
- アルフレート・コールホイフル, 出場なし, SpVggプラットリンク
|
退団
|
- ステヴァン・ベナ, ハノーファー96, BL
- エンゲルバート・クラウス, キッカース・オッフェンバッハ, RLズュート
- アルフレート・ピーカ, FCシャルケ04, BL
|
- 今季成績: 12位, 監督: ヘルムート・クロンスバイン, →1966.4.29 ハネス・キアク, 1964/65: 5位
入団
|
- ハンス・ジーメンマイアー, 30-15, RWオーバーハウゼン, RLヴェスト
- ステヴァン・ベナ, 20-3, TSVミュンヘン1860, BL
- ホアスト・グルーネンベアク (サッカー選手), 出場なし, 1. FCプフォルツハイム, RLズュート
|
退団
|
- ペーター・フレーゲル イッツェホアーSV, RLノルト
- エーバーハート・ヘアプスト, イッツェホアーSV, RLノルト
- マンフレート・ファートマン,ハインツ・フィッシャー (不明)
|
- 今季成績: 6位, TR イェヌー・チャクナーディ, → [[ギュンター・バウマン (サッカー選手), 1964/65: 6位
入団
|
- フランツ・ブルン, 30-13, ボルシア・ドルトムント, BL
- ルドルフ・バスト, 9-1, VfRマンハイム, RLズュート
- ギュラ・トート (1941年生まれのサッカー選手), 3-0, FCシャルケ04, BL
- ゲオルク・フォルカート, 13-2, ユーゲントから昇格
- フーバート・シェル, 出場なし, ユーゲントから昇格
|
退団
|
- リヒャート・アルブレヒト, SpVggフュルト, RLズュート
- パウル・デアプフース, SpVggフュルト, RLズュート
- クアト・ダハラウアー, FCシュヴァインフルト05, RLズュート
- ロルフ・ヴュートリヒ, BSCヤング・ボーイス
- ゲアハート・シュトリック, ヴュルツブルガー・キッカーズ, ALバイエルン
|
- 今季成績: 8位, 監督: ヘアマン・エッペンホフ, → ルディ・グーテンドアフ/ヴィルヘルム・シュミット (サッカー選手), 1964/65: 7位
入団
|
- カール=ハインツ・リュール, 33-10, ヘルタBSC, BL
- デートレフ・ピーアジヒ, 2-0, アマチュアから昇格, LLニーダーライン, Gr. 2
- ヴィンツェンツ・フクス, 1-0, FSVマインツ05, RLズュートヴェスト
- ハインツ・プフリュッゲ, 出場なし, TuRUデュッセルドルフ, ベツィルクスクラッセ・ベルク/マルク, Gr. 1
|
退団
|
- ディーター・ダンツベアク, FCバイエルン・ミュンヘン, BL
- ハインツ・ヘーアー, FCトゥヴェンテ
- ヴェアナー・クーベク, RWオーバーハウゼン, RLヴェスト
- ヨハン・ツィーヒー, シュピールフェアアイニグン・ホーホハイデ, LLニーダーライン, Gr. 2
|
- 今季成績: 7位, 監督: エレク・シュヴァーツ, → イヴィツァ・ホルヴァート (サッカー選手), 1964/65: 8位
入団
|
- ユアゲン・グラボフスキ, 27-10, FVビープリヒ02, 1. ALヘッセン
- ペーター・クンター, 25-0, フライブルガーFC, RLズュート
- カール=ハインツ・ヴィアト, 21-0, SVハムボルン07, RLヴェスト
- オスカー・ロッツ, 17-3, キッカース・オッフェンバッハ, RLズュート
- ヴァルター・ベヒトルト, 17-6, ユーゲントから昇格
|
退団
|
- ハンス=ヴァルター・アイゲンブロット, Sportinvalide
- ヨーゼフ・ヴァイルベッヒャー, キッカース・オッフェンバッハ, RLズュート
- ヴィリ・ヘアベアト, SVアルセンボルン, RLズュートヴェスト
- ハンス=ゲオルク・トゥチェク, FCヴァッカー・インスブルック
- カール・アイゼンホーファー, ゲルマニア・ビーバー
|
- 今季成績: 10位, 監督: ヘルムート・ヨハンゼン, 1964/65: 9位
入団
|
- ヴェアナー・リナス, 13-0, 1. FCザールブリュッケン, RLズュートヴェスト
- ヴォルフガン・マッツ (サッカー選手), 11-0, ウニオン・ザルツギッター, ALニーダーザクセン
- ヴォルフガン・ジモン (1946年生まれのサッカー選手), 3-0, MTVギフホルン, LLニーダーザクセン
- ヴォルフ=リュディガー・クラウゼ, 3-1, アマチュアから昇格, LLニーダーザクセン
|
退団
|
- ヘルムート・ホーズン, VfBリューベック, RLノルト
- エアンスト・ザーフランク, VfLヴォルフスブルク, RLノルト
- ゲアハート・シュラーダー (サッカー選手), VfVヒルデスハイム, RLノルト
- マンフレート・ヴッティヒ, VfLヴォルフスブルク, RLノルト
- アイクト・ユンヤズィジ, トルコのクラブ (名称不明)
|
- 今季成績: 17位, 監督: ホースト・ブーツ, 1964/65: 10位
入団
|
- ヴェアナー・ゲーアツ, 28-1, バイヤー04レヴァークーゼン, RLヴェスト
- ゲアト・ペース, 20-0, ザール05ザールブリュッケン, RLズュートヴェスト
- ユアゲン・ヴィンガート, 19-5, ルートヴィヒスハーフェナーSC, RLズュートヴェスト
- ゲアト・レーギッツ, 9-0, ユーゲントから昇格
- ユアゲン・ポンテス, 2-0, ユーゲントから昇格
|
退団
|
- ホアスト・ベアク, ザール05ザールブリュッケン, RLズュートヴェスト
- カール・リーゲル, 現役引退
|
- 今季成績: 9位, 監督: ゲオルク・ガフリチェク: →1966.4.17 ヨーゼフ・シュナイダー (1914年生まれのサッカー選手), 1964/65: 11位
入団
|
- マンフレート・ポールシュミット, 29-18, プロイセン・ミュンスター, RLヴェスト
- ヴィリ・シュルツ, 24-0, FCシャルケ04, BL
- エゴン・ホアスト, 25-0, FCシャルケ04, BL
- ヘルムート・ザントマン, 18-0, アマチュアから昇格, LLハンブルク
- ロルフ・シュヴァータウ, 1-0, アマチュアから昇格, LLハンブルク
|
退団
|
- ハンス・クレマー (1929年生まれのサッカー選手), ヨーヒェンフリッツ・マインケ, フリッツ・ボイエンス, 現役引退
- ローター・クレーペリン, ホルシュタイン・キール, RLノルト
- ハイコ・クアト, アルトナ93, RLノルト
- フーバート・シュターペルフェルト, アイントラハト・トリアー, RLズュートヴェスト
- ペーター・ヴォルトマン, アイントラハト・トリアー, RLズュートヴェスト
- アンドラーシュ・マーテー, ニューヨーク・ハンガリア
|
- 今季成績: 11位, 監督: ルディ・グーテンドーフ, 1964/65: 12位
入団
|
- ハンス=オットー・ペータース, 25-7, バイヤー04レヴァークーゼン, RLヴェスト
- ヴィリ・エンテンマン, 13-2, アマチュアから昇格, ALノルトヴュルテンベルク
- ヴラディツァ・ポポヴィッチ, 2-0, FKツルヴェナ・ズヴェズダ
- ペーター・アウスト (サッカー選手), 出場なし, SCヴィーナー・ノイシュタット
|
退団
|
- ゲアハート・ヴァナー (サッカー選手), VfRプフォルツハイム, RLズュート
- ローレンツ・フィッシャー, TSGバックナンク
- グスタフ・タルパイ, アマチュア降格
|
- 今季成績: 15位, 監督: ギュラ・ローラーント, → ギュンター・ブロッカー, 1964/65: 13位
入団
|
- オットー・ガイザート, 32-6, カールスルーアーSC, BL
- ウーヴェ・クリマシェフスキ, 29-1, ヘルタBSC, BL
- マンフレート・ルメル, 25-11, アイントラハト・デュイスブルク, RLヴェスト
- ヘアヴァート・コッペンヘーファー, 23-0, ユーゲントから昇格
- ヴォルフラム・カミンケ, 8-2, ユーゲントから昇格
|
退団
|
- ヤコブス・プリンス, AFCアヤックス
- ヴィンフリート・リヒター, 1. FCザールブリュッケン,
- ホアスト=ディーター・シュトリヒ, PSV
- エーリヒ・マイアー (サッカー選手), VVアルクマール
- ハインリヒ・バウアー (サッカー選手), SCブリュール/FCザンクト・ガレン
- ディーター・プルター, アマチュア復帰
|
- 今季成績: 18位, 監督: フランツ・リンケン, →1965.11.11 ハインツ=ルートヴィヒ・シュミット, 1964/65: レギオナルリーガ・ベルリン3位 (ヘルタBSCと入れ替え)
入団
|
- ホアスト・シマニアク, 29-1, ACヴァレーゼ
- ベアント・マイセル, 21-0, BSV92, RLベルリン
- ハインツ・ローロフ, 18-0, ボナーFV, フェアバンツリーガ・ミッテルライン
- ハンス=ユアゲン・ベースラー, 17-0, アルミニア・ビーレフェルト, RLヴェスト
- ローター・ツェー, 14-3, アマチュアから昇格
- ヘアベアト・フィンケン, 10-0, SCヘラクレス
- ウルリヒ・ザント, 9-0, ヴァッカー04ベルリン, RLベルリン
- フォルカー・ベッカー, 6-0, ブリッツ=ズュート
|
退団
|
- ハインツ・フィッシャー (1939年生まれのサッカー選手), アイントラハト・ゲルゼンキルヒェン, RLヴェスト
|
- 今季成績: 16位, 監督: ヘルムート・シュナイダー (サッカー選手): →1965.10.19 [[ヴェアナー・ロート (1925年生まれのサッカー選手) 1964/65: 15位
入団
|
- ヴァルター・ラウフ (サッカー選手), 28-0, FCヴィンタートゥール
- アートゥーア・ドバト, 27-7, VfBオルデンブルク, RLノルト
- ヘルムート・カフカ, 24-0, SVアルミニア・ハノーファー, RLノルト
- ハインツ・クラヴァツォ, 17-0, FCシャルケ04, BL
- ジークフリート・ケスラー (サッカー選手), 6-0, アマチュアから昇格, ALノルトバーデン
- オイゲン・エーマン (サッカー選手), 1-0, アマチュアから昇格, ALノルトバーデン
|
退団
|
- オットー・ガイザート, 1. FCカイザースラウテルン, BL
- ジークフリート・シュターク (サッカー選手), FCバイエルン・ホーフ, RLズュート
- クラウス=ペーター・イェンドロシュ, フライブルガーFC, RLズュート
- ロルフ・カーン, ディーター・クラウスナー, 両名フェニックス・ベルハイム, RLズュートヴェスト
|
- 今季成績: 14位, 監督:フリッツ・ランナー, 1964/65: 16位
入団
|
- アルフレート・ピカ, 34-4, TSVミュンヘン1860, BL
- ハインツ・プリスカ, 34-1, ハムボルン07, RLスト
- クラウス・フィヒテル, 34-0, SCアルミニア・イッケルン, フェアバンツリーガ・ヴェストファーレン, Gr. 2
- ゲアハート・ノイザー, 32-4, Spfrd. ジーゲン, フェアバンツリーガ・ヴェストファーレン, Gr. 2
- ヨーゼフ・エルティン, 26-0, アマチュアから昇格, フェアバンツリーガ・ヴェストファーレン, Gr. 1
- ジークフリート・ヴェアナー, 9-1, FCバイエルン・ホーフ, RLズュート
- ヴェアナー・ヴァイカンプ, 5-0, FCオリンピア・ボーホルト, LLニーダーライン, Gr. 3
- ハインツ=ディーター・レム, 5-0, BVアルテンエッセン06, フェアバンツリーガ・ニーダーライン
- クラウス・ゼンガー, 2-0, ユーゲントから昇格
|
退団
|
- マンフレート・ベアツ, FCシュヴァインフルト05, RLズュート
- ディーター・ベデュアフティヒ, STVホルスト=エムシャー, RLヴェスト
- ロルフ・レンツィアン, STVホルスト=エムシャー, RLヴェスト
- ハインツ・クラヴァツォ, カールスルーアーSC, BL
- ヴァルデマー・ゲアハート, フォルトゥナ・デュッセルドルフ, RLヴェスト
- エゴン・ホアスト, ハンブルガーSV, BL
- ヴィリ・シュルツ, ハンブルガーSV, BL
- ヴィリ・コスロフスキ, RWエッセン, RLヴェスト
- ラインハート・リブダ, ボルシア・ドルトムント, BL
- ハンス・ノヴァク (サッカー選手), FCバイエルン・ミュンヘン, BL
- ギュラ・トート (1941年生まれのサッカー選手), 1. FCニュルンベルク, BL
- ハンス=ゲオルク・ランバート, USVエーリンクヴェイク
- ギュンター・カーンホーフ, 現役引退
|
- 今季成績: 3位, 監督: ズラトコ・チャイコフスキ, 1964/65: BL昇格組
入団
|
- ハンス・リゴッティ, 15-0, ユーゲントから昇格
- ハンス・ノヴァク (サッカー選手), 6-2, FCシャルケ04, BL
- ディーター・ダンツベアク, 2-0, マイデリッヒャーSV, BL
- アントン・ヴチュコフ, 1-1, NKディナモ・ザグレブ
|
退団
|
- マンフレート・シュヴァルム, VfRプフォルツハイム, RLズュート
- ノアバート・ヴォダーツィク, シュヴァーベン・アウクスブルク, RLズュート
- マンフレート・モコシュ, アマチュア復帰
|
- 今季成績: 13位, 監督: ヘネス・ヴァイスヴァイラー, 1964/65: BL昇格組
入団
|
- ハンス=フーバート・フォクツ, 34-0, VfRビュットゲン/ユーゲント, クライスクラッセ・グレーフェンブロイヒ/ノイス
- ハインツ・ヴィットマン (サッカー選手), 31-0, SCツヴィーゼル,
- ゲアハート・エルファート, 14-2, アルミニア・ハノーファー, RLノルト
- エアヴィン・シュピンラー, 5-0, ユーゲントから昇格
- ハンス=ギュンター・フンケ, 出場なし, アマチュアから昇格, クライスクラッセ・メンヒェングラートバッハ/レイト/フィーアセン
|
退団
|
- ガト・ショメン, 現役引退
- ヴェアナー・ヴァイゲル, MVV
- ジークマー・ゴーラース, 不明
|
名前 |
生年月日 |
州協会 |
担当試合数 |
退場宣告数
|
ギュンター・バウムゲアトル |
1929-05-02 |
ヴェストファーレン |
10 |
1
|
アルフォンス・ベッツ |
1928-11-21 |
バイエルン |
4 |
0
|
アルベルト・ビンダー (審判員) |
1928-07-05 |
ヴュルテンベルク |
1 |
0
|
フェアディナント・ビヴェアシ |
1934-06-24 |
ザールラント |
3 |
0
|
ヘルムート・コンラート |
1929-05-10 |
ザールラント |
1 |
0
|
エトガー・ドイシェル |
1920-10-04 |
ズュートヴェスト |
9 |
0
|
ルドルフ・アイゼマン |
1927-01-23 |
バーデン |
1 |
0
|
ハインツ・フィッシャー (審判員) |
1929-11-06 |
バイエルン |
5 |
0
|
カール=ハインツ・フォアク |
1930-07-13 |
ヴェストファーレン |
2 |
0
|
ヘルムート・フリッツ (審判員) |
1923-10-19 |
ズュートヴェスト |
10 |
0
|
オスヴァルト・フリッツ |
1925-04-10 |
バーデン |
7 |
0
|
ヘアマン・ギューラー |
1934-04-01 |
不明 |
1 |
0
|
ヴィリ・グーゼンブアガー |
1927-09-17 |
ザールラント |
5 |
0
|
ヨーゼフ・ハーガー (サッカー選手) |
1925-06-08 |
バーデン |
1 |
0
|
クアト・ハントヴェアカー |
1921-12-11 |
バーデン |
11 |
1
|
ゲアト・ヘニヒ |
1935-04-24 |
ニーダーライン |
7 |
0
|
ヨーゼフ・ヘンゼ |
1928-02-25 |
ニーダーライン |
1 |
0
|
ホアスト・ヘアデン |
1928-07-08 |
ハンブルク |
11 |
4
|
フランツ・ホイマン |
1923-03-14 |
バイエルン |
7 |
0
|
ヴィルフリート・ヒルカー |
1930-08-14 |
ヴェストファーレン |
1 |
0
|
ヨーゼフ・ホフマン (審判員) |
1926-07-19 |
ニーダーライン |
3 |
0
|
ヴァルター・ホアストマン |
1935-08-28 |
ニーダーザクセン |
6 |
0
|
ルディベアト・ヤコビ |
1927-12-23 |
バーデン |
13 |
1
|
ルドルフ・クライトライン |
1919-11-14 |
ヴュルテンベルク |
13 |
0
|
ヴォルフガンク・リンク (審判員) |
1935-03-19 |
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン |
2 |
0
|
ヘアベアト・ルッツ |
1930-05-01 |
ブレーメン |
5 |
0
|
ヨハネス・マルカ |
1922-07-16 |
ヴェストファーレン |
10 |
0
|
ホアスト・マテュー |
1936-06-03 |
ザールラント |
3 |
0
|
カール・ニーマイアー (審判員) |
1920-08-29 |
ミッテルライン |
7 |
0
|
クラウス・オームゼン |
1935-10-16 |
ハンブルク |
7 |
0
|
アルフレート・オット |
1934-06-19 |
ラインラント |
10 |
1
|
カール=ハインツ・ピッカー |
1928-09-26 |
ハンブルク |
1 |
0
|
ハンス・ラーダーマッハー (審判員) |
1921-03-04 |
ミッテルライン |
6 |
1
|
ヤン・レデルフス |
1935-08-20 |
ニーダーザクセン |
1 |
0
|
エーリヒ・ライル |
1921-12-08 |
不明 |
2 |
0
|
エヴァルト・レゲリー |
1934-03-17 |
ベルリン |
6 |
0
|
カール・リーク |
1929-11-15 |
バイエルン |
9 |
1
|
ベアトホルト・シュミット (審判員) |
1930-03-27 |
ミッテルライン |
7 |
0
|
ルドルフ・シュライナー (審判員) |
1920-12-13 |
ヘッセン |
7 |
0
|
ゲアハート・シューレンブアク |
1926-10-11 |
ニーダーザクセン |
15 |
0
|
ロルフ・ゼーカンプ |
1921-09-16 |
ブレーメン |
7 |
0
|
ハインツ・ジーベアト (審判員) |
1925-08-02 |
バーデン |
7 |
0
|
ゲアト・ジーペ |
1929-07-27 |
ミッテルライン |
4 |
0
|
マックス・シュピンラー |
1920-09-10 |
ズュートヴェスト |
5 |
0
|
エアヴィン・シュトゥルム (審判員) |
1922-11-21 |
ニーダーザクセン |
4 |
0
|
ヴィリ・ティーア |
1925-04-03 |
ヴェストファーレン |
10 |
1
|
ヴェアナー・トライヒェル |
1921-01-14 |
ベルリン |
6 |
0
|
クアト・チェンシャー |
1928-10-05 |
バーデン |
13 |
0
|
ハンス・フォス (審判員) |
1928-08-10 |
ヴェストファーレン |
1 |
0
|
フランツ・ヴェンゲンマイアー |
1926-03-14 |
バイエルン |
7 |
0
|
ハンス=ヨアヒム・ヴェイラント |
1929-09-29 |
ニーダーライン |
10 |
0
|
ウルリヒ・ヴォルフ (審判員) |
1925-01-19 |
不明 |
1 |
0
|
通算: |
306 |
11
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出典: weltfussball.de[13]
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