松井由利夫
日本の作詞家(1925−2009)
松井 由利夫(まつい ゆりお、本名:松井義雄 - まつい よしお、 1925年3月18日 - 2009年2月19日)は、日本の作詞家。氷川きよしの恩師として知られる[1]。
松井 由利夫 | |
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誕生 |
松井義雄 1925年3月18日 東京府東京市本郷区(現東京都文京区) |
死没 | 2009年2月19日(83歳没) |
職業 | 作詞家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 東京第二師範学校 卒業 |
ジャンル | 歌謡曲、演歌、童謡 |
代表作 |
『だから云ったじゃないの』 『箱根八里の半次郎』 |
デビュー作 | 『希望の丘』 |
活動期間 | 1946年 - 2009年 |
影響を受けたもの
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影響を与えたもの
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別名:はぞの なな |
経歴
編集- 1925年(大正14年)3月18日、東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区)出身。
- 1944年(昭和19年)東京第二師範学校(現在の東京学芸大学)卒業。
- 1947年(昭和22年)、小学校教員を務めながら、童謡『希望の丘』で作詞家としてデビュー。以後、小学校の教員を務めながら、地道に詩作を行う。
- 1954年(昭和29年)、既に著名作詞家であった石本美由紀の門下生となり、石本が主宰する歌謡同人誌新歌謡界に入会する。三宅立美、秋田泰治、星野哲郎、たなかゆきを、八反ふじを、岩瀬ひろしは、当初からの同門詩友である
- 1956年(昭和31年)6月、マーキュリーレコードの専属作詞家となる。
- 1958年(昭和33年)、松山恵子歌唱の『だから云ったじゃないの』のヒットを機に、小学校教員を辞し、作詞家に専念するようになる。
- 以後、村田英雄、井沢八郎、五木ひろし、米倉ますみ、坂本冬美など多くの演歌歌手に作品を提供し、演歌界の立役者と云われるようになる。“はぞの なな”のペンネームで作詞した作品も多い。
- 2000年(平成12年)、自ら発掘した氷川きよしのデビュー曲『箱根八里の半次郎』がヒットし、その後も氷川の作品を手掛ける。
- 2009年(平成21年)2月19日、膀胱癌の為、逝去。83歳没。
作品
編集- 井沢八郎:『男傘』、『北海の満月』
- 五木ひろし:『夢しずく』
- 市川由紀乃:『寿祝い唄』
- 大川栄策:『夢一天』
- 金田たつえ:『想い酒』『飛車角太鼓』『たつえの人生囃子』
- 小林幸子:『大江戸喧嘩花』
- 坂本冬美:『播磨の渡り鳥』
- 中村美律子:『華になれ』『だんじり』
- 西方裕之:『女ひといろ』
- 氷川きよし:『箱根八里の半次郎』、『きよしのズンドコ節』
- 藤圭子:『はしご酒』『新宿夢通り』『愛の浮雲』『山里の子守唄』『萩の女』
- 細川たかし:『満天の船歌』『月下の章』
- 松山恵子:『未練の波止場』、『だから云ったじゃないの』
- 三笠優子:『母ごころ』
- 水森かおり:『おしろい花』、『いのち花』
- 村田英雄:『夫婦酒』
- 由利徹・南利明:『カックン・ルンバ』
- 米倉ますみ:『俺の出番はきっと来る』