Wikipedia‐ノート:削除の方針/2015年
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2006年(履歴情報の追補 - non-notable - 削除の方針に該当するケースの明記 - 私人を理由とした削除依頼 - 削除理由の運用 - ケースB-1:著作権問題に関して - 転載を削除できる規定 - 削除の方針B-2の運用)
2007年(対象がケースBだが即時削除の対象にもなる場合 - ケースAの扱い - 著作権侵害の蓋然性が極めて高い場合 - 日本に深い関係を持たない人物のプライバシー - 削除対象にならないもの - 外国語で書かれた記事 - 実名表記の問題 - 30SEP2007実名記載条件緩和の提案 - 「初音ミク」のケースに関しての質問) - 2008年(B-2:プライバシー問題に関しての範囲について)
2009年(履歴不継承についての扱いの変更提案) - 2010年(「ケース B-2:プライバシー問題に関して」・実名記載に関して - 「特筆性・著名性」の「特筆性」について) - 2011年 - 2012年(「ケース B-2:プライバシー問題に関して」・死亡した犯罪者の実名記載の可否について) - 2013年(参加資格表記の改訂について) - 2014年(「記事」等の概念の文書上での調整)
2015年(削除依頼の意見募集の期間の延長を提案) - 2016年(ケースHおよびI(またはG-2およびH)新設の提案) - 2017年 - 2018年 - 2019年(芸能人の出身地記載について - ケースYの作成提案)
2020年(ケースE「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」の文言修正 - ケースB-2案件の変更を提案します - ケースB-2案件の文面の変更について - 学歴の削除は必要か) - 2021年 - 2022年(ケースGの改訂提案(機械翻訳) - 削除の方針策定提案2022年4月 - カテゴリを対象としたケースの追加の提案) - 2023 - 2024 (edit)
参加資格の改訂提案
編集以前Wikipedia:井戸端/subj/管理行為のみ行う利用者を「目的外利用者」と断じることは妥当なのか?でも述べたのですが、現在の削除依頼の参加資格にはいくつかの問題があると考えます。まず、投票資格の50編集が標準名前空間に限定されていないため、削除依頼に参加し続ける、利用者ページをひたすら編集する、会話ページにTemplate:Welcomeを貼って回るなどの行動でも投票資格が得られてしまうのは、参加資格の促成栽培以前に利用者による議論という面からはいかがなものかと感触的に疑問があります。まして、依頼自体はIPや使い捨てのアカウントでも可能なので、被ブロック者の生まれ変わりでも出来ますし、安全圏から無責任な依頼や報復的な依頼がなされることもあり得ます。そこで、削除依頼の参加資格を以下のように変更することを提案します(太字が変更点)。
- 標準名前空間の編集50回以上:依頼・投票・コメント全て可能
- IP及び標準名前空間の編集50回未満:依頼はケースBに限る、投票不可、コメント可能
ケースBについては、例外としなければならないと考えます。また、コメントについては執筆者による応答や第三者が判断材料を提供することは有益であるため、これも可としておいてはいかがでしょう。基準値となる50は甘いと思われるかも知れませんが、管理者の信任投票との兼ね合いでこれぐらいであろうと考えました。ゾンビアカウント対策に直近の編集回数を求めることも考えられますが、大きな変更になるので提案からは外しました。--Open-box(会話) 2015年1月13日 (火) 11:01 (UTC)
- ケースB以外について考えたことを書いておきます。Aは疑問や争いが生じる時点で自明では無いと考えて外しました。Cは、そもそも移動に自動承認が必要なので外してもいいかなぐらいに考えています。Dはリダイレクトは専用の依頼がありますし、それに留まらないならE共々議論の対象であろうと。ただ、Dについては悪口雑言や批難といった不適切な記事名はBに準ずると考えることも出来そうですから、「百科事典の記事になりにくいもの」を独立させてDもありにする手はあると思われます。Fは本人依頼の即時削除に準ずる形で登録利用者及び同一IPに認めても問題は少ないと考えます。Gは翻訳可能性の問題があるのでこれも議論対象としてZと共に外して考えました。--Open-box(会話) 2015年1月13日 (火) 11:47 (UTC)
- コメント 投票権を獲得するためだけに瑣末な編集を繰り返す利用者の動機としては一刻も早く閾値を超えることを第一においているのであり、この変更がなされたとしたら今度は標準名前空間の広くに渡って瑣末な編集がなされることを懸念します。標準名前空間以外は百科事典を構成する一部ではない縁の下なので、乱暴な言い方をすれば多少散らかっていようと問題なく、それよりも成果物たる標準名前空間を綺麗に保っておくのが大切です。自分の利用者ページだと何度編集していようと大きな害はなく(新規参加者がWikitextに慣れるためのサンドボックスの役割も果たすので益もあるかも?)、“せっかく”利用者ページなどに“閉じこもって”いてくれたものを標準空間に放ってしまうことになりやしないかと。また、善意の新規利用者がせっかく記事に問題を見つけた場合に取れる手立てがなくなるのも問題かなと。(ノートに書いて誰かに気づいてもらうのを待つしかなくなる?) 問題のある依頼や投票はたしかに多いですが、依頼を却下するコストは比較的低く、“被害”が標準空間に浅く広く増えるコスト増や善意の利用者のシャットアウトによる損失をカバーするに至らない気がします。--朝彦(会話) 2015年1月13日 (火) 13:04 (UTC)
- コメント 他の方からのご意見がないですね。管理者信任投票の参加資格より厳しくするわけにはいかないのですが、そちらですら容易に閾値を超えてしまいますね。実際に、管理者信任投票への参加資格を確保するだけの執筆を行った利用者もいましたので、既に「標準空間に放たれている」のです。ですから、そちらから考えないとだめだろうって事で、今回はここまでとします。せっかくなので、他の部分についての見立てを。個人的には記事を書かずに議論や利用者ページで遊んでいるだけで投票資格を得ることには違和感があります。IP・新規アカウントに広く門戸を開くといっても、記事以外にまでそれを広げる必要があるのかは疑問が残るのです。また、不適切な依頼を却下するコストは高いと考えます。現状では、「たまたま書ける」人が問題のある依頼に気がついて、「加筆」することで対処というケースが目立ちます(書けない人が無理矢理調べて書いて存続にするってのは、そもそも作成者の問題じゃないのかという面もありますが)。それは「依頼出したから加筆された。貢献している」という開き直りを許してしまうのであえて加筆しなかったこともあるのですが、進行ははかばかしくなかったです。善意のユーザーですが、感触としては「知らないから削除」という依頼が目立ってしまいます。どのような意見にしても、判断の根拠があれば、それぞれの見立てと考えるだけですが、この手の「第三者が判断できる依頼理由がない」依頼に対処するコストは安くないと考えるのです。--Open-box(会話) 2015年2月13日 (金) 15:06 (UTC)
- 「標準空間に放たれている」のが現実として起こっているということならば、それをさらに推進するような向きにはなおさら反対します。削除依頼は大きく記事冒頭に表示されるため管理者投票よりも知名度が高いと考えられ、標準空間の編集回数を要求する手続きが削除依頼にも拡大されることにより、瑣末な編集回数稼ぎは目立って増えることでしょう。また、依頼の却下の方がコストが低いと申し上げたのは、削除依頼は全てひとつのページで一覧できるのでおかしな依頼や投票には多数の利用者の目が既に向けられているからです。目にする人が多いので、必然的に作業が分担されています。一方、標準名前空間に広く散らばった瑣末な編集は、その特定の記事をウォッチしている利用者か、あるいは投稿者の履歴を個々が精査することによってしか発見できません(問題の潜在化)。どちらが楽かは明白です。加えて、依頼を出したことにより加筆されて記事が改善されることの何が問題なのでしょう。削除依頼を契機に手が集まり、一気に記事が見違えるように改善したケースは枚挙に暇がないですよ。記事を良いものにすることが我々の根本の目的だったはずであり、それ以外は二次的です。加筆されないと削除依頼が通りそうになってしまうという記事だったなら、どうせそれは改善を要する記事だったのです。「あえて加筆しなかった」じゃありませんよ。というかこの方法論は、2006年ごろに出典明記が強く要求されるようになって要出典テンプレートが導入された時にジンボ・ウェールズが推進していた洗い出し方と似たようなものではありませんか。問題視される理由が掴めずにおります。--朝彦(会話) 2015年2月13日 (金) 15:57 (UTC)
- 微細な編集が問題を起こすことはあるでしょう。ほぼ定義だけの記事を作り逃げされて、後始末ができていない分野もあります。これらの対処も行える範囲では着手していますから、そのような問題が広がるのではないかという危惧は判ります。これは、コミュニティの意志決定の基準を下げてその危険性を回避するか、そこまでやらかす問題ユーザーならあぶり出されるだろうと閾値を上げるかの選択です。下調べすらやっていない「ボク知らない」「私これ要らない、みんな要らないよね」レベルの依頼は、洗い出しと同一視すべきではありません。それが、結果的に妥当な依頼であってもそこまで依頼を改善するのは第三者ですし、削除依頼を加筆依頼の代用にするのはさらに問題です。問題のある記事が、改善/削除されて、処理できてよかったで終わらせるのでは、不適切な依頼にますます拍車をかけ、対処する人につけを回しているだけです。そして、そのつけが積み上がるに任せるなら、どこかで限界を超えます(現状ですら長期案件で意見無しが散見されます)。ですから、少しでも不適切な依頼への対処コストを軽減すべきなのですし、結果を持って不適切な行動を是認するのは問題があるのです。--Open-box(会話) 2015年2月13日 (金) 16:52 (UTC)
- 「標準空間に放たれている」のが現実として起こっているということならば、それをさらに推進するような向きにはなおさら反対します。削除依頼は大きく記事冒頭に表示されるため管理者投票よりも知名度が高いと考えられ、標準空間の編集回数を要求する手続きが削除依頼にも拡大されることにより、瑣末な編集回数稼ぎは目立って増えることでしょう。また、依頼の却下の方がコストが低いと申し上げたのは、削除依頼は全てひとつのページで一覧できるのでおかしな依頼や投票には多数の利用者の目が既に向けられているからです。目にする人が多いので、必然的に作業が分担されています。一方、標準名前空間に広く散らばった瑣末な編集は、その特定の記事をウォッチしている利用者か、あるいは投稿者の履歴を個々が精査することによってしか発見できません(問題の潜在化)。どちらが楽かは明白です。加えて、依頼を出したことにより加筆されて記事が改善されることの何が問題なのでしょう。削除依頼を契機に手が集まり、一気に記事が見違えるように改善したケースは枚挙に暇がないですよ。記事を良いものにすることが我々の根本の目的だったはずであり、それ以外は二次的です。加筆されないと削除依頼が通りそうになってしまうという記事だったなら、どうせそれは改善を要する記事だったのです。「あえて加筆しなかった」じゃありませんよ。というかこの方法論は、2006年ごろに出典明記が強く要求されるようになって要出典テンプレートが導入された時にジンボ・ウェールズが推進していた洗い出し方と似たようなものではありませんか。問題視される理由が掴めずにおります。--朝彦(会話) 2015年2月13日 (金) 15:57 (UTC)
- コメント これまでの議論を踏まえて、参加資格の改定はせず、拙い依頼を繰り返す利用者に対して歯止めを掛けるようにしてはいかがでしょうか?入口は変えず、問題がある編集を行なう人に対して方針を読んでいただく時間を設けるということです。結論は後にし背景について説明します。管理活動の中でも削除依頼・即時削除依頼が最たるものですが、リダイレクトの削除依頼・統合依頼・分割提案、編集除去・テンプレート貼り付けまで同種の原因によるであろう拙い管理活動を見かれます。大半は2つの原因によるものです、一つめは未熟な利用者によるWikipedia全体への未理解、もう一つは(未熟な利用者を装った)意識的な方針無理解による編集強行です。最近だけでも拙い管理活動が原因となり対応にコストが掛かった案件が2つありました。Wikipedia:コメント依頼/検証可能性などを根拠とした記述除去を行うアカウント群およびIP群、Wikipedia:井戸端/subj/「参照方法」テンプレについてです。後者が未熟な利用者による未理解、前者が履歴分断による監視逃れ(多重アカウントの意識的な方針無理解による編集強行)でした。特筆性から削除の方針ケースEまでの間にはいくらかの待ちがあり、削除は最後の手段とも明記されていますが、この点について特筆性が無い・速やかに削除と誤解している利用者が一定数います。Wikipedia:編集方針によれば「十分な説明をしないまま、価値のある記述を除去してはいけません。変更した際には、変更前の版で一定の価値があると思える記述は、変更を行った理由とともにノートページに保存してください。Help:ページの編集は記事の質を高めるための道しるべになります。素晴らしいウィキペディアの記事は、編集者の努力の積み重ねによって作り出すことができるのです。」とされています。議論になったこともあります。
- ご提案のご事情にある投票権を獲得するためだけに瑣末な編集を繰り返す利用者などが拙い管理活動を繰り返すようであれば、方針無理解による編集強行にあたりますよね。対処法としてはWikipedia:管理者伝言板#ブロックへ依頼し、まず1週間程度の短期ブロックWikipedia:荒らし#タグの不正使用(不誠実な削除依頼、または評価基準を満たさない記事に対する即時削除タグの挿入、要検証タグ、要出典タグの悪用、乱用も荒らし行為)によって拙かった行為に対する関連方針をよく理解してもらう、それでも改善されないようであればブロック依頼へ移行となります。短期間に2、3回見られるようであれば、短期ブロックによって方針をよく理解していただく運用でいいのではないかと思います。明らかな事情ですのでコメント依頼を経ずともよいと思います。すでにWikipedia:荒らしに規定が存在しWikipedia:投稿ブロックの方針に該当しますので、同種の行為を行なう新しいアカウントが現れるたびにこれを運用してはいかがでしょうか?既定のため現方針内で運用可能です。--Degueulasse(会話) 2015年2月13日 (金) 17:59 (UTC)
「著作権侵害案件の存続時対応」節
編集標記の節を除去しました。書かれていた運用は、版指定削除が導入された後は実施する必要は無くなり、現実にも行われていないからです。--ZCU(会話) 2015年4月12日 (日) 00:37 (UTC)
低質な画像の削除について
編集Wikipedia:削除依頼/ファイル:Keio8000yusenzaseki.jpegで、低質な画像の削除を依頼したのですが、そのような理由での削除は方針にはないですよ、とのご指摘をいただきました。確かに、ファイルはプライバシーの侵害や法的な問題がある場合に削除できることが方針で認められていますが、それ以外の場合は方針にはないようです。一方で、コモンズでは低質な画像の削除を依頼できることがCommons:Deletion policy#Redundant/bad qualityに規定されています。何をもって低質とするのか、誰かに迷惑をかけないのであれば(サーバーの容量は圧迫しますが)、質が低くても存在しても良いのではないか、などの議論はあるとは思いますが、ここではコモンズの方針を和訳する形で、低質な画像の削除を依頼できることを方針に追加することを提案させていただきます。ご意見をお願いいたします。--はひふへほ(会話) 2015年5月19日 (火) 13:28 (UTC)
- たとえコモンズの方針を導入したとしても、件の削除依頼には合致しません。「Commons:削除のガイドライン#冗長なもの/品質の悪いもの」は、より品質の良い画像が存在することを前提にしています。「低質」というのは、同じ被写体かつ別の画像と比較した結果の高低なのです。単純に「これは質が悪いなあ」と思っただけでは削除できません。そういった画像は削除するしないと言う以前に、高品質の画像と置き換えれば済むのですから。--Bellcricket(会話) 2015年5月19日 (火) 14:20 (UTC)
- Commons:Commons:Deletion policy#Redundant/bad quality、Commons:Commons:削除のガイドライン#冗長なもの/品質の悪いもの、上記2発言内のリンク切れを「Commons:」追加して提示。時系列をみだしますが、この位置のほうがいいので…ご容赦を。--toto-tarou(会話) 2015年5月20日 (水) 17:01 (UTC)
- 「京王8000系電車の更新車の優先席」の画像としては代替画像が示されていますから事実誤認では? なお、削除依頼に出された画像については投稿者が京王8000系の記事に貼ろうとした痕跡はありますが、記事中に突然1枚だけ差し込んでいた(しかもタイポで画像が表示されない状態)だったので次の版で除去されています。そもそも削除依頼に出された画像は「シートのモケット画像」であって(説明文も「優先席のモケット」となっています)シートの模様が主になっており、画像からは「優先席」どころか「電車のシート」の画像であることすら説明文が無いと判別できません。そもそも電車記事でシートの模様の画像が必要か?と問われれば「・・・要らんよね?」となるでしょう。
- じゃあモケットで使えるか?と言えば英語版などで使われているこのコモンズ画像の方が「モケットの画像」としてははるかに鮮明ですので、件のピンボケ画像はこちらの記事でも使い道がありません。何でもかんでも削除とは言いませんが「当該物の代替画像が存在している」「使い道が無い」「悪意のある画像」などについて(以前、片山さつきの強面画像が削除されたことがあった記憶が・・・)削除の基準を定めておく必要はあるかと。--KAMUI(会話) 2015年5月19日 (火) 21:40 (UTC)
- はひふへほさんも、KAMUIさんも、代替画像があることを削除の理由に挙げていないでしょう? 削除の方針やその考え方に基づいていないことが明らかです。「要らんよね?」と言われても、それはKAMUIさんの価値観でしょう? 利用者100人が見て「要らんよね」と思うのが、KAMUIさんただ一人という可能性もあるでしょう。そういう主観的なことで削除の是非を判断されないように、方針というものがあるのです。せめて方針に無い考え方で削除に賛成するのであれば、もうすこし合理的な理由を挙げてください。KAMUIさんは1週間何をしていたのですか。--Bellcricket(会話) 2015年5月20日 (水) 12:31 (UTC)
- Bellcricketさんが仰っている一週間ってのは「アキバ系ライブアイドルについて、検索してみたが報道などが無くて修正困難」と書いたらあなたにブロックされた1週間の話ですか。本来、ここで書くことでは無いように思いますが、あなたが書かれたので一応。
- ブロックの際に明治時代に成立した、凄い殺傷力の古武術について疑問を呈したことについても「調査不足」と挙げておられましたが、あの記事の内容を例えるなら「明治時代に築造された古墳、仁徳天皇陵くらい大きくて副葬品も山ほど見つかったけど誰が作ったのか不明」並みにおかしなシロモノだったんですけどね。定義(明治時代に成立した古武術=明治時代に築造された古墳)の時点で「あれ?この記事なんかおかしい」と疑問を持たないのは、ジャンルの得手不得手はあるにしても流石にどうかと思います。
- そもそも先の削除依頼で「「そんな調査は必要無い」と言われましても困ります」ってコメントは何で私の削除票の直下についてたンでしょう? 私はあの削除依頼で、あなたのこのコメント以前に「調査の必要は無い」など一言も書いていない訳ですが・・・なお、投稿サイトのマンガに通常の削除票ではなく宣伝として即時削除票を投じたことについては当方の判断間違いであったと認識しています。
- で、本題。「代替画像があることを削除の理由に挙げていないでしょう?」ですが、 「その考え方に基づいていないことが明らか」などと一方的に決めつけるのは甚だ失礼です。既に「代替画像の存在は示されていた」ので、代替画像に差し替えるために削除が行なわれたことがあるのを示したことや、こちらで削除の方針の改定の話が出ていたので、「削除の基準を定めておく必要」を含めて意見を述べたことは、あなたにそこまで暴言を吐かれるようなことですかね?--KAMUI(会話) 2015年5月20日 (水) 15:04 (UTC)
- はひふへほさんも、KAMUIさんも、代替画像があることを削除の理由に挙げていないでしょう? 削除の方針やその考え方に基づいていないことが明らかです。「要らんよね?」と言われても、それはKAMUIさんの価値観でしょう? 利用者100人が見て「要らんよね」と思うのが、KAMUIさんただ一人という可能性もあるでしょう。そういう主観的なことで削除の是非を判断されないように、方針というものがあるのです。せめて方針に無い考え方で削除に賛成するのであれば、もうすこし合理的な理由を挙げてください。KAMUIさんは1週間何をしていたのですか。--Bellcricket(会話) 2015年5月20日 (水) 12:31 (UTC)
削除するならば、あるいは削除の方針を新設するならば、
- 削除することによって、解消しようとする問題は何か。
- その問題は、削除に要するコスト(削除依頼、削除審議、管理者による判断や削除作業等)をコミュニティが負担してでも解消すべき問題なのか。
を常に考える必要があります。今回、より高品質な代替画像が存在する場合において、低品質な被代替画像を存置しておくことによって生じる問題は何でしょうか。また、その問題は削除に要するコストを負担してまで解消する必要があるのでしょうか。いまひとつ、よくわからないのです。--ZCU(会話) 2015年5月20日 (水) 13:57 (UTC)
コモンズに移動すれば良いのではないでしょうか(H:M2C)。あちらの方が人手がありますし、審議も活発です。移動することで画像に用途が見出されるかも知れません。- NEON(会話) 2015年5月20日 (水) 14:32 (UTC)
削除(除去ではない)は削除することそれ自体は決して目的ではありえません。削除以外の手立てによっては解決することのできない問題のあるファイルやページに対する最後の手段としておこなうものです。削除する以外に解決することの出来ない問題として何があるのかは、方針に挙げられたとおりであり、個人的・主観的に気に入らないものを削除することを正当化するような方針はいかなる場所にも存在しませんし、存在させるべきでもありません。
今回の依頼提出者利用者:はひふへほに関して言えば、多数の鉄道記事に携わっておられるようで、鉄道に造詣が深いのであれば、むしろより質の高い画像により上書きすると言う、議論の余地のない「プラスの」貢献により問題を解決させることも出来たはずですし、そうした方向での関心をお持ちになってもよろしいのではないかと指摘いたします。
さて、管理者でなくとも依頼提出や管理者伝言板への報告を通じて、いわゆる管理行為に携わることは可能ですが、低質な管理行為は問題を解決することではなく、本来は問題ではありえない似非問題を生み、かえって有害と言えます。かかる低質な管理行為についてはWikipedia:井戸端/subj/管理行為のみ行う利用者を「目的外利用者」と断じることは妥当なのか?で取り上げられたことがあり、場合によっては低質な管理行為をやめさせるための適切な対処もやむなしという考え方で大筋において一致が見られているようです。--ikedat76(会話) 2015年5月20日 (水) 15:29 (UTC)
書き落としましたが、当方の2015年5月20日 (水) 15:29 (UTC)付けのコメント第3段落と関連して、利用者:ZCUさんの2015年5月20日 (水) 13:57 (UTC)のコメントに同意します。使われそうにも無いダメなファイルというのであれば、使われぬまま放置プレイしておくのでもなく、上質なファイルで上書きするわけでもなく、削除対象を広げることによって何が得られるのか、不明と言わざるを得ません。--ikedat76(会話) 2015年5月20日 (水) 15:33 (UTC)
報告ここは方針について議論する場所であり、個々の利用者の方針理解や行動の適切性について議論する場所ではありません。続きが必要であれば場所(Wikipedia:コメント依頼/KAMUI)を作りましたので、そちらでお願いします。このページをウォッチしておられるだろうと考え、個々にお知らせは差し上げません。--ikedat76(会話) 2015年5月20日 (水) 15:46 (UTC)
(取り下げ)存在することが問題とならない限り存続させることが日本語版の方針であると理解しましたので、提案を取り下げさせていただきます。議論の発端となった削除依頼に関しましては、代替となりうる画像を過去に投稿させていただいています。--はひふへほ(会話) 2015年5月20日 (水) 21:36 (UTC)
ちがいます。「存続させる」というのは削除依頼の対象となることを前提とする言葉遣いです。そうではなく「削除(依頼)の対象にならない」のです。一体何を理解した結果の「取り下げ」なのでしょうか。--ikedat76(会話) 2015年5月21日 (木) 12:12 (UTC)
修正の提案。
編集Wikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事の「・百科事典的な記事に成長する見込みのないもの。・百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事。・広告またはスパム。」は英語版en:Wikipedia:Deletion_policy#Reasons for deletionの「4. Advertising or other spam without any relevant or encyclopedic content (but not an article about an advertising-related subject)」と「8.Articles whose subjects fail to meet the relevant notability guideline (WP:N, WP:BIO, WP:MUSIC, WP:CORP and so forth)」に対応しています。しかし、比較していただければわかるようにきっちり対応した内容になっておらず、不正確な翻訳になっています。そこで、これらの文章を正確な翻訳に変更することを提案します。以下は仮訳です。たたき台として利用して下さい。「・広告および関連する百科事典的なコンテンツのないその他のスパム(広告関連の主題についての記事をのぞく)・主題がWP:N、WP:NM他の独立記事作成のガイドラインに当てはまらない記事。」200z(会話) 2015年7月5日 (日) 00:23 (UTC)
- コメント 日本語版でケースEが英語版から移入されたのは2004年10月(ちなみに当時の英語版)なのであって、直接的に現在の英語版の方針4番と8番が翻訳・移入されたわけではありません。英語版との間に差異が生じているのは翻訳から10年以上が経って日本語版も英語版もそれぞれが独自に改定していった結果なのですから、それを不正確な翻訳扱いするのはちょっと酷くないですか。日本語版は英語版の下位プロジェクトではありませんから方針等が英語版と同一でなければならないなどということはありませんし、単に英語版の正確な訳に変更するというだけでは賛成しがたいです。それを変えることによって何がどう変わるのか、変更することによるメリットは何か、デメリットはないのかといったことを説明していただいてはじめて提案のスタートラインです。-重陽(会話) 2015年7月11日 (土) 13:19 (UTC)
- コメント 重陽さんのご指摘を受けて、過去の経緯を調べました。私が変な訳だなと感じているのは「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事。」というところです。そこで、この部分の履歴を調べました。変更履歴によると、この文が追加されたのは重陽さんが指摘された時期よりももう少し後の 2008年4月22日 (火) 13:22 です。そして、要約には「Wikipedia‐ノート:削除の方針/2008年#特筆性に関する方針を凍結する提案での議論による」とあります。このセクションは過去ログ化されているので、さらに、過去ログを調べたところ[1]に残っていました。議論の内容は自分でご確認頂いた方がよいと思います。かなりもめたようですが、一応の結論は出ており、私なりに要約すると「Wikipedia:特筆性のガイドライン化の議論が進展しないので、Wikipedia‐ノート:削除の方針での議論を凍結する」という内容です。私の推測では短期間の「凍結」を想定していたのだろうと思います。しかし、Wikipedia:特筆性が名前を変えて、ガイドライン化されたのは「凍結」の時から6年以上を経た 2015年1月18日 (日) であり、その間に「凍結」の事情は忘れられてしまったのだと思います。当時の英語版は「Subject fails to meet the relevant notability guideline (WP:N, WP:BIO, WP:MUSIC, WP:CORP and so forth)」となっており、現在のものとさほど違いはありません。以上の通り、当時「凍結」した事情が解決しているので、凍結を解除してすなおに英語版と同様の文章にすればよいと思うのですがいかがでしょうか。200z(会話) 2015年7月14日 (火) 13:38 (UTC)
反対言いたい事は色々ありますが、クリティカルな部分に論点を絞ります。「主題がWP:N、WP:NM他の独立記事作成のガイドラインに当てはまらない記事。」は直ちに削除対象にはなりません。独立記事作成のガイドラインに当てはまらない記事に対する対応は、まず第一に削除なのではなく、まず第一に他の記事への統合やリダイレクト化の検討であることはWP:FAILNに明記されている通りです。そもそも、独立記事作成のガイドラインをガイドライン化するための最大の懸念であった削除の濫用を防ぐために、「ガイドラインに反しているからと言ってすぐさま削除対象になるわけではないですよ」という部分の強調ををWP:FAILNの改定やWikipedia:削除依頼#STEP.0 依頼の前にの改定などを含め慎重に進めてきて、その結果としてなんとかガイドライン化できたわけです。それをいきなり削除の方針で「独立記事作成のガイドラインに当てはまらない記事」を削除対象だとしてしまえば、これらの苦労は水の泡ではないですか。現状は「著名性・特筆性」の単語からWikipedia:独立記事作成の目安に内部リンクを付けるという形で曖昧になっており最善とは言えないかもしれませんが、それでもストレートに間違っているよりはまだましです。そういった経緯も踏まえた上で、改定によるメリット・デメリットをもう少し熟慮していただけますようお願いします。--重陽(会話) 2015年7月14日 (火) 15:38 (UTC)- 返信 改定によるメリット・デメリット、逆に言うと現状のままにしておくデメリット・メリットは、Wikipedia‐ノート:削除の方針/「特筆性・著名性」の「特筆性」についてで皆さんが書いていることを読んでいただくのがよいと思います。重陽さんご指摘の問題点は、文面を『主題がWP:N、WP:NM他の独立記事作成のガイドラインに当てはまらない記事。』から『主題がWP:N、WP:NM他の独立記事作成のガイドラインに当てはまらず、改善の見通しが立たない記事。』に変えれば解消すると思います。しかし、大事なのは現状の問題点を解消することなので、ほかの文章でもよいと思います。『「特筆性・著名性」の「特筆性」について』で発言された方で現在も活動しておられる方も少なくありません。Wikipedia:独立記事作成の目安がガイドライン化された際に、その方たちから何も提案がなかったのが不思議です。ただ、上記の議論があったのはだいぶん昔のこと(2010年10月20日から2011年2月18日まで)です。それからガイドライン化までだいぶ長くかかっているため、ガイドライン化したことに気づかれなかったのかもしれません。200z(会話) 2015年7月15日 (水) 13:19 (UTC)
- コメント Wikipedia‐ノート:削除の方針/「特筆性・著名性」の「特筆性」についてを読むといい、ということは、200zさんの考えられている問題点は「特筆性」という表現の一点に絞られると考えていいのでしょうか?そうであれば、確かに現状維持ではその問題点は解消できませんね。確かに今のままがいいわけではありませんし、WP:FAILNの精神を盛り込んだ上での改定であれば賛成できます。方針文書内の地の文では他文書へのリンクをショートカットで示すことはあまりしませんから、WP:NおよびWP:NMへのリンクはショートカットではなく直接文書のページ名を示す方がいいと思います。それと、この際ですから「改善の見通しが立たない」よりももっとはっきりと「改善のための検討が十分に行われたが削除以外の方法では問題の解決ができない記事」というようにストレートに書いちゃった方がいいように思います。他の基準と比較すると少し長くなってしまいますが、「記事の主題がWikipedia:独立記事作成の目安および各分野ごとの独立記事作成のガイドラインに当てはまらず、改善のための検討が十分に行われたが削除以外の方法では問題の解決ができない記事」でどうでしょうか?WP:NMはWikipedia:特筆性 (音楽)ですので、特筆性という表現の問題から例示を省きました。
- それと、「・広告またはスパム。」を「・広告および関連する百科事典的なコンテンツのないその他のスパム(広告関連の主題についての記事をのぞく)」に変更するのはいいかと思いますが、「・百科事典的な記事に成長する見込みのないもの。」はどこに消えたのでしょうか?これは「百科事典的なコンテンツのない」という部分に吸収されているという理解でいいのでしょうか?そうであれば、「・百科事典的な記事に成長する見込みのないもの。」という理由は現在の削除依頼でもしばしば単独の削除理由として用いられていますから、広告またはスパムに吸収させてしまうと現状の方針運用と齟齬が出てしまうように思えます。百科事典的な記事に成長する見込みがないことが、イコール広告またはスパムではありませんし、成長の見込みがないという項目を削除しようという話ならともかく、文面修正の範囲ではなくなってしまうのかなと思います。--重陽(会話) 2015年7月15日 (水) 22:01 (UTC)
- 返信 改定によるメリット・デメリット、逆に言うと現状のままにしておくデメリット・メリットは、Wikipedia‐ノート:削除の方針/「特筆性・著名性」の「特筆性」についてで皆さんが書いていることを読んでいただくのがよいと思います。重陽さんご指摘の問題点は、文面を『主題がWP:N、WP:NM他の独立記事作成のガイドラインに当てはまらない記事。』から『主題がWP:N、WP:NM他の独立記事作成のガイドラインに当てはまらず、改善の見通しが立たない記事。』に変えれば解消すると思います。しかし、大事なのは現状の問題点を解消することなので、ほかの文章でもよいと思います。『「特筆性・著名性」の「特筆性」について』で発言された方で現在も活動しておられる方も少なくありません。Wikipedia:独立記事作成の目安がガイドライン化された際に、その方たちから何も提案がなかったのが不思議です。ただ、上記の議論があったのはだいぶん昔のこと(2010年10月20日から2011年2月18日まで)です。それからガイドライン化までだいぶ長くかかっているため、ガイドライン化したことに気づかれなかったのかもしれません。200z(会話) 2015年7月15日 (水) 13:19 (UTC)
- 「・百科事典的な記事に成長する見込みのないもの。」が単独で使われているケースについて調査してからお答えしようと思ったのですが、調査できていません。すみません。「・百科事典的な記事に成長する見込みのないもの。」については、あまり役にたちそうにないなと思って消してしまったというのが正直なところです。あまり役に立ちそうにないなと思った理由は客観的に判断する手がかりになりそうな文言がないためです。完全に消してしまうのも良くないなと思ったので、いくらかは手がかりになりそうな「コンテンツ」につけたというところです。ところで、重陽さんに質問なのですが、「・百科事典的な記事に成長する見込みのないもの。」だけを理由とする削除依頼があった時、どのような基準で判断されますか。 200z(会話) 2015年7月24日 (金) 10:41 (UTC)
- 成長する見込みがないということを単独の理由として依頼されたケースとしては2015、2014年のものだけでもWikipedia:削除依頼/金沢市医師会、Wikipedia:削除依頼/蘇角、Wikipedia:削除依頼/佐々木裕子、Wikipedia:削除依頼/ハレルヤ (サポーター)、Wikipedia:削除依頼/趙成 (秦)、Wikipedia:削除依頼/銀行のインターネット支店記事その1、Wikipedia:削除依頼/うたの科学館シリーズ のりものの歌、Wikipedia:削除依頼/同一ユーザーにより作成された辞書的項目、Wikipedia:削除依頼/室蘭女子高生失踪事件、Wikipedia:削除依頼/福島県原町市女性失踪事件など多数あります。また、Wikipedia:削除依頼/Wish upon a starでは宣伝を理由に削除依頼にかけられていますが、対処した管理者の判断として「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの」が削除の理由にされています。複数の削除理由の中の一つとして含まれるケースはさらに多数に上ります。
- どのような基準で判断されるのかという点については、文面通り「その記事が将来的に加筆されていった結果として百科事典的な記事に成長しうるかどうか」としか言いようがないかと思いますが、これらの依頼を見る限りは「独立記事作成の基準を満たしていない」という理由との境界が曖昧で感覚的な使い分けによる部分が大きいようにも見えます。200zさんのご意見も分かりますが、先に述べたとおり実際に多くの依頼で削除の理由として現に使われている削除理由である以上、文面修正のついででいつの間にか別の理由に吸収されてしまっていたというようなことは影響も大きくあまり良くないのではないかと思いますし、やはりそれは文面修正の範囲ではありませんよ。ケースEの理由から外すなら外すで構わないとは思いますが、それはきちんと「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの」という理由をケースEから外すのだとはっきり明確に述べた上でしっかり告知を行い、削除依頼で削除の理由として実際に使っている方々にも十分に周知されていることが期待できる状態に持っていった上での話でしょう。しっかり告知が行われれば、削除理由として使っている方々から必要性の説明がいただけるかもしれませんし。--重陽(会話) 2015年7月24日 (金) 16:36 (UTC)
「ケース B-2:プライバシー問題に関して」に関係する問題提起
編集「ケース B-2:プライバシー問題に関して」に関係する案件で2件気になるものがあったので、報告するとともに、お考えいただければと思います。具体的提案をするところまでは考えがまとまっていないので、提案はしません。1つは2015年3月18日に依頼されたWikipedia:削除依頼/全日空61便ハイジャック事件20150318です。英語版などの他言語版の記事名の中に犯人や被害者の名前が書かれて、他言語版へのリンクがB-2に反することが問題になっています(と私には見えました)。WikiDataなどの言語間リンクの作成者が言語版によりルールが異なるということを想定していないのでこのようなことが起きるのだと思います。もうひとつは2015年7月19日に依頼されたWikipedia:削除依頼/朴相煕です。韓国語版からの翻訳記事であり、韓国版に記載されている著名人でない人物の氏名の記載が問題だというご指摘です。たしかに、B-2には「法令とは関係なく日本語版Wikipediaは個人のプライバシーや名誉を尊重する方針を採っています。」とあり「著名人の記事で、著名活動をしていない家族の実名を含むもの。」という基準もあるのですが、「何らかの訴訟で訴えられる可能性があるか」という観点から考えると、韓国語版で公表されているのなら、日本語版で匿名にする意味はないように思います。というのは、氏名を公表していることでで訴えられるとしたら、まず関係者にとってなじみのある韓国語版で氏名を公表していることで訴えられるのであり、日本語版で公表していることは関係しないと思われるからです。以上2件、報告と問題提起をします。200z(会話) 2015年7月28日 (火) 13:20 (UTC)
- 著名人の親族は必ずしも著名でないことにご注意ください。しかも、Wikipedia:削除依頼/朴相煕はネットですら出てこない親族の名前まで記載されております。--hyolee2/H.L.LEE 2015年7月28日 (火) 13:29 (UTC)
- あと訴訟の話だが、ウィキメディア韓国支部ができる前まではどこを訴えればよいかわからなかったため、訴訟がされないだけです。しかし、支部ができた以上は話が違ってきます。--hyolee2/H.L.LEE 2015年7月28日 (火) 13:33 (UTC)
- 不適切な個人情報(氏名に限らず、住所なども)を晒してもかまわない風潮が染み付いているので韓国語版で公表されているというのは当てにしてはいけません。一般社会では許されないケースもあります。WPの特性上情報が広まるのが早く、削除に時間がかかる場合があると言うことも頭に入れておいてください。--hyolee2/H.L.LEE 2015年7月28日 (火) 19:04 (UTC)2015年7月28日 (火) 22:22 (UTC)(修正と追加)
古い事件における一般人の記載ラインについて
編集以下、Wikipedia:井戸端/subj/古い事件における一般人の記載ラインについてより転記します。--124.108.255.109 2015年10月18日 (日) 18:32 (UTC)
Category:昭和時代戦前の殺人事件、Category:大正時代の殺人事件あたりの事件記事ですと、被害者や加害者の名前が書かれています。津山三十人殺しや阿部定ぐらいの有名事件関係者なら理解できますし、旧帝国軍人であるとか政治家といった公人、大企業の経営者クラスなら判りますが、事件前には一般人にしか過ぎなかった被害者・加害者の実名表記のボーダーラインは、どの辺なのでしょうか?(事件後に事件を扱った自伝などを公開していない場合です)。どこかのノート等でラインが決められていますでしょうか?
先行議論としては、2008年のWikipedia:削除依頼/瀬戸内シージャック事件にて「38年前であれば、「歴史的」事件といって差し支えないと思います」という御意見と「38年前の事件では歴史的事件と呼ぶのは難しいようにも思えます」という御意見を見つけましたが、この時は「事件の内容を鑑み、一律で時間で区切るべきではない」という見解になった、と見ています。
現在、以下の記事についてケースB-2として削除依頼(版指定削除)を提出しています。
- Wikipedia:削除依頼/首なし娘事件(首なし娘事件)1932年(昭和7年)
- Wikipedia:削除依頼/チフス饅頭事件(チフス饅頭事件)1939年
- Wikipedia:削除依頼/隅田川コマ切れ殺人事件(隅田川コマ切れ殺人事件)1934年
- Wikipedia:削除依頼/日大生殺し事件(日大生殺し事件)1935年(昭和10年)
今のところ削除票(版指定削除)が入っているのはWikipedia:削除依頼/チフス饅頭事件のみで御一人だけです。「戦前の事件は「歴史」に分類されるから、実名表記は問題ない」、あるいは「編集除去で十分」という合意が既になされていれば、投票の行われていない3件については取り下げる所存です。
しかし、ボーダーラインが決まっていないのであれば、大正・明治といった時代の事件についても削除依頼を出すべきだと考えます。回答や合意がなされているページもしくは疑問を提示するに相応しいところはどちらになるでしょうか?--124.108.255.33 2015年10月6日 (火) 11:37 (UTC)
- 削除の方針に例示されてますが、「ほとんどの関係者がお亡くなりになっていると考えられる場合」には削除は必要ありませんから、安全に倒すなら明治後期以降のものでは注意が必要かもしれません。まあ、事件発生後100年も経過してれば問題はないのではないでしょうか?もっと詰めるなら、削除の方針のノート辺りが適当ではないでしょうか。--Vigorous action (Talk/History) 2015年10月18日 (日) 10:47 (UTC)
- 御意見ありがとうございます。「ほとんどの関係者がお亡くなりになっていると考えられる場合」ですが、思えば、私は50歳近くになり、祖父母が大正生まれのため、戦前や大正期までには親近感を持っており、若い方とは意識にズレがあるのかもしれません。そのためか、Category:明治時代の殺人事件を一通り拝見しましたが、「歴史的過去」という印象の記事が多かったです(特に明治前期の記事において。なお、山陽鉄道列車強盗殺人事件(1898年)では「以下は一世紀前の事件であり、実名表記とする」と注意書きがありました)。Category:大正時代の殺人事件ですと、最初(あ行)の愛知貰い子殺人事件(1913年発覚)で実名が記載されているのですが、前掲の通り100年以上前になりますので、「ほとんどの関係者がお亡くなりになっていると考えられる場合」に該当するかと思いますが、実名記載は生々しく感じました。殺人事件であるから生々しい部分があるのも当然かと思いますが、実名記載ではなく匿名にすることで緩和できるのではないか、と思いました。ただし、ここまで古いと編集削除で十分であり、版指定削除までは不要かとも思います。削除の方針のノートに提案してみようかと思います。--124.108.255.109 2015年10月18日 (日) 18:24 (UTC)
以上、転記部分終了。
第1点は、「プライバシー案件(B-2)の範囲をどこで区切るか?」あるいは「区切りを作るべきではなく、ケース・バイ・ケースで決定するべき」か、です。
第2点は、「版指定削除にするものと、編集除去で済ませる場合の区分をどうするか?」です(こちらも「区分は設置せず、個別案件で決めるべき」という意見が出るかとも思います)。
私としては、区切りについては「(ひとまず)100年前で区切る」のが穏当かと思います。第2の点については、一般人については、100年以上前(明治期)であっても編集除去すべきかと思っています。これは、武士階級(や豪商の代表者クラス)に関しては別とし、また鬼熊事件のように名前が広く知れ渡っているものも例外と考えています。--124.108.255.109 2015年10月18日 (日) 18:48 (UTC)
- そもそも、百科事典の記事に一般人の犯人や被害者の実名って内容を理解する上で要るの?って思っていますが、そこは置いておいた方が良さそうなので。。。
- それはさておき、私は井戸端で事件発生後100年という年月を挙げました。この年月の算出根拠というか、を説明しておきます。方針の言う「関係者」の範囲がかなり曖昧であることから、犯人や被害者などを事件当時直接面識のある親族を想定しました。その方々は、事件当時ある程度の年齢層に達しているので、その時から100年経過してればその方々は存命では無いであろうと考えたからです。
- 本題にはいりすと、期間は個々の案件によって異なるため、一律に定めるのはどうかと思います。ただ、ある程度の目安の提示はあった方がいいのではと思います。その目安として100年を提示してみました。ただし、例えば犯人が死亡していて天涯孤独で身寄りが全く居なかった事が明らかな場合等の場合、法的リスクは著しく低下しますからそこまでシビアになることはないでしょうから、例えば特定版削除などの措置は必要ないことも有りえます。--Vigorous action (Talk/History) 2015年10月19日 (月) 11:42 (UTC)
- 古い記事での私人の個人名の扱いについて見識を持たず、ボーダーラインが決まっていなければ判断できない、ケースバイケースでの判断ができないのであれば、削除依頼を出さないでいただくというのが最善と思います。
- (除去ではなく)削除については、法的な問題として削除するのであり、遺族のプライバシーや名誉感情に類するところが論点となるなら、その実名が間違いである可能性がなければ、基本的には名前を出す出さないの有益性の比較衡量で判断されるものですし(つまり、ケースバイケースです)、基本的には本人でなく遺族となると、あまり認められない傾向にありますから、それほど積極的に削除しようと思わなくてもリスクは高くないと思われます。その上で、ウィキペディア日本語版として、事件の性質や遺族感情を尊重して削除することもある。削除の方針は、削除しようとした方がよいと思うという意見でコンセンサスができたら削除できるものを限定するもので、方針に合致するものは削除しなければならないというものではありません。--Ks aka 98(会話) 2015年10月21日 (水) 16:39 (UTC)
初版立項者の投票権限を無くしてはどうか
編集Wikipedia:削除依頼/女は悩まない 女の世直しニュース女子やWikipedia:削除依頼/Category:豊中市出身の人物で海ボチャンさんのコメントで「初版投稿者による存続票が後を絶たないので、制限してはどうか?」というコメントがありました。
私も削除依頼に首を突っ込むことが多いので常々気になっていました。勿論IPユーザーには投票権限はありませんし、アカウントユーザーでもアカウントを取得直後に記事立項→即削除依頼に提出されたケースの場合は編集回数50回未満である場合が多く、投票権限はありません。ただ編集回数50回というのは、連続投稿を行ったりしていると割と簡単にクリアできるもので、余り編集経験のない方でも投票権限が付与されています。
Wikipediaは百科事典を作るプロジェクトであり、記事を削除することは好ましくないというのは重々承知しておりますが、結局初版立項者による存続票は、自分が立項した記事を存続させることだけに躍起になって、議論が堂々巡りになったり、方針文書を案内しても揚げ足を取ったりと議論が成立しない(いつまでも納得しない)、審議妨害になっていることが多いように思いました。私が関わったケースではWikipedia:削除依頼/牧歌舎 20150210なんかが、最たる例でこの記事については初版立項者が何としてでも記事を存続させようと、ルールを強引に解釈したり、捻じ曲げるなどの強硬策を行い、ついに投稿ブロックされた経緯がありました。
牧歌舎については非常に極端で例外的なケースで有ろうかとは思いますが、良識のある初版立項者で有れば、そもそも削除されるような記事は作成しない、もしも自分の立項記事が削除依頼にかけられた場合は議論を静観してコミュニティに判断を委ねるか、加筆を行ない記事として体裁を整え存続に向けた努力を行うことが多いと思います。結果的に初版立項者の投票は無効にしても問題ないのではないでしょうか?初版立項者による、時に強情な存続票(自分にとっては特筆性がある、他にも同じような記事がある…など)により積み残し案件になったりして、管理人様の管理活動も煩雑になっているようにも思います。
初版立項者による削除依頼の投票禁止に対して皆様方の意見を募りたいと思います。--途方シネマズ(会話) 2015年10月21日 (水) 02:31 (UTC)
- 反対 方針・ガイドラインを基本として、コミュニティの合意を持ってその一切の運営を行うjawpにおいて、合意形成の過程で初版立項者を排除する動機づけが上記の説明だけでは不十分です。「強情な存続票」を入れるのは初版立項者だけではないでしょうし、そもそもその存続票の結果合意が形成されなかったと管理者が判断したのであれば、それは一定の評価すべき意見だったのでしょう。(ところで、「強情な存続票」ってなんでしょう?極めて主観的・情緒的で、「強情な削除票」を入れている方だからこそ使う言葉だと思いますよ。どっちもどっちですね。)しかも、仮に初版立項者を削除依頼から排除することとなった場合でも、別アカウント・別IPでの削除依頼への参加も簡単に想像でき、その実効性ははなはだ疑問です。いずれにしてもこの提案には反対とさせていただきます。--Xx kyousuke xx(会話) 2015年10月21日 (水) 03:03 (UTC)
- コメント 荒らしユーザーによる削除依頼に対し、ウォッチリストに入れているのは初版立項者のみ、という事態も想定されます。そのような時に、後者による 即時存続が妨げられてしまうのは、どうかと思います。ちょっと改定には消極的ですね。--Ashtray (talk) 2015年10月21日 (水) 03:14 (UTC)
- 反対 数で言えば一人、記事の情報について言えば一番多くの情報を持っているのですし、不備がどこにあるのかを説明し、権利侵害や記述量や出典が示されていないだけなら、新たに作り直してもらったり、出典を示してもらったりすることが期待できます。丁寧に説明してもダメならダメですし、そういう人がある程度参加してくることは避けられず、票にカウントされなくとも書き込みを繰り返したり、「欠席裁判」云々で騒いだり、といったことは、投票権限をなくしても同じです。むしろ削除依頼にかかわっている人たちが、初心者に噛み付いているWP:BITEことが、その場をややこしくしているように思います。--Ks aka 98(会話) 2015年10月21日 (水) 03:24 (UTC)
- (コメント)編集回数ゼロの初心者が記事を作成してそれが削除依頼にかけられた場合、その記事の作成者は編集回数が50回に達していないため投票できないことが多いですし、Wikipedia:削除依頼/女は悩まない 女の世直しニュース女子やWikipedia:削除依頼/Category:豊中市出身の人物のように、初心者でない方が方針や慣行を無視して俺様基準をゴリ押しするような存続票を投じる場合もあるので、それを防ぐ効果はあるでしょう。しかし「可変IPで投稿し、その記事が削除依頼にかけられた場合にアカウントで存続票を入れる」という行為は防げないので、あまり意味のあるルールではないように思えます。なお、削除票を投じる場合は削除の方針に該当していることを示す必要がありますが、存続票を投じる場合はたとえそれが削除の方針に該当していても存続すべきと思う自分なりの根拠を述べればいいので、「強情な削除票」は存在しえなくても「強情な存続票」は存在しうるでしょう。初心者の初版投稿者は方針をよく知らないので、「この事物は百科事典に書かれるべきだ!」という思いに駆られて記事を作成するのでしょうし、削除依頼では「百科事典に書かれるべきと思うに至った自分なりの根拠」をひたすら説明しようとする傾向があるので、どうしてもWP:BITEのようになってしまうのは仕方がないように思います。--Muyo(会話) 2015年10月22日 (木) 04:08 (UTC)
- (コメント)「初心者の初版投稿者は方針をよく知らないので、『この事物は百科事典に書かれるべきだ!』という思いに駆られて記事を作成するのでしょうし、削除依頼では『百科事典に書かれるべきと思うに至った自分なりの根拠』をひたすら説明しようとする傾向がある」からこそ、「新規参加者を苛めないでください」があるんじゃないんですか?私はそう理解していました。Muyoさんの発言を見ると、現役管理者が、方針をよく知らない初心者に対してはいじめも許容されるとおっしゃっているように見えます。そういう場合こそ、「親切に、礼儀正しく、そして根気を持って接しなければな」らないのではないでしょうか?私の誤解であればいいのですが。--Xx kyousuke xx(会話) 2015年10月22日 (木) 05:17 (UTC)
- いじめを許容するなどという意図はありません。--Muyo(会話) 2015年10月22日 (木) 11:14 (UTC)
- 「仕方がない」のは度を越した主張がされた場合だけ、ということでしょうか。承知しました。--Xx kyousuke xx(会話) 2015年10月22日 (木) 11:29 (UTC)
- 提案者ですが、反対意見が多いことと、反対意見を熟考したところ、初版立項者の投票禁止を実現するとデメリットの方が大きいと考えましたので、この提案は下げさせていただきます。--途方シネマズ(会話) 2015年10月24日 (土) 11:59 (UTC)
私は一部の削除依頼で必死に存続を訴える初版投稿者を何度も見て「初版投稿者の存続票は禁止すべきだ」と思っていました。しかし上にもあるようにそう言った短所的な部分もあるのですね。以上のコメントを見て、私も初版投稿者の投票禁止すべきだと言う考えは当面保留します。ただし、初版投稿者が必死に存続を訴える場面が多くなった場合は、私の方から再提案する可能性はあります。--海ボチャン(会話) 2015年10月27日 (火) 09:25 (UTC)
ケースF(投稿者本人から依頼がある場合)の運用についての確認
編集WP:DP#Fでは「初版投稿者が希望した場合であって、他の参加者から反対がないとき」に削除できる、と定められています。
これは「初版投稿者」のあとに、別の利用者による有意な編集があるかどうかは問われない、仮にあったとしても「反対がなければ」削除にのる、という解釈でいいのでしょうか?
- Wikipedia:即時削除の方針#全般8では、「初版投稿者が白紙化したもの」かつ「ページの履歴にその投稿者の投稿しかない」などの要件があります。
- いまのケースFの規定は、過去ログ[2]を見る限り、おそらく2007年4月頃にできたものです。
また、この規定では「反対がないとき」という言い回しになっています。通常の削除依頼では第三者は「削除」「存続」で意見をつけますが、この場合は「賛成」「反対」とするべきでしょうか。ふつうに考えれば「削除=賛成」「存続=反対」ですので、それでもいいのでしょうか。
また、「反対がないとき削除となる」という規定に対し、「反対意見」はわかるのですが、「賛成意見」はどのような影響を与えるのでしょうか?(バカげたことを言うと思われるかもしれませんが)賛成100、反対1でも「反対はある」ことになります。常識的にみて通常は「賛成で合意が形成されている」と判断することがほとんどだろうと思いますが・・・。--柒月例祭(会話) 2015年11月24日 (火) 03:32 (UTC)
- 今のケースFに該当する規定は即時削除の方針が日本語版に導入される以前の2003年12月20日に設けられているようです。基本的にはWP:CSD#全般8に該当するような記事を削除依頼として提出した場合にケースFが適用されると思います。ただし、全般8は他者による編集が「単純な編集しかないもの」に限定されていますが、ケースFは他者による多少の有意な編集があっても適用されうるでしょう。
- 「反対がないとき」は「投票権のない人(IPユーザー含む)による反対意見(存続意見)も有効」という意味にも受け取れますが、実運用上は現状、そこまで深く決めていないのではないかと。厳密には賛成100、反対1でも「反対はある」ことになりますが、削除票が存続票・反対意見を大きく上回っている場合はケースFを適用せずともケースZとして削除されることになるでしょう。ただ、このケースが適用される状況として、「反対意見がない」というのは主に「記事の内容として初版投稿者にしかわからないことが多いため、反対のしようがない(削除票も存続票も入らないか、初版投稿者の意思を尊重する意味で削除票のみ入る)」という場合が想定されているのではないかと思います。--Muyo(会話) 2015年11月24日 (火) 04:23 (UTC)
- コメント へのいちと申します。今のまま(「反対1でも削除しない」,「有意な編集の有無は気にしない」)で良いように思います。以下、その理由を少し詳しく。
- 大雑把にいえば、ウィキペディアに一度投稿された記事は、投稿者のものではなくウィキペディアのものになるといえるでしょう。なので、記事に何らかの問題があって削除すべきだとされない限り、例え投稿者自身の気が変わって削除を望んだとしても、ウィキペディアでは削除せずにありがたく利用させてもらうことになります。そうはいっても、善意の投稿者の意思をそんな形で無視するのはあんまりだということで、せめて削除に反対する人が一人もいない場合に限っては、投稿者の意思を尊重して削除に応じようというわけですよね。なので、削除賛成100に対して削除反対が1だとしても、あくまで投稿者が個人的な理由で削除を希望しているだけで、記事に何らかの問題があって削除すべきだということではないのなら、削除せずに利用させてもらおうということですよね。数字だけを見ると、100対1なのに削除しなくてよいのだろうかという気がしますが、現実には、100対1になるような案件であれば、投稿者の希望である以外に何かしらの削除すべき理由があるのでしょうから、そちらの理由に従って削除されることになるのだと思います。
- また、履歴に有意な投稿が含まれる場合には、それらの投稿者は削除に反対すればよいし、実際反対することが多いでしょう。それらの投稿者本人でなくても、第三者が、「履歴に有意な投稿があるから反対します」といって反対してもいいですし、その投稿者に意見を出してもらうように促してもよいでしょう。第三者が促さなくとも、削除を希望する初版投稿者に誠意があれば、履歴に有意な投稿がないかを確認して、有意な投稿がある場合には、削除の希望を出していることをその投稿者に直接伝えることが行われるはずです。誠意がなければ反対意見を呼び込むことになるでしょうし。なので、履歴に有意な投稿があるかないかはあまり気にしなくてもよいように思います。--へのいち(会話) 2015年11月24日 (火) 13:11 (UTC)
- かなり昔になりますが、依頼不備でクローズされた削除依頼でWikipedia:削除依頼/調緒というものが有ります。この案件がケースFで依頼されていれば削除されていたかも知れないと思います。当時は提案削除があり、その時点で反対されていますから削除されていたかどうかは微妙ですが。--Vigorous action (Talk/History) 2015年11月24日 (火) 13:23 (UTC)