田代町 (名古屋市)
名古屋市千種区の地名
田代町(たしろちょう)は、愛知県名古屋市千種区の地名。住居表示未実施[WEB 5]。
田代町 | |
---|---|
北緯35度10分20.33秒 東経136度57分0.71秒 / 北緯35.1723139度 東経136.9501972度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 名古屋市 |
区 | 千種区 |
町名制定[1] | 1921年(大正10年)8月22日 |
面積 | |
• 合計 | 1.307826656 km2 |
人口 | |
• 合計 | 1,293人 |
• 密度 | 990人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | |
市外局番 | 052 (名古屋MA)[WEB 4] |
ナンバープレート | 名古屋 |
地理
編集名古屋市千種区の中央部から南東部に位置し、中央部の字岩谷・四観音道西・四観音道東・姫ケ池上・蝮池上の地域と、南東部の字鹿子殿・瓶杁の地域の2つに分かれている。
字一覧
編集1882年(明治15年)の田代村当時の字は以下の通り。
- 瓶杁(かめいり)[2]
- 新池(しんいけ)[2]
- 唐山(からやま)[2]
- 東屋敷(ひがしやしき)[2]
- 牛毛(うしけ)[2]
- 烏金(からすがね)[2]
- 大坂(おさか)[2]
- 鹿子殿(かごとの)[2]
- 金子硲(かねこはさま)[2]
- 砥(と)ヶ硲(はさま)[2]
- 仲田(なかだ)[2]
- 本山(ほんやま)[2]
- 前田(まえだ)[2]
- 四(よ)ツ谷(や)[2]
- 首利(くびり)[2]
- 山崎(やまざき)[2]
- 西田面(にしだおも)[2]
- 稲葉下(いなばした)[2]
- 三本松(さんぼんまつ)[2]
- 小川(こがわ)[2]
- 楠(くす)[2]
- 城山(しろやま)[2]
- 姫(ひめ)ノ池下(いけしも)[2]
- 竹(たけ)ノ下(した)[2]
- 坂下(さかした)[2]
- 坂上(さかうえ)[2]
- 御棚妻(おたなつま)[2]
- 東畑(ひがしばた)[2]
- 池下(いけした)[2]
- 山下(やました)[2]
- 八反田(はったんだ)[2]
- 流(ながれ)[2]
- 南田面(みなみだおも)[2]
- 村内(むらうち)[2]
- 大塚(おおつか)[2]
- 安田(やすだ)[2]
- 西畑(にしばた)[2]
- 二(ふた)ツ池(いけ)[2]
- 北畑(きたはた)[2]
- 小坂下(こさかした)[2]
- 堀割(ほりわり)[2]
- 月見坂(つきみさか)[2]
- 越前(こしまえ)[2]
- 四観音道東(しかんおんみちひがし)[2]
- 四観音道西(しかんおんみちにし)[2]
- 岩谷(いわや)[2]
- 蝮池上(まむしいけかみ)[2]
歴史
編集町名の由来
編集田を作るために開墾した土地であることを示す地名であるという[3]。
沿革
編集この節の加筆が望まれています。 |
- 1876年(明治9年) - 愛知郡丸山村の一部と末森村・上野新田が合併し、 田代村となる[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制に基づく愛知郡田代村となる[1]。
- 1906年(明治39年)5月10日 - 合併に伴い、愛知郡東山村大字田代となる[1]。
- 1921年(大正10年)8月22日 - 名古屋市編入に伴い、同市東区田代町となる[1]。
- 1932年(昭和7年)3月14日 - 東区田代町字堀割において、合資会社東山脳病院が設立される[4]。
- 1934年(昭和9年)10月1日 - 一部が東区不老町・四谷通[5]・萩岡町・仁座町[6]・中区山手通・高峯町[7]に編入される。
- 1934年(昭和9年)4月 - 東区田代町字城山に浄土宗宝亀山相応寺が移転する[4]。
- 1935年(昭和10年)11月5日 - 一部が東区坂下町[8]・覚王山通・池下町[9]に編入される。
- 1937年(昭和12年)10月1日 - 千種区編入に伴い、同区田代町となる[1]。
- 1938年(昭和13年)12月1日 - 一部が千種区城木町[8]・南明町・日岡町・大島町[5]に編入される。
- 1942年(昭和17年)11月27日 - 一部が大島町・田代本通・川崎町・幸川町に編入される[5]。
- 1945年(昭和20年)9月20日 - 一部が千種区新池町・清住町・橋本町・鹿子町・東明町・猫洞通・池上町[1]・春里町・城山町・本山町・日和町・楠元町・月見坂町・法王町・山門町・堀割町・西山元町[10]・向陽町・西坂町・末盛通・桐林町・丸山町・御棚町・菊坂町・坂下町・日進通・丘上町・観月町・山添町・城木町[8]・南明町・日岡町・大島町・田代本通・川崎町・幸川町・鏡池通・西崎町・穂波町・松竹町・稲舟通・見附町・池園町・四谷通・東山通[5]・朝岡町・唐山町・園山町・東山元町[6]・覚王山通・池下町[9]に編入される。
- 1947年(昭和22年)1月28日 - 一部が東山通[5]・東山元町・唐山町[6]に編入される。
- 1948年(昭和23年)
- 1952年(昭和27年)7月10日 - 一部が千種区春里町に編入される[10]。
- 1953年(昭和28年)3月1日 - 一部が千種区徳川山町に編入される[1]。
- 1955年(昭和30年)1月15日 - 一部が千種区自由ケ丘・徳川山町・春里町に編入される[1][10]。
- 1961年(昭和36年)10月20日 - 一部が千種区城山新町・姫池通に編入される[10]。
- 1977年(昭和52年)1月23日 - 一部が千種区平和が丘三丁目[11]および名東区平和が丘三丁目[12]に編入される。
- 1980年(昭和55年)11月23日 - 一部が千種区高見一丁目[9]・向陽一丁目[8]に編入される。
- 1981年(昭和56年)9月20日 - 一部が千種区平和公園一丁目から同三丁目および富士見台[13]・名東区平和が丘一丁目[12]に編入される。
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)11月17日 - 一部が千種区鹿子殿に編入される[10]。
- 2005年(平成17年)9月5日 - 一部が千種区星が丘山手となり、一部が同区桜が丘に編入される[WEB 6]。
世帯数と人口
編集2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
田代町 | 697世帯 | 1,293人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移
2000年(平成12年) | 2,326人 | [WEB 7] | |
2005年(平成17年) | 1,271人 | [WEB 8] | |
2010年(平成22年) | 1,299人 | [WEB 9] | |
2015年(平成27年) | 1,356人 | [WEB 10] |
学区
編集市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 11]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 12]。
字名 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
---|---|---|---|
蝮池上 | 名古屋市立高見小学校 | 名古屋市立若水中学校 | 尾張学区 |
岩谷 | |||
四観音道西 | 名古屋市立高見小学校 名古屋市立田代小学校 |
名古屋市立若水中学校 名古屋市立城山中学校 | |
四観音道東 | 名古屋市立田代小学校 | 名古屋市立城山中学校 | |
鹿子殿 | 名古屋市立東山小学校 | 名古屋市立東星中学校 | |
瓶入 | 名古屋市立星ケ丘小学校 |
施設
編集字瓶杁
編集- 字瓶杁1-50に所在[14]。名古屋市の運営による公立のユースホステルであり、1968年(昭和43年)4月に建設[WEB 13]。利用率の低下、耐震補強工事に多額の費用が必要となったこともあり、2006年(平成18年)をもって閉館となった[WEB 13]。
-
東山動植物園
-
名古屋市千種図書館
字岩谷
編集- 山神社
-
山神社
字四観音道東
編集- メゾン覚王山月宮殿
-
メゾン覚王山月宮殿
字四観音道西
編集-
東山給水塔
字姫ヶ池上
編集- 放生池(跡)
- 江戸時代には「西どろあき池」「西源蔵池」「上姫ケ池」とも称された農業用の溜池であったが、付近に覚王山日泰寺ができたことにより、日泰寺の参拝者がコイやカメを放つことで功徳を得ようとする池へと変貌し、放生池と呼ばれるようになったとされる[16]。東山公園が開園するまでは景勝地として盛んに人を集めたというが、付近の開発により徐々に埋め立てられ、人家の汚水を集めるようになると水質も悪化したことから、1982年(昭和57年)秋に埋め立てられ、消滅[17]。跡地は駐車場として使用されることとなった[18]。以後は姫ケ池通一丁目交差点北西角付近に残された「殺生禁断 放生池」と刻まれた高さ約2メートルの石碑の存在が、当地にかつて池があったことを示しているのみである[19]。
-
放生池跡(2021年5月)
-
「殺生禁断 放生池」の石碑(城山新町)
脚注
編集WEB
編集- ^ “愛知県名古屋市千種区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2017年10月7日閲覧。
- ^ a b “町・丁目(大字)別、年齢(10歳階級)別公簿人口(全市・区別)”. 名古屋市 (2019年1月23日). 2019年1月23日閲覧。
- ^ “郵便番号検索 愛知県名古屋市千種区の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2017年10月7日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年1月6日閲覧。
- ^ 名古屋市役所市民経済局地域振興部住民課町名表示係 (2015年10月21日). “千種区の町名一覧”. 名古屋市. 2017年10月7日閲覧。
- ^ 名古屋市役所市民経済局地域振興部住民課町名表示係 (2013年6月6日). “千種区の一部で町名・町界変更を実施(平成17年9月5日実施)”. 名古屋市. 2016年2月5日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2005年7月1日). “(刊行物)名古屋の町(大字)・丁目別人口 (平成12年国勢調査) 千種区” (xls). 2017年10月8日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2007年6月29日). “平成17年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口 千種区” (xls). 2017年10月8日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2012年6月29日). “平成22年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口 千種区” (xls). 2017年10月8日閲覧。
- ^ 名古屋市役所総務局企画部統計課統計係 (2017年7月7日). “平成27年国勢調査 名古屋の町(大字)別・年齢別人口” (xls). 2017年10月8日閲覧。
- ^ “市立小・中学校の通学区域一覧”. 名古屋市 (2018年11月10日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ “平成29年度以降の愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における通学区域並びに群及びグループ分け案について”. 愛知県教育委員会 (2015年2月16日). 2019年1月14日閲覧。
- ^ a b 名古屋市鶴舞中央図書館 (2020年3月1日). “市立名古屋ユースホステルはいつ閉館したのか。再開の予定はあるのか。”. 2021年4月24日閲覧。
文献
編集- ^ a b c d e f g h i j k 名古屋市計画局 1992, p. 731.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au 名古屋市計画局 1992, p. 908.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 109.
- ^ a b 千種区制施行50周年記念事業実行委員会 1987, p. 470.
- ^ a b c d e f 名古屋市計画局 1992, p. 734.
- ^ a b c d 名古屋市計画局 1992, p. 735.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 793.
- ^ a b c d e f 名古屋市計画局 1992, p. 733.
- ^ a b c d 名古屋市計画局 1992, p. 726.
- ^ a b c d e f 名古屋市計画局 1992, p. 732.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 730.
- ^ a b 名古屋市計画局 1992, p. 866.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 729.
- ^ 日本ユース・ホステル協会 1978, p. 228.
- ^ 千種区制施行50周年記念事業実行委員会 1987, p. 434.
- ^ 加藤龍明 2000, p. 188.
- ^ 加藤龍明 2000, p. 190.
- ^ 加藤龍明 2000, p. 191.
- ^ 加藤龍明 2000, p. 187.
参考文献
編集- 千種区制施行50周年記念事業実行委員会 編『千種区制施行50周年記念誌 千種区史』千種区制施行50周年記念事業実行委員会、1987年10月1日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879。
- 加藤龍明『微笑みの白塔 釈尊真骨奉安百周年』中日新聞社、2000年5月15日。ISBN 4-8062-0405-6。
関連項目
編集外部リンク
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