村岡陣屋
概要
編集慶長6年(1601年)山名豊国(禅高)が但馬国七美郡6千700石を与えられた。 当初は兎束村に陣屋を仮設し、元和元年(1615年)福岡と改称した。その後3代山名矩豊は寛永19年(1642年)陣屋を黒野村に移し村岡と改称した。
8代山名義方は、文化3年(1806年)陣屋を尾白山に移し、中腹に陣屋を築き、大手門、中門、長屋、鎮守社,煙硝蔵、練兵場を設けた。
11代山名義済は慶応4年(1868年)太政官から新田4千300石の加増を認められ、1万1千石で村岡藩を立藩し、12代山名義路の代に廃藩となった。
遺構
編集陣屋跡は、昭和33年(1958年)から同57年(1982年)までの間兵庫県立村岡高等学校として利用されたが、現在は移転して、御殿山公園として整備されている。