ナショナル劇場
『ナショナル劇場』(ナショナルげきじょう)は、1956年4月2日から2008年9月22日まで、TBS系列ほかで毎週月曜20:00 - 20:54(JST)に放送されていた時代劇を中心としたドラマ番組枠である。旧称『ナショナル ゴールデン・アワー』。
概要
編集「世の為人の為、老若男女問わない番組を。」という松下電器(現在:パナソニック)の創業者である松下幸之助の方針で、半世紀以上の長期に渡って放送を続けていた。松下グループの単独スポンサー番組であった。
オープニングとして「明るいナショナル」(作詞〜初代ヴァージョン〜・作曲:三木鶏郎)が流れていた。ラジオ番組「歌のない歌謡曲」と同様に、時代によって曲の節・アレンジ・歌詞が変化している。詳細は歴代オープニングの項を参照。
2時間・3時間スペシャルなど、時間が拡大される場合でも松下グループの単独スポンサーとなり、スポンサーの交代やスポットCMの挿入は一切されなかった。ただし、改編期や年末年始に特番(前時間帯の『関口宏の東京フレンドパークII』の拡大版など)により放送が休止になる場合、当該時間帯に松下グループがスポンサーにつくことはなかった。
松下の要請により、TBS系列のない地域でも日本テレビ系列や、TBS系列と他系列とのクロスネット局として開局した一部地域でも、しばらくは放映権移行を行わずに日本テレビ系列で継続して放送され、47すべての都道府県で視聴可能となっていた。
歴史
編集『ナショナル ゴールデン・アワー』として1956年4月2日に放送開始。番組開始当初は毎週月曜20時30分 - 21時の30分番組で、第1作は宮城まり子主演の『てんてん娘』。その後は半年間、単発ドラマ枠の『ナショナルTVホール』を経て『ナショナルファミリー劇場』と改題。1964年1月に月曜20時からの朝日放送制作の牛乳石鹸一社提供枠が平日13時 - 13時15分に移行したのを機に1時間番組となり、『ナショナル劇場』に改題された。
『ナショナル劇場』になってからは、原則として「連続ドラマ」となった。
しかし例外的に、2のバラエティー番組と1つのドラマシリーズを挟んだ時期があった。
バラエティー番組としては先ず、1964年10月26日に『スリー・クッション』を放送。これは、繋ぎ番組という意味合いで放送された。
そして、1966年10月3日から10月17日までは、スポンサーの松下電器がこの年から「パナカラー」という愛称でカラーテレビを売り出したこともあり[1] 、当時人気上昇中で来日中のイタリアの人形「トッポ・ジージョ」がメインの「カラー・ミュージカル・バラエティー『トッポ・ジージョ・イン・ジャパン』」を、TBS初の本格的なスタジオカラーカメラによる「特別カラー放送」の番組として、当時のTBSのGスタジオにてカラーVTRで収録・放送した[注 1][2][3][4][5]。
又、1968年4月29日放送の『パパの青春』から5月20日放送の『はーいただいま』までは毎週、1話完結の単発作品を集めた『ナショナル・ゴールデン・スペシャル・シリーズ』を放送。このシリーズに於いて、ドラマでは初のカラー放送となる。
1968年8月12日から放送された『オレと彼女』(同年10月21日終了)からは、完全にカラー放送となる。
この頃『ナショナルカラー劇場』に改題。1969年8月4日以降は、この日から始まった『水戸黄門』を中心に、『大岡越前』『江戸を斬る』などの時代劇が主体となっていたが、それ以前は『七人の孫』などの現代劇を中心に放送していた。また、放送開始が必ずしも春・秋の改編期や1月、7月になるとは限らなかった。
前述の時代劇の放送内では、スポンサーの松下電器の番組内で宣伝していた商品の関係から、1980年に放送された『江戸を斬るV』の3月31日の放送回(第7話「御用金奪還!暁の追跡」)では、TBSに於いてドラマ初のステレオ番組として制作・放送(このタイトル番組でのステレオ放送は、この回のみ)[6][7]。この放送当時松下電器は、自社の音声多重テレビを番組内で宣伝していた。
その後、45周年を迎えた2001年4月からは原則として『水戸黄門』を2クール(半年間、原則20回前後)、『S・Hは恋のイニシァル』終了以来32年ぶりの登板となった現代劇を1クール(3か月間、原則10回前後)で交互に放送。
本枠における『水戸黄門』を始めとした時代劇作品はC.A.L、『こちら第三社会部』以降の現代劇作品はテレパックが制作を担当していたが、『あんどーなつ』と『ハンチョウ〜神南署安積班〜』シリーズはTBSグループの番組制作会社であるドリマックス・テレビジョンが制作している。
2008年10月1日、スポンサーである松下電器が「パナソニック」へ社名変更し、同時に「ナショナル」ブランドを廃止して「パナソニック」へ統一する為、『ナショナル劇場』としての放送は9月に終了、『あんどーなつ』が最終作品となった。
翌10月から放送の『水戸黄門 第39部』以降は、枠名を従来の「ナショナル劇場」のままにするのか、新社名を冠した枠名とするのか、日曜劇場同様に複数社提供という形に変わるのかが注目された。また、これに関して、松下電器の広報担当者は「社名変更を踏まえて、今後の方針を決めることになる」と発言。その後、スポンサー契約を維持し新社名を冠した番組枠の名称に変更することが検討され[8]、新たな枠名称として、『パナソニック ドラマシアター』に変更されることが発表された[9]。
後継の『パナソニック ドラマシアター』→『月曜ミステリーシアター』も含めると、一社提供の番組枠としては57年半という日本で最も長い歴史を持っていたが、パナソニックは2013年7月に、10月から『月曜ミステリーシアター』を複数社提供番組に変更することを発表した[10]。2013年9月16日終了の『名もなき毒』を以ってパナソニックグループ一社提供での放送は終了し、『ナショナル ゴールデン・アワー』開始以来57年半続いたパナソニックグループ一社提供枠は幕を下ろした。
放送時間の変遷
編集放送期間 | 放送時間(JST) | |
---|---|---|
1956.4.2 | 1963.12.30 | 月曜 20:30 - 21:00(30分) |
1964.1.6 | 1972.9.18 | 月曜 20:00 - 20:56(56分) |
1972.10.2 | 1982.9.27 | 月曜 20:00 - 20:55(55分) |
1982.10.4 | 2008.9.22 | 月曜 20:00 - 20:54(54分) |
作品リスト
編集- 太字は時代劇。『スリー・クッション』と『トッポ・ジージョ・イン・ジャパン』は厳密にはバラエティ番組だが、便宜上『ナショナル劇場』構成作品とする。
タイトル | 放送期間 | 備考 |
---|---|---|
てんてん娘捕物帳 | 1956年4月2日 - 1957年6月24日 | |
サンドイッチマン物語 | 1957年7月1日・7月8日 | ここからナショナルTVホールとして放送 |
その夜の哀愁 | 1957年7月15日 | |
二人とてもよい男 | 1957年7月22日 | |
手児奈の恋 | 1957年7月29日 | |
鬼 〜宇治拾遺より | 1957年8月5日 | |
嫉妬 | 1957年8月12日 | |
愛情 | 1957年8月19日 | |
婚礼 | 1957年8月26日 | |
名妓 | 1957年9月2日・9月9日 | |
丘の上 | 1957年9月16日 | |
風早青年 | 1957年9月23日 | |
山原乙女 | 1957年9月30日 | |
めんどりの玉子 | 1957年10月7日 | |
ママ信じてよ | 1957年10月14日・10月21日 | |
白い蝶・紅いダリヤ | 1957年10月28日・11月4日 | |
吹雪峠 | 1957年11月11日 | |
人命 | 1957年11月25日 | 20時30分 - 21時45分に拡大 芸術祭参加作品 |
曠野 | 1957年12月2日・12月9日 | |
てもやん | 1957年12月16日 | |
波音 | 1957年12月23日 | |
後妻さん | 1957年12月30日 | ここまでナショナルTVホールとして放送 |
人知れずこそ | 1958年1月6日 - 6月30日 | ここから再度連続ドラマに |
銭形平次捕物控 | 1958年7月7日 - 1960年6月27日 | |
松本清張シリーズ・黒い断層 | 1960年7月4日 - 1961年6月12日 | |
青年の樹 | 1961年6月19日 - 1962年12月24日 | |
箱根山 | 1963年1月7日 - 6月24日 | |
大学生諸君 | 1963年7月 - 12月 |
タイトル | 放送期間 | 備考 |
---|---|---|
七人の孫(第1シリーズ) | 1964年1月6日 - 7月6日 | |
河のほとりで | 1964年7月27日 - 10月5日 | この後東京オリンピック中継で3週中断 |
スリー・クッション | 1964年10月26日 | 初めてのバラエティ番組 |
さぼてん | 1964年11月2日 - 1965年2月8日 | |
光る海 | 1965年2月15日 - 5月10日 | |
七人の孫(第2シリーズ) | 1965年6月7日 - 1966年2月28日 | |
ともだち | 1966年3月7日 - 6月27日 | |
青春怪談 | 1966年7月4日 - 9月26日 | |
トッポ・ジージョ・イン・ジャパン | 1966年10月3日 - 10月17日 | カラー特別番組。[4][5] 同枠最後のバラエティ番組。 TBS初の本格的なスタジオカラーカメラを使用した番組。TBSのGスタジオ(当時)にてカラーVTRにて収録・放送された。[注 1][2][3] |
戦国太平記 真田幸村 | 1966年10月24日 - 1967年10月16日 | |
娘たちはいま | 1967年10月23日 - 1968年4月15日 | |
パパの青春 | 1968年4月22日 | ここからナショナル・ゴールデン・スペシャル・シリーズとして放送 同劇場として初めてのカラードラマ。 |
かげろう | 1968年4月29日 | |
青春をわれらに | 1968年5月6日 | |
金婚式 | 1968年5月13日 | |
はーいただいま | 1968年5月20日 | ここまでナショナル・ゴールデン・スペシャル・シリーズとして放送 |
顎十郎捕物帳 | 1968年5月27日 - 8月5日 | この作品のみ再度モノクロ放送となると同時に再度連続ドラマに |
オレと彼女 | 1968年8月12日 - 10月21日 | 本作から完全にカラー放送となる |
ドカンと一発! | 1968年10月28日 - 1969年1月20日 | |
こんにちは!そよ風さん | 1969年1月27日 - 4月14日 | |
S・Hは恋のイニシァル | 1969年4月28日 - 7月28日 | 本作まで主に現代劇 |
水戸黄門 第1部 | 1969年8月4日 - 1970年3月9日 | 本作から『水戸黄門 第29部』までは時代劇が続く[注 2] |
大岡越前 第1部 | 1970年3月16日 - 9月21日 | 1970年4月から山梨県のネット局が山梨放送からテレビ山梨へ変更[注 2] |
水戸黄門 第2部 | 1970年9月28日 - 1971年5月10日 | [注 2] |
大岡越前 第2部 | 1971年5月17日 - 11月22日 | |
水戸黄門 第3部 | 1971年11月29日 - 1972年6月5日 | [注 2] |
大岡越前 第3部 | 1972年6月12日 - 1973年1月15日 | 1972年9月18日から山陰地方のネット局が山陰放送へ一本化となる 1972年10月2日から『JNNフラッシュニュース』の枠拡大に伴い、放送が20:00 - 20:55に(1分縮小) |
水戸黄門 第4部 | 1973年1月22日 - 9月17日 | |
江戸を斬る 梓右近隠密帳 | 1973年9月24日 - 1974年3月25日 | |
水戸黄門 第5部 | 1974年4月1日 - 9月30日 | |
大岡越前 第4部 | 1974年10月7日 - 1975年3月24日 | |
水戸黄門 第6部 | 1975年3月31日 - 11月3日 | 本作から青森県・近畿地方のネット局が青森放送・朝日放送から青森テレビ・毎日放送へ変更 |
江戸を斬るII | 1975年11月10日 - 1976年5月17日 | |
水戸黄門 第7部 | 1976年5月24日 - 1977年1月10日 | |
江戸を斬るIII | 1977年1月17日 - 7月11日 | |
水戸黄門 第8部 | 1977年7月18日 - 1978年1月30日 | |
大岡越前 第5部 | 1978年2月6日 - 7月31日 | |
水戸黄門 第9部 | 1978年8月7日 - 1979年2月5日 | 1978年10月から山口県のネット局が山口放送からテレビ山口へ変更 |
江戸を斬るIV | 1979年2月12日 - 8月6日 | |
水戸黄門 第10部 | 1979年8月13日 - 1980年2月11日 | |
江戸を斬るV | 1980年2月18日 - 8月11日 | 同年3月31日放送の第7話「御用金奪還!暁の追跡」は、TBSに於いてドラマ初のステレオ番組として制作・放送(このタイトルでの同放送は、この回のみ)。[6][7] |
水戸黄門 第11部 | 1980年8月18日 - 1981年2月9日 | |
江戸を斬るVI | 1981年2月16日 - 8月24日 | |
水戸黄門 第12部 | 1981年8月31日 - 1982年3月1日 | |
大岡越前 第6部 | 1982年3月8日 - 10月11日 | 1982年10月4日から『JNNフラッシュニュース』の拡大に伴い20:00 - 20:54に(更に1分縮小) |
水戸黄門 第13部 | 1982年10月18日 - 1983年4月11日 | |
大岡越前 第7部 | 1983年4月18日 - 10月24日 | |
水戸黄門 第14部 | 1983年10月31日 - 1984年7月9日 | 1983年12月から福島県のネット局が福島テレビからテレビユー福島へ変更 |
大岡越前 第8部 | 1984年7月16日 - 1985年1月21日 | |
水戸黄門 第15部 | 1985年1月28日 - 10月21日 | |
大岡越前 第9部 | 1985年10月28日 - 1986年4月21日 | |
水戸黄門 第16部 | 1986年4月28日 - 1987年1月19日 | |
江戸を斬るVII | 1987年1月26日 - 8月17日 | |
水戸黄門 第17部 | 1987年8月24日 - 1988年2月22日 | |
大岡越前 第10部 | 1988年2月29日 - 9月5日 | |
水戸黄門 第18部 | 1988年9月12日 - 1989年5月1日 | |
翔んでる!平賀源内 | 1989年5月8日 - 9月18日 | |
水戸黄門 第19部 | 1989年9月25日 - 1990年4月16日 | 本作から山形県のネット局が山形放送からテレビユー山形へ変更 |
大岡越前 第11部 | 1990年4月23日 - 10月15日 | 1990年10月から富山県のネット局が北日本放送からチューリップテレビへ変更 |
水戸黄門 第20部 | 1990年10月22日 - 1991年10月7日 | |
大岡越前 第12部 | 1991年10月14日 - 1992年3月30日 | |
水戸黄門 第21部 | 1992年4月6日 - 11月9日 | 1992年10月から愛媛県のネット局が南海放送からあいテレビへ変更[注 3] |
大岡越前 第13部 | 1992年11月16日 - 1993年5月10日 | |
水戸黄門 第22部 | 1993年5月17日 - 1994年1月24日 | |
江戸を斬るVIII | 1994年1月31日 - 7月25日 | |
水戸黄門 第23部 | 1994年8月1日 - 1995年5月15日 | |
水戸黄門外伝 かげろう忍法帖 | 1995年5月22日 - 9月4日 | [注 2] |
水戸黄門 第24部 | 1995年9月11日 - 1996年6月10日 | |
大岡越前 第14部 | 1996年6月17日 - 12月2日 | |
水戸黄門 第25部 | 1996年12月9日 - 1997年10月27日 | 本作までフィルム収録 |
南町奉行事件帖 怒れ!求馬 | 1997年11月3日 - 1998年2月2日 | 本作よりVTR収録 |
水戸黄門 第26部 | 1998年2月9日 - 8月17日 | |
大岡越前 第15部 | 1998年8月24日 - 1999年3月15日 | |
水戸黄門 第27部 | 1999年3月22日 - 10月18日 | |
南町奉行事件帖 怒れ!求馬II | 1999年10月25日 - 2000年2月28日 | |
水戸黄門 第28部 | 2000年3月6日 - 11月20日 | |
大江戸を駈ける! | 2000年11月27日 - 2001年3月19日 | |
水戸黄門 第29部 | 2001年4月2日 - 9月17日 | |
こちら第三社会部 | 2001年10月8日 - 12月17日 | 本作から時代劇と現代劇との交互枠となる 原作:大谷昭宏、大島やすいち(講談社ミスターマガジンKC刊・『こちら社会部』より) |
水戸黄門 第30部 | 2002年1月7日 - 7月1日 | |
こちら本池上署(第1シリーズ) | 2002年7月8日 - 9月16日 | ナショナル劇場初めてのハイビジョン撮影作品[注 4][注 2] 原作:たかもちげん(原案)、高原泉(脚本)、やぶうちゆうき(作画)(講談社モーニングKC&イブニングKC刊・『警察署長』より) |
水戸黄門 第31部 | 2002年10月14日 - 2003年3月24日 | |
こちら本池上署(第2シリーズ) | 2003年4月14日 - 7月21日 | 原作:たかもちげん(原案)、高原泉(脚本)、やぶうちゆうき(作画)(講談社モーニングKC&イブニングKC刊・『警察署長』より) |
水戸黄門 第32部 | 2003年7月28日 - 12月8日 | |
水戸黄門 1000回記念3時間スペシャル | 2003年12月15日 | 本作以降『水戸黄門』はHD24P相当のハイビジョン撮影となる |
こちら本池上署(第3シリーズ) | 2004年1月12日 - 3月22日 | 原作:たかもちげん(原案)、高原泉(脚本)、やぶうちゆうき(作画)(講談社モーニングKC&イブニングKC刊・『警察署長』より) |
水戸黄門 第33部 | 2004年4月12日 - 9月20日 | |
こちら本池上署(第4シリーズ) | 2004年10月11日 - 12月27日 | 原作:たかもちげん(原案)、高原泉(脚本)、やぶうちゆうき(作画)(講談社モーニングKC&イブニングKC刊・『警察署長』より) |
水戸黄門 第34部 | 2005年1月10日 - 6月6日 | |
こちら本池上署(第5シリーズ) | 2005年6月13日 - 9月12日 | 原作:たかもちげん(原案)、高原泉(脚本)、やぶうちゆうき(作画)(講談社モーニングKC&イブニングKC刊・『警察署長』より) |
水戸黄門 第35部 | 2005年10月10日 - 2006年3月6日 | |
水戸黄門2時間スペシャル | 2006年3月13日 | ナショナル劇場50周年記念特別企画1 |
大岡越前2時間スペシャル | 2006年3月20日 | ナショナル劇場50周年記念特別企画2 |
特命!刑事どん亀 | 2006年4月10日 - 7月17日 | ナショナル劇場50周年記念特別企画3 |
水戸黄門 第36部 | 2006年7月24日 - 12月18日 | |
浅草ふくまる旅館(第1シリーズ) | 2007年1月8日 - 3月19日 | |
水戸黄門 第37部 | 2007年4月9日 - 9月17日 | |
浅草ふくまる旅館(第2シリーズ) | 2007年10月8日 - 12月17日 | |
水戸黄門 第38部 | 2008年1月7日 - 6月30日 | |
あんどーなつ | 2008年7月7日 - 9月22日 | 最終作品 原作:西ゆうじ・テリー山本(小学館ビッグコミックス刊) 『水戸黄門』は『パナソニック ドラマシアター』へ継承 |
ネット局
編集- 系列は現在の系列。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考・脚注 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | 東京放送 | TBS系列 | 制作局・幹事局 現在:TBSテレビ |
北海道 | 北海道放送 | ||
青森県 | 青森放送 | 日本テレビ系列 | [注 5] [注 6] |
青森テレビ | TBS系列 | [注 7] | |
岩手県 | IBC岩手放送 | ||
宮城県 | 東北放送 | ||
秋田県 | 秋田放送 | 日本テレビ系列 | [注 8] |
山形県 | 山形放送 | [注 9] [注 10] [注 11] | |
テレビユー山形 | TBS系列 | [注 12] | |
福島県 | 福島テレビ | フジテレビ系列 | [注 13] [注 14] |
テレビユー福島 | TBS系列 | [注 15] | |
山梨県 | 山梨放送 | 日本テレビ系列 | [注 16] |
テレビ山梨 | TBS系列 | [注 17] | |
長野県 | 信越放送 | ||
新潟県 | 新潟放送 | ||
静岡県 | 静岡放送 | ||
中京広域圏 | 中部日本放送 | 現在:CBCテレビ | |
富山県 | 北日本放送 | 日本テレビ系列 | [注 18] [注 19] |
チューリップテレビ | TBS系列 | [注 20] | |
石川県 | 北陸放送 | ||
福井県 | 福井放送 | 日本テレビ系列[注 21] | |
京阪神大都市圏 | 大阪テレビ | KRテレビ系列[注 22] 日本テレビ系列 |
[注 23] [注 24] |
近畿広域圏 | 朝日放送 | テレビ朝日系列 | 現在:朝日放送テレビ [注 25] [注 26] [注 27] |
毎日放送 | TBS系列 | [注 7] [注 27] | |
岡山県 →岡山県・香川県 |
山陽放送 | 現在:RSK山陽放送 [注 28] [注 29] | |
鳥取県 | 日本海テレビ | 日本テレビ系列 | [注 30] [注 31] |
島根県 →鳥取県・島根県 |
山陰放送 | TBS系列 | [注 32] [注 33] |
広島県 | 中国放送 | ||
山口県 | 山口放送 | 日本テレビ系列 | [注 34] |
テレビ山口 | TBS系列 | [注 35] | |
徳島県 | 四国放送 | 日本テレビ系列 | [注 36] |
香川県 | 西日本放送 | [注 37] [注 38] | |
愛媛県 | 南海放送 | [注 39] [注 40] | |
あいテレビ | TBS系列 | [注 41] | |
高知県 | 高知放送 | 日本テレビ系列 | [注 42] |
テレビ高知 | TBS系列 | ||
福岡県 | RKB毎日放送 | ||
長崎県 | 長崎放送 | ||
熊本県 | 熊本放送 | ||
大分県 | 大分放送 | ||
宮崎県 | 宮崎放送 | ||
鹿児島県 | 南日本放送 | ||
沖縄県 | 琉球放送 |
備考
編集- 青森県・近畿広域圏では青森放送・朝日放送が「大岡越前 第4部」までそれぞれネットしていたが(青森放送は青森テレビ開局後も松下の要請で放送を継続)、青森県は青森テレビのANN脱退・JNN正式加盟(腸捻転解消絡みによる)に伴い、近畿広域圏では腸捻転解消に伴い、「水戸黄門 第6部」からは放送局が青森テレビ・毎日放送にそれぞれ放映権が移行した。
- 高知放送はテレビ高知開局後も、スポンサーである松下の要請でしばらくの間継続して放送し、後にテレビ高知へ放映権が移行している。
- 当時フジテレビ系列とのクロスネット局だった2局は以下の対応がとられていた。
- 1971年9月まで日本テレビ系列であり、福島中央テレビ(日本テレビ系列)とのネット交換によって1971年10月から1983年3月までTBS系列・フジテレビ系列とのクロスネット局となった福島テレビ(福島テレビはネット交換と同時にNNN脱退、JNN・FNS加盟)は、1983年4月にフジテレビ系フルネット局に再ネットチェンジ(JNN脱退・FNN加盟)したものの、視聴者保護のため1983年9月まで(「水戸黄門 第13部」と「大岡越前 第7部」の途中まで)は同時ネットで放送し、フジテレビ系フルネットになった1983年10月 - 11月(「大岡越前 第7部」の途中からと「水戸黄門 第14部」の途中まで)は土曜12:00からの遅れネットで放送された。福島県における同時ネット放送再開は、1983年12月のテレビユー福島開局から(「水戸黄門 第14部」の途中から)となった。
- テレビ山口は1970年4月にフジテレビ系列(FNSのみ加盟)・テレビ朝日系列とのトリプルネット局として開局したものの、山口放送がテレビ山口の開局後も松下の要請で1978年9月まで(「水戸黄門 第9部」の途中まで)放送を継続したため、放映権移行はテレビ山口がANNを脱退した1978年10月から(「水戸黄門 第9部」の途中から)となった。
- 大部分の日本テレビ系列は、当時のローカルセールス枠であった金曜22時 - 22時54分に4日遅れ、もしくは日曜22時30分 - 23時26分枠に6日遅れで放送していた。また、後者の場合、国政選挙の投開票日はNNN(日本テレビ)制作の選挙特別番組を優先放送するため、別時間に振り替え放送していた。2時間スペシャル放送時には放送時間を変更して放送していた(日曜日の昼時間帯等)。2時間スペシャルあるいは休止の場合は日本テレビで同時刻で放送されている番組は放送せず、穴埋め番組を放送していた。ただし、放送開始が編成の都合でプライムタイム以降になった場合は、翌日以降に当該回の再放送を行う場合があった。この体制は『パナソニック ドラマシアター』が終了するまで続いた。
- 1980年4月からテレビ朝日系列とのクロスネット局となった山形放送は、1985年9月までは前者のパターンだったが、同年10月からテレビユー山形開局までは金曜21時 - 21時54分に放送された。
- 四国放送は、日曜22時30分 - 23時24分枠がテレビ朝日系土曜20時枠の時代劇(『暴れん坊将軍』など)の遅れネットとなっていたため、1989年2月時点では土曜23時 - 23時54分に放送された[12]。このため、四国放送が本来所属するNNN系列の夜のニュース『NNNきょうの出来事』は、キー局同時ネット地域では土曜23時30分から放送していたが、当時の同局では30分遅れネットとし、翌日曜0時(土曜深夜)から放送されていた。
歴代オープニング
編集- 初代 1956年4月2日 - 1964年9月:切り絵アニメと思われるもので、ナショナル坊やが世界を回るという内容になっている。BGMは明るいナショナルのオリジナルバージョン。
- 2代目 1964年10月 - 1980年3月:光からNマークを表示、松下電器・松下電工がフェードイン、BGMは明るいナショナルのオリジナルバージョン。
- この代よりカラー化される。
- 映像はNET→テレビ朝日の「ナショナルゴールデン劇場」でも使われた。
- TBSでも、1966年頃から「ナショナル劇場」と平行して、「ナショナル10人抜きのど自慢」[注 43]「がんばれ!マリンキッド」「逃げろや逃げろ!!」「太陽のあいつ」等といった30分枠の松下電器一社提供番組があったが、使用していたかは不明。
- このタイトルバックは下記のようにナショナル劇場の文字とNationalロゴの変更、BGMのリニューアルなどを経て2001年9月まで37年間にわたって使用された。
- 1978年10月の音声多重放送開始に合わせて、音声がステレオになり、これ以降BGMはポップ調アレンジが使用されるようになる。このバージョンから光がマイナーチェンジ、画面の中心から出るタイプとなる。
- 3代目 1980年4月 - 1985年9月:光からナショナル劇場(「劇」のへんは「虍」。これはナショ文字という独特の書体のため。例として「器」などがある)のタイトルを表示、後にNマークと松下電器・松下電工の表示、BGMは2代目の明るいナショナル。
- 4代目 1985年10月 - 1986年6月:光からナショナル劇場のタイトル(背景とは別撮りとなり「劇」の字は正字体に)を表示、後にNマークと松下電器・松下電工の表示、BGMは3代目の明るいナショナル。
- ナショ文字(ナショナル体)、Nマークが使用されているのはこのバージョンが最後である。
- 5代目 1986年7月 - 1989年3月:光からナショナル劇場のタイトルを表示、後にNationalと松下電器・松下電工の表示、BGMは3代目の明るいナショナル。
- このバージョンから、ナショナル劇場の文字もナショ文字からゴナに変わり、Nマークの使用も廃止された。
- 6代目 1989年4月 - 2001年9月:光からナショナル劇場のタイトルを表示、後にNationalの表示、BGMは4代目の明るいナショナル。
- この代より明るいナショナルの曲調のリニューアル及び歌詞が2代目のものに変更された。松下グループの提供読みと同時にブルーバックで「松下グループ Matsushita Group」も表示される様になった。槇大輔→片山光男による「この番組は、松下グループの提供でお送りします」の提供読み中にBGMあり。
- 映像・音響関連の製品のブランドがナショナルからパナソニックになったことから歌詞から「何でも」が使用されなくなる。
- ラジオの「歌のない歌謡曲」では、2008年9月までこの4代目のバージョン(インストゥルメンタル)が使用された。
- 7代目 2001年10月 - 2005年9月:初のCG使用。ナショナル劇場の文字(明朝体表示)と共に環境映像が集まり、それからNationalロゴが形成され、背景がセル画地球の影になったところで、「松下グループ Matsushita Group」(フォント変更)を表示、BGMは5代目の明るいナショナル。
- 再度、明るいナショナルの曲調のリニューアル及び歌詞が3代目のものに変更され、松下グループの提供読みは林田尚親に変更された。
- 8代目 2005年10月 - 2008年9月22日:映像自体は7代目と同じだが、Nationalのロゴはオレンジ色に変更された(松下電器のコーポレートカラー制定に伴うもの)。BGMは5代目の明るいナショナル。
- ハイビジョン放送が開始されてからもこのオープニングCG映像は4:3SDのままであった。
備考
編集制作クレジット
編集- 時代劇の作品では、「C.A.L」のみが「製作」としてクレジットされており、TBS(かつてでは、ラジオ東京テレビ)のクレジットは表記されていなかった。そのため、提供後のエンドクレジットに局名ロゴを付記していた時期があった。これは『月曜ロードショー』(本枠の後座枠)と同じ形式だった。
- 一方で、現代劇の作品では、外部プロダクション+TBSの共同制作としてクレジットされていた。なお、TBS完全自主制作のもの、すなわち「製作著作 TBS」とされているものはなかった。
番組終了前の提供クレジット
編集基本的に時代劇の場合はCM後、現代劇の場合は次回予告後に流れていた。1986年4月の改編以降は時代劇の場合は提供クレジットの後に作品タイトルのエンドカードを表示後にチャイム音が鳴り次番組へのジャンクション映像が流れ、現代劇の場合は当初は次回予告後に作品の一部内容を表示する番組へのご感想などの応募画面が表示された後に「このドラマはフィクションであり実際の人物および団体名等はすべて架空のものです」(『三井奥さま劇場』や『金曜ドラマ』など本枠以外のドラマ番組でも同じテロップを使っていた)が表示され、提供クレジットの後にチャイム音が鳴り、次番組へのジャンクション映像が流されていたが、2003年4月からは提供クレジットの後に、「このドラマはフィクションです」が表示された後にチャイム音が鳴り、次番組へのジャンクション映像に変更された。
- 1986年6月までは、TBSアナウンサー(当時)の桝井論平による「ナショナルのマークでお馴染みの松下電器・松下電工の提供でお送りしました。」のアナウンス。
- 1986年7月のロゴ変更の際(ナショナルの"N"マークから"National"に変わった際)には、TBSアナウンサー(当時)の高橋進による「ナショナルでお馴染みの松下電器・松下電工の提供でお送りしました。」のアナウンス。
- 1989年4月から2002年6月まではオープニング映像の提供クレジットが「松下グループ」に変更されてからは、終了時の提供クレジットのみ松下グループ各社企業名が表示されるようになり、松下電器・松下電工以外の松下グループ各社[注 45]もスポンサーとなる。同時に松下電器の企業スローガン読みが行われ、当初は槇大輔による「この番組は、心を満たす先端技術 ヒューマン・エレクトロニクスの松下電器・松下電工とご覧のスポンサーの提供でお送りしました。」、1993年以降は片山光男による当初は「この番組は、松下電器・松下電工とご覧のスポンサーの提供でお送りしました。」というアナウンスであったが、1997年から2000年12月までは「この番組は、あなたとともに 豊かな未来へ 松下電器・松下電工とご覧のスポンサーの提供でお送りしました。」→2001年1月以降は「この番組は、あなたとともに 豊かな21世紀を 松下電器・松下電工とご覧のスポンサーの提供でお送りしました。」のアナウンスに変更されている。提供クレジット表示は、松下電器が「National Panasonic 松下電器」→1997年から2000年12月までは「あなたとともに 豊かな未来へ 松下電器 National/Panasonic」→2001年1月以降は「あなたとともに 豊かな21世紀を 松下電器 National/Panasonic」、松下電工が「National 松下電工」ナショナル住宅であった。2002年9月にオープニングがリニューアルされた後にも提供クレジットは引き続き使われていた。
- 2002年7月からブルーバックに代わって作品の一部内容を表示する半透明のブルーバック表示に切り替わり、松下電器と松下グループ各社が出ていた。この頃からスポンサーは松下電器・松下電工・パナホームの3社に固定されており、提供アナウンス・スポンサークレジットは主に以下の3パターンであった。
- 「この番組は、(スローガン)松下電器と松下電工の提供でお送りしました。」(松下電工は60秒提供、パナホームは提供なし)
- 「この番組は、(スローガン)松下電器・松下電工とご覧のスポンサーの提供でお送りしました。」(松下電工は60秒、パナホームは30秒提供)
- 「この番組は、(スローガン)松下電器とご覧のスポンサーの提供でお送りしました。」(松下電工・パナホーム共に30秒提供)
特記事項
編集- 1989年1月7日(土)の昭和天皇崩御直後の1月9日(TBSを含む同時ネット局の場合)の放送は『水戸黄門』(第18部)の第17話が放送されたものの、番組内においてのCMは一切流されない措置が取られた(本来ならばCMが流される時間の部分は公共広告機構(現在:ACジャパン)のCMに差し替えられるところであった。また、当然のことながら再放送では普通にCMが放送されている)。
- 松下グループ(当時)各社がスポンサーに参入した頃から次回予告の直前に松下グループの会社名を紹介するCMが放送されていた。1999年からは時代劇は次回予告後、現代劇は次回予告の直前に夏川りみの「この星を感じて」をBGMとしてオーストラリアのエアーズロックなどを背景にして始まる松下グループの会社名を紹介するCM(松下グループのタイトルで夜明けを迎えて夕暮れを見届けた後、「この美しい地球とともに 松下グループです」とスクロール、アナウンスするというものだった)(のちにBGM、映像が変更)が放送されていた。同時に次回予告前は通常のCMに置き換わっている。後述のFF式石油温風器欠陥問題対応時にこのCMは放送終了し、リコール告知CMに差し替えられたのちに、これも通常のCMに置き換わった。それ以降から番組全体のCM枠が6分から5分30秒に削減され、他企業各社による30秒のヒッチハイクCMを週替わりで放送するようになった。
- 大晦日、元日が月曜日の場合には「輝く!日本レコード大賞」や元日の特番において、松下電器・松下電工のCMを流していたこともあったが、近年は次の『月曜ゴールデン』(旧『月曜ミステリー劇場』)放送枠で年末(毎年12月第1月曜日)に「ナショナルドラマスペシャル」(現在:「パナソニックドラマスペシャル」)が放送され、「ナショナル」ブランドの製品はそちらに移動してCMを流し、「パナソニック」ブランドの製品は年末年始の音楽特番などへ移動してCMを流していた。松下電工の製品はさらにそれ以外の別番組へ移動を余儀なくされていた(主なところで毎日甲子園ボウルや年末ゴルフ特番など)。
ナショナルFF式石油暖房機欠陥問題についての対応
編集- 2005年12月に、松下電器(当時)製FF式石油暖房機の欠陥などによる中毒事故(詳細はナショナルFF式石油暖房機の欠陥による死亡事故を参照)が発生した影響を受け、これに配慮して当番組枠では12月12日放送以降、オープニング映像や提供クレジットは通常通りであったものの、全CM枠が60秒間のリコール告知CMに差し替えられた。その為、松下電器以外の松下グループ各社(松下電工・パナホーム)は当番組のスポンサーを一時降板した。このような不祥事があった場合、通常であれば、番組への提供を自粛といった対応がとられるが、このように企業側が製作したお詫びのCMを番組内で放送するといった対応は異例であった。
- また、秋田放送・福井放送・四国放送ではTBS系列で12月5日に放送された分を12月11日からCMのみ差し替えていた。こちらもオープニング映像や提供クレジットは通常通りであったが、発生直後(12月12日)は公共広告機構(現在:ACジャパン)との並行放映だった。
- その後、12月下旬から松下電器の他製品のCM再開及び松下グループ各社(松下電工・パナホーム)のスポンサー復帰はされたものの、『パナソニック ドラマシアター』に番組名称が変更された後も全国で冬季を中心にリコールCMを当番組の終了直前に放送した。
関連項目
編集- パナソニック ドラマシアター→月曜ミステリーシアター(後継番組)
脚注
編集注釈
編集- ^ a b 放送の前月(9月)の16日に、当時のTBSのGスタジオに日本で初めて導入された、オランダ・フィリップス社製(スポンサーの松下電器とも関係が深い)の当時の最新型プランビコン式カラーカメラ(型番:PC-60)4式を使用して制作された、初めての番組。このカラーカメラは、それまでのに比べ、大きさ、重さ共に約3分の1となり、かつ美しい自然な画質と安定した性能を持ったのが特長である。当時すでに、スポンサーの松下電器とこのカメラを製造しているフィリップス社は1952年から技術提携を行っていたこともあり(パナソニック ミュージアム「92.フィリップス社と技術提携 1952年(昭和27年)」(2024年7月12日閲覧))、このカメラを使った最初の番組制作でも松下が最初のスポンサーとなって放送した。この番組の放送が契機で、後に同局のスタジオ・カラー番組やカラー生中継番組の増加へと繋がった。
- ^ a b c d e f ソフト化(VHS/DVD)された作品。『水戸黄門』の第1部 - 第3部はVHS・DVD共に、『大岡越前』の第1部、『水戸黄門外伝 かげろう忍法帖』、『こちら本池上署』第1シリーズはいずれもDVD-BOXとして発売されている。
- ^ 同時に月曜20時枠は『パナソニック ドラマシアター』終了までJNN28局と日本テレビ系列3局(秋田放送・福井放送・四国放送)の31局ネットになる。
- ^ 『こちら本池上署』は全シリーズハイビジョン撮影
- ^ 1975年3月まで(青森テレビが開局当初NETテレビ(現:テレビ朝日)系列メインのクロスネット(JNNには番販で加盟)だったため、青森テレビ開局後も青森テレビのANN脱退・JNN正式加盟まで継続して放送された。)
- ^ 青森テレビ開局直前時点(1969年11月第1週の東奥日報テレビ欄から)では、4日遅れの金曜22時から放送。
- ^ a b 1975年4月から
- ^ 1970年代前半頃(昭和46年9月から昭和48年12月の東奥日報テレビ欄より)は4日遅れの金曜22時(青森放送と同時刻)から放送、その後6日遅れの日曜22時30分から放送
- ^ 当初は4日遅れの金曜22時(青森放送・秋田放送と同時刻は昭和46年3月から昭和47年4月の河北新報テレビ欄より)から放送。
- ^ 1989年9月まで
- ^ テレビユー山形開局直前時点では、4日遅れの金曜21時から放送
- ^ 1989年10月開局から
- ^ 1983年11月まで
- ^ 1983年3月まではTBS系列とのクロスネット局
- ^ 1983年12月開局から
- ^ 1970年3月まで
- ^ 1970年4月開局から
- ^ 1990年9月まで
- ^ 1988年3月27日までは日曜22時30分から放送、1988年4月4日からチューリップテレビ開局直前までは2時間遅れの月曜22時から放送[11]。
- ^ 1990年10月開局から
- ^ 1989年4月以降はテレビ朝日系列(サブ)とのクロスネット局となったが、テレビ朝日系列の一般番組供給部門には非加盟で、日本テレビの公式ウェブサイト上でも単独ネット扱い[1]。
- ^ 現在のTBS系列
- ^ 放送エリアは京阪神のみ
- ^ 朝日放送への吸収合併まで(系列も吸収合併までの系列)
- ^ 1975年3月まで
- ^ 1975年3月まではTBS系列
- ^ a b 腸捻転解消に伴う移行
- ^ 1983年3月までの放送免許エリアは岡山県のみ
- ^ 1983年4月より相互乗り入れに伴い香川県でも放送
- ^ 当時の放送エリアは鳥取県のみ
- ^ 1972年9月の電波相互乗り入れまで
- ^ 1972年9月までの放送エリアは島根県のみ
- ^ 1972年10月より鳥取県でも放送
- ^ 1978年9月まで(テレビ山口開局後もスポンサーの関係上、再放送を含めてしばらく放送したが、1978年にテレビ山口からANN系列の番組の大部分を移譲された際に移動した)。
- ^ 1978年10月から
- ^ 1989年2月の時点では5日遅れの土曜23時から放送(『四国新聞』1989年2月25日付朝刊テレビ欄より)。
- ^ 当時の放送エリアは香川県のみ
- ^ 山陽放送のJNN加盟まで
- ^ 1992年9月まで
- ^ あいテレビ開局直前時点では、2時間遅れの月曜22時から放送。
- ^ 1992年10月開局から
- ^ テレビ高知開局後もしばらくの間継続
- ^ 1962年開始だが、それまでは参天製薬一社提供のため、「ナショナル」の部分は「大学」→「サンテ」となっていた。
- ^ 現地法人・ナショナル・ゴーベル社のテーマソング。
- ^ ナショナル住宅(現在:パナソニック ホームズ)、ナショナル証券(現在:SMBC日興証券)、松下興産(現在:関電不動産開発)、また松下電工も松下グループ各社扱いの場合もあった
出典
編集- ^ パナソニック ミュージアム 第2章「テレビの進化と生活の変化」内の「新感覚のファッションカラーデザイン 1971 13型テレビ TH-303P」内の文章に記載。(パナソニック ホールディングス株式会社のサイト。2024年7月12日閲覧)
- ^ a b 株式会社東京放送『TBS50年史』株式会社東京放送、2002年1月、254頁。
- ^ a b 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、338頁。
- ^ a b 脚本データベース「カラー特別番組『トッポ・ジージョ・イン・ジャパン』 その愛その詩」改訂稿(1966年10月17日放送)(一般社団法人 日本脚本アーカイブズ推進コンソーシアム「脚本データベース」のサイト 2024年7月12日閲覧)
- ^ a b 永六輔『トッポ・ジージョ・イン・ジャパン:その愛その詩』TBS、1966年10月。NDLJP:10257843。
- ^ a b 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、348頁。
- ^ a b 朝日新聞 1980年3月31日 朝刊 P.24 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ “さよならナショナル劇場…パナソニックに社名変更で”. ZAKZAK. オリジナルの2008年7月11日時点におけるアーカイブ。 2008年1月20日閲覧。
- ^ “松下電器 社名変更を発表”. ウィキニュース. (2008年1月10日) 2014年3月25日閲覧。
- ^ “パナソニック:ナショナル劇場に幕 1社提供を見直し”. 毎日jp. (2013年7月27日). オリジナルの2013年7月30日時点におけるアーカイブ。 2013年7月30日閲覧。
- ^ 『北日本新聞』1988年3月27日付 - 1990年9月30日付各朝刊、テレビ欄。
- ^ 『四国新聞』1989年2月25日付朝刊テレビ欄。
ラジオ東京テレビ→TBS 月曜20:30 - 20:56 | ||
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浪曲番組
※枠不定 |
ナショナル ゴールデン・アワー
(1956年4月 - 1963年12月) |
ナショナル劇場
※20:00 - 20:56 |
TBS系列 月曜20時台 | ||
ナショナル劇場
(1964年1月 - 2008年9月22日) (ここからTBS制作) |
パナソニック ドラマシアター
※20:00 - 20:54 |
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TBS 月曜20:54 - 20:55 | ||
ナショナル ゴールデン・アワー
※20:30 - 21:00 |
ナショナル劇場
(1972年10月 - 1982年9月) |
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TBS 月曜20:55 - 20:56 | ||
ナショナル ゴールデン・アワー
※20:30 - 21:00 |
ナショナル劇場
(1964年1月 - 1972年9月) |
JNNフラッシュニュース
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TBS 月曜20:56 - 21:00 | ||
浪曲番組
※枠不定 |
ナショナル ゴールデン・アワー
(1956年4月 - 1963年12月) |
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