長田区
長田区[1](ながたく)は、兵庫県神戸市を構成する行政区9区のうちの一つ。神戸市全9区のうち人口密度は最大、面積は最小の区である。
ながたく 長田区 | |
---|---|
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 兵庫県 |
市 | 神戸市 |
市町村コード | 28106-9 |
面積 |
11.34km2 |
総人口 |
92,600人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) |
人口密度 | 8,166人/km2 |
隣接自治体 隣接行政区 | 神戸市(兵庫区、須磨区、北区) |
区の木 | ハナミズキ |
区の花 | サルビア |
区のマスコット | なぁタン |
長田区役所 | |
所在地 |
〒653-8570 |
外部リンク | 神戸市長田区 |
ウィキプロジェクト |
概要
編集神戸三大神社の一つとされる長田神社があり、正月三が日の初詣だけではなく、追儺神事や夏越祭など、年中賑わいがある。
地理
編集地域
編集区南西部は、古くから「駒ヶ林」と称され、大坂湾沿岸部を中心に渡来人の集落が形成された歴史がある。同じ長田区内でも長田神社周辺とは異なる庶民文化を形成し、近代、駒ヶ林から六甲山地側への市街地拡大に際して「新長田」と呼ばれるエリアが確立した(なお、昭和中期、現在の西区の西神地区が開発される以前には新長田地区が「西神戸」と呼ばれた時代もある)。神戸の「履き倒れの街」を象徴するケミカルシューズ産業が盛ん。全国でも有数のコリア・タウンがあり、大阪市生野区と並ぶ在日コリアンの多い街としても有名である。本場の味と言われるお好み焼き屋や焼肉店も多く冷麺も有名。焼きそばを「そば焼き」と呼び、店にも「そば焼き」と書かれているところが多い。そばめしもここが発祥である。阪神・淡路大震災では大規模な火災が発生して商業地や住宅地が消失する被害があった。震災復興の再開発事業により、2009年には「鉄人28号」の巨大像が新長田駅南側に誕生、長田区が鉄人28号に特別住民票を交付するなど、新たな地域の顔として親しまれている(「KOBE鉄人PROJECT」も参照)。
長田神社の南側に当たる五番町、六番町周辺は「番町地区」と呼ばれる。幕末の神戸港開港(1868年)後、神戸には全国から職を求めて貧民が急増し、スラムが散在するようになる。伝染病の流行もあり、兵庫県が行ったスラム対策によって、葺合(ふきあい)村の新川地域とともに番町地区周辺にはこうした貧民らが多く移り住むようになった[2][3]。「神戸市のスラム問題」も参照。
北部には、山麓で入り組んだ坂の上に築かれた町である丸山地区(丸山町や大日丘町、鶯町、檜川町、雲雀ケ丘、鹿松町など15町)があり、コミュニティ活動が盛んな地区として全国的にも知られている[4]。
歴史
編集神戸開港より、神戸には多くの中国人(華僑)が居留するに至り、彼らのための共同墓地「神阪中華義荘」が宇治野村(現在の神戸市中央区中山手7丁目)に作られたが、1924年に海の見える高台である林田区長田村(現在の長田区滝谷町1丁目9-1)に移転された。約1000基の墓が立ち並んでおり、敷地内に「清國孩童総墓」などがある[5][6][7]。
旧長田村は神戸の貧民部落の一つであった[8]。1927年に刊行された日本大学教授井上貞蔵の著書『一経済学徒の断草』によれば、
吉田司によれば、日本最大の被差別部落であったが、阪神・淡路大震災では差別問題に触れることを恐れたマスコミが報道を控えたため人知れず消滅することとなった[9]。
震災のあった1995年の初秋に、男はつらいよシリーズ第48作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』のロケーション撮影が、被災して仮設で営業していた菅原市場で行われた。主演の渥美清は翌年に死去し、この作品が渥美の遺作となった。神戸でロケが行われた韓国ドラマ『ガラスの華』では、警察署として長田区役所の建物が使用された。
事件・事故
編集1950年(昭和25年)11月20日、在日朝鮮人による長田区役所襲撃事件が発生。
1967年(昭和42年)7月9日、集中豪雨により五位ノ池町2丁目の住宅地裏山が崩れ3戸が全壊。付近で土嚢積み作業をしていた水防団員が巻き込まれて3人が死亡[10]。
2014年(平成26年)9月、神戸小1女児殺害事件が発生。
2017年(平成29年)9月、長田区五番町で指定暴力団神戸山口組から離脱して結成された新組織「任侠山口組」の関係者で織田絆誠代表の警護役とみられている男性が射殺された[11]。狙撃犯は消息不明である[11]。同年12月3日、長田区で「暴力団追放住民決起大会」が開かれた[12]。付近の住民ら約150人と県警、公益財団法人「暴力団追放兵庫県民センター」などの関係機関が参加、区内をパレードした[12]。
2023年(令和5年)4月22日 - 長田区東尻池町にあるラーメン店の店主で特定抗争指定暴力団山口組弘道会傘下湊興業の余嶋学組長が射殺される事件が発生[13][14]。
年表
編集- 1889年(明治22年) - 東尻池村、西尻池村、長田村、駒ヶ林村、野田村、御崎村、今和田新田、吉田新田を合わせて林田村と命名される[15]。神戸市制実施[15]。神戸区に葺合、荒田両村を合わせて神戸市とする[15]。
- 1896年(明治29年) - 湊村、林田村、池田村を神戸市に編入[15]。
- 1898年(明治31年) - 苅藻島(かるもじま)埋立工事完成[15]。
- 1901年(明治34年) - 湊川付け替え工事が完成し、通水式を実施[15]。
- 1910年(明治43年) - 兵庫電気軌道(山陽電鉄)兵庫駅 - 須磨駅間が開通[15]。長田駅、西代駅が開業[15]。
- 1919年(大正8年) - 寺池、重池、蓮池を市営住宅地として埋立[15]。
- 1931年(昭和6年) - 区制実施[15]。林田区誕生[15]。
- 1932年(昭和6年) - 丸山遊園地が丸山町2に完成[16]。
- 1945年(昭和20年)
- 1984年(昭和59年)12月19日 - 公募により90種2177通の応募の中から区の花が制定[18]。
- 1984年(昭和59年)12月19日 - 公募により90種2177通の応募の中から区の花が制定[18]。
- 1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災で家屋倒壊に加え、地震直後に大規模な火災が発生するなど多大な打撃を受ける。
- 2003年(平成15年)10月8日 - 公募により503通の応募の中から区の木が制定[18]。
人口
編集- 1945年 112,992人
- 1947年 150,204人
- 1950年 167,109人
- 1955年 189,806人
- 1960年 202,338人
- 1965年 214,345人
- 1970年 210,072人
- 1975年 185,974人
- 1980年 163,949人
- 1985年 148,590人
- 1990年 136,884人
- 1995年 96,807人
- 2000年 105,464人
- 2005年 103,791人
- 2010年 101,624人
- 2015年 97,912人
小中学校の学区
編集- 校区一覧[1]
経済
編集産業
編集食文化
編集- ぼっかけうどん
- そばめし
本社を置く企業
編集- 過去に本社を置いていた企業
施設
編集健康
編集- 神戸市立医療センター西市民病院 - 神戸市5病院群・神戸市民病院群の一つ
- 公文病院
- 神戸医療生活協同組合神戸協同病院
- 医療法人社団十善会野瀬病院
- 適寿リハビリテーション病院
- 医療法人社団積善会兵庫病院
- アキヨシ整形外科病院
- 神戸朝日病院
- 丸山病院
教育
編集大学・短期大学
編集- 神戸教育短期大学(旧:神戸学院大学長田キャンパス(法科大学院))
- 神戸常盤大学
- 神戸常盤大学短期大学部
専門学校
編集高等学校
編集
公立高等学校
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私立高等学校
|
中学校
編集小学校
編集各種学校・専門学校
編集- 西神戸朝鮮初級学校
- 神戸韓国学園
- 兵庫県立総合衛生学院
公園
編集住宅団地
編集- かつて存在した住宅団地
- 住宅・都市整備公団鷹取団地(建て替えられて「グリーンヒルズ鷹取」となった)
組合・団体
編集- 長田中央小売市場協同組合
- 部落解放同盟番町支部
交通
編集鉄道
編集※神戸電鉄長田駅と神戸市営地下鉄長田駅は約1.9km離れている。
バス
編集神戸市で唯一民間バスの乗り入れない区でもある。ただし、神戸市道夢野白川線を阪急バスや神姫バスが通るが、同道路は区内の区間がわずかのため、当区内にバス停はない。
道路
編集- 阪神高速道路
- 一般国道
- 県道
※主要地方道のみである。
- その他広域幹線道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
編集出身有名人
編集政治・経済・文化・芸能
編集- 青山繁晴(ジャーナリスト、政治家) - 独立総合研究所代表取締役社長。参議院議員。
- 大村崑(喜劇俳優)
- さゆり(漫才師)[注 1] - 夫婦漫才コンビ「かつみ・さゆり」のボケ担当。
- 寿美菜子(俳優、声優) - スフィアのメンバー。
- 佐々木マキ(イラストレーター)
- 杉良太郎(俳優、歌手)
- 妹尾河童(舞台美術家)
- 田嶋悟士(ガガガSP、ドラム)
- 寺田千代乃(アート引越センター社長)
- 浜崎為司(政治家。神戸市会議員で、副議長や会派「自民党神戸」の団長などを務めた)
- 林剛史(俳優)
- 船井哲良(実業家、船井電機創業者)
- 山路ふみ子(俳優、実業家、社会事業家)
- 米倉弘昌(実業家、住友化学代表取締役会長、日本経済団体連合会会長)
学術
編集スポーツ
編集アナウンサー
編集その他
編集- 加茂田重政(ヤクザ)
- 有本恵子(北朝鮮による拉致被害者、石岡亨夫人)
ゆかりの人物
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 本名は尾崎小百合(おざき・さゆり)。当該記事参照。
脚注
編集- ^ 『路線価設定地域図 昭和36年分 3の3』66頁(国立国会図書館デジタルコレクション)2020年11月14日閲覧
- ^ “2016年度「人権歴史マップ」連続セミナー 第1回:新湊川と番町≪フィールドワーク≫”. 一般社団法人ひょうご部落解放・人権研究所 (2016年5月21日). 2020年12月31日閲覧。
- ^ 『新修・神戸市史 歴史編Ⅳ 近代・現代』より「スラム問題」(神戸市 1994年1月20日発行)pp.406-410
- ^ “神戸市長・久本喜造ブログ - 長田区・丸山地区を歩く 2013年6月18日”. 2020年9月1日閲覧。
- ^ 松尾恒一「日本華僑の共同墓地と后土・土地神の考察(日本国内の華僑霊園の地域差に注目して)A Study of Public Cemeteries of Chinese Living in Japan and HouTu/the Deities of Earth : Focus on Regional Differencesin Chinese Cemeteries in Japan」『国立歴史民俗博物館研究報告』第199集(2015年12月)
- ^ “貿易の街育てた友好 「落地生根」神戸と華僑(1)軌跡”. 日本経済新聞 (2015年10月6日). 2020年9月1日閲覧。
- ^ “一般社団法人中華会館公式サイト - 中華義荘”. 2020年8月31日閲覧。
- ^ a b 『一経済学徒の断草』180 - 181、194 - 195頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年7月11日閲覧。
- ^ 藤吉, 雅春 (1999-07-02). ノンフィクションを書く!. ビレッジセンター出版局. p. 238. ISBN 978-4894361294
- ^ 「警官官ら八人ダムに 山津波に出動中」『朝日新聞』朝刊1967年7月10日12版15面
- ^ a b “神戸・長田で発砲、男性死亡 抗争事件で捜査 任侠山口組代表狙ったか”. 産経WEST (産経新聞社). (2017年9月12日) 2018年3月25日閲覧。
- ^ a b “「暴力団は出ていけ」任侠山口組トップ射殺事件の神戸・長田で暴追パレード 住民150人参加”. 産経WEST (産経新聞社). (2017年12月4日) 2018年4月16日閲覧。
- ^ “暴力団組長、頭部撃たれ死亡 神戸・長田のラーメン店 県警が捜査本部設置”. 神戸新聞NEXT (神戸新聞社). (2023年4月22日) 2023年4月29日閲覧。
- ^ “なぜ組長がラーメン店主? 神戸・長田銃撃事件 旧友「やくざやめたがっていた」”. 神戸新聞NEXT (神戸新聞社). (2023年4月29日) 2023年4月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『ながたの歴史』長田区役所(2005年)2023年1月11日閲覧
- ^ “M's KOBE - 遊園地完成を記念? 長田・丸山に幻のご当地ソング”. 神戸新聞 (2018年12月23日). 2021年11月5日閲覧。
- ^ 神戸空襲の概要 神戸市役所(2023年1月11日閲覧)
- ^ a b c “区のシンボル”. 神戸市長田区. 2014年8月21日閲覧。
- ^ “ぐるなび - 郷土料理物語”. 2021年11月5日閲覧。
- ^ “長田のこなもん調査、「そばめし」のルーツたどる”. 神戸新聞NEXT. 2018年12月8日閲覧。
参考文献
編集- 井上貞蔵『一経済学徒の断草』邦光堂、1927年
- 『路線価設定地域図 昭和36年分 3の3』大阪国税局
- 落合重信、有井基『神戸史話』創元社、1967年7月 ISBN 978-4-422-25003-8
- 落合重信、有井基、陸井敏子、長田区広報相談課『ながたの歴史』1977年3月
- 田辺眞人、長田区役所まちづくり推進課『ながたの民話』1983年3月
- 田辺眞人、竹内隆、長田区役所まちづくり推進課『ながたの歴史』2005年3月
関連項目
編集外部リンク
編集- 長田区 - 神戸市
- ながたの歴史 - 神戸市
- 長田区に関連する地理データ - オープンストリートマップ