芦辺町
日本の長崎県壱岐郡にあった町
芦辺町(あしべちょう)は、かつて長崎県の壱岐島北東部にあった町。壱岐郡に属した。2004年3月1日に郷ノ浦町、勝本町、石田町と合併し市制施行、壱岐市となり自治体としては消滅した。
あしべちょう 芦辺町 | |||||
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廃止日 | 2004年3月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併・市制施行 郷ノ浦町、勝本町、芦辺町、石田町 → 壱岐市 | ||||
現在の自治体 | 壱岐市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 長崎県 | ||||
郡 | 壱岐郡 | ||||
市町村コード | 42423-4 | ||||
面積 | 45.12 km2 | ||||
総人口 |
8,910人 (推計人口、2004年2月1日) | ||||
隣接自治体 | 郷ノ浦町、勝本町、石田町 | ||||
町の木 | ヒノキ | ||||
町の花 | ツバキ | ||||
芦辺町役場 | |||||
所在地 |
〒811-5301 長崎県壱岐郡芦辺町芦辺浦562 | ||||
外部リンク | 芦辺町(アーカイブ版) | ||||
座標 | 北緯33度48分8.1秒 東経129度45分39.3秒 / 北緯33.802250度 東経129.760917度 | ||||
ウィキプロジェクト |
地理
編集壱岐島の北東部に位置する。
歴史
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、壱岐郡のうち後の町域にあたる以下の各村が発足。
- 1947年(昭和22年)11月3日 - 田河村が町制施行、田河町となる。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 田河町と那賀村が合併し、芦辺町が発足。町名は地内の芦辺浦を由来とし「歴史的に由緒深い名称である」として採用された[1]。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 箱崎村を編入。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 芦辺町のうち湯岳射手吉触の全域、及び湯岳興触の一部を石田村(後の石田町)に編入[2]。
- 2004年(平成16年)3月1日 - 郷ノ浦町、勝本町、石田町と合併し市制施行。壱岐市が発足し、芦辺町は自治体として消滅。
行政
編集- 歴代町長
- 初代 - 松永利光(1955年(昭和30年)4月30日 - 1959年(昭和34年)3月31日)
- 第2代 - 長嶋博之(1959年(昭和34年)5月1日 - 1975年(昭和50年)4月30日)
- 第3代 - 山口定德(1975年(昭和50年)5月1日 - 1987年(昭和62年)4月30日)
- 第4代 - 大皿川惠(1987年(昭和62年)5月1日 - 2003年(平成15年)4月30日)
- 第5代(最終)- 白川博一(2003年(平成15年)5月1日 - 2004年(平成16年)2月29日)
地域
編集地名
編集- 旧田河町
田河町時代は「深江」「諸吉」の2大字が存在したが、芦辺町発足時に大字を廃止した。その際に芦辺浦を除く全ての触が改称している。大字の区域及び改称前の触の詳細は田河町#地名を参照。
- 芦辺浦
- 深江栄触
- 深江鶴亀触
- 深江東触
- 深江平触
- 深江本村触
- 深江南触
- 諸吉大石触
- 諸吉仲触
- 諸吉東触
- 諸吉二亦触
- 諸吉本村触
- 諸吉南触
- 旧那賀村
那賀村時代は「中野郷」「国分」「住吉」「湯岳」の4大字が存在したが、芦辺町発足時に大字を廃止した。その際に全ての触が改称している。大字の区域及び改称前の触の詳細は那賀村#地名を参照。
- 国分川迎触
- 国分当田触
- 国分東触
- 国分本村触
- 住吉後触
- 住吉東触
- 住吉前触
- 住吉山信触
- 中野郷東触
- 中野郷仲触
- 中野郷西触
- 中野郷本村触
湯岳射手吉触- 1961年、石田村(後の石田町)に編入[2]。- 湯岳興触 - 1961年、一部を石田村(後の石田町)に編入[2]。
- 湯岳今坂触
- 湯岳本村触
- 旧箱崎村(1956年編入)
芦辺町編入時に瀬戸浦を除く全ての触が改称した。改称前の触の詳細は箱崎村#地名を参照。
- 瀬戸浦
- 箱崎江角触
- 箱崎釘ノ尾触
- 箱崎大左右触
- 箱崎谷江触
- 箱崎中山触
- 箱崎本村触
- 箱崎諸津触
教育
編集名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
編集芦辺町出身の著名人
編集脚注
編集参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 42 長崎県
関連項目
編集外部リンク
編集- ASHIBE CHANNEL - アシベチャンネル - ウェイバックマシン(2004年2月10日アーカイブ分)
- 壱岐四町合併協議会 - ウェイバックマシン(2007年3月30日アーカイブ分)