高木正剛
日本の江戸時代後期の大名。上野小幡藩2代藩主松平忠福次男で、河内丹南藩9代藩主高木正直婿養子。従五位下主水正・左近将監・右近将監。奏者番・大番頭を勤めた
高木 正剛(たかぎ まさかた)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。河内国丹南藩の10代藩主。官位は従五位下・主水正、左近将監。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 安永2年2月23日(1773年3月15日) |
死没 | 天保5年7月5日(1834年8月9日) |
改名 | 勇次郎(幼名)、福親(初名)、正剛、常葉(号) |
戒名 | 良弘院殿建誉秀道常葉大居士 |
墓所 | 東京都杉並区永福の栖岸院 |
官位 | 従五位下・主水正、左近将監、右近将監 |
幕府 | 江戸幕府大番頭、奏者番 |
主君 | 徳川家治、家斉 |
藩 | 河内丹南藩主 |
氏族 | 奥平松平家、高木氏 |
父母 |
松平忠福、松平資訓養女 高木正直 |
兄弟 |
松平忠房、正剛、松平忠彊、横瀬貞征、 津田信久正室、曲淵景露室、曲淵景露室 |
妻 | 高木正直娘・八百子 |
子 | 正明、加納久儔正室 |
略歴
編集上野国小幡藩主・松平忠福の次男として誕生した。幼名は勇次郎。初名は福親。
天明元年(1781年)6月21日、養父・高木正直の死去により、末期養子として家督を継いだ。寛政3年(1791年)2月28日、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下・主水正に叙任する。寛政11年(1798年)12月17日、大番頭に就任する。文化7年(1810年)6月28日、奏者番に就任する。文政7年(1824年)9月18日、辞職する。
文政9年(1826年)10月9日、隠居し、長男の正明に家督を譲った。右近将監に改める。天保2年(1831年)2月23日、惣髪となり、常葉と号した。天保5年(1834年)7月5日、62歳で死去した。法号は良弘院殿建誉秀道常葉大居士。墓所は東京都杉並区永福の栖岸院。