クエンティン・タランティーノ

アメリカの映画製作者 (1963-)

クエンティン・ジェローム・タランティーノ: Quentin Jerome Tarantino1963年3月27日 - )は、アメリカ合衆国の映画製作者。

クエンティン・タランティーノ
Quentin Tarantino
Quentin Tarantino
USAサンディエゴ - パネルディスカッションにて(2015年7月)
本名 Quentin Jerome Tarantino[1]

署名
生年月日 (1963-03-27) 1963年3月27日(61歳)
出生地 テネシー州ノックスビル
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 映画監督脚本家俳優映画プロデューサー
活動期間 1987年 -
配偶者 ダニエラ・ピック(2017年 - )
主な作品
監督
レザボア・ドッグス
パルプ・フィクション
ジャッキー・ブラウン
キル・ビル』二部作
デス・プルーフ in グラインドハウス
イングロリアス・バスターズ
ジャンゴ 繋がれざる者
ヘイトフル・エイト
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
その他
トゥルー・ロマンス』(脚本)
ナチュラル・ボーン・キラーズ』(原案)
フロム・ダスク・ティル・ドーン』(脚本・出演)
ホステル』シリーズ(製作総指揮)
受賞
アカデミー賞
脚本賞
1994年パルプ・フィクション
2012年ジャンゴ 繋がれざる者
カンヌ国際映画祭
パルム・ドール
1994年『パルプ・フィクション』
全米映画批評家協会賞
監督賞
1994年『パルプ・フィクション』
脚本賞
1994年『パルプ・フィクション』
ニューヨーク映画批評家協会賞
監督賞
1994年『パルプ・フィクション』
脚本賞
1994年『パルプ・フィクション』
2019年ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
ロサンゼルス映画批評家協会賞
監督賞
1994年『パルプ・フィクション』
脚本賞
1994年『パルプ・フィクション』
放送映画批評家協会賞
オリジナル脚本賞
2009年イングロリアス・バスターズ
2012年『ジャンゴ 繋がれざる者』
2019年『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』
英国アカデミー賞
オリジナル脚本賞
1994年『パルプ・フィクション』
2012年『ジャンゴ 繋がれざる者』
ゴールデングローブ賞
脚本賞
1994年『パルプ・フィクション』
2012年『ジャンゴ 繋がれざる者』
2019年『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』
セザール賞
名誉賞
2011年
ブルーリボン賞
外国語作品賞
1994年『パルプ・フィクション』
その他の賞
備考
第57回カンヌ国際映画祭 審査委員長(2004年)
第67回ヴェネツィア国際映画祭 審査委員長(2010年)
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1990年代前半、入り組んだプロットと犯罪と暴力の姿を描いた作品で一躍脚光を浴びた。アカデミー脚本賞カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞している。

経歴

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幼年期 - 青年期

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タランティーノはテネシー州ノックスビルで生まれた。母親は看護師のコニー・ザストゥーピル(旧姓マクヒュー/McHugh)、父親はニューヨーククイーンズ生まれの俳優であり音楽家でもあるトニー・タランティーノ[2]。タランティーノの父はイタリア系アメリカ人、母親はアイルランド系アメリカ人チェロキー族の血も引いていた[3][4][5]。母親は僅か16歳で未婚のままタランティーノを生み、彼が生まれてから間もなく音楽家のカーティス・ザストゥーピル(Curtis Zastoupil)と結婚[注 1]。以来、タランティーノは実父には一度も会った事がないという[6]。母親も大の映画マニアで、一緒に映画を見て育つ。

1971年、タランティーノ一家はロサンゼルスのサウスベイ地区、エルセグンドに引っ越し、タランティーノはそこでホーソン・クリスチャン・スクール(Hawthorne Christian School)に通った。14歳の時、最初の脚本『ジ・アメージング・アドベンチャー・オブ・ミスター・リー』(The Amazing Adventures of Mr. Lee)を書く。16歳の時にハーバー・シティーのナーボン高校(Narbornne High School)を中退し、ジェームス・ベスト(James Best)劇団に加わり演技を学んだ。このときの経験は後の監督脚本家俳優人生において大きな意味を持つことになった。

22歳の時にマンハッタン・ビーチのビデオショップ「マンハッタン・ビーチ・ビデオ・アーカイブ」(Manhattan Beach Video Archives)の店員となり、ロジャー・エイヴァリーや客と様々な映画について語る日々を過ごす[7]。1995年に同店が閉業した際には商品のビデオテープを買い取り、自宅に店内を再現している[8]

タランティーノは、ポッドキャスト番組「ザ・モメント」に出演した際、名声を博す以前、出世する夢を母親のコニーにこき下ろされたと明かした。母親はタランティーノに対して指で引用符を表すジェスチャーをしながら、彼の「取るに足りない作家人生」は終わったと言ったという。

「僕はね、『分かったよ、ご婦人。僕が有名な作家になっても、僕の出世では1ペニーも目にすることはない。あなたのための家もない。お母さんのためのバカンスもエルビスが乗るようなキャデラックもない。何ももらえないよ、そんなことを言ったからね』と話したんだ」とタランティーノは回想した。

映画への取り組み

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第82回アカデミー賞にて女優ダイアン・クルーガー

ハリウッドのパーティでローレンス・ベンダーに出会い、脚本を書くように勧められる。タランティーノは1987年に『My Best Friend's Birthday』という作品を監督し、共同で脚本も書いている。この作品はラボでの編集中に火災で危うく失われるところであったが、この作品が後の『トゥルー・ロマンス』(トニー・スコット監督)の元ともなった[9]

タランティーノは『レザボア・ドッグス』で脚本家・映画監督としてデビューした。脚本が米映画俳優のハーヴェイ・カイテルに認められ、彼の出演だけでなくプロデュースも受けた[10] 本作は、カルト的ヒットを記録。第45回カンヌ国際映画祭にも特別招待作品として出品され、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭では南俊子賞(批評家賞)を受賞、映画祭期間中には次回作『パルプ・フィクション』を執筆した。

世界的にも配給され、タランティーノはデビュー作にして注目されることとなるが、監督二作目『パルプ・フィクション』では早くも第47回カンヌ国際映画祭で最高賞にあたるパルム・ドールを始め、数々の賞に輝き、米アカデミー賞では脚本賞も受賞、新しい米映画の旗手として認知されるに至った。1997年に公開されたエルモア・レナード原作による監督三作目『ジャッキー・ブラウン』では、深みのある演出が評価され、主演のサミュエル・L・ジャクソン第48回ベルリン国際映画祭銀熊賞 (男優賞)を受賞した。

1998年には舞台『暗くなるまで待って』に俳優として出演[11]。一時期沈黙したが、『キル・ビル Vol.1』『キル・ビル Vol.2』で復活した。 2004年には第57回カンヌ国際映画祭の審査委員長を務め、『誰も知らない』の柳楽優弥に史上最年少の男優賞をもたらした。

2009年には、ブラッド・ピットを主演に迎え、第二次世界大戦中を舞台に、架空のナチス殺し部隊を描いた異色のサスペンス映画『イングロリアス・バスターズ』を発表。第62回カンヌ国際映画祭でお披露目され、ナチスの軍人を演じたクリストフ・ヴァルツ男優賞を受賞。第82回アカデミー賞では、8部門にノミネートされ、クリストフ・ヴァルツが助演男優賞を受賞した。

2010年には第68回ヴェネツィア国際映画祭の審査員長を務め、元恋人のソフィア・コッポラ金獅子賞を授与した。

2012年には、黒人奴隷が主役の西部劇ジャンゴ 繋がれざる者』を発表。第85回アカデミー賞で、タランティーノが脚本賞、クリストフ・ヴァルツが助演男優賞を再び受賞した。

新作『ヘイトフル・エイト』脚本流出問題と再スタート

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2014年、最新作として『ヘイトフル・エイト』を制作するつもりで準備を進め同年の夏に撮影開始を予定していたが、同年1月に脱稿した脚本が何者かの手によって外部に流出。これをデジタルデバイスで読める形式にしたファイルがネット上に不法アップロード、そのリンクを米国ネット系メディア「ゴーカー・メディア」が一般に公開してしまうという負の連鎖が発生してしまった[12]。その後、タランティーノは「ゴーカー・メディア」をロサンゼルス連邦地裁に告訴請求、一旦『ヘイトフル・エイト』の制作は白紙にし、2014年4月19日ロスアンゼルスでカート・ラッセルティム・ロス、サミュエル・L・ジャクソン、ブルース・ダーンマイケル・マドセン等をキャストに招き、1200人の聴衆を集め、朗読会を開催した[13]。その後、映画化に向けて脚本を書き直す意思を明らかにし[14]、翌年に映画は公開。タランティーノが尊敬していた作曲家、エンニオ・モリコーネが作曲を担当し、モリコーネに初のアカデミー作曲賞をもたらした。

2019年、9本目の監督作品『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』では、1969年のハリウッドを舞台に、マンソン・ファミリーによるシャロン・テート殺害事件に焦点を当て、第72回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でプレミアを迎えた。同作にはレオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビーらが出演しており、第92回アカデミー賞ではブラッド・ピットに初のアカデミー助演男優賞をもたらした。また、第77回ゴールデングローブ賞では作品賞を含む3部門も受賞した。

映画監督引退について

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かねてより、長編映画を十作撮って映画監督を引退すると公言している[15]。2018年の情報では、監督第十作目は映画『スタートレック』になる見込み[16][17]

2023年秋より撮影開始の『The Movie Critic』(原題)が10作目で引退作となる見込み[18][19]であったが、中止となった[20]

映画人として

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作風

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ロバート・ロドリゲス監督と

レンタルビデオショップ店員時代に、大量の映画に埋もれ働きながら脚本を書いた。この当時に培った映画の知識が、後の映画制作に役立っている。主にアジアを中心としたマニアックな映画・日本のアニメ・音楽に精通しておりシネフィルを自称している。

タランティーノの作風は、自身の映画趣味が随所に見受けられる。パロディオマージュ・引用のほか、千葉真一パム・グリアなどタランティーノが熱狂的なファンである俳優を出演させている。グリア主演の『ジャッキー・ブラウン』を製作したが、原作者の作家であるエルモア・レナードを敬愛し、電話で会話した際には「イキがるわけじゃないけど、ぼくはあなたの小説を映画化するために、この世に生まれた男だと思っています」と伝えた[21]

日本のアニメにも造詣が深く、『攻殻機動隊』(映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)・テレビアニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(2002年))や『BLOOD THE LAST VAMPIRE』(2000年)がお気に入り。『キル・ビル』ではこの2作品を手がけたアニメ制作会社「プロダクション・アイジー」に直談判のため、同社を自らアポなしで訪れてアニメパートの制作を依頼している。

「意味のない話」を延々と続ける演出が特徴で、2007年の『デス・プルーフ in グラインドハウス』では、それがストーリーの半分を占めている。

インタビューで「現実とは関わりのないポストモダンで自己言及的、他からの引用にあふれたアートを作っており、一種のフォルマリズム的ゲームをしているだけなのでは」という指摘に対して、関心はつねに「ドラマとして魅力的な物語を語る」ことにあると答えている[22]

徹底したアナログ主義で、CGに関しては「他人のCG映画は嫌いじゃないが自分の映画では使いたくない」と公言している。ただし、盟友のロバート・ロドリゲスが手がけた『シン・シティ』の一部シーンを監督した際には、「CGの利点も知ってほしい」というロドリゲスの意図を汲み、初めてのCG合成の演出に臨んでいる。

影響を受けた俳優・監督・作品

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日本映画の造詣が深く影響を受けている。脚本を担当した映画『トゥルー・ロマンス』では主人公にタランティーノ自身を投影させており、サブカルチャー・ショップの店員である主人公は「Sonny Chiba (千葉真一)の熱狂的ファンで、『激突! 殺人拳』をガールフレンドと映画館で観賞し、部屋に『カミカゼ野郎 真昼の決斗』と『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』のポスターがそれぞれ貼ってある[注 2]」という設定である。『パルプ・フィクション』では、ブルース・ウィリス日本刀での殺陣を行わせた。

三隅研次鈴木清順塚本晋也のファンで、特に三隅が監督し勝新太郎が主演した『座頭市』シリーズや若山富三郎主演『子連れ狼』シリーズのファンであり、とりわけ『キル・ビル』のチャンバラシーンは勝が制作し三隅が監督した若山主演の『子連れ狼 三途の川の乳母車』のオマージュである[23]。『パルプ・フィクション』日本公開の際に来日し、同作の公開イベントで尊敬する勝と対面し、勝と話したり、勝の行きつけの店で食事をした[24]

 
キル・ビルで起用した女優ユマ・サーマン

『キル・ビル Vol.1』は深作欣二へ捧げられており[注 3]。初めて会った深作にサインを求めたのが『ガンマー第3号 宇宙大作戦』のLDであり、深作がアメリカのタランティーノの自宅に訪れた際は、タランティーノが所有している深作作品である『柳生一族の陰謀』の35mmフィルムをシアタールームで鑑賞したという[25]。同作『キル・ビル Vol.1』では自身がファンである『影の軍団シリーズ』に出演していた大葉健二を起用。ファンである日本人映画監督が石井輝男石井聰亙石井隆石井克人ということから、敵のヤクザの名前を「イシイ」としたりなど、タランティーノの嗜好を垣間見ることができる。また日本で舞台挨拶をする条件に「梶芽衣子と2人で会える時間を設ける」ことを要求していた[注 4]。配給会社は梶の承諾を取らずにこの条件を飲んでしまい、ドラマ『あなたの隣に誰かいる』の撮影中だった梶は無許可で承諾したことに怒って断るが、同ドラマプロデューサーの鈴木吉弘がタランティーノのファンだったため、スケジュールを調整し対面が実現した[26]。『レザボア・ドッグス』は深作の『仁義なき戦い』の影響を受けている作品であり、日本語吹き替えビデオには『仁義なき男たち』がつけられ、深作の推薦コメントも寄せられた。

クリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒』や『続・夕陽のガンマン 地獄の決斗』などのマカロニ・ウェスタンで知られる、イタリア映画セルジオ・レオーネ監督を尊敬しており、2014年のカンヌ国際映画祭で『荒野の用心棒』が35mmフィルム上映されたことを絶賛し、「『荒野の用心棒』は世界初のPV(プロモーションビデオ)映画。エンニオ・モリコーネの音楽を優先に撮影編集した画期的な作品」「アクション映画の革命」と評し、『続・夕陽のガンマン 地獄の決斗』のフィルムを所有し年に一度は親しいスタッフや家族、友人たちとスクリーンで鑑賞していると発言[27]

北野武作品のファンであり、北野もタランティーノのファンであることからインタビュー本で北野は彼の名を出した[28]

フランコ・ネロ主演『続・荒野の用心棒』などのマカロニ・ウェスタンやホラー作品『ビヨンド』などのルチオ・フルチ作品、地獄のバスターズ』などのエンツォ・G・カステラーリ作品等のB級イタリア映画ジミー・ウォング作品等のショウ・ブラザーズ制作の香港映画などと共に、前述の三隅作品や深作映画などをグラインドハウスで鑑賞し、自身の作品に多大な影響を受けた[29]

ロベール・アンリコ監督によるフランスの反戦映画の名作『追想 (1975年の映画)』のファンであり、町山智浩に『イングロリアス・バスターズ』のインタビューで同作品への『追想』の影響を指摘された際には喜びを現にした[30]。またリチャード・フライシャーが手掛けた南部アメリカ時代の黒人差別をリアルに描いた異色の歴史大作『マンディンゴ』も絶賛している[31]

ジャン=ポール・ベルモンド主演『いぬ』やアラン・ドロン主演『サムライ』などの犯罪サスペンスの監督で、フランスのヌーヴェルヴァーグに影響を与えた、ジャン=ピエール・メルヴィル作品の大ファンである[32][33]

ワイルドバンチ』を始めとするサム・ペキンパー作品のファンであり、また『ワイルドバンチ』のメインキャストであるロバート・ライアンが主演したロバート・ワイズ監督のフィルム・ノワール『罠』も絶賛しており、特に『パルプ・フィクション』のブルース・ウィリス演じる八百長試合を拒否するボクサーのエピソードに絶大な影響を受けた[34]

町山智浩の『映画秘宝』(双葉社)の連載「男の子映画道場」によればチャールズ・ブロンソン主演『狼の挽歌』『マジェスティックドン・シーゲルダーティハリー』『突破口!ジョン・フリン『組織』『ローリング・サンダーセルジオ・ソリーマ非情の標的』等も絶賛し、影響を受けたという[35]

初代『ゴジラ』などを監督した、日本の怪獣映画の巨匠本多猪四郎監督のファンであり、来日した際のインタビューで特に『ガス人間第一号』と『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』が好きと発言[36]

増村保造作品のファンである[37]

三池崇史のファンであり、映画『キル・ビル』に三池作品に出演したキャストを参加させた。自らも三池の映画『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』に伝説のガンマン役で出演している。

映画監督エド・ウッドのファンである。また、現役の監督で初めて夢中になった監督はブライアン・デ・パルマである。

タランティーノは千葉や深作、梶、石井、三隅研次、ジョン・ウーを絶賛している日本の映画雑誌『映画秘宝』に寄稿している町山智浩や高橋ヨシキらとも親しい。

タランティーノのファンなど

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前述の通り日本の映画雑誌『映画秘宝』の町山智浩や高橋ヨシキらとも親しく、また彼らはタランティーノの大ファンである。

映画評論家としても活動している、コラムニスト小説家小林信彦は、『週刊文春』(文藝春秋)に発表した自身の「映画ベスト200(外国映画100と日本映画100)」にタランティーノの監督作品『パルプ・フィクション』を入れている[38]

製作会社

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彼の映画製作会社「A Band Apart英語版」は彼自身の映画を製作するほか、長年埋もれていた中国のB級アクション映画を米国内で配給するなどしている。この社名は彼の偏愛するジャン=リュック・ゴダール監督による1964年の映画『はなればなれに』(原題: Bande à part)にちなんでいる。

作品

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監督

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長編映画

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題名 監督以外の役職 備考
脚本 製作 出演 撮影 ナレーター
1992 レザボア・ドッグス
Reservoir Dogs
Yes No Yes No No 役名:ミスター・ブラウン
1994 パルプ・フィクション
Pulp Fiction
Yes No Yes No No 役名:ジミー
1997 ジャッキー・ブラウン
Jackie Brown
Yes No Yes No No 役名:留守番電話の声
2003 キル・ビル Vol.1
Kill Bill: Vol. 1
Yes No Yes No No 役名:クレイジー88のメンバー
2004 キル・ビル Vol.2
Kill Bill: Vol. 2
Yes No No No No
2007 デス・プルーフ in グラインドハウス
Death Proof
Yes No Yes Yes No 役名: ウォーレン
2009 イングロリアス・バスターズ
Inglourious Basterds
Yes No Yes No No 役名:ドイツ軍兵士/アメリカ軍兵士
2012 ジャンゴ 繋がれざる者
Django Unchained
Yes No Yes No No 役名:フランキー
2015 ヘイトフル・エイト
The Hateful Eight
Yes No No No Yes
2019 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
Once Upon a Time in Hollywood
Yes Yes Yes No No 役名:レッド・アップルのCM監督(声のみ)


その他

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題名 監督以外の役職 備考
脚本 製作 出演
1987 マイ・ベスト・フレンズ・バースデー
My Best Friend's Birthday
Yes Yes Yes 自主制作だが未完成
役名:Clarence Poole
1995 フォー・ルームス
Four Rooms
Yes Yes Yes 第4話「ハリウッドから来た男」を監督
役名:チェスター・ラッシュ
ER緊急救命室 シーズン1
ER
No No No テレビドラマ
第24話「母親」を監督
2005 CSI:科学捜査班 シーズン5
CSI: Crime Scene Investigation
No No No テレビドラマ
第24・25話「CSI"12時間"の死闘(前後編)」を原案・監督
シン・シティ
Sin City
No No No スペシャルゲスト監督

脚本

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出演

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製作

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受賞歴

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部門 作品 結果
シッチェス・カタロニア国際映画祭 1992年 監督賞 レザボア・ドッグス 受賞
トロント国際映画祭 1992年 国際映画批評家連盟賞 『レザボア・ドッグス』 受賞
ストックホルム国際映画祭 1992年 グランプリ 『レザボア・ドッグス』 受賞
1994年 グランプリ パルプ・フィクション 受賞
ニューヨーク映画批評家協会賞 1992年 新人監督賞 『レザボア・ドッグス』 次点
1994年 作品賞 『パルプ・フィクション』 次点
監督賞 受賞
脚本賞 受賞
2009年 作品賞 イングロリアス・バスターズ 3位
脚本賞 3位
2019年 脚本賞 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 受賞
カンヌ国際映画祭 1994年 パルム・ドール 『パルプ・フィクション』 受賞
アカデミー賞 1994年 作品賞 『パルプ・フィクション』 ノミネート
監督賞 ノミネート
脚本賞 受賞
2009年 作品賞 『イングロリアス・バスターズ』 ノミネート
監督賞 ノミネート
脚本賞 ノミネート
2012年 作品賞 ジャンゴ 繋がれざる者 ノミネート
脚本賞 受賞
2019年 作品賞 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 ノミネート
監督賞 ノミネート
脚本賞 ノミネート
ゴールデングローブ賞 1994年 作品賞 (ドラマ部門) 『パルプ・フィクション』 ノミネート
監督賞 ノミネート
脚本賞 受賞
2009年 作品賞 (ドラマ部門) 『イングロリアス・バスターズ』 ノミネート
監督賞 ノミネート
脚本賞 ノミネート
2012年 作品賞 (ドラマ部門) 『ジャンゴ 繋がれざる者』 ノミネート
監督賞 ノミネート
脚本賞 受賞
2015年 脚本賞 ヘイトフル・エイト ノミネート
2019年 作品賞 (ミュージカル・コメディ部門) 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 受賞
監督賞 ノミネート
脚本賞 受賞
英国アカデミー賞 1994年 作品賞 『パルプ・フィクション』 ノミネート
監督賞 ノミネート
オリジナル脚本賞 受賞
2009年 監督賞 『イングロリアス・バスターズ』 ノミネート
オリジナル脚本賞 ノミネート
2012年 監督賞 『ジャンゴ 繋がれざる者』 ノミネート
オリジナル脚本賞 受賞
2015年 オリジナル脚本賞 『ヘイトフル・エイト』 ノミネート
2019年 作品賞 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 ノミネート
監督賞 ノミネート
オリジナル脚本賞 ノミネート
全米監督協会賞 1994年 長編映画監督賞 『パルプ・フィクション』 ノミネート
2009年 長編映画監督賞 『イングロリアス・バスターズ』 ノミネート
2019年 長編映画監督賞 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 ノミネート
全米映画批評家協会賞 1994年 作品賞 『パルプ・フィクション』 受賞
監督賞 受賞
脚本賞 受賞
2009年 作品賞 『イングロリアス・バスターズ』 3位
脚本賞 3位
2019年 作品賞 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 3位
監督賞 2位
ロサンゼルス映画批評家協会賞 1994年 作品賞 『パルプ・フィクション』 受賞
監督賞 受賞
脚本賞 受賞
クリティクス・チョイス・アワード 2009年 オリジナル脚本賞 『イングロリアス・バスターズ』 受賞
2012年 オリジナル脚本賞 『ジャンゴ 繋がれざる者』 受賞
2019年 作品賞 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 受賞
オリジナル脚本賞 受賞
ボストン映画批評家協会賞 1994年 作品賞 『パルプ・フィクション』 受賞
監督賞 受賞
脚本賞 受賞
2019年 脚本賞 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 受賞
シカゴ映画批評家協会賞 1994年 監督賞 『パルプ・フィクション』 受賞
脚本賞 受賞
カンザスシティ映画批評家協会賞 1994年 作品賞 『パルプ・フィクション』 受賞
監督賞 受賞
2009年 オリジナル脚本賞 『イングロリアス・バスターズ』 受賞
ロンドン映画批評家協会賞 1993年 新人賞 『レザボア・ドッグス』
『トゥルー・ロマンス』
受賞
1994年 脚本賞 『パルプ・フィクション』 受賞
2009年 ディリス・パウエル賞 - 受賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 1994年 作品賞 『パルプ・フィクション』 受賞
監督賞 受賞
2015年 オリジナル脚本賞 『ヘイトフル・エイト』 受賞
2019年 監督賞 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 受賞
インディペンデント・スピリット賞 1992年 監督賞 『レザボア・ドッグス』 ノミネート
新人作品賞 ノミネート
1994年 作品賞 『パルプ・フィクション』 受賞
監督賞 受賞
脚本賞 受賞
ヨーロッパ映画賞 2003年 非ヨーロッパ映画賞 『キル・ビル』 ノミネート
セザール賞 1995年 外国映画賞 『パルプ・フィクション』 ノミネート
2011年 名誉賞 - 受賞
2014年 外国映画賞 『ジャンゴ 繋がれざる者』 ノミネート
2020年 外国映画賞 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』 ノミネート
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞 1995年 外国映画賞 『パルプ・フィクション』 受賞
2010年 外国映画賞 『イングロリアス・バスターズ』 受賞
2013年 外国映画賞 『ジャンゴ 繋がれざる者』 受賞
キネマ旬報ベスト・テン 1994年 外国映画監督賞 『パルプ・フィクション』 受賞
ブルーリボン賞 1994年 外国作品賞 『パルプ・フィクション』 受賞
サンディエゴ映画批評家協会賞 2009年 作品賞 『イングロリアス・バスターズ』 受賞
監督賞 受賞
脚本賞 受賞
トロント映画批評家協会賞 2009年 作品賞 『イングロリアス・バスターズ』 受賞
脚本賞 受賞
サンフランシスコ映画批評家協会賞 2009年 オリジナル脚本賞 『イングロリアス・バスターズ』 受賞
ワシントンD.C.映画批評家協会賞 2009年 オリジナル脚本賞 『イングロリアス・バスターズ』 受賞
オンライン映画批評家協会賞 2009年 オリジナル脚本賞 『イングロリアス・バスターズ』 受賞
ニューヨーク映画批評家オンライン賞 2009年 脚本賞 『イングロリアス・バスターズ』 受賞
ナストロ・ダルジェント賞 2010年 非ヨーロッパ映画賞 『イングロリアス・バスターズ』 受賞

書籍

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著作
  • PerfecTV!(1997年)
  • 関西デジタルホン(現・ソフトバンク)にて、千葉真一と共演。「シャベリタランティーノ」というダジャレコピーがキャッチフレーズで、いかなる状況においても延々と電話でしゃべり続ける男を演じた。
  • ソフトバンクモバイルの白戸家シリーズCMに出演(2009年11月10日以降)、数度のブランド変更を経てのCM復帰となった。

論争

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関連項目

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関連文献

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脚注

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注釈

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  1. ^ 継父の人脈はのちのタランティーノにとって大きな強みとなった。[要出典]
  2. ^ これら3作は全て千葉真一主演映画である。
  3. ^ 本当は深作欣二と合作映画にするはずが、深作が亡くなり実現できなかった。[要出典]
  4. ^ 同作は梶が主演、三隅が監督した『修羅雪姫』もオマージュしており、タランティーノは梶の大ファンであると「クエンティン・タランティーノ 映画に愛された男」で明かされている。

出典

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  1. ^ Quentin Tarantino Biography (1963–). Advameg, Inc. http://www.filmreference.com/film/96/Quentin-Tarantino.html August 20, 2012閲覧。 
  2. ^ Quentin Tarantino Biography (1963-)”. filmreference.com. 2008年1月9日閲覧。
  3. ^ Faces of the week”. BBC (2004年5月14日). 2008年10月17日閲覧。
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外部リンク

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