1957年ドイツグランプリ
1957年ドイツグランプリ (1957 German Grand Prix) は、1957年のF1世界選手権第6戦として、1957年8月4日にニュルブルクリンクで開催された。
レース詳細 | |||
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1957年F1世界選手権全8戦の第6戦 | |||
ニュルブルクリンク北コース(1927-1967) | |||
日程 | 1957年8月4日 | ||
正式名称 | XIX Großer Preis von Deutschland | ||
開催地 |
ニュルブルクリンク 西ドイツ ニュルブルク | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 22.810 km (14.173 mi) | ||
レース距離 | 22周 501.820 km (311.806 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | マセラティ | ||
タイム | 9:25.6 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ファン・マヌエル・ファンジオ | マセラティ | |
タイム | 9:17.4 (20周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | マセラティ | ||
2位 | フェラーリ | ||
3位 | フェラーリ |
レース概要
編集路面の再舗装が行われたニュルブルクリンクに15万から20万人もの大観衆が詰めかけた[1]。
フェラーリは500kmの長丁場をノンストップで走りきれると踏んでいたが、マセラティはタイヤの摩耗の関係で1回のピットインが必要だった。そのため燃料を少なくして大量リードを築き、タイヤ交換と給油を同時に行う作戦を立てた。しかし、スタートはフェラーリのマイク・ホーソーンとピーター・コリンズに先行され、ファン・マヌエル・ファンジオは3位に後退した。2周目にはホーソーンが9分37秒9のコースレコードを出して引き離すも、3周目にファンジオがフェラーリ勢をかわしてトップに立ち独走していく。10周目を終えたところでジャン・ベーラがタイヤ交換と給油を行い、作戦通りフェラーリ勢に28秒のリードを築いたファンジオも12周目を終えてピットへ向かう。ところが、リアタイヤの交換と給油に手間取り56秒もかかってしまい、その間にホーソーンとコリンズが追い抜いて悠々とトップをひた走っていく。ファンジオはフェラーリ勢と38秒差でコースへ復帰した。
復帰直後はペースが上がらなかったが、これはフェラーリ陣営を錯乱させるためにファンジオが仕掛けた「罠」だった。フェラーリ陣営がホーソーンとコリンズにペースダウンの指示を出すとファンジオは鬼神の走りを見せ、16周目に33秒差、17周目に25秒差、19周目には9分23秒4を出して13秒差まで縮めフェラーリ勢に迫っていく。ここでようやくマセラティの作戦に気づいたフェラーリ陣営は、ホーソーンとコリンズにペースアップの指示を出した[2]。しかし、ファンジオは20周目に予選タイムより8秒速い9分17秒4という驚異的なタイムでファステストラップを出してフェラーリ勢にわずか2秒差にまで迫る。21周目のノルドカーブでコリンズを抜いて2位に上がり、ブライドシャイドでホーソーンも抜き去ってトップに躍り出た。ホーソーンはファンジオに食い下がり再逆転を狙うが、ファンジオはミスを犯さずホーソーンに3秒6差で大逆転勝利をおさめた。レース後にファンジオは「こんな走りはもう二度とできないよ」と語った[3]。
ファンジオは生涯最高の走りでF1最後の勝利となる通算24勝目[4]を挙げ、4年連続[5]5回目[6]のチャンピオンを決めた[7]。
当レースは参加台数を増やすため、この年復活したF2のマシンも混走した(黄色で表示)[8]。なお、F2のマシンは入賞してもポイントは獲得できないが、F1出走回数にはカウントされる[9]。
エントリーリスト
編集- 追記
結果
編集予選
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | ファン・マヌエル・ファンジオ | マセラティ | 9:25.6 | — |
2 | 8 | マイク・ホーソーン | フェラーリ | 9:28.4 | + 2.8 |
3 | 2 | ジャン・ベーラ | マセラティ | 9:30.5 | + 4.9 |
4 | 7 | ピーター・コリンズ | フェラーリ | 9:34.7 | + 9.1 |
5 | 11 | トニー・ブルックス | ヴァンウォール | 9:36.1 | + 10.5 |
6 | 3 | ハリー・シェル | マセラティ | 9:39.2 | + 13.6 |
7 | 10 | スターリング・モス | ヴァンウォール | 9:41.2 | + 15.6 |
8 | 6 | ルイジ・ムッソ | フェラーリ | 9:43.1 | + 17.5 |
9 | 12 | スチュアート・ルイス=エヴァンズ | ヴァンウォール | 9:45.0 | + 19.4 |
10 | 16 | マステン・グレゴリー | マセラティ | 9:51.5 | + 25.9 |
11 | 17 | ハンス・ヘルマン | マセラティ | 10:00.0 | + 34.4 |
12 | 21 | エドガー・バース | ポルシェ | 10:02.2 | + 36.6 |
13 | 4 | ジョルジオ・スカルラッティ | マセラティ | 10:04.9 | + 39.3 |
14 | 23 | ロイ・サルヴァドーリ | クーパー-クライマックス | 10:06.0 | + 40.4 |
15 | 20 | ウンベルト・マグリオーリ | ポルシェ | 10:08.9 | + 43.3 |
16 | 15 | ブルース・ハルフォード | マセラティ | 10:14.5 | + 48.9 |
17 | 28 | ブライアン・ネイラー | クーパー-クライマックス | 10:15.0 | + 49.4 |
18 | 24 | ジャック・ブラバム | クーパー-クライマックス | 10:18.8 | + 53.2 |
19 | 19 | ホレース・グールド | マセラティ | 10:20.8 | + 55.2 |
20 | 27 | カレル・ゴダン・ド・ボーフォール | ポルシェ | 10:25.9 | + 1:00.3 |
21 | 18 | パコ・ゴディア | マセラティ | 10:32.3 | + 1:06.7 |
22 | 25 | トニー・マーシュ | クーパー-クライマックス | 10:48.2 | + 1:22.6 |
23 | 26 | ポール・イングランド | クーパー-クライマックス | 11:08.4 | + 1:42.8 |
24 | 29 | ディック・ギブソン | クーパー-クライマックス | 11:46.4 | + 2:20.8 |
ソース:[12] |
決勝
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | ファン・マヌエル・ファンジオ | マセラティ | 22 | 3:30:38.3 | 1 | 9 1 |
2 | 8 | マイク・ホーソーン | フェラーリ | 22 | +3.6 | 2 | 6 |
3 | 7 | ピーター・コリンズ | フェラーリ | 22 | +35.6 | 4 | 4 |
4 | 6 | ルイジ・ムッソ | フェラーリ | 22 | +3:37.6 | 8 | 3 |
5 | 10 | スターリング・モス | ヴァンウォール | 22 | +4:37.2 | 7 | 2 |
6 | 2 | ジャン・ベーラ | マセラティ | 22 | +4:38.5 | 3 | |
7 | 3 | ハリー・シェル | マセラティ | 22 | +6:47.5 | 6 | |
8 | 16 | マステン・グレゴリー | マセラティ | 21 | +1 Lap | 10 | |
9 | 11 | トニー・ブルックス | ヴァンウォール | 21 | +1 Lap | 5 | |
10 | 4 | ジョルジオ・スカルラッティ | マセラティ | 21 | +1 Lap | 13 | |
11 | 15 | ブルース・ハルフォード | マセラティ | 21 | +1 Lap | 16 | |
12 | 21 | エドガー・バース | ポルシェ | 21 | +1 Lap | 12 | |
13 | 28 | ブライアン・ネイラー | クーパー-クライマックス | 20 | +2 Laps | 17 | |
14 | 27 | カレル・ゴダン・ド・ボーフォール | ポルシェ | 20 | +2 Laps | 20 | |
15 | 25 | トニー・マーシュ | クーパー-クライマックス | 17 | +5 Laps | 22 | |
Ret | 17 | ハンス・ヘルマン | マセラティ | 14 | シャシー | 11 | |
Ret | 20 | ウンベルト・マグリオーリ | ポルシェ | 13 | エンジン | 15 | |
Ret | 23 | ロイ・サルヴァドーリ | クーパー-クライマックス | 11 | サスペンション | 14 | |
Ret | 18 | パコ・ゴディア | マセラティ | 11 | ステアリング | 21 | |
Ret | 12 | スチュアート・ルイス=エヴァンズ | ヴァンウォール | 10 | ギアボックス | 9 | |
Ret | 24 | ジャック・ブラバム | クーパー-クライマックス | 6 | トランスミッション | 18 | |
Ret | 26 | ポール・イングランド | クーパー-クライマックス | 4 | ディストリビューター | 23 | |
Ret | 29 | ディック・ギブソン | クーパー-クライマックス | 3 | ステアリング | 24 | |
Ret | 19 | ホレース・グールド | マセラティ | 1 | アクスル | 19 | |
ソース:[13]
|
- 追記
第6戦終了時点のランキング
編集- ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 | ドライバー | ポイント | |
---|---|---|---|
1 | ファン・マヌエル・ファンジオ | 34 | |
2 | ルイジ・ムッソ | 16 | |
3 | 3 | マイク・ホーソーン | 13 |
1 | 4 | トニー・ブルックス | 10 |
1 | 5 | サム・ハンクス | 8 |
- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。
脚注
編集- ^ (林信次 1999, p. 34)
- ^ 当時は無線ではなくピットのサインボードで指示を出していた。しかもニュルブルクリンクは22kmのロングコースだったため、指示の伝達に時間を要した。
- ^ (林信次 1999, p. 34,36)
- ^ 1968年にジム・クラークに破られるまで歴代1位だった
- ^ 2004年にミハエル・シューマッハに破られるまで歴代1位だった
- ^ 2003年にミハエル・シューマッハに破られるまで歴代1位だった
- ^ (林信次 1999, p. 36)
- ^ (林信次 1999, p. 49)。ドイツGPでは1969年までしばしばF2との混走が行われた。
- ^ (林信次 1995, p. 51)。ただし、文献によっては出走回数にカウントされない場合もある。
- ^ “Germany 1957 - Race entrants”. statsf1.com. 2018年1月22日閲覧。
- ^ a b “Germany 1957 - Result”. statsf1.com. 2018年1月22日閲覧。
- ^ “Germany 1957 - Qualifications”. statsf1.com. 2018年1月22日閲覧。
- ^ “1957 German Grand Prix”. formula1.com. 18 February 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。9 August 2015閲覧。
参照文献
編集- 林信次『F1全史 1956-1960』ニューズ出版、1999年。ISBN 4-938495-27-9。
- 林信次『F1全史 1966-1970』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6。
外部リンク
編集前戦 1957年イギリスグランプリ |
FIA F1世界選手権 1957年シーズン |
次戦 1957年ペスカーラグランプリ |
前回開催 1956年ドイツグランプリ |
ドイツグランプリ | 次回開催 1958年ドイツグランプリ |