増位山太志郎

日本の演歌歌手、元大相撲力士・元大関
増位山昇吾から転送)

増位山 太志郎(ますいやま だいしろう[1]、歌手活動時は「たいしろう」[2]1948年9月16日[3] - )は、東京都墨田区(大相撲の登録上は兵庫県姫路市)出身の元大相撲力士で、最高位は東大関

増位山 太志郎
基礎情報
四股名 瑞竜 → 増位山 昇吾 → 増位山 太志郎
本名 澤田 昇(さわだ のぼる)
生年月日 (1948-09-16) 1948年9月16日(76歳)(戸籍上は同年11月16日生まれ)[注 1]
出身 兵庫県姫路市
身長 182cm
体重 116kg
BMI 35.02
所属部屋 三保ヶ関部屋
得意技 右四つ、上手出し投げ内掛け
成績
現在の番付 引退
最高位大関
生涯戦歴 597勝538敗18休(86場所)
幕内戦歴 422勝435敗18休(59場所)
優勝 十両優勝1回
技能賞5回
データ
初土俵 1967年1月場所
入幕 1970年3月場所
引退 1981年3月場所
引退後 年寄・小野川(のち三保ヶ関に名跡変更)
他の活動 歌手(ムード歌謡演歌
趣味 カラオケ・ゴルフ
備考
金星4個(北の富士1個、輪島3個)
2013年11月24日現在

引退後は10代三保ヶ関として三保ヶ関部屋師匠を務めた。現在は歌手ムード歌謡演歌)として活動しており、ゴールデンミュージックプロモーションに所属している。

来歴・人物

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7代目増位山。大関・増位山大志郎の長男として東京の三保ヶ関部屋で生まれる。生まれも育ちも東京都であるが、日本相撲協会発表の出身地は実父と同じ兵庫県姫路市となっており、番付の出身地欄も「兵庫」と記されていた。日大一中・一高では水泳部(競泳)に所属し、インターハイ出場の経験がある。

大相撲・現役時代

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小学生のころから相撲が好きで、入門前から三保ヶ関部屋の大部屋に入り浸る内に力士生活への憧れが芽生えた[4]。中学2年のときに実父に相撲界への入門を志願したが断わられた。しかし、どうしても入門したかったため「ここで許されないなら他の部屋に入る!」と切り出し、父親も折れて入門を許し[注 2]1967年1月場所、瑞竜の四股名で初土俵。北の湖と同期であった。

三段目にいた1968年5月場所から父の四股名である増位山を継ぎ、1969年7月場所新十両と2年余りで関取の座を掴む。1970年3月場所に入幕したが負傷で何度か往復した。その後上位に進んでは大負けして落ちる繰り返しであったが、1979年9月場所(小結)より躍進、翌11月場所関脇で11勝4敗と三役で初の2桁勝利を達成し、2場所連続で三賞(技能賞)を獲得。

1980年1月場所は年齢的に最後のチャンスという覚悟で[5]大関昇進に挑み、初日に対戦成績で18連敗中だった苦手の横綱輪島外掛けで破り[6]勢いに乗った。この場所を12勝3敗で終え、高砂審判部長(元横綱朝潮)は「今場所の十二勝の成績や大関が現在一人である点を考慮する」[7]と述べ、場所後の理事会で増位山の大関昇進を決定した。この前場所から大関は貴ノ花1人しかいない番付上の状況が増位山には有利に働き、この3場所合計31勝で直近の大関昇進の事例と比較すると勝率で劣ることや、副業(歌手)によるイメージダウンも「反対意見として押し切るには至らないとみられる」[8]とされた。春日野理事長(元横綱・栃錦)は「増位山は多彩な技の持ち主だから、いかに自分を有利な体勢に持ち込むかが今後の課題」「優勝をねらえる大関になってほしい」[9]とエールを送った。年6場所制が定着した1958年1月場所以降初土俵の力士では、旭國の28歳11ヶ月を上回る31歳2ヶ月の当時最年長(現在では琴光喜の31歳3ヵ月に次ぐ2番目)。新入幕から所要52場所での昇進は当時の最長記録で、史上初の親子大関が実現した。昇進に際し増位山は「今後は栄誉ある大関の地位を汚さぬよう努力していきたい。(中略)ここ三場所は自分の相撲が取れたので、それを忘れず、さらに上(横綱)をめざす気持ちでがんばる。番付ではおやじに追いついたが、本当はまだまだと思っている」[10]と述べた。

しかし新大関の1980年3月場所は、右ヒジ関節挫傷で途中休場。場所後に昇進披露宴が行われ、俳優・歌手も含めた1500人余りが出席したが、昇進場所での不振との対比で「一億円の角番披露」と揶揄された。いきなり大関角番となった翌5月場所は、8勝7敗と勝ち越して角番脱出。その後も2場所連続の9勝6敗と1桁勝ち星がやっとで、1980年11月場所は3勝12敗と大きく負け越した。2度目の角番となった1981年1月場所は、10勝5敗と増位山自身大関として唯一の二桁勝利を挙げたが、これが大関としての最高成績だった。

1981年3月場所、2連勝の後2連敗したところで左ヒジ痛の悪化を理由に、同3月場所5日目限りで現役引退を表明した(取組相手の予定だった隆の里は不戦勝となる[注 3])。

増位山の大関在位はわずか7場所で、「短命大関」としては年6場所制以降、大受(在位5場所・関脇陥落)に次ぐ当時2位の最短記録となった[注 4]。大関の地位で引退した力士としては、現在でも増位山が歴代1位の短命大関である。現役引退後は18代小野川を襲名するとともに、三保ヶ関部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたった。

取り口はふわっとした立合いで相手の突進をそらし、右で廻しをつかむと投げや内掛け・外掛け内無双と多彩な技を繰り出した。中でも相手を引きずるように打つ上手投げ・上手出し投げは増位山独特のものであった[注 5]

大相撲・親方時代

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1984年11月に実父である9代三保ヶ関が定年退職し、10代三保ヶ関を襲名して部屋を継承した。親方としては、名門・日本大学相撲部で活躍した学生相撲出身者を数多く入門させ、小結濱ノ嶋幕内肥後ノ海十両増健などをはじめ、エストニア出身の把瑠都、ロシア出身の阿覧らをスカウトして関取に育てた。一方で先代三保ヶ関と同じく運営方針として所属力士の個人後援会を認めなかったことで「けち」と指摘されることもあった。

なお、三保ヶ関部屋からは2003年12月に11代木瀬が7人の内弟子を連れて分家独立、2006年8月に17代尾上が6人の内弟子(幕内・把瑠都、十両・里山など)を連れて分家独立している。また、父に似たのか多彩な趣味の持主で、絵画は二科展入選の常連である。

大相撲野球賭博問題に揺れていた時期には11代木瀬と10代清見潟が暴力団と交際していることを暴露し[11]、結果としてこの2人は維持員席問題により協会から処分を受けた。23歳から50歳くらいまでは1日に150本くらい吸うヘビースモーカーだったが、病気をしてから一切吸えなくなった。

日本相撲協会では、後述のように美声で通る声であるために審判委員を長期間務め、物言いがついた場合場内説明を任されるケースが審判部副部長就任前から多かった。2002年2月に監事(2008年に副理事に改称)に就任し、2012年1月まで5期10年務めた。在任中は審判部副部長を長く務めた。停年退職が近くなったため2012年2月に退任し、最後は役員待遇委員として監察委員会副委員長を務めた。

2013年11月場所限りで65歳の停年退職を迎えたものの、後継者がいないことから同年9月場所限りで三保ヶ関部屋の消滅が決定。三保ヶ関部屋消滅時に所属していた部屋関係者のうち床山だけは北の湖部屋へ、自身を含む親方2人と力士6人、世話人・行司各1人、呼出2人は春日野部屋へ、それぞれ10月3日付で移籍した[12]。停年に際して1980年1月場所の初日に輪島を破った一番を思い出の相撲として挙げ「これまで十八連敗中でしたから、輪島関に勝って親子二代で大関昇進も決まりうれしかったです」と語っていた。[13]

ムード歌謡・演歌歌手として

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師匠でもある実父から「相撲ばかりやっていては幅が出てこないし、色々な芸を経験して一芸に幅や奥行きが生まれる。何でもいいから大相撲以外で懸命にやってみろ」とアドバイスされため、現役力士時代の頃からムード歌謡・演歌歌手としても活動、レコードを多数リリースしている。1972年に「いろは恋唄」で歌手デビュー。その2年後の1974年に発売した3枚目のシングル「そんな夕子にほれました」が120万枚を超える売上を記録し[14]初ヒットとなる[14]。1977年8月に発売した「そんな女のひとりごと」は130万枚を超える売上を記録して[14]、1978年に行なわれた「第11回日本有線大賞」では同曲で有線音楽賞とベストヒット賞を獲得した。リリースしたアルバムの中には、師匠・実父と共に吹き込んだ相撲甚句のレコードもあった。力士が出場する歌番組では審査員も務めたこともある。

本人は現役時代当時、印税のために歌手活動を行っていたわけではないとし、周囲が「増位山は相撲を取らないで歌ばかり歌っている」と勘違いすることに対しては釈然としなかったという[15]。もっとも増位山の大関昇進を諮る理事会で師匠の三保ヶ関は「今後はキャバレーなどで一切歌わせない、レコーディングやテレビ出演は協会の許可を得てからにする」と公約し[10]、協会内に根強かった歌手活動への批判をかわしている。

1985年から日本相撲協会が親方・力士のレコード発売やCM出演等の副業を原則的に禁止したため歌手活動は行っていなかったが、協会は旧譜の再発売については認めていた。その後、副業規制が緩和され、2007年10月、ともに横綱審議委員会の委員を務める内館牧子作詞、船村徹作曲の「水玉のスカーフ」で歌手として再デビューした。しかし、時津風部屋力士暴行死事件を受け公開レコーディングは中止となった。[16]2008年6月、NHK・BS2で放送された『シリーズ 昭和の歌人たち「中山大三郎〜“人生いろいろ”から“珍島物語”〜」』に特別ゲストとして登場、生バンドをバックにかつてのヒット曲「男の背中」をテレビで久々に歌唱した。

上述の通り2013年11月場所で日本相撲協会を定年退職。同年12月4日、現役時代のしこ名である「増位山太志郎」の名義で、新曲「夕子のお店」の発表会を開催。「これからは歌一本。大相撲では大関止まりでしたが、今後は歌手で横綱を目指します」と改めて歌手として再出発の決意をコメントした[17]。同曲および次作の「冬子のブルース」で、翌2014年の「第56回日本レコード大賞」企画賞を受賞した。

甘く囁くような歌声が持ち味。ラジオ番組『コサキンDEワァオ!』(TBSラジオ)では「小スケベ声」と呼ばれてネタにされた。鳩レースが趣味で、同じくレース鳩の飼育で知られる演歌歌手の同業・新沼謙治と意気投合している(ただし新沼は現在鳩を飼っていない)。またサックスも好きで、1日に4時間から5時間演奏している[18]

主な成績

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  • 通算成績:597勝538敗18休 勝率.526
  • 幕内成績:422勝435敗18休 勝率.492
  • 大関成績:44勝44敗7休 勝率.500
  • 現役在位:86場所
  • 幕内在位:59場所
  • 大関在位:7場所
  • 三役在位:10場所 (関脇4場所、小結6場所)
  • 三賞:5回
    • 技能賞:5回(1972年11月場所、1974年5月場所、1979年9月場所・11月場所、1980年1月場所)
  • 金星:4個(北の富士1個、輪島3個)
  • 各段優勝:十両優勝:1回(1972年1月場所)

場所別成績

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増位山大志郎
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1967年
(昭和42年)
(前相撲) 西序ノ口8枚目
6–1 
東序二段81枚目
4–3 
西序二段41枚目
6–1 
東三段目92枚目
6–1 
東三段目49枚目
4–3 
1968年
(昭和43年)
西三段目38枚目
5–2 
西三段目14枚目
4–3 
東三段目4枚目
5–2 
東幕下46枚目
5–2 
西幕下31枚目
3–4 
西幕下36枚目
5–2 
1969年
(昭和44年)
東幕下20枚目
6–1 
東幕下5枚目
4–3 
西幕下2枚目
6–1 
東十両12枚目
7–8 
西十両13枚目
9–6 
東十両10枚目
9–6 
1970年
(昭和45年)
東十両5枚目
11–4 
西前頭11枚目
7–8 
東十両筆頭
9–6 
西前頭12枚目
7–8 
東十両2枚目
8–7 
西十両2枚目
7–8 
1971年
(昭和46年)
西十両2枚目
9–6 
西前頭11枚目
9–6 
西前頭7枚目
9–6 
東前頭2枚目
3–11–1[注 6] 
東前頭11枚目
1–4–10[注 7] 
東十両7枚目
7–8 
1972年
(昭和47年)
西十両8枚目
優勝
12–3
西前頭13枚目
6–9 
東十両4枚目
9–6 
東十両2枚目
9–6 
東前頭13枚目
10–5 
西前頭4枚目
9–6
1973年
(昭和48年)
西小結
5–10 
西前頭3枚目
5–10 
東前頭10枚目
8–7 
西前頭7枚目
10–5 
東前頭筆頭
6–9 
東前頭5枚目
8–7 
1974年
(昭和49年)
東前頭2枚目
5–10
西前頭7枚目
8–7 
東前頭4枚目
12–3
東小結
8–7 
東小結
5–10 
西前頭4枚目
6–9 
1975年
(昭和50年)
東前頭6枚目
9–6 
東前頭2枚目
8–7
東前頭筆頭
6–9
西前頭4枚目
9–6 
東前頭筆頭
6–9 
東前頭4枚目
6–9 
1976年
(昭和51年)
東前頭7枚目
8–7 
東前頭5枚目
8–7 
東前頭筆頭
5–10 
西前頭5枚目
5–10 
東前頭10枚目
9–6 
東前頭4枚目
6–9 
1977年
(昭和52年)
西前頭7枚目
10–5 
東小結
5–10 
東前頭5枚目
8–7 
東前頭2枚目
8–7 
東前頭筆頭
5–10 
西前頭3枚目
4–11 
1978年
(昭和53年)
西前頭9枚目
8–7 
東前頭6枚目
9–6 
東前頭2枚目
8–7 
東小結
8–7 
東関脇
8–7 
東関脇
6–9 
1979年
(昭和54年)
東前頭筆頭
6–9 
西前頭3枚目
8–7 
東前頭筆頭
6–9 
東前頭3枚目
8–7 
東小結
8–7
西関脇
11–4
1980年
(昭和55年)
東関脇
12–3
東大関
3–5–7[注 8] 
西大関
8–7[注 9] 
西大関
9–6 
西大関
9–6 
西大関
3–12 
1981年
(昭和56年)
西大関
10–5[注 9] 
西大関
引退
2–3–0
x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

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力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
青葉城 3 7 青葉山 6 5 朝潮(朝汐) 7 5 浅瀬川 0 2
朝登 2 0 旭國 8 19 天ノ山 3 1 嵐山 1 0
荒勢 7 14 照の山(岩波) 1 0 大潮 5 5 巨砲 5 2(1)
大錦 5 3 大ノ海 1 0 大鷲 7 3 魁輝 10 5
魁傑 11 16 和晃 1 0 北瀬海 5 9 北の富士 2 2
清國 0 3 麒麟児 9 8 蔵間 7 6 黒瀬川 8 1
黒姫山 20 14 高鉄山 2 0 琴風 3 7 琴ヶ嶽 1 2
琴櫻 0 5 琴乃富士 2 2 琴若 0 1 金剛 6 6
蔵玉錦 4 1 佐田の海 1 0 白田山 1 1 大旺 2 1
大峩 1 5 大麒麟 5(1) 5 大豪 2 0 大受 6 11
大雪 1 4(1) 大登(大飛) 1 1 大文字 1 0 大雄 4 2
隆の里 8 6(1) 貴ノ花 12(1) 22 高見山 11 6 谷嵐 2 0
玉輝山 4 3 玉の海 0 1 玉ノ富士 12 11 千代櫻 4 0
千代の富士 4 8 照櫻 2 1 出羽の花 6 4 天龍 5 1
時葉山 3 2 栃赤城 5 4 栃東 6 5 栃勇 1 0
栃王山 1 2 栃光 12 9 栃富士 1 0 羽黒岩 9 7
長谷川 10 6 福の花 7 5 富士櫻 13 13 藤ノ川 1 0
二子岳 6 4 双津竜 7 2 鳳凰 4 1 前の山 2 3
舛田山 5 3 丸山 1 0 三重ノ海 10 19 三杉磯 2 0
陸奥嵐 6 3 豊山 9 10  吉の谷 3 0 義ノ花 1 1
琉王 3 4 龍虎 0 3 若獅子 3 6 若嶋津(若島津) 1 0
若浪 2 2 若ノ海 10 2 若乃花(若三杉) 3 26 若二瀬 4 1
輪島 8 30 鷲羽山 8 9
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

ディスコグラフィ

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シングル

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# 発売日 曲順 タイトル 作詞 作曲 編曲 レーベル 規格品番
1 1972年
7月
A面 いろは恋唄 小島貞二 山路進一 キャニオン A-122
B面 でっかくゆこうぜ
2 1974年
7月
A面
[注 10]
両国エレジー 不詳 [注 11] CBS
ソニー
SOLB-160
3 1974年
8月10日
A面 そんな夕子にほれました 海老名香葉子 山路進一 竜崎孝路 マキシム
レコード
MR-2012
B面 恋がたみ 五月いつか 竹田喬
4 1975年 A面 雪子 海老名香葉子 山路進一 MR-2017
B面 女ひとりに 五月いつか 伊藤雪彦
5 1976年 A面 夜霧が泣いてる 悠木圭子 鈴木淳 京建輔 ローヤル
レコード
MR-2025
B面 恋ごよみ
6 A面 誰か夕子を知らないか たかたかし 司啓介 竜崎孝路 オニオン
レコード
MR-3001
B面 いいわけ いわせ灯詩
7 1977年
3月25日
A面 そんな夕子にほれました 海老名香葉子 山路進一 かみたかし ユニオン
レコード
UC-39
B面 粋な別れ 浜口庫之助
8 1977年
4月25日
A面 今度逢えたら 木未野奈 大野弘也 伊藤雪彦 UC-40
B面 別れたんだね 伊藤雪彦
9 1977年
8月25日
A面 そんな女のひとりごと 徳久広司 伊藤雪彦 UC-46
B面 お前が可愛い 大野弘也 斉藤恒夫
10 1978年
4月25日
A面 お店ばなし 徳久広司 伊藤雪彦 UC-56
B面 ゆきずり
11 1978年
10月25日
A面 そんなナイト・パブ 水木怜 竜崎孝路 UC-76
B面 だから女は泣くのです 池田充男 伊藤雪彦
12 1979年
10月25日
A面 いたわりあい 石坂まさを 中谷昭明 竜崎孝路 UC-92
B面 東京ぐらし 山田隼人
13 1980年
3月8日
A面 新宿慕情 紺野章 伊藤雪彦 UC-102
B面 待たせてごめんよ 初信之介 徳久広司
14 1980年
8月25日
A面 別れたそうね たかたかし UC-107
B面 一緒になろう 木未野奈 伊藤雪彦
15 1981年
8月25日
A面 男の背中 中山大三郎 京建輔 UE-507
B面 愛のさすらい
16 1982年
3月25日
A面 大大阪音頭 滝田常晴 遠藤実 只野通泰 UE-515
B面 ちょいと大阪 大谷英雄
17 1983年
1月21日
A面 とにかく、あした 来生えつこ 来生たかお 小谷充 UE-532
B面 明日からふたり 藤原典男 小谷充
18 1983年
4月21日
A面 雨ふる湖南線 初信之介 朴椿石 小谷充 UE-540
B面 太田テジョンブルース 金富海
19 A面 釜山港へ帰れ 三佳令二 黄善友 UE-541
B面 木浦の涙 孫牧人
20 1983年
8月21日
A面 雪虫 池田充男 弦哲也 竜崎孝路 UE-551
B面 ヨコハマ恋物語 はぞのなな 岡千秋 かみたかし
21 1984年
6月1日
A面 大田テジョンブルース 三佳令二 金富海 小谷充 UE-564
B面 終列車のひと 初信之介 徐永恩
22 1984年
6月21日
A面 女の横顔 中山大三郎 竜崎孝路 UE-563
B面 あじさいの別れ 横山聖仁郎
23 1985年
2月21日
A面 男の真夜中 中山大三郎 久我山明 UE-579
B面 愛ある別れ 石坂まさを
24 1985年
9月21日
A面 五木恋しや 初信之介 木村好夫 池多孝春 UE-583
B面 遠きふるさと 初信之介
25 1986年
1月21日
A面 そして…男は 中山大三郎 竜崎孝路 UE-585
B面 止まり木夢もよう 千葉宏子 大田かおる 山田慧
26 1986年
4月21日
A面 夢酒場 中山大三郎 竜崎孝路 UE-586
B面 いつか逢う日を夢みて2[注 12] 伊藤雪彦
27 1988年
9月25日
A面 愛・さすらい 石坂まさを 木村好夫 斉藤恒夫 ミノル
フォン
7KA-44
B面 そんな夕子にほれました(新録) 海老名香葉子 山路進一 かみたかし
28 1989年
9月25日
A面 昭和流行歌 三浦弘 竜崎孝路 7KA-51
B面 お馴染みさん 石坂まさを 高橋直人 小谷充
29 1990年
5月25日
01 何処でどうしているだろか 横山聖仁郎 TKDA-30077
02 色はにおえど… 水上たかし 横山聖仁郎
30 2007年
10月3日
01 水玉のスカーフ 内館牧子 船村徹 蔦将包 日本
クラウン
CRCN-1319
02 女房に捧ぐ[注 13]
31 2013年
2月13日
01 夢の花 咲かそう たかたかし 弦哲也 前田俊明 テイチク TECA-12410
02 男の舞台
32 2013年
11月20日
01 夕子のお店 TECA-12485
02 女のきもち
33 2014年
9月17日
01 冬子のブルース 池田充男 TECA-12545
02 この指と〜まれ! 岡本圭司
34 2015年
5月20日
01 あき子慕情 池田充男 徳久広司 竜崎孝路 TECA-13601
02 小春酒
35 2016年
1月20日
01 男のコップ酒 松井由利夫 岡千秋 南郷達也 TECA-13649
02 故郷ふるさとごころ 建石一
36 2016年
9月21日
01 白雪草しらゆきそう 下地亜記子 徳久広司 TECA-13708
02 奥能登しぐれ
37 2017年
4月19日
01 酒みれん 仁井谷俊也 叶弦大 TECA-13754
02 京都二寧坂 松井由利夫
38 2018年
1月17日
01 泣き虫 久仁京介 花岡優平 矢野立美 TECA-13821
02 ほんの小さな過去だから 紙中礼子
39 2018年
9月19日
01 港です 女です 涙です 山口洋子 徳久広司 南郷達也 TECA-13876
02 今日からふたり 徳久広司
40 2019年
5月15日
01 ごめんよ麗子 麻こよみ 徳久広司 TECA-13929
02 本気で惚れた人
41 2020年
1月15日
01 涙の夜風 宮下健治 TECA-20009
02 北国なみだ雨
42 2021年
1月20日
01 別れの彼方 森田いづみ TECA-21003
02 かならず明日はやってくる
43 2022年
2月16日
01 おとなの春に… 石原信一 浜圭介 猪股義周 TECA-22003
02 桜よ散るがいい 数丘夕彦

デュエット・シングル

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発売日 デュエット 曲順 タイトル 作詞 作曲 編曲 レーベル 規格品番
1975年 秋ゆうこ A面 いつか逢う日を夢みて 中山大三郎 伊藤雪彦 マキシム
レコード
MR-2022
- B面 札幌の夜
(歌:増位山太志郎)
関口義明 菊池一夫
1979年
10月25日
沢田嘉津枝 A面 だから今夜は… 初信之介 徳久広司 竜崎孝路 ユニオン
レコード
UC-86
- B面 あなた任せの私なの
(歌:増位山太志郎)
石坂まさを 紺野章
1981年
11月25日
長沢薫 A面 いつか逢う日を夢みて 中山大三郎 伊藤雪彦 UE-501
- B面 ゆうがお慕情
(歌:増位山太志郎)
みなみ修 岩崎ヒロシ
1982年
8月21日
長沢薫 A面 夜の恋の物語 吉法かずさ 徳久広司 竜崎孝路 UE-525
- B面 こころ酒
(歌:増位山太志郎)
石坂まさを 木村好夫 斉藤恒夫
1983年
1月21日
川中美幸 A面 マイク片手にカラオケ人生 大高ひさを 村沢良介 伊藤雪彦 UE-536
B面 私はあなたの涙です
1984年
12月1日
日野美歌 A面 大阪恋めぐり 幸村リウ 小林正二 馬飼野俊一 UE-574
B面 信じあえたら 山田孝雄 四方章人
2012年
7月25日
松居直美 01 秘そやかに華やかに 建石一 徳久広司 池多孝春 テイチク TECA-12363
02 だから今夜は… 初信之介 竜崎孝路
2013年
7月17日
01 男と女のオルゴール 建石一 池多孝春 TECA-12459
- 02 想い出さがし
(歌:増位山太志郎)
前田俊明
2014年
7月23日
菊地まどか 01 屋形船 岡千秋 南郷達也 TECA-12535
02 駅あかり

アルバム

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  • LP
発売日 タイトル レーベル 規格品番
1974年 増位山が唄う…夜の盛り場慕情-そんな夕子にほれました- マキシムレコード MM-2001
1975年 ヒットムード歌謡熱唱!-雪子- MM-2002
女ごころを唄う ベスト14-いつか逢う日を夢みて〜札幌の夜- MM-2003
1976年 増位山が唄う オリジナル艶歌考14 オニオンレコード MM-2004
増位山が唄う ヒット歌謡・艶歌14 MM-2005
1977年 今度逢えたら ユニオンレコード GU-9
そんな女のひとりごと GU-13
オリジナル演歌のすべて そんな夕子にほれました〜そんな女のひとりごと GU-16
1978年 演歌のすべて・お店ばなし GU-18
オリジナルベスト GU-23
1979年 だから今夜は… GU-26
熱唱リサイタル GU-28
オリジナルベスト そんな女のひとりごと〜いたわりあい GU-32
1980年 演歌のこころ 新宿慕情 GU-34
オリジナルベスト16 GU-38
1982年 夜の恋の物語 GU-43
1983年3月21日 哀愁の韓国ひとり旅 GU-44
1983年5月21日 オリジナルベスト とにかく、あした GU-46
1983年10月21日 "ひとつの哀歌"〜木村好夫のギターで綴る〜 GU-52
1984年8月21日 ベストヒット演歌 女の横顔 GU-59
1985年2月21日 ふたりのめぐり逢い[注 14] GU-65
1985年10月21日 演歌ごころ旅ごころ〜五木恋しや〜 GU-69
  • CD
発売日 タイトル レーベル 規格品番
1985年1月21日 オリジナルベスト ユニオンレコード 35CH-18
1985年6月1日 ふたりのめぐり逢い[注 14] 30CH-30
1985年11月21日 演歌ごころ旅ごころ〜五木恋しや〜 30CH-127
1988年9月21日 オリジナルベスト12 テイチク 25CH-27
デュエットベスト12 25CH-28
ビッグ演歌ベスト12 25CH-29
1988年10月25日 '88有線演歌ベストヒット〜北の旅人〜 ミノルフォン 32KCD-148
1988年11月25日 巷の流行歌〜城ヶ崎ブルース〜 32KCD-151
1988年12月21日 男と女の流行歌〜人生いろいろ・港の五番町〜 32KCD-154
1989年6月25日 夜霧よ今夜も有難う 32KCD-165
1990年6月25日 ベストヒット演歌16 TKCA-30093
1990年10月25日 ナレーションで綴る 酒場うた・おんな歌[注 15] TKCA-30158
1991年6月21日 ヒット曲集 テイチク TECA-30263
1991年10月25日 全曲集 TECA-30308
1991年11月21日 デュエット全曲集 TECA-30335
1992年1月25日 全曲集'92 ミノルフォン TKCA-30498
1992年5月21日 男の哀愁 増位山ヒット曲集 テイチク TECA-30382
1992年10月25日 全曲集 TECA-30425
1992年11月21日 デュエット全曲集 TECA-30456
1993年11月21日 全曲集 TECA-30502
1994年10月21日 BEST SELLER 全曲集 TECA-30563
BEST SELLER デュエット全曲集 TECA-30564
1995年11月22日 増位山大全集 TECA-50677〜78
1997年5月21日 全曲集 TECE-28014
1997年12月26日 ふり向けば…増位山〜男の背中・恋の町札幌〜 徳間ジャパン TKCA-71324
1999年10月21日 全曲集 テイチク TECE-32128
2000年9月21日 全曲集〜そんな女のひとりごと〜 TECE-30188
2004年8月1日 定番ベスト TECE-1002
2009年8月21日 ミリオンシリーズ TECE-1042
2011年4月6日 ゴールデン☆ベスト TECE-1087〜88
2013年5月22日 男の浪漫〜ベストアルバム〜 TECE-3154
2013年11月20日 増位山太志郎〜盛り場・旅情歌謡を唄う〜 TECE-3228
2014年11月19日 2015年全曲集 TECE-3287
2015年11月18日 2016年全曲集 TECE-3335
2015年12月16日 大全集 TECE-3346〜47
2016年11月16日 2017年全曲集 TECE-3409
2017年10月18日 2018年全曲集 TECE-3446
2018年10月17日 2019年全曲集 TECE-3512
2019年10月16日 2020年全曲集 TECE-3545
2020年9月16日 2021年全曲集 TECE-3593
2021年10月20日 2022年全曲集 TECE-3644
2022年10月19日 2023年全曲集 TECE-3677
2023年10月18日 全曲集 TECE-3707

出演

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テレビ

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  • 大江戸捜査網 第528話「易者は殺しの暗号」(1982年) - 伊之吉役でゲスト出演

脚注

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注釈

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  1. ^ 明確に同年11月生まれであることを示す報道(日本相撲協会公式サイトも11月16日生まれとしている)。三保ケ関部屋が秋場所限りで消滅 横綱北の湖、大関北天佑ら輩出 Sponichi Annex 2013年9月13日 20:20 参照
  2. ^ 『相撲』2013年11月号78頁には具体的に「ウチでやらせてもらえないんだったら、オレは春日野部屋へ行く!」と強い決意を表わしていた様子が記述されていた。実父は当初「数年で芽が出なければちゃんこ屋でもやらせればいい」という感覚で息子の希望を認めかけたが、実母が「ちゃんこ屋でも…ぐらいの感覚でさせるならば止めて下さい!」と意見したことで、父も本気で関取に育て上げる決意をしたという。
  3. ^ 5日目の対戦力士・隆の里は、右膝の切開手術のために当初不戦敗・休場するはずであったが、増位山の引退報告を聞いて急遽春場所の会場に駆け付け、不戦勝の勝ち名乗りを貰ったという
  4. ^ 現在は栃ノ心朝乃山と並ぶ史上3位タイ。
  5. ^ 『相撲』2013年11月号79頁には「右上手からの技であるからこそ相手の後ろ廻しの結び目の先の細く折られた先端部分を効率的に掴むことができ、威力が高まるのだ。廻しの構造上、左ではそのような掴み方は出来ない。」とその「独特の上手出し投げ」の詳細が説明されていた。
  6. ^ 右胸部挫傷により10日目から途中休場、12日目から再出場。
  7. ^ 右足首関節骨折、右下腿部下端骨折により初日から休場、6日目から出場、10日目から途中休場
  8. ^ 右肘関節挫傷により8日目から途中休場。
  9. ^ a b 角番(全2回)
  10. ^ B面は国錦の「相撲甚句 当地興行」。
  11. ^ 編曲者の表記無し。
  12. ^ デュエット:長沢薫
  13. ^ デュエット:北の富士
  14. ^ a b 共演:日野美歌
  15. ^ ナレーション:叶和貴子

出典

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  1. ^ 蘇る名大関 増位山太志郎 - goo大相撲
  2. ^ 初共演 NHK歌謡コンサートブログ 2012年10月10日付参照
  3. ^ 増位山が歌手復帰!「不倫にピッタリ」は11月16日生まれとしている。
  4. ^ 増位山太志郎さんが振り返る、2017年の大相撲その4 おすもうさん 2018年1月13日 (2023年3月9日閲覧)
  5. ^ 朝日新聞1980年1月4日付朝刊スポーツ面
  6. ^ 朝日新聞1980年1月7日付朝刊スポーツ面
  7. ^ 朝日新聞1980年1月21日付朝刊スポーツ面
  8. ^ 朝日新聞1980年1月23日付朝刊スポーツ面
  9. ^ 朝日新聞1980年1月23日付夕刊社会面
  10. ^ a b 朝日新聞1980年1月24日付朝刊スポーツ面
  11. ^ スポーツ報知 2010年5月26日
  12. ^ 三保ケ関から阿覧ら6人が春日野部屋へ nikkansports.com 2013年10月3日
  13. ^ 『大相撲ジャーナル』2014年2月号102頁
  14. ^ a b c “美声”の元大関 増位山太志郎さんが感謝する2人の恩師、日刊ゲンダイDIGITAL、2016年8月1日。
  15. ^ <2>「増位山は相撲を取らないで歌ばかり歌っている」と周囲から勘違いされた 日刊ゲンダイDIGITAL 2021/08/17 06:00 (2021年8月18日閲覧)
  16. ^ 22年ぶりも…増位山、時津風暴行事件余波、ZAKZAK、2007年9月28日。
  17. ^ 増位山「歌手で横綱目指す」新曲「夕子のお店」発表スポニチアネックス 2013年12月5日
  18. ^ <1>コロナ禍で運動もしないから1日4、5時間サックスを吹いてます(1/3ページ) 日刊ゲンダイDIGITAL2021/08/03 06:00 (2021年9月1日閲覧)

参考文献

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  • 昭和平成 大相撲名力士100列伝(著者:塩澤実信、発行元:北辰堂出版、2015年)p111-112

関連項目

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外部リンク

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