1952年フランスグランプリ
1952年フランスグランプリ (XXXIX Grand Prix de l'ACF) は、1952年7月6日にルーアン・レゼサールで開催されたフォーミュラ2のレース。このレースは1952年のF1世界選手権の第4戦でもあったが、通常適用されるフォーミュラ1のレギュレーションではなく、1952年と1953年はフォーミュラ2のレギュレーションが適用された。
レース詳細 | |||
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1952年のF1世界選手権全8戦の第4戦 | |||
日程 | 1952年シーズン第4戦 | ||
決勝開催日 | 7月6日 | ||
正式名称 | XXXIX Grand Prix de l'ACF | ||
開催地 |
ルーアン・レゼサール フランス | ||
コース長 | 5.100 | ||
レース距離 | 392.700 | ||
決勝日天候 | 雨 | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | フェラーリ | ||
タイム | 2:14.8 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | アルベルト・アスカリ | フェラーリ | |
タイム | 2:17.3 (28周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | フェラーリ | ||
2位 | フェラーリ | ||
3位 | フェラーリ |
レース概要
編集前週末に行われたグランプリ・ド・ラ・マルヌで優勝したジャン・ベーラは、ルーアン・レゼサールで開催された最初のフランスグランプリにエキップ・ゴルディーニから出場した。ゴルディーニのレギュラードライバー、ロベール・マンヅォンとプリンス・ビラと共に3台体制を形成した。また、前戦にワークスカーをドライブしたジョニー・クレエに代わって、モーリス・トランティニアンがゴルディーニをドライブした。クレエは自身のチーム、エキュリー・ベルゲからシムカ・ゴルディーニで参加した。同チーム名は1950年、1951年に使用されていた。フェラーリは前戦のフロントローを独占したアスカリ、ファリーナ、タルッフィのラインナップを維持した。また、何名かのプライベイターがフェラーリで:スイス人ドライバールディ・フィッシャーとペーター・ヒルトがエキュリー・エスパドンから、イタリア人ドライバーのフランコ・コモッティとピエロ・カリーニがスクーデリア・マルゾットから、そしてルイ・ロジェが参戦した。HWMはランス・マックリンとピーター・コリンズを前戦に引き続いて起用し、加えてフランス人のイブ・ジロー・カバントゥも起用した。一方マセラティのワークスチームは引き続いて参戦しなかったが、彼らの新車A6GCMがスクーデリア・バンデランテスのフィリップ・エタンセランのドライブでデビューした。エンリコ・プラーテはマセラティの旧型、4CLT/48をトゥーロ・デ・グラッフェンリートとハリー・シェルに託した。残るグリッドはアルタを走らせるピーター・ホワイトヘッドと、クーパー-ブリストルのマイク・ホーソーンが並んだ。
アスカリが前戦に引き続いてポールポジションを獲得、チームメイトのファリーナとタルッフィが並び、フロントローを独占した。ゴルディーニの2台が2列目に並び、ベーラが4位、マンヅォンが5位となった。トランティニアンとビラは3列目に並び、次いでピーター・コリンズがHWM勢の最上位となった。マセラティ・A6GCMは期待外れの結果となり、フィリップ・エタンセランは7位となった。
決勝は再びフェラーリの天下となり、アルベルト・アスカリがスタートからフィニッシュまでファリーナを従え、2連勝を果たした。ゴルディーニのマンヅォンとベーラは好スタートを切ったにもかかわらず、第1ラップの終わりまでに3、4位を走行した。ピエロ・タルッフィは第4ラップに3位に回復し、その位置をフィニッシュまで保持し、表彰台はフェラーリ勢で独占された。マンヅォンは4位、タルッフィの1周遅れであった。一方チームメイトのモーリス・トランティニアンは5位に入り、ポイントを獲得した。HWMのピーター・コリンズはトランティニアンの2周遅れで6位、ジャン・ベーラは3ラップ目に最下位であったが、その後回復し7位でフィニッシュした。彼はクラッシュのためピットインしなければならず、レースは妥協の結果であった[1]。
アスカリは優勝とファステストラップのポイントで、ランキング1位、2位のタルッフィに対して5ポイントの差を付けることとなった。ファリーナは2戦連続2位となり、ランキング3位に浮上、タルッフィに1ポイント差と迫った。インディ500勝者のトロイ・ラットマンは4ポイント差で4位となり、5位には1ポイント差でロベール・マンヅォンが続いた。
エントリーリスト
編集- ^1 - ピエロ・タルッフィは予選と決勝の大半をフェラーリ12番車で走行した。ルイジ・ヴィッロレージも同車でエントリーしたが、負傷のため参加できなかった[4]。
- ^2 - トゥーロ・デ・グラッフェンリートは予選と決勝26周をマセラティ16番車で走行した。自身の車でリタイアしたハリー・シェルがその後を引き継いで8周走行したが、再びリタイアした[5]。
- ^3 - フィリップ・エタンセランは予選と決勝の大半をマセラティ28番車で走行した。アイテル・カントーニも同車でエントリーしたが、解雇されたため参加しなかった[4]。
- ^4 - チコ・ランディはプラクティス前に撤退した[4]。
- ^5 - ルディ・フィッシャーは予選と決勝37周をフェラーリ34番車で走行した。彼は当初フェラーリ・500をドライブしたが、プラクティス中にエンジントラブルが生じ、212をドライブすることとなった。ペーター・ヒルトがフィッシャーの後を引き継いだ[5]。ルドルフ・シェーラーが交代ドライバーとして指名されていたが、グランプリに参加することは無かった[6]。
- ^6 - ヴィットリオ・マルゾット、セルジオ・シギノルフィ、レグ・パーネルは38番車、40番車、42番車の交代ドライバーとして指定されていた。いずれのドライバーもグランプリに参加しなかった[6]。
結果
編集予選
編集順位 | No | ドライバー | チーム | タイム | 差 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 8 | アルベルト・アスカリ | フェラーリ | 2:14.8 | - |
2 | 10 | ニーノ・ファリーナ | フェラーリ | 2:16.2 | + 1.4 |
3 | 12 | ピエロ・タルッフィ | フェラーリ | 2:17.1 | + 2.3 |
4 | 4 | ジャン・ベーラ | ゴルディーニ | 2:19.3 | + 4.5 |
5 | 2 | ロベール・マンヅォン | ゴルディーニ | 2:20.4 | + 5.6 |
6 | 30 | モーリス・トランティニアン | シムカ・ゴルディーニ-ゴルディーニ | 2:21.6 | + 6.8 |
7 | 22 | ピーター・コリンズ | HWM-アルタ | 2:21.9 | + 7.1 |
8 | 6 | プリンス・ビラ | ゴルディーニ | 2:23.0 | + 8.2 |
9 | 14 | ルイ・ロジェ | フェラーリ | 2:27.0 | + 12.2 |
10 | 24 | イブ・ジロー・カバントゥ | HWM-アルタ | 2:27.5 | + 12.7 |
11 | 16 | トゥーロ・デ・グラッフェンリート | マセラティ | 2:28.6 | + 13.8 |
12 | 18 | ハリー・シェル | マセラティ | 2:29.0 | + 14.2 |
13 | 26 | ピーター・ホワイトヘッド | アルタ | 2:29.5 | + 14.7 |
14 | 20 | ランス・マックリン | HWM-アルタ | 2:30.9 | + 16.1 |
15 | 42 | マイク・ホーソーン | クーパー-ブリストル | 2:32.0 | + 17.2 |
16 | 28 | フィリップ・エタンセラン | マセラティ | 2:33.7 | + 18.9 |
17 | 36 | ルディ・フィッシャー | フェラーリ | 2:34.6 | + 19.8 |
18 | 38 | フランコ・コモッティ | フェラーリ | 2:36.0 | + 21.2 |
19 | 40 | ピエロ・カリーニ | フェラーリ | 2:37.7 | + 22.9 |
20 | 32 | ジョニー・クレエ | シムカ・ゴルディーニ-ゴルディーニ | 2:39.6 | + 24.8 |
決勝
編集順位 | No | ドライバー | チーム | 周回 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 8 | アルベルト・アスカリ | フェラーリ | 77 | 3:00:00 | 1 | 9 |
2 | 10 | ニーノ・ファリーナ | フェラーリ | 76 | + 1 lap | 2 | 6 |
3 | 12 | ピエロ・タルッフィ | フェラーリ | 75 | + 2 laps | 3 | 4 |
4 | 2 | ロベール・マンヅォン | ゴルディーニ | 74 | + 3 laps | 5 | 3 |
5 | 44 | モーリス・トランティニアン | シムカ-ゴルディーニ-ゴルディーニ | 72 | + 5 laps | 6 | 2 |
6 | 22 | ピーター・コリンズ | HWM-アルタ | 70 | + 7 laps | 8 | |
7 | 4 | ジャン・ベーラ | ゴルディーニ | 70 | + 7 laps | 4 | |
8 | 28 | フィリップ・エタンセラン | マセラティ | 70 | + 7 laps | 18 | |
9 | 20 | ランス・マックリン | HWM-アルタ | 70 | + 7 laps | 14 | |
10 | 24 | イブ・ジロー・カバントゥ | HWM-アルタ | 68 | + 9 laps | 10 | |
11 | 34 | ルディ・フィッシャー ペーター・ヒルト |
フェラーリ | 66 | + 11 laps | 17 | |
12 | 38 | フランコ・コモッティ | フェラーリ | 63 | + 14 laps | 16 | |
リタイア | 6 | プリンス・ビラ | ゴルディーニ | 56 | アクセル | 7 | |
リタイア | 42 | マイク・ホーソーン | クーパー-ブリストル | 51 | イグニッション | 15 | |
リタイア | 16 | トゥーロ・デ・グラッフェンリート ハリー・シェル |
マセラティ | 34 | ブレーキ | 12 | |
リタイア | 26 | ピーター・ホワイトヘッド | アルタ | 17 | クラッチ | 13 | |
リタイア | 14 | ルイ・ロジェ | フェラーリ | 17 | エンジン | 9 | |
リタイア | 32 | ジョニー・クレエ | シムカ-ゴルディーニ-ゴルディーニ | 15 | エンジン | 20 | |
リタイア | 18 | ハリー・シェル | マセラティ | 7 | ギアボックス | 11 | |
リタイア | 40 | ピエロ・カリーニ | フェラーリ | 2 | エンジン | 19 |
注
編集第4戦終了時点でのランキング
編集順位 | ドライバー | ポイント | |
---|---|---|---|
1 | 1 | アルベルト・アスカリ | 18 |
1 | 2 | ピエロ・タルッフィ | 13 |
1 | 3 | ニーノ・ファリーナ | 12 |
1 | 4 | トロイ・ラットマン | 8 |
3 | 5 | ロベール・マンヅォン | 7 |
- 注:トップ5のみ表示。ベスト4戦のみがカウントされる。
参照
編集- ^ “French GP, 1952 Race Report”. Grandprix.com. 2 February 2013閲覧。
- ^ “1952 French Grand Prix - Race Entries”. manipef1.com. 2012年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月1日閲覧。
- ^ “1952 ACF GP - Entry List”. chicanef1.com. 1 January 2014閲覧。
- ^ a b c “France 1952 - Result”. statsf1.com. 11 January 2014閲覧。
- ^ a b “French Grand Prix 1952 - Results”. ESPN F1. 11 January 2014閲覧。
- ^ a b “France 1952 - Race entrants”. statsf1.com. 11 January 2014閲覧。
- “The Official Formula 1 website”. 2009年12月1日閲覧。
前戦 1952年ベルギーグランプリ |
FIA F1世界選手権 1952年シーズン |
次戦 1952年イギリスグランプリ |
前回開催 1951年ベルギーグランプリ |
フランスグランプリ | 次回開催 1953年ベルギーグランプリ |