国鉄キハ40系気動車 (2代)

日本国有鉄道の一般形気動車
うみやまむすびから転送)

国鉄キハ40系気動車(こくてつキハ40けいきどうしゃ)は、1977年昭和52年)から1982年(昭和57年)にかけて日本国有鉄道(国鉄)が製造した気動車(ディーゼル動車)。

国鉄キハ40系気動車
キハ40形100番台とキハ56系普通列車
1990年
基本情報
運用者
製造所 新潟鐵工所
富士重工業
製造年 1977年 - 1982年
製造数 888両(キハ40形392両、キハ47形370両、キハ48形126両)
主要諸元
軌間
最高速度 95 km/h
全長 21,300 mm
全幅 2,900 mm
床面高さ 1,240 mm
車体 普通鋼
動力伝達方式 液体式
機関 DMF15HSA
機関出力 220 PS
変速機 DW10
制動装置 CLE自動空気ブレーキ
備考 原型車のデータ
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これは国鉄の車両称号規程に則った制式の系列呼称ではないが、同一の設計思想により製造された気動車の形式を便宜的に総称したものである。具体的には、キハ40形・キハ47形・キハ48形の3形式およびこれらの改造により発生した派生形式を指す。

概要

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1977年(昭和52年)から1982年(昭和57年)にかけて計888両が製造され、日本全国各地に投入された[1]キハ65系キハ66・67系から設計の多くを受け継いでおり[注 1]、当時の在来一般形気動車に比し、客室設備の改善や走行機器の刷新などが図られている。一方、在来車よりエンジン出力は若干増加したものの、大柄な車体や新装備の追加などで重量も増加しており、動力性能はほとんど向上しておらず、勾配線区用の強力形も計画されなかった。

本系列は客用の片引き戸を車端部2か所に設置した両運転台のキハ40形と、それを片運転台としたキハ48形、都市近郊向けに両引き戸を車体中央に寄せて2か所に設置した片運転台のキハ47形に大別され、各形式共投入線区の気候に応じた仕様の違いと便所の有無によって番台区分される。国鉄分割民営化後は、事故廃車となった1両を除く887両がJR旅客各社へ承継された他、使用線区の事情に応じた改造が実施され、番台区分が多数生ずることとなった。また、余剰車が出始めた1990年代以降は観光列車ジョイフルトレインに改造された車両も登場するようになった。

2000年代後半以降は新形気動車への置き換えや地方線区の廃止に伴って廃車が始まり、東海旅客鉄道(JR東海)では2016年(平成28年)に全廃となった。それ以外のJR各社でも置き換えが進められ、一部の車両は私鉄・第三セクター会社や日本国外への譲渡も行われている。

キハ40系 新造時形式・番台別特徴一覧
運転台 客扉 形式 番台区分 仕向け地(仕様) 枕ばね デッキ 便所 両数 製造年 メーカー
片開き キハ40形 100 酷寒地 空気 150 50年度3次債務 - 56年度1次債務 新潟
富士
500 寒地 94 50年度2次債務 - 56年度1次債務
2000 暖地 コイル 148 53年度1次債務 - 56年度1次債務
両開き キハ47形 0 暖地 コイル 193 50年度3次債務 - 56年度1次債務 新潟
富士
1000 134 52年度1次債務 - 56年度1次債務
500 寒地 空気 22 52年度1次債務 - 54年度2次債務 新潟
1500 21
片開き キハ48形 0 暖地・準寒地 コイル 6 55年度1次債務 - 56年度本予算 富士
新潟
1000 4
300 酷寒地 空気 4 56年度1次債務 新潟
1300 3
500 寒地 空気 59 53年度1次債務 - 56年度1次債務 新潟
富士
1500 50
  • 酷寒地:北海道、寒地:東北・中部地方、準寒地:中部地方

開発の経緯

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1950年代中期に量産された国鉄初期の液体式気動車であるキハ10系は、1970年代後半に入ると老朽化が目立つようになった[2]。キハ10系はそのエンジンの非力さを軽量化で補う方針であったが、当時の技術との兼ね合いもあり、同時期の客車電車よりも車体断面が小さく、接客設備や台車も簡素なものとなった。そのため、1970年代に入ると早くも陳腐化が顕著となりはじめ、特に座席台車設計の不備による乗り心地の悪さは問題となっていた。キハ10系は台車の心皿荷重上限が小さく、重量増となる座席の交換や、ロングシート化(定員増 = 荷重増)が困難で、交換用台車の新製などの改造予算確保より新車製造予算の確保が優先され、1970年代後半まで抜本的な対策が講じられなかった。

一方で1970年代の国鉄は労使紛争が激しく、組合側は労働環境の改善を強く要求していた。その一環として、国鉄車両にも安全対策整備性の改善が求められ、国鉄ではこの時期に1950年代から1960年代にかけて設計された量産形式を基本に随所を改良したマイナーチェンジ車を製造し続けていた。本系列もその方針の下にキハ10系のほか、1950年代後半に製造されたキハ55系[注 2]キハ20系の老朽化も視野に入れ、それらの代替用として開発された。

構造

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本系列は、1974年(昭和49年)に開発されたキハ66系をベースにしており、車体や制御回路、変速機、ブレーキ方式などの基本構造は同系を踏襲しているが、搭載機関は、同系で採用された180度V型12気筒と基本設計を共通化しつつ、直列6気筒として出力を半分に落とし、当時の国鉄の技術力・予算に見合った設計としている。また、国鉄時代には全国で大規模な車両の配置転換を行っていたことから、暖房ラジエーターなど酷寒地向けを基本として設計された箇所が多く[要出典]、温暖地で寒地向け車両が使用される場合は過剰装備となる[注 3]

なお、本系列ではそれまでの気動車のように北海道向け車両を別形式とせず、初めて同一形式内での番台区分としたのも特徴である。

車体

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構造・外観

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全長21.3 m(車体長20.8 m)、幅2.9 mで既存の急行形気動車同等の大型車体である。酷寒地や海岸沿いでの使用を考慮して[要出典]外板、屋根板、床板には当時の鋼製車両標準の車両用耐候性高張力鋼板 (SPA) を用いて耐久性を向上させている。板厚は例えば同じSPAを使用した201系電車と比較すると、外板厚が2.3 mmに対して国鉄気動車標準の1.6 mm、屋根板厚は1.6 mmに対して1.2 mmと薄く、台枠に設けた軽量孔とともに軽量化に配慮している。製造当初の車体塗装は「首都圏色」と呼ばれる朱色5号一色であった。

前頭部形状はキハ66系を踏襲し、踏切事故対策として高運転台化、運転室長さの350 mm拡大、前面外板の4.5 mm厚への強化、床下前面へのスカートの装着が行われている。運転台窓は運転席からの視認性に配慮して側面部に回り込んだパノラミックウィンドウとし、前照灯は前面窓上にRBS-24V形150/50 Wシールドビームが2灯、尾灯は在来形気動車よりも高い位置に40 Wのものが2灯、それぞれ左右に振り分けて設置され、貫通路直上には列車種別表示器が設けられている。側窓は寒地形、暖地形は外はめ式のアルミ合金製2段ユニット窓として工数を削減している。一方、酷寒地形は、キハ22形で初採用された幅930 mmの1段上昇窓で、FRP製窓枠による内窓を組み合わせた二重窓構造とし、冬季の車内保温を図っている。

設備

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キハ40形、キハ48形は車体両端2か所に1 m幅の片開き扉、キハ47形はやや車体中央寄り2か所に1.3 m幅の両開き扉を設けており、いずれもステップ付の半自動扉である。ドアエンジンは両開き式はキハ45形と同じTK106形、片開き式はキハ46形と同じTK105形で、在来車のような半自動式用ではなく自動式用ドアエンジンの指令回路を変更して半自動動作としており、人力での開閉はやや重い。キハ40形、キハ48形の寒地・酷寒地形は客室と出入り台の間に仕切り扉を設けたデッキ付きとし、寒冷時の保温を図った。

運転台は機器配置・座席形状とも人間工学を取り入れた設計である。また、投入線区の運用実態に即し、側面にはタブレットキャッチャーと、勢いのついた重い玉から、車体、窓ガラス、乗客を守る防護板または防護枠を設け、タブレット閉塞式での通過運転に対応した。客室内壁の化粧板は、在来形気動車に比してやや明るい色調であり、初期の車両は、キハ40形・キハ48形は薄茶色6号、キハ47形は淡緑1号であるが、中期以降の車両は、北海道・本州以南用ともクリーム9号となっている[注 4]。座席はボックスシートを基本としてドア付近にのみロングシートを配したセミクロスシートとした。ボックスシートはシートピッチキハ58系までの急行形車両と同等の1,470 mmとし、一般形気動車として初めて人間工学を採り入れた新形状のものとした。キハ40形にはスペースの都合で向かい合わせになっていない2人掛クロスシートが片側1ヶ所ずつある。

便所はFRPユニット組み立て式[注 5] で、キハ40形は出入り台側から内開き扉で、キハ47形・キハ48形は側面の客室通路側引き戸から出入りする。キハ48形の便所出入口の向かい側には座席を設置していない。水タンクは屋根上搭載の重力給水式として、ポンプや空気配管を不要としている。汚物処理装置は搭載を考慮して機器搭載スペースを確保する準備工事が実施されたが、当初は地方路線の汚物処理施設整備が進んでおらず、便所装備車は全車が従来通りの垂れ流し式であった。

主要機器

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機関

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従来のDMH17系機関に代えてDMF15HSA形(連続定格出力220 PS / 1,600 rpm、連続定格出力時燃料消費率185 g/PS/h、最大出力250 PS/2000 rpm)を搭載する。この機関は水平シリンダー形の予燃焼室式直列6気筒機関であり、TB11B形排気タービン過給器を装備、補機類はCW750D空気圧縮機、DM99AもしくはDM99B形4 kVA交流発電機などで、いずれも歯車駆動としてVベルトを廃している。このエンジンの定格時燃料消費率は185 g/PS/hであり、旧来のDMH17系 (190 g/PS/h) 並みで改善されておらず、のちにJR東海が機関換装を行った際には、燃費が換装前の71 %に改善[3] した事例がある。

この機関は、1963年(昭和38年)に開発され、キハ90 1で試験されたDMF15HS形の派生形であり、排気タービン過給器あり、中間冷却器なしの構成としたものである。

参考:キハ40と現行気動車のパワーウェイトレシオ
車重 機関出力 パワーウェイトレシオ
キハ20 約34t 180ps 5.2ps/t
キハ40 約37t 220ps 5.9ps/t
キハ110 約31t 420ps 13.5ps/t

液体変速機・減速機

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変速・直結各1段のDW10形を装備する。これはキハ65形・キハ66系に搭載されたDW9形をベースにとしたもので、液体変速機の構成は在来標準形のDF115・TC-2形(3段6要素)に対して、DW4形・DW9形やDE10形用のDW6形(2000番台[注 6])などと同じ中高速での引張力を確保するとともに、エネルギー損失を抑制した1段3要素となり、クラッチはいずれも湿式多板式で、変速、直結が各3枚、逆転機が8枚の構成となっている。なお、変速と直結の切替は変速機の入力軸と出力軸の回転差を検出して機関の吹き上げアイドル指令を出し、最適な回転数で切り替える半自動式とすることでショックのない変速としたほか、変速機の特性の異なる手動変速の在来形気動車との併結に対応している。 変速機油冷却は従来の空冷式から油冷却器による水冷式に変更となっている。また、逆転機を台車に装架するのが困難な2軸駆動車用のDW9の構造を踏襲して逆転機を変速機内に内蔵し、台車側には推進軸の方向転換と最終減速段を受け持つ減速機を装架している。なお減速比は2.995と従来の一般形気動車よりもわずかに大きくされている。

トルクコンバーターのストールトルク比の違いにより、起動時の動輪周引張力はキハ20系(定格出力180 PSのDMH17C形機関搭載車。変速機としてDF115A形ないしはTC2A形を搭載)の2,500 kg弱に対して2,400 kg弱と低く、車両重量の増大と相まって「キハ40系=低出力」のイメージを強める一因となっている。一方で、例えば10 km/hではキハ20系の約1,800 kgに対し約2,100 kg、50 km/hでは約600 kgに対し約800 kgと逆転しており[4]、当初特急・急行形用として開発された変速機の中高速域を重視した特性が表れている。駆動方式は1軸駆動で車両内側よりの第2軸を駆動しており、台車にキハ65形・キハ66系の第2減速機と共通[注 7] のGB122形減速機が装架されている。

台車

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酷寒地形・寒地形は本形式用に新開発のDT44形・TR227形もしくはDT44A形・TR227A形空気ばね台車を採用した。一方、暖地形はコストダウンを優先し、従来からの標準台車であるコイルばね式のDT22D形・TR51C形を採用しているが、台車に逆転器を搭載しなくなった分、側梁を軽量化している。

DT44形・TR227形もしくはDT44A形・TR227A形は枕ばねを空気ばねとしたが、これは寒冷地域でコイルばねの間に雪が詰まって固着してばねが効かなくなる[注 8]問題があったこと、北海道には地盤の悪い低規格路線が多いこと、軽量化[注 9]、構造の簡略化、省力化などを考慮したもので、軸ばねはコイルばねをゴムで被覆したいわゆる「エリゴばね」として、雪咬みを防止している。初期に製造された車両は軸箱支持方式がペデスタル式で、荷重を軸箱直上の軸ばねで伝えるDT44形(動力台車)・TR227形(付随台車)であったが、以降は制輪子交換を容易にするため、軸箱支持方式を乾式円筒案内式としたDT44A形・TR227A形に変更された。枕ばねは保守面での制約などから、空気ばねを車体直結とするダイレクトマウント方式ではなく、ボルスタ直下に上揺れ枕を置きその下に空気ばねを挿入するインダイレクト方式(国鉄では165系電車などに広く採用されたDT32・TR69系台車で採用された支持方式)として基本構造をDT32系と共通化しており、空気ばね・ボルスタアンカ・LV4-1形空気ばね自動高さ調整装置などは同系列と同一もしくは一部変更品を使用している。枕ばねを横剛性の高いダイアフラム型空気ばねとして揺れ枕吊りを廃止したことや、ブレーキシリンダの台車装架などにより台車の揺動特性は優秀で、DT22・TR51系コイルばね台車を装着する一般的な急行形気動車を超える乗り心地となった。また、各形式とも制輪子の自動隙間調整器によりブレーキシリンダストローク調整作業を省力化している。

ブレーキ

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キハ66系と同じく、12系以降の新型客車で実績のあったCL空気ブレーキに電磁弁を加えた「CLE空気ブレーキ装置」(C: 3圧式制御弁付、L: 応荷重装置付、E: 電磁弁付をそれぞれ示す)とした。これは従来型気動車の標準ブレーキ装置であったDA1系自動空気ブレーキのA動作弁に代えて三圧式制御弁 (KU-1B) を使用し、ブレーキ弁によるブレーキ管 (BP) の減圧と並行して各車のC13-4AまたはA14-4電磁弁を制御する、電磁自動空気ブレーキである。このCLEブレーキはDA1系と比較してKU1B制御弁により空気圧指令時のブレーキ応答性が向上し、BPの最大減圧量が1.4 kg/cm2から1.8 kg/cm2となってブレーキ制御範囲が拡大されたほか、U5A応荷重弁により荷重に応じブレーキシリンダ圧力が自動的に増減される。また、電磁弁の付加により空走・込め時間の短縮による列車衝動の緩和や保ち作用が可能となる、あるいは非常ブレーキ動作時の伝達促進が得られるなど、作動性や操作性、整備性、それに保安性が改善された。床下の制御弁関係はC26Aブレーキ制御装置として1つの機器箱内にユニット化し、電熱ヒーターを装備して凍結防止を図り、加えて直通予備ブレーキ装置と耐雪ブレーキ装置を装備している。なお、DA1系自動空気ブレーキやDAE1系電磁自動空気ブレーキを搭載する在来気動車とも相互に併結可能であるが、DA1系自動空気ブレーキ搭載車との混用の場合、電磁弁が使用不能となるため最大連結両数に制約が生じ、ブレーキの応答性能も低下する。

補器類

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冷暖房装置

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暖房はキハ20系の後期製造車やキハ45系温水暖房式から、一部のバスでも採用されている温風暖房式となった[5]。これは、機関冷却水を床下の熱交換器に通し、ここに外気および室内空気を通して温風として車内に循環させる方式である。また、気温が低い時、下り勾配、停車時など、機関の廃熱だけでは冷却水温が上がらない場合には、機関始動用のWH250B形機関予熱器[注 10] を使用して機関冷却水を加熱するが、外気温が0度程度までであれば機関予熱器の使用は不要とされている[4]。1両あたり2基搭載された重量125 kg、放熱器水容量14.3 Lの熱交換器により暖房能力は公称30,000 kcal/hとなり、従来の軽油燃焼式温気暖房に比して著しく強力な暖房能力を得た[要出典]。また、機器搭載に床下スペースを必要とするが、温水管を車体内に引き通す必要がなく、構造も単純であった。加えて運転室内に自動車用温水暖房装置であるWH33形が運転席側、助士席側に各1基ずつ設置されている。

一方、冷房装置は製造時には設置されず、準備工事も見送られた。当時は地方路線の冷房化は時期尚早であると判断されたほか、本形式のDMF15HSA機関は、DMH17系と比較して2割程度の出力増であるが、車体の大型化や事故対策などで車両重量が増加したため、満足できる走行性能が得られず、そのため、自重増となる発電セットの搭載や機関出力を低下させる直結式冷房装置の搭載が困難であったことも理由である[注 11]

ジャンパ連結器

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本系列の初回生産グループである昭和50年度3次債務車は、各車間で各種電気信号の伝達を行うために用いるジャンパ連結器として、在来の一般形気動車と共通の制御用KE53形(接点数15)を2個と放送回路用KE66形[注 12] を1個、それに電磁自動空気ブレーキ指令用のKE67形[注 13] を1個の計4個のジャンパ連結器を実装していた。冷房装置を備えない一般形気動車ではこの4個のジャンパ連結器が標準で、冷房を搭載する急行形気動車ではこれに加えて冷房制御用のKE53形1個と高圧電源供給用のKE8形(接点数8)1個が装備される。

しかし、芯線数の少ないジャンパ連結器を多数接続するこの構成は、技術の発達に伴って後追いでジャンパ連結器を追加していった結果であり、特急形を除く全ての形式を制約なく併結するためには必要であったが、増解結作業が煩雑となり、保守上も部品の種類が増えて望ましくなかった。このためそれらすべてを、本系列の設計の基本となったキハ66系で2両ユニットの連結面間に使用されていた[注 14]、新世代の多芯ジャンパ連結器であるKE91形[注 15](接点数90)へ集約・置換することが検討され、2回目の生産ロットとなった昭和52年度1次債務車ではその準備工事として、妻面向かって左下に大きな縦長の窪みを設け、将来ここにKE91形を格納する計画とした。

その後、昭和53年度本予算車ではジャンパ連結器格納用の窪みはそのままに、新たに設計されたKE93形[注 16] 1個で従来のKE53形2個を置き換えるように計画が変更された。KE93形には在来の気動車との併結を考慮して、KE94形アダプタ[注 17] が用意され、これをKE93形にボルトで固定することで、KE53形2個を備える一般形気動車と併結可能としている。

なお、KE53形2個の接点数は合計で30であるため、接点数61のKE93形では多数が空き接点となる。これはKE66・67形相当の信号線の割り当て予約など、将来的な割り当て数の増加を見越して接点数に余裕を持たせたためであり、KE93形をKE94形を併用せずに単独で使用する際には、KE66・67形や冷房用のKE53形1個の接続が不要となる。

車両性能に対する批判など

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本系列の大型化した車体や追加装備は重量増加の原因となり、主機関の出力が低いことと併せて著しく非力で走行性能が低かったことから、この低性能や、それを招いた国鉄の開発姿勢に対して有識者から多くの批判があった[6][7][8][9][10]

本系列による代替の対象となった17系は1機関搭載車で自重が28 tから32 t程度、同様の構成のキハ45形が33.0 tであるのに対し、キハ47形0番台が35.5 - 35.6 t(いずれも全長21.3 m、片運転台、便所付、両開き2扉、暖地向け)、キハ24形の34.5 tに対しキハ40形100番台が36.8 - 37.6 t(いずれも全長21.3 m、両運転台、便所付、片開き2扉、酷寒地向け)であり、これと比較すると1割から2割程度自重が重いことになる。これに対し、搭載機関の連続定格出力は約22 %高い220 psで、動輪周引張力は例えば10 - 55 km/hの速度域では約15 - 45 %高い程度である[4]ため、単位重量あたりの出力では17系と20系の1機関搭載車とおおむね同等、2機関搭載車のキハ51形やキハ52形などには大きく劣り、新形式車両でありながら走行性能は低く、地方線区の経営改善のためのダイヤ改正にも支障となるものとして批判された[6][7][8][9][10]

また、本系列(暖地向け車)を使用した普通列車(普気)の速度種別設定は「停気F1」で、上り10パーミル勾配における均衡速度は51 km/h、25パーミル勾配では26 km/h[11] にとどまる。電化区間へ乗り入れる場合は、電車列車に比べ甚だしく加速力が劣るため足並みが揃わず、ダイヤ作成の障害となったほか、平坦な非電化線区においても機関2基搭載車基準のダイヤでは運行できず、本形式が運用に入る列車は別途遅いダイヤを設定しなければならないなど[注 19]、スピードアップの阻害要因となることが多かった。1980年代後期から1990年代にかけて、曽根悟らの有識者からはこの過重量と出力不足が批判され[7][8][9]、特に曽根は、本形式の時代錯誤的な低性能を「(数世代前の)キハ42500形にも劣る」と厳しく批判している[8]

低出力による加速力自体の低さに加え、変速機の特性上、低速域の引張力が小さいため、起動はキハ20形などと比べても甚だ鈍重で加速も悪く[注 20]、乗客には低性能ぶりが一層強く印象付けられることとなり、1980年から1990年代の鉄道旅行誌の掲載記事等においては、新系列車両であるにもかかわらず執筆者から「旧式気動車」などと記されてしまうこともあった[14]

DMF15HSの定格時燃料消費率は185 g/PS/hであり、基本設計が1941年(昭和16年)であるDMH17系[注 21] (190 g/PS/h) と同水準で進歩がなく、JR東海が採用したカミンズNTA855-R1(JR形式C-DMF14HZ) (154 g/PS/h) などの直噴機関[注 22]に比べ燃費は大きく劣る[8][9][19]。変直切替速度が高く、変速段とエンジンの高回転域を多用する変速機の非効率[注 23]がそれを一層助長した[8]。また、排気系の過熱防止のため全出力運転が5分までに制限されるDMH17系と異なり、DMF15HS系は全出力運転の時間制限がなかったため、運行中はほぼ全出力で運転できてしまい、かえって燃料消費量も増加した。DMH17系機関を1基搭載する車両の代替は可能であったが、加減速の多い仕業や勾配路線向きの形式は製作されなかった。

新造車

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形式は両運転台のキハ40形、片運転台で両開き扉のキハ47形、片運転台で片開き扉・デッキ付きのキハ48形の3形式が登場している[20]。酷寒地用(北海道用)、寒地用、暖地用の番台区分に加えて便所の有無による番台区分もあり、合計で13種類の仕様が存在する[20]

新造形式概説

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キハ40形
片運転台のキハ47形とともに本系列の主軸となる両運転台車で、両運転台の直後2か所に片開き扉を装備し、新製時は全車が便所付きであった。
キハ47形
1.3 m幅の両開き扉を車体中央寄り2か所に配置した、いわゆる「近郊形」のレイアウトで、客室窓は2段上昇式ユニット窓、デッキは装備せず、北海道向けの酷寒地仕様も存在しない。キハ40形、キハ48形よりもラッシュ時などの客扱い能力を重視した片運転台車であり、仕向け地と便所の有無による番台区分がある。
キハ48形
キハ40形と同等の車端部片開き2扉配置だが、片運転台であり、便所の有無や耐寒仕様による番台区分があるが、暖地仕様の車両は存在しない。便所は運転台のない側の車端デッキ寄りに設置されている。

酷寒地仕様車

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キハ40形100番台

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キハ40 184(歌志内駅、1986年)
キハ40 136 急行えりも」(1986年)

キハ40形100番台は北海道用の酷寒地向けで、1977年上期から製造された。暖地向けのキハ47形とともにキハ40系では最初に就役したグループである。番台区分が0番台 (1 -) とならなかったのは、旧形客車を気動車化改造したキハ40形(後のキハ08形)が書類の上で存在しているためである[21]

車体はデッキ付きで、1段上昇式の二重窓、便所、空気ばね台車を装備する。床材は北海道向け従来形式のキハ24形などの鋼板+木材板張りから、1.2 mm厚SPA鋼板と断熱材+リノリウム張りに変更されている。1982年までに150両 (101 - 250) が製造された。

1977年製の16両 (101 - 116) のみ、角型水タンク、4人掛けクロスシート12組[注 24]、客室の小窓が両端配置、客室の化粧板が薄茶色、台車は、軸箱支持装置がペデスタル式の空気ばね台車であるDT44・TR227、などの特徴をもつ。1978年(昭和53年)以降に製造された117 - 250は設計が変更され、4人掛けクロスシート12組+2人掛クロスシート2席[注 25] となったほか、水タンク、窓割り、外気導入ルーバー、スカート形状がキハ40形2000番台一次形車と同様になった。客室の化粧板はクリーム色になり、台車はDT44A・TR227Aに変更された。

1988年(昭和63年)に9両 (141 - 149) がキハ400形に改造され、残りの車両も1990年(平成2年)から1995年(平成7年)にワンマン化改造で700番台改番され、廃区分番台となった。

キハ48形300番台・1300番台

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キハ48 301(2009年9月)

キハ48形の北海道向け酷寒地仕様で、1982年にごく少数が製造された。デッキ付き、1段上昇式二重窓の車体構成はキハ46形とも類似する。輸送量が限られた北海道の路線では2両編成以上が必須の片運転台車は使いにくく、便所付きの300番台車は4両 (301 - 304)、便所なしの1300番台車は3両 (1301 - 1303) の製造に留まった。

304と1300番台全車が1988年にキハ480形に改造され、1300番台は廃区分番台となった。また、301 - 303の3両は、北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継された後、片側の座席が1人がけクロスシートに交換されている。

2012年6月1日のダイヤ改正で札沼線(学園都市線)の一部区間が電化されたため運用から外され、3両ともミャンマー国鉄に売却されて300番台は廃区分となった[22][23][24][25][26][27][28]

寒地仕様車

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キハ40形500番台

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キハ40 502(2018年5月)
キハ40 551(2017年5月)

主に東北地方を対象とした寒地仕様で、1977年末から製造された。デッキ付きで上段下降・下段上昇式のユニット窓と空気ばね台車を装備する。1982年までに94両 (501 - 594) が製造された。

初期に製作された501 - 520はDT44・TR227台車を装備し、車内の化粧板は淡緑色である。521号車以降は窓の配置や座席配置が変更され、車内の化粧板がクリーム色系、台車がDT44A・TR227Aに変更され、スカートの形状も変更された[注 26]

キハ47形500番台・1500番台

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キハ47 503・四国色(2007年10月)
キハ47 1501・朱色(1987年)

新潟地区向け寒地仕様で、空気ばね台車装備。1978年から1980年にかけて便所付きの500番台車22両 (501 - 522) と便所なしの1500番台車21両 (1501 - 1521) が製造された。本来は寒地仕様だが、越後線弥彦線の電化に伴い、国鉄時代に四国や中国、九州など温暖地に転じた。

キハ48形500番台・1500番台

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キハ48 523 車内
キハ48 523の入口とデッキ部

キハ40形500番台と同様の寒地仕様車で、1979年から製造が開始され、1982年まで増備された。デッキ付き、上段下降・下段上昇式ユニット窓と空気ばね台車を装備している。便所付きの500番台は59両 (501 - 559)、便所なしの1500番台は50両 (1501 - 1550) が製造された。主に東北地区や飯山線高山本線に投入された。

暖地・準寒地仕様車

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キハ47形0番台・1000番台

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キハ47 15(1987年)
キハ47 1108(1987年4月)

暖地向け仕様で、金属ばね台車装備。便所付きの0番台車は1977年上期に製造が開始された。1983年までに193両 (1 - 193) が製造された。便所なしの1000番台車は1978年から製造が開始された。1982年までに134両 (1001 - 1134) が製造された。この暖地向けキハ47形327両が本系列の最大グループである。

車内の化粧板はクリーム色だが、初期に製造されたキハ47 1 - 16は淡緑色である。

キハ40形2000番台

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キハ40形2000番台は関東以西の暖地向け仕様で、1979年(昭和54年)に製造が開始された。1982年までに148両 (2001 - 2148) が製造された。本来は暖地仕様だが、一部の車両が男鹿線、只見線など寒冷地で運用されている(2015年までは石巻線でも運用されていた)例もある。

窓は外バメのユニット窓であるが113系1000番台などと同じ2段上昇式である(このため500番台と比べて四隅に丸みがついておらず、天地寸法が小さく、車体よりやや奥まっている)、車内の化粧板はクリーム色系で、デッキは装備されていない。台車は金属ばねのDT22D・TR51Cである。

当初キハ47形を両運転台式としたキハ41形が計画されていたが、便所と暖房用ダクトの配置が困難であるため、キハ40形500番台に準じた車体で製造されたものであり、このため片引き戸でありながらキハ47形の「両運転台版」という性格も併せ持つこととなった。

1980年(昭和55年)製のキハ40 2055 は1983年(昭和58年)6月に起きた指宿枕崎線沿線の集中豪雨の際、野元トンネル北側坑口付近の線路内に流入した土砂にトンネル内から乗り上げ、乗客らの避難後さらに周辺の土砂が積み重なったため、けん引移動を断念し現場で解体撤去され同年7月付で廃車された。これは国鉄時代の本系列唯一の廃車である。

キハ48形0番台・1000番台

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キハ48 6
キハ48 1004

キハ48形500・1500番台と同一車体・デッキ仕切り付きながら金属ばね台車装備とした準寒地向けで、1981年(昭和56年)から1982年にかけて便所付きの0番台車が6両、便所なしの1000番台車が4両製造され、美濃太田(1 - 3・1001・1002)と敦賀(4 - 6・1003・1004)に配置された。

敦賀に配属された車両は1991年(平成3年)に小郡(現・下関総合車両所新山口支所)へ転出し、そのうち5・6・1003の3両が2003年(平成15年)に岡山へ転出、6・1003は2010年(平成22年)3月31日付で廃車となった[29]

改造車

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国鉄時代の改造車

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車齢が若かったこともあり、国鉄時代に行われた改番を伴う改造は、キハ40形1000番台のみである。また、冷房改造は鹿児島地区のみで実施された。

冷房化改造

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指宿枕崎線で運用する本系列に対し、桜島の降灰対策のためバス用独立機関式クーラートヨタ2Jと自動車用車内放熱器のRH21を用いたAU34による冷房化を、1986年(昭和61年)から1987年(昭和62年)にかけてキハ40形5両およびキハ47形10両に実施した。

機関直噴化改造

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1983年製のキハ37形に搭載したDMF13Sの実績に基づき、本系列のDMF15HSAについても機関直噴化改造を実施した[30]。試作として、キハ40 109およびキハ47 47・48・1034が改造され、試験の結果16 - 20 %程度の燃料節減となったため、その後1987年までに北海道配置のキハ40系112両が改造された。改造を施した機関の形式はDMF15HSA-DIとされた[30]

キハ40形1000番台

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烏山線向けに暖地向け2000番台からトイレを撤去するなどの改造を行ったグループで9両が改造された。1001 - 1007は国鉄が1986年11月末から翌1987年3月末の間に、1008と1009は烏山線を継承した東日本旅客鉄道(JR東日本)が1991年と1995年に各1両を改造した。改造時期やその後の改造などにより形態には差異がある。

キハ40 1001 - 1007:1979年4月から5月宇都宮運転所に新製配置し烏山線で運用していたキハ40形2000番台 (2011 - 2020) のうち水戸運転所へ転出した3両 (2018 - 2020[注 27]) を除く7両 (2011 - 2017) を改造・改番。改造工事は大宮工場で施行した[31]。トイレの撤去により定員は98名となったが、撤去したトイレ部分の小窓と屋根上の水タンクが存置された。塗色は烏山線独自のローカル色(白(クリーム10号)地に緑色(緑14号)でr字様帯模様の2色塗装)に変更されている。民営化後は全車JR東日本に承継された。

民営化後の1990年3月に、1006を除く6両についてワンマン運転(後乗り前降り)対応改造と座席のロングシート化工事を施行した。定員は144名に増加し、車内案内自動放送装置、外部スピーカー、乗降口案内表示器が設置された。客室は旧トイレ部分の小窓をそのまま固定化して座席および網棚、吊手を延長し、ロングシートの中央部の排気管立ち上がり部分には消火器とくず物入れを設置した。さらに1995年から1996年(平成8年)にかけて冷房装置(サブエンジン式のAU34)を搭載して網棚上4か所にクーリングユニットを装備し、水タンクとその横にあった通風器が撤去された。乗降扉の半自動対応改造(乗降扉横に押しボタン式のドア開閉装置、ドア開閉時チャイム音)も行われた。機関換装は行われていないが、1001・1002・1004・1005の4両は燃料直噴式に改造(DMF15HSA-DI、出力230 PS / 1600 rpm)された。

ワンマン化されなかった1006は、耐寒耐雪改造を受け東北地区に転出した。その後さらに2004年(平成16年)に秋田総合車両センターでリニューアル工事が行われた。烏山線に残留した同番台車とは下記のように仕様が異なるが、新たな番台は与えられていない。

  • 座席配置がセミクロスシートのまま
  • 屋根上水タンク存置
  • 旧トイレ部分[注 28] の窓を埋め込み
  • 機関をカミンズ製DMF14HZ (300 PS / 2,000 rpm) へ換装し、機関直結式冷房装置(AU26J-A×2)を搭載

同車は2021年3月の同系列運用終了まで秋田地区で活躍し、7月に小湊鉄道に譲渡された。

キハ40 1008:1991年8月に、高崎運転所のキハ40 2087を改造[31]。他の1000番台と異なり旧トイレ部には他の客室窓と同様のユニット窓が設けられている。また、高崎時代にAU34を搭載して冷房化されており、室内はクーリングユニットではなく天井に冷房用ダクトが設けられている。水タンク横の通風器が残る他、床下機器配置も異なっている。機関は燃料直噴式へ改造(DMF15HSA-DI、出力230 PS / 1600 rpm)された。

キハ40 1009:1995年12月に水郡線営業所のキハ40 2139を改造[32]。水郡線時代にAU34による冷房化とワンマン化改造を受けた為、1008同様に水タンク横の通風器が残っている他、室内も冷房用ダクトが天井に設けられている。ただし旧トイレ部の窓はトイレ時代の小窓のまま固定化されており、ワンマン化時期の関係で外部スピーカーと乗降口案内表示器の位置も他車と異なる。機関は原形のまま。2017年(平成29年)に錦川鉄道へ譲渡された[33][32]

  • キハ40 2011 - 2017・2087・2139 → 1001 - 1009

JR北海道の改造車

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キハ400形・キハ480形

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1988年11月3日のJR北海道ダイヤ改正に伴う宗谷本線の高速化のため、「宗谷」・「天北」・「利尻」に使用されていた14系客車[注 29] を置き換えるために経年の浅かったキハ40形100番台9両、キハ48形300番台1両、1300番台3両の計13両を急行用に改造したもの。車番は改造前から変更せず、それぞれの形式称号の末尾に0を加えてキハ400形キハ480形に形式を改めた。両形式を総称してキハ400系ともいう。

特急が多くダイヤ密度の高い函館本線での高速運転や、宗谷本線の勾配区間での優等列車運用に対応するため、機関をキハ183系550番台・1550番台でも採用されたDMF13HZ (330 PS / 2,000 rpm) に、変速機は同時期に製造が始まったキハ85系キハ100系などに採用された多段式のN-DW14B形(3段6要素・変速1段・直結2段)に交換。特急用気動車と遜色ない出力と加速力の向上を図った。その結果名寄駅での増解結作業が増えたにもかかわらず、客車時代より約40分、キハ56系時代よりも約20分のスピードアップを達成している。

客室のアコモデーションも14系客車に遜色ないものに改められた。座席はキハ183系500番台と同等のリクライニングシートへ交換され、横引きカーテンや窓框に縁取りが設けられたが、窓配置がキハ40・48時代のままのため窓と座席の間隔が一致しておらず、眺望はほとんど利かなかった。キハ400形については便所を改良して隣に洗面所を新設した。キハ480形は種車が便所付きだった304も撤去して全車便所なしとしている[注 30]。また、屋根上にインバーター式の冷房装置 (N-AU400) 1基を搭載して冷房化したが、機関直結式ではなく、キハ400形客室内の床上に設けた機器室内に設置した発電用電源エンジンにより、キハ400形自車とキハ480形へ三相交流220 Vを給電して稼働させる独立機関式とした。そのためキハ480形単独では冷房装置を使用できなかった。

外観はグレー系のツートンカラーに赤の細帯という独自の塗装に変更された。また、先述のように窓配置は変更されていないものの、キハ400は先述の改造によりトイレの隣の窓1つは洗面所スペースとして埋め込まれ、反対側は発電用機関スペースとなった窓2つ分が同様に埋め込まれてルーバーが増設され、使用列車名をあしらったエンブレム状のロゴが塗装で表現されていた。定員はキハ400形が48名。キハ480形は当初68名だったが、のちに飲料水の自動販売機が設置され66名に減少した。

全13両で予備車が少なく、またキハ400形が機関室・便所・洗面所付き両運転台車で定員が少ないため、多客期は自由席としてキハ56系キハ54形などが増結されていた。その後、老朽化したお座敷気動車を置き換えるため、1997年(平成9年)にキハ400形100番台3両がお座敷気動車に改造されて500番台に改番され、代替はキハ182形が改造の上転用された。急行用として残った10両は、2000年(平成12年)3月11日のダイヤ改正まで使用されたが、このダイヤ改正で宗谷本線高速化完成に伴う急行列車特急格上げに伴い定期運用から外された。うち9両は同年夏に学園都市線(札沼線)用の一般車(キハ40形330番台・キハ48形1330番台)に再改造されたが、キハ480-304は転用されず、2006年(平成18年)10月6日付で廃車された。

車両形式 車両番号 種車 落成日 改造 落成配置 現行配置・処遇 転属・除籍 最終配置 備考
キハ400形 キハ400-141 キハ40-141 1988年10月14日 苗穂 苗穂 改番(キハ400-501) 1997年12月28日 苗穂
キハ400-142 キハ40-142 1988年10月14日 改番(キハ400-502) 1998年2月28日
キハ400-143 キハ40-143 1988年11月18日 釧路 改番(キハ40-331) 2000年7月1日
キハ400-144 キハ40-144 1988年10月15日 五稜郭 改番(キハ40-332) 2000年7月26日
キハ400-145 キハ40-145 1988年10月27日 改番(キハ40-333) 2000年8月11日
キハ400-146 キハ40-146 1988年10月28日 改番(キハ40-334) 2000年6月20日
キハ400-147 キハ40-147 1988年10月24日 苗穂 改番(キハ40-335) 2000年7月11日
キハ400-148 キハ40-148 1988年10月27日 改番(キハ40-336) 2000年7月19日
キハ400-149 キハ40-149 1988年10月20日 改番(キハ400-503) 1998年4月18日
キハ480形 キハ480-304 キハ48-304 1988年10月24日 廃車 2006年10月6日
キハ480-1301 キハ48-1301 1988年10月15日 五稜郭 改番(キハ48-1331) 2000年7月15日
キハ480-1302 キハ48-1302 1988年10月20日 苗穂 改番(キハ48-1332) 2000年8月11日
キハ480-1303 キハ48-1303 1988年10月14日 改番(キハ48-1333) 2000年7月21日
キハ400形500番台
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老朽化したお座敷気動車キロ29形・キロ59形)を置き換えるために、1997年から1998年(平成10年)にかけて前述のキハ400形100番台3両をお座敷車に改造したものである。同時期に改造されたお座敷車のキハ183系6000番台と同様、一般車と併結して運用することが可能である。

客室を可能な限り広く取るため前位側の出入り台(デッキ)を撤去し、塗装は黒、深い赤、暗い灰色のブロックパターンに改められた。客室は床面をかさ上げしてカーペット敷きとし、深さ30 cm掘り炬燵構造としているが、乗客が足を伸ばしてくつろげるよう床面をフラットにすることも可能である。2003年度には冷房装置の交換などの更新改造が実施された。2015年(平成27年)3月31日付で2両(502・503)が廃車され、残った501も同年11月に解体され、キハ400形は形式消滅した。

車両形式 車両番号 種車 落成日 改造 落成配置 現行配置・処遇 転属・除籍日 最終配置 備考
キハ400形 500番台 キハ400-501 キハ400-141 1997年12月28日 苗穂 苗穂 廃車 2015年10月31日 苗穂 お座敷列車
キハ400-502 キハ400-142 1998年2月28日 2015年3月31日
キハ400-503 キハ400-149 1998年4月18日 釧路

キハ40形700番台

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1990年から1994年(平成6年)にかけてキハ40形100番台にワンマン運転対応工事を行ったもので、キハ400形に改造された9両を除く141両全車が改造された。番号は1次車 (101 - 116) が種車の車両は元番号に725を足した連番、その他の竣工順の付番とされている。

また、17両が都市近郊輸送に対応するため、旧番号時代の1991年から1992年(平成4年)にクロスシートを1+2列に改造している。番号は次のとおり。

  • キハ40 175・178 - 180・186 - 188・207 - 210・222・226 - 228・249・250 → 802 - 805・813 - 825

のちに、機関の換装などにより一部が300・350・400番台に改造されたほか、789は改番前の150号時代の1988年に機関をキハ400形と同じDMF13HZに、変速機をN-DW14Bに換装しているが、番号上は区別されていない。DMF15HSAのまま機関の直噴化改造を施工された車両があり、その車両はエアクリーナーが移設されたため、車体側面の機関用吸気口が塞がれている。循環式汚物処理装置の取り付けが進んでおり、屋上の水タンクを撤去し車内設置に変更した車両も存在する。

JR移行後は、地域色を除き外板色が白地に萌黄色と青の帯に統一されていたが、2010年4月に、釧路運輸車両所所属の777が首都圏色(朱色5号)に変更された[34]

更なる使用を目的に後述する1700番台への延命改造が実施されたため数を減らし、2022年3月12日のダイヤ改正まで残っていたキハ40 721-730-733-802が改正後順次廃車回送され、形式消滅区分となった。

車両形式 車両番号 種車 落成日 改造 落成配置 現行配置・処遇 転属・除籍日 最終配置 備考
キハ40形 700番台 キハ40-701 キハ40-239 1990年6月22日 苗穂 苫小牧 改番・延命改造(キハ40-1701) 2005年3月30日 苫小牧
キハ40-702 キハ40-212 1990年9月21日 改番(キハ40-301) 1996年2月2日
キハ40-703 キハ40-238 1990年11月8日 改番・延命改造(キハ40-1703) 2004年5月25日
キハ40-704 キハ40-240 1990年12月13日 改番・延命改造(キハ40-1704) 2005年5月19日
キハ40-705 キハ40-213 1990年12月21日 改番・延命改造(キハ40-1705) 2004年7月9日
キハ40-706 キハ40-214 1991年3月8日 改番・延命改造(キハ40-1706) 2004年9月1日
キハ40-707 キハ40-138 1990年10月20日 旭川 改番・延命改造(キハ40-1707) 2012年3月7日 旭川
キハ40-708 キハ40-136 1990年11月27日 廃車 2021年6月30日 旭川
キハ40-709 キハ40-244 1991年1月28日 改番・延命改造(キハ40-1709) 2005年6月10日 釧路 2022年3月末日廃車
キハ40-710 キハ40-156 1991年1月10日 改番(キハ40-355) 1998年12月11日 旭川
キハ40-711 キハ40-242 1991年2月13日 改番・延命改造(キハ40-1711) 2012年4月24日
キハ40-712 キハ40-241 1991年2月28日 改番・延命改造(キハ40-1712) 2012年7月2日
キハ40-713 キハ40-155 1991年10月17日 旭川 改番(キハ40-352) 1998年7月18日
キハ40-714 キハ40-194 1991年8月27日 苗穂 改番・延命改造(キハ40-1714) 2008年11月7日
キハ40-715 キハ40-196 1991年11月3日 旭川 改番・延命改造(キハ40-1715) 2007年7月14日 苫小牧
キハ40-716 キハ40-200 1991年6月10日 改番・延命改造(キハ40-1716) 2009年9月28日 旭川
キハ40-717 キハ40-201 1991年9月27日 苗穂 改番(キハ40-353) 1998年9月1日
キハ40-718 キハ40-232 1991年7月25日 旭川 改番(キハ40-351) 1998年7月8日
キハ40-719 キハ40-233 1991年8月15日 改番(キハ40-358) 1999年9月27日
キハ40-720 キハ40-234 1991年9月12日 改番・延命改造(キハ40-1720) 2009年7月24日
キハ40-721 キハ40-245 1992年3月2日 苗穂 廃車 2022年3月31日
キハ40-722 キハ40-128 1991年9月12日 旭川 釧路 改番・延命改造(キハ40-1722) 2011年5月19日 釧路
キハ40-723 キハ40-129 1991年10月23日 改番・延命改造(キハ40-1723) 2008年1月17日
キハ40-724 キハ40-132 1991年12月4日 旭川 改番・延命改造(キハ40-1724) 2010年2月5日 旭川
キハ40-725 キハ40-133 1991年10月22日 改番・延命改造(キハ40-1725) 2011年11月10日
キハ40-726 キハ40-134 1992年1月19日 廃車 2021年5月31日
キハ40-727 キハ40-135 1992年3月2日 改番・延命改造(キハ40-1727) 2011年10月7日
キハ40-728 キハ40-190 1991年9月12日 苗穂 改番(キハ40-356) 1998年12月11日
キハ40-729 キハ40-191 1991年10月23日 廃車 2021年6月30日
キハ40-730 キハ40-215 1991年7月27日 2022年3月31日
キハ40-731 キハ40-216 1991年8月21日 改番(キハ40-359) 1999年10月22日
キハ40-732 キハ40-217 1991年9月26日 廃車 2021年5月31日
キハ40-733 キハ40-221 1991年11月1日 2022年3月31日
キハ40-734 キハ40-152 1991年9月3日 旭川 2021年9月30日 函館
キハ40-735 キハ40-153 1991年12月19日 改番・延命改造(キハ40-1735) 2009年8月31日 旭川
キハ40-736 キハ40-170 1991年10月19日 改番・延命改造(キハ40-1736) 2011年4月28日
キハ40-737 キハ40-162 1991年4月20日 苗穂 釧路 改番・延命改造(キハ40-1737) 2006年3月25日 釧路 2022年3月末日廃車
キハ40-738 キハ40-163 1991年4月25日 改番・延命改造(キハ40-1738) 2009年4月
キハ40-739 キハ40-164 1991年5月22日 廃車 2021年4月30日
キハ40-740 キハ40-165 1991年5月30日 改番・延命改造(キハ40-1740) 2009年10月26日
キハ40-741 キハ40-166 1991年7月9日 改番・延命改造(キハ40-1741) 2005年1月31日
キハ40-742 キハ40-167 1991年6月14日 改番・延命改造(キハ40-1742) 2007年10月12日
キハ40-743 キハ40-246 1991年7月19日 旭川 改番(キハ40-357) 1999年6月23日 苫小牧
キハ40-744 キハ40-168 1991年12月6日 改番・延命改造(キハ40-1744) 2011年12月16日 旭川
キハ40-745 キハ40-169 1991年12月29日 改番・延命改造(キハ40-1745) 2011年2月28日
キハ40-746 キハ40-203 1992年5月10日 旭川 廃車 2021年9月30日
キハ40-747 キハ40-204 1992年6月26日 改番・延命改造(キハ40-1747) 2009年1月28日
キハ40-748 キハ40-205 1992年7月23日 改番(キハ40-302) 1996年3月7日 苫小牧
キハ40-749 キハ40-122 1992年9月1日 釧路 改番・延命改造(キハ40-1749) 2007年11月14日 釧路
キハ40-750 キハ40-123 1992年10月22日 事故廃車 2000年7月19日 根室本線尺別駅、保線作業時に撤去し忘れた「横取り装置」に乗りあげ脱線
キハ40-751 キハ40-140 1992年9月30日 改番・延命改造(キハ40-1751) 2011年8月3日
キハ40-752 キハ40-117 1992年10月26日 改番・延命改造(キハ40-1752) 2005年12月24日
キハ40-753 キハ40-118 1992年11月26日 改番(キハ40-354) 1998年9月30日 旭川
キハ40-754 キハ40-119 1992年12月25日 改番・延命改造(キハ40-1754) 2006年4月29日 釧路
キハ40-755 キハ40-124 1992年5月26日 苗穂 改番・延命改造(キハ40-1755) 2007年3月19日
キハ40-756 キハ40-127 1992年6月6日 改番・延命改造(キハ40-1756) 2007年8月3日
キハ40-757 キハ40-125 1992年6月25日 廃車 2021年4月30日
キハ40-758 キハ40-126 1992年8月19日 改番・延命改造(キハ40-1758) 2010年4月22日
キハ40-759 キハ40-176 1992年7月12日 改番・延命改造(キハ40-1759) 2005年4月27日
キハ40-760 キハ40-177 1992年8月2日 改番・延命改造(キハ40-1760) 2006年10月24日
キハ40-761 キハ40-181 1992年8月19日 苗穂 改番・延命改造(キハ40-1761) 2009年4月23日 旭川
キハ40-762 キハ40-185 1992年9月6日 改番・延命改造(キハ40-1762) 2008年8月26日 苫小牧
キハ40-763 キハ40-189 1992年9月26日 改番・延命改造(キハ40-1763) 2004年2月20日
キハ40-764 キハ40-230 1992年10月26日 廃車 2005年6月24日 旭川 鉄道員(ぽっぽや)用改造車
キハ40-765 キハ40-120 1992年11月5日 釧路 改番・延命改造(キハ40-1765) 2006年12月12日 釧路
キハ40-766 キハ40-121 1992年12月4日 改番・延命改造(キハ40-1766) 2007年3月1日
キハ40-767 キハ40-139 1992年5月24日 函館 改番・延命改造(キハ40-1767) 2009年3月 苫小牧
キハ40-768 キハ40-157 1992年6月24日 改番・延命改造(キハ40-1768) 2005年10月14日
キハ40-769 キハ40-159 1992年7月27日 改番(キハ40-401) 1996年3月6日
キハ40-770 キハ40-160 1992年8月15日 函館 改番(キハ40-402) 1996年3月11日
キハ40-771 キハ40-243 1992年9月12日 改番・延命改造(キハ40-1771) 2005年4月20日
キハ40-772 キハ40-174 1992年10月14日 改番・延命改造(キハ40-1772) 2005年2月10日
キハ40-773 キハ40-195 1992年11月14日 改番(キハ40-303) 1996年1月23日
キハ40-774 キハ40-235 1992年12月10日 改番・延命改造(キハ40-1774) 2004年10月26日 釧路
キハ40-775 キハ40-236 1993年1月13日 改番・延命改造(キハ40-1775) 2008年10月28日
キハ40-776 キハ40-237 1993年2月10日 改番・延命改造(キハ40-1776) 2004年7月30日
キハ40-777 キハ40-248 1993年2月4日 旭川 釧路 廃車 2021年4月30日 首都圏色
キハ40-778 キハ40-154 1993年3月5日 改番・延命改造(キハ40-1778) 2006年4月
キハ40-779 キハ40-225 1992年12月27日 苗穂 苗穂 改番・延命改造(キハ40-1779) 2007年5月20日
キハ40-780 キハ40-224 1993年2月28日 改番・延命改造(キハ40-1780) 2006年12月22日 苫小牧
キハ40-781 キハ40-211 1993年3月10日 函館 函館 廃車 2018年5月31日 釧路
キハ40-782 キハ40-182 1993年5月17日 苗穂 苗穂 改番(キハ40-304) 1996年1月31日 苫小牧
キハ40-783 キハ40-183 1993年6月14日 改番・延命改造(キハ40-1783) 2006年5月13日
キハ40-784 キハ40-184 1993年7月9日 改番・延命改造(キハ40-1784) 2006年6月28日
キハ40-785 キハ40-223 1993年8月5日 改番・延命改造(キハ40-1785) 2004年12月14日
キハ40-786 キハ40-137 1993年9月3日 苫小牧 改番・延命改造(キハ40-1786) 2007年12月12日
キハ40-787 キハ40-171 1993年10月10日 改番・延命改造(キハ40-1787) 2008年2月18日
キハ40-788 キハ40-206 1993年12月8日 改番・延命改造(キハ40-1788) 2004年12月27日
キハ40-789 キハ40-150 1994年1月27日 廃車 2018年4月30日
キハ40-790 キハ40-199 1993年8月25日 函館 函館 改番・延命改造(キハ40-1790) 2005年7月21日 苗穂
キハ40-791 キハ40-198 1993年9月28日 改番・延命改造(キハ40-1791) 2006年2月6日 苫小牧
キハ40-792 キハ40-173 1993年6月10日 改番・延命改造(キハ40-1792) 2004年9月29日 函館
キハ40-793 キハ40-231 1993年5月21日 旭川 改番・延命改造(キハ40-1793) 2007年11月26日
キハ40-794 キハ40-202 1993年6月22日 改番(キハ40-360) 1999年11月9日 函館
キハ40-795 キハ40-151 1993年7月26日 改番・延命改造(キハ40-1795) 2005年9月8日
キハ40-796 キハ40-158 1993年5月19日 釧路 改番・延命改造(キハ40-1796) 2004年8月16日
キハ40-797 キハ40-161 1993年6月18日 改番・延命改造(キハ40-1797) 2008年9月22日
キハ40-798 キハ40-130 1993年7月23日 改番・延命改造(キハ40-1798) 2009年9月18日
キハ40-799 キハ40-193 1993年7月28日 改番・延命改造(キハ40-1799) 2006年3月25日
キハ40-800 キハ40-197 1993年9月24日 改番・延命改造(キハ40-1800) 2005年12月14日
キハ40-801 キハ40-172 1993年5月6日 函館 改番・延命改造(キハ40-1801) 2004年11月11日
キハ40-802 キハ40-187 1993年7月16日 廃車 2022年3月31日
キハ40-803 キハ40-188 1993年8月18日 改番・延命改造(キハ40-1803) 2004年5月21日
キハ40-804 キハ40-222 1993年9月17日 改番・延命改造(キハ40-1804) 2009年1月7日
キハ40-805 キハ40-209 1993年9月27日 苗穂 改番・延命改造(キハ40-1805) 2005年2月16日
キハ40-806 キハ40-248 1994年2月3日 苗穂 改番・延命改造(キハ40-1806) 2010年1月28日
キハ40-807 キハ40-131 1994年10月1日 函館 函館 改番・延命改造(キハ40-1807) 2009年11月18日
キハ40-808 キハ40-192 1994年12月7日 苗穂 廃車 2018年8月31日
キハ40-809 キハ40-218 1994年12月3日 苗穂 改番・延命改造(キハ40-1809) 2005年10月31日
キハ40-810 キハ40-219 1994年7月22日 旭川 改番・延命改造(キハ40-1810) 2011年12月27日
キハ40-811 キハ40-220 1994年8月5日 苗穂 函館 改番・延命改造(キハ40-1811) 2012年3月24日
キハ40-812 キハ40-229 1994年11月4日 改番・延命改造(キハ40-1812) 2006年4月7日
キハ40-813 キハ40-175 1994年8月6日 函館 改番・延命改造(キハ40-1813) 2004年3月12日
キハ40-814 キハ40-178 1994年10月22日 苗穂 改番・延命改造(キハ40-1814) 2008年11月12日
キハ40-815 キハ40-179 1995年2月8日 五稜郭 改番・延命改造(キハ40-1815) 2009年7月17日
キハ40-816 キハ40-180 1994年10月30日 釧路 苗穂 改番・延命改造(キハ40-1816) 2011年8月10日 苗穂
キハ40-817 キハ40-186 1994年8月5日 苗穂 廃車 2020年3月31日
キハ40-818 キハ40-207 1994年7月8日 釧路 改番・延命改造(キハ40-1818) 2010年3月27日
キハ40-819 キハ40-208 1994年8月13日 廃車 2021年8月
キハ40-820 キハ40-210 1994年9月21日 2020年5月31日
キハ40-821 キハ40-226 1994年12月22日 苗穂 改番・延命改造(キハ40-1821) 2011年10月7日
キハ40-822 キハ40-227 1995年1月30日 廃車 2020年3月31日
キハ40-823 キハ40-228 1995年2月23日 2021年8月31日
キハ40-824 キハ40-249 1994年8月23日 旭川 改番・延命改造(キハ40-1824) 2009年12月11日
キハ40-825 キハ40-250 1994年8月17日 苗穂 廃車 2021年4月30日 函館
キハ40-826 キハ40-101 1994年9月22日 旭川 2020年4月26日 旭川
キハ40-827 キハ40-102 1994年10月5日 苗穂 2020年4月26日
キハ40-828 キハ40-103 1994年10月26日 旭川 2021年4月30日
キハ40-829 キハ40-104 1994年8月10日 苗穂 2021年6月30日
キハ40-830 キハ40-105 1994年11月24日 旭川 2021年5月31日
キハ40-831 キハ40-106 1994年12月28日 2020年8月14日 函館
キハ40-832 キハ40-107 1995年2月1日 2021年4月30日 旭川
キハ40-833 キハ40-108 1995年3月13日
キハ40-834 キハ40-109 1994年11月28日 苗穂 2021年6月30日
キハ40-835 キハ40-110 1994年11月11日 函館 2021年4月30日 函館
キハ40-836 キハ40-111 1994年12月15日 2018年3月31日
キハ40-837 キハ40-112 1995年1月6日 2021年9月30日
キハ40-838 キハ40-113 1995年2月4日 2016年6月20日
キハ40-839 キハ40-114 1995年2月18日 苗穂
キハ40-840 キハ40-115 1994年10月7日 2018年3月31日
キハ40-841 キハ40-116 1994年12月1日 2016年6月20日

キハ40形300番台

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1996年に学園都市線(札沼線)の増発のため、同線での運用に対応する改造をキハ40形700番台4両に対して行った[35]

機関はN-DMF13HZB (330 PS / 2,000 rpm) に換装され、出力増強が図られた。サービス向上のため機関直結式冷房装置 (N-AU26) やトイレの汚物処理装置を搭載、混雑緩和対策としてシートが2+1人掛けとされた。客室とデッキの間の仕切り壁が撤去されたことにより車内の保温が困難になるため、ボタン開閉式の半自動ドアを装備している[35]。本番台は全車が苗穂運転所に配置され、同じく同所配置で札沼線(学園都市線)で運用されていたキハ141系気動車とともに、車体地色がライトグレーとなっている。札沼線一部電化後は定期運用がなく予備車となった。

軌道検測車の動力車への転用
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定期運用消滅後、301と304については2018年(平成30年)から使用を開始したマヤ35形客車を挟んで運転する専属車両となっており、301については組成時に先頭に出る側の前面貫通扉に前方監視カメラと建築限界測定装置(いずれもマヤ35車内の検測装置に接続)が装備された[36]

車両形式 車両番号 種車 落成日 改造 落成配置 現行配置・処遇 転属・除籍日 最終配置 備考
キハ40形 300番台 キハ40-301 キハ40-702 1996年2月2日 五稜郭 苗穂 苗穂 マヤ35 牽引車

観測装置搭載

キハ40-302 キハ40-748 1996年3月7日 苗穂運転所入れ替え車
キハ40-303 キハ40-773 1996年1月23日 苗穂
キハ40-304 キハ40-782 1996年1月31日 マヤ35 牽引車

キハ40形400番台

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1996年に札沼線石狩当別 - 新十津川間のワンマン化と、同区間で運用していたキハ53形500番台の老朽化による置き換えのため、キハ40形700番台2両を改造したものである。

キハ53形500番台は閑散ローカル線での1両運行実現と降雪時の排雪抵抗増に対応するためにキハ56から改造された両運転台・2機関車であった。それを置き換える本番台は必然的に大出力化が求められ、ほぼ同時期に改造されたキハ143形と同様にキハ150形気動車の駆動システムを基にして、それまでの改造車よりもさらに強力な動力装置を搭載しているのが特徴である。機関はN-DMF13HZD (450 PS / 2,000 rpm) 、変速機は直結2段式のN-DW14Cとキハ143形と同じ組み合わせを採用し、キハ40標準型の2倍強の出力を得た。台車はキハ143形と違い改造前のものを流用しているが、出力増大に伴い動力台車は2軸駆動に改造され形式名がN-DT44Bとなっている。また、デッドマン装置に代えて緊急列車停止装置を搭載した。冷房装置は搭載していない。外観上は客用扉を萌黄色として区別している[37]。本番台は、2020年の札沼線非電化区間の廃線以降は定期運用はなくなり、2023年4月以降に解体され、廃区分番台となっている[38]

車両形式 車両番号 種車 落成日 改造 落成配置 現行配置・処遇 転属・除籍日 最終配置 備考
キハ40形 400番台 キハ40-401 キハ40-769 1996年3月6日 苗穂 苗穂 廃車 苗穂 解体済み
キハ40-402 キハ40-770 1996年3月11日

キハ40形350番台

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日高本線キハ40形700番台を置き換えて使用されていたキハ130形が車体構造が原因で早期に老朽化したため、これの置き換えのために1998年から1999年(平成11年)にかけてキハ40形700番台10両を改造して再投入したもので、愛称は「優駿浪漫」である。

キハ130形時のダイヤを維持するため機関をN-DMF13HZB (330 PS / 2,000 rpm) に換装して出力を増強し、落ち葉などによる空転対策のため砂撒き装置を台車に装備している。学園都市線用の300番台とは異なり車内の改造は行わず、冷房装置も搭載されていないが、外板塗装は白地に青とピンクを配した独自のものに改められている。

基本的に日高本線の列車で使用されていたが、2015年以降における同線の一部区間不通・バス代行に伴い室蘭本線など近隣線区でも運用されていた。

2019年5月31日付で、352・360が廃車。残った8両も、2021年(令和3年)3月13日のダイヤ改正より苫小牧運転所に配置されたH100形に置き換えられ、廃区分番台となった[39]

車両形式 車両番号 種車 落成日 改造 落成配置 現行配置・処遇 転属・除籍日 最終配置 備考
キハ40形 350番台 キハ40-351 キハ40-718 1998年7月8日 苗穂 苫小牧 廃車 2021年3月31日 苫小牧
キハ40-352 キハ40-713 1998年7月18日 五稜郭 2019年5月31日
キハ40-353 キハ40-717 1998年9月1日 苗穂 2021年3月31日
キハ40-354 キハ40-753 1998年9月30日 五稜郭
キハ40-355 キハ40-710 1998年12月11日
キハ40-356 キハ40-728 1998年12月11日 苗穂
キハ40-357 キハ40-743 1999年6月23日
キハ40-358 キハ40-719 1999年9月27日
キハ40-359 キハ40-731 1999年10月22日
キハ40-360 キハ40-794 1999年11月9日 2019年5月31日

キハ40形330番台・キハ48形1330番台

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2000年の宗谷本線急行の特急格上げに伴い、余剰となったキハ400形100番台・キハ480形1300番台を学園都市線に転用するために再改造したものである[35]2000年(平成12年)7月1日に学園都市線に投入された[40]

通勤・通学用への転用に伴い、711系電車の廃車発生品を用いて座席をすべてロングシートとした。また、客室・デッキ間の仕切り壁や引戸を撤去し、かわりにボタン開閉式の半自動ドアを装備している。300番台と同様、この両番台も外板色はライトグレーとした。キハ400形は床上の機器室内に設置した電源用機関、その向かい側の洗面所を撤去[注 31] して客室とし、機器室跡に窓を1か所再設置[注 32] し洗面所側は窓なしとした。電源装置の撤去により冷房用電源がなくなるため、両番台とも、キハ40形300番台同様の機関直結式冷房装置のN-AU26に交換され[35]、従来、冷房用電源の関係でキハ400形とペアで使用されていたキハ480も単独での運用が可能となった。新たに設置された冷房装置の、圧縮機から屋根上の本体に至る配管と配線は客室内の中央付近の側面を通るため、この部分でロングシートは分断され、約2人分のデッドスペースを生じているほか、キハ400形・キハ480形時の装備であった横引きカーテンのレール覆いや、窓框の縁取りが残されている。

2012年(平成24年)10月27日に学園都市線の桑園 - 北海道医療大学間の列車がすべて電車に置き換えられて一部の車両が余剰となった。このうち、キハ40 334・335とキハ48形全車は海外譲渡のため同年11月下旬から12月上旬にかけて陣屋町駅まで甲種輸送された[41][42][43]

車両形式 車両番号 種車 落成日 改造 落成配置 現行配置・処遇 転属・除籍日 最終配置 備考
キハ40形 330番台 キハ40-331 キハ400-143 2000年7月1日 苗穂 苗穂 苗穂 苗穂運転所入れ替え車
キハ40-332 キハ400-144 2000年7月26日 廃車 2012年10月31日 苗穂
キハ40-333 キハ400-145 2000年8月11日
キハ40-334 キハ400-146 2000年6月20日 譲渡(ミャンマー国鉄) 2012年12月5日
キハ40-335 キハ400-147 2000年7月11日
キハ40-336 キハ400-148 2000年7月19日 苗穂 苗穂運転所入れ替え車
キハ48形 1330番台 キハ48-1331 キハ480-1301 2000年7月15日 譲渡(ミャンマー国鉄) 2012年11月14日 苗穂
キハ48-1332 キハ480-1302 2000年8月11日 2012年11月22日
キハ48-1333 キハ480-1303 2000年7月21日 2012年12月5日

キハ40形1700番台

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後の長期使用を見越し、キハ40形700番台に延命改造を実施したものである。2003年度から11年程度をかけて全車に施行される計画で、2013年(平成25年)4月時点で84両に施行され、このうち、キハ40 1795が函館運転所構内の脱線転覆事故で2007年(平成19年)3月7日に廃車になったため、苗穂運転所に5両、苫小牧運転所に18両、釧路運輸車両所に24両、函館運輸所に20両、旭川運転所に16両の計83両が配置されている。改造内容は、駆動用機関のN-DMF13HZI (243 kW (330 PS) / 2,000 rpm) 、液体変速機の直結3段式 (N-DW40) への換装、その他の付随する機器の交換、客室の床材の張替え、天井にある扇風機をラインフローファンに交換、ワンマン運転用機器の更新のほか、屋根上の水タンクの撤去と車内への移設などである。改造車の番号は原番号に1000が加えられている。

函館運輸所の1792と1796が2004年・2005年(平成17年)の「大沼バーベキュー号」の動力車として、ナハ29000形に合わせた茶色塗装に変更されたが、その後JR北海道標準色に戻っている。2010年4月に、釧路運輸車両所所属の1749と1758が首都圏色(朱色5号)に復元された[44][45]

2016年3月には、江差線道南いさりび鉄道への転換に伴い、9両が同社へ譲渡された。(#道南いさりび鉄道も参照)

2018年には4両が「北海道の恵み」シリーズとして順次改造を受け運行を開始した。また、2019年には2両が「山紫水明」シリーズとして改造を受けた。

車両形式 車両番号 種車 落成日 改造 落成配置 現行配置・処遇 転属・除籍日 最終配置 備考
キハ40形 1700番台 キハ40-1701 キハ40-701 2005年3月30日 五稜郭 苫小牧 苗穂 2021年3月30日
キハ40-1703 キハ40-703 2004年5月25日 苗穂 廃車 2022年 旭川 タイフォンあり
キハ40-1704 キハ40-704 2005年5月19日 五稜郭 函館 2021年3月20日
キハ40-1705 キハ40-705 2004年7月9日 苗穂
キハ40-1706 キハ40-706 2004年9月1日 苫小牧 カムイサウルス(むかわ竜)復興トレイン
キハ40-1707 キハ40-707 2012年3月7日 旭川 旭川
キハ40-1709 キハ40-709 2005年6月10日 釧路 廃車 2022年3月31日 旭川
キハ40-1711 キハ40-711 2012年4月24日 旭川 2022年
キハ40-1712 キハ40-712 2012年7月2日 2022年
キハ40-1714 キハ40-714 2008年11月7日 旭川
キハ40-1715 キハ40-715 2007年7月14日 苫小牧 2020年3月14日
キハ40-1716 キハ40-715 2009年9月28日 旭川
キハ40-1720 キハ40-716 2009年7月24日 道北 流氷の恵み
キハ40-1722 キハ40-722 2011年5月19日 釧路 釧路 2020年4月3日
キハ40-1723 キハ40-723 2008年1月17日 2020年3月14日
キハ40-1724 キハ40-724 2010年2月5日 苗穂 旭川
キハ40-1725 キハ40-725 2011年11月10日
キハ40-1727 キハ40-727 2011年10月7日 釧路
キハ40-1735 キハ40-735 2009年8月31日
キハ40-1736 キハ40-736 2011年4月28日 苗穂
キハ40-1737 キハ40-737 2006年3月25日 釧路 釧路 廃車 2022年3月31日 旭川
キハ40-1738 キハ40-738 2009年4月 釧路
キハ40-1740 キハ40-740 2009年10月26日 旭川 2022年3月31日
キハ40-1741 キハ40-741 2005年1月31日 廃車 2022年3月31日 釧路
キハ40-1742 キハ40-742 2007年10月12日
キハ40-1744 キハ40-744 2011年12月16日 旭川 旭川
キハ40-1745 キハ40-745 2011年2月28日 苗穂
キハ40-1747 キハ40-747 2009年1月28日 釧路 宗谷色
キハ40-1749 キハ40-749 2007年11月14日 釧路 旭川 2022年5月 首都圏色
キハ40-1751 キハ40-751 2011年8月3日 2022年3月25日
キハ40-1752 キハ40-752 2005年12月24日 苗穂 廃車 釧路
キハ40-1754 キハ40-754 2006年5月29日 釧路 2022年3月
キハ40-1755 キハ40-755 2007年3月19日 旭川 2022年3月
キハ40-1756 キハ40-756 2007年8月3日 廃車 釧路
キハ40-1758 キハ40-757 2010年4月22日 旭川 2022年5月 首都圏色
キハ40-1759 キハ40-759 2005年4月27日 2022年3月25日 国鉄色
キハ40-1760 キハ40-760 2006年1月24日 廃車 2022年3月31日 釧路
キハ40-1761 キハ40-761 2009年4月23日 苗穂 旭川 旭川
キハ40-1762 キハ40-762 2008年8月26日 苫小牧 函館 2022年3月20日
キハ40-1763 キハ40-763 2004年2月20日 苫小牧
キハ40-1765 キハ40-765 2006年12月12日 釧路 釧路 廃車 2022年3月31日 釧路
キハ40-1766 キハ40-766 2007年3月1日 苗穂 旭川 2022年5月 国鉄色
キハ40-1767 キハ40-767 2009年3月 苫小牧 函館 2021年3月20日
キハ40-1768 キハ40-768 2005年10月14日 廃車 釧路
キハ40-1771 キハ40-771 2005年4月20日 函館 2021年3月20日
キハ40-1772 キハ40-772 2005年2月10日 廃車 2022年3月31日 釧路
キハ40-1774 キハ40-774 2004年10月26日 釧路 旭川 2022年5月
キハ40-1775 キハ40-775 2008年10月28日 釧路 2022年3月25日
キハ40-1776 キハ40-776 2004年7月30日 苗穂 廃車 釧路
キハ40-1778 キハ40-778 2006年4月 旭川 2022年5月
キハ40-1779 キハ40-779 2006年3月25日 釧路 2022年3月 道東 森の恵み
キハ40-1780 キハ40-780 2005年12月14日 苗穂 苫小牧 苫小牧 道央 花の恵み
キハ40-1783 キハ40-783 2006年5月13日
キハ40-1784 キハ40-784 2006年6月28日 旭川 2021年3月27日
キハ40-1785 キハ40-785 2004年12月14日 苫小牧
キハ40-1786 キハ40-786 2007年12月12日
キハ40-1787 キハ40-787 2008年2月18日 旭川 2021年3月27日
キハ40-1788 キハ40-788 2004年12月27日 五稜郭 廃車 2022年 旭川
キハ40-1790 キハ40-790 2005年7月21日 苗穂 2009年3月 山明 
キハ40-1791 キハ40-791 2006年2月6日 苗穂 旭川 2009年3月 紫水
キハ40-1792 キハ40-792 2004年9月29日 五稜郭 函館 函館
キハ40-1793 キハ40-793 2007年11月26日 譲渡(道南いさりび鉄道) 2016年3月26日 函館
キハ40-1795 キハ40-795 2005年9月8日 事故廃車 2007年3月7日 函館運輸所内で入換作業中にDD51と衝突
キハ40-1796 キハ40-796 2004年8月16日 譲渡(道南いさりび鉄道) 2016年3月26日
キハ40-1797 キハ40-797 2008年9月22日 旭川 2020年3月
キハ40-1798 キハ40-798 2009年9月18日 譲渡(道南いさりび鉄道) 2016年3月26日 函館
キハ40-1799 キハ40-799 2006年3月25日
キハ40-1800 キハ40-800 2005年12月14日 函館
キハ40-1801 キハ40-801 2004年11月11日
キハ40-1803 キハ40-803 2004年5月21日
キハ40-1804 キハ40-804 2009年1月7日
キハ40-1805 キハ40-805 2005年2月16日
キハ40-1806 キハ40-806 2010年1月28日
キハ40-1807 キハ40-807 2009年11月18日 譲渡(道南いさりび鉄道) 2016年3月26日 函館
キハ40-1809 キハ40-809 2005年10月31日 函館 道南 海の恵み
キハ40-1810 キハ40-810 2011年12月27日 譲渡(道南いさりび鉄道) 2016年3月26日 函館
キハ40-1811 キハ40-811 2012年3月24日 函館
キハ40-1812 キハ40-812 2006年4月7日 譲渡(道南いさりび鉄道) 2016年3月26日 函館
キハ40-1813 キハ40-813 2004年3月12日 函館
キハ40-1814 キハ40-814 2008年11月12日 譲渡(道南いさりび鉄道) 2016年3月26日 函館
キハ40-1815 キハ40-815 2009年7月17日
キハ40-1816 キハ40-816 2011年8月10日 苗穂 苗穂 苗穂
キハ40-1818 キハ40-818 2010年3月27日
キハ40-1821 キハ40-821 2011年10月7日 2012年3月
キハ40-1824 キハ40-824 2009年12月11日 廃車 2022年 旭川

「鉄道員(ぽっぽや)」用改造車(キハ40 764)

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1999年に映画『鉄道員(ぽっぽや)』の撮影用として、当時釧路運輸車両所に所属していたキハ40 764に改装を施した。同作品に登場するキハ12形に近い外観のキハ22形は1995年3月に定期運用から離脱していたため、キハ40形700番台が改造対象となったものである。キハ40 764は旧キハ40 230[46] で、キハ12形に似せて側窓部の外板に横桟を入れて分割し上部をHゴム支持としたいわゆる「バス窓」風に、前面のパノラミックウィンドウを平窓に、前照灯を貫通路上部の1灯式に改造。塗装で経年劣化した状態を表現したほか、形式番号の標記は「キハ12 23」(実在したキハ12形の最終番号の次の番号)とした。映画撮影終了後の2000年3月に旭川運転所に転配。前照灯をシールドビーム2灯[注 33] に改め、本来の形式記号・番号標記を1・4位側扉点検蓋上方に小さく追加標記した以外はそのままの姿で「ぽっぽや号」として観光目的の臨時列車に用いられたが、集客の低下に伴い石北本線でのローカル運用に充てられたのち保留車となった。側面の改造で車体の老朽化が進み、前照灯と窓の変更により運転環境も悪化していたため、2005年6月24日に気動車の余剰整理を機に廃車された。廃車後は車体が2分割され、前位側先頭部がロケ地の幾寅駅前に保存されている。

JR東日本の改造車

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冷房化改造

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1987年から1988年、および1995年に前述のキハ40形1000番台6両を含む計26両にサブエンジン式のAU34による冷房化改造が実施されている。床下の熱交換器を撤去して冷房装置を搭載するもので、1987年から1988年にかけて改造された車両は室内熱交換器を床下に設置する方式、1995年に改造された車両は荷棚部に室内熱交換器を設置する方式である。その後1995年以降、南秋田運転所、小牛田運輸区、新津運転所の計113両は機関直結式のAU26J-Aによる冷房化改造が実施された。

機関換装

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前述の機関直結式AU26J-A冷房装置の設置などと合わせて機関をカミンズ製DMF14HZ (350 PS / 2,000 rpm) へ交換する改造が実施されている。なお、JR他社における改造の事例と異なり液体変速機はDW10のままのため、機関出力を300 PSに下げて使用されている。


JR東海の改造車

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初期の機関換装

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1989年(平成元年)以降に同社のキハ85系で採用されたカミンズ英国工場製のC-DMF14HZ (350 PS / 2,000 rpm) に換装された車両は以下のとおり。

キハ40形5000番台
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紀勢本線用のキハ40形2000番台の機関を換装し冷房装置を搭載したもので、1989年から1990年にかけて6両が改造された。冷房装置はC-AU711Dを2基屋根上に搭載している。番号は原番に3000を加えたが、番号整理に伴い1999年度に3000番台に再改番された。

  • キハ40 2030 - 2032・2058・2059・2129 → 5030 - 5032・5058・5059・5129 → 3001 - 3003・3005・3306・3010
キハ48形3500番台
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1992年の武豊線への投入に伴い、東海道本線での運用のためキハ48形500番台の機関をC-DMF14HZに換装して出力増強を図るとともにワンマン運転設備を付加したもので、5両が改造された。番号は原番に3000を加えたが、番号整理に伴い1999年に3800番台に再改番された。

なお、これらとペアを組むキハ48形1500番台5両(1523・1524・1528 - 1530)にもワンマン運転設備が付加されているが、機関換装は実施されず、改番も行われなかった。

  • キハ48 526・529・531・532・541 → 3526・3529・3531・3532・3541 → 3809・3812・3814・3815・3816

機関換装、ワンマン運転対応と番号整理

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機関換装は1997年度から再開され、保有される全形式の全車の機関をキハ75形キハ11形300番台で採用されたカミンズ英国工場製のC-DMF14HZB (350 PS / 2,000 rpm)に、変速機をキハ85系・キハ75形で採用された新潟コンバータ製C-DW14A(変速1段・直結2段) に換装し、同時に、寒地装備、トイレ、ワンマン運転装備の有無、機関の形式により一定の基準によって分類して改番を行った。暖地向け車は5001(トイレなし車およびキハ40形は6001)から、寒地向け車は5501(トイレなし車は6501)からそれぞれ原番の順に機関換装と同時に改番した。1999年には、以前に機関換装を実施した車両も再度改番しており、C-DMF14HZ搭載車として3000番台に区別した。ワンマン運転対応車両は300を加えてさらに区別された。

概要は以下のとおり。

キハ40形
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3000番台
旧5000番台。C-DMF14HZ搭載。3001 - 3003・3005・3010の5両。このうち一部は西日本旅客鉄道(JR西日本)所属車と番号が重複している。3005は2011年6月8日から旧国鉄一般形気動車標準色風の塗装に塗り替えられている[47]。2015年7・12月に廃車され、ミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
3300番台
旧5000番台。3000番台のワンマン運転対応車。3306のみ。2015年12月に廃車され、ミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
5500番台
500番台にC-DMF14HZBを搭載。2両(576・577 → 5501・5502)が改番されたが、のちに5502はワンマン運転設備を付加して後述の5800番台に再改番され、5501は2015年12月に廃車され、ミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
5800番台
1999年に5500番台にワンマン運転設備を付加して再改番(5502 → 5802)したもの。5802のみ。2015年7月に廃車され、ミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
6000番台
2000番台にC-DMF14HZBを搭載。6両(2057・2111 - 2113・2130・2131 → 6004・6007 - 6009・6011・6012)が改番されたが、全車にワンマン設備を付加して6300番台に再改番され、2000年度に消滅した。
6300番台
1999年から2000年にかけて6000番台にワンマン運転設備を付加[注 34] し、再改番 (6304・6307 - 6309・6311・6312)したもの。2015年7・2016年3月に廃車され、6304を除きミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
キハ47形
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5000番台
0番台にC-DMF14HZBを搭載した2両(3・4 → 5001・5002)。2015年3月に廃車されミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
6000番台
1000番台にC-DMF14HZBを搭載した3両(1027・1109・1110 → 6001 - 6003)。2015年3・4月に廃車されミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
キハ48形
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3800番台
旧3500番台。改番時点でワンマン対応改造済み。3809・3812・3814 - 3816の5両。3812は2011年4月18日から旧国鉄一般形気動車標準色風の塗装に塗り替えられている[47]。3814は2015年3月に、残る4両は2015年4・7月と2016年3月に廃車され、いずれもミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
5000番台
0番台にC-DMF14HZBを搭載。3両(1 - 3 → 5001 - 5003)が改番されたが、のちに5002と5003の2両がワンマン運転設備を付加して再改番され、5001は2015年12月に廃車されミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
5300番台
5000番台にワンマン運転設備を付加して再改番したもので、2000年と2003年に1両ずつ(5302・5303)、計2両に実施。2016年3月に廃車され、5302はミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
5500番台
500番台にC-DMF14HZBを搭載。13両(509 - 514・524・525・527・528・530・542・543 → 5501 - 5508・5510・5511・5513・5517・5518)がこの番台となったが、のちに8両がワンマン運転設備を付加して5800番台に再改番されたため、5501・5508・5511・5513・5518の5両が残った。5511・5513は2015年3月に廃車。残る3両は2015年7・12月に廃車され、いずれもミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
5800番台
1999年から5500番台にワンマン運転設備を付加して再改番したもの。5802 - 5807・5810・5817の8両。2015年4・7月と2016年3月に廃車され、いずれもミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
6000番台
1000番台にC-DMF14HZBを搭載。2両(1・2 → 6001・6002)が改番されたが、のちに6002がワンマン運転設備を付加して再改番されたため6001のみとなったが、2015年7月に廃車されミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
6300番台
2000年に6000番台にワンマン運転設備を付加して再改番を実施したもの。6302の1両のみで、2016年3月に廃車されミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
6500番台
1500番台にC-DMF14HZBを搭載。17両(1515 - 1519・1523 - 1531・1536 - 1538 → 6501 - 6517)がこの番台となったが、のちに14両がワンマン運転設備を付加して6800番台に再改番され、6501・6502・6517の3両が残った。2015年7・12月に廃車され、いずれもミャンマーへ譲渡。廃区分となった。
6800番台
1999年から6500番台にワンマン運転設備を付加して再改番したもので、6803 - 6816の14両に対して実施された。うち6806・6807・6811 - 6813の5両は6500番台への改番時点で既にワンマン運転設備を装備していた。2015年4・7・12月と2016年3月に廃車され、6805 - 6807と6811を除きミャンマーへ譲渡。廃区分となった。

JR西日本の改造車

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冷房化改造

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1989年度から1995年度にかけて日本電装製のサブエンジン式冷房装置AU34による冷房改造が全車に対して実施されている。床下の暖房用熱交換器を1基撤去してAU34を搭載し、車内荷棚部に室内熱交換器を設置している。

機関換装

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1994年度から2000年度にかけて機関および液体変速機の換装を実施している。機関はコマツSA6D125H-1AもしくはSA6D125HE-1への換装が実施された。機関換装工事実施中は旧機関の車両との併結を考慮し出力を265 PS / 2,000 rpmに制限し、換装完了後順次355 PSへ引き上げているが、岡山気動車区所属のキハ40形2000番台の一部と3000番台は、2019年1月時点でも265 PSのまま使用されている。

液体変速機はコマツ製のKTF3335A-1A(変速2段・直結3段、自動式)または新潟コンバータ製TACN-22系(変速1段・直結2段、自動式)へ換装したが、台車が元のままの1軸駆動であり、軸重に対して出力が勝ち過ぎて空転を起こしやすい傾向があり、台車強度の関係から出力を本来の355 PSから330 PSに落としている。また、液体変速機のうちコマツ製のKTF3335A-1A換装車は、105 km/h以上で使用可能な直結3段目はキハ40系の最高速度が95 km/hのため使用されず、実質的には変速2段・直結2段である。

体質改善工事と冷房装置交換

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キハ47形は1998年度から2009年度にかけて、キハ40形は1999年度から2007年度にかけて、全車両に103系電車113系電車等の国鉄形電車と同様の体質改善工事(延命40N)が行われた[48]。改造は後藤総合車両所、網干総合車両所(2000年までは鷹取工場)、下関総合車両所、金沢総合車両所の4所で施工された。主な改造内容は、車体外板腐食部張替え、キハ47形の戸袋窓の埋め込み、通風器撤去、側窓を下段固定、上段下降式への交換、化粧板張替え、ドアの半自動装置の電気指令式への変更などである。また、同時もしくはほぼ同時期に冷房装置の機関直結式のWAU201への交換がキハ47形5両を除いて実施されており、床下のAU34の撤去と屋根上へのWAU201の熱交換器の搭載が行われている。

体質改善施工実績
施工年度 施工工場施工両数 形式別施工両数施工済み車輌割合 合計
後藤 下関 網干 金沢 キハ40 キハ47 キハ48 キハ41
1998年 5 4 0 1 0/63
0 %
10/184
5 %
0/5
0 %
0/5
0 %
10
3 %
1999年 10 11 4 4 7/63
11 %
32/184
17 %
0/5
0 %
0/5
0 %
39
15 %
2000年 8 19 5 2 17/63
26 %
56/184
30 %
0/5
0 %
0/5
0 %
73
28 %
2001年 10 9 5 2 24/63
38 %
75/184
40 %
0/5
0 %
0/5
0 %
99
38 %
2002年 4 9 4 2 29/63
43 %
88/184
47 %
0/5
0 %
1/5
20 %
118
45 %
2003年 8 8 4 3 39/63
61 %
101/184
54 %
0/5
0 %
1/5
20 %
141
54 %
2004年 10 12 6 4 47/63
74 %
123/184
66 %
0/5
0 %
3/5
60 %
173
67 %
2005年 13 13 2 3 53/63
84 %
146/184
79 %
0/5
0 %
5/5
100 %
204
79 %
2006年 13 13 1 3 60/63
95 %
165/184
89 %
4/5
80 %
5/5
100 %
234
91 %
2007年 11 5 0 0 63/63
100 %
177/184
96 %
5/5
100 %
5/5
100 %
250
97 %
2008年 5 0 0 0 63/63
100 %
182/184
98 %
5/5
100 %
5/5
100 %
255
99 %
2009年 2 0 0 0 63/63
100 %
184/184
100 %
5/5
100 %
5/5
100 %
257
100 %

キハ40形

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車両番号 竣工 改造所 初期配置 現行配置 備考
キハ40-2070 1999.6.9 下関 山口 山口
キハ40-2080 1999.10.27 下関 山口 山口
キハ40-2083 2000.1.7 鷹取 加古川 富山
キハ40-2123 2000.1.19 下関 山口 山口
キハ40-2082 2000.1.27 鷹取 姫路 岡山
キハ40-2135 2000.3.7 金沢 高岡 富山
キハ40-2092 2000.3.30 後藤 加古川 富山
キハ40-2029 2000.7.14 網干 加古川 岡山
キハ40-2044 2000.9.8 下関 広島 山口
キハ40-2137 2000.9.19 金沢 高岡 富山
キハ40-2033 2000.10.10 下関 山口 山口
キハ40-2091 2000.10.11 網干 姫路 山口
キハ40-2119 2000.10.18 下関 広島 山口
キハ40-2035 2000.12.18 下関 山口 山口
キハ40-2004 2001.1.24 下関 広島 山口
キハ40-2136 2001.1.26 金沢 高岡 富山
キハ40-2027 2001.2.1 網干 加古川 富山 ベル・モンターニュ・エ・メール
キハ40-2003 2001.6.13 下関 山口 山口
キハ40-2073 2001.11.6 下関 山口 山口
キハ40-2081 2001.11.20 下関 山口 山口
キハ40-2121 2002.2.1 下関 広島 山口
キハ40-2090 2002.2.9 網干 加古川 富山
キハ40-2048 2002.3.1 後藤 津山 岡山
キハ40-2120 2002.3.15 下関 山口 山口
キハ40-2096 2002.4.16 下関 広島 山口
キハ40-2034 2002.6.24 網干 姫路 山口
キハ40-2042 2002.9.17 下関 山口 山口
キハ40-2036 2002.9.28 網干 姫路 岡山
キハ40-2045 2002.11.28 下関 広島 山口
キハ40-2047 2003.5.14 下関 広島 山口
キハ40-2076 2003.6.23 下関 山口 山口
キハ40-2005 2003.7.18 網干 姫路 山口
キハ40-2114 2003.9.29 下関 広島 山口
キハ40-2134 2003.10.12 網干 加古川 岡山 ノスタルジー
キハ40-2075 2003.10.17 金沢 山口 山口
キハ40-2093 2003.11.10 後藤 津山 岡山
キハ40-2071 2003.12.26 下関 山口 山口
キハ40-2133 2004.3.15 網干 加古川 岡山
キハ40-2115 2004.6.28 後藤 後藤 後藤 鬼太郎列車Ⅴ
キハ40-2049 2004.7.22 後藤 岡山 岡山 SAKU美SAKU楽
キハ40-2002 2004.7.27 下関 山口 山口
キハ40-2001 2004.9.22 下関 山口 山口
キハ40-2008 2004.11.24 金沢 豊岡 豊岡
キハ40-2084 2005.1.28 網干 高岡 富山 忍者ハットリくん
キハ40-2132 2005.1.31 下関 山口 山口
キハ40-2079 2005.5.9 下関 山口 山口
キハ40-2043 2005.7.26 後藤 岡山 岡山
キハ40-2074 2005.10.19 下関 山口 山口
キハ40-2118 2005.11.2 後藤 後藤 後藤 目玉おやじ列車Ⅲ
キハ40-2077 2005.12.30 下関 山口 山口
キハ40-2122 2006.4.12 下関 山口 山口
キハ40-2006 2006.5.24 後藤 岡山 岡山
キハ40-2094 2006.7.1 後藤 後藤 後藤 ねずみ男列車Ⅲ
キハ40-2078 2006.7.14 金沢 高岡 富山
キハ40-2095 2007.2.6 後藤 後藤 後藤 ねこ娘列車Ⅲ
キハ40-2046 2007.3.30 後藤 豊岡 豊岡
キハ40-2072 2007.9.10 下関 山口 山口
キハ40-2007 2007.9.28 後藤 豊岡 豊岡 竹田城跡号→うみやまむすび

キハ47形

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車両番号 竣工 改造 初期配置 現行配置 備考
キハ47-1008 1998.12.28 下関 山口 山口
キハ47-28 1999.1.14 後藤 加古川 岡山
キハ47-29 1999.1.29 後藤 加古川 後藤
キハ47-1103 1999.2.4 下関 広島 山口
キハ47-15 1999.2.12 後藤 福知山 豊岡
キハ47-1007 1999.3.18 下関 山口 山口
キハ47-1029 1999.3.30 金沢 高岡 富山
キハ47-16 1999.3.31 後藤 福知山 山口
キハ47-20 1999.3.31 後藤 津山 岡山
キハ47-69 1999.6.16 後藤 津山 岡山
キハ47-101 1999.6.23 下関 山口 山口
キハ47-30 1999.6.30 鷹取 加古川 後藤
キハ47-31 1999.6.30 鷹取 加古川 後藤
キハ47-1012 1999.7.16 金沢 福知山 豊岡
キハ47-1011 1999.8.12 金沢 高岡 富山
キハ47-45 1999.9.7 後藤 津山 岡山
キハ47-94 1999.9.7 下関 山口 山口
キハ47-148 1999.10.12 下関 広島 山口
キハ47-33 1999.10.22 後藤 後藤 後藤
キハ47-1106 1999.11.11 後藤 豊岡 豊岡
キハ47-47 1999.12.14 後藤 岡山 岡山 ノスタルジー
キハ47-1070 1999.12.14 下関 広島 山口
キハ47-1013 1999.12.19 金沢 高岡 富山
キハ47-37 2000.1.20 後藤 後藤 後藤
キハ47-1071 2000.4.28 下関 山口 山口
キハ47-1128 2000.5.22 後藤 岡山 岡山
キハ47-103 2000.6.20 下関 山口 山口
キハ47-65 2000.7.24 下関 山口 山口 廃車
キハ47-64 2000.8.25 後藤 岡山 岡山
キハ47-102 2000.8.25 下関 山口 山口
キハ47-110 2000.9.25 下関 山口 山口
キハ47-151 2000.11.28 下関 広島 山口
キハ47-1026 2000.11.28 網干 加古川 後藤
キハ47-1062 2000.12.22 下関 山口 山口
キハ47-11 2001.1.11 下関 広島 山口
キハ47-109 2001.2.28 下関 山口 山口
キハ47-1054 2001.2.28 網干 姫路 後藤
キハ47-44 2001.3.1 後藤 岡山 岡山
キハ47-1 2001.3.21 後藤 豊岡 豊岡
キハ47-1061 2001.3.26 下関 広島 山口
キハ47-18 2001.3.30 後藤 岡山 岡山
キハ47-40 2001.3.30 下関 山口 山口
キハ47-1053 2001.5.11 網干 姫路 後藤
キハ47-34 2001.5.12 後藤 後藤 後藤
キハ47-1036 2001.7.17 後藤 岡山 岡山 ノスタルジー
キハ47-5 2001.8.24 後藤 豊岡 豊岡
キハ47-1028 2001.8.31 網干 加古川 後藤
キハ47-1038 2001.10.29 後藤 後藤 後藤
キハ47-1094 2001.11.27 網干 姫路 岡山
キハ47-25 2001.12.18 金沢 高岡 富山
キハ47-1060 2001.12.21 下関 広島 山口
キハ47-142 2002.3.25 後藤 岡山 岡山
キハ47-137 2002.3.26 網干 姫路 後藤
キハ47-1015 2002.3.28 金沢 高岡 富山
キハ47-100 2002.3.30 下関 広島 山口
キハ47-9 2002.5.30 後藤 広島 山口
キハ47-1005 2002.6.5 後藤 岡山 岡山
キハ47-38 2002.6.18 下関 山口 山口
キハ47-42 2002.7.4 金沢 高岡 富山
キハ47-1022 2002.10.16 後藤 岡山 岡山
キハ47-1064 2002.11.25 金沢 高岡 富山
キハ47-1133 2002.12.4 網干 加古川 豊岡
キハ47-1004 2003.1.20 後藤 岡山 岡山
キハ47-139 2003.2.27 網干 姫路 豊岡
キハ47-153 2003.3.31 下関 山口 山口
キハ47-83 2003.7.31 後藤 後藤 後藤
キハ47-21 2003.9.30 後藤 岡山 岡山
キハ47-190 2003.10.21 金沢 山口 山口
キハ47-141 2004.1.10 網干 姫路 鳥取
キハ47-1131 2004.3.11 下関 山口 山口
キハ47-93 2004.4.23 下関 広島 山口
キハ47-1093 2004.5.29 網干 姫路 豊岡
キハ47-1059 2004.6.1 下関 山口 山口
キハ47-1092 2004.7.6 網干 姫路 高岡
キハ47-1014 2004.8.24 下関 山口 山口
キハ47-19 2004.10.5 金沢 岡山 岡山
キハ47-138 2004.10.6 網干 姫路 富山
キハ47-150 2004.10.19 下関 山口 山口
キハ47-81 2004.11.19 下関 山口 山口
キハ47-1112 2004.11.25 後藤 鳥取 鳥取
キハ47-149 2004.12.16 下関 広島 山口
キハ47-165 2004.12.16 後藤 鳥取 鳥取
キハ47-1091 2004.12.27 網干 高岡 富山
キハ47-39 2005.2.18 下関 山口 山口
キハ47-1019 2005.2.24 後藤 鳥取 鳥取
キハ47-99 2005.3.19 網干 岡山 岡山
キハ47-1108 2005.3.28 後藤 鳥取 鳥取
キハ47-96 2005.3.30 下関 山口 山口
キハ47-66 2005.4.4 網干 高岡 富山
キハ47-80 2005.6.2 後藤 鳥取 鳥取
キハ47-152 2005.6.2 下関 山口 山口
キハ47-170 2005.7.20 下関 岡山 岡山
キハ47-1037 2005.9.7 後藤 鳥取 鳥取
キハ47-43 2005.9.17 後藤 岡山 岡山
キハ47-1134 2005.9.29 金沢 高岡 富山
キハ47-169 2005.10.5 下関 山口 山口
キハ47-7 2005.10.20 後藤 鳥取 鳥取
キハ47-6 2005.11.22 後藤 鳥取 鳥取
キハ47-85 2005.11.2 下関 岡山 岡山
キハ47-1035 2005.12.5 下関 山口 山口
キハ47-27 2005.12.26 金沢 高岡 富山
キハ47-35 2005.12.29 後藤 鳥取 鳥取
キハ47-95 2006.1.24 下関 山口 山口
キハ47-84 2006.2.15 網干 鳥取 鳥取
キハ47-36 2006.3.27 金沢 高岡 富山
キハ47-1102 2006.3.27 下関 山口 山口
キハ47-180 2006.3.28 後藤 鳥取 鳥取
キハ47-68 2006.4.17 後藤 後藤 後藤
キハ47-63 2006.5.26 後藤 山口 山口
キハ47-1016 2006.6.23 下関 山口 後藤
キハ47-22 2006.7.13 下関 山口 山口
キハ47-1507 2006.8.3 下関 山口 山口
キハ47-143 2006.9.6 後藤 鳥取 鳥取
キハ47-1100 2006.9.29 下関 山口 山口
キハ47-13 2006.11.2 後藤 豊岡 豊岡
キハ47-1101 2006.11.21 下関 山口 山口
キハ47-1017 2006.11.30 後藤 後藤 後藤
キハ47-1065 2007.1.12 下関 山口 山口
キハ47-1040 2007.2.8 下関 山口 山口
キハ47-140 2007.2.27 金沢 高岡 富山
キハ47-24 2007.3.29 下関 山口 山口
キハ47-82 2007.4.25 後藤 後藤 後藤
キハ47-1113 2007.12.4 後藤 鳥取 鳥取
キハ47-1066 2007.12.12 下関 山口 山口
キハ47-8 2008.1.11 後藤 鳥取 鳥取
キハ47-167 2008.1.28 後藤 後藤 後藤
キハ47-2 2008.2.8 後藤 豊岡 豊岡
キハ47-41 2008.3.24 後藤 鳥取 鳥取
キハ47-32 2008.3.26 後藤 後藤 後藤
キハ47-179 2008.3.27 下関 山口 山口
キハ47-146 2008.10.20 後藤 鳥取 鳥取
キハ47-1025 2009.1.29 後藤 鳥取 鳥取
キハ47-10 2009.8.18 後藤 豊岡 豊岡
キハ47-14 2010.2.23 後藤 鳥取 鳥取

キハ48形

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車両番号 竣工 改造 初期配置 現行配置 備考
キハ48-1003 2006.6.21 後藤 岡山 岡山
キハ48-1004 2006.9.11 下関 山口 富山 花嫁のれん
キハ48-6 2006.10.10 後藤 岡山 岡山
キハ48-4 2006.10.31 下関 山口 富山 花嫁のれん
キハ48-5 2007.10.15 後藤 岡山 岡山

ロングシート化改造車

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ローカル線区の朝ラッシュ時の乗降のスムーズ化と定員増加を図るため、車内の座席をロングシートに交換したグループである[49]キハ40形2000番台は3000番台に、キハ47形は0・1000番台は2000・3000番台に、500・1500番台は2500・3500番台に改番された。1991年から1992年にかけてキハ40形5両とキハ47形27両(2000番台16両、2500番台1両、3000番台9両、3500番台1両)に対して施工され、1996年度にはキハ47形21両(2000番台7両、2500番台2両、3000番台11両、3500番台1両)が追加で改造されたが、こちらはボックスシートを一部残している。

キハ40形は岡山地区に、キハ47形は岡山(吉備線)・米子・山口地区に配置され、いずれもラッシュ時に運用されている。

車両形式 車両番号 種車 竣工 改造所 初期配置 体質改善工事(改造所) 現行配置 備考
キハ40形 3000番台 キハ40-3001 キハ40-2009 1992.3 後藤 津山 2007.5.23(後藤) 岡山
キハ40-3002 キハ40-2010 1993.1.9 2005.12.19(後藤)
キハ40-3003 キハ40-2028 1993.2.16 2005.2.1(金沢)
キハ40-3004 キハ40-2116 1993.3.26 2003.12.29(後藤)
キハ40-3005 キハ40-2117 1993.3.15 2007.2.27(網干)
キハ47形 2000番台 キハ47-2001 キハ47-48 1993.2.23 後藤 津山 2007.3.7(下関) 岡山
キハ47-2002 キハ47-161 1993.3.10 2004.3.26(後藤)
キハ47-2003 キハ47-163 1993.3.10 2001.3.23(後藤)
キハ47-2004 キハ47-67 1994.9.14 米子 2004.8.30(後藤) 後藤 こなきじじい列車Ⅱ
キハ47-2005 キハ47-86 1994.7.7 浜田 2006.10.30(金沢)
キハ47-2006 キハ47-97 1994.11.24 米子 2008.9.5(後藤)
キハ47-2007 キハ47-166 1994.11.5 2007.8.21(後藤)
キハ47-2008 キハ47-168 1994.9.9 2000.3.2(後藤)
キハ47-2009 キハ47-181 1994.8.11 2000.7.28(後藤)
キハ47-2010 キハ47-192 1994.11.26 鷹取 2001.5.14(後藤) 改番・観光列車化(キロ47-7006)
キハ47-2011 キハ47-193 1994.11.26 山口 改番・観光列車化(キロ47-7002)
キハ47-2012 キハ47-23 1994.10.28 広島 2001.10.12(下関)
キハ47-2013 キハ47-26 1994.9.10 2001.3.13(下関)
キハ47-2014 キハ47-108 1994.11.30 幡生 2000.7.5(下関)
キハ47-2015 キハ47-154 1994.10.7 鷹取 2007.3.1(下関) 廃車
キハ47-2016 キハ47-155 1994.10.7 2002.9.4(下関)
キハ47-2017 キハ47-17 1996.10.9 後藤 津山 2004.10.19(後藤) 後藤
キハ47-2018 キハ47-162 1996.10.12 2008.12.8(後藤)
キハ47-2019 キハ47-164 1996.9.10 米子 2004.2.27(後藤) 砂かけばばあ列車Ⅱ
キハ47-2020 キハ47-186 1996.9.19 津山 2001.12.22(後藤)
キハ47-2021 キハ47-12 1997.1.24 幡生 山口 1999.11.24(下関) 山口
キハ47-2022 キハ47-98 1997.3.27 2004.6.24(下関)
キハ47-2023 キハ48-147 1997.1.10 2002.12.28(下関)
2500番台 キハ47-2501 キハ47-508 1994.11.15 鷹取 広島 1999.3.31(下関)
キハ47-2502 キハ47-506 1997.3.27 幡生 山口 2003.7.22(下関)
キハ47-2503 キハ47-507 1997.2.17 2006.12.15(下関)
3000番台 キハ47-3001 キハ47-1001 1993.2.18 後藤 津山 2001.11.28(後藤) 岡山
キハ47-3002 キハ47-1003 1993.3.16 山口 改番・観光列車化(キハ47-7001)
キハ47-3003 キハ47-1111 1994.10.19 米子 2000.11.1(後藤) 後藤
キハ47-3004 キハ47-1006 1994.10.28 鷹取 広島 2004.1.27(下関) 山口
キハ47-3005 キハ47-1020 1994.10.31 幡生 2001.7.17(下関)
キハ47-3006 キハ47-1021 1994.11.30 鷹取 2003.2.4(下関)
キハ47-3007 キハ47-1067 1994.11.15 2004.3.10(金沢)
キハ47-3008 キハ47-1096 1994.11.30 2000.10.31(下関)
キハ47-3009 キハ47-1123 1994.9.30 幡生 2003.11.11(下関)
キハ47-3010 キハ47-1002 1997.3.14 後藤 米子 2001.6.13(後藤) 後藤
キハ47-3011 キハ47-1018 1996.11.15 2000.1.25(後藤)
キハ47-3012 キハ47-1034 1996.12.12 2008.7.18(後藤)
キハ47-3013 キハ47-1063 1996.11.29 1999.8.20(後藤)
キハ47-3014 キハ47-1095 1996.12.2 2006.12.29(後藤)
キハ47-3015 キハ47-1114 1997.1.6 2005.5.6(後藤)
キハ47-3016 キハ47-1115 1996.12.21 2004.5.17(後藤) 後藤 改番・観光列車化(キロ47-7005)
キハ47-3017 キハ47-1116 1997.2.15 2003.11.28(後藤)
キハ47-3018 キハ47-1124 1997.2.25 2003.12.29(後藤)
キハ47-3019 キハ47-1023 1997.3.21 幡生 広島 2000.3.23(下関) 山口
キハ47-3020 キハ47-1104 1997.1.24 山口 2005.6.28(下関)
3500番台 キハ47-3501 キハ47-1508 1994.11.15 鷹取 広島 2000.2.9(下関)
キハ47-3502 キハ47-1506 1996.12.27 幡生 山口 1999.7.30(下関)

キハ41形(2000番台)

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キハ41 2002 増設運転台側(左後方は増設トイレ)
キハ41 2003 既設運転台側、播但線、長谷 - 生野間、2010年

1998年の播但線電化に際し、同線のうち非電化で残る寺前 - 和田山間の単行運転用としてキハ47形1000番台に運転台を増設して両運転台化したもの。5両を鷹取工場で改造して福知山電車区豊岡支所に配置し、播但線内や山陰本線豊岡 - 鳥取間で単行もしくは2両編成で運用している。

増設運転台は種車の車体に新造の切妻前面構体を接合しており、既設運転台と灯具類の設置位置や運転室内配置を揃えた特徴的なものとなっている。増設運転台直後にトイレと水タンクを増設しており、2000番台に付番されている。

改造後、2002年から2005年にかけて全車に体質改善工事を実施した他、車体塗装も朱色5号となった。その後キハ41 2001は方向転換が行われ、増設運転台が豊岡方に向くようになった。

車両形式 車両番号 種車 竣工 改造所 初期配置 体質改善工事(改造所) 現行配置・処遇 備考
キハ41形 キハ41-2001 キハ47-1010 1998.4.30 鷹取 福知山 2006.1.24(後藤) 豊岡
キハ41-2002 キハ47-1009 1998.8.28 後藤 2005.8.17(後藤)
キハ41-2003 キハ47-1024 1998.11.30 2002.10.17(下関)
キハ41-2004 キハ47-1039 1999.1.6 2004.8.5(後藤)
キハ41-2005 キハ47-1105 1999.3.30 2005.3.30(金沢)

JR四国の改造車

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簡易電気検測車化改造

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四国旅客鉄道(JR四国)は、JR北海道・JR九州と同様に電気検測車を保有しておらず、JR西日本からキヤ191系検測車を借り入れて自社線の信号設備等の検測を行っていた。この検測作業をある程度自社の車両等で行い、借り入れ費用を節減する目的で、1988年にキハ40 2147に検測機器を搭載し、簡易電気検測車に改造した[50]

改造により、車両両端に踏切制御子測定用受電器を、後位側台車にATS地上子測定用車上子をそれぞれ取り付け[50]、車内には測定・記録機器が搭載された。客室設備に変更はなく、営業列車に使用しながらJR四国の各線の信号・踏切機器等の検測を行った。

電気式気動車改造試験

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2020年7月18日には、既存の気動車を電気式気動車に改造すべく中村自工が開発したディーゼルパワーユニットの構内走行試験が多度津工場で行われ、テストヘッドとして前年に廃車されたキハ40 2146が用いられた[51]

JR九州の改造車

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キハ140形・キハ147形

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篠栗線などのスピードアップ用に機関を換装して出力増強を図ったものである[52][53]。1990年から1993年(平成5年)にかけてキハ40形2000番台9両、キハ47形0番台17両・1000番台13両の計30両が改造された。これに合わせて形式をキハ140形キハ147形に改めた[52][53][54]。両形式を総称した俗称としてキハ140系ともいう。なお車両番号は原番のままである。

1990年に改造したキハ47形7両には新潟鐵工所製のDMF13HZA、4両には神鋼造機製のDMF14HZを試用した[52]。キハ140形と、1991年以降のキハ147形にはコマツ製のSA6D125-HD1(いずれも360 PS / 2,000 rpm)を搭載した[53]。また、変速機は新潟・コマツ製機関搭載車には新潟コンバータ製DW14系が、神鋼製機関搭載車には同社製のSCR1.0-4が搭載された[52][53]。いずれも変速1段・直結2段となっている[52][53]。台車は1軸駆動のままであるため、空転抑制のため空転検出装置が取り付けられている[52][53]。 なお、神鋼造機製の機関を搭載した車両は、のちにコマツ製機関および新潟製変速機に再換装された。

  • キハ40 2039 - 2041・2061・2062・2067・2125・2127 → キハ140(同番)
  • キハ47 49・50・53・54・58・59・61・90・91・104 - 107・182 - 185・1030・1032・1033・1043 - 1045・1055・1057・1058・1068・1069・1081・1125 → キハ147(同番)

2004年には、観光列車「はやとの風」および「いさぶろう」・「しんぺい」に使用するための車両が本形式から改造されている。

キハ40形7000番台・キハ47形5000・6000番台

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機関換装ではなく改造により1997年に出力増強を図った車両を改番したものである[55]キハ40形2000番台2両とキハ47形0番台4両、1000番台4両の計10両が改造された[55]。番号は原番に5000を加えたものとされた[55]。なお、キハ40 7056は1992年に既に改造を実施していたものの未改番であったが、この機会に改番が実施されたものである[55]

既設のDMF15HSAに対し、吸気系について過給器の交換による能力向上、燃料供給系について燃料噴射ポンプの交換による噴射量の増大と燃料制御装置の機械式から電気式への交換、調時系について進角時期の変更が行われ、機関形式はDMF15HSA-Pに変更された[55][注 35]。この改造では、過給空気圧・吸入空気量を高め、燃料噴射量を増大することにより、機関出力を300 PS / 2,000 rpmに増強している[55]。燃料消費率は最大で15%改善された[55]。変速機は引き続きDW10を使用しており変更はない[55]。機関出力の増加により、登坂・加速性能が従来よりも向上した。改造はこの時の10両に留まった。

この改造を受けたキハ47は、鹿児島総合車両所へ集中配置となり、5000・6000番台車同士で2両編成を組んで、キハ47未改造車+キハ147の編成と共通運用で宮崎 - 西鹿児島 - 枕崎間の運用に充当され、電化区間乗り入れ時の運行ダイヤの改善や指宿枕崎線の高速化等の輸送改善が図られた[55][56]。キハ40は、先行改造車は筑豊地区で、1997年改造車は鹿児島地区で使用された。

1999年度から性能向上策が新型機関への換装工事に移行したこともあり、本番台も2006年度から8000・9000番台へ再改造されている。

  • キハ40 2052・2056 → 7052・7056
  • キハ47 51・57・77・126・1046・1050・1097・1098 → 5051・5057・5077・5126・6046・6050・6097・6098

キハ40形8000・8500番台・キハ47形8000・9000・9500番台

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国鉄キハ40形気動車 キハ40-8052 走行音 (筑豊本線筑前山家-原田間、2023年7月21日)

1999年からコマツ製SA6D125H-1Aに、2004年以降は排気ガス対策を強化したSA6D125HE-1(出力はいずれも300 PS / 2,000 rpmに調整)に機関換装された。変速機は新潟コンバータ製TACN22-1612A(変速1段・直結2段)とした。しかし、キハ40 8103・8126の2両はコマツ製KTF3335A(変速2段・直結3段 自動式)を搭載している。

2006年4月時点では、キハ40形10両とキハ47形0番台14両、500番台1両、1000番台10両、1500番台1両の計36両が改造された。番号はキハ40形に6000を、キハ47形に8000を原番に加えたものに変更されている。2005年に寒地向けキハ47形500番台、1500番台を改造した8500番台・9500番台は、同年度中に全車が3500番台・4500番台に再改造された。

2004年には「いさぶろう」・「しんぺい」用の、2006年には「はやとの風」用の増備車が改造され、本グループに編入されている。2017年にはキハ47 8087および9051に対し「かわせみ やませみ」用の改造を行った。

8000番台の一部は、機関交換と同時にトイレ用の水タンクを小型化して床下に移設し臭気抜き・換気装置を設置、不要となった屋根上のタンクを撤去し同時にトイレの窓も埋められている。

  • キハ40 2038・2050・2051・7052・2054・7056・2060・2063・2064・2065・2069・2097・2098・2099 - 2104・2126・2128 → 8038・8050・8051・8052・8054・8056・8063・8064・8069・8097・8098・8099 - 8104・8126・8128
  • キハ47 5051・52・55・56・60・62・70・72・5077・87・88・89・92・119・120・121・123・124・129・133・135・157・159・509・1031・1041・1042・1048・1051・1072・1073・1074・1075・1077・1082・1084・6097・6098・1126・1509 → 8051・8052・8055・8056・8060(指宿のたまて箱仕様)・8062・8070・8072・8077・8087(かわせみ・やませみ仕様)・8088・8089・8092(はやとの風仕様)・8119・8120・8121・8123・8124・8125・8126・8129・8133・8135(西九州リニューアル車[57])・8157・8158(西九州リニューアル車[58])・8159(いさぶろう・しんぺい仕様)・8509(のちに3509に改造)・9031・9041・9042・9046・9048・9049・9050・9051(かわせみ・やませみ仕様)・9072・9073・9074・9075・9077・9078・9079(指宿のたまて箱仕様)・9082(いさぶろう・しんぺい仕様)・9084・9097・9098・9126・9509(のちに4509に改造)

キハ47形3500・4500番台

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寒地形の500番台・1500番台および、その機関換装車である8500番台・9500番台に行われた。従来の一軸駆動を2軸駆動化し、同時に、500番台・1500番台は走行機関がコマツ製、変速機が新潟コンバーター製のものに換装された。これらは8500番台・9500番台と同一のものである。2005年には、500番台と1500番台1両ずつ、8500番台と9500番台1両ずつを改造した。番号は原番車ではプラス3000、再改造車では再改造前の車番からマイナス5000である。現在は佐世保車両センターに全4両が配置されている[注 36]。なお、JR西日本にもキハ47形3500番台が存在するが、これとは無関係であり、番号の重複も発生していない。

  • キハ47 8509・9509 → 3509・4509(2軸駆動化改造、原番マイナス5000)
  • キハ47 510・1510 → 3510・4510(2軸駆動化改造+機関換装、原番プラス3000)[注 37]

西九州エリア普通列車向けリニューアル車

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西九州新幹線の開業に伴い非電化となる長崎本線肥前浜駅 - 諫早駅間を走行する普通列車用にキハ47形8000・9000番台の一部および3500・4500番台の全車から改造された車両。改造に伴う改番は発生しておらず、全車が改造前の番号のままである。改造を受けた車両は以下の通り。

  • キハ47 3509・3510・4509・4510[57]
  • キハ47 8076・8129・8135・8158・9031・9041[57][59][60]

改造に際し、外装は沿線の有明海をイメージした青一色に塗装され、車体側面に「朝日を浴びて光輝く波」と、「夕日が波間に沈む」光景をイメージした黄色とオレンジ色の装飾がなされたほか、運用線区の主要地名が表記された[61]。また、キハ47 8076 + 9041[注 38]は他の車両と異なる白一色に塗装され、「Choo Choo 西九州 TRAIN」として佐世保観光名誉大使であるEXILETAKAHIROによってデザインされたラッピング車両となっている[64][60][65]

改造内容は以下のとおりである[66]

  • ステップ部分埋め込みによる段差の縮小
  • 車内行先票設置
  • トイレ内照明のLED化及び洋式化・美装化[67][62]

一方、車内についてはほぼ改造されておらず、リニューアル前の状態を色濃く残しているほか[66]、機器関係の改造は行われていない[62]

佐世保車両センターに配置され[62]、2022年9月23日(「Choo Choo 西九州 TRAIN」のみ10月10日)より、以下の線区で運用されている[61][65]


ジョイフルトレイン・観光列車への改造車

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JR北海道

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「北海道の恵み」シリーズ

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2018年2月に発表された改造車両。沿線活性化を目的とし、北海道の地域(道北道東道南道央)をイメージした外装や、木目の床・木材を使用した背もたれなどが導入されている[68][69]

全4両で、使用車両は以下のとおり。それぞれに名前が付けられている。

  • キハ40 1720「道北 流氷の恵み
  • キハ40 1779「道東 森の恵み
  • キハ40 1809「道南 海の恵み
  • キハ40 1780「道央 花の恵み

「山紫水明」シリーズ

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JR北海道は「北海道の恵み」シリーズの好評を受け、同様にキハ40形の改造により、観光列車として運行可能な車両2両を導入することとなった[70][71]

2019年(令和元年)9月には「山明」号を公開[72]。キハ40 1790からの改造車で、外観は広大な大地をイメージした深い緑色となっている[73]。座席には木を用いたほか脱着式のテーブルも取り付けられ[73]、普通列車としての運用時はテーブルを外す[74]

2019年10月には「紫水」号を公開[75][76]。キハ40 1791からの改造車で、外観やモケットの色が「山明」号の緑に対して「紫水」号は紫となっている[76]

JR東日本

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「漫遊」 → 「ふるさと」

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1995年に水戸支社でキハ48 534・548およびキハ40 2138をお座敷車に改造したもので、それぞれキロ48 1・2とキロ40 1に改番され、編成としては「漫遊」と命名された。2000年に仙台支社に転出し、「ふるさと」と改称されている。

キロ48 1には「華 (HANA) 」、キロ48 2には「風 (FU) 」、キロ40 1には「月 (GETSU) 」の愛称が付され、車体はそれぞれ日本の伝統色である緑・紫・紅を基本色とし、その下部に金色を配して華やかさを演出している。改造当初はグリーン車であったが、2003年4月に普通車に変更され、キハ40 2501とキハ48 2501・2502に改番され、新番台2500番台が成立した。

2016年8月28日の団体臨時列車(団体列車)をもって運用を離脱し[77]、同年9月7日付で廃車された[78]

「リゾートしらかみ」

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1997年3月の秋田新幹線開業に伴い、1990年から五能線で運転されていた50系客車による眺望列車「ノスタルジックビュートレイン」に代わる観光列車として「リゾートしらかみ」(秋田 - 弘前・青森間)が新たに設定され、本形式が改造されて導入された。

「リゾートしらかみ 青池編成」 → 「クルージングトレイン」
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当初は名称が存在しなかったが、2003年の「橅編成」の登場に伴い、「青池編成」と命名された。

キハ48 533・540・1521・1543を改造したもので、いずれも原番のままである。1・4号車の533と540は展望ラウンジ付きの座席車(回転リクライニングシート)、2・3号車の1521と1543は6人または4人用の簡易個室車とし、同時に冷房装置 (AU26J-A×2) を搭載、機関をDMF14HZ (300 PS / 2,000 rpm) に換装している。

外観では、1・4号車の前頭部形状を高運転台・半流線型の非貫通構造に変更し、前照灯をHIDとした。併せて全車の側窓を拡大してブロンズガラスの固定窓とし、眺望を存分に楽しめるように配慮された。この意匠は以降の「リゾートしらかみ」編成およびJR東日本の本系列改造ジョイフルトレインにも継承されている。塗装は白神山地日本海の深青をイメージした塗り分けとしている。2006年3月18日のダイヤ改正を前に3両編成に短縮され、抜かれたキハ48 1521は「くまげら編成」に転用された。

東北新幹線全線開業に伴う2010年12月4日のダイヤ改正に合わせ、HB-E300系4両編成1本が導入される[79]ことにより「リゾートしらかみ」から置き換えられた。置き換え後、中間車のキハ48 1543はリゾートしらかみ全編成の4両編成化に伴い「橅編成」用の中間車へ流用されることとなり、残ったキハ48 533・540は2011年(平成23年)に団体列車用の「クルージングトレイン」[80] に改称された。転用後は前面の列車ロゴが変更されている。

老朽化に伴う廃車のため2023年3月をもって引退し[81]、同年9月には秋田総合車両センターで解体されている。

「リゾートしらかみ 橅編成」 → 「あきたクルーズ号」
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2002年(平成14年)12月の東北新幹線八戸延伸に伴って展開された「北東北ディスティネーションキャンペーン」に合わせて登場した増備車である。従来の編成と編成両数や設備が異なり、区別するために「橅編成」と命名された。従来の「青池編成」が4両編成であるのに対して3両で組成されていたが、後の2010年12月のダイヤ改正で旧「青池編成」に連結されていたキハ48 1543を組み込み、4両編成化された。

改造はキハ40形3両を種車として実施されたが、種車が両運転台であるため後位側の運転台を撤去し、その跡にトイレ・洗面所または喫煙室を設置した。これにより形式をキハ48形に変更し、車番を改めた(キハ40 506・507・510 → キハ48 701・702・1701)。外観は「青池」編成の青に対して白神山地の深緑を車体色とした。本編成では客用扉にドアチャイムが設置されている。

本編成は2016年7月15日をもってHB-E300系に置き換えられ、その後は「あきたクルーズ号」として、2018年4月18日より秋田港に寄港するクルーズ客船の乗客専用列車「秋田港クルーズ列車」(秋田 - 秋田港間)として運行を開始した[82][83]。転用に際して、塗装が白と青のツートンカラーに変更された。その後、2020年9月1日付で廃車された[84]。2022年の秋田港クルーズ列車運転再開時は、前述の「クルージングトレイン」を後継に充当したが、同編成も引退した2023年は一般型の車種(GV-E400系)を充てている[85]

「リゾートしらかみ くまげら編成」
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2006年3月18日のダイヤ改正で「リゾートしらかみ」は多彩な観光メニューに対応するため3往復体制となり、これに併せて「くまげら編成」が新たに投入された。

内装と設備は橅編成と同一であり、本編成も客用扉にドアチャイムを設置する。種車は両先頭車がキハ40形で、中間車は旧「青池編成」のキハ48 1521である(キハ40 515・520 → キハ48 703・704)。当初3両編成であったが、2010年12月のダイヤ改正でキハ48 1503を組み込み、4両編成化された。

外観は白地にオレンジ色を基調として、青・緑の帯を入れている。

「びゅうコースター風っこ」

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びゅうコースター風っこ」は、キハ48形をトロッコ気動車に改造した車両で、仙台支社が2000年から運用を開始した。

従来、仙台支社では貨車を改造したトロッコ車両を保有していたが、運転時の入換作業や保安要員の配置など運行コストの問題があったため、置き換え用としてキハ48 547・1541を改造した。改番は実施されておらず、機関をDMF14HZに換装している。

車体側面を大きく開口させ、外気を存分に感じることができるようにするとともに、冬季には寒気対策のために開口部にガラス戸をはめ込んだり、取り付けられたストーブを焚くことができる。また、開口部の下部にはガラス戸を設置し、さらに開放感を高めている。外装は、春から夏に掛けての車窓の自然をイメージした緑(若葉)、青(川・湖)、白(雲)、黄(光)をちりばめた爽やかなものである。車内には、難燃木材を使用した木製座席が設けられ、各ボックスにはテーブルが設置された。天井は骨組みを剥き出しにし、白熱灯を用いてレトロで暖かみのある雰囲気を創り出している。

「きらきらみちのく」 → 「リゾートうみねこ」

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きらきらみちのく」は、2002年12月の東北新幹線八戸駅延伸時に設定された観光列車で、下北・津軽方面への輸送を目的としている。キハ48 1505・1506・1534を改造したが、改番はされていない。ロゴマークと同じ「き・ら・き・らみちのく」と表記されることもあった。

前面と側面の窓は眺望に配慮して拡大し、UVカットガラスの固定式とした。塗色は青森県内各地で開催される「夏祭り」をイメージした赤を基調に窓上をグレー、窓下を白に塗り分けている。機関をDMF14HZ・変速機をDW19-Rに換装し、冷房装置(AU26J-A×2)を屋根上に搭載した。車内は、1・3号車(1505・1506)に2人掛けと1人掛けの回転式リクライニングシートを装備、2人掛けシート設置部は床を100 mmかさ上げしたハイデッキ構造とし、1人掛けシートは眺望に配慮して45度窓側に向けた状態で固定可能であるほか、トイレと洗面所も新設し、客室との間に喫煙室を設置している。2号車 (1534) は座面を畳敷きとしたボックスシートで、背もたれを高くした個室に近い構造となっているほか、前位には、観光用VTRや運転席からの映像を放映することができるモニタを備えた情報コーナーを設けている。

休日を中心に、東北新幹線「はやて」に接続して八戸 - 大湊間で運転されていたが、2010年11月28日に「きらきらみちのく」での運行を終了した。また、釜石線大船渡線の臨時列車でも使用された。その後、「青森デスティネーションキャンペーン」にあわせて、八戸線沿線の海をコンセプトに、上部はさわやかな「空の青」、下部は太平洋の「深い青」、上部と下部の境目に「水平線から昇る太陽(サンライズ)」をイメージした塗装に変更するなどの再改造が行われ、2012年春から八戸線を中心に運行されており、愛称は一般公募により「リゾートうみねこ」となった[86][87]。2020年に運用を終了した。

「うみねこ」 → キハ48形リクライニング車

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「うみねこ」は、東北新幹線八戸駅延伸を機に、八戸線の観光路線としての活性化を図るために導入された列車である。キハ48 555・1549の座席を回転式リクライニングシートに交換し、トイレを洋式に改装して汚物処理装置を装備したが、冷房装置の搭載や機関の換装は行われていない。塗装は、車体中央部を海をイメージした青として本列車のネーミングの元となったウミネコを描き、車端部は太平洋の日の出をイメージした赤として、その間に白と黄のストライプを入れたものとしている。「うみねこ」運行終了に伴って臨時列車に使用されており、JR東日本盛岡支社HPでは「キハ48系リクライニング車」と表記される。2006年5月3日と2007年9月17日には津軽線の臨時快速「終着駅号」として運行されたほか、三陸鉄道北リアス線経由で宮古駅まで乗り入れたこともある。2011年4月から八戸線を走るリゾートトレイン「リゾートうみねこ」の運行開始に伴い、「うみねこ」としての定期運行が終了し、同年9月の全般検査の際に車体中央部のウミネコのイラストと文字が消され、前面のヘッドマークも外された。2012年8月11 - 19日のお盆期間に、盛岡 - 釜石間の快速「ふるさとの風釜石」として運行され、同年10月からは土曜、日曜、多客期および大人の休日クラブパス使用可能日に新青森 - 大湊間で運行していた「リゾートあすなろ下北1号・2号」に代わって、八戸 - 大湊間の臨時快速「まさかり」として運行された。なお、当時大湊線を走行する車両では唯一の非冷房車であった。2014年(平成26年)2月23日に臨時快速「まさかり」の運行が終了し、同年6月1日から走行線区と運転時刻はそのまま、臨時快速「なのはな」となり、7月1日から臨時快速「はまなすベイライン」へと改称した。

2017年11月21日に秋田総合車両センターへ配給輸送され[88]、同年11月22日付で廃車された[89]

「みのり」

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みのり」は、2008年10月から12月にかけて開催された「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン」の一環として、郡山総合車両センターで改造製作された。

2008年10月1日から「リゾートみのり」として仙台 - 新庄間(東北本線陸羽東線経由)で運行を開始した。「みのり」の愛称は一般公募によるもので、陸羽東線のキーワードである「稲穂」=実りある収穫、「温泉」=実りあるひととき、「紅葉」=実りの秋、そして「実り多い旅にしてほしい」という意味が込められている。

東京方先頭1号車からキハ48 550+キハ48 549+キハ48 546の普通車3両編成で、番号は改造前と同一。

2020年に運用を終了し廃車となった。

「越乃Shu*Kura」

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越乃Shu*Kura」は、2014年4 - 6月に開催された「新潟デスティネーションキャンペーン」の一環として、新潟トランシス郡山総合車両センターで改造施工された。

2014年5月2日から「越乃Shu*Kura」として高田 - 十日町間(上越線飯山線経由)で運行を開始した。

キハ48-558+キハ48-1542+キハ40-552の普通車3両編成で、車両番号は改造前と変わっていない。1号車はびゅう旅行商品専用車両となっている。キハ40系列の中で初めて前照灯がLED化され、ATS-P搭載改造を施工した。

JR西日本

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「瀬戸内マリンビュー」

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2005年10月1日から呉線(瀬戸内さざなみ線)広島 - 三原間において観光列車「瀬戸内マリンビュー」が運行されるのに伴い、キハ47形2000・3000番台を改造したもの。キハ47 7001と7002の2両編成で、トイレ付き車とトイレなし車で2両編成を組み1両は指定席車として運用されるが、種車と異なりトイレの有無による番台区分はされておらず通番が付与されている。いずれも改造と同時に体質改善工事を施工している。

前面は方向幕貫通扉が埋め込まれ、船を意識したオールライフブイが飾られている。側面は運転室側の乗降扉が埋められ、ステップもかさ上げされている。指定席車のキハ47 7001は山側の腰掛に海側を向いてソファーシートが採用されるなど、客室仕様も大幅に変更されている。一方、自由席車のキハ47 7002は乗降扉が一箇所となったほかは基本的に従来どおりである。リニューアル工事も含めた改造費用は8,000万円で、呉線沿線の4自治体三原市竹原市東広島市呉市)が全額を負担している。

2012年に宮島口 - 三原間で「清盛マリンビュー」として運転された際には、列車のヘッドマークに「大河ドラマ『平清盛』広島県推進協議会」のキャラクター「ひろしま清盛」のイラストを用い、正面右側(運転士側)のオール・ライフブイの代わりに大しゃもじが飾られるなどの意匠変更が行われた。

宮島口 - 尾道間で2020年秋より運行開始する新たな観光列車『etSETOra』(エトセトラ)への再改造に伴い、2019年12月22日をもって運行を終了した。[90][91]

  • キハ47 2011・3002 → キハ47 7001・7002

「みすゞ潮彩」

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2007年7月1日から山陰本線新下関 - 仙崎間で運行された観光列車「みすゞ潮彩」用にキハ47形0・1000番台を改造したもの。外装には列車名にもなった童謡詩人金子みすゞの生きた時代にちなんだアール・デコ調の装飾が施され、側面は、指定席車は運転室側の乗降扉が埋められて三角形や八角形の窓がはめ込まれ、海側の窓配置が大幅に変わった一方で、自由席車は海側・山側とも従来どおりである。

指定席車の内装は全席海側を向いた座席となり、客室も大幅に変更されている。一方、自由席車は一般的なキハ47形のリニューアル車の内装とほぼ同じであるが、トイレが洋式に改造されている。改造費用の8,000万円は山陰本線沿線の自治体である下関市長門市が負担した。車番は「瀬戸内マリンビュー」の続番であるが、こちらは前面の貫通扉が存置され一般車との連結も可能である。

「みすゞ潮彩」は2017年1月29日に運行を終了し、「○○のはなし」に再改造された。

  • キハ47 1107・46 → キハ47 7003・7004

「天空の城 竹田城跡号」

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2014年4月26日、「天空の城 竹田城跡号」ラッピング列車として運行を開始した[92]。当初は改造のない単なるラッピング車両だったが、床を木目調として窓向きの座席を配置し、観光情報を映すモニターを設置するなどのリニューアルが行われ、2015年3月20日より運行を開始している[93]

2019年5月6日に「天空の城 竹田城跡号」としての運行が終了し[94]、新たな観光列車「うみやまむすび」としてリニューアルされることが発表された[95]

「花嫁のれん」

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2014年7月7日、キハ48形2両を改造し、七尾線観光特急列車「花嫁のれん」として2015年10月から運行されることが発表され[96][97]、同年10月3日から運行を開始した。車種はキハ48 4とキハ48 1004で[98]、落成は2015年8月26日である。特急用車両であるが、台車そのものは従来のDT22/TR51系のままで、最高速度も従来と変わらず95 km/hである。

「ベル・モンターニュ・エ・メール」

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2015年1月22日、キハ40形1両を改造して城端線氷見線にコンセプト列車として北陸デスティネーションキャンペーンまでに運行を開始することが発表され、同年10月10日から運行を開始した[99]。列車名は「ベル・モンターニュ・エ・メール」(愛称:べるもんた)となった[100]、車種はキハ40 2027で、落成は2015年9月10日である。

「ノスタルジー」

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キハ47 47・1036を改造した車両。「郷愁」をテーマに、座席を青いモケットとするなど国鉄時代をイメージした内外装に改装している。また、栓抜きの取り付けや窓向きの座席を設置するなど観光列車向けの設備とする改造もなされている。

2016年の登場当初の外装色は国鉄一般色を模したものとなっていたが、2020年に国鉄急行色を模したものに変更された。

2016年から津山線の定期普通列車で使用されているほか、臨時快速「みまさかノスタルジー」としても運用される。

なお、後にキハ40 2134も同色に塗装変更されているが、キハ47形と異なり車内の改造はなされていない。またキハ47形の国鉄急行色化以降も、キハ40形については国鉄一般色のまま運用されている。

「○○のはなし」

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キハ47 7003・7004は2017年1月29日に「みすゞ潮彩」の運行が終了したのち再改造され、同年8月5日から新下関 - 東萩間を運行する新たな観光列車「○○のはなし」の運行に使用されている[101]。1号車(元自由席車)も2+1列の大型テーブル付きボックスシートに改められて指定席化され、海側の窓が大型化されている。2号車(元指定席車)は座席配置等に大きな変更はないものの、売店スペースがオープンカウンターになり、全体的に木目を強調したデザインに改められている。

2024年1月13日から同年3月3日までの土曜・日曜・祝日に山口線新山口-津和野間で1日1往復の運行を予定している。車内では週ごとに沿線の魅力に関する「はなし」をするイベントを実施する(下りのみ)[102]

「あめつち」

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2017年8月17日に「山陰デスティネーションキャンペーン(山陰DC)」(2018年7月から同年9月に開催)に合わせ、キハ47形2両編成の観光列車「あめつち」が発表された[103][104]。2018年2月28日に詳細デザインが発表され、デザインに映画監督の錦織良成島根県出雲市出身)・スタジオジブリのアニメーション美術監督である吉田昇(島根県松江市出身)が協力している。2018年7月1日に運行開始した[105][106][107]。車種はキロ47 7005とキロ47 7006で、番号の新旧対照は下記のとおりである。

キハ47 3016・2010 → キロ47 7005・7006

「うみやまむすび」

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元「天空の城 竹田城跡号」のキハ40 2007を改造した「うみやまむすび」は宝箱をイメージしたデザインの車両で、2019年より城崎温泉駅を中心に普通列車として運行されている[108][109]。車内は2人掛けの転換クロスシートと窓向きの3人掛けカウンター席があり、全席自由席となっている。

「etSETOra」

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etSETOra」は「瀬戸内マリンビュー」からの再改造車で、2020年10月3日より運行開始。全車グリーン車指定席に改造され、車番は「キロ47-7001+キロ47-7002」となった。車内にはバーカウンターや窓と並行の座席が設置。景色を楽しめられる構造となった。また、トイレはバリアフリー化された。

  • キハ47 7001・7002→キロ47 7001+キロ47 7002

「SAKU美SAKU楽」

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2022年3月17日、キハ40形1両を改造し、「岡山デスティネーションキャンペーン(岡山DC)」(2022年7月から同年9月に開催)で、同年7月より運行を開始すると発表された[110][111]。種車はキハ40 2049で、改造工事は後藤総合車両所にて行われ、6月12日に岡山気動車区まで配給輸送され[112]、同月14・15日の2日間でラッピングが施工された[113][114]

また、同月23日に津山まなびの鉄道館で車両展示され[115][116]、7月1日から運行を開始した[117][118]

JR四国

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「伊予灘ものがたり」

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キハ47 501・1501を、2014年7月に予讃線で運行を開始した「伊予灘ものがたり」用に改造してキロ47 1401とキロ47 1402としたもの。種車は2両とも2011年3月31日付で廃車された[119]後、多度津工場で保管されていたが、車籍が復活した。2021年末に老朽化に伴い運行を終了し、2022年6月30日付で廃車された[120]。後継車の2代目「伊予灘ものがたり」はキハ185系の改造車である。

JR九州

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「はやとの風」

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2004年の九州新幹線(鹿児島ルート)部分開業に伴い新設された観光特急「はやとの風」用に、キハ140 2066とキハ147 1045の2両を改造した。車体中央部の窓を床面から屋根にまで達する大きなものに取り替えて展望スペースを設けたほか、座席を回転式リクライニングシートに交換、内装には難燃性の木材を使用している。塗装はロイヤルブラック1色とされ、各所にロゴをちりばめている。その後、「指宿のたまて箱」用改造車と同じく、上下振動の抑制を図るため、台車の枕ばねに減衰力制御弁付きの可変減衰上下動ダンパを、車体に4つの加速度センサーと制御装置をそれぞれ搭載した[121] が、台車そのものは従来のDT22/TR51系(コイルバネ台車)のままで、最高速度も従来と変わらず95 km/hである。

2006年には追加でキハ47 8092が改造され、キハ147 1045を方向転換したうえで同車と2両編成を組むようになり、キハ140 2066は多客時の増結用となった。なお、キハ47 8092は指定席用で、内装も従来車に比べて明るい白木仕上げに変更されている。

2012年3月にはキハ140 2066が「指宿のたまて箱」仕様に再改造され、同列車の増結用ならびに両列車の共通予備車となった[122]

2022年3月21日をもって「はやとの風」としての運行を終了し、「ふたつ星4047」に再改造された[123]

「いさぶろう・しんぺい」

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九州新幹線部分開業に伴い、肥薩線で運転されていた観光列車「いさぶろう」・「しんぺい」に使用するため、キハ140 2125を改造したもの。外板塗色は九州新幹線の800系つばめ」にも使用している古代漆色(深赤)で、座席は木製ベンチ風のボックスシートとしている。また、車体中央部に窓を拡大した展望スペースが設けられているのは「はやとの風」用車両と同じ。尾灯の脇に前照灯を増設している。その後10月には多客時の増結用としてキハ47 9082が追加で改造された。しかし、こちらは窓の拡大がされていない。2009年7月には「いさぶろう」「しんぺい」を3両編成で運転するためキハ47 8159にも同様の改造を行った。同車にはバリアフリー対応トイレの設置、車椅子スペースの設置が追加で行われている[124]。キハ140 2125については「かわせみ やませみ」との共通予備車であったが、2022年に「ふたつ星4047」へ改造された。

2017年11月3日、肥薩線坂本 - 葉木間の踏切でトレーラーとの衝突事故が発生し、キハ140 2125が損傷を受けた[125]

2023年10月4日の団体臨時列車を最後に「いさぶろう・しんぺい」としての運行を終了し[126][127]、「かんぱち・いちろく」に再改造された[128][129][130][131]

「指宿のたまて箱」

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2011年の九州新幹線鹿児島ルート全線開通に伴い設定された指宿枕崎線の観光特急列車「指宿のたまて箱」用で、キハ47 8060とキハ47 9079の2両が改造されている。外部塗装は海側(下り方向に向かって左側)側面と前面の海側半分が白色、山側(下り方向に向かって右側)側面と前面の山側半分が黒色としている。車内は回転式リクライニングシートで、一部は窓側を向いた1人掛けで、書棚やベビーサークルなども設置されている。また、沿線の浦島太郎伝説にちなみ、ドアが開いた際には玉手箱の煙に見立てたミストが連結面寄りの噴出口から噴射される[132]。また、レールの継目部の落込みである継目落ちにより発生する上下振動を低減するため、減衰力制御弁付きの可変減衰上下動ダンパを台車の枕ばね(コイルばね)に平行して取り付けられていた従来の上下動オイルダンパに代えて装備し、車体に搭載した4つの加速度センサーと制御装置により、検知した上下振動加速度を元に減衰力指令値を計算して、可変減衰上下動ダンパの減衰力を可変させることで上下振動の抑制を図っている[121][注 39]

2012年3月には、「はやとの風」用だったキハ140 2066が、再改造のうえ「指宿のたまて箱」用の増結車となった[122]

「かわせみ やませみ」

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2017年3月4日に運行を開始した、肥薩線観光特急「かわせみ やませみ」用に、キハ47 8087および、キハ47 9051を改造した[133]。 人吉駅側の1号車(キハ47 8087)は青を基調とした「かわせみ」車両、熊本駅側の2号車(キハ47 9051)は緑を基調とした「やませみ」車両で、車内には885系にも使用されている座席を使った回転リクライニングクロスシートや、景色を眺められるカウンター席と子ども椅子、複数人でも楽しめるようにボックスシートが設置されている[133]。また、2号車には通常の座席よりも幅の広い「やませみベンチシート」やソファー席も設置されている[133]。2号車の熊本側にビュッフェ(サービスコーナー)が、1号車の人吉側に多目的トイレと展望コーナーが設置されている[133]。このほか、前照灯が増設され、ドアが片側2箇所から1箇所に削減されたり、車端部にオブジェを設置するなどの改造が行われた[133] が、車番は変更されていない。

「或る列車」

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2015年8月8日に運行開始した「或る列車」に使用される車両で、2012年にJR四国から譲渡された元徳島運転所所属のキハ47 176・1505(いずれも2011年4月30日廃車)を小倉総合車両センターで改造したもので[134]、形式車番はそれぞれキロシ47 9176・3505となり[134]、キハ40系列で初めて(食堂車)となった。なお、「キロシ」の形式記号は国鉄時代を通じても初の形式記号である。列車は9176が1号車[135]、3505が2号車である[136]。2両とも種車が廃車車両であるため、2015年7月18日付で新製扱いで車籍復活している[137]。配置は長崎支社長崎鉄道事業部佐世保車両センターで、同支社では2002年までに他地区へ転属して配置がなくなって以来、久々にキハ40系が配置された。

世界的に著名な鉄道模型愛好家の原信太郎が製作した模型をベースに、原の次男で原鉄道模型博物館副館長である原健人の監修のもと、水戸岡鋭治がデザイン・設計を担当している[138]。改造費用は1両約3億円[139]、2両計で約6億円で[140]九州旅客鉄道(JR九州)の社長・青柳俊彦は「ななつ星とほぼ同じ」と[140]、水戸岡は「ちょっとお金を使いすぎてしまった」[141] と発言しており、「指宿のたまて箱」用の車両の改装費用[注 40]と比べても高額となった[140][141]いっぽうで台車等は古い形式のものを使用している。

車両前面の列車種別表示器上に前照灯を追加し[142]、乗降扉は各車2箇所から、キロシ47 9176は前位側に1箇所、キロシ47 3505は後位側1箇所に変更し[143]、側面には車外スピーカーを増設した。エンジンはコマツ製SA6D125HE-1に換装され[135]、クラッチも交換された。最高速度は走行装置の制限のため95km/hのままで変更はない。そのほかの各車の改造内容は以下のとおり。

  • キハ47 176 → キロシ47 9176
大分方1号車[135]。定員22人[139]。トイレ撤去[135]。台車はペデスタル式軸箱案内に2列のコイルばねをもつ古典的な揺れ枕機構のDT22・TR51であるが、枕ばねに減衰力制御弁付きの可変減衰上下動ダンパを、車体に4つの加速度センサーと制御装置を搭載し乗り心地を改善している。
  • キハ47 1505 → キロシ47 3505
日田方2号車[136]。定員18名[143]。トイレ設置[136]。台車は空気ばねを持つDT44A形・TR227A形を改造したもので、キロシ47 9176とは形式が異なっている。

「ふたつ星4047」

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2022年9月23日に運行開始した「ふたつ星4047」に使用される車両で、前述の「はやとの風」の2両(キハ47 8092・キハ147 1045)と「いさぶろう」・「しんぺい」の1両(キハ140 2125)を組み合わせた3両編成である。車番は3両とも「4047」に改められている。

「かんぱち・いちろく」

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2024年4月26日に運行開始した「かんぱち」・「いちろく」に使用される車両で、「いさぶろう・しんぺい」の2両(キハ47 8159・キハ47 9082)とキハ125形1両を組み合わせた3両編成である。3両全ての形式名が2R形に改められ、全車がグリーン車に格上げされている。

会社別概況

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国鉄時代

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キハ40系は1977年より888両が製造され、北海道から九州までの各地に投入された。最初の投入は1977年2月の北海道用キハ40形、および福知山地区の山陰本線京都口用キハ47形であった[144]。キハ48形の投入は1979年からである[144]

1987年の民営化では、1983年に指宿枕崎線の脱線事故で事故廃車となったキハ40 2055を除く887両が全旅客鉄道6社へ承継された。

JR北海道

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JR北海道には、キハ40形100番台150両とキハ48形7両(300番台4両・1300番台3両)の計157両が承継された[145]。全車が酷寒地形で、キハ47形は国鉄時代から配置されていない。

キハ48 301 - 303を除くすべての車両には、ワンマン運転対応・機関換装・冷房装置搭載など、線区の事情に応じた改造が実施され、改番が行われた。キハ400形・キハ480形を除く各車共通の改造点としては、電磁ブレーキ制御用のKE67形ジャンパ連結器の撤去と、ワンマン運転時および客用扉の半自動扱い時に共通で使用する、KE67形ジャンパ連結器の増設[注 41] が挙げられる。

なお、老朽化した本系列の置き換えとしてH100形が2020年(令和2年)3月から順次道内各線区で営業運転を開始しており、本系列の淘汰が進められている。観光用車両を除き2025年3月までに運用を終了する(予定)。

JR東日本

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JR東日本には、キハ40形117両(500番台92両・1000番台7両・2000番台18両)・キハ47形28両(0番台3両・500番台12両・1000番台2両・1500番台11両)・キハ48形74両(500番台41両・1500番台33両)の計219両が承継された[146]

民営化後の高出力車キハ100系・110系導入により、収容力は大きいが機関出力の小さいキハ40系気動車は比較的平坦でワンマン運転に適さない線区に配置されている。他社に比べて数は少ないが、線区の事情に応じたワンマン運転対応工事や座席の変更の他、冷房装置の搭載、機関の直噴化改造や換装も実施されている。秋田地区の男鹿線用車と新潟地区の羽越・磐越西線で運用される車両には、更新時に混雑対策としてロングシート化とデッキ仕切りの撤去も実施された。なお、秋田車両センター(現・秋田総合車両センター南秋田センター)のキハ40形にはデッキの仕切りがある車両とない車両が混在している。

八戸線で運用されていたキハ40 516 - 518キハ48 539・556 - 559は(垂れ流し)トイレが撤去され、器材室に変更され、ドアに「器材室」「トイレは他の車両です」と表示されていた。形式もしくは番号の変更を伴う改造は、前述のキハ40形1000番台2両とジョイフルトレイン・観光列車への改造にともなう8両のみである。

同社では2006年4月までにキハ40形13両とキハ48形2両の計15両が余剰により廃車となっている。2002年に廃車されたキハ40 511は会津鉄道に譲渡の上で展望気動車「風覧望(ふうらんぼう)」(AT-400形401)に改造され、本系列初の譲渡例となった。

2011年3月11日の東日本大震災による津波により、キハ48 502・1512(石巻線女川駅停車中の1639D)[147]、キハ48 552・1544(気仙沼線松岩 - 最知間の2942D)[147] が流出し大破、廃車になっている[148]

また、女川駅隣接の温泉施設「ゆぽっぽ」に1両(旧キハ40 519)が保存され、車内を畳敷きとした上で休憩室として利用されていたが、こちらも津波で流され大破している[149]

製造から40年が経過して老朽化が顕著になったことから、2017年(平成29年)から新型車両の導入で本格的な淘汰が進められ、ジョイフルトレイン以外の車両は2021年3月をもって全車運用を終了している。

JR東海

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JR東海には、キハ40形14両(500番台2両・2000番台12両)、キハ47形5両(0番台2両・1000番台3両)、キハ48形40両(0番台3両・500番台18両・1000番台2両・1500番台17両)の計59両が承継された[150]

冷房装置の搭載は1988年に試験的に実施した後、1990年度からは床下搭載型のAU27形とAU28形によって本格的に実施され、1991年度に全車の改造を完了した。

車体の塗色は1990年頃まで国鉄色である首都圏色(朱色5号)であったが、1990年頃から順次アイボリー地に湘南色(緑とオレンジ)のラインを入れたJR東海色に塗り替えられた。2011年からキハ40 3005・キハ40 6309・キハ48 3812・キハ48 6812・キハ48 6502の5両は旧国鉄一般形気動車標準色風の塗色になった[47]。最終配置はキハ40 6309のみ美濃太田車両区で、残りの4両は伊勢車両区である。

機関換装は1989年以降に少数に実施した後、1997年度からは本格的に実施され、1999年度までに全車の施工を完了した。なお、機関換装にあわせて全車を改番している。

ワンマン運転対応は、1991年のJR東海交通事業城北線開業に伴い同線用に貸し出されたキハ40 2057・2112に実施された後、翌年には武豊線のワンマン化に伴いキハ48形にも実施され、その後ワンマン運転線区の拡大により全所属車の半数以上が改造されたが、キハ47形はワンマン運転対応されなかった。

キハ48 5803と6810は2004年の台風23号による高山本線の線路被害のため打保駅で2年以上孤立したが、搬出されて運用に復帰したもので、車内には「高山本線復帰車両」のプレートが取り付けられた。

2015年の武豊線直流電化に伴い、同線のキハ25形およびキハ75形を「主に高山線・太多線に転用する」と発表され、順次置き換えられた[151]。その後、2013年3月には、2014年度から2015年度にかけてキハ25形の2次車52両を投入し、国鉄時代に製造された当系列を置き換える方針を発表した[152]。太多線の運用はキハ11形とともに2015年3月に、高山本線の運用も2015年6月で終了した[153][154]

また、伊勢車両区での検査期限切れ間近な車両との入れ替えのため、2014年12月4日付で美濃太田車両区からキハ48形2両(3812・6809)が、2015年3月21日付で同2両(3809・6810)が転属した[155]。また、キハ40 5501、キハ48 6501・6812(国鉄一般形気動車標準色)が7月4日に回送され[156]7月6日付で転属した。これにより、2015年7月にキハ40 3005、キハ48 3812・6812の国鉄一般形気動車標準色3両での運転も行われた[157]

2016年3月26日のダイヤ改正にて運用が終了し[158][159]、2016年3月30日をもって全廃となった[137][注 42]。置き換えられた車両は、ミャンマーへ譲渡された[137][160][161]

2015年3月23日にキハ47・48形の7両(キハ47 5001・5002・6001・6003、キハ48 3814・5511・5513)が名古屋臨海鉄道東港へ回送された[162]。さらに、7月7日にはキハ40 6308・6312、キハ48 5501・5508・5804の5両[163] が、7月27日にはキハ40 5802・6307、キハ48 5803・5806・6808の5両が[164]7月29日には、キハ40 6309、キハ48 3815・5810・6517・6815の5両が笠寺に回送され、同日中に東港東名古屋港を経て、名古屋港大江埠頭に搬送された[165]。この他にも譲渡が行われ、2015年度にはキハ40系46両がミャンマーへ譲渡されている。

JR西日本

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JR西日本には、キハ40形63両(すべて2000番台)、キハ47形189両(0番台108両・500番台3両・1000番台75両・1500番台3両)、キハ48形5両(0番台3両・1000番台2両)の計257両が承継された[166]。これはJR旅客鉄道会社の中で最大である。

2023年現在は252両が所属している。JR西日本が保有する一般形気動車の半分以上が本系列で占められているが、現在も置き換え計画はなく、後継のキハ120形とともに中国・北陸地方の非電化区間の主力として活躍している。

形式と番台の変更を伴う改造は、キハ40形・キハ47形の座席のロングシート化による改番とキハ47形の両運転台化によるキハ41形への改形式、イベント用列車への改造に伴うもののみであるが、1989年度からキハ40形の全車とキハ47形の大半にワンマン運転対応化改造が実施されている。また、全車両に体質改善工事が施工されたため、外観に変化が見られる。

また、広島支社(下関総合車両所)配属の車両については側面中央上部にLED式の行先表示器の増設が行われ、板式の行先標の使用を終了している。民営化に前後して様々な地域色が登場したが、2009年からは塗装工程の簡略化のため、朱色5号への塗装変更が進められ、一般車の地域色は見られなくなった[167]

近年では、岡山地区の車両を中心に、前照灯のLED化改造が実施されている。

JR四国

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JR四国には、キハ40形(2000番台)11両とキハ47形42両(0番台19両・500番台5両・1000番台13両・1500番台5両)の計53両が承継された[168]。JR四国では、「伊予灘ものがたり」用改造車を除いて形式と番号の変更を伴う改造や機関換装は実施されていないが、接客設備の改善として1988年に53両全車に対し冷房装置の設置(機関の熱交換器を撤去してS4F給電用機関を設置し、FTUR-300を2基屋根上に搭載)、1989年にキハ40形全車に対してワンマン運転対応設備の設置、トイレの撤去、旧トイレ部分への他の側窓と同型の2段ユニット窓の新設と屋上水タンクの撤去、1993年までにキハ47形のトイレ下に汚物処理装置の取り付けが実施されている。また、2008年2月から、徳島運転所配置のキハ47形2両の車体色が新製時の首都圏色(朱色5号)に変更されている。

2025年度以降、新たに開発される新型車両への置き換えに伴い、全廃される予定[169]

JR九州

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JR九州には、キハ40形2000番台36両と、キハ47形0番台61両、500番台2両、1000番台41両、1500番台2両の計106両、合わせて142両が承継された[168]。2012年にJR四国で廃車されたキハ47形2両(0番台1両・1500番台1両)を譲り受けている。廃車は、1993年の日豊本線竜ヶ水駅の土石流災害で被災したキハ40形2両のみだったが、2019年より置き換えが開始され、新型車両の導入により改番していない車両の廃車が進んでいる。2023年時点で106両を所有し、九州島内各地で運用されている。

本系列に対して初めて冷房改造が行われたのが九州であった。民営化後も1987年から1989年にかけて全車に対して冷房改造が実施された。国鉄時代はバス用の装置を転用したサブエンジン式のAU34、民営化後はAU34を改良したAU600Kを搭載した。現在は屋根上の通風器が撤去されている。ワンマン改造は、大多数に対し施行済みであるが、線区の事情に応じて内容が異なる。また、機関出力向上は1990年から数種の方法で行われており、それぞれ新形式または新番台区分となった。

運用

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北海道地区

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電化区間の割合が低く、輸送量の少ない区間が多数存在する北海道では、多くの区間で本系列が普通列車の主力として使用される。キハ54形など、他形式を常用する区間でも臨時の運用に用いる例や、電化区間でありながら使用される函館本線・室蘭本線のような事例もある。JR北海道では、電化の有無にかかわらず気動車を運用することで、運用コストの最適化を図っている。

2000年7月14日根室本線尺別駅で発生した脱線転覆事故のため、キハ40 750が2000年7月19日に廃車となった。

2023年(令和5年)11月24日(同25日更新)の北海道新聞電子版で、JR北海道は翌2024年度末でキハ40形の定期運行を廃止する考えである旨が報道された。なお、同記事は観光列車用に改造されたいくつかの車両はその後も残る予定としている[170]

JR北海道では、以下の線区で定期運用がある。

東北地区

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秋田総合車両センター南秋田センター[176][177]

弘前運転区弘前運輸区→現・つがる運輸区)
  • 1977年と1979年にキハ40形24両(501 - 510・527 - 537・551 - 553)を五能線向けに新製配置した。
  • 組織改革と車両基地統合に伴い1987年に秋田運転区、1992年に南秋田運転区へ二度移管されたため現在の配置は0両。
八戸運輸区
 
八戸線のキハ40形(2017年)
  • 1979年から1980年にかけてキハ40形20両(521 - 526・543 - 545・564 - 567)・キハ48形6両 (1505 - 1510) を新製配置し八戸線・東北本線で運行していた。

大湊線

  • 2014年3月15日改正以前はキハ100形の検査時や多客期(大型連休・盆・年末年始など)に運用されていた。

八戸線

盛岡車両センター
  • 1981年にキハ48形8両(555 - 558・1546 - 1549)が新製配置された。1988年春からは釜石線向けにキハ40形2両(523・524)が配置。1991年にキハ110形が配置されると他区へ転属となった。花輪線で運用されたほか、1991年までは釜石線山田線でも、1982年までは田沢湖線でも運用された。
一ノ関運転区
  • 新製での配置はなく、キハ28・58・52・23の検査中の補填として1982年に盛岡から転入してきたキハ48 1549が奔りとなる。最終的に1988年冬にはキハ40形3両 (521 - 523) ・キハ48形8両(536・555・1505・1506・1546 - 1549)の陣容になるが、1991年に新形式のキハ100形0番台に置き換わった。

北上線

  • 後述の大船渡・盛線向けに入線したため、北上線の定期運用への充当は極めて稀だった。一足早く1990年に撤退。

大船渡線盛線大船渡線営業所

  • 普通列車を中心に1991年まで従来の気動車に混ざって運用されていたが、同年3月にキハ100形が投入されると一部の運用が置き換わる。同年11月30日付で最後まで残ったキハ48形4両が八戸へ転出することと併せて運用から撤退した。
小牛田運転区
  • 宮城県を中心に幅広い運用を受け持つため、1978年から1980年にかけて新製されたキハ40形21両(511 - 520・546 - 550・568 - 573)・キハ48形21両(501 - 504・536 - 538・544 - 547・1511 - 1514・1532 - 1535・1540・1541)を民営化に伴って受け継いだJR東日本の一大グループ。1990年からは宇都宮・水戸・高崎の三支所に新製されたキハ40形2000番台10両も一時的ながら配置された。

石巻線陸羽東線

  • 1978年の投入以来、運用を共通化し全線で使用していたが1998年のキハ110系投入とワンマン運転開始に伴って運用区間を大幅に縮小。2015年3月に運用終了した。

陸羽西線

  • 陸羽東線と同じく、1978年の新製当初から快速・普通列車を中心に全線で運用していた。時には山形機関区から左沢色のキハ40を借受けて営業入りしていたこともある。1998年、キハ110系200番台の増備によって撤退。
山形運転区(山形電車区→山形車両センター→現・山形新幹線車両センター) → 新庄運転区
  • 1979年から1981年にかけてキハ40形5両 (538 - 542) ・キハ48形23両(505 - 508・520 - 523・548・552 - 554・1501 - 1504・1520 - 1522・1542 - 1545)が山形機関区に新製投入されたのち、1991年と1993年の置換に伴うもの、1998年の他所からの転入と三度に分けて新庄機関区へすべての車両が移管。豪雪地故に暖地向けのキハ40形2000番台は一度も所属したことがない。

左沢線

  • 1990年のワンマン運転開始に合わせてキハ40 540をはじめとする一部がバケット構造のロングシートに改造されたことが特筆される。1993年のキハ101形導入に伴う運用離脱と併せて、八戸・小牛田・会津若松・秋田にそれぞれ転属となった。

長井線

  • 国鉄時代にはキハ22・キハ58とともに運用入りしていた。第三セクターの山形鉄道へ移管する際に同線から撤退した。
磐越東線営業所(現・郡山総合車両センター郡山派出所
  • 1980年から1981年にかけて新製されたグループを民営化に伴って受け継いだキハ40形7両(559 - 563・580・581)・キハ48形6両(533 - 535・549 - 551)が所属していた。磐越東線向け。

磐越東線

  • 1991年2月12日のキハ110系の導入によって1993年までに定期運用から離脱した。以降は臨時「漫遊」などによる不定期便のみ。郡山車両センターが近いため小牛田所属のキハ40系が試運転のため入線することがある。
郡山総合車両センター会津若松派出所
 
只見線のキハ40形500番台(2018年)
 
キハ48-545 縁結び列車
  • 只見線にキハ40系が投入されたのは1980年からで、1980年2 - 3月にキハ40 559 - 563とキハ48 533 - 535が郡山客貨車区に新製配置されたのが最初である[185]。キハ40系はキハ52形・キハ55系・キハ58系など他形式とも併せて運用され、只見線のほか磐越西線、磐越東線のキハ10系を置き換えた[185]
  • 1982年11月15日上越新幹線開業により、急行「奥只見」と只見線普通列車の各1往復が上越新幹線停車駅となった浦佐駅への乗り入れを開始した[185]。只見線普通列車では郵便・荷物合造車キハユニ26形との併結運用も存在したが、郵便・荷物輸送の廃止に伴って1984年度までに消滅した[185]
  • 只見線列車の浦佐乗り入れは1988年3月のダイヤ改正で廃止となっている[185]。1990年代以降は東北地域本社(後の仙台支社)管内の配置車が白地に緑の濃淡帯を巻く「東北地域本社色」への塗装変更が開始された[186]
  • 1993年12月に陸羽西線などを担当していた新庄運転区から4両(キハ40 - 503・511・513・514)、磐越東線営業所からキハ40形2両(580・581)、小牛田運輸区からキハ48形3両(549・550・551)が転入した。キハ52形も他区所へ転出し、以後はキハ40系のほかキハ58系とともに運用された[186]。キハ58系はのちに両運転台化改造車キハ53形キハ53 201・202も転入している[186]
  • 1999年には陸羽東線・陸羽西線からキハ40系が転入してキハ58系が置き換えられ、只見線普通列車はキハ40系に統一された[186]
  • 2007年に快速「南三陸」がキハ110系に置き換えられ、捻出されたキハ40形2000番台冷房車が小牛田から郡山へ転入した。これにより捻出された郡山のキハ48形3両は「みのり」への改造種車となった[187]。2007年にキハ40形1両 (514) 、キハ48形2両(504・535)が小牛田へ転出し、1993年に当線へ転入したグループが撤退する。会津若松の車両の配置がなくなり、以後は小牛田所属車による運用に移管した。
  • 2011年7月に発生した新潟・福島豪雨による災害の影響により、只見線は会津川口 - 只見間が不通となった[185]。2013年5月に小出 - 只見間が新津運輸区に運用移管され、会津若松口が郡山総合車両センター、小出口が新津運輸区の受け持ちとなった[185]。2015年の仙石東北ライン開業で小牛田区のキハ40形冷房車が会津若松・新津の両区に転入し、只見線は会津若松口、小出口ともに全車が冷房車となった[187]
  • 2019年より会津若松派出所へキハE120系が転入したのに伴い、会津若松口のキハ40系は2020年3月13日に定期運用を離脱した[188]。定期運用終了後の3月21・22日には旅行商品による運転が計画されていたが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響によりいずれも中止された[188]。キハ40 2021・2026は小湊鉄道に譲渡されることになり、2020年5月18日から翌19日にかけて甲種輸送が行われた[188]
  • 小出口のキハ40系も、キハ110系導入に併せて2020年7月11日に運用を離脱した。これによりキハ40系は只見線の定期運用から完全に撤退した。

関東地区

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高崎第一機関区(高崎運転所→現・高崎車両センター高崎支所

足尾線八高線

  • 1980年に高崎地区用としてキハ40形5両(2085 - 2089[189])が高崎第一機関区に新製配置された[190]。主に足尾線で運用されたほか、キハ35系が主体の八高線で運用されることもあった[190]

足尾線は1989年にわたらせ渓谷鐵道へ転換され、八高線でも1991年までにキハ40系が撤退したため、キハ40系の高崎地区での運用はなくなった。キハ40 2087は1991年8月にキハ40 1008へ改造されて烏山線へ転用された[31] ほか、2000番台4両も各地のキハ40系運用線区に転用された。

水戸運転区・水郡線営業所
  • 1979年から1982年にかけてキハ40形10両(2021 - 2026・2138 - 2141)が水戸運転区に新製投入された。水郡線向けで1990年よりご当地色へ塗り変えられる。

水郡線

  • 普通列車を中心にキハ28・58系、キハ45系とともに運用していたが、1990年に担当運輸区が水戸 → 常陸大子に移管に伴いキハ40形7両(2022・2023・2026・2138・2139・2140・2141)が転入した。1991年よりキハ48形が入線すると併せて新型のキハ110系が導入され運用の一部を置換。1993年10月に新潟からキハ110系が転入したため同年12月から定期運用から撤退し配置がなくなる。1994年にキハ48 534・548の2両が、翌1995年にキハ40 503が転入し再び運用を受け持つようになった。
  • 1999年3月に定期運用から再び撤退した。
宇都宮運転所

烏山線

 
キハ40形 烏山色(2007年)
  • キハ40形1000番台の1006以外の8両は改造後宇都宮運転所に所属し、烏山線で使用されていた。塗装はオリジナルの烏山線色であったが、2011年4月15日に開通88周年を迎える烏山線の「烏山線全線開通88周年記念事業」として1003および1007をそれぞれ2010年12月および2011年4月から旧国鉄一般気動車色(朱色4号+クリーム4号、標準色)に塗装変更され、1004および1005はそれぞれ2012年12月および2013年6月から登場時の塗色である旧国鉄首都圏色(朱色5号)に塗装変更された。これらは郡山総合車両センターで施行している[191][192]
  • 2014年から烏山線に量産試作車が導入されていた蓄電池駆動電車であるEV-E301形電車の量産車導入により、烏山線での運用は2017年3月3日をもって終了し、4月5日(1001・1003・1008・1009の4両[193])と5月10日(1002・1004・1005・1007の4両)の2回に分けて郡山総合車両センターに回送され、1009は錦川鉄道[194][195]、1002・1005・1007の3両は那須烏山市の那珂川清流鉄道保存会にそれぞれ譲渡され[196]、その他は全車回送翌日付で廃車[197]
  • 東北に転属した1006は、小牛田運輸区新庄運転区を経て1999年から秋田車両センター→秋田総合車両センター南秋田センターに配置された。奥羽本線男鹿線で使用され、2016年1月に塗色を男鹿線色から首都圏色(朱色5号)に変更。それ以降は「国鉄メーク」気動車として五能線などで使用され[198]、2021年3月12日の同系列運用終了まで運行した。その後、他のキハ40形2000番台2両と共に、小湊鉄道へ譲渡のため7月19日から21日にかけて千葉貨物まで甲種輸送[180][181]されている。

信越地区

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キハ40形 イメージアップ新潟色(2007年)
 
キハ47形 新潟色(2008年)
新津運輸区
長野総合車両センター

飯山線飯山線営業所

  • 1981年に美濃太田よりキハ40形5両 (554 - 558) が転入したのを皮切りに、1982年にはキハ40形2両(593・594)およびキハ48形2両(559・1550)が新製配置され、キハ28形・58形やキハ52形などと共通運用が行われた。1980年代後半には新潟へキハ40形5両 (554 - 558) が転出し、それに代わって新潟からキハ40形5両 (583 - 587) が一時的に転入したが、1988年頃にそれぞれの転出元へ戻っている。これらの車両は他所から転入したキハ28形・58形の冷房改造車と交代し、1992年にそれぞれ八戸、南秋田、弘前へ転属した。その後は他支社の車両が臨時列車として入線している。

しなの鉄道北しなの線(旧信越本線

  • 定期列車では飯山線直通列車の長野 - 豊野間のみ。

小海線小海線営業所)では定期列車での運用実績は存在しないが、小牛田運輸区より借用の車両(びゅうコースター風っこ)を使用した臨時列車での運用実績がある。

中部地区

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高山本線紀勢本線などで使用され、59両がJR東海に継承された。

鈴鹿サーキットでのF1グランプリ開催に伴う臨時列車でも運用実績があり、定期運用では見られない6両編成で運転された。武豊線および東海道本線大府 - 名古屋間での運用は1999年に終了し(同時に旧配置の名古屋車両区から美濃太田車両区と伊勢車両区に転属)、すべてキハ75形に置き換えられた。名松線では1989年のワンマン化以降、基本的に運用されなかった。

2014年4月時点で美濃太田車両区にキハ40形7両・キハ47形5両・キハ48形24両の計36両が、伊勢車両区にキハ40形7両とキハ48形16両の計23両が配属されていたが、2016年3月26日のダイヤ改正にて運用が終了し[158][159]、2016年3月30日にすべて廃車された[137][注 43]

北陸地区

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関西・中国地区

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2020年3月13日までは若桜鉄道若桜線[205]でも運用されていたが、翌14日からはWT3000形WT3300形に統一された[212]

四国地区

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2009年10月の編成両数見直しや1500形の投入によって、2010年3月までに徳島運転所のキハ47形10両(111・116・117・502 - 505・1087・1502・1503)が廃車された。2011年には同6両(115・501・1088・1121・1501・1504)が廃車され、同2両(176・1505)がJR九州に譲渡された。2012年には松山運転所のキハ47形3両(172・175・1119)が、2013年には徳島運転所のキハ47形3両(1085・1089・1112)が、2014年には同2両(1090・1132)が廃車された。2016年3月25日のダイヤ改正翌日には、松山運転所所属の車両は「伊予灘ものがたり」のキロ47形2両を除き、全車徳島運転所に転属された。2016年3月には松山運転所のキハ47形1両 (1117) と徳島運転所のキハ47形2両(1118・1120)が、2018年3月には徳島運転所のキハ47形2両(113・144)がそれぞれ廃車された。2019年3月には徳島運転所のキハ40形1両 (2146) が、2020年1月には徳島運転所のキハ40形1両 (2109) がそれぞれ廃車された。2022年に松山運転所のキロ47形2両が廃車された。2022年4月1日時点では徳島運転所にキハ40形(2000番台)9両とキハ47形11両(0番台10両・1000番台1両)の計20両が配置されている。

以前は牟岐線の阿南以南や鳴門線では車種独占となっていたが、2010年頃以降は新型車両の導入やホーム嵩上げの進行により、運用が減っている。キハ47形はワンマン設備がないことから優先的に廃車となり、現在は朝夕の通勤時間帯中心の運用である。牟岐線の阿南 - 海部間では、2019年3月15日を最後に乗り入れを終了したが、2022年の改正で阿南~桑野間の運用が復活した。また、2011年3月12日から2019年3月15日までは、阿佐海岸鉄道阿佐東線[214]でも運用されていた。

2016年3月25日までは予讃線内子線(松山駅 - 内子駅 - 八幡浜駅間および伊予市駅 - 伊予長浜駅 - 伊予大洲駅間)でも運用されていた。翌26日からは、同区間を走行する本系列は伊予灘線を経由する「伊予灘ものがたり」に使用されるキロ47形のみであったが、2021年度末で運用終了となったため、愛媛県内からは完全に撤退している。

九州地区

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筑豊篠栗鉄道事業部直方車両センター
直方運用・日田彦運用・竹下運用に分かれている。なお直方運用(筑豊本線折尾 - 若松間ほか)は2017年3月3日に、竹下運用(香椎線)は2019年3月15日に、それぞれBEC819系電車に置き換えられて運用を終了した。日田彦運用は2017年の九州北部豪雨の被災および、BRTひこ星ライン開業により久大本線(夜明 - 日田間)での運用が終了した。
日田彦運用
直方車両センターに常駐。
佐賀鉄道事業部唐津車両センター
唐津地区ではキハ125形との混結で運用される場合がある。
長崎支社佐世保車両センター
長崎地区ではキハ66系やキハ200系に置き換えられ(その後これらの形式はYC1系に置き換えられた)、キハ40系の運用はキロシ47形「或る列車」(臨時列車扱い)のみとなっていた。2022年9月23日の西九州新幹線開業以降、長崎本線の電化設備の撤去に伴い、上記区間で運行[221]
熊本支社熊本車両センター
大分支社大分車両センター
YC1系の長崎地区投入に伴うキハ200系の転属に伴い、2021年3月に大分地区での運用を終了した。[226]
鹿児島支社鹿児島車両センター
宮崎支社宮崎車両センター

譲渡車

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日本国内

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会津鉄道

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2002年からJR東日本会津若松運輸区で余剰となっていたキハ40 511を日本宝くじ協会の寄贈による宝くじ号として会津鉄道が譲り受け、新潟トランシスで改造したもので、AT-400形 AT-401として2003年4月に使用開始された。

企画当初には2階建車両も模索されたが、キハ40形からの改造として現実的な一部ハイデッキ構造の展望車となった。同じ新潟トランシスが改造に携わった、JR東日本のキハ40系のジョイフルトレインに通じる雰囲気を持ち、共通の手法や部品も散見される。定員は48名。「風覧望」(ふうらんぼう)の愛称でトロッコ車AT-351(2009年まではAT-301)と2両編成で「お座トロ展望列車」として行楽期を中心に運転されている。

会津若松方となる1エンド側を展望構造に改造しており、戸袋の位置を逆(車端側)にしたうえで客扉を車体中央寄りへ移設、その前位をハイデッキとした。運転台は低い位置に移設され、通路側は上半ガラスのパーティションとなった。前面は2枚の大形平面ガラスで視界を確保しているが、ハイデッキ部はシアターシート(床を階段状にして後方席からの展望を確保する構造)ではなく、1位側には排気管の立ち上がり部がある。

後位は、当初は2人がけの回転リクライニングシート通路両側に配置され[注 44]、若干の立席スペースも設けられていたが、2016年にそれまで連結していたAT-100形お座敷気動車が廃車になったことに伴い、お座敷席に改造された。また、2エンド側の運転台にはほとんど手が入れられておらず、ケースにまとめられた角形の前照灯尾灯が新たに腰部に追加され、上部種別幕が埋められた程度で、本来の前照灯もそのままである。客室窓はすべて大型化、固定化されている。トイレは車椅子対応となり、元の窓は埋め込まれた。

JR東日本所有時に冷房装置(AU26J-A×2)の搭載、屋根上水タンクの撤去などなされているほか、下回りはほぼJR東日本仕様のキハ40形500番台に準ずるが、機関はカミンズ製NH14R形(300 PS / 2,000 rpm、JR東日本DMF14HZ形と同等品)に換装された。機関本来の出力は350 PSだが、液体式変速機がDW9形のままであるため300 PSで使用している。定期運行以外では、導入直後に阿武隈急行に入線したことがあるほか、訓練や貸切運転などでは両運転台構造を生かした単行運転もされている。

運行路線は以下のとおり。運用の詳細はお座トロ展望列車を参照。

道南いさりび鉄道

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2016年3月26日の北海道新幹線開業に伴い江差線が転換された道南いさりび鉄道では、開業時にJR北海道からキハ40形1700番台9両(1793・1796・1798・1799・1807・1810・1812・1814・1815)[230] が譲渡された[231]。うち2両(1793[232]・1799[233])は、貸切列車としても用いられる「ながまれ号」用として、塗装変更と内装の改造が行われた[234] が、他の車両も同社オリジナル塗装への変更が行われている。

錦川鉄道

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2017年3月に烏山線での運用が終了したキハ40形1000番台のうち、キハ40 1009を錦川鉄道が譲り受け、内装をレトロ調に改装し、同年9月16日錦川清流線で運行を開始した[195]。外装はJRマークを始め烏山線時代のものを引き継いでいる。同社のワンマン運転の規則上、本形式で初めてサイドミラーを装着している。

小湊鉄道

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同社の主力車種であるキハ200形は、ほとんどが冷房化されているものの、駆動用機関であるDMH17Cが生産終了になって久しいこと、さらに初期車が2021年には車齢60年に達することから、状態の悪い車両を置き換え、状態の良い車両を今後も継続使用することとした。車両導入にあたってはキハ200形と総括制御できることに加え、下記の4つを条件に候補車が検討された[235]。最終的に4条件すべてを満たす車両が存在し、置き換えの決まっていたJR東日本のキハ40形2000番台を導入することとした。

  • 両運転台車であること
  • 保守性の観点から、キハ200形と同じくDT22系台車を装着していること
  • 同様に保守性の観点から、エンジンが補修部品の流通が少ない原型のDMF15系列ではなく、新しい高出力型[注 45]に更新されていること
  • サブエンジン式ではなく、機関直結式の冷房装置を装備していること

まず2020年3月に只見線での運用が終了したキハ40形のうち、上記の4条件を満たしているキハ40-2021・2026の2両を東北色のまま2020年5月19日に譲り受けた[236][237]。導入に際してはキハ40という形式はそのまま改番、列車無線・車体色の再塗装・社名ロゴの交換が実施され、キハ40 1(旧2021)については、再塗装に際して東北色の色分けラインを踏襲しつつ小湊鉄道標準色に塗り替えられている。また、両車はJR時代の改造で車体中央側面窓下部の方向幕の有無、出入扉の開閉用押しボタンの有無、クロスシートの配置[注 46]などに違いがあったが、小湊鉄道入線後もそのままである[238]。トイレについては小湊鉄道に汚物処理装置の抜き取り設備がないため、使用せず締め切られている[239][注 47]

キハ40 2(旧2026)は2021年4月23日に運行された臨時急行「さと山」でキハ200と連結して使用を開始した[240][241]。キハ40 1(旧2021)は検査の関係で遅れて10月9日と10日に試乗会の団体臨時列車として五井 - 光風台間で運行され、10月16日と17日には小湊鉄道とJTBによる「新塗装キハ40本線デビュー記念ツアー」としてキハ40同士の連結で運行された[242][243][244]

さらに、2021年7月には同年3月で定期運用から離脱していた秋田総合車両センター南秋田センター所属で、上記4条件を満たすキハ40形3両(1006・2018・2019)を譲り受けた。3両は秋田総合車両センターから甲種輸送され[180][181]、先に導入された2両と同様の改造と改番が実施された。塗装についてはキハ40 2と同様に、JR東日本時代から譲渡された際の塗装と同じ色に再塗装されている[注 48]。このうちキハ40 4(旧2019)は2022年5月7日[245][246]に、キハ40 3(旧2019)は5月28日[247]に、それぞれ団体臨時列車「キハ40新塗装ナイトラン さと山号乗車企画」で運行を開始した。

  • キハ40 2021・2026・2018・2019・1006→キハ40 1 - 5

北条鉄道

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列車行き違い設備新設に伴う予備車の不足を解消するために、2021年3月12日をもって運用終了した秋田総合車両センター南秋田センター所属車をJR東日本から譲り受けることを明らかにした[248]。同社は購入に際しクラウドファンディングを活用。2021年9月1日の募集開始時点では目標額300万円だったが、10月29日の終了時点で最終的に1300万円を集めた[249]。譲渡対象となった車両はキハ40 535で、2021年9月18日から19日にかけて、秋田総合車両センターから秋田港へ陸送された後、フェリーで福井県まで海路で運ばれ、陸路で12月12日に北条鉄道に搬入された[250]。運行開始は当初2022年3月13日を予定していた[248][250]が、急遽訓練を実施することとなり3月16日に延期となった[251]。同車両には錦川鉄道同様にサイドミラーが取り付けられている。

日本国外

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ミャンマー国鉄

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JR北海道から譲渡されたキハ40系のうち、キハ40形330番台2両とキハ48形1330番台3両が2014年8月24日からヤンゴン市内の路線で運行されている。 5両編成で冷房も使用している。2013年に竣工したキハ48形のうち、301と302はバゴー - ニャウンカシー間にて運行されている[252]

JR東海は2015年3月27日ミャンマー鉄道省へのキハ40系12両の譲渡[253] を、同年7月22日に41両の譲渡を発表した[254]。ミャンマーに到着後に順次改造工事を実施し、2015年7月以降順次ヤンゴン市内の路線で運行を開始した[255]

JR東日本は2015年7月17日、7月下旬からミャンマー国鉄への車両譲渡と、車両保守に関する技術支援を実施すると発表した[256]。対象はキハ40形13両、キハ48形6両の合計19両[257]で、第一陣の6両は同年8月にヤンゴンに到着し、9月末から同市内で運行されている[258]

運行路線は以下のとおり。

  • ヤンゴン環状線(全線)
  • ヤンゴン - ピィ線(ヤンゴン中央 - ハローガ間)
  • バゴー - モーラミャイン線(バゴー - エイビャ - ニャウンカシー間)
  • マンダレー - ミッチーナー線(マンダレー - カウリン間)
  • マンダレー - モンユワ間
  • マンダレー - パコック間

タイ国鉄

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タイ国鉄はJR北海道から引退したキハ183系気動車を日本から輸入し、2022年に運行を開始した[259]。このキハ183系輸入への反響が大きかったことから、同じく日本からキハ40系を輸入することとなり[260]、2024年3月にキハ40系20両がJR東日本よりタイ国鉄に譲渡された[261]

ベトナム鉄道(計画段階で頓挫)

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ベトナム鉄道は2021年、JR東日本から引退したキハ40系車両37両のベトナムへの輸入許可をファム・ミン・チン首相に申請した[262][263]。ベトナム鉄道は理由として、同鉄道は2021年現在機関車牽引列車のみの運行となっており、気動車の方が機動性や編成組み換えの柔軟性が高いため既存車両よりも運用効率が上がること[263][264]、また新たな車両を製造するよりも安価であること[263]を挙げた。しかし、同国の政令第65号では中古の鉄道車両の客車は使用期間が10年を超えている場合は輸入禁止、使用期間が40年を超えている場合は使用禁止と規定している[265]ことなどから、政府はこの申請に同意しない事を決定[264][265]、本計画は頓挫した。

保存車

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国鉄キハ40系気動車(2代)保存車一覧
画像 番号 所在地 備考
  キハ40 519 宮城県牡鹿郡女川町女川浜字大原
女川駅構内 温泉施設「女川温泉ゆぽっぽ」
※解体済み
同施設で休憩所として使用されていたが、東日本大震災の津波で被災し、解体された。
  キハ40 764 北海道空知郡南富良野町字幾寅
幾寅駅跡
映画『鉄道員(ぽっぽや)』撮影用の改造車。営業運転にも就いていた事があり、キハ12 23(実際のキハ12型が22両製造されたことに因む架空の番号)として運用されていた。

廃車後ロケ地である同駅にカットボディが保存されている。

キハ40 1002
キハ40 1005
キハ40 1007
栃木県那須烏山市白久218-1
那珂川清流鉄道保存会

脚注

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注釈

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  1. ^ これらの新世代気動車で採用された技術の多くを流用しているものの、機関の気筒数(排気量定格出力)が半減されたため、変速機や駆動軸数は異なる(後述)。
  2. ^ 優等列車向けに導入されたが、車齢が高いことと冷房化改造が困難なこと。から1970年代後半には大半が普通列車に転用されていた。
  3. ^ 逆に寒冷地で暖地向けの車両が使用されることもある。
  4. ^ それまでの国鉄一般形気動車で暖色系の化粧板が用いられた例は、北海道向けのキハ22形とキハユニ25 7、キハ24/46形のみで、本州向け車両は寒冷地仕様であっても暖地向けと同様の淡緑色であった。
  5. ^ 初期製造車のみ化粧板を使用する通常構造。
  6. ^ DW6形は日立製の変速機番号1000番台が1段4要素、川崎重工製の変速機番号2000番台が1段3要素。
  7. ^ 減速機支え装置の取り付け方向が推進軸と同じ側ではなく反対側となるため、完全に同一仕様ではない。
  8. ^ 線間密着と同じ状態。
  9. ^ DT44形が5,510 kg、TR227形が4,690 kg、重量の増したDT44A形でも6,240 kg、TR227A形で5,400 kg。
  10. ^ 従来のWH250形をベースに暖房制御用の電気回路を追加したもの。
  11. ^ 連続定格出力150 - 180 PSと非力なDMH17系機関が標準だった国鉄気動車では、バスと同様の機関直結式冷房装置を採用することは困難であり、当初より冷房装置を搭載した特急形気動車では一部車両に大型のディーゼル機関による発電セットを搭載して4 - 5両単位で給電を行うシステムを、のちに冷房を追加した急行形気動車では1エンジン車の床下にコンパクトな4VK形発電セットを搭載して3両単位での電力供給を行うシステムを採用しており、本形式のベースとなったキハ66系ではそれを2両給電に変更し、当時の近郊形電車と同様の集中式冷房装置を搭載していた。
  12. ^ 接点数2。在来の気動車と同様、片栓ジャンパ線を連結面に向かって左側〔運転台の助手席側〕に、栓受けを右側に装備。
  13. ^ 接点数2。栓受は連結器胴受の下に設置。
  14. ^ キハ66系はキハ66・67形を背中合わせに連結した2両1ユニットであり、分割しての使用やユニットの連結面間の他系列との互換性を考慮する必要がない。
  15. ^ 当初、381系電車用として開発。なお、キハ66系の設計の母体となった、新系列気動車のキハ90系キハ181系では、制御方式が大幅に変更されたこともあり、接点数168(大接点4×4+小接点38×4)かつ元空気溜管とブレーキ管を内蔵したKE75形電気連結器を密着自動連結器の直下に取り付け、これ一つで済ませている。
  16. ^ キハ183系などに使用されている接点数61の気動車用多心ジャンパ連結器。昭和53年度2次債車までは60ピン接続。
  17. ^ KE53形2個分の信号線をKE93形1個に変換接続するための二股アダプタ。KE93形に取り付けて使用。
  18. ^ 250 ps機関2基、変速1段・直結2段変速機を搭載。
  19. ^ 1990年代当時、根室本線釧路以東(花咲線)の快速列車は、バス路線との対抗上キハ54形[注 18]基準の比較的速いダイヤ設定としていたところ、車両数の都合でキハ40形が運用に入る便のみは遅いダイヤ設定とされていたという例[12]などがある。
  20. ^ 発車時には、全負荷状態でも機関が轟音を立てるばかりでなかなか動き出さず、DW10変速機が在来の3段6要素変速機よりも発進時に不利な特性ということもあって、液体変速機を長々と空転させた末に数拍おいて動き出す有様であった[13]
  21. ^ 1951年(昭和26年)の製品化時点で既に技術的に立ち遅れた機関であった[15] が、大幅な改良はほとんどなされないまま長期間にわたって生産・使用が続けられ、世界水準との落差は著しいものになっていた[16]
  22. ^ カミンズNTA855-R1などは、原設計は決して新しいものではなく保守的な設計であるが、船舶建機産業向け等として豊富な採用実績があり、その中で出力・燃費・環境性能・信頼性についても改良が進んでいた[8][17][18]。鉄道関連以外の国内メーカーにもコマツSA6D125等があったが、当時の国鉄には採用の動きは全くなかった[18]。湯口徹は、車両開発を所管した国鉄工作局が、気動車用エンジンにこうした実績のある外部専門メーカーの技術を採用せず自主開発に固執し、著しい停滞を招いたとして批判している[18]
  23. ^ 変速機の原設計はキハ90・91形で開発されたDW4に由来するが、この変速機は平坦線では70 km/h程度まで変速段を使い、上り33 ‰の急勾配も変速段で登坂する設計。
  24. ^ ロングシートを含めた全座席定員は68名。
  25. ^ ロングシートを含めた全座席定員は66名。
  26. ^ 八戸運輸区の一般車両では客室などのリニューアル工事が行われており、シートは青紫系、壁は白系の色になっている。その他、一部車両がジョイフルトレインに改造されており、八戸運輸区では製造当初の内装をもつキハ40形は運用されていない。
  27. ^ その後東北地区へ転出。
  28. ^ 座席は延長されず、ゴミ箱が置かれている。
  29. ^ 北海道地区の急行用気動車であるキハ56系は、グリーン車であるキロ26以外は非冷房だった。そこで1985年(昭和60年)3月改正時に全車冷房付きで特急並みの接客設備を持ち、夜行急行『利尻』との編成共通化というメリットもある14系客車に置き換えたが、所要時間は『宗谷』の場合、気動車時代の6時間10分程度に対し20分ほど伸びていた。
  30. ^ 旧便所部分は固定式窓を増設。1300番台との違いはその窓構造と存置された屋根上の水タンクのみ。
  31. ^ トイレは存置。
  32. ^ 既存の窓とは形状が異なる。
  33. ^ 俗に言う「鼻」。
  34. ^ 2両は6000番台改番時点で改造済み。
  35. ^ この改造は「過給機の能力強化」「燃料噴射量の増大」「調時系の改良」を内容としており、「直接噴射化」は行われていない[55]。この改造内容を記した『鉄道ピクトリアル』増刊「新車年鑑1998年版」の記事は、当時のJR九州運輸部車両課が執筆した信頼性の高いものである。しかしながら、この文献以外で改造内容の詳細を記録している文献は少ない上、実車は比較的短期間で再改造されて消滅し実際に検証することができなくなっているため、特に再改造・消滅以後に書かれた文献では、この改造について過去の文献等を確認することなく、「直噴化」と誤って記しているものが存在する(『鉄道ピクトリアル』2017年1月号(No.927)p.161など)。それらの記述は根拠のない伝聞に由来するものであり、この改造で直噴化は行われていないことに注意する必要がある。
  36. ^ 2017年3月1日付で熊本配置の2両が一旦大分へ転属し、寒冷地仕様車が全車大分配置となり大分地区の路線で運用されていたが、翌年の2018年3月17日付で元々熊本に配置されていた3509と4510の2両が再び熊本へ転属している。2022年9月23日付で4両とも佐世保に転属。
  37. ^ 機関換装と同時に2軸駆動化改造を行ったため、8510や9510になった時期は存在しない。
  38. ^ 「鉄道ファン」2022年12月号では固定編成であるかのように記載されているが[62]、実際には編成の組み換えが行われ、ラッピング車と一般塗装車が混結されて運用されることもある[63]
  39. ^ 可変減衰上下動ダンパや制御システムが故障しても、ダンパ自体が通常の上下動ダンパとして動作する。
  40. ^ 1両あたり1億円弱[140]
  41. ^ 一般放送回路との区別のため、赤色により識別。
  42. ^ これによりJR東海が保有する気動車はすべての車両が会社発足後導入の車両に統一された。国鉄から引き継いだ車両は電車8両(211系0番台4両編成2本(K51・52編成))のみとなったが、この8両も2021年度の315系導入により置き換えられた。これによりJR東海はJRグループで初めて国鉄から引き継いだ車両が消え、すべての車両がJR東海発足後の車両に統一された。
  43. ^ 残存する唯一の冷房化改造車でもある。
  44. ^ 画像のように、通常営業時は2脚を向かい合わせてボックスシート状としていたが、乗客が任意に座席を回転させることは可能で、その際は背もたれ背面に収納されているテーブルが利用可能となる。
  45. ^ 小湊鉄道が購入した5両はすべて、カミンズ製DMF14HZに換装されている。
  46. ^ キハ40 1(旧2021)は、小牛田運輸区に在籍していた1991年にワンマン対応工事を行った。この際に客室の座席も混雑対応のため1+2列のボックスシートに改装されている。
  47. ^ キハ40 5(←キハ40 1006←キハ40 2016)のみ、1000番台の項目で解説した通り、国鉄時代の改造でトイレ撤去済み。
  48. ^ 4(旧2019)は男鹿線色、3(旧2018)と5(旧1006)は「国鉄メーク」としてキハ40登場時のリメイクである朱色5号の1色塗装。

出典

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  1. ^ 岡田誠一「キハ40系 車両のあゆみ -国鉄編-」『鉄道ピクトリアル』2008年7月号、p.16
  2. ^ 岡田誠一「キハ40・47・48形 車両のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』1993年2月号、p.10
  3. ^ 環境報告書2006 Archived 2007-05-09 at the Wayback Machine.
  4. ^ a b c 旧北海道鉄道学園『キハ40系ディーゼル動車』, p. 223.
  5. ^ 旧北海道鉄道学園『キハ40系ディーゼル動車』, p. 221.
  6. ^ a b 湯口徹 『日本の内燃動車』 成山堂書店 交通ブックス121 2013年、p.117
  7. ^ a b c 曽根悟 「地方線区用車両の技術考」(鉄道ジャーナル年鑑「日本の鉄道」別冊『'87最新第三セクター鉄道』 pp.96 - 101)
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  10. ^ a b 『鉄道ピクトリアル』1993年2月号 (No.571) p.23
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  12. ^ 『鉄道ピクトリアル』1993年2月号(No.571)p.37
  13. ^ 『鉄道ジャーナル』2024年3月号(No.689)pp.27-29
  14. ^ 檀上完爾・南正時「琵琶湖一周バラエティ旅行 ローカル私鉄からJRバスまで」(『旅と鉄道』'90秋の号 第77号 pp.49-59)など
  15. ^ 湯口徹 『日本の内燃動車』 成山堂書店 交通ブックス121 2013年、p.99・115
  16. ^ 湯口徹 『日本の内燃動車』 成山堂書店 交通ブックス121 2013年、pp.99・103・114 - 122
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  18. ^ a b c 湯口徹 『日本の内燃動車』 成山堂書店 交通ブックス121 2013年、pp.114 - 129
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  20. ^ a b 岡田誠一「キハ40系 車両のあゆみ -国鉄編-」『鉄道ピクトリアル』2008年7月号、p.20
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報道

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参考文献

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外部リンク

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