サミー・ジアマルバ・ジュニア
サミー・ジアマルバ・ジュニア(Sammy Giammalva Jr.、1963年3月24日 - )は、アメリカ・テキサス州ヒューストン出身の元男子プロテニス選手。ライス大学卒業。自己最高ランキングはシングルス28位、ダブルス22位。ATPツアーでシングルス2勝、ダブルス4勝を挙げた。
| ||||
---|---|---|---|---|
基本情報 | ||||
愛称 | サミー | |||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||
出身地 | 同・テキサス州ヒューストン | |||
生年月日 | 1963年3月24日(61歳) | |||
身長 | 177cm | |||
体重 | 75kg | |||
利き手 | 右 | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1980年 | |||
引退年 | 1989年 | |||
ツアー通算 | 6勝 | |||
シングルス | 2勝 | |||
ダブルス | 4勝 | |||
生涯通算成績 | 318勝303敗 | |||
シングルス | 162勝164敗 | |||
ダブルス | 156勝139敗 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | ベスト8(1982) | |||
全仏 | 2回戦(1986) | |||
全英 | 4回戦(1985) | |||
全米 | 3回戦(1980) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 1回戦(1983-85・88) | |||
全仏 | 1回戦(1986・87) | |||
全英 | ベスト8(1983) | |||
全米 | 3回戦(1983・88) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 28位 | |||
ダブルス | 22位 | |||
来歴
編集同名の父親サミー・ジアマルバもテニスの名選手であった(彼は略称のサム・ジアマルバ名義で活動した)。兄のトニー・ジアマルバもプロテニス選手である。
父親のサム・ジアマルバは、1950年代にデビスカップなどで活躍したアマチュアの名選手で、1958年の全米選手権男子ダブルス準優勝の実績を持つ人である。息子のジアマルバ・ジュニアは、1980年に17歳でプロデビューし、この年の全米オープンで3回戦に進出した。彼の4大大会最高成績は、1982年全豪オープンのベスト8進出である。当時の全豪オープンは、オーストラリア・メルボルン市内にある「クーヨン・テニスクラブ」で年末の12月に開催されていた。この年から男子シングルスは「96名」の選手による7回戦制に拡大され、32名の選手に「1回戦不戦勝」(抽選表では“Bye”と表示)があった。ジアマルバ・ジュニアは「1回戦不戦勝」の選手として、2回戦から3試合を勝ち上がったが、準々決勝で第2シードのスティーブ・デントン(アメリカ)に 6-4, 3-6, 3-6, 6-2, 3-6 のフルセットで敗退した。
全豪オープン8強進出の翌年、ジアマルバ・ジュニアは1983年のウィンブルドン男子ダブルスにて、ヘンリク・スンドストローム(スウェーデン)と組んでベスト8に進出した。この後、「ジャパン・オープン」男子ダブルスで優勝する。パートナーは同じアメリカのスティーブ・メイスターと組み、決勝で「ガリクソン兄弟」(トム・ガリクソンとティム・ガリクソンは双子の兄弟)を 6-4, 6-7, 7-6 で破った。1984年には「セイコー・スーパー・テニス」のダブルスで、兄のトニー・ジアマルバとの兄弟ペアで優勝を飾った。ダブルス4勝のうち、2つを日本の大会で獲得したことから、ジアマルバ・ジュニアは日本で高い知名度を持っていた。
1982年全豪オープン以後の4大大会では、1985年ウィンブルドンの4回戦でジミー・コナーズに 3-6, 4-6, 3-6 のストレートで敗れた。彼はテニス経歴を通じて、ウィンブルドン選手権とは相性が良かった。1988年2月のフィラデルフィア大会では、ジアマルバ・ジュニアがピート・サンプラスのプロデビュー戦の対戦相手になった。
1989年に現役を引退した後は、故郷のヒューストン北郊でテニスクラブを経営する傍ら、ジュニア選手の育成活動を行っている。
外部リンク
編集- サミー・ジアマルバ・ジュニア - ATPツアーのプロフィール
- サミー・ジアマルバ・ジュニア - 国際テニス連盟