コンノート・エンジニアリング
コンノート・エンジニアリング (Connaught Engineering) は、イギリスのスポーツカー、フォーミュラ1コンストラクター。しばしば単にコンノート (Connaught) として呼ばれる。コンノートのマシンは18のグランプリに参加、タイプA、B、Cといったフォーミュラ1およびフォーミュラ2マシンは合計52のレースに出走した。F1では一度の表彰台と合計17ポイントを獲得した。「コンノート (Connaught)」の名称は「コンチネンタル・オート (Continental Autos)」からの造語で、サリー州センドを拠点として、ブガッティを始めとするヨーロピアンスポーツカーの販売、修理に特化し、同地でレーシングカーの製造を行った。
活動拠点 | サリー州センド |
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創設者 |
ロドニー・クラーク マイク・オリバー |
スタッフ | ケネス・マッカルパイン |
ドライバー |
スチュアート・ルイス=エヴァンズ スターリング・モス |
出走回数 | 18 |
コンストラクターズ タイトル | 0 |
ドライバーズタイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 1952年イギリスグランプリ |
最終戦 | 1959年アメリカグランプリ |
歴史
編集1950年に製作された最初のシングルシーター、フォーミュラ2マシンの「A」タイプは、彼らの「L」タイプスポーツカーで使用されていたリー・フランシス製エンジンをコンノート自身で開発した物が搭載された。そのエンジンは広範囲に再設計が行われ、実質的にはコンノート製エンジンと言えた。マシンは当時のコンベンショナルな構造で、プリセレクタギアボックスを介してリアアクスルに駆動力が伝えられた。これらのマシンはF2規定で行われた1952年および1953年の世界選手権に参加し、ドライブしたドライバーは下記の通りである。
コンノートは1954年のF1世界選手権に向けて2.5リッターエンジンを搭載した新車のタイプ「B」を設計し、それはコヴェントリー・クライマックス製V8エンジン(the "Godiva")が採用されたが、エンジンの開発が進まなかったため、アルタ製2.5リッターエンジンを搭載するよう変更された。最初の車は全てを包み込む空力ボディワークで製作されたが、後にボディはコンベンショナルな物に変更された(下の写真参照)。1955年、トニー・ブルックスはシラクサで行われたノンタイトル戦にタイプBをドライブして優勝し、イギリス車をドライブするイギリス人ドライバーの優勝としては1923年以来のこととなった。その後タイプBは「シラキュース」コンノートとして知られるようになり、2004年に復活した車にその名が使われた。
1962年、ジャック・フェアーマンはコンノートのマシンでインディ500の予選に出場したが、スピードが足りずに予選落ちした。
スポーツカー
編集コンノートはシングルシーターのレーシングカーを製作する前に、リー・フランシス製のスポーツカーシャシーを元にロードゴーイングスポーツカーを少量製作し、それらは競技においてある程度の成功を収めた。これらはタイプL2、L3、L3/SRの3種類であった。L2、L3はフォーミュラ2マシンのタイプAを元とし、ALSRも競技を目的として製作された。
2004年に、コンノート・モーター・カンパニーがコンノートの名を復活させ、タイプDシラキュースとタイプD-Hハイブリッドスーパーカーを製作した。
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ロブ・ウォーカー・レーシングチームが使用したコンノート・タイプBフォーミュラ1カー
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ナショナル・モーター・ミュージアムに展示されるコンノート・タイプB、1955年式
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コンノート・タイプD シラキュース
F1での成績
編集(凡例)(太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
*1958年までコンストラクターズポイントは与えられなかった。
± = シェアドライブ