小貫 (掛川市)
小貫(おぬき、英語: Onuki)は、静岡県掛川市にある大字。
小貫 | |
---|---|
大字 | |
![]() 小貫の航空写真 (2020年6月16日撮影) | |
![]() | |
国 |
![]() |
都道府県 |
![]() |
市町村 |
![]() |
人口情報(2024年11月末日[1]) | |
人口 | 461 人 |
世帯数 | 200 世帯 |
設置日 | 1889年 |
郵便番号 | 437-1407 |
市外局番 | 0537(掛川MA) |
ナンバープレート | 浜松 |
![]() ![]() ![]() |
地理
編集静岡県掛川市の南部に位置する。合併前の旧大東町においては北東部に位置していた。北西から南東にかけて細長い形状の大字である。佐束山の山麓に位置しており、北西から中央にかけての多くを山林が占め、茶畑が点在している。中央から南東にかけては平地が形成されており、水田が広がるとともに人家や商店、企業なども集まっている。掛川市立佐束小学校や掛川市立佐束幼稚園など文教施設も多い。北西から南東に向かって小貫川が流れており、北から南に向かって流れている佐束川に合流している。また、北西には掛川カントリークラブが設置されており、大きな面積を占めている。
集落としては、隣接する大字である高瀬の南の一部や中方の北の一部も含めてともに「小貫」を構成している。集落は地縁血縁等の繋がりや歴史的経緯によって形成されるため[2]、大字とは範囲が異なっているためである。
掛川市の自治区としては、集落としての小貫は単独で小貫区を形成している[3]。そのため、自治区としての小貫区の範囲は、大字として「小貫」[4]と住所表記される範囲とは異なっている。掛川市では大字別の人口と自治区別の人口を公表しているが[1]、前述の理由により大字としての小貫と自治区としての小貫区とでは人口に差異が生じる[1]。
山岳
編集- 佐束山
河川
編集湖沼
編集歴史
編集小貫と呼ばれている地は、かつては遠江国城東郡狭束郷に属しており[6][† 2]、もともとは自然村である佐束村の一部であった。その後、佐束村は高瀬村、小貫村、中方村の3村に分割されることになり[7]、寛永2年に小貫村が成立した[8]。小貫村は、当初は横須賀藩領であったが[8]、天和2年に幕府領となり[8]、貞享年間に旗本の室賀氏領となった[8]。内山真龍の『遠江国風土記伝』によれば、当時の小貫村の石高は520石4斗9升9合であったとされる[6]。農業が盛んであり、米をはじめとする五穀[8]、蕎麦[8]、胡麻[8]、牛蒡[8]、蕗[8]、萵苣[8]、藍[8]、木綿などが栽培されていた[8]。明治元年には駿府藩領となり[8]、明治2年には静岡藩領となった[8]。この小貫村が、のちの小貫に該当する[7]。
町村制が施行された1889年(明治22年)に高瀬村、小貫村、中方村は再び合併することになり、佐束村が設置された。その際に従来の自然村は大字とされることになり、佐束村の大字として小貫が設置された[8][9]。さらに佐束村は土方村と合併することになり、この地は1955年(昭和30年)1月より城東村の一部となった。1968年(昭和43年)4月1日、高瀬と小貫の2集落により構成される自治区として上佐束区が設置された[10]。さらに大浜町と城東村が合併し、1973年(昭和48年)4月よりこの地は大東町の一部となった[7]。のちに大東町が掛川市、大須賀町と合併することになり、2005年(平成17年)4月よりこの地は掛川市の一部となった。2006年(平成18年)4月より旧佐束村では各集落ごとに単独の自治区を形成することになり、小貫区などの自治区が発足した[10]。
沿革
編集世帯数と人口
編集2024年(令和6年)11月末日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
小貫 | 200世帯 | 461人 |
事業所
編集2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通りである[11]。
大字 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
小貫 | 17事業所 | 157人 |
小・中学校の学区
編集公立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 掛川市立佐束小学校 | 掛川市立城東中学校 |
交通
編集バス
編集道路
編集施設
編集史跡
編集その他
編集郵便
編集- 郵便番号:437-1407[4](集配局:遠江大東郵便局)
警察
編集警察の管轄区域は以下の通りである[22]。
番地 | 警察署 | 交番・駐在所 |
---|---|---|
全域 | 掛川警察署 | 大東交番 |
消防
編集消防の管轄区域は以下の通りである[23]。
番地 | 消防署・分署 | 消防団分団 |
---|---|---|
全域 | 南消防署 | 大東第五分団 |
脚注
編集註釈
編集出典
編集- ^ a b c d 『令和6年11月末日現在掛川市人口・世帯数』。
- ^ 『「農業集落」に関する補足説明資料』1頁。
- ^ 「地区・自治区・小区――大東・大須賀区域」『地区・自治区・小区 大東・大須賀区域 - 掛川市』掛川市役所、2020年4月8日。
- ^ a b 「郵便番号・住所」『静岡県 掛川市 小貫の郵便番号 - 日本郵便』日本郵便。
- ^ 「靜岡縣遠江國城東郡佐束村小貫酒類釀造圡井弥源治」靑山豊太郎編『日本博覧圖――靜岡縣』初篇、精行舎、1892年。
- ^ a b 內山基康著述者相續人『逺江國風圡記傳』郁文舍書店、1900年、471頁。
- ^ a b c 平凡社稿「小貫村」『小貫村(おぬきむら)とは? 意味や使い方 - コトバンク』DIGITALIO・C-POT。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p KADOKAWA稿「小貫村(近世)」『解説ページ』エア。
- ^ a b KADOKAWA稿「小貫(近代)」『解説ページ』エア。
- ^ a b 佐束センター事務局「佐束地域の概要」『掛川市地域SNS「e-じゃん掛川」::佐束地区センター【公式】 - 佐束地域の概要』掛川市、2011年1月22日。
- ^ 「経済センサス‐活動調査/令和3年経済センサス‐活動調査/事業所に関する集計――産業横断的集計――事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)」『経済センサス‐活動調査 22 静岡県 31 経営組織(2区分)、産業(中分類)別全事業所数及び男女別従業者数-市区町村、町丁・大字 | ファイル | 統計データを探す | 政府統計の総合窓口』統計センター。
- ^ 「掛川市内小・中学校通学区一覧」『掛川市内小・中学校通学区一覧 - 掛川市』掛川市役所、2024年5月1日。
- ^ 「小貫公会堂」『小貫公会堂 - 掛川市家庭の避難計画』掛川市危機管理課。
- ^ 「掛川市立佐束小学校」『佐束小HP』掛川市立佐束小学校。
- ^ 「佐束小学童保育所」『佐束小学童保育所 - 掛川市』掛川市役所、2024年7月4日。
- ^ 「掛川カントリークラブ」『掛川カントリークラブ|アコーディア・ゴルフ公式サイト アコーディアWeb|静岡県掛川市』アコーディア・ゴルフ。
- ^ 「いさき歯科クリニック」『いさき歯科クリニック - 子育て総合案内サイト「かけっこ」』掛川市役所こども政策課。
- ^ 「二宮神社の情報」『二宮神社の情報|国税庁法人番号公表サイト』国税庁、2015年11月13日。
- ^ 「意正院の情報」『意正院の情報|国税庁法人番号公表サイト』国税庁、2015年11月13日。
- ^ 三戸岡道夫監修、金原義明ほか執筆委員『なるほどなっとく金次郎さん』改訂版、掛川市教育委員会、2013年、57頁。
- ^ 「COMPANY――土井酒造場について」『土井酒造場について | 【開運】土井酒造場』土井酒造場。
- ^ 「大東交番」『大東交番|静岡県警察』静岡県警察本部、2024年12月25日。
- ^ 掛川市消防本部編集『消防年報』令和2年版、掛川市消防本部、2021年4月、69頁。
関連項目
編集外部リンク
編集- 小貫公会堂 - 掛川市家庭の避難計画 - 小貫公会堂を紹介する掛川市危機管理課の公式ページ