坂石町分

埼玉県飯能市の大字

坂石町分(さかいしまちぶん)は、埼玉県飯能市の地名(大字)である。

坂石町分
町丁
江戸秩父道、吾野宿の街並み
地図北緯35度54分21秒 東経139度13分51秒 / 北緯35.90583度 東経139.23083度 / 35.90583; 139.23083座標: 北緯35度54分21秒 東経139度13分51秒 / 北緯35.90583度 東経139.23083度 / 35.90583; 139.23083
日本の旗 日本
都道府県 埼玉県の旗 埼玉県
市町村 飯能市
地域 吾野地域
人口情報(2024年9月1日[1]
 人口 336 人
 世帯数 170 世帯
面積(2020年[2]
  1.82732 km²
人口密度 183.88 人/km²
郵便番号 357-0213[3]
市外局番 042
ナンバープレート 所沢
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埼玉県の旗 ウィキポータル 埼玉県
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地理

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飯能市北西部の吾野地区(旧 吾野村)に位置する。東・西・南の3方を秩父山地の山岳に囲まれ、北端には高麗川が東に向かって蛇行しながら流れる。西を坂石、北を長沢、東を井上、南を中藤上郷と接する。南端の標高493mの大高山は、奥武蔵の稜線を結んで天覧山子ノ権現 天龍寺へと通じる、飯能アルプスのハイキングコースを成す[4]

北端の高麗川の右岸(南側)に沿って江戸秩父道[注釈 1]の旧道と西武池袋線が沿う。街道沿いのわずかな平地に人家・商店や、吾野郵便局が立ち並ぶ。北西端には、西武池袋線と西武秩父線の境界となる吾野駅がある[5][注釈 2]。高麗川左岸の大字坂石・長沢には国道299号が並行する。宿場町の面影が残る町並みは、2011年度に埼玉県の「歴史のみち景観モデル地区」の一つに選定された[6]。2015年には、吾野宿の建物3棟が「埼玉県の景観重要建造物」に指定された[7][注釈 3]。駅の裏手の丘には、吾野湧水が湧き出ている。

面積は1,827,320m2[2]2024年9月1日現在の住民基本台帳によると170世帯、336人が暮らす[1]。公立小中学校に通学する場合には、全域が飯能市立奥武蔵小学校および奥武蔵中学校の学区となる[9]

歴史

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秩父郡のうち、古くは高麗領上我野郷に属した。新編武蔵風土記稿によると、1700年元禄13年)、坂石村のうち馬継ぎの宿場が町場分として分村したとある。しかし、元禄郷帳天保郷帳には石高は坂石村にまとめて記載されていた[12]。1825年(文政8年)、幕府領から上野館林藩領となるが、1836年(天保7年)に幕府領に復した。その後1848年(嘉永元年)に川越藩となる[13][注釈 4]。村高は、幕末の改革組合取調書によると56石あまり[13]旧高旧領取調帳には59石あまりと記されている[12]。村の規模は東西十・南北一町。馬継ぎを行う町場は江戸秩父道に沿って幅十間・長さ三町にわたり町家や商家が並び、化政期の家数は29軒であった[12]。山間部に立地するため林業が盛んで、1798年(寛政10年)の「秩父郡・高麗郡村々材木川下ニ付願書」には当地の材木商7名が記されている[13]。江戸の西方の荒川支流の川沿いに位置することから、飯能市・日高市毛呂山町越生町は西川地方と呼ばれ、この地で産出する木材は「西川材」として2009年に西川広域森林組合により地域団体商標登録された。 農間には、男性は炭焼きや荷担ぎ、女性は養蚕や絹・木綿の製織、紙漉きなどで収入を得た[12]

1876年(明治9年)、埼玉県に編入。1879年に秩父郡の一部となった。1889年には近隣の村との合併により吾野村が成立し、同村の大字となる。1956年(昭和31年)9月30日には東吾野村原市場村とともに飯能市へ編入され、同市の大字となった[12]。地名の由来は。新編武蔵によると街道沿いにあり馬継ぎの宿場であったことから「町分」を称したとある[12]

鎮守は白髮神社[注釈 5]。吾野駅近くの曹洞宗補陀山法光寺武蔵野三十三観音霊場の31番霊場で、南北朝時代に造られた本堂の地蔵菩薩坐像と、裏山の観音窟石龕[注釈 6]は県の重要文化財に指定されている[15]

交通

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古くは秩父江戸とを結ぶ江戸秩父道[注釈 1]が通り、この地は馬継ぎの宿場として物資の輸送を支えた。秩父で生産されたは馬に積まれ正丸峠を越え、坂石町分で別の問屋の馬に積み替えられ、江戸へと運ばれたのである[16]昭和に入ると、1929年(昭和4年)には武蔵野鉄道(のちの西武鉄道西武池袋線)が開通し、同路線の終点となる吾野駅が開設された。1969年には西武秩父駅までの西武秩父線が開通し、吾野駅は中間駅となった。吾野駅から池袋駅までは、飯能駅での接続によっては60分台で到達することができる[注釈 7]

国道299号のうち、長沢から坂石町分東部を通り井上に至る約1.5kmの区間は狭隘で急カーブも多いことから、2006年度からバイパス道路の整備が進められ、2015年に全長567mの吾野トンネルが開通した[18]

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 秩父街道や、吾野通とも呼ばれた。
  2. ^ 大字吾野の最寄駅は、一つ西武秩父駅寄りの西吾野駅となる。
  3. ^ 飯能市が景観行政団体となったことから、2019年に「飯能市景観重要建造物」に移管されている。同制度の4棟のうち、上名栗の旧平沼寛一郎邸以外の3棟が吾野宿に位置する[8]
  4. ^ 角川日本地名大辞典によると、当初は幕府領で、文政8年に川越藩領、幕末には上野前橋藩領とある[12]
  5. ^ しらひげじんじゃ。平凡社日本歴史地名大系では「白神社」[13]、角川日本地名大辞典では「白社」[12]と表記されているが、埼玉県神社庁の表記に拠った[14]。飯能市岩沢の白髪白山神社とは異なる。
  6. ^ 本道からやや離れた、大字坂石のSKマテリアル吾野鉱業所近くにある。
  7. ^ 吾野5:00発、飯能で急行に乗り換え池袋6:07着。日中であれば吾野11:37発、飯能で特急に乗り換え池袋12:43着。2024年9月24日現在、西武鉄道乗換案内調べ[17]

出典

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  1. ^ a b 飯能市人口表” (PDF). 飯能市役所 (2024年9月1日). 2024年9月22日閲覧。
  2. ^ a b 埼玉県飯能市大字坂石町分 (112090600) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット
  3. ^ 郵便番号 357-0213 の検索結果
  4. ^ 大高山”. 山と渓谷オンライン (2023年8月29日). 2024年9月22日閲覧。
  5. ^ (角川 1980, p. 1120)
  6. ^ 歴史のみち景観モデル地区(平成23年度選定) (PDF)
  7. ^ 埼玉県の景観重要建造物”. 埼玉県庁都市整備部都市計画課 (2023年3月14日). 2024年9月23日閲覧。
  8. ^ 飯能市景観重要建造物”. 飯能市役所建設部都市計画課 (2024年3月31日). 2024年9月23日閲覧。
  9. ^ 飯能市立小・中学校通学区域”. 飯能市教育委員会 (2023年1月31日). 2024年9月22日閲覧。
  10. ^ 吾野宿【問屋】 (PDF) (飯能市建設部 都市計画課)
  11. ^ 吾野宿【うろこ屋】 (PDF) (飯能市建設部 都市計画課)
  12. ^ a b c d e f g h (角川 1980, p. 397)
  13. ^ a b c d (平凡社 1993, p. 630)
  14. ^ 埼玉県の神社 白髮神社
  15. ^ 法光寺 岩殿観音窟石龕(奥むさし飯能観光協会)
  16. ^ (角川 1980, p. 148)
  17. ^ 西武鉄道乗換案内
  18. ^ 【トンネル】 吾野トンネル〔飯能市〕”. 埼玉県庁県土整備部 県土整備政策課 (2015年3月17日). 2024年9月23日閲覧。

参考文献

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  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年。ISBN 4040011104 
  • 平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第11巻 埼玉県の地名』平凡社、1993年。ISBN 4582490115