Wikipedia‐ノート:検証可能性/Archive10
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Archive05(2007-10~)(打ち切り - 出典無き記述の除去 - 「存命人物の伝記」の問題とのすり替わり - 秀逸な記事への要出典タグ - 「出典不明示は削除」は万能な規定ではないことの確認) - Archive06(2007-12~) - Archive07(2008-08~) - Archive08(2008-12~) -
Archive09(2009-03~)(「『真実かどうか』ではなく『検証可能かどうか』」との文言に関して - 「利用者同士の合意によって覆されるものではない」との文言に関して) -
Archive10(2011-01~)(本方針を根拠とする記事の白紙化について - 存命人物の記事におけるGENREF方式の是非) - Archive11(2016-02~)<(無出典記述の扱いの説明について - 目撃・伝聞情報) - Archive12(2018-03~) (edit)
日本語の情報源と日本語以外の情報源について文章の変更の提案
編集「情報源/ソース」のセクションに「ウィキペディア日本語版では、可能な限り日本語による情報源を示すべきであり、 常に日本語による情報源を日本語以外の言語による情報源より優先して使用するべきです。 これは、情報源の資料が正しく使用されたことを、日本語版の読者が容易に検証できるようにするためです。」という文があります。一方これに対応する英語版の文章は「Because this is the English Wikipedia, English-language sources are preferred over non-English ones, provided that English sources of equal quality and relevance are available. 」であり、 仮に訳すと「このウィキペディアは英語版のウィキぺディアなので、英語以外の情報源と同等の品質と適切さをもつ英語の情報源が利用可能であれば英語の情報源の方が好まれます。」 という程度の表現になっています。 日本語版ウィキペディアで日本語以外の情報源より日本語の情報源が好まれるのは当然のことです。しかし、日本語の情報源が日本語以外の情報源と比べたときに「同等の品質と適切さを持つ」 といえない場合のことを考えると「常に」という表現は強すぎる嫌いがあります。また,「これは」以下の文章についてもあくまで要請されているのは「検証できる」ことであり「容易に検証できる」というのは言いすぎだと思います。 そこで,最初に引用した文を英語版にならって「このウィキペディアは日本語版のウィキぺディアなので、日本語以外の情報源と同等の品質と適切さをもつ日本語の情報源が利用可能であれば、日本語の情報源の方が好まれます。」と変更することを提案します。Suzukitaro 2011年1月5日 (水) 12:23 (UTC)
- 基本賛成です。私がコンピュータ分野、例えばLand攻撃のような記事に関わっているからかもしれませんが、日本語の文献ではほとんど言及されていないというケースも多く、その場合に出典のほとんどが英語となります。ただ、この分野においては検証可能性に関する指摘がほとんどない(多分記事に関わる人も少ない)がために、別段日本語の情報源がないままでもとくに問題にはなっていませんが、他の分野では問題になっているケースもあるでしょう(Suzukitaroさんがご存知であればお教えいただきたいところ)。日本語の情報源がないことを理由に検証可能でないとするのは妥当でないと考えますし、それを更に推し進めて日本語の情報源がないから削除だなどとするのも妥当でないと考えますので、その変更に賛成します。--NISYAN 2011年1月22日 (土) 14:57 (UTC)
- コメント 日本語版と英語版を取り巻く環境の違いを考えると、英語版のそれをそのまま取り入れていいのか疑問ですね。英語は国際的に用いられている言語であって母語と英語のバイリンガルは多数いますから、いかなる言語の出典であってもその信頼性を確認できるだけの語学力あるいは知識を持つ利用者を見つけるのは難しくないでしょうが、日本語ではそのような状況にはありません。英語やその他の国際的に利用者の多い言語ぐらいならともかく。--Kurz 2011年1月24日 (月) 11:41 (UTC)
- コメント 今回の疑問は、日本語の情報源(以下、情報源J)以外に他の言語の情報源(以下、情報源O)がある場合、その情報源Jの品質が情報源Oの品質に満たない場合もあり、そのような場合にまで「常に」情報源Jを選択すべきとまで言うのは不適切ではないか、というものかと思います。≪英語は国際的に用いられている言語であって≫とおっしゃっているわけですが、現状の文面では、高品質な英語の情報源(以下、情報源E)があるとしてもそれよりも優先して情報源Jを用いるべきとされているわけで、その場面においてすら情報源Jを優先すべきとする理由はKurzさんの説明からは見えてこないのですが、高品質な情報源Eより低品質な情報源Jを優先すべきとするケースに限定して、その理由をもう少し詳しくご説明いただけますでしょうか?そのような限定ケースを考慮すればこそ≪「常に」という表現は強すぎる嫌いがあ≫るという提案だと思うのですが、いかがでしょう?--NISYAN 2011年1月25日 (火) 22:56 (UTC)
- コメント 英語に関しては、日本では誰もが義務教育として簡単な読み書きを習得するため、内容の検証は比較的容易であり、それが日本語の情報源より品質が高いのであればそれを用いても良いと思います。中国語や韓国語辺りも、利用者を見つけるのは比較的容易かも知れません。ただしこれがタガログ語であるとかアラビア語であるとかヘブライ語であるとか、あるいはもっと日本での利用者が少ない言語となると、Kurzさんの言うような事情も勘定に入れなければならないのではないかとも感じます。個人的にはSuzukitaroさんの提案には賛成ですが、Kurzさんの懸念にも一理あると考えます。--Kanohara 2011年1月26日 (水) 01:16 (UTC)
- コメント 現状で不都合がないとは思わないですよ、そこは理解しています。ただ提案どおりにすると別の不都合が出てくる恐れがあって、そちらの弊害の方が大きいかもと思うだけでして。
- 個人的な経験なんですが、東欧のとある言語の(おそらく偏った)資料を元に検証可能性を主張されたことがありまして、何せマイナー言語なので書誌情報を見てもさっぱり品質の判断がつきませんし、判断できる他の話者もいませんでしたので困りましたね。そんな風では検証可能性の趣旨である「ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができる」状態にあるとはあまり思えませんでした。
- ちなみに、Suzukitaroさんの提案の趣旨を読む限りでは、文面の末尾は「~好まれます。」より「~優先します。」の方が適切かと思います。提案どおりだと”J=Oの場合Oでも構わない”ように解釈できてしまいますから。--Kurz 2011年1月26日 (水) 12:11 (UTC)
- コメント コメントありがとうございます。より大きな懸念事項があることは理解しました。ひとまず、考えつつ、他の案が出てくるのを待つことにします。--NISYAN 2011年1月27日 (木) 00:55 (UTC)
- コメント特に問題ないと思います。三大方針「Wikipedia:中立的な観点」「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:独自研究は載せない」は相互補完の関係にあり、提示された懸念事項は、他の二つの方針で対応できるかと存じます。ガイドラインの「Wikipedia:信頼できる情報源#日本語以外の言語で書かれた情報源」には、2006年から「同じ品質と信頼性だと仮定しています」の但し書きがあり、方針とガイドラインの間で整合性が取れない状態が長らく続いています。--Momonga365(会話) 2013年7月17日 (水) 23:39 (UTC)
- コメント基本的に賛成します。過去に社会主義を採用したアフリカや中南米の国家の場合、日本語で刊行されている資料の発行が社会主義を採用していた時期や、その時期の政権を賛美する著者に発表量が大きく偏っており、それ以外の日本語による資料を見つけることが困難なことも少なくありません。、結果として政治的に大きく偏る危険性があり、ひと括りに日本語による情報を優先させることもWikipedia:中立的な観点から考えてまた危険だと考えます。--Himetv_ 2013年7月18日 (木) 08:37 (UTC)
- コメント特に問題ないと思います。三大方針「Wikipedia:中立的な観点」「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:独自研究は載せない」は相互補完の関係にあり、提示された懸念事項は、他の二つの方針で対応できるかと存じます。ガイドラインの「Wikipedia:信頼できる情報源#日本語以外の言語で書かれた情報源」には、2006年から「同じ品質と信頼性だと仮定しています」の但し書きがあり、方針とガイドラインの間で整合性が取れない状態が長らく続いています。--Momonga365(会話) 2013年7月17日 (水) 23:39 (UTC)
- コメント コメントありがとうございます。より大きな懸念事項があることは理解しました。ひとまず、考えつつ、他の案が出てくるのを待つことにします。--NISYAN 2011年1月27日 (木) 00:55 (UTC)
- コメント 今回の疑問は、日本語の情報源(以下、情報源J)以外に他の言語の情報源(以下、情報源O)がある場合、その情報源Jの品質が情報源Oの品質に満たない場合もあり、そのような場合にまで「常に」情報源Jを選択すべきとまで言うのは不適切ではないか、というものかと思います。≪英語は国際的に用いられている言語であって≫とおっしゃっているわけですが、現状の文面では、高品質な英語の情報源(以下、情報源E)があるとしてもそれよりも優先して情報源Jを用いるべきとされているわけで、その場面においてすら情報源Jを優先すべきとする理由はKurzさんの説明からは見えてこないのですが、高品質な情報源Eより低品質な情報源Jを優先すべきとするケースに限定して、その理由をもう少し詳しくご説明いただけますでしょうか?そのような限定ケースを考慮すればこそ≪「常に」という表現は強すぎる嫌いがあ≫るという提案だと思うのですが、いかがでしょう?--NISYAN 2011年1月25日 (火) 22:56 (UTC)
Web魚拓の検証可能性について
編集以前一度話題になっていましたが、Web魚拓に保存されている情報は出典として利用可能でしょうか? ウェブ魚拓の利用状況は近年非常に多くなっていますが、この検証可能性に関する議論は長らく放置された状態となっています。 ちなみに個人的には、ちょっとしたHTMLの知識があれば捏造し放題なのでちょっとどうかなと思っています。--222.1.134.86 2011年11月25日 (金) 12:09 (UTC)
- 捏造し放題というのは本当なんですか?アーカイブを捏造するという可能性を考えたことがなかったので驚きました。
- まずアーカイブ化されていない状態で出典として利用され、[リンク切れ]になったので代わりにweb魚拓を使うというならアリだと思います。
- 最初からweb魚拓だけの利用だと、確かに捏造されていたら困ったことになりますが、そもそも出典を探す際には、大体「こういったぺージでこんなことが書かれていた」という情報を他のところから入手した上でweb魚拓を探すと思うので、捏造されていても誰かが気づくんじゃないかなと思います。
- ちょっと煮え切らない書き方になってしまいましたが、私の意見としては「web魚拓ありきの考え方は出来るだけ避けて、適切に利用」ということになります。--リネン 2011年11月27日 (日) 00:07 (UTC)
- 222.1.134.86氏が仰る、HTMLの知識があれば捏造し放題というのは本当なのでしょうか?ウェブ魚拓やインターネットアーカイブは、URLから元のサイトのURLが分かるようになっています。魚拓取る時に捏造するとすれば、元のサイトの方を弄らないといけなくなります。ハッカーみたいな事でもするのでしょうか?過去ログを見ると、アーカイブされたページそのものには著作権上の懸念があると書いてあるので、アーカイブされたデータをそのまま出典につかうのではなく、リネンさんの仰るように、[リンク切れ]になった出典を補足するのに、web魚拓を使うというならアリだと思います。--Mr.Max 2011年11月27日 (日) 04:21 (UTC)
- 捏造できるというのは、Web魚拓なるサイトの管理者が、もともとのサイトをそのままに収録しているという保障はない、という意味ではないですか。--Calvero 2011年11月27日 (日) 05:33 (UTC)
- 222.1.134.86氏が仰る、HTMLの知識があれば捏造し放題というのは本当なのでしょうか?ウェブ魚拓やインターネットアーカイブは、URLから元のサイトのURLが分かるようになっています。魚拓取る時に捏造するとすれば、元のサイトの方を弄らないといけなくなります。ハッカーみたいな事でもするのでしょうか?過去ログを見ると、アーカイブされたページそのものには著作権上の懸念があると書いてあるので、アーカイブされたデータをそのまま出典につかうのではなく、リネンさんの仰るように、[リンク切れ]になった出典を補足するのに、web魚拓を使うというならアリだと思います。--Mr.Max 2011年11月27日 (日) 04:21 (UTC)
「流通業者向けの資料」は「検証可能性を満たす」ものか否か
編集ガンプラの一覧においてこれを元にした、もしくはこれを紹介したプログなどを元にしたと思われる編集が行なわれました[1]。これに関して「Wikipedia‐ノート:信頼できる情報源」でご意見をお願いしたところ「検証可能性を満たさないと考えます」とのご意見がありました[2]。こちらで改めてお尋ねいたしますが、この資料は「検証可能性を満たす」ものか「検証可能性を満たさない」ものか、ご意見をお願いいたします(本資料に「画像を含めた内容の無断転載、二次使用はご遠慮ください」とありますので、リンクそのものが問題でしたら、リンクのある版の削除をお願いいたします)。--ステイシア・ボーダー 2011年12月4日 (日) 14:45 (UTC)
- 改めて調べましたところ、「これ」で提示したサイトは「オンラインショップ」のサイトでした。--ステイシア・ボーダー 2011年12月4日 (日) 15:08 (UTC)
こちらでは一般論がおもに検討されますので、個別記事の編集検討において持ち寄られた外部資料がWikipedia:信頼できる情報源に該当するかどうかは個別記事の編集者間で検討頂くようお願いいたします。一般論としては、外部の信頼できるソースから持ち寄られたものであり、第三者がアクセス可能なものであれば(有償・無償などアクセスコストは問わない)、一般に検証可能性を満たしていると考えられています。記事においては、さらに①その資料のある記述を紹介することがはたして百科事典的であるといえるかどうか②その持ち寄られた資料が「一般的で」「信頼できるもの」といえるかどうかを検討頂ければよいのではないかと考えます。記事を拝読させていただいた限りでは価格情報という過渡的で流動的な情報を、百科事典に網羅的に紹介する必要があるかどうかという論点のようですので、あまり百科事典的記述ではないと感じました。ウィキペディアは販売カタログではありません。他の編集者からなんらかのクレーム(注記)が提出されたのならば、なんらかの違和感を感じている人がいるのだと考慮してみてください。もちろんWikipediaは包摂主義的な傾向がありますので、記事編集に参加されておられる、あるいは訪問しておられる読者間で「暖かく」「好意的に」放置されている記述は採録されていることが多いわけですから、トラブルにならない範囲で編集状態を検討するのがもっとも良い方針だと思います。--大和屋敷 2011年12月5日 (月) 01:29 (UTC)
- 本件において「価格情報の記述」に関しては問題とはしていません。新商品に関しての記述に対して、通販サイトの情報を元とした「速報的な記述」を問題としています。今回提示の件ですが、「本来なら一般人は入手できない『流通業者向けの資料』」の「情報解禁日以前のリーク情報」を元とした情報が「『検証可能性』を満たすのか」、という問題と考えます。現在は冒頭に記載したリンク先「これ」は消滅しています。--ステイシア・ボーダー 2011年12月5日 (月) 11:06 (UTC)
- コメントんと、そんな単純に検証可能性を満たす/満たさないと判断できるものでもないと思いますし、検証可能性や信頼できる情報源だけで考える必要もな異と思いますけれども。。
- PDFは見れないけど、まずは発売予定であるという資料でしかないですよね。「一覧」が、どの範囲を扱うのかはわかりませんが、発売された一覧としてなら、資料として不適切。予定・計画されたものの一覧なら、まあいいかもしれない。検証可能性とか資料そのものの信頼性とは別。
- 「情報解禁日以前のリーク情報」ならば、それはいかに情報源が検証可能で信頼できるものであっても、掲載すべきではない、という考え方もあります。
- 「本来なら一般人は入手できない『流通業者向けの資料』」であっても、現に入手可能な状態であるなら、検証はできる。しかし、今回のような販売店での公開で、掲載後時間を置かず削除されているものは、安定して検証可能になっているとは言えず、また他所で適切に入手できる可能性はそれほど高くないですから、好ましい情報源ではないです。そこで得られる情報が、記事の中で重要であり、他所で得ることは難しく、リーク云々とは関係ないような場合など、流通業者向けの資料を使うことが認められる事例もあると思います。
- しかし、今回のような場合は、しばらく待てば、より多くの、より信頼できる情報によって、情報を追加できるのですから、この情報源を用いて急いで編集をする必要はない。だから、編集は差し戻しました、ということでよいのではないでしょか。--Ks aka 98 2011年12月5日 (月) 11:30 (UTC)
英語版からの翻訳
編集この間にWikipedia‐ノート:検証可能性/英語版の翻訳にて、英語版からの方針の訳文の移入が検討されました。--Miraburu(会話 / 投稿記録) 2022年7月3日 (日) 13:04 (UTC)
「ストームフロント」について
編集素朴な質問ですみません。自主公表された情報源:公式サイトの文章にある「ストームフロント」という単語は何を意味する言葉なのでしょうか?一応ネットで検索してみましたが、ビリー・ジョエルのアルバムタイトル、米国のゲーム会社、バックパックくらいしか出てこないのですが。可能なら、より分かりやすい言葉で置き換えて頂けないでしょうか。--Musounoken(会話) 2012年3月11日 (日) 06:53 (UTC)
おそらく「ストームフロント」は、ある団体・個人・商標などの仮称として例示されたものだと思いますが、文章中に何の前置きも無く唐突に登場するため、日本語としては前後の繋がりが悪く分かり難いです。そこで修正文案を提出します。
自主公表物やその他の信頼性に乏しい情報源でも、それらの情報源自身に関する記事においては、情報源として使用することができます。例えばウィキペディアに仮に「ストームフロント(映画)」という映画作品の記事があったとします。この記事について、映画「ストームフロント」の公式ウェブサイトは、その情報が重要であり、過度に自己を美化するものでなく、また第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合はその第三者の情報と矛盾していない限り、ウィキペディアの「ストームフロント(映画)」についての記事において「ストームフロント(映画)」自身に関する情報源として使用できます。
また例えば、信頼性に乏しいある新聞についてウィキペディアで記事を書く場合、その新聞の記事の例を示す必要があったとしても、第三者についてのその新聞の主張を記載するべきではありません(ただし、同じ話が信頼に足る第三者の情報源によって掲載されている場合は、この限りではありません)。
皆さんのご意見をお願いします。--Musounoken(会話) 2012年3月13日 (火) 03:12 (UTC)
- 情報 この方針の初版はen:Wikipedia:Verifiabilityの2006年4月12日 (水) 09:31 の版から翻訳されたものですが、原文では「the Stormfront website」という表現になっています。英語版の記事「en:Stormfront」の当時の版からしても、これは恐らく「en:Stormfront (website)」を指しているのではないかと思われます。英語版ウィキペディアの記事によれば、白人至上主義を掲げる有名なネオナチのインターネットコミュニティということのようです。
- 日本語版にはStormfront (website) の記事がなく、ネオナチについてもあまり身近な存在ではないので、あまり分かりやすい例ではないでしょうね。適当な過激派団体にでも置き換えてはどうかと思うのですが、多くの実在の団体は、自分たちをネオナチと同一視されることを望まないでしょうから(思想的に対立している団体ならなおさらです)、やや慎重な判断が求められるところです。--Kanohara(会話) 2012年3月13日 (火) 04:08 (UTC)
- コメント ちと追記を。現在の英語版からは the Stormfront website への言及が除去されており、具体例な固有名詞を出さない形の内容に改められています。これに合わせて内容を翻訳して導入するか、あるいは「過激派のウェブサイト」のような抽象的な表現に置き換える手もあるかも知れません。--Kanohara(会話) 2012年3月13日 (火) 09:39 (UTC)
- Kanoharaさん、情報ありがとうございます。御教示頂いた内容を参考に文案を手直ししました。もし問題が無ければ本文に組み込もうと思います。
自主公表物やその他の信頼性に乏しい情報源でも、それらの情報源自身に関する記事においては、情報源として使用することができます。例えばウィキペディアに仮に「●●●~会」という名称の政治団体の記事があったとします。この記事について、「●●●~会」が開設しているウェブサイトは、その情報が重要であり、過度に自己を美化するものでなく、また第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合はその情報と矛盾していない限り、ウィキペディアの記事の「●●●~会」自身に関する情報源として使用できます。
--Musounoken(会話) 2012年3月13日 (火) 14:31 (UTC)
自主公表物やその他の信頼性に乏しい情報源でも、それらの情報源自身に関する記事においては、情報源として使用することができます。例えばウィキペディアにある政治団体の記事があったとします。この記事について、その政治団体が開設しているウェブサイトは、その情報が重要であり、過度に自己を美化するものでなく、また第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合はその情報と矛盾していない限り、ウィキペディアのその政治団体についての記事において、その政治団体自身に関する情報源として使用できます。
- どうでしょうか?--Kanohara(会話) 2012年3月17日 (土) 12:20 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。なるほどその方が良いかも知れませんね。異存は有りません。--Musounoken(会話) 2012年3月17日 (土) 17:12 (UTC)
- このまま異論が無いようでしたら、2~3日後を目途にKanoharaさんの文案を本文に組み込ませて頂きます。--Musounoken(会話) 2012年3月20日 (火) 09:46 (UTC)
- 本文に組み込みました。2012年3月23日 (金) 11:23時点における最新版 --Musounoken(会話) 2012年3月23日 (金) 11:28 (UTC)
- このまま異論が無いようでしたら、2~3日後を目途にKanoharaさんの文案を本文に組み込ませて頂きます。--Musounoken(会話) 2012年3月20日 (火) 09:46 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。なるほどその方が良いかも知れませんね。異存は有りません。--Musounoken(会話) 2012年3月17日 (土) 17:12 (UTC)
- どうでしょうか?--Kanohara(会話) 2012年3月17日 (土) 12:20 (UTC)
本方針を根拠とする、記事の白紙化について
編集こちらでの議論はWikipedia‐ノート:検証可能性/本方針を根拠とする記事の白紙化についてに分割しました。--Miraburu(会話 / 投稿記録) 2022年7月3日 (日) 13:12 (UTC)
存命人物記事(BLP)の検証可能性を満たすための共通理解
編集こちらでの議論はWikipedia‐ノート:検証可能性/存命人物の記事におけるGENREF方式の是非に分割しました。--Miraburu(会話 / 投稿記録) 2022年7月3日 (日) 13:11 (UTC)
Vigorous actionさんへのコメント依頼について
編集Vigorous actionさんによる一連の記事白紙化行為とそれに対するご本人の弁明について、Wikipedia:コメント依頼/Vigorous action 20120820を提出いたしました。よろしくお願い申し上げます。--182.168.245.143 2012年8月20日 (月) 17:38 (UTC)
Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わないへのコメント依頼について
編集Wikipedia‐ノート:すぐに古くなる表現は使わないにてガイドラインのあり方について御意見を広くうかがいたいと思っておりまして、その中には本方針のWikipedia:検証可能性の観点も含まれておりますので、Wikipedia‐ノート:すぐに古くなる表現は使わない#本ガイドラインのあり方についてに幅広い御意見をお寄せいただければと考えております。--Jizwf(会話) 2012年11月8日 (木) 22:49 (UTC)
検証可能性における3つの方法について(質問・意見コメント依頼)
編集Wikipedia:検証可能性について、3つの表現方法・ルールが重複しており、その後の編集方法も個人によって異なっています。(初心者の私にはそう感じます)
1.検証可能性がないとして、記事を削除する。
2.「要出典」タグをつけて、記事は残す。
3.記事の上部に、「この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(XXXX年X月)」とのタイトルタグをつけて、記事は残す。
この3つはどのように使い分けるのでしょうか、ご教授下さい。またこの3つの方法が混在していることについて、一つに統一すべきなどの幅広い意見コメントをお寄せ下さいませ。よろしくお願いいたします。--Kenken12345678(会話) 2013年2月5日 (火) 05:40 (UTC)
- ここの文章が端的に示していると思いますが、原則は1です。ただ、文章を書いた人に出典を示す機会も与えず記述を除去すると異議を唱える場合があり、論争の元になりますので、例えば「要約欄」に問題点を書く、除去する前に「要出典」タグをつける等の手法により、相手に注意を促すというような運用になっています。
- 私個人は、存命人物に対する名誉毀損等の問題があれば1、そうでなければ2(ある程度時間が経っても出典が出されない場合は除去)、一つの節の文章全部に出典がない場合は3、というようにしています。
- もちろん、ケース・バイ・ケースで対応は変わり得ます。さほど手間をかけずとも出典が見つかるような場合には、自ら出典を付ける方が好まれるでしょうし、誰が見ても不確かな記述であれば1でも異論が出ないこともあります。--ろう(Law soma) 話 歴 2013年2月5日 (火) 08:37 (UTC)
- Wikipedia‐ノート:出典を明記する#提案:WP:NOCITEの修正 要検証タグ解説との矛盾 での議論が、その疑問への答となると思います。少し長いですが。--Calvero(会話) 2013年2月5日 (火) 12:14 (UTC)
- それ以外に(4)自分で出典を見つけてきて記事を改善する、というのもあります。どれを選ぶのかは編集者の裁量なので、人によって対応にばらつきが出るのは仕方ないですね。私自身はできるだけ無用な揉め事を避けるという観点から選ぶようにしています。つまり4→2または3→1の順番で試してみます。ろうさんが解説してますとおり、存命人物に関する根拠に乏しい否定的記述に関しては例外で、その場で1を取るのが方針となっています(WP:BLP参照)。--Bugandhoney(会話) 2013年2月5日 (火) 13:58 (UTC)
- コメント 「空は青い」といった自明な内容や、容易に出典を探し出せるような記述を、脚注形式で出典が示されていないことを理由に除去してみたり、{{要出典}}だらけにしたりするような編集は、ルールの悪用とみなされるかも知れません。私も以前、ある編集者が出典が脚注形式で明記されていないことを理由に、複数のノーベル賞受賞者の記事からせっせと「xxxx年にノーベル賞受賞」という記述を除去して、それを方針に則った誇らしい編集だと主張していたのを見かねて、投稿ブロック依頼を出したことがあります。もちろん、全ての記述に明確な出典がつけられ、読者がその記述の正当性をいつでも確認できることは望ましいことですが、その理想に近づくためのルールをおもちゃにして遊ぶべきではありません。自明な内容だからと出典を明示するのを怠るのは怠慢と言えますが、「皆で作る百科事典」のプロジェクトの参加者として望ましい態度は、非寛容を示すことではなく、出典を探してきて記事に追加することであろうと思います。まあ、明らかなイタズラや検証可能性の見込めない内容は、バッサリやっちゃって構わないと思いますけれど。--Kanohara(会話) 2013年2月5日 (火) 15:46 (UTC)
検証可能性における写真の価値について(質問・意見コメント依頼)
編集Wikipedia:検証可能性について、写真は検証可能性の要件を満たすものでしょうか。もちろん個人運営のwebサイト・ブログ等では、問題外となるでしょうが。たとえば○○株式会社の建設した建物の外見写真が、××株式会社の賃貸物件サイトに掲載されている。その外見写真に「建物の名称・構造等が写っている」
○○株式会社のサイトに掲載されていれば、もちろん当該記事の当事者企業ですので、検証可能性はあると感じますが、別法人の××株式会社のサイトに掲載されている場合、検証可能性は満たすと考えるべきでしょうか。ご意見コメントを広く求めます。よろしくお願いいたします。(もちろん××株式会社は、零細企業等ではなく、きちんとドメインをとっている会社だと仮定します。)--Kenken12345678(会話) 2013年2月5日 (火) 05:52 (UTC)
- 写真は一次資料です。一次資料についての説明は、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源 にあります。そして、なんらかの資料が提示されている以上、検証可能性はあるといえますが、資料の信頼性が低い場合、その度合いも低いものだと思います。××株式会社というのが、有名企業であるなどで掲示する写真の正確さに相当の注意を払っていると考えられるのであれば、信頼性は高くなると思います。名称だとかが写っているかどうかは、あまり関係ないように思います。なお、○○株式会社の場合ほうは Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源 にあたるものだと思います。--Calvero(会話) 2013年2月5日 (火) 12:29 (UTC)
- 具体的にどの記事のどの画像のことというふうに聞いてもらうほうがコメントしやすいかなとは思いますが...。××株式会社のサイトに掲載されている文章がウィキペディアの記事出典として適切なのであれば、同じ場所に載っている画像に言及するのは構わないと思います。ただし、その場合は「○○という画像はxxというサイトにある」というような事実にとどめておくべきであって、その画像に関する解説を記述するのは最小限にとどめたほうがよいと思います。過去には、朝鮮通信使#交流で切り取った画像を基にウィキペディア編集者が独自の解説をしていることが問題になったことがあります(場所は思い出せませんでした)。画像の内容に関して解説する必要がある場合は、そのような解説を行っている外部文書を見つけてくるべきでしょう。--Bugandhoney(会話) 2013年2月5日 (火) 13:53 (UTC)
Webサイトの記述の検証可能性について(意見募集)
編集こんばんは。出典をインターネットで検索していると、どうしてもウェブサイトから出典を得ることになりますが、もちろん個人や単なる個人の集まりのブログ等は検証可能性を満たす事には絶対なりませんが。どこまでが信頼の置ける出典となるのでしょうか。もちろん記事の当事者のWebサイト(たとえば鉄道の記事なら鉄道会社のプレスリリース)は出典となり、各種報道機関や公的機関もなるとおもいますが、なかにはゴシップ報道機関も存在します。その線引きの判断に苦慮しております。法人のウェブサイトからならよいのか、それともその都度判断なのか。例として、よく鉄道の記事に「市ヶ谷経済新聞」という出典がでてまいりますが、ウェブサイトをみると、単なるコミュニティサイトに等しいサイトであり、個人的には信頼のおける出典とはおもえません。(一法人が運営しているサイトにすぎない)また法人でもその分野での著名人・学者が開設しているWebサイトの記載等はどうなるのでしょうか。 これについて、ご意見を広くお伺いしたいと思います。--Kenken12345678(会話) 2013年2月9日 (土) 18:02 (UTC)
- 自分が記事を書く上では自分で線を引く。それじゃダメだといわれたら、意見を交換する。他の人が使っているものについて、多少はその人の判断を尊重する。どうしても信用できず、記事自体の信頼性や偏りに問題が生じそう、生じているのであれば、より信頼できる情報源を使って書き直すか、その情報源についての評価を、その主題について詳しい人たちの間で意見交換する。といったところです。
- 分野ごとの情報源の評価は、一般的な基準で線を引くことが困難ですから、詳しい人の間で相談して決めてください。--Ks aka 98(会話) 2013年2月10日 (日) 06:45 (UTC)
- これはもう、そのサイトを使って何を記述しようとしているのかによります。学術論文で取り上げられるようなトピックを記述するために市ヶ谷経済新聞を使うのは無しでしょう。一方で、一般全国紙では取り上げられないような地方経済ネタを記述するために市ヶ谷経済新聞を使うのは一律に排除されるべきではないでしょう。ちなみに、市ヶ谷経済新聞はみんなの経済新聞ネットワークに属しているみたいですね。みん経ネットワークに関しては過去にWikipedia:井戸端/subj/五大紙が揃っている場合の、スポーツ新聞とテレビ報道と地方新聞の取扱いで話題になったことがあります。当事者のWebサイト(たとえば鉄道の記事なら鉄道会社のプレスリリース)は自己公表物である一次資料なので、記事の出典としては原則的に避けるべきです(WP:RSを参照)。--Bugandhoney(会話) 2013年2月10日 (日) 08:21 (UTC)
修正提案:原則という訳の意味が大きく異なるので
編集- 他の原則との兼ね合い
- これは、英語版におけるVerifiability and other principlesなので、このままでいいと思います。
- 原則として
- これは英語におけるlargelyかと思われます。「主に」、「ほとんどは」が当てはまるかと思います。上のprinciplesとは大きく異なりますので、この方針文書では意味を取り違えないように「原則として」ではなく「ほとんどの場合は」と訳すことを提案します。
- NOR原則
The "No original research" policy (NOR) is …(略)… by the NOR policy. 引用元:en:Wikipedia:Verifiability#Original research
この訳として現在、「独自研究は載せない(NOR)という方針(略)NOR原則」となっていまして、もともと両方policyなので、また独自研究は載せないはprinciplesではないですからこの文面のままでは誤りですので、この方針文書では「NOR原則」ではなく「NORの方針」と訳すことを提案します。2週間待ち異論がなければ修正します。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月7日 (木) 05:17 (UTC)
- 修正しました。--タバコはマーダー(会話) 2014年8月22日 (金) 03:56 (UTC)
Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源 の解釈について(ご教授下さいませ)
編集現在、タブロイド紙のインタビュー記事について、私が関わっている記事で議論になっております。 タブロイド紙は、Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しいとされる情報源に列挙されておりますが、 大本は、Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源の4つの項目の1つであり、 あくまで、通常は信頼出来ない、と判断するのが原則であると考えているのですが、 私の解釈が誤っているのでしょうか? ちなみに、現在問題となっているタブロイド紙の記事は、日刊ゲンダイのインタビュー記事で、インタビューを受けている方は、ある程度著名な方ですが、その記事を執筆した方はは無記名のため不明です。 このインタビュー記事における、「発言」内容のみ二次資料である出典として示し、記事を加筆なさろうとする方がいらっしゃいまして、その方は「信頼できる情報源」であると主張されており、 現在まで平行線となっております。 本来でしたら、当該記事のノートで行うべき議論なのは重々承知しておりますが、当該記事のノートが膨大になっており、 コメント依頼や井戸端で、コメント依頼を求めているのですが、新たな議論参加者がお見えにならず、このページにすがる思いでコメントさせて頂きました。 また、類似した議論が過去ログ等にございましたら、誘導して頂けませんでしょうか?お忙しい中申し訳ありませんが、ご協力して頂ける方、お待ちしております。--joker(会話) 2014年8月17日 (日) 19:15 (UTC)--joker(会話) 2014年8月17日 (日) 19:15 (UTC)
Wikipedia:検証可能性#中立性 出典とする情報源自体はかならずしも中立性を満たしている必要はありません。の解釈について。
編集立て続けで申し訳ありません。同じ記事のノートでの議論で平行線が続いております。コメント依頼や、井戸端からも、コメントにいらして下さる方がいなく、合意形成が難しい状況だと判断し、こちらにコメントさせて頂きました。上記部分の、「かならずしも中立性を満たしている必要はありません。」との記述は、「原則は、中立性を満たしている情報源が望ましい。」と私は解釈していたのですが、同文章を引用の上、「中立性を満たしていない情報源でも問題ない」と主張する方がいらっしゃいまして困惑しております。もちろんウィキペディアにおける「中立性の観点」は理解しつつあると個人的には思っておりますが、個人的には、「かならずしもーない」という部分否定の表現は、例外を示唆しているものだと認識しております。当然、中立性を満たしていなくとも記事に加筆するべき内容が含まれているという合意形成がなされれば、それに従うつもりであります。このようなウィキペディアの方針・ガイドラインへの解釈には初めての遭遇でして、やや困惑しております。ある程度の過去ログはチェックいたしましたが、見落としている可能性もあるやもしれません。適切な過去ログ等ご存知の方がいらっしゃれば、ご紹介頂ければと思います。お忙しい中、誠に恐縮ですが、ご教授のほどよろしくお願い致します。--joker(会話) 2014年8月17日 (日) 19:50 (UTC)
「TVで観た」の節移動
編集現方針文書では 「TVで観た」や「ラジオで聴いた」など が、「信頼性に乏しい情報源」節内で「事実確認の機能を欠く情報源」として挙げられています(追加された版)。
この方針でいう「事実確認の機能」というのは、#「真実かどうか」ではなく...で「このような事実確認とその評価のしくみ」として説明されているように、査読や編集者によるチェックといった「出版・放送されるまでのプロセスで、出版元がきちんと事実の確認をしているか」のことを指しています。しかし、この例示を追加なさった方がおっしゃっている[3] のをはじめ、過去の議論をみると、「テレビ番組」であることを理由として一律に問題になるのは「ウィキペディアの利用者があとから情報源を検証できるのか」という点です。テレビの例示はここが混同されているので、別の場所に移すべきであると考えます。
テレビ番組と検証可能性をめぐる議論については、このノートのほかCategory:井戸端の話題/テレビ番組でも繰り返し議論が行われているところではありますが、検証可能性を全く認めないという意見から、分野によっては出典として暫定的に利用できる余地はある(この議論など)といった意見の分かれがあります。ただ、好ましくはない、という点では意見が一致しているようです。その他テレビ番組関連の議論としては、「○○がテレビで××と言った」だけなことは百科事典として特筆するほどではない、という重要な論点がありますが、本方針の守備範囲ではないでしょう。
上記の理由から、この例示を削除し、「アクセシビリティ」内に「放送番組」節を設けて
テレビやラジオの放送番組のうち、出版された物的メディアや信頼できる機関の記録によって保存されていないものは、後の他ユーザーによる番組内容の確認が特に困難なため、検証可能性を満たすための出典としては不十分であると考えられています。
とする変更を提案します。
--Kkkdc(会話) 2014年9月9日 (火) 19:40 (UTC)
- 例示の除去に反対です。現行通り通常はTVで見た、などは不可としておき、特殊な場合においてのみ可とされる場合があると付記。アクセシビリティ内などに新たに設けた節に誘導するのが良いでしょう。この文書は、初心の方の為にこそあります。そこを前提に致しますれば、運用の実際は「DVDでも出ていない限り原則不可」であることは疑い無く、自然、それを明記しておくことには大きな意義があると考えるのが妥当であるとの結論に至ります。--Hman(会話) 2014年9月10日 (水) 04:08 (UTC)
- 現在の文章だと「電波メディア」であるという媒体の問題が「出版元による事実確認の機能」と混同されているため、「信頼性に乏しい情報源」の意味が正確に伝わらないことを危惧したのが本提案の趣旨です。「信頼性」について分かりやすく例示するためには、単に除去するというより、括弧による例示ではなくきちんと記述を分けて、タブロイド新聞の段落の次に
- 同様に、制作にあたって十分な事実確認や監修が行われていないテレビやラジオの番組も、信頼性に乏しい情報源であり、これらで見聞きしたことを記事に書き加えてはいけません。
- とするのはどうでしょうか。--Kkkdc(会話) 2014年9月10日 (水) 07:24 (UTC)
- えーまず、「制作にあたって十分な事実確認や監修が行われている」かどうか、執筆者が判断するのが、難しいです。せいぜいが、「民放とNHKならNHKの方が平均して高いんじゃないか?」くらいじゃないんでしょうか。そもそもTV番組など「演出」が当たり前で(NHKでも普通に行われていますよね)、また、「インタビュー」でさえも、無理矢理継ぎ接ぎされているのはいつものことで(ちょっと気を付けて2,3日ニュース番組や情報番組を見てみれば、インタビューや証言が編集されまくりなのが誰にでもわかるでしょう)、それに激怒されている出演者もいらっしゃいます(ぱっと思い付くのは、山本弘氏などですね)。本文書の現版では、当該部分は、「信頼に乏しい情報源」を、
- 「評判がよくない情報源、あるいは事実確認の機能を欠く情報源(「TVで観た」や「ラジオで聴いた」など)」
- として定義しています。事実確認の機能を欠く情報源はもちろんTV/ラジオのみではありませんが、代表的なものであることは疑い有りません。提案者氏も、テレビで見たまま書いてある記事を目撃して頭を抱えてしまった事が、何十回もありますでしょう。私はこのままで構わないと想いますが、タブロイドの次の段落に挿入するなら
- また、一般的にテレビ番組、ラジオ番組などは後日の第三者による検証が不可能に近く、従ってこれを情報源とすることはできません。(このあたりはrefでもよし)仮にDVDの流通する、アーカイヴの存在の担保できる、番組の内容が書籍に紹介される、などすれば検証可能とはなりますが、テレビ番組などにおいてはドキュメント番組でさえも「演出」が行われるのが当たり前であり、特にバラエティ番組やワイドショーなどはタブロイド紙同様、決して評判の良い情報源とは言えません。(refにしてもよさそうな部分ここまで)一般にテレビ・ラジオで見聞きした情報についてはその扱いに十分な注意を払う必要があります。
- と言った感じの主旨の注意の方が、適切なのでは?十分な経験を積みメタ視点から執筆出来る方はもちろん、何らかの合法的かつ望めば大衆でも可能なアクセス方法あることを前提として、テレビ番組をうまく扱えますが、初心の方が扱うのは難しい場合が多そうですし。強く注意喚起しておくべきでしょう。--Hman(会話) 2014年9月10日 (水) 07:45 (UTC)
- えーまず、「制作にあたって十分な事実確認や監修が行われている」かどうか、執筆者が判断するのが、難しいです。せいぜいが、「民放とNHKならNHKの方が平均して高いんじゃないか?」くらいじゃないんでしょうか。そもそもTV番組など「演出」が当たり前で(NHKでも普通に行われていますよね)、また、「インタビュー」でさえも、無理矢理継ぎ接ぎされているのはいつものことで(ちょっと気を付けて2,3日ニュース番組や情報番組を見てみれば、インタビューや証言が編集されまくりなのが誰にでもわかるでしょう)、それに激怒されている出演者もいらっしゃいます(ぱっと思い付くのは、山本弘氏などですね)。本文書の現版では、当該部分は、「信頼に乏しい情報源」を、
- 現在の文章だと「電波メディア」であるという媒体の問題が「出版元による事実確認の機能」と混同されているため、「信頼性に乏しい情報源」の意味が正確に伝わらないことを危惧したのが本提案の趣旨です。「信頼性」について分かりやすく例示するためには、単に除去するというより、括弧による例示ではなくきちんと記述を分けて、タブロイド新聞の段落の次に
はじめに言ったように、どうも現状の記述だと「事実確認」というのがアクセシビリティのことと混同されていることが多い(この記述を追加した方しかり、過去のノートでも)のが気になるのです。
言いすぎな例示は却って理解の妨げになります。ひとくちにテレビ番組といっても全てが「機能を欠く」とまでは言えなくて、もうちょっとまともなのもあるだろうし(特に日本での制作に限定しなければ)、曲がりなりにも大学教授の監修(実情は「追認」しか期待されてないようだけど)をつけている場合もあります。BPOといった機関もあります。とはいえ、現実問題としていい加減なものが記事に無分別に持ち込まれて困るというのも、おっしゃる通りしょう。
たしかに現状から大きく変える必要もないので、簡潔な例示にとどめるならば、 事実確認について評判がよくない情報源(タブロイド新聞やテレビ番組など)、あるいは事実確認の機能を欠く情報源(個人ブログなど) と「事実確認の機能」の度合いにグラデーションをつけて例示することで、理解しやすい文章になると思います。(アクセシビリティ絡みの話は、情報源の信頼性というこの節のテーマからは離れるのと、最初に述べたようにどうにも議論がまとまっていないのを繰り返すことになるので、この提案ではおいておくことにします。)--Kkkdc(会話) 2014年9月10日 (水) 09:34 (UTC)
- コメント 個人的には、該当箇所の文言が「信頼性に乏しい情報源」のセクションに置かれているのは、「テレビで見たような気がする、といった曖昧な記憶や伝聞に基づく不確かな情報」という意味に受け取れということだと解釈しています(あくまで個人的な解釈です)。この件でのテレビ番組の信頼性自体については、現状では定義されていないと思います。インタビューの内容が編集されたり演出されたりするのは新聞や雑誌などでも大差ありませんし、放送された内容が真実であるかどうかをウィキペディアの編集者個人が検証するのは「#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」」のセクションに書かれているように、独自研究扱いとなるおそれがあります。--Kanohara(会話) 2014年9月10日 (水) 14:22 (UTC)
信頼性に乏しい情報源の除去について
編集これは、論議と言うより疑問に近いのですが、Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源の項に
その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。
とあるのですが、英語版の方には除去するという内容が一切無く、日本語版独自の方針だと分かります。
しかしながら、これが拡大解釈されているのか、一部の投稿者が出典が検証できないことを理由に手当たり次第に除去行為を繰り返しており、Wikipedia:投稿ブロックの方針#内容の無差別な除去に接触する勢いで暴走している状態です。
このような現状で日本語版が独自に除去方針を取っている理由はあるのでしょうか?信頼性に乏しい情報源には要出典と付けておけば済む問題で除去はやりすぎではないでしょうか?ご意見お願い致します。
--111.86.212.16 2015年1月7日 (水) 12:54 (UTC)
- 日本語版独自の方針ではなく、かつて英語版にも同様に "..., remove it." と書かれていました。日本語版と英語版とで内容が異なり、英語版のほうがより良いと思われる箇所があれば、英語版に倣うのがよいと思います。 --Kanjy(会話) 2015年1月8日 (木) 04:09 (UTC)
- ENWPでは2006年10月23日 (月) 10:40の編集[4]でその分が削除されていますね。翻訳の元にしたのが2006年4月13日 (木) 00:54ですので、除去の部分が残ったままになってしまったのでしょう。--Haetenai(会話) 2015年6月13日 (土) 13:24 (UTC)
dodecahedron
編集wikiの日本語版 dodecahedron 正12面体 の作成方法は kensuke sasaki US PATENT method of manufacturing regular polyhedral ornament and ornament の転用です。削除依頼をwikiにいたします。 kensuke sasaki.
- コメント ウィキペディアは著作権を侵害している投稿を受け付けておらず、そのような投稿は削除の対象になりますが、ここは削除依頼を申請する場所ではないため、このノートでは削除依頼を受け付けていません。「Wikipedia:削除依頼」に書かれている正式な手続きをよく読んで、然るべき場所で依頼を行って下さい。--Kanohara(会話) 2015年1月12日 (月) 13:18 (UTC)
「自主公表された情報源:公式サイト」について質問
編集Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源:公式サイト(WP:SELFPUB)について一つ確認したいことがあります。存命人物記事において「過度に自己を美化」「第三者情報源と矛盾」しない限りその人自身が公式SNS(Twitterなど)で書き込んだ(呟いた)ことなら「自分が書くべき重要なことだと思った」というようなどんな意図であろうと何でも記載できると解釈できるのでしょうか?ケースバイケースでありノートで議論すべきなのは承知していますが記載すべき理由は不要なものでしょうか?--K-iczn(会話) 2015年6月12日 (金) 13:31 (UTC)
- 基本は、百科事典として必要かどうか、です。
- また、一次情報は、当人がその情報を発したいと思ったということの検証にはなりますが、その情報が社会的に必要とされたことの検証にはなりません。
- 公式サイトを使ってよいという場合に典型的なのは、企業の基本的な情報や、有名人の基本的なプロフィール情報あたり。たとえば記事に書かれていることが、そこで参照されている出典も含めて間違いであるという指摘が当事者からなされたような場合は、修正したり、本人がそう指摘していると書いたりすることができるでしょう。百科事典の記事としてはあった方が好ましいが、一般に明かされたくない考えることも想定されるよううな情報を、本人が情報発信しているような場合、その情報を書くことができる、とか。
そうではないような事柄のツイッターの投稿などであれば、その投稿が話題になり、第三者的な複数のメディアで取り上げられたような場合、そのメディアの規模や信頼性などと、その人物の地位や立場、さらに記事全体のバランス(WP:NPOV)や否定的な内容かどうか(WP:BLP)などを勘案して、記述するかどうかを判断する、という感じでしょうか。--Ks aka 98(会話) 2015年6月12日 (金) 16:41 (UTC)
- ありがとうございます。ノートによる議論において「百科事典として必要かどうか」で合意が得られなかったり第三者的な複数のメディアで取り上げられたわけではないのに事実(本人が書いたこと)だからというだけで記載を主張する例が多く見受けられるので本当に「本人が書いたことなら記載すべきでない事柄は存在しない」と考えなければいけないのか迷いが生じていました。--K-iczn(会話) 2015年6月13日 (土) 04:01 (UTC)
原作を出典とする情報の検証可能性について
編集何度もうるさく言われるので確認です。小説やアニメ、ゲーム内の設定など、作中で明確に文章や絵として明示される事柄を出典としてはいけないのですか?スプラトゥーンで、ここのページの主がこれを理由にアンドゥをしたので。該当する出典はゲーム内アーカイブとして、入手後は何度も読み返せる状態になります。また、これらの情報はどこまで加工が可能ですか?たとえば話者の明示や、人称の変更など。--RJANKA(会話) 2015年6月23日 (火) 02:52 (UTC)
- 情報 過去には「フィクション記事は全て二次情報を元に書かなければならぬ」という種の主張がされていた時期もありましたが、現在は「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)」によって解決済みの問題かと思います。詳しくはそちらを参照してください。--Kanohara(会話) 2015年6月23日 (火) 03:58 (UTC)
- 「出典としている「ミステリーファイル」は入手に条件があり、ソフトを購入すれば必ず検証できるというものではない(因みに自分は一部しか入手していません)。」という件はどう対処すればいいですか?--RJANKA(会話) 2015年6月23日 (火) 05:08 (UTC)
RJANKAさん、繰り返し申し上げますが、これ以上議論を分断しないで下さい(WP:TPYES)。以降は最初に議論が始まった利用者‐会話:RJANKAに御投稿下さい。Kanoharaさんも宜しければ御参加下さい。
--Gowithitjam(会話) 2015年6月23日 (火) 05:39 (UTC)
- 後学のために確認をしているだけです。「ソフトを購入すれば必ず検証できるというものではない」の件が引っかかるので。ここの過去ログをざっと読む限り、論破されているみたいなので。--RJANKA(会話) 2015年6月23日 (火) 11:37 (UTC)
- コメント コンピューターゲームを出典とする際、対象となるゲームの難易度が高く、出典を閲覧するためにはプレイヤーの習熟度や素質、運不運が関係する場合、すなわち文献へのアクセス性(検証容易性)に難がある内容をどう扱うべきなのかについては、以前から繰り返し賛否が議論されてきた問題でもありまして、
- などに先行する議論があります。なお上記の議論の中には私の意見もありますので、参考になれば幸いです。なお、ウィキペディアにおける文献へのアクセシビリティの考え方については「Wikipedia:検証可能性#アクセシビリティ」もご覧ください。--Kanohara(会話) 2015年6月23日 (火) 11:59 (UTC)
- よほどの高難易度でもない限りは、二次資料なしでもOKという認識で合ってますか?--RJANKA(会話) 2015年6月23日 (火) 17:57 (UTC)
- 返信 (RJANKAさん宛) そうでもありません。「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)」にありますように、フィクション記事では一次資料と二次資料のバランスも重要です。「Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料」にあるように、解釈や評価に踏み込む内容は二次資料に基づくべきですし、また漫画や小説、ゲーム本編内で読者やプレイヤーに与えられる一次情報は、後のどんでん返しで覆される誤情報を含んでいる場合もあるので、未完結の連載作品や読みかけの小説、クリア前のゲームなどを参照する場合には注意が必要です。「プロジェクト:コンピュータゲーム#記述上の注意」で前述の議論と共に紹介されている、「Wikipedia‐ノート:出典を明記する/過去ログ3#過剰だと思える出典の明記について」の先行議論もご覧ください。--Kanohara(会話) 2015年6月23日 (火) 21:41 (UTC)
- よほどの高難易度でもない限りは、二次資料なしでもOKという認識で合ってますか?--RJANKA(会話) 2015年6月23日 (火) 17:57 (UTC)
RJANKAさんが一向に御自身の会話ページに投稿しようとされないので此方で議論することにします。今後は同じトピックに関して複数のページに投稿することで議論を分断することはしないで下さい(WP:TPYES)。
本題ですが、Kanoharaさんに過去の議論を提示頂いたことでハッキリとした結論をだすのは難しいものの、絶対に駄目というものではないと分かりました。自分も円滑に進めたいと考えているので文章で明確に示されている情報に関して出典として用いることには同意します。ただし、ゲーム中のどこで確認できるのかを明確にお示し下さい。ミステリーファイルに関して言えば番号も含めて明記して下さい。具体的には、
スプラトゥーン. ver.1.2.0 任天堂. ヒーローモード、ミステリーファイル4 |
といった感じで。RJANKAさんは最近まで信頼できる情報源として認められていない「ニコニコ大百科」を出典としてもちいられていましたので本当にゲームを参照しているのか疑問があります。またインタラクティブなメディアの特性上、検証は難しくなりがちですので確実に検証できるように宜しくお願いします。
--Gowithitjam(会話) 2015年6月23日 (火) 19:22 (UTC)
修正。--Gowithitjam(会話) 2015年6月23日 (火) 21:07 (UTC)
- コメント 残念ながらそこまで(参照したバージョンまで)詳しく書いている記事は少なというのが現状ですが、出典の示し方としてはそのような書き方が理想的かと思います。{{Cite video game}}などの出典テンプレートを使うのも良いでしょう。--Kanohara(会話) 2015年6月23日 (火) 21:41 (UTC)
「歴史家タキトゥスのすすめ」の除去
編集標記のとおりですが、Wikipedia:検証可能性#歴史家タキトゥスのすすめの除去を提案します。改めて読んでみて思いましたが、この「歴史家タキトゥスのすすめ」で述べられていることというのは、Wikipedia:検証可能性のことではなく、Wikipedia:中立的な観点の内容に近いようです。Wikipedia:検証可能性では、別にその内容が「歴史家たちの一致した証言」(主流の説)であっても出典を付与するなどして検証可能な状態にすることを求めますので、この引用はWikipedia:検証可能性の分かりやすい要約などにはなっておらず、むしろミスリードしているように思われます。
この引用文は英語版同方針に由来するもので、本方針が(en:Wikipedia:Verifiability 2006年4月12日 (水) 09:31版)から翻訳された初版から存在します。しかし、英語版では2006年10月22日の編集で除去されて、その後特に復活もしてないようです。古代から記述の公平性について考えられてきた点を知ることができる含蓄のあるものだとは思いますが、上記のとおりWikipedia:検証可能性の内容に合ってないという理由と方針・ガイドライン類は「できる限り簡潔に」(Wikipedia:方針とガイドライン#内容)すべきという点から除去を提案します。件の引用文は「中立的な観点」の内容に近いと述べましたが、Wikipedia:中立的な観点は既に情報過多状態なのでWikipedia:中立的な観点に移すということは特に提案しません。--Yapparina(会話) 2015年9月5日 (土) 23:20 (UTC)
- 賛成 Yapparina氏の提案に賛成します。Wikipedia:検証可能性は、「検証可能かどうか」であり、「検証できる」内容だけを書けというものです。Wikipedia:検証可能性#歴史家タキトゥスのすすめは、それに関した例としては、少しずれていると思います。--Bonatyuna(会話) 2015年9月9日 (水) 11:57 (UTC)
- どうも賛成ありがとうございます。引き続き意見をお待ちします。もう1週間ほどで異論も無ければ提案どおりに除去しようかと思います。--Yapparina(会話) 2015年9月11日 (金) 13:33 (UTC)
- 報告 提案どおり除去を実施しました。--Yapparina(会話) 2015年9月18日 (金) 14:25 (UTC)
- どうも賛成ありがとうございます。引き続き意見をお待ちします。もう1週間ほどで異論も無ければ提案どおりに除去しようかと思います。--Yapparina(会話) 2015年9月11日 (金) 13:33 (UTC)
タブロイド紙は出典にならないという表現は改善すべきでは
編集信頼性に乏しい情報源の節で「ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような、信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます」とされていますが、これは 「娯楽中心の大衆向け記事やゴシップ記事」 とすべきではないでしょうか。宗教右派で、「『週刊フライデー』はタブロイド紙だから」と検証可能性が貼られたのですが、『週刊フライデー』が、大手マスコミの敬遠する社会問題に関して鋭く斬りこむことがあることはフライデーでも書かれており、一定の信頼を得ていると思います。逆に大手新聞でも(最近は減りましたが)「海外こぼれ話」的な記事では噴飯物のデタラメが書かれていることはよくあります。また、タブロイド紙というカテゴリ分けだけを根拠に「『赤旗日曜版』はタブロイド」と言い出す人が出ないとも限りません。「タブロイド紙」という形態的分類で分けるのでなく、「娯楽記事やゴシップ記事」といった内容的分類で分けたほうがいいでしょう。大手マスコミがダメダメの日本では、時としてタブロイド紙が報道タブーに斬りこむことは多いわけで、欧米圏とはまた異なります。--Tonbi ko(会話) 2015年9月11日 (金) 15:01 (UTC)
- 「フライデーが一定の信頼を得ている」ことの出典が欲しいです。それを言い出したら他の週刊誌も同じなのでは?--Whitesell(会話) 2015年9月16日 (水) 07:43 (UTC)
- 百科事典の情報に期待される「信頼性」のレベルは、「鋭く斬り込むことがある」とか「斬り込むことが多い」という程度のものではないと思います。少なくとも「ごくたまに例外がないわけではないが、概ねいつもちゃんとやっている」くらいのレベルでなければ、使えないのではないでしょうか。
- ちなみに、「もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それをくだんの情報源によるものと明示してください」の記述は、最近除去された「タキトゥスのすすめ」と同様、「中立的な観点」と「検証可能性」が未分化だった時代の残滓だと思います。(私の理解では、「少数説は少数説として書きましょう」という「中立的な観点」の方針が形成される過程に現れた過渡期の考え方が、たまたま「検証可能性」に残っているものだと思います。)
- 現在の英語版では、「信頼性の乏しい情報源は、その情報源自身に関する記事以外では使えません」ということになっています。日本語版の記述はかなり古くなっていますから、「タブロイド」云々の部分的な改訂ではなく、全面的な書き換えを検討する方が良いかもしれません。--Dwy(会話) 2015年9月18日 (金) 23:21 (UTC)
データベース情報による出典
編集日外アソシエーツが提供するデータベース、whoplus を出典として記述しました。大学図書館、公共図書館等からアクセスできるほか、個人でもライセンス契約は可能なデータベースであり、WP:SOURCEACCESSにも記述されています。しかし、「出典が確認できない」「ライセンス保持者以外に公開しないwebサイトを出典に使わないでください。」といった理由で編集を差し戻されました。
質問1. このようなデータベースは、Wikipedia日本語版では出典とできますか?
質問2. ウィキペディアの方針文書を理解せず、執拗に編集を差し戻す利用者に対して、どのように対応すべきでしょうか?
よろしくお願いします。--113.197.243.44 2015年10月29日 (木) 14:20 (UTC)
- 質問2について、出典の書き方が間違っている場合は差し戻すしかありません。自分が悪いのです。--210.142.89.76 2015年10月29日 (木) 16:23 (UTC)
- 質問1について、Wikipedia:検証可能性#文献へのアクセスにも書かれている通り、「この検証可能性の原則は文献へのアクセスが容易でなければならないことを意味するものではありません。」です。もちろん現実的に検証が不可能なレベルでしたら問題になりますが、whoplusは日本国内で一般的なデータベースの1つとしてむしろアクセスは容易なものですし、(少なくとも日本であれば)どなたでも確認はできますし問題はないと考えます。質問2について、それが記載される事が望ましい内容であり、出典を理由とする削除が続いてし合いに応じないようであれば、荒らしとしてWikipedia:管理者伝言板等に報告して下さい。KMT(会話) 2015年11月4日 (水) 09:15 (UTC)
- KMTさん、ありがとうございます。whoplusはウィキペディアの出典とできると確信しておりましたが、方針文書を理解しない利用者によって差し戻されたため、念のため質問させていたしました。出典として示す場合、<ref>[[日外アソシエーツ]] [http://www.nichigai.co.jp/database/who-plus.html whoplus]</ref>とだけ示せばいいでしょうか? あるいは、井上健 (サッカー選手) のように、整理番号も記述したほうがいいでしょうか? データベースの情報更新されている場合もあるので、閲覧日も記したほうがよいでしょうか?--220.100.126.25 2015年11月6日 (金) 12:46 (UTC)
- 閲覧日は必要と思われます。そのほか、whoplusの中の、whoであること(でいいのですよね?)など、後から他の人が確認しやすいよう、できるだけ詳しく記載していただければと思います。KMT(会話) 2015年11月7日 (土) 14:14 (UTC)
- ありがとうございます。出典を確認しやすいように、 整理番号と閲覧日は記載します。whoplusでは「who」の他に「人物レファレンス事典」などのデータもありましたので、どれを出典とするかも記しておきます。--220.210.178.59 2015年11月8日 (日) 04:05 (UTC)
- 閲覧日は必要と思われます。そのほか、whoplusの中の、whoであること(でいいのですよね?)など、後から他の人が確認しやすいよう、できるだけ詳しく記載していただければと思います。KMT(会話) 2015年11月7日 (土) 14:14 (UTC)
- KMTさん、ありがとうございます。whoplusはウィキペディアの出典とできると確信しておりましたが、方針文書を理解しない利用者によって差し戻されたため、念のため質問させていたしました。出典として示す場合、<ref>[[日外アソシエーツ]] [http://www.nichigai.co.jp/database/who-plus.html whoplus]</ref>とだけ示せばいいでしょうか? あるいは、井上健 (サッカー選手) のように、整理番号も記述したほうがいいでしょうか? データベースの情報更新されている場合もあるので、閲覧日も記したほうがよいでしょうか?--220.100.126.25 2015年11月6日 (金) 12:46 (UTC)
- 出典のリンクの貼り方が明らかに誤りであったために、差し戻しされたことをご理解ください。自分が悪いのに責任逃れの発言を行わないでください。--210.142.89.27 2015年11月8日 (日) 06:32 (UTC)
- この議論は「ライセンス契約保持者のみにアクセスを制限しているなどは、検証可能性を満たしていません。」という誤った指摘への対応に関するものです。責任逃れでも何でもありません。- NEON(会話) 2015年11月8日 (日) 14:11 (UTC)
- 出典のリンクの貼り方が明らかに誤りであったために、差し戻しされたことをご理解ください。自分が悪いのに責任逃れの発言を行わないでください。--210.142.89.27 2015年11月8日 (日) 06:32 (UTC)
アニメの公式ネット配信やネットラジオは出典に出来るのか
編集おそ松くん#おそ松さんでリバート合戦になってしまいました。リバートする筆者の言い分ではネットでの公式配信も検証可能性や信頼できる情報源ではなく、現状では当該項目の大部分が除去対象とのことです。相手は全保護も視野に入れています。どこからが出典として認められますか?--RJANKA(会話) 2015年11月18日 (水) 06:09 (UTC)
- そこはけっこう難しいところです。できるだけ他の情報源を探す感じでお願いします。事実確認の機能を欠く情報源なので信頼性に乏しい情報源ではあるが、一次情報源であることは間違いないので、ずっと議論があり、結論には至ってなかったと思います。過去の議論としてPJ:ANIMEから放送番組のほうに案内があってたどり着いたのはプロジェクト‐ノート:放送番組/過去ログ4#放送作品を扱った記事に於ける検証可能性について、それと重なるようにWikipedia:井戸端/subj/放送番組の検証可能性について 20120411あたりでしょうか。その後も類似した議論があるかもしれません。荒らし扱いは好ましくない。--Ks aka 98(会話) 2015年11月18日 (水) 07:48 (UTC)