松平資順
日本の江戸時代中期の武士。遠江浜松藩世嗣松平宗弥長男で、浜松藩2代藩主松平資訓養子。移封後の三河吉田藩世嗣。従五位下壱岐守
松平 資順(まつだいら すけゆき)は、江戸時代中期の三河国吉田藩の世嗣。官位は従五位下・壱岐守。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 正徳2年(1712年) |
死没 | 延享3年6月10日(1746年7月27日) |
官位 | 従五位下・壱岐守 |
藩 | 三河吉田藩世嗣 |
氏族 | 本庄松平家 |
父母 |
松平宗弥 松平資訓 |
子 |
富田知真正室、松平資訓養女、 松平資訓養女 |
略歴
編集常陸国笠間藩のち遠江国浜松藩の世嗣だった松平宗弥の長男として誕生。
父が死去した翌年に生まれたため、浜松藩2代藩主を継いだ松平資訓の養子となる。享保15年(1730年)、8代将軍・徳川吉宗に御目見し叙任するが、家督相続前の延享3年(1746年)に没した。代わって、資訓の実子・資昌が嫡子となった。