児玉 好雄(こだま よしお、1909年1月28日 - 1986年10月20日)は、日本の歌手教育者である。

児玉 好雄
基本情報
生誕 1909年1月28日
出身地 日本の旗 日本 広島市
死没 1986年10月20日
学歴 パシフィック大学音楽科
ミラノ音楽院
ジャンル オペラ歌謡曲軍歌
職業 歌手作曲家
活動期間 1934年 - 1986年
レーベル ビクター
キングレコード

人物・来歴

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1909年明治42年)1月28日広島県広島市向洋(現・南区)に生まれる[1]

旧制・広島県立広島第一中学校(現広島国泰寺高校)を1年で中退し、15歳になる1924年大正13年)に渡米しパシフィック大学音楽科で学び、7年間をアメリカで暮らす。21歳になる1930年昭和5年)の帰国後、日本青年館で音楽会を開催する。その後、イタリア留学し、在欧5年でオペラを本格的に学んだ。1933年(昭和8年)、ミラノ音楽院を修了。

帰国後、25歳になる1934年(昭和9年)、ビクターの専属となる。本格的なクラシックの歌唱法に小唄民謡など邦楽の節回しを加えた歌唱法で人気を得た。1936年(昭和11年)、SPレコード無情の夢」を吹き込み(レコーディング)大ヒットした。その後も、キングレコード三門順子と「愛馬行」を吹き込みヒットする。同楽曲『愛馬行』は、1939年(昭和14年)の陸軍省に選定され、「愛馬進軍歌」とカップリングして売り出した戦争歌である。

他の楽曲に、「涙の三度笠」、「浜は大漁だ」、「吹雪」などがある。

1945年(昭和20年)、36歳で第二次世界大戦終戦を迎える。戦後は、東京・西池袋での「舞台芸術学院」創設に参画、日本のミュージカル発展に貢献した。同門からは、いずみたく伊丹十三堀内完山田吾一うつみ宮土理李礼仙ら、多くの後進を育てた。

1961年(昭和36年)、児玉の戦前のヒット曲「無情の夢」を佐川満男カヴァーし、リバイバルヒットした。

1968年(昭和43年)暮れには、東京12チャンネル(現テレビ東京)の『なつかしの歌声』に出演し、「無情の夢」を歌唱した。当時、59歳である。

1979年(昭和54年)、70歳のときに舞台芸術学院の三代目学長に就任した。

1986年(昭和61年)10月20日心不全で死去、77歳没。

おもなディスコグラフィ

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参考文献

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  1. ^ 『あの時この歌 - 戦後日本歌謡史 - 』(嬉一夫/中国新聞著、渓水社1983年10月)のp.107の記述を参照。

外部リンク

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