新津市
新津市(にいつし)は、新潟県にかつてあった市である。2005年3月21日の新潟市への編入合併によって消滅し、政令指定都市に移行した現在は旧小須戸町域とともに秋葉区を構成している。
にいつし 新津市 | |||||
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廃止日 | 2005年3月21日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 豊栄市・新津市・白根市・亀田町・小須戸町・横越町・西川町・味方村・月潟村・中之口村・潟東村・岩室村 → 新潟市 | ||||
現在の自治体 | 新潟市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 |
![]() | ||||
地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 | ||||
都道府県 | 新潟県 | ||||
市町村コード | 15207-2 | ||||
面積 | 78.28km2 | ||||
総人口 |
66,446人 (推計人口、2005年3月1日) | ||||
隣接自治体 | 新潟市・中蒲原郡横越町・阿賀野市・五泉市・中蒲原郡小須戸町・白根市 | ||||
市の木 | マツ | ||||
新津市役所 | |||||
所在地 |
〒956-8601 新潟県新津市大字程島2009 ![]() 新津市役所(現:新潟市 秋葉区役所) | ||||
外部リンク | 新潟市秋葉区役所 | ||||
座標 | 北緯37度47分18秒 東経139度06分53秒 / 北緯37.78836度 東経139.11461度座標: 北緯37度47分18秒 東経139度06分53秒 / 北緯37.78836度 東経139.11461度 | ||||
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ウィキプロジェクト |
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以下の記述は合併直前当時の(旧)新津市に関しての記述であり、現在では名称等が異なる場合がある。なお、ここに記述されていない内容に関しては秋葉区などの記事を参照。
概要
編集その名の通り船着き場として発生した新津は江戸時代は新発田藩領の在郷町・大庄屋町として六斎市で賑わい、街道が分岐する交通の要衝の町として発展していた[1][2]。明治期には中蒲原郡の郡役所が置かれ、かつて優位にあった白根や小須戸を凌いで郡域の政治・文化の中心的役割を担うようになったほか、影響力は隣接する東蒲原郡にも大きく及んだ[3]。
産業面では、明治・大正期以降に新津油田を中心とした石油のまち[4]、新津駅を中心とした鉄道のまち[5]として栄える。その後は花き花木、球根の生産地としても栄え、「花とみどりと石油の里」をキャッチフレーズにしていた[6]。
地理
編集市の南方は新津丘陵が広がる。新津丘陵の周囲は平野部となっている。市の東側には阿賀野川、西側には信濃川が、北側には阿賀野川・信濃川を結ぶ小阿賀野川が流れている。また、市の中心部を南北に、新津川(能代川)が流れている。能代川には鮭が遡上してくる。
隣接していた自治体
編集※北から西廻りに
歴史
編集- 古津八幡山遺跡と古墳が出来ていた。
- 戦国時代には上杉氏のもと、新津勝資が支配(新津城)
- 江戸時代は、新発田藩新津組大庄屋の桂家が治める。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴う合併により、新津町・三興野村・阿賀浦村・満日村・川結村・荻野村・小梅村・小鹿村・津島村・新関村が発足。
- 1897年(明治30年)11月20日 - 北越鉄道(現:信越本線)開通、新津駅開業。
- 1901年(明治34年)11月1日 - 合併により、荻川村・小合村・金津村が発足し、新津町が三興野村を編入。
- 1925年(大正14年)11月1日 - 阿賀浦村、満日村を編入。
- 1926年(大正15年)4月28日 - 小作争議が過激化、地主宅に小作人150人余が詰めかけ使用人が激しい暴行を受ける[7]。
- 1939年(昭和14年) - 荻川村を編入。
- 1951年(昭和26年)1月1日 - 市制施行により新津市となる[8]。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 金津村・小合村を編入。
- 1957年(昭和32年)3月18日 - 新関村の一部を編入。
- 2005年(平成17年)3月21日 - 新潟市へ編入され、消滅。
市町村合併・行政区域の変遷
編集新津町 | 新津村・古田新田・金沢新田・柄目木新田・飯柳新田・田家新田 |
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三興野村 | 北上興野・下興野・善道興野 |
阿賀浦村 | 大安寺村・金沢村・中新田村 |
満日村 | 大蔵新田・七日町村・満願寺村 |
川結村 | 結新田・川口新田・覚路津新田(内字北潟・内字田島・内字福島) |
荻野村 | 市之瀬新田・車場新田・中野新田・萩島新田・覚路津新田(内字円ノ花・内字三枚潟) |
小梅村 | 小戸新田(小屋場・浦興野・川根・大秋)・梅之木村・子成場村・出戸村・四ツ興野・蕨曽根新田 |
小鹿村 | 大鹿新田・小戸新田(上組・下組・栗宮) |
津島村 | 程島村・中村・西島村・東島村・古津村・朝日村・割町村・塩谷村・金津村・天ヶ沢新田(蒲ヶ沢新田) |
新関村 | 六郷村・新郷屋村・北村・牧ヶ鼻村・金屋村・市新村・下新村・安部新村・岡田村・大関村・小口村・ 安養寺村・羽下村・次屋村・猿橋村・船越村・田屋村・浦沢村・下条村 |
荻川村 | 川結村・荻野村 |
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小合村 | 小梅村・小鹿村 |
金津村 | 津島村・中島村 |
- 1925年(大正14年)11月1日 - 阿賀浦村・満日村を編入。
- 1939年(昭和14年) - 荻川村を編入。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 金津村・小合村を編入。
- 1957年(昭和32年)3月18日 - 新関村の一部を編入。
- 2005年3月21日 - 新潟市に編入合併し消滅。
地域
編集新津地区
編集- 新津 (にいつ)
- 1889年(明治22年)まであった新津村の区域。現在の新潟市秋葉区新津。
- 古田 (こだ)
- 1889年(明治22年)まであった古田新田の区域。現在の新潟市秋葉区古田。
- 西金沢 (にしかなざわ)
- 1889年(明治22年)まであった金沢新田の区域。現在の新潟市秋葉区金沢町。
- 柄目木 (がらめき)
- 1889年(明治22年)まであった柄目木新田の区域。現在の新潟市秋葉区柄目木。
- 飯柳 (いやなぎ)
- 1889年(明治22年)まであった飯柳新田の区域。現在の新潟市秋葉区飯柳。
- 田家 (たい)
- 1889年(明治22年)まであった田家新田の区域。現在の新潟市秋葉区田家。
その他の地域
編集- 荻川地区
- 満日地区
- 小合地区
- 東部地区
- 新関地区
- 金津地区
行政
編集歴代市長
編集特記なき場合『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』などによる[9]。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 布沢昏七 | 1951年(昭和26年)1月1日 | 1953年(昭和28年)6月24日 | 旧新津町長 |
2 | 窪田繁雄 | 1953年(昭和28年)6月25日 | 1961年(昭和36年)6月24日 | |
3 | 桂誉達 | 1961年(昭和36年)6月25日 | 1970年(昭和45年)2月13日 | 旧新津大庄屋 |
4 | 志田保 | 1970年(昭和45年)3月16日 | 1980年(昭和55年)12月23日 | 病により辞職 |
5 | 斎藤富雄 | 1981年(昭和56年)2月1日 | 1991年(平成3年)1月31日 | 在職中に死去 |
6 | 小林一三 | 1991年(平成3年)3月17日 | 2000年(平成12年) | 新潟県知事選挙に立候補するため辞職 |
7 | 湯田幸永 | 2000年(平成12年)11月5日 | 2005年(平成17年)3月21日 | 廃止 |
産業
編集- JR東日本 新津車両製作所(現在の総合車両製作所新津事業所)
姉妹都市・友好都市等
編集教育
編集大学
編集高等学校
編集小中学校
編集- 小学校
学校名 | 児童数[10] 2003年度 |
備考 |
---|---|---|
新津市立新津第一小学校 | 515 | |
新津市立新津第三小学校 | 696 | |
新津市立結小学校 | 744 | |
新津市立市之瀬小学校 | 70 | |
新津市立新津第二小学校 | 516 | |
新津市立満日小学校 | 77 | |
新津市立阿賀小学校 | 256 | |
新津市立新関小学校 | 145 | |
新津市立小合東小学校 | 120 | |
新津市立小合小学校 | 119 | |
新津市立金津小学校 | 438 | |
計 | 3,696 |
- 中学校
学校名 | 生徒数[10] 2003年度 |
備考 |
---|---|---|
新津市立新津第一中学校 | 684 | |
新津市立新津第二中学校 | 471 | |
新津市立新津第五中学校 | 479 | |
新津市立小合中学校 | 129 | |
新津市立金津中学校 | 285 | |
計 | 2,048 |
交通
編集鉄道路線
編集2003年暮れに橋上駅となった新津駅はJR東日本の3路線が乗り入れるターミナルで、古くから「鉄道の街」として知られる。市内には6つの駅があり、一部の駅にはパークアンドライド用の駐車場が設置されている。
また、新津駅構内には新津運輸区、駅南側には総合車両製作所新津事業所があり、新潟支社管内の要衝として機能している。
旧:新津市域の鉄道路線・駅
高速道路
編集一般国道
編集市内を南北に縦貫する国道403号新津バイパスは、一部連続立体交差方式。亀田町から小須戸町までが一本の路線となっているが、古田(こだ)交差点を境に、通称が新津バイパスと新津南バイパスとに分かれている。一方、市内を東西に横断する国道460号は、磐越自動車道・新津IC付近から新津バイパス・大鹿交差点までの区間が新津東バイパスとして供用されている。
- 市内を走る一般国道
- 主要地方道
バス
編集名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
編集出身有名人
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 1969年の映画館(北陸・甲信越地方)「消えた映画館の記憶」を参照した[11]。
出典
編集- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)ほか『新津』 - コトバンク
- ^ 鉄道のまち「新津」の歴史 - 新津鉄道資料館.2019年1月18日閲覧。
- ^ 「新津のあけぼの、生いたちおって…」(PDF)『広報にいつ』第313号、新津市、1976年1月1日、4-5頁。
- ^ 石油の里 - 新潟市秋葉区.2019年1月18日閲覧。
- ^ 鉄道の歴史 - 新潟市秋葉区.2019年1月18日閲覧。
- ^ 新津市の概要 - 新津市HP(WayBack Machineによるアーカイブ)
- ^ 新潟県新津市でも小作人、警官隊と衝突『新潟日報』大正15年4月29日夕刊(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p203 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 「総理府告示第八号」『官報』第7218号、印刷庁、41頁、1951年2月3日 。
- ^ 歴代知事編纂会 1983, 78-81頁.
- ^ a b “資料11 秋葉区の検討資料”. 新潟市立学校適正配置審議会 第9回会議. 新潟市教育委員会 (2009年8月). 2020年4月30日閲覧。
- ^ 『映画年鑑 1969年版 別冊 映画便覧 1969』時事通信社、1969年
参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 編纂委員会『角川日本地名大辞典 15 新潟県』(株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3。
- 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』 第2、歴代知事編纂会、1983年。
関連項目
編集外部リンク
編集- 新潟市秋葉区役所
- 新津観光協会
- 広報にいつバックナンバー - 新潟市立図書館
- 新津市(2005/01/03アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- 新津市HP(アーカイブ) - WayBack Machine