ホコトン
ホコトンとは、明治・大正期の日本の流行語で[1][2][3]、矛盾(むじゅん)や間違っていることを意味する[4][5]。衆議院本会議で議員の長谷川泰が矛盾をホコトンと発音したことから流行し[6][2][3]、辞典類に掲載された[1][6][5]。無知による誤読と言及されることが多いが[7][8]、ユーモアとして故意に奇妙な発音をしたものと推測されている[9][10][8]。実際の用例は長谷川以前から存在する(後述)。
由来
編集1892年(明治25年)5月31日、第3回帝国議会の衆議院本会議で震災予防調査会の設置予算が審議された際、医学者で教育者でもあった衆議院議員の長谷川泰が質問に立って以下のように発言した[11]。
○長谷川泰君(百七十二番) 先だって予算委員会のおり政府委員と予算委員との問答を見ますると、 [中略] 少し「ほことん」して居るようでありますが、 [中略] 渡辺君の言われるのとは「ほことん」する(笑声起こる)ようでありますが、 [中略] どうも趣意が「ほことん」致しますから(笑声起こる)(佐々木正蔵君「ほことん」とは何の事だ)「ほことん」と云うのは矛盾だ(笑声起こる) [中略] 願わくはお答えあらんことを希望致します○政府委員(辻新次君) 百七十二番のお問いに対してお答え致します、ご演説中だいぶ笑声がありましたからして聞き漏らしてあるかも知れませぬ、しかし本官の思います所を述べましたならば、 [以下略] — 衆議院議事録、1892年(明治25年)5月31日[11][注釈 1]
- 〔政府委員文部次官辻新次君演壇に登る〕
この発言は笑いを呼び[12][6][8][3]、翌日の新聞各紙の議会報告でも取り上げられた[13][14][15][16][17][18][19][20][21]。
長谷川が「ホコトン」と発言するのはこの時が最初ではなく、1891年(明治24年)12月の衆議院予算委員会で既に「ホコトン」と言っていた[22]。
また長谷川は、その後の衆議院本会議[23][24]や予算委員会[25][26]、そして議会外での演説[27][28][29]でも、複数回「ホコトン」と言っている。
○長谷川泰君(四十三番) 諸君、本員は昨日 [中略] 教育事務に関係を致しましたる質問を提出致しましたのであります、 [中略] 薩長人の学校は政府で保護する、人民の建ったものは撲滅を謀ると云うは、実にホコトンも甚だしいではありませぬか、(笑声起こる)なぜこの如くナポレオン第一世的の方針を教育に用いますか、 [中略] 現在の小学令に依りますと云うと、この小学教育なるものは即ち社会人民のある一部のみに行う所の法律でありまして、 [中略] 国家教育とホコトンする所がある、即ち貴族的小学教育でありまする、政府は何をもってかくの如く貴族的小学のみこれ行うのでありましょうか、 [以下略] — 衆議院議事録、1892年(明治25年)12月23日[24][注釈 1]
もし末松博士の言われました如く、伝染病研究所を置くことが出来ぬと云うことならば、 [中略] また高木君の東京病院も放逐しなければならぬ訳であるが、待てしばし、その院長は薩州本場、天下の大権を握っている薩長政府の正四位勲二等医学博士高木兼寛君である、薩人は風なり人民は草なり、ドウも北里の方は熊本人、勢力が少ないからこれをマア放逐しようではないかと云うことであるかも知れない(拍手大喝采)果たしてしからば実に矛盾 もまた甚だしいと云わねばならぬ[31]
[中略] ソコでここに一ツ矛盾 のことがあります(笑声起こる)なぜかと云うに私が先刻から述べました如く、私の申し上げたようなことは、末松君がご承知のない訳はない[32]
[中略] 内閣諸公は何をもって、かかる芝区の議論、すなわち事実と大層開きのあります所の——実際矛盾 なる所の——我が帝国を真ッ暗にする所の説を聴かんとするか[33] [以下略] — 長谷川泰『伝染病研究所は市内に置くも妨げなし』
1893年(明治26年)5月21日、大日本私立衛生会での演説[28][注釈 3]
1895年(明治28年)2月発行の速記者向け雑誌『速記彙報』第58号には、当時の国会議員たちの口癖や言い間違いや訛りを集めた一覧表「帝国議会特別語彙」[38]が掲載されており、その中に長谷川の「ホコトン」も採録されている。
流行
編集やがて「ホコトン」は広く知られた流行語となった[39][1][6][2][3]。教育者の安達常正は、1909年(明治42年)に著書で次のように述べている。
1911年(明治44年)に詩人の大町桂月と国文学者の佐伯常麿が出版した『誤用便覧』という書籍では、「ホコトン」という読みが広まっていることを嘆いている。
同じく1911年に漢学者の松平康國(松平破天荒斎)が出版した『韓非子』の解説書は、「矛盾」という語の由来となった部分の注釈で「ホコトン」についても言及している。
「ホコトン」は通常の国語辞典や俗語・隠語・流行語・新語辞典などに採録された[1][6][5]。各種辞書類での掲載例を以下に示す。
ホコトン 「矛盾」を読み誤って、しかも、ある代議士が帝国議会で、ホコトンと読みたるより出た語。「矛盾」と同義。 — 下中芳岳『や、此は便利だ ポケット顧問』、1919年(大正8年)[52][注釈 3]
「ホコトン」は子ども向けの辞典にも掲載された。
また和英辞典や日中辞典にも採録された。
Hokoton 〔矛盾〕 矛盾 mao2-hsün1. — 石山福治編『日支大辞彙』、1917年(大正6年)[60]
誤読か故意か
編集長谷川泰の「ホコトン」発言は、世間一般には無知による読み間違いだと受け止められ[39][7][10][2]、辞書類での語源説明(例えば[43][45][47][51][57][4]など)でも誤読だとされている[7][10][2]。また、いわゆる百姓読みの例としても言及されている[63][64]。しかし惣郷正明・水野雅央・高島俊男は、長谷川が正しい読み方を知った上でユーモアとして故意におかしな読み方をして見せたのだろうと推測している[9][10][2]。故意だとする根拠は以下の通りである。
- 長谷川は無学な人間ではなくむしろ博学で[9][65]、漢籍にも通じていたこと[65]
- 同時に長谷川は奇行でも知られたこと[9][65]
- 「盾」の音読みには呉音の「ジュン」と漢音の「トン」があるが[10][66]、よく知られた「ジュン」ではなく珍しい読みの「トン」を採用していること[10][66]
- その一方で「矛」には訓読みの「ほこ」を当てており、「ホコトン」は湯桶読みのような不自然な読み方によって滑稽な響きとなっていること[10][8]
- 長谷川が一回の発言の中で「ホコトン」という語を執拗に繰り返し[10][8]、「ホコトンとは何の事だ」という野次が飛ぶと即座に「ホコトンと云うのは矛盾だ」と言い返していること[8]
なお議会翌日の1892年(明治25年)6月1日に長谷川発言を報じた新聞記事の中にも、故意だと指摘するものがあった。読売新聞は「矛盾を
長谷川以前の「ホコトン」
編集長谷川が衆議院本会議で「ホコトン」と発言して大きく報じられたのは1892年(明治25年)5月末以降であるが[11][14]、上述したように長谷川は1891年(明治24年)12月の衆議院予算委員会でも既に「ホコトン」と言っていた[22]。また出版物には1890年(明治23年)頃から複数の用例が見受けられる。1892年5月以前の「ホコトン」の用例を以下に示す。
1890年(明治23年)8月11日付の読売新聞の「牛力議員」という記事[67][68]は、衆議院議員選挙に立候補したある政治家が、演説会で「鶏を裂くに牛刀を用いず」ということわざの「
1890年9月3日発行の少年雑誌『小国民』(石井研堂編集)第18号に掲載された「無学の議員」という文章も、「近日の新聞」に載っていた奇談として、誤読からあだ名をつけられた三人の県会議員「
同じく1890年9月3日発行の少年雑誌『少年園』(山縣悌三郎主幹)第45号に掲載された「議員の異名」という文章[70]では、初めて洋装をした際に襟を逆さまに着用してしまった「
1890年9月5日発行の雑誌『国本』第6号に掲載された「国会議員と新聞の材料」という文章は、新聞等で話題になった議員のあだ名として「逆襟議員」「ホコトン議員」「ギュウリョク議員」「タニマル議員」を挙げている[71]。
1890年9月17日発行の雑誌『天則』第3巻第3号に掲載された「質朴なる議員」という文章は、世間で話題になった議員の失態として「
1890年11月22日発行の教育雑誌『教育報知』第243号に掲載された「あざな」と題する文章は、政治家のあだ名を多数紹介しており、伊藤博文の「憲法伯」、勝海舟の「氷川伯」などに続いて「ホコトン議員」「瓦斯燈議員」「倒襟議員」などを挙げている[73]。
1891年(明治24年)4月1日に儒学者の近藤元粋が出版した書籍『普通教育 用文教科書』には、牛刀を牛力と言い間違えて「牛力議員」のあだ名を付けられた政治家が、さらに矛盾をホコトンと誤読して「
1891年6月10日発行の女性誌『婦女雑誌』第1巻第9号に掲載された「好笑」という文章は、誤字や誤読の例を多数挙げており、その中に「
1891年8月31日に出版された新聞記者・演説家の城山静一の講演録『米商会所演説筆記』には、「ホコトンヤレ〱」「此等のホコトンは」「是等の小ホコトンが」「忌わしき大ホコトンの」[76]などと、ホコトンという語が繰り返し出てくる。
1892年(明治25年)4月2日発行の英学専門誌『日本英学新誌』第1号に掲載された「発音に就て」という文章は、我流の誤った英語発音というのは耳障りなものだと指摘し、日本の議員が矛盾をホコトンと読んだり日本の大臣が
1892年4月15日発行の雑誌『葦分船』第10号には、「ほことん居士」というペンネームの人物による小噺「弁士の頓智」が掲載されている[88][注釈 7]。
脚注
編集注釈
編集- ^ a b c d e f 引用に当たり、漢字カタカナ交じり文となっていた原文を漢字ひらがな交じり文に変更し、原文のひらがな部分はカタカナに置き換え、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改め、一部の難読漢字をひらがなに置き換えて送りがなを補った。文字強調は引用者。
- ^ 長谷川のいう「日進医学」とは西洋医学のこと[30]。
- ^ a b c d e f g 引用に当たり、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改め、一部の難読漢字をひらがなに置き換えて送りがなや読点を振り直した。文字強調は引用者。
- ^ a b 「ボクキョ」[77][78][79][80]あるいは「ボッキョ」[81][82][39][83]とは、松方正義による失言で[84][79][80][85]、演説原稿に出てきた「枚挙」(マイキョ)という単語の「枚」の字(木偏に攵)を「牧」(牛偏に攵)に見間違え、「牧挙」という単語だと思い込んで読み上げたというものである[84][79][80][85]。この「ボクキョ」(ボッキョ)は、無知による誤読の例として、しばしば「ホコトン」と並んで言及された(ボクキョ/ボッキョとホコトンの両方に言及している文献は、例えば[77][86][81][78][82][80][39][85][83])。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 引用に当たり、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改めた。
- ^ 「牟盾」は原文ママで正しくは「矛盾」。
- ^ 『葦分船』第10号掲載の小噺「弁士の頓智」[88]の内容は、政治演説会で弁士が演説中にイギリスの首相の名前を「ハイスベリー」と言い間違えて聴衆に笑われ、「あの首相はハゲで有名だから私はわざとそう言ったのだ」と主張して取り繕ったというものである。本文に明記されていない部分を補足すると、当時(1892年4月)のイギリス首相はソールズベリー侯爵[89](明治時代のカタカナ転写では「サリスベリー」[90][91])であった。また「はいすべり」あるいは「はえすべり」(漢字表記は「蠅滑」・「蠅辷」)とは、頭にとまろうとした蠅が滑ってとまれないという意味で、「ハゲ頭」のことを指す[92][93][94]。
出典
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参考文献
編集議事録・講演録・新聞・雑誌
編集長谷川発言
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長谷川発言以外
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辞典類
編集- 大和田建樹 編「ほことん」『日本大辞典』博文館、1896年(明治29年)、328頁。doi:10.11501/863448。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 滑稽新聞記者 編「ほことん」『日本滑稽辞林』安田書店、1903年(明治36年)、30頁。doi:10.11501/882641。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 金沢庄三郎 編「ほことん」『辞林』三省堂、1907年(明治40年)、1414頁。doi:10.11501/863016。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 「矛盾」『東中大辞典』作新社、上海英租界、1908年(戊申年)、868頁。doi:10.11501/1087757。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 志田義秀、佐伯常麿 編「ほことん」『日本類語大辞典』1909年(明治42年)、1383頁。doi:10.11501/991742。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 藤井乙男 編「ホコトン」『諺語大辞典』有朋堂、1910年(明治43年)、916頁。doi:10.11501/2938227。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 大町桂月、佐伯常麿『机上宝典 誤用便覧』文栄閣、1911年(明治44年)、433頁。doi:10.11501/862888。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 五十嵐力 著「スラング」、斎藤精輔 編『日本百科大辞典 第5巻』三省堂、1911年(明治44年)、1255頁。doi:10.11501/898069。(復刻版: 『日本百科大辞典 第2巻 こうくわ―ちゆき』名著普及会、1988年(昭和63年)、1851頁。ISBN 4-89551-358-0)(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 芳賀矢一「ホコトン」『新式辞典』大倉書店、1912年(大正元年)、1323頁。doi:10.11501/3458491。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 上田万年、岡田正之、飯島忠夫、栄田猛猪、飯田伝一 編「矛盾」『大字典』啓成社、1917年(大正6年)、1576頁。doi:10.11501/950498。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 小峰大羽 編「ほことん」『東京語辞典』新潮社、1917年(大正6年)、199頁。doi:10.11501/956382。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 下中芳岳(下中弥三郎)「其三 正面からでは意味のとれぬ現代式転用語」『や此は便利だ! ポケット顧問 改再版』平凡社、1919年(大正8年)、334-335頁。doi:10.11501/958707。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 石山福治 編「Hokoton」『日支大辞彙』文求堂書店、1917年(大正6年)、286頁。doi:10.11501/958673。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 金子彦二郎 編「ほことん」『現代常識語辞典』文洋社〈少年少女常識叢書〉、1925年(大正14年)、155頁。doi:10.11501/1732601。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 落合直文、芳賀矢一 編「はひすべり」・「はへすべり」『言泉 日本大辞典』 第4巻、大倉書店、1927年(昭和2年)、3720, 3730頁。doi:10.11501/1871041。(オンライン版3720頁・3730頁、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 斎藤秀三郎「Hokoton」『斎藤和英大辞典 (Saito's Japanese-English Dictionary)』日英社、1928年(昭和3年)、1026頁。doi:10.11501/1699961。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 松井簡治、上田万年 編「ほことん」『大日本国語辞典 第四巻 修正版』冨山房、1929年(昭和4年)、799頁。doi:10.11501/1136397。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 吉田武 編「矛盾」『全科小学生辞典』学習館、1934年(昭和9年)、323頁。doi:10.11501/1719764。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 大槻文彦「ほことん」『大言海』 4巻、富山房、1935年(昭和10年)、325頁。doi:10.11501/3430401。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 楳垣実「ホコトン」『隠語辞典』東京堂、1956年(昭和31年)、387頁。doi:10.11501/2479737。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 正岡容「ホコトン」『明治東京風俗語事典』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2001年(平成13年)、286-287頁。ISBN 4-480-08616-1。(初出1957年、有光書房)
- 陳濤(陳日新)ほか 編「ほことん」『日漢辞典 商務印書館版・縮刷版』大安、1959年、1889頁。doi:10.11501/2490078。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 「ほことん」『新修隠語大辞典』皓星社、2017年(平成29年)、746頁。ISBN 978-4774406077。(オンライン版、Weblio)
- 「はいすべり」・「はえすべり」『日本国語大辞典第二版 第10巻』小学館、2001年(平成13年)、943, 980頁。ISBN 4-09-521010-9。
- 「ほことん」『日本国語大辞典第二版 第12巻』小学館、2001年(平成13年)、75頁。ISBN 4-09-521012-5。
- “蠅滑とは”. コトバンク 精選版日本国語大辞典. 2022年6月18日閲覧。
書籍
編集長谷川発言
編集- 大放浪客「長谷川泰のホコトン」『国会議員噴飯録』(2版)美育社、1903年(明治36年)、51-52頁。doi:10.11501/784012。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 千田理示造「陣笠連の湯桶読」『議会名物男 初期議会から現在まで』森田書房、1936年(昭和11年)、15頁。doi:10.11501/1437091。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 惣郷正明「ホコトン誕生」『日本語開化物語』朝日新聞社〈朝日選書 360〉、1988年(昭和63年)、210-212頁。ISBN 4-02-259460-8。
- 水野雅央「読みの変化と誤用の定着」『標準語の現在』葦書房、1992年(平成4年)、137-139頁。ISBN 4-7512-0168-9。
- 高島俊男「ホコトン博士の国会演説」『お言葉ですが…③ 明治タレント教授』文芸春秋社〈文春文庫 た38-4〉、2002年(平成14年)、238-244頁。ISBN 4-16-759804-3。
- 日置英剛 編「1892-明治25年」『新・国史大年表 第6巻』国書刊行会、2006年(平成18年)、771-785頁。ISBN 4-336-04779-0。
長谷川発言以外
編集- 近藤元粋(近藤南州)『普通教育 用文教科書』鹿田静七(出版)、1891年(明治24年)、276-277頁。doi:10.11501/865880。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- ビー・シー・スコットオ 著、高田早苗 訳『英国国会史』東京専門学校出版部〈早稲田叢書〉、1897年(明治30年)、34頁。doi:10.11501/783820。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 斎藤緑雨「ひかえ帳」『あられ酒』博文館、1898年(明治31年)、326-461頁。doi:10.11501/885353。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 井上哲次郎「国字改良論」『巽軒論文 初集』冨山房、1899年(明治32年)、174頁。doi:10.11501/757644。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- ステット 著、黒澤和雄 訳『最近世界人傑評論』有朋館、1904年(明治37年)、2頁。doi:10.11501/777082。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 保科孝一『言語学(早稲田大学卅八年度文学教育科第一学年講義録)』早稲田大学出版部、1905年(明治38年)、306頁。doi:10.11501/987997。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 安達常正(安達外山人) 編『漢字の研究』六合館、1909年(明治42年)、33頁。doi:10.11501/862246。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 松平破天荒斎 著、早稲田大学編輯部 編『韓非子国字解』 下巻、早稲田大学出版部〈漢籍国字解全書〉、1911年(明治44年)、172頁。doi:10.11501/898798。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 日下部重太郎『現代の国語』大日本図書、1913年(大正2年)、226頁。doi:10.11501/951202。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 田丸卓郎「附録 ローマ字反対論とそれの批評 市村瓚次郎氏の『羅馬字論者の反省を望む』」『ローマ字国字論』日本のろーま字社、1914年(大正3年)、92-122頁。doi:10.11501/952132。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 松野又五郎(松野孤城)「第六章 重箱読みと湯桶読み百姓読み」『国語国文の常識』六合館、1925年(大正14年)、31-32頁。doi:10.11501/982996。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 横瀬夜雨「ごうふくだいぶつ」『明治初年の世相』新潮社、1927年(昭和2年)、243-248頁。doi:10.11501/1192767。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 原田指月(原田政右衛門)「公爵 松方正義」『天下を取った人々 第1巻』文武書院、1929年(昭和4年)、325-380頁。doi:10.11501/1225044。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 佐々木邦「誤用の数々」『豊分居閑談』開明社、1947年(昭和22年)、163-168頁。doi:10.11501/1130381。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 安倍季雄「素人の応援演説 二つのホコトン」恒星社厚生閣、1952年(昭和27年)、123-136頁。doi:10.11501/2460567。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)
- 信太知子 著「百姓読み」、前田富祺、阿辻哲次 編『漢字キーワード事典』朝倉書店、2009年(平成21年)、375頁。ISBN 978-4-254-51028-7。
- 宝月理恵「漢方医学否定の論理」『近代日本における衛生の展開と受容』東信堂、2010年(平成22年)、68-72頁。ISBN 978-4-88713-970-1。