松坂直美
戦前から戦後にかけて国内で活躍した作詞家
松坂 直美(まつざか なおみ、1910年-2002年)は、戦前から戦後にかけて国内で活躍した作詞家である[1]。舟木一夫や美空ひばりに作詞を提供したこともあり、日本詩人連盟会長、日本訳詩家協会理事長、長崎県人会常任理事、雪州会(在京壱岐人会)会長などを務めた。
生涯
編集明治43年(1910年)長崎県壱岐市芦辺町生まれ。深江にて青少年期を送る。昭和7年(1932年)に流行歌「山のあけくれ」「時雨する頃」の作詞を手がけ、いずれも古関裕而(こせきゆうじ)作曲[2]のレコードでデビュー。1933年(昭和8年)以降はペン一筋の生活に徹した。2002年(平成14年)に92歳で亡くなった。
作品
編集長崎県壱岐市内の小中学校の校歌として、三島小学校、沼津小学校、芦辺小学校、田河小学校、那賀中学校、田河中学校などがある。主な作品として玄海ワルツ、緑の牧場、夕陽の古戦場、ふるさとはネムの花咲く、玄海慕情、花ごよみふるさとの四季、淡雪の賦、芦辺町民歌、郷ノ浦町町歌、勝本小唄、アカシアの花など2000余曲の作詞を行った。
校歌・作詞
編集- 壱岐市立芦辺小学校 作曲は遠藤実。校名の芦辺は登場しないが、各番とも「楽し学舎(まなびや)われらが母校」で終わる。
- 壱岐市立田河小学校 作曲は原賢一。各番とも「伸び行く田河小学校」で終わる。
- 壱岐市立田河中学校 作曲は八州秀章。各番とも「田河 田河 田河 田河中学」で終わる。
- 壱岐市立那賀中学校 作曲は八州秀章。各番とも「学ぶ那賀中楽しい母校」で終わる。
- 富山県立高岡工芸高等学校 作曲は平井保喜。各番とも「工芸 工芸 高岡工芸」で終わる。
流行歌・作詞
編集- 時雨する頃(関種子)1932年(昭和7年)
- 山のあけくれ(米倉俊英)1932年(昭和7年)
- 波浮の夜船(きみ榮)
- 砂丘を越えて(青葉笙子)
- 黒龍千里(北廉太郎)
- 男の行く道(北廉太郎)
- 浮世の旅路(山中みゆき)
- 虹よ消ゆるな(東海林太郎)
- 旅姿峠の唄(上原敏)
- 沓掛街道(上原敏)
- 國境千里(田端義夫)
- 石狩の春(田端義夫)
- 朝の街角(近江志郎)
- 歓喜の乙女(近江志郎)
- 雨の天城路(三丁目文夫)
- 流す筏も(高山美枝子)
- 南国の故郷(如月俊夫)1941年(昭和16年)
- 今宵酒場の灯の影で 1949年(昭和24年)
- 古城の乙女(松田トシ)1950年(昭和25年)
- 楽しい日曜日(美空ひばり)1954年
- 深夜の女(武井義明)1958年
- 月の戦線(児玉好雄)
- 港の純情(児玉好雄)
- 艶歌船(北島三郎)1964年
- 流浪(舟木一夫)1972年 など
映画主題歌・作詞
編集児童劇
編集- 『メイコちゃんの非常時讀本』(中村メイ子、清水美佐子、獨唱:矢島英子)
- 『お化け地蔵』児童劇集 など
著書
編集- 『わが人生は闘争なり-松永安左エ門の世界』教文出版 1980年
- 『まぼろしのスタートニーの思い出』1968年
- 『確実に返事がもらえるファン・レターの書き方―上手な書き方と人気歌手への実例文』1967年
- 『私が歌手になるまで』1949年
- 『嵐に花は散らず』少女小説集
- 『花信』詩リーフレット など