井上貞蔵
日本の商学博士
井上 貞蔵[1](いのうえ ていぞう[2][3]、1893年(明治26年)1月7日[2] - 1963年(昭和38年)8月12日[4])は、日本の商学博士[2][5][6]。日本大学名誉教授[2][3][7][8]。東京簿記学校名誉学長[9]。明治大学商学部教授[2][7][8]。
経歴
編集神奈川県都筑郡田奈村大字長津田(のち横浜市緑区長津田町[3])出身。井上傳五左衛門の二男[3][10]。錦城商業学校、東京府立第四中学校を卒業[10]。専門学校検定試験合格[10]。
1917年、第一高等学校第一部文科を卒業[1][11]。1920年、東京帝国大学経済学部を卒業[1][5][6]。1922年、日本大学商学部講師[1]。1924年、日本大学商学部教授兼学監心得[1]。
1924年より1926年まで経済政策研究の為独逸及び英国に留学[1]。1927年、日本大学商経学部教授兼学監[1]。1936年、主論文「商業使用人問題の研究」及び副論文「商店法論」により「商学博士」を授与される[1]。
人物
編集主張は民主自由主義[6]。趣味は旅行[3]、俳句、川柳[6]、日本民謡、相撲見物[9]。宗教は禅宗[3][6][9][10]。住所は東京都文京区真砂町[2][8]、中野区富士見町[3][6]、横浜市港北区長津田町[7]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i 『新訂 商店法論』著者略伝(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月20日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第20版 上』い21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第16版 上』い13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月3日閲覧。
- ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』(日外アソシエーツ、1983年)p.57
- ^ a b 『会員氏名録 昭和26・27年用』27頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第15版 上』イ9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月20日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第19版 上』い19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月15日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第21版 上』い26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月4日閲覧。
- ^ a b c 『中小企業組合総覧』人名録573頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月4日閲覧。
- ^ a b c d 『紡織界二千六百人史』7 - 8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月28日閲覧。
- ^ 『第一高等学校一覧 自大正6年至7年』190頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月15日閲覧。
- ^ 『一経済学徒の断草』(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月20日閲覧。
- ^ 『商業使用人問題の研究』(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月20日閲覧。
- ^ 『商店法論』(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月20日閲覧。
参考文献
編集- 第一高等学校編『第一高等学校一覧 自大正6年至7年』第一高等学校、1912 - 1926年。
- 『一経済学徒の断草』邦光堂、1927年。
- 『商店法論』有斐閣、1933年。
- 『新訂 商店法論』巌松堂書店、1937年。
- 『商業使用人問題の研究』千倉書房、1937年。
- 『紡織界二千六百人史』日本紡織通信社、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
- 『会員氏名録 昭和26・27年用』学士会、1951年。
- 人事興信所編『人事興信録 第16版 上』人事興信所、1951年。
- 人事興信所編『人事興信録 第19版 上』人事興信所、1957年。
- 人事興信所編『人事興信録 第20版 上』人事興信所、1959年。
- 『中小企業組合総覧』全国中小企業団体中央会、1960年。
- 人事興信所編『人事興信録 第21版 上』人事興信所、1961年。