トロッコ列車(トロッコれっしゃ)は、車体の上半分が外気に開放された車両旅客が乗車することができる観光列車の通称である。なお、トロッコとは、土砂鉱石を運搬するための簡易な貨車のことである。

トロッコ列車「清流しまんと号」(窪川駅) 函館駅→森駅→大沼駅→森駅→函館駅間で運転された「くるくる駒ケ岳 遊・遊トレイン」(1986年、函館本線大沼駅付近)
トロッコ列車「清流しまんと号」(窪川駅
函館駅森駅大沼駅→森駅→函館駅間で運転された「くるくる駒ケ岳 遊・遊トレイン」(1986年、函館本線大沼駅付近)

概要

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瀬戸大橋トロッコ車内

トロッコ列車の特色は、乗客が外気に直接触れられることにあり、一般に風景が美しく自然が豊かな鉄道路線で運行され、ローカル線への集客の目玉として定期的に運転される例も多い。風景を楽しむという意味では、広義の展望車の一種と見ることができるが、トロッコ列車は貨車を起源としており、旅客用車両の改造車であってもあえて内装材を取り払ったり、座席を簡易なベンチ風にして貨車的な雰囲気を演出している例が多い。そのため、1950年代まで東海道本線などで運行されていた特別急行列車に連結される展望車とは、全く系譜を異にする存在である。

一般に、観光シーズンや休日に運行されている。設備の制約や安全上の理由から、あまり速度は出さない。

新規に製作された車両は少なく、ほとんどが既存車からの改造である。また、牽引車・機関車についても、荒天時や乗客の安全確保対策のために自車を控車としたり、別に控車を連結していることが多い。

歴史

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スイスレーティッシュ鉄道ベルニナ線1926年から無蓋車を改造した車両を使用したトロッコ列車が運行されている。

日本では1984年昭和59年)に日本国有鉄道(国鉄)が四国予土線無蓋貨車トラ45000形)に簡易な屋根座席ベンチ)を設置した車両を定期列車併結し、「トロッコ清流しまんと号」として運行したのが始まりで、以降こうした列車が各地で運転されるようになるにつれ、それ以前から運転されていた黒部峡谷鉄道などの類似例も含めて「トロッコ列車」という呼称が一般的になっていった。

当初はほとんどが貨車であったが、貨車であるという性格上、乗り心地や運用面に問題があり、1990年代以降では客車気動車も見られる。また、運転上の要請から、客車に設置した運転台から機関車遠隔制御プッシュプル運転)が可能な機能を備えたものがある。

台湾では台湾糖業鉄道サトウキビ輸送用の貨車を改造した車両を蒸気機関車ディーゼル機関車で牽引している。

日本におけるトロッコ列車

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運営事業者ごとに記載する。

現行事業者

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釧路湿原ノロッコ号
富良野・美瑛ノロッコ号
 
びゅうコースター風っこ
  • キハ48形気動車を改造した「びゅうコースター風っこ」2両編成1本を保有する。仙台支社の所属だが、首都圏や長野地区などJR東日本の路線で広範に運用されている。
    • かつてトラ90000形無蓋貨車の改造車6両 (トラ91328, 91395, 91325, 92047, 91714, 91727)が東北地区に配置され、機関車牽引または気動車に挟まれて運用されていたが「風っこ」と入れ替わりに廃車された。
しまんトロッコ
藍よしのがわトロッコ
瀬戸大橋アンパンマントロッコ
  • トラ45000形無蓋貨車改造車1両、キクハ32形気動車2両を保有する。
    • トラ45000形は1984年に改造を受け、布製の簡易な屋根と木製の座席、テーブルが設けられたものである。キハ54形キハ32形など気動車の牽引により運行されていたが、2013年に水戸岡鋭治のデザインにより牽引車のキハ54形とともにリニューアルされ、新たに「しまんトロッコ」の愛称が付されて予土線で運行されている。
    • キクハ32形はトロッコ列車用車両としてはJRグループ唯一の新製車である[1]1997年に1両 (501) が登場し、当初は予土線の「清流しまんと」の増発で使用が開始されたが、その後土讃線の「おおぼけトロッコ」に転用。2017年には「志国高知 幕末維新号」向けにラッピングを受けて2019年まで運用された。さらに2020年からは「藍よしのがわトロッコ」として徳島線で運行されている。
      2003年には増備車 (502) が登場したが、腰板や床面の一部がガラス張りとなるなど、より開放的な構造となっている。同車は「瀬戸大橋トロッコ」で使用され、2006年(平成18年)に車体にアンパンマンが描かれ「瀬戸大橋アンパンマントロッコ」となった。
 
AT-350形
トロッコわたらせ渓谷号
トロッコわっしー号
  • 「トロッコわたらせ渓谷号」用にわ99形客車「かわせみ」2両、「トロッコわっしー号」用にWKT-550形気動車1両を保有する。
    • 「トロッコわたわせ渓谷号」は1998年(平成10年)に登場し、大間々駅 - 足尾駅間を運転している。編成は4両だが、このうち中間2両は京王初代5000系電車を改造したトロッコ車両で、その両端をJR東日本から購入したスハフ12形の控車が挟んでいる。
    • 「トロッコわっしー号」はトロッコ列車の需要増加に伴って2012年(平成24年)に導入された。控車としてWKT-510形と組む。
 
里山トロッコ
  • 「里山トロッコ」として100形客車4両を保有する。牽引機はコッペル社製の蒸気機関車を模したDB4形ディーゼル機関車となっている。
 
本線の列車(後部6両がトロッコ車両)
  • 関西電力の専用鉄道を一般開放した路線で、一般客が利用可能な全ての列車にオープン客車が連結されている。また、発電所関係の輸送に利用される作業員専用列車もオープン客車が使用されている。
 
SK300形客車
 
潮風号
 
ゆうすげ号

過去の事業者

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オハフ17形
  • 1988年(昭和63年)ごろから飯田線で「トロッコファミリー号」を運行していた。当初は越美南線から転用されたトラ90000形無蓋貨車3両 (91388, 91402, 91818) を控車のオハフ46形客車2両 (2009, 2027) が挟む編成であったが、1993年(平成5年)にマニ44形を改造したオハフ17形を投入するとともに控車を12系客車に置き換えた。1996年(平成8年)にはオハフ17形が増備され、トラ90000形は引退した。
  • 牽引機は運転当初DE10形ディーゼル機関車であったが、1989年(平成元年)からはEF58形1992年からはED18形といった旧形電気機関車が牽引機となり、その点でも人気を集めていた。しかし故障や老朽化によってこれらの機関車が使用できなくなったことで、2006年(平成18年)に運転を終了した。
 
奥出雲おろち号
 
TORO-Q
  • 1986年(昭和61年)にトラ70000形無蓋貨車3両を改造したトロッコ車両を保有していた。2002年(平成14年)に大分県湯布院町(現・由布市)で開催された「全国トロッコ列車サミット」に合わせ再整備を受けて「TORO-Q」と命名され、外板塗色は濃緑色に改められた。同時にキハ65 36およびキハ58 569が専用牽引車として貨車と同色に塗装されている。2009年(平成21年)に引退。
 
ユ101
 
クハ861形
  • 1986年(昭和61年)に電車を改造したトロッコ車両(クハ861)が存在したが、使い勝手の悪さから長期休車を経て1998年(平成10年)に廃車となった。
 
THT101
 
トラ700形(中間2両)
  • 1997年(平成9年)からトラ70000形貨車を改造したトラ700形客車を保有し、気動車の間にトロッコ車両を2両連結する形(プッシュプル)で運転されていた。2008年(平成20年)に同社線島原外港駅 - 加津佐駅間が廃止され同年の臨時運行をもって運転終了となり、車両は北九州市に売却された。その後は先述の通り、平成筑豊鉄道が「潮風号」として現在も運行している。
   
手力雄号
天鈿女号
  • 2003年(平成15年)3月にTR-400形気動車2両を新製し、401は黄色塗装で「手力雄」(たぢからお)、402は緑色塗装で「天鈿女」(あまのうずめ)とそれぞれ愛称が付けられて「トロッコ神楽号」として運行していた。
  • しかし2005年(平成17年)に高千穂鉄道を台風14号が襲い、甚大な被害を受けて運行を休止。2両とも休車状態だったが2008年(平成19年)に正式に廃車となった。
    • その後高千穂鉄道の打診で2車とも九州旅客鉄道(JR九州)に売却され、同社のキハ125形400番台海幸山幸」として2009年(平成21年)から運行されている。ただし窓が取り付けられてオープン構造ではなくなっている。

鉄道事業でないもの

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海外におけるトロッコ列車

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台湾

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渓湖糖廠のディーゼル機関車と客車

スイス

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アルブラ線で運行されているトロッコ車両

アルゼンチン

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ ただし、台車は廃車となった車両から再利用され、金属バネのTR51形となっている。

外部リンク

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