ジャパン・オープン・テニス選手権
ジャパン・オープン・テニス選手権(Japan Open Tennis Championships)は、10月初頭に日本で開催されるテニスの国際大会。東京の有明コロシアム及び有明テニスの森公園を会場としてATP 500の大会が、大阪の靱テニスセンターを会場としてWTA 250の大会が行われる。主催は日本テニス協会[1]。
ジャパン・オープン・テニス選手権 | |
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ATPツアー | |
開始年 | 1972年 |
開催地 | 日本・東京 |
会場 |
有明テニスの森公園 (1983–2017, 2019–) 武蔵野の森総合スポーツプラザ (2018) 田園コロシアム (1972–82) |
カテゴリ |
ATP 500 (2009–) インターナショナル・シリーズ・ゴールド (1998–2008) チャンピオンシップ・シリーズ (1990–97) グランプリ・サーキット (1973–89) |
サーフェス | ハード / 屋外 |
ドロー | 32S / 16Q / 16D / 4Q |
賞金総額 | US$2,013,940 (2023) |
公式サイト | |
japanopentennis.com/atp |
この記事では、東京で開催されるATP 500(男子)の大会について記述する。WTA 250(女子)の大会については、ジャパン女子オープンテニスを参照。
2009年から2022年までの大会特別協賛は楽天で「楽天ジャパン・オープン・テニス選手権」と称されていた[2]が、2023年からは木下グループが特別協賛となる[3]。
歴史
編集1972年に田園コロシアムで第1回大会が開催される。しかし、この大会は準備大会として開催され選手は招待という形式で行われたため、グランプリ・シリーズの公式戦ではなかった。1973年第2回大会から男子部門がATPツアー編入。大阪オープンに次いで日本2番目のオープン大会公式戦となる。1983年大会から女子部門がWTAツアーに編入されるようになった。1983年から完成した有明テニスの森公園で開催。コートはクレーコートからハードコートに変更。
1987年、サントリーが冠スポンサーになりサントリー・ジャパン・オープンとして大会規模を拡大。賞金総額を前年の19万5000ドルから65万ドルに増額。メイン会場は1万人収容できる有明コロシアムで開催された。開催時期を10月から4月に移行。
1990年、男子トーナメントではアジア初のチャンピオンシップシリーズへ昇格する。2000年再び10月開催に変更。
1992年にバブル崩壊のため、4億円の冠協賛金を出していたサントリーがスポンサーから降りた際、当時日本テニス協会会長を務めていた小坂徳三郎が、鈴木俊一東京都知事に話を持ち込み、朝日生命と東京都がダブルスポンサーとなった。自治体が賞金大会を協賛するのは異例のことであった[4]。
1993年大会以降は、東京フロンティア・朝日生命カップ、世界都市博覧会・朝日生命カップ(朝日生命と東京都の外郭団体・東京フロンティア協会と東京都観光連盟がスポンサーとして参加)、朝日生命カップ等を経て2001年からは、AIGグループの協賛によりAIGオープンとして行われた。
2006年、世界ランキング1位・グランドスラム優勝9回のロジャー・フェデラーが初来日。大会7日間通算で大会記録更新となる7万2386人が来場した。 2008年3月、WTAが求めた2009年度以降のツアースケジュールに日本協会側が反発し、2009年度より女子部門がツアー下部のサーキット大会に格下げされた。AIGは2008年限りでスポンサーを撤退する。ジャパン・オープンとして同時開催であった男子(ATP)と女子(WTA)が分割開催されることになり、大阪、靱テニスセンターにて「HP JAPAN WOMEN'S OPEN TENNIS」として新しく開催されることになった。歴代優勝者といったジャパン・オープン女子の部の歴史はHP JAPAN WOMEN'S OPEN TENNISに引き継がれ、日本における国際大会(東レPPO、ジャパン・オープン男子、ジャパン女子オープンテニス)は再スタートする。また、2009年からジャパン・オープン(男子)と同時開催される格下大会である女子のITFサーキットシリーズは、ジャパン女子オープンテニスの前哨戦として位置づけされ、優秀選手にはジャパン女子オープンテニスのワイルドカードが付与される。同年、楽天がスポンサーとなり「楽天オープン」とも呼ぶ。
2010年からそれまでのNHK総合(シングルス)・GAORA(ダブルス)に代わりWOWOWが全日程を独占放送した。2010年、世界ランキング1位・グランドスラム3冠・全仏優勝5回のラファエル・ナダルが初来日。 2011年は東日本大震災の影響で女子が中止になり、以降は男子のみの開催となった。
錦織圭が優勝した2014年は、大会史上最多の8万5286人の入場者を記録している[5]。
2018年は、有明コロシアム改修の影響で武蔵野の森総合スポーツプラザ(室内ハード)で開催[6]。
2020・21年は新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を考慮し中止された[7][8]。
2022年は、3年ぶりに大会を開催。第1回大会から50年を迎えた[9]
大会歴代優勝者
編集男子シングルス
編集年 | 優勝者 | 準優勝者 | スコア |
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1972年 | 坂井利郎 | 九鬼潤 | 6-3, 6-4 |
グランプリ(現在のATPツアー)に編入 | |||
1973年 | ケン・ローズウォール | ジョン・ニューカム | 6-1, 6-4 |
1974年 | ジョン・ニューカム | ケン・ローズウォール | 3-6, 6-2, 6-3 |
1975年 | ラウル・ラミレス | マニュエル・オランテス | 6-4, 5-7, 6-3 |
1976年 | ロスコー・タナー | コラド・バラズッティ | 6-3, 6-2 |
1977年 | マニュエル・オランテス | キム・ウォーウィック | 6-2, 6-1 |
1978年 | アドリアーノ・パナッタ | パット・デュプレ | 6-3, 6-2 |
1979年 | テリー・ムーア | パット・デュプレ | 3-6, 7-6, 6-2 |
1980年 | イワン・レンドル | エリオット・テルチャー | 3-6, 6-4, 6-0 |
1981年 | バラージュ・タロツィ | エリオット・テルチャー | 6-3, 1-6, 7-6 |
1982年 | ジミー・アリアス | ドミニク・ベデル | 6-2, 2-6, 6-4 |
1983年 | エリオット・テルチャー | アンドレス・ゴメス | 7-5, 3-6, 6-1 |
1984年 | デビッド・ペイト | テリー・ムーア | 6-3, 7-5 |
1985年 | スコット・デービス | ジミー・アリアス | 6-1, 7-6 |
1986年 | ラメシュ・クリシュナン | ヨハン・カールソン | 6-3, 6-4 |
1987年 | ステファン・エドベリ | デビッド・ペイト | 7-6, 6-4 |
1988年 | ジョン・マッケンロー | ステファン・エドベリ | 6-2, 6-2 |
1989年 | ステファン・エドベリ | イワン・レンドル | 6-3, 2-6, 6-4 |
1990年 | ステファン・エドベリ | アーロン・クリックステイン | 6-4, 7-5 |
1991年 | ステファン・エドベリ | イワン・レンドル | 6-1, 7-5, 6-0 |
1992年 | ジム・クーリエ | リカルト・クライチェク | 6-4, 6-4, 7-6 |
1993年 | ピート・サンプラス | ブラッド・ギルバート | 6-2, 6-2, 6-2 |
1994年 | ピート・サンプラス | マイケル・チャン | 6-4, 6-2 |
1995年 | ジム・クーリエ | アンドレ・アガシ | 6-3, 6-4 |
1996年 | ピート・サンプラス | リッチー・レネバーグ | 6-4, 7-5 |
1997年 | リカルト・クライチェク | リオネル・ルー | 6-2, 3-6, 6-1 |
1998年 | アンドレイ・パベル | バイロン・ブラック | 6-3, 6-4 |
1999年 | ニコラス・キーファー | ウェイン・フェレイラ | 7-6, 7-5 |
2000年 | チャン・シャルケン | ニコラス・ラペンティ | 6-4, 3-6, 6-1 |
2001年 | レイトン・ヒューイット | ミシェル・クラトクビル | 6-4, 6-2 |
2002年 | ケネス・カールセン | マグヌス・ノーマン | 7-6, 6-3 |
2003年 | ライナー・シュットラー | セバスチャン・グロジャン | 7-6, 6-2 |
2004年 | イジー・ノバク | テーラー・デント | 5-7, 6-1, 6-3 |
2005年 | ウェスリー・ムーディ | マリオ・アンチッチ | 1-6, 7-6, 6-4 |
2006年 | ロジャー・フェデラー | ティム・ヘンマン | 6-3, 6-3 |
2007年 | ダビド・フェレール | リシャール・ガスケ | 6-1, 6-2 |
2008年 | トマーシュ・ベルディハ | フアン・マルティン・デル・ポトロ | 6-1, 6-4 |
2009年 | ジョー=ウィルフリード・ツォンガ | ミハイル・ユージニー | 6-3, 6-3 |
2010年 | ラファエル・ナダル | ガエル・モンフィス | 6-1, 7-5 |
2011年 | アンディ・マリー | ラファエル・ナダル | 3-6, 6-2, 6-0 |
2012年 | 錦織圭 | ミロシュ・ラオニッチ | 7-6(7-5), 3-6, 6-0 |
2013年 | フアン・マルティン・デル・ポトロ | ミロシュ・ラオニッチ | 7-6(7-5), 7-5 |
2014年 | 錦織圭 | ミロシュ・ラオニッチ | 7-6(7-5), 4-6, 6-4 |
2015年 | スタン・ワウリンカ | ブノワ・ペール | 6-2, 6-4 |
2016年 | ニック・キリオス | ダビド・ゴファン | 4-6, 6-3, 7-5 |
2017年 | ダビド・ゴファン | アドリアン・マナリノ | 6-3, 7-5 |
2018年 | ダニール・メドベージェフ | 錦織圭 | 6-2, 6-4 |
2019年 | ノバク・ジョコビッチ | ジョン・ミルマン | 6-3, 6-2 |
2020年 | 大会開催なし | ||
2021年 | |||
2022年 | テイラー・フリッツ | フランシス・ティアフォー | 7-6(7-3), 7-6(7-2) |
2023年 | ベン・シェルトン | アスラン・カラツェフ | 7-5, 6-1 |
2024年 | アルトゥール・フィス | ユーゴ・アンベール | 5-7, 7-6(8-6), 6-3 |
男子ダブルス
編集女子シングルス
編集女子ダブルス
編集脚注
編集- ^ “大会概要”. Kinoshita Group Japan Open. 日本テニス協会. 2023年6月4日閲覧。
- ^ “大会概要”. Rakuten Japan Open. 日本テニス協会. 2023年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月19日閲覧。
- ^ “『木下グループ ジャパンオープンテニスチャンピオンシップス』協賛について”. kinoshita-group.co.jp. 木下グループ (2023年2月21日). 2023年2月21日閲覧。
- ^ 冠大会に不況の風 スポンサーの降板目立つ 代役が見つからない例も 朝日新聞 1992年11月16日 夕刊3ページ
- ^ “錦織の快進撃で入場者数、過去最多の8万5286人/テニス”. サンスポ (産経デジタル). (2014年10月6日)
- ^ “楽天ジャパンOP 来年は武蔵野の森で室内大会に”. ニッカンスポーツ・コム (日刊スポーツNEWS). (2017年10月2日) 2020年6月19日閲覧。
- ^ "楽天ジャパンオープン2020の開催中止について" (PDF) (Press release). 日本テニス協会. 18 June 2020. 2023年8月5日閲覧。
- ^ "楽天ジャパンオープン2021の開催中止について" (PDF) (Press release). 日本テニス協会. 2 July 2021. 2023年8月5日閲覧。
- ^ “楽天ジャパンオープン2022開催のお知らせ”. Rakuten Japan Open. 日本テニス協会 (2022年7月15日). 2022年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月25日閲覧。
外部リンク
編集- 公式ウェブサイト
- ジャパン・オープン・テニス選手権 - ATPツアーによる大会紹介ページ
- 木下グループジャパンオープンテニスチャンピオンシップス (japanopentennis) - Facebook
- Kinoshita Group Japan Open (@kinoshitagroupjapanopen) - Instagram
- 木下グループジャパンオープンテニス (@japanopentennis) - X(旧Twitter)