1980年のテレビ(1980ねんのテレビ)では、1980年昭和55年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

主なできごと

編集
テレビ信州が開局

10月1日、長野県の3局目の民放として、日本テレビ系とテレビ朝日系のクロスネット局として開局。


音声多重放送の動き

2月26日に日本テレビが、同局初の長時間ドラマ『太陽は沈まず・海よ!小さな戦士の歌を聞け』を皮切りに、3月31日にはTBSが、『江戸を斬るV』の第7話「御用金奪還!暁の追跡」のみステレオ放送を実施。10月19日には同じくTBSが、連続テレビドラマでは初のステレオ放送となる『天皇の料理番』が放送開始。

特例ながら郵政省は、6月22日に行われた衆参同時選挙の開票関係の番組に於いて、初の同放送を認め、翌日(23日)開票関係の番組にて、日本テレビフジテレビ、テレビ朝日、東京12チャンネルの在京民放を含め、多くの局が初の同放送を行った(後述)。12月19日に郵政省は同放送を正式に認め、翌1981年1月23日に施行された(「音声多重放送」の項目も参照)。


テレビ番組


CM

この年、ミノルタ(現:コニカミノルタ)「X-7」のテレビCMで、当時熊本大学の学生だった宮崎美子が、木陰でTシャツとGパンをはにかみながら脱いでビキニ姿になるという内容が、大反響を呼ぶ[1]。さらにCMに使われていた曲も評判になり、このCMコピーを担当した糸井重里が、30秒だけであったCMソングに歌詞を付け足し「いまのキミはピカピカに光って」(作曲:鈴木慶一、唄:斉藤哲夫)としてレコードも急遽発売されるに至ったり、TBS系『8時だョ!全員集合』では、志村けんがこのCMをパロディー化したギャグを展開するなど、社会現象化した。これが契機で宮崎は、TBS系「ポーラテレビ小説」でこの年の10月6日から開始する連続テレビドラマ『元気です!』の主役に大抜擢、女優としてデビューする。


視聴率

TBSがこの年の年間視聴率在京民放局5局において3冠王となる(1978年から1981年までの4年間)[注 1]


新機材、新技術導入など


番組関係のできごと

編集
 
新宿「スタジオアルタ」開業(3月31日[注 2]。写真は2012年)。この年『日本全国ひる休み』『タモリの突撃ナマ放送』を放送し、10月より『笑ってる場合ですよ!』開始。そして2年後に開始し長寿番組となる『笑っていいとも!』へと繋がる。
  • 1日 - フジテレビ系平日正午枠で、帯バラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』が放送開始。新宿・スタジオアルタからの公開生放送( - 1982年10月1日。後の『笑っていいとも!』へ継承)。
  • 4日 - TBS系土曜22時枠で報道番組JNN報道特集』放送開始(1982年4月より日曜18時枠へ移動、2008年3月まで27年半にわたって続く。後に土曜17時30分枠で『報道特集NEXT』を経て現在の『報道特集』と改め継続中)。
  • 5日
    • テレビ朝日系のクイズ番組『象印クイズ ヒントでピント』がリニューアル。セットが一新し男性軍・女性軍の名称が「スペード軍」「ハート軍」となる。また新レギュラーにハート軍に久里千春(2枠)が登板。これに合わせて中島梓がキャプテンに昇格[16]
    • TBS、山口百恵のファイナルコンサートを、日本武道館から生中継(ステレオ放送)。
  • 6日
  • 13日 - 日本テレビ系、山口百恵の最後のテレビ出演の特別番組『山口百恵スペシャル ザ・ラスト・ソング』[注 7]を生放送(ステレオ放送)。この番組を以て、彼女は芸能界を引退した
 
『第18回オールスター紅白大運動会』が開催された「ゴールドホール」が当時所在した品川プリンスホテル

その他テレビに関する話題

編集
   
テレビ信州(10月1日開局)。左は本社(現・松本総局)、右は放送センター(現・本社)

開局

編集

既存局の音声多重放送開始(当時は実用化試験放送)

編集

周年

編集

番組

編集

開局

編集

記念回

編集

視聴率

編集

(※関東地区、ビデオリサーチ調べ)

再放送

ニュース・報道

編集
  1. ゆく年くる年(NHK総合、12月31日)42.3%
  2. ニュース(NHK総合、3月22日(8:30-8:40))38.9%
  3. NHKニュースワイド(NHK総合、4月16日)38.0%

ドラマ

編集
  1. 連続テレビ小説 鮎のうた(NHK総合、3月6日)49.1%
  2. 連続テレビ小説 なっちゃんの写真館(NHK総合、9月11日・9月25日)45.1%
  3. ナショナル劇場 水戸黄門・第10部(TBS、1月21日)42.4%
  4. 連続テレビ小説 虹を織る(NHK総合、11月22日)42.0%
  5. ナショナル劇場 水戸黄門・第11部(TBS、11月24日)41.5%
  6. 3年B組金八先生(第1シリーズ)最終回(TBS、3月28日)39.9%
  7. 土曜グランド劇場 熱中時代(日本テレビ、7月5日)34.1%
  8. ナショナル劇場 江戸を斬るV(TBS、3月3日)31.9%

スポーツ

編集
  1. 第62回全国高等学校野球選手権大会(NHK総合、8月22日(13:25-15:40))43.0%
  2. WBA世界ジュニアフライ級タイトルマッチ「具志堅用高×金龍鉉」(TBS、1月27日)41.1%
  3. 大相撲初場所・8日目(NHK総合、1月13日(17:05-18:00))37.6%
  4. WBA世界ジュニアフライ級タイトルマッチ「具志堅用高×ペドロ・フローレス」(TBS、10月12日)36.0%
  5. WBA世界ジュニアフライ級タイトルマッチ「具志堅用高×マルチン・バルカス」(TBS、6月1日)32.5%

バラエティ・クイズ

編集
  1. '80新春スターかくし芸大会(フジテレビ、1月1日)48.6%
  2. 8時だョ!全員集合(TBS、2月23日)41.0%
  3. 火曜ワイドスペシャル ドリフ大爆笑'80総集編(フジテレビ、12月23日)40.4%
  4. クイズダービー(TBS、2月16日)37.6%
  5. ゲーム ホントにホント?(NHK総合、11月21日)32.7%
  6. スター千一夜(フジテレビ、11月19日)30.3%

歌番組

編集
  1. 第31回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)71.1%
  2. 輝け!!第11回日本歌謡大賞(フジテレビ、11月18日)40.1%
  3. ザ・ベストテン(TBS、3月27日)36.3%

映画

編集
  1. 水曜ロードショー幸福の黄色いハンカチ』(日本テレビ、4月16日)37.3%
  2. 水曜特別ロードショー『あゝ野麦峠』(日本テレビ、4月9日)34.3%

アニメ

編集
  1. サザエさん(フジテレビ、3月9日)38.6%
  2. あしたのジョー(日本テレビ、3月3日)31.6%

テレビ番組

編集

テレビドラマ

編集

日本テレビ系

編集
スペシャルドラマ
枠新設

TBS系

編集

フジテレビ系

編集

テレビ朝日系

編集
スペシャルドラマ

東京12チャンネル

編集

テレビアニメ

編集
アニメ回顧番組
再放送番組

特撮番組

編集

報道・情報番組

編集
放送時間移動・変更

4月1日より、フジテレビ『小川宏ショー』と『ハイ!土曜日です』(関西テレビ制作)の放送時間が、9:00 - 10:30(『ハイ!土曜日です』は9:00 - 10:25)から8:30 - 9:55と30分繰り上がり、『小川宏ショー』は5分縮小された。

バラエティ番組

編集

クイズ番組

編集

音楽番組

編集
山口百恵引退特別番組(いずれもステレオ)
  • 山口百恵ファイナルコンサート(TBS)- 10月5日 日本武道館から生中継。
  • 山口百恵スペシャル ザ・ラスト・ソング(日本テレビ)- 10月13日

トーク番組

編集

教養・ドキュメンタリー番組

編集

福祉番組

編集

特別番組

編集

単発番組

編集

2回以上放送のシリーズ番組

編集

既存番組の音声多重化

編集

ステレオ放送化

編集

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 全日帯においてはNHK総合が首位であった。また、翌1981年春の調査で、1980年の年度視聴率においても、TBSは3冠王を達成したが、あくまでも在京民放局の中での首位であった(全日首位はNHK総合で、TBSはゴールデンタイムプライムタイムの2冠であった)。
  2. ^ a b スタジオアルタが開業し『日本全国ひる休み』第1回放送があった3月31日は、34年後の2014年に『笑っていいとも!』の最終回を放送し、さらに2年後の2016年の同日をもってスタジオ業務を終え[5]、現在は多目的劇場「アルタシアター」となっている。
  3. ^ なお、これに伴い、平日8:30と土曜8:00のアニメ再放送枠『あつまれ!チビッコ劇場』(関東ローカル)は平日放送を廃止、そしてその『チビッコ劇場』と共に土曜8:30のドキュメンタリー番組『世界の先生たち』は双方とも30分繰り上がったため、子供番組『ママとあそぼう!ピンポンパン』(月 - 土7:30)は前週の3月29日の放送をもって土曜放送を廃止、以後1982年3月31日に終了するまで、『ピンポンパン』は平日限定放送となる。
  4. ^ 日本テレビ制作では1981年開始の『火曜サスペンス劇場』が初。
  5. ^ この年は萩本欽一とコンビで担当[15]
  6. ^ 2011年(第34回)はチャリティマラソンランナーを務め、同年からは総合司会を後輩アナウンサーの羽鳥慎一(この年3月に退社、現在は徳光と同様フリーアナウンサー)に交代(以降は羽鳥の他、やはり後輩である桝太一水卜麻美らも担当している)。2012年(第35回)以降もチャリティサポーターとして番組に参加しており(2012年はマラソンのスターターも務めた)、現在もなお『24時間テレビ』に関わっている。
  7. ^ NTV紅白歌のベストテン』の特番。
  8. ^ 徳光は長嶋の出身大学である立教大学の後輩であり、巨人ファンでもある。
  9. ^ この件については後年『行列のできる法律相談所』で紹介されたほか、徳光がマラソンランナーを務めた2011年の『24時間テレビ「愛は地球を救う」34』でも紹介された。
  10. ^ 読売新聞 1980年2月29日朝刊23ページの該当記事 及び 日本マスコミ市民会議発行の『マスコミ市民 No.148(1980年6月刊)』内の54ページ「放送デスクメモ」の同記事にて、「ポルノ・ビデオ」と記されているので、当欄ではその記述を使用。
  11. ^ 事前にサービス放送を両局共に、同年6月21日から開始している。
  12. ^ 関西ローカル時代から通算して5周年。
  13. ^ 跡地は現在、有楽町マリオンとなっている。
  14. ^ 当初は関西ローカルで、一部地域にも番販ネットされた。約3年後の1983年3月6日からテレビ朝日系列の全国ネット番組に昇格した。
  15. ^ a b c d e 火曜ワイドスペシャル
  16. ^ a b 土曜スペシャル
  17. ^ a b c 木曜スペシャル
  18. ^ 前回は1979年12月29日「土曜スペシャル」で『爆笑!激笑!!今年の笑いおさめだ79重大ニュース』として放送。→1979年12月も参照
  19. ^ 1976年 - 1978年放送の『わんぱくチビッコ大集合!』から始まった、フジテレビ大晦日ゴールデンタイムでの子供向け番組最終作。
  20. ^ この放送日に、RKBは音声多重放送を開始。同番組は同局初のステレオ放送番組となった。但し、この時はRKB側で電電公社の同時ネット回線の受け側は音声多重化されていたものの、ネットの送り出し側は未対応で、かつTBS等同送り出し対応局に事前のビデオ送りもしていなかった為、RKBのみのステレオ放送となった。
  21. ^ 日本テレビ系全国ネット番組「日曜スペシャル」枠での放送

出典

編集
  1. ^ 小倉雄一 (2006年4月7日). “【レポート】コニカミノルタのカメラ事業終了 - コニカとミノルタの資産と、その継承は”. マイナビニュース. 2014年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月9日閲覧。
  2. ^ 「亜星登場ムード一変!逆転・逆転また逆転!」 読売新聞朝日新聞毎日新聞産経新聞日本経済新聞報知新聞(1980年1月20日付のテレビ欄)より。
  3. ^ 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、348頁。 
  4. ^ a b 読売新聞 1980年2月26日 朝刊 P.24 テレビ・ラジオ欄 及び 「試写室」同番組記事、及び同日朝刊 P.6 全面広告「ライオン・スペシャル・ドラマ『太陽は沈まず・海よ!小さな戦士の歌を聞け』」 (読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
  5. ^ “いいとも“聖地”スタジオアルタ、3月いっぱいで休止 新宿アルタは継続”. スポーツ報知. (2016年3月3日). https://web.archive.org/web/20160303123050/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20160303-OHT1T50120.html 2016年3月4日閲覧。 
  6. ^ a b 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、348頁。 
  7. ^ a b 朝日新聞 1980年3月31日 朝刊 P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  8. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'80』日本放送出版協会、1980年、93頁。 
  9. ^ 「竹下景子ガンバル 新メンバー3人登場!」 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1980年4月6日付のテレビ欄)より。
  10. ^ 「クイズヒントでピント」おしゃれまとめの人気アイデア|Pinterest|é¦æ­ 中æ | クイズ
  11. ^ 橋田脚本の「渡る世間は鬼ばかり」のプロトタイプ的作品である。
  12. ^ a b 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(55年5月)」『月刊民放』第10巻第8号、日本民間放送連盟、1980年8月1日、50頁、NDLJP:3470936/26 
  13. ^ 伊予田康弘[ほか]著『テレビ史ハンドブック』自由国民社、1998年、112頁。ISBN 978-4426747015 
  14. ^ 朝日新聞 1980年6月23日 朝刊24ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  15. ^ アーカイブ 2007年10月24日 - ウェイバックマシン
  16. ^ 「新メンバーを加え、今夜ツービート登場!」 読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、報知新聞(1980年10月5日付のテレビ欄)より。
  17. ^ 宮崎美子 プロフィール”. ホリプロオフィシャルサイト. 2025年2月28日閲覧。
  18. ^ 宮崎美子|オリコン芸能事典”. オリコンスタイル. 2025年2月28日閲覧。
  19. ^ a b 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(55年10月)」『月刊民放』第11巻第1号、日本民間放送連盟、1981年1月1日、52頁、NDLJP:3470941/27 
  20. ^ 朝日放送社史編修室/編集『朝日放送の50年 1 本史』2000年、235-236頁。 
  21. ^ 伊予田康弘[ほか]著『テレビ史ハンドブック』自由国民社、1998年、110頁。ISBN 978-4426747015 
  22. ^ a b 『ギャグゲリラ』のテレビ番組があった?”. 赤塚不二夫保存会/フジオNo.1 - gooブログ (2017年11月5日). 2021年12月2日閲覧。
  23. ^ 読売新聞 1980年2月29日朝刊 P.23 記事「ポルノ・ビデオ テレビで"放映" ひとり鑑賞の局員操作誤る 静岡放送で深夜の数分間 もちろん懲戒解雇に」(読売新聞「ヨミダス」にて閲覧)
  24. ^ 「放送デスクメモ――80・二~三 / 編集部」『マスコミ市民 : ジャーナリストと市民を結ぶ情報誌』第148号、日本マスコミ市民会議、1980年6月1日、54 - 62頁、NDLJP:3463849/29 
  25. ^ マイケル宮内『笑えるけど超ヤバい! テレビ放送事故&ハプニング』p.24 - p.25、廣済堂出版、2007年7月、ISBN 978-4-331-51243-2
  26. ^ a b 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(55年4月)」『月刊民放』第10巻第7号、日本民間放送連盟、1980年7月1日、50頁、NDLJP:3470935/26 
  27. ^ 朝日新聞 1980年6月10日 朝刊 P.3「今選挙の開票 多重放送許可 郵政省」及び 同年6月21日 朝刊P.22「TV第二音声 民放に認める 選挙放送」(共に朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  28. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'81』日本放送出版協会、1981年、29頁。 
  29. ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(55年10月)」『月刊民放』第11巻第1号、日本民間放送連盟、1981年1月1日、52頁、NDLJP:3470941/27 
  30. ^ 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(55年2月)」『月刊民放』第10巻第5号、日本民間放送連盟、1980年5月1日、50頁、NDLJP:3470933/26 
  31. ^ RSK山陽放送 会社概要(2023年6月26日閲覧)
  32. ^ RSK HD 訂正有価証券報告書-第72期(2019/04/01-2020/03/31)(IR BANKのサイト)(2023年6月26日閲覧)
  33. ^ a b 日本民間放送連盟(編)「放送日誌(55年3月)」『月刊民放』第10巻第6号、日本民間放送連盟、1980年6月1日、50頁、NDLJP:3470934/26 
  34. ^ RKB毎日放送株式会社社史編纂小委員会 編『放送この十年 RKB毎日放送創立30周年記念』RKB毎日放送、1981年12月15日、199頁。NDLJP:12275378/122 
  35. ^ RKB毎日放送株式会社50年史編纂委員会 編纂『九州・福岡RKB放送史事典 : RKB毎日放送創立50年記念』RKB毎日放送、2001年、127頁。 
  36. ^ 西日本放送の歴史 沿革(西日本放送)(2023年11月20日閲覧)
  37. ^ 開局二十周年記念事業委員会社史編纂専門部会 編『長野放送二十年の歩み』長野放送、1989年、119頁。 
  38. ^ 信濃毎日新聞 1980年6月30日 夕刊 P.8 テレビ欄 「SBC・NBSの音声多重放送 あすから本格開始 記念番組を編成しPR」(信濃毎日新聞データベースで閲覧)
  39. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'81』日本放送出版協会、1981年、11,214頁。 
  40. ^ 開始日前日に、本免許を取得して開始。「石川テレビの50年 停波事故を乗り越えて」(2019年4月25日、石川テレビ放送発行)84ページ。
  41. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、434頁。 
  42. ^ 新潟日報 1980年11月29日朝刊 P.24 テレビ欄 及び P.5 BSN新潟放送広告「BSNテレビで、きょう開始 音声多重放送」(新潟日報マイクロフィルム版で閲覧)
  43. ^ a b c 1980年10月11日(土) - プレイバック!TVガイド ~あのころのテレビはこうだった!~ - テレコ!
  44. ^ a b 朝日新聞 1980年4月8日 朝刊 P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  45. ^ 故大平首相葬儀 - NHKクロニクル
  46. ^ a b 朝日新聞 1980年1月1日 朝刊P.27 元旦テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  47. ^ 朝日新聞 1980年4月6日 朝刊P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  48. ^ RKB毎日放送株式会社社史編纂小委員会 編『放送この十年 RKB毎日放送創立30周年記念』RKB毎日放送、1981年12月15日、56頁。NDLJP:12275378/49 
  49. ^ 朝日新聞西部版 1980年3月30日付朝刊 P.24 テレビ欄。但し、同日の同新聞東京版朝刊 P.24 テレビ欄のTBSテレビの番組表には、ステレオ放送マークの記載はなし。(いずれも、朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  50. ^ 朝日新聞 1980年5月3日 朝刊P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  51. ^ 朝日新聞 1980年5月4日 朝刊P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  52. ^ 朝日新聞 1980年6月22日 朝刊P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  53. ^ 朝日新聞 1980年8月8日 朝刊 P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)

参考文献

編集

など

関連項目

編集