高千穂町立高千穂小学校
宮崎県高千穂町にある小学校
高千穂町立高千穂小学校(たかちほちょうりつ たかちほしょうがっこう)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井にある公立の小学校。
高千穂町立高千穂小学校 | |
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過去の名称 |
三田井小学校 尋常三田井小学校 高等科併置尋常三田井小学校 三田井尋常高等小学校 三田井尋常小学校 高千穂尋常高等小学校 高千穂町高千穂国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 高千穂町 |
併合学校 |
浅ヶ部小学校 川登小学校 高千穂町立向山北小学校 |
設立年月日 | 1873年(明治6年)12月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B145244118014 |
所在地 | 〒882-1101 |
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井122番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
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概要
編集- 歴史
- 1873年(明治6年)に「三田井小学校」として創立。現校名となったのは1947年(昭和22年)。2023年(令和5年)に創立150周年を迎えた。
- 校章
- 高千穂峰の尾根をモチーフに、雲海を組み合わせ、「小」の文字になるように配置している。
- 校歌
- 作詞は佐藤光男、作曲は金堀伸夫による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「高千穂の小学校」が登場。
- 通学区域
- 住所表記で「高千穂町」の後に以下が続く地域。
- 「大字三田井(町区・神殿・本組・三田井北・三田井東・浅ケ部・上川登・中川登・下川登)」
- 「大字押方(押方団地・あららぎ団地)」
- 「大字向山(椎屋谷・丸小野・石原・水ケ崎・黒仁田・尾狩・秋元)」
- 「大字岩戸(大平)」
- 中学校区は高千穂町立高千穂中学校[1]。
沿革
編集- 1873年(明治6年)12月 - 「三田井小学校」が創立。三田井字車の迫195番地に校舎を設置。
- 1875年(明治8年)- 尾迫原16番地に校舎を新築。
- 1876年(明治9年)- 火災により、校舎が全焼。
- 1877年(明治10年)- 神殿1195番地(浄光寺)に校舎を新築。
- 1880年(明治13年)- 浅ヶ部分教場が分離の上、簡易浅ヶ部小学校として独立。
- 1887年(明治20年)- 小学校令施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常三田井小学校」に改称。
- 1889年(明治22年)
- 1892年(明治25年)4月 - 「三田井尋常高等小学校」に改称。尋常科(4年制)が義務制(義務教育)となる。浅ヶ部・川登の小学校2校を統合。尾迫原115番地に校舎を新築の上、移転。
- 1897年(明治30年)- 運動場が完成。
- 1900年(明治33年)- 高等科が分離の上、「高千穂岩戸両村組合立 高千穂高等小学校」として独立。これにより、「三田井尋常小学校」に改称。
- 1902年(明治35年)- 高千穂高等小学校が移転(現宮崎県立高千穂高等学校の校地)。
- 1906年(明治39年)
- 4月 - 高千穂高等小学校を運営する高千穂村と岩戸村の学校組合が解散。これにより、高等科を併置の上、「高千穂尋常高等小学校」(尋常科4年・高等科4年)に改称。高等小学校の校舎は「西校舎」として使用を継続。
- 6月 - 高千穂村立高千穂農業補習学校を併置。
- 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科が4年制から6年制に改められる。これにより、従来の高等科1年を「尋常科5年」に、高等科2年を「尋常科6年」に、高等科3年を「高等科1年」に、高等科4年を「高等科2年」に改組。
- 1920年(大正9年)
- 4月1日 - 高千穂村が町制施行により、「高千穂町」となる。
- この年 - 西校舎を廃止し、校舎を統合。木造2階建校舎1棟が完成。
- 1924年(大正13年)- 後援会が発足。
- 1926年(大正15年)- 併置の農業補習学校が青年訓練所充当となる。
- 1928年(昭和3年)- 校地を拡張。木造平屋建校舎1棟(4教室)を増築。
- 1930年(昭和5年)- 講堂が完成。併置の青年訓練所充当農業補習学校が「高千穂中等公民学校」となる。
- 1932年(昭和7年)- 衛生室を設置の上、衛生婦を配置。学校給食を開始。
- 1935年(昭和10年)- 青年学校令施行により、併置の公民学校が「高千穂町立高千穂青年学校」となる。木造2階建校舎(10教室)を改築。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「高千穂町高千穂国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
- 1944年(昭和19年)- 沖縄県からの疎開学童を受け入れる。
- 1947年(昭和22年)
- 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、国民学校初等科は新制小学校「高千穂町立高千穂小学校」(現校名)に改組・改称。
- 4月30日 - 国民学校高等科と青年学校普通科が統合の上、新制中学校「高千穂町立高千穂中学校」となり、小学校に併設される。
- 1948年(昭和23年)10月 - 高千穂中学校の新校舎が完成し、小学校との併設を解消。
- 1953年(昭和28年)- 木造平屋建4棟(14教室)が完成。
- 1956年(昭和31年)4月 - 特殊学級を設置。
- 1957年(昭和32年)- 学校給食を開始。
- 1961年(昭和36年)- 鉄筋コンクリート造3階建新校舎が完成。
- 1968年(昭和43年)- 体育館が完成。
- 1969年(昭和44年)- 管理棟・特別教室・給食室が完成。
- 1973年(昭和48年)- 創立100周年記念式典を挙行。
- 2010年(平成22年)4月1日 - 高千穂町立向山北小学校を統合。
- 2013年(平成25年)- 新校舎が完成。
- 2014年(平成26年)- 新体育館が完成。創立140周年記念式典並びに新校舎・体育館落成記念式典を挙行。
- 2023年(令和5年)12月 - 創立150周年記念式典を挙行。
- 旧・向山小学校(むこうやま)
- 1876年(明治9年)4月[2] - 大字向山石原に「向山小学校」が創立。
- 1887年(明治20年)- 小学校令施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常向山小学校」に改称。
- 1889年(明治22年) 5月1日 - 町村制施行に伴い、西臼杵郡3村(三田井・押方・向山)が合併の上、「高千穂村」となる。
- 1890年(明治23年)- 向山南部に秋元分教場を設置。
- 1892年(明治25年)- 「向山尋常小学校」に改称。向山北部に椎屋谷分教場を設置。
- 1908年(明治41年)- 向山尋常小学校を廃止の上、南北の2校に分立。
- 旧・向山南小学校(むこうやまみなみ)
- 向山小学校が創立した1876年(明治9年)を創立年とする。
- 1890年(明治23年)- 「尋常向山小学校 秋元分教場」が設置される。
- 1892年(明治25年)- 「向山尋常小学校 秋元分教場」に改称。
- 1908年(明治41年)- 向山尋常小学校の南北分立により、「向山南尋常小学校」として独立。黒仁田・秋元・尾狩を通学区域とする。改正小学校令により、尋常科5年を設置。
- 1909年(明治42年)- 尋常科6年を新設。
- 1916年(大正5年)- 向山実践青年会が設置される。
- 1919年(大正8年)- 向山南農業補習学校を併置。
- 1920年(大正9年)- 校舎を増築。高等科(2年制)を併置の上、「向山南尋常高等小学校」に改称。
- 1926年(大正15年)- 併置の農業補習学校が青年訓練所充当となる。
- 1928年(昭和3年)- 木造校舎1棟(3教室)を増築。
- 1930年(昭和5年)- 併置の青年訓練所充当農業補習学校が統合により、高千穂中等公民学校第四教場となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「高千穂町向山南国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。この年、学校給食を開始。
- 国民学校初等科は、新制小学校「高千穂町立向山南小学校」(最終名)に改組・改称。
- 国民学校高等科は、青年学校普通科とともに、新制中学校「高千穂町立高千穂中学校 向山分校[3]」に改組・改称され、小学校に併置される。
- 1948年(昭和23年)- 木造校舎を増築。
- 1952年(昭和27年)- 木造校舎1棟(5教室)および講堂が完成。
- 1957年(昭和32年)- ミルク給食を開始。
- 1965年(昭和40年)- プールが完成。
- 1968年(昭和43年)- 完全給食を開始。
- 1970年(昭和45年)- 鉄筋コンクリート造校舎が完成。
- 1976年(昭和51年)5月2日 - 創立100周年記念式典を挙行(向山北小学校と同日)。
- 1981年(昭和56年)3月 - 鉄筋コンクリート造新校舎が完成。
- 2008年(平成20年)3月31日 - 高千穂町立向山北小学校への統合により、閉校。132年の歴史に幕を閉じる。
- 最終所在地 - 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字向山4815番地1(北緯32度40分06.2秒 東経131度18分34.1秒 / 北緯32.668389度 東経131.309472度)
- 最寄りの幹線道路 - 宮崎県道50号諸塚高千穂線
- 旧・向山北小学校(むこうやまきた)
- 向山小学校が創立した1876年(明治9年)を創立年とする。
- 1892年(明治25年)- 「向山尋常小学校 椎屋谷分教場」に改称。
- 1908年(明治41年)- 向山尋常小学校の南北分立により、「向山北尋常小学校」として独立。椎屋谷・丸小野・石原・水ヶ崎を通学区域とする。改正小学校令により尋常科5年を新設。
- 1909年(明治42年)- 尋常科6年を新設。校舎を増築。
- 1911年(明治44年)- 校歌を制定。
- 1925年(大正14年)- 向山北小学校の廃止が検討されたが、3年間の留置運動により、存続することとなる。
- 1930年(昭和5年)- 校旗を制定。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「高千穂町向山北国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1942年(昭和17年)- 高等科(2年制)を併置。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。木造校舎1棟を増築。教育協力会が発足。
- 国民学校初等科は、新制小学校「高千穂町立向山北小学校」(最終名)に改組・改称。
- 国民学校高等科は、青年学校普通科とともに、新制中学校「高千穂町立高千穂中学校」(本校)に統合。
- 1951年(昭和26年)- 校舎を増改築。屋内運動場(体育館)が完成。
- 1956年(昭和31年)
- 2月 - 火災により、校舎・備品・書類を焼失。
- この年 - 校舎が復旧。プールが完成。
- 1958年(昭和33年)- 校章を制定。
- 1959年(昭和34年)- ミルク給食を開始。
- 1962年(昭和37年)- 1・2年生が複式となる。
- 1966年(昭和41年)- 完全給食を開始。
- 1976年(昭和51年)5月2日 - 創立100周年記念式典を挙行(向山南小学校と同日)。
- 1981年(昭和56年)3月 - 鉄筋コンクリート造新校舎が完成。
- 2008年(平成20年)4月1日 - 高千穂町立向山南小学校を統合。
- 2010年(平成22年)3月31日 - 高千穂町立高千穂小学校への統合により、閉校。134年の歴史に幕を閉じる。
- 最終所在地 - 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字向山1232番地1(北緯32度41分44.4秒 東経131度18分46.8秒 / 北緯32.695667度 東経131.313000度)
- 最寄りの幹線道路 - 宮崎県道50号諸塚高千穂線
交通
編集- 最寄りのバス停留所
- 高千穂町ふれあいバス 岩戸線 「神代川」停留所
- 最寄りの幹線道路
- 最寄りの鉄道駅
周辺
編集- 高千穂町役場
- 宮崎県 西臼杵支庁
- 高千穂郵便局
- 高千穂町商工会
- 宮崎家庭裁判所高千穂出張所
参考資料
編集- 「高千穂町史 本編」(高千穂町、1972年(昭和47年)3月30日発行)p.686~p.687(高千穂小学校)、p.688(向山北小学校)、p.689(向山南小学校)
- 「退互部報 第206号(一般社団法人宮崎県教職員互助会退職互助部, 2016年(平成28年)1月5日発行) (PDF) 」
脚注
編集- ^ 高千穂町立小・中学校の通学区域に関する規則 - 高千穂町ウェブサイト
- ^ 9月とも。
- ^ 1976年(昭和51年)4月1日に「高千穂町立向山中学校」として独立。2008年(平成20年)3月31日に高千穂町立高千穂中学校への統合により閉校(向山南小学校と同日に廃止)。
関連項目
編集- 宮崎県小学校一覧
- 霧島市立高千穂小学校(鹿児島県霧島市にある同名の小学校)