村上喜堂
日本の財務官僚
来歴
編集兵庫県神戸市生まれ(父は和歌山県出身、母は大阪府出身)[1]。関西学院中学部・高等部、東京大学経済学部経済学科卒業。東大在学中はバスケ部に所属[2]。1972年 大蔵省入省(主計局調査課)[3]。1977年7月 米子税務署長。1980年7月 東京国税局総務部総務課長。1990年7月 東京国税局査察部長。同年7月 東京国税局直税部長。1991年6月 北海道開発庁予算課長。1993年7月 東京国税局総務部長。1996年7月12日 国税庁長官官房人事課長。1998年7月 国税庁調査査察部長。2000年6月 国税庁課税部長。2003年7月8日 国税庁次長。2005年7月12日 退官。同年10月 (株)東日本高速道路専務取締役。2011年7月 (株)クレディセゾン常勤監査役。2019年6月 (株)レオパレス21社外取締役。2020年7月 同社監査役。
略歴
編集- 1972年4月:大蔵省入省(主計局調査課)。
- 1973年8月:大阪国税局調査部。
- 1974年8月:大臣官房調査企画課。
- 1975年7月:経済企画庁物価局物価政策課。
- 1977年7月:米子税務署長。
- 1978年7月:国税庁長官官房総務課長補佐。
- 1980年7月:東京国税局総務部総務課長。
- 1982年7月:大臣官房付(外務研修)。
- 1983年5月:外務省在香港日本総領事館領事。
- 1986年6月:大臣官房文書課長補佐(中田大臣官房審議官室)[4]。
- 1987年2月:大臣官房企画官 兼 銀行局検査部管理課。
- 1988年6月:福岡国税局直税部長。
- 1990年7月:東京国税局査察部長。
- 1990年7月:東京国税局直税部長。
- 1991年6月:北海道開発庁予算課長。
- 1993年7月:東京国税局総務部長。
- 1995年6月:国税庁課税部所得税課長。
- 1996年7月12日:国税庁長官官房人事課長。
- 1998年7月:国税庁調査査察部長。
- 2000年6月:国税庁課税部長。
- 2003年7月8日:国税庁次長。
- 2005年7月12日:退官。
脚注
編集官職 | ||
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先代 福田進 |
国税庁次長 2003年 - 2005年 |
次代 石井道遠 |
先代 河上信彦 |
国税庁課税部長 2000年 - 2003年 |
次代 西江章 |
先代 西川和人 |
国税庁調査査察部長 1998年 - 2000年 |
次代 金井照久 |
先代 河手悦夫 |
東京国税局総務部長 1993年 - 1995年 |
次代 西江章 |
先代 高木祥吉 |
東京国税局直税部長 1990年 - 1991年 |
次代 二宮茂明 |
先代 西川和人 |
東京国税局査察部長 1990年 |
次代 二宮茂明 |
先代 橋本孝伸 |
福岡国税局直税部長 1988年 - 1990年 |
次代 有吉章 |