松平資訓
日本の江戸時代中期~後期の大名。江戸幕府旗本佐野勝由次男で、遠江浜松藩初代藩主松平資俊養子。浜松藩2代藩主(移封後、再任)及び三河吉田藩主(本庄松平氏3代当主)。従四位下侍
(本庄資訓から転送)
松平 資訓(まつだいら すけくに)は、江戸時代中期の大名、京都所司代。遠江浜松藩主、三河吉田藩主、再封され浜松藩主。本庄松平家3代。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄13年(1700年) |
死没 | 宝暦2年3月26日(1752年5月9日) |
官位 | 従五位下、図書頭、豊後守、従四位下、侍従 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
藩 | 遠江浜松藩主→三河吉田藩主→遠江浜松藩主 |
氏族 | 佐野氏→本庄松平家 |
父母 |
父:佐野勝由、母:渡辺氏 養父:松平資俊 |
妻 |
正室:有馬頼元の娘 継室:浅野綱長の娘 継室:松平輝貞の養女(柳沢吉保の娘) |
子 |
長男、次男、資昌、娘(加藤明熙正室)、 養子:資順 |
大身旗本・佐野勝由(佐野信吉の三男・公当の子)の次男として生まれる。甥(資訓の15歳上)の松平宗弥が早世したため、浜松藩主・松平資俊の養子となり家督を継ぐ。のち京都所司代を務め、幕政に参与した。
経歴
編集官位位階
編集系図
編集本庄宗正 | 本庄宗資 | 松平資俊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
女 | 松平宗弥 | 松平資順 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
佐野勝由 | 女 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
佐野信吉 | 佐野公当 | 松平資訓 | 松平資昌 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||