水笠通公園
概要
編集新長田駅の北側に存在し、59.6ヘクタールという規模。この公園は神戸市による阪神・淡路大震災からの復興の都市計画によって生まれた公園である。公園ができる前は狭い路地に商店や長屋がひしめき合い、300人以上が暮らしていたという地域であった。阪神・淡路大震災の2か月後に公園とする案が神戸市より出され、残りたい者による反対があったものの14年の歳月が経ち全員が地域を去り公園となった[2]。
脚注
編集- ^ “水笠通公園JV”. 山羽造園. 2017年12月24日閲覧。
- ^ 岸本達也 (2010年1月12日). “(1)大規模公園 防災の旗 町は消えた 立ち退いた「2丁目」住民”. 神戸新聞 2017年12月24日閲覧。
- ^ “震災復興モニュメント”. こうべまちづくり会館. 2017年12月24日閲覧。
- ^ 阿部江利 (2016年11月10日). “震災モニュメントウォーク参加者募集 神戸で13日”. 神戸新聞 2017年12月24日閲覧。
- ^ 神足俊輔 (2016年11月15日). “震災の記憶、40人たどる モニュメントウオーク、2年ぶり 長田 /兵庫”. 毎日新聞 2017年12月24日閲覧。